静聴雨読

歴史文化を読み解く

「公共禁煙」は進んだか?

2010-10-30 07:22:27 | 社会斜め読み
神奈川県ではこの4月から「受動喫煙防止条例」が施行された。飲食店などの公共施設で、「全面禁煙」か「分煙」が義務付けられた。ただし、猶予の例外があるが、それは後ほど。

長崎チャンポンの「リンガーハット」では、全面禁煙を導入した。今までは、昼間の時間帯だけの禁煙だったが、すべての時間帯で禁煙だそうだ。
先日入った「スターバックス」がやはり全面禁煙であった。同業の「ドトール」や「ヴェローチェ」が全面禁煙に踏み切れていない中で、「スターバックス」は勇気がある。

神奈川県の「受動喫煙防止条例」では、適用の例外が設けられた。一定規模(100平方メートルだったろうか)以下の飲食店については、当分の間、適用をしないことになった。
その理由は、現下の経済情勢では、「分煙」を実施するには、設備投資の負担が大きく、とくに零細飲食店では立ち行かない、というものだ。
「分煙」店として承認を受けるためには、「喫煙空間」から「禁煙空間」へタバコの煙が流れない設備を備えるのが要件となる、というのが県の見解だ。この当たりまえに見える要請が飲食店には高い障壁と映る。

この適用除外によって、神奈川県の「受動喫煙防止条例」は骨抜きになってしまった。

そもそも、「公共禁煙」を謳う場合、安易に適用除外を設けてはならないのだ。
「公共禁煙」とは、「公共の場」では「禁煙」という、ごく単純な原則を指す。

この場合の「公共の場」とは、非喫煙者と喫煙者が不特定に混ざり合う場所をいう。
例示すれば、公共施設・職場・飲食店・娯楽店はもちろんのこと、道路・公園・海浜なども含む。
家庭内では、居間・台所・洗面所・ベランダ・庭なども含む。

むしろ、「公共の場でない場所」を例示したほうが早いかもしれない。
それは、家屋内では自室、外では、スモーキング・バーなどの喫煙者専用施設に限られる。
喫煙者はこれらの場所で思う存分喫煙すればよい。
喫煙者の守るべきことはただ一つ:「受動喫煙」を引き起こす喫煙はしないこと。
  (2010/10)

リサイクルの連鎖

2010-10-24 07:27:00 | Weblog
コミック誌の多くは電車内で読み捨てられ、網棚などに放置される。それを集める人がいて、集められたコミック誌は、仲介業者に引き取られる。引き取られたコミック誌は、駅前などの露天で販売される。その販売価格は、定価のほぼ半額だ。

このリサイクルの連鎖は完璧だ。
集めた人が潤い、露天で販売する人が潤い、買う人も書店で買うよりも安価に手に入る。その上、電車内で、ゴミとしてのコミック誌を回収する手間も省いてしまう。

一方、街中での古紙回収では、違った側面が注目されている。

道路の一角に放置された新聞や雑誌などの古紙を持ち去る人を糾弾する自治体があるというのだ。
その自治体の言い分によると、道路の一角に放置された新聞や雑誌などは、実は放置されたものではなく、指定した古紙回収業者が回収するまで一時的にその場所に置いてあるもので、その所有権は自治体などにある、という。

道路の一角に放置し、見張りを付けるまでもなく置いてあるものに、「あれは、うちのものだ」という自治体の言い分は通らないだろう。自分のものだと主張するのであれば、公有地である道路を占有することなく、しかるべき場所に保管しなくてはならない。

道路の一角に放置されているものを集める人がいれば、それは究極のリサイクルの歯車を担っている人だと認識する必要があろう。東京都杉並区などは大いに反省してほしいものだと思う。(2010/10)


バルガス・リョサ『楽園への道』を読む

2010-10-07 22:09:10 | 文学をめぐるエッセー
バルガス・リョサ『楽園への道』(田村さと子訳)を読み終えた。池澤夏樹編集の世界文学全集(河出書房新社)の一冊で、B6判で485ページの大作である。

画家ポール・ゴーギャンとその母方の祖母フローラ・トリスタンの物語だが、両者の直接の関係性は何もない。小説は、フローラの章、ポールの章と交互に進み、それぞれの死まで記述が進むという仕掛けだ。

ポールについては、タヒチに移り住み、その後マルキーズ諸島に居を移して死を迎えるまで。記憶の中では、ゴッホ(オランダの狂人)との共生とその破綻までが描かれる。

フローラについては、労働運動のオルグとしてフランス各地を飛び回る生活と、前夫との生活の破綻と故郷ペルーへの旅行が描かれる。

全体を支配するのは、ラテンアメリカ文学に特有の、圧倒的な饒舌だ。バルガス・リョサは二人の生涯を記録してやまない。

バルガス・リョサの手法で着目すべきは、二人に対する「語りかけ」だ。作者が高い位置から二人を見下ろしているのではなく、二人に同情し、二人を理解していることを示すしるしとして、たえず二人に語りかける手法を用いている。

「あの娘が懐かしいのだね、フロリータ」(フローラに対して)
「おまえの父の国への旅行はすごかったね、アンダルシア女」(フローラに対して)
「おまえはどれほど後悔しただろうね、ポール」(ポールに対して)
「急がなければおまえも駄目になってしまうぞ、コケ」(ポールに対して)

ポール・ゴーギャンに対する語りかけは素直にうなずける。

また、フローラに対する「フロリータ」というのもよくわかる。

しかし、フローラに対する「アンダルシア女」という呼びかけには首をかしげる。
アンダルシア人のことをスペイン語で、アンダルース andaluz という。その女性形がアンダルーサ andaluza だ。それを訳して「アンダルシア女」としているのだろう。

だが、日本語の「アンダルシア女」は、「アンダルシア」と「女」の二つのことばの合成と取られてしまい、また、ことばが長すぎる。普通の呼びかけことばとしての「アンダルシア女」は見るからに異常である。

ここは少し工夫が必要ではないか。
私の提案は:初めに断りを入れた上で、「アンダルーサ」と原語のままのことばを使うのはどうだろう。
「おまえの父の国への旅行はすごかったね、アンダルーサ」
これだと、素直に受け入れられると思う。

翻訳はもう一つの創作だといわれる。それを大胆に実践する訳者の工夫があってもいいのではないか、というのが私の感想だ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
バルガス・リョサの著作で邦訳のあるものを列記する。
1959年・67年 『小犬たち、ボスたち』(野谷文昭訳、国書刊行会)
1963年 『都会と犬ども』(杉山晃訳、新潮社、*)
1966年 『緑の家』(木村栄一訳、新潮社)
1969年 『ラ・カテドラルでの対話』(桑名一博訳、集英社)
1973年 『パンタレオン大尉と女たち』(高見英一訳、新潮社、*)
1975年 『果てしなき饗宴-フロベールと「ボヴァリー夫人」』(工藤庸子訳、筑摩書房、*)
1977年 『フリアとシナリオライター』(野谷文昭訳、国書刊行会、*)
1981年 『世界終末戦争』(旦敬介訳、新潮社)
1986年 『誰がパロミーノ・モレロを殺したか』(鼓直訳、現代企画室、*)
1987年 『密林の語り部』(西村英一郎訳、新潮社、*)
1988年 『継母礼賛』(西村英一郎訳、福武書店、*)
1989年 『官能の夢-ドン・リゴベルトへの手帖』(西村英一郎訳、マガジンハウス)
1997年 『若い小説家に宛てた手紙』(木村栄一訳、新潮社、*)
2003年 『楽園への道』(田村さと子訳、河出書房新社、*)
(2008/5)

バルガス・リョサが2010年のノーベル文学賞を受賞した、と報じられている。(2010/10)

歴史の転換期

2010-10-05 07:35:16 | 歴史文化論の試み
(1) 転換期の認識の難しさ

私たち一人ひとりは日々生活を営んでいます。この一人ひとりの日々の営みが集積して、地域の・国の・世界の歴史を形作ることは、観念的には理解できても、なかなか実感できるものではありません。

私自身の経験を振り返ってみます。戦後、わが国が貧乏国として出発し、わが国の工業製品の粗悪さが世界的に喧伝された期間が長く続きました。ところが、衣類・自動車・電器製品などの品質が飛躍的に良くなり、わが国は世界に名だたる製品輸出国に変貌していました。しかし、その中を生きてきたはずの私に、わが国がいつ「豊かな国」に転換したのか、の認識がありません。

歴史の転換を確認するためには、少し引いて高みから世界を見る必要があるのでしょう。また、少し時間を隔てないと、歴史の転換をつかまえるのが困難だ、ともいえます。同時代の歴史を語る難しさはここにあります。

同じようなことが、現在も起きつつあるように思います。

世界的に、中国の存在感が増しています。GDP(国民総生産)は、アメリカに次いで世界2位になろうとしています。わが国の製品輸出先も、従来のアメリカに加え、中国が飛躍的に伸びています。アメリカと中国の二国を指して「G2」という呼び方も生まれています。

ところが、当事者の中国の人たちには、自国が大国に変貌しつつある、という認識がないようなのです。二酸化炭素の排出量で、中国は、アメリカ・インドと並んで三大国といわれています。ところが、中国は、自国は「途上国」だから、「先進国」並みの排出削減の議論は妥当でない、と主張しています。

また、北京オリンピックや上海万国博覧会を開催するほどになったにもかかわらず、中国の人たちの公衆道徳は最低レベルです。これは、外から見られる・評価されることに無関心だということの表われのように思えます。

おそらく、中国の人たちは、自国が「大国」化しつつあることを自覚していないのでしょう。 (2009/11)

昨今起きた尖閣諸島沖の中国漁船の体当たり事件をめぐる中国政府と中国国民の反応を見ると、「中国の人たちは、自国が『大国』化しつつあることを自覚していない」というのは間違いで、「中国の人たちは、『大国』化しつつある中で、国際社会でどう振舞うべきかの訓練を受けていない」と言い直すべきでしょう。 (2010/10)

(2)戦後史の転換期

同時代史をその渦中で把握することの難しさを述べました。

さて、世界規模の大戦が終わった1945年以降を仮に「現代」と呼ぶとして、この60年余の期間に「歴史」を読み取れるでしょうか? さすが60年は長く、その期間を引いて眺めると、歴史の変遷が見てとれます。

地域の歴史・国の歴史だけでなく、世界規模の歴史の「転換」を考えると、政治・経済・社会の各面で大きなメルクマール(標識)となるような出来事が見出されなければなりません。その観点で1945年以降の歴史をたどると、1968年と1989年に歴史の「転換」点があるのではないか、というのが私の見解です。これはあくまで私の私見で、人それぞれの見解が分かれても一向に構いません。

1968年は、世界的規模で「学生の反乱」が吹き荒れた年です。
フランスではパリ市街を学生が占拠しました。鈴木道彦は『異郷の季節』(1986年、みすず書房、*)でパリの「学生の反乱」を活写しています。
アメリカでも、映画『いちご白書』に描かれたように、「学生の反乱」が燎原の火にように広がりました。
わが国では、東京大学の安田講堂占拠事件など、やはり、「学生の反乱」が世間の耳目を引きました。

いずれも、既存の秩序の正当性を問う行動であったことが共通しています。

1989年は、いうまでもなく、「ベルリンの壁」の崩壊した年です。それまでの東西冷戦体制が崩壊し、社会主義体制を信奉してきた人々が深刻な挫折感を味わったことが特徴的です。以後、アメリカを中心とした体制が世界を支配するかに見えました。

しかし、経済面では、1985年の「プラザ合意」により、世界通貨としてのドルへの過度の依存が否定されたことにより、アメリカ中心の世界経済体制にひびが入り始めました。

このような文脈で見ると、今年2009年は、新たな現代史の「転換」点かもしれないという思いにとらわれます。
昨年2008年秋の「リーマン・ショック」に端を発する世界的信用経済の破綻は、ドルへの信任を低下させ、今やドルの基軸通貨としての地位がゆらいでいます。

政治面では、アメリカの一国主義はすでに行き詰まりました。アメリカ・ヨーロッパ・アジアがそれぞれ対等のパートナーとして、政治面でも経済面でもそれぞれの役割を担っていくべきことが明らかになりつつあるといえます。  (2009/12)

(3)20年周期の転換期

現代史の「転換」のメルクマール(標識)として、以下の年を仮説として提示しました:

1945年(第二次世界大戦の終結)
1968年(世界的規模で「学生の異議申し立て」)
1989年(「ベルリンの壁」の崩壊)

このように並べると、奇しくも、約20年ごとに、現代史の「転換」が起きていることになります。これが偶然かどうか、判断する材料はありません。仮に、「20年ごとの転換」説に乗ると、次の「転換」期として、2008年または2009年が当たっても不思議ではありません。

2008年(「リーマン・ショック」)

経済面のみならず、政治面でも、2008年に、アメリカにオバマ大統領が誕生し、アメリカの世界一極支配体制を見直す機運が生じています。

また、そのお相伴に預かる形で、わが国でも、2009年の本格的な「政権交代」が実現しました。先日まで続けられていた国の「事業仕分け」の光景がその象徴でした。

この中ではっきりしたのは、わが国の官僚がいわれてきたほど「有能」でないことでした。政策にはまだ素人の民主党議員や民間仕分け人の質問にまともに答えられないのを見て、多くの国民は、官僚たちが国民向けにその「有能さ」を発揮してきたのではない、ということを理解しました。

明治政府以来の「官僚制」の崩壊が現実化したという点では、2009年はわが国にとって、「大転換」の年となるという予感がします。これは、私たちにとって、稀有の経験となるでしょう。  (2009/12)

(4)未来の転換期の予兆

現代史を20年きざみで見るという見方はなかなか便利です。これからは、これから100年の未来史について、同じく20年きざみでどのようなことが起こり得るか、予測してみましょう。

1 世界の主導権争い
 1-1 アメリカの相対的地位の低下
 1-2 アジアの存在価値の向上
1-3 核の拡散と廃絶との争い
1-4 基軸通貨は、ドルの一極制からドル・ユーロ・元の多極制へ

2 グローバル化
2-1 経済のグローバル化
2-2 国境の存在意義の低下

3 格差
 3-1 地域間格差の是正へ
 3-2 貧富間格差の是正へ

4 地球環境問題
 4-1 先進国での取り組みが急ピッチに
 4-2 途上国での取り組みも「待ったなし」に

以上が大雑把に見たこれからの世界の変動要因ですが、それぞれの項目の「転換」が、いつ、どのような形で現われるかについては、さらに考えることにしたいと思います。 (2009/12)

(5)成長の尺度

これから100年の間に起こると予想される事態はまだほかにもあります。

5 価値観の変化
 5-1 個人の価値観の多様化
 5-2 国家観の変貌

個人のレベルでは、今でも、経済的豊かさを第一に追い求めるか、家族の絆の深さを何よりも大事にするか、人様々です。

一方、国家観となると、非常に貧しい国家観しかないのが現状です。すなわち、国民総生産(GNP)至上主義が全世界を支配しています。中国がもてはやされているのは、他国が経済の停滞に苦しんでいる時に、依然として、年10%前後の経済成長率を維持しているというのが理由です。

しかし、先進国は、これからの中国を含め、まもなく際立った経済成長は望めなくなる、というのが私の予測です。経済成長率が高いから素晴らしい、経済成長率がゼロだから困ったことだ、という考え方を克服することが必要になってきます。そのためにどうするか?

一つの仮説を提示しますと:

国を測る尺度として、経済成長率(それもあって構わないのですが)のほかに、国民が生活にどれだけ満足しているかという尺度をもう一つ設定するのはどうでしょう? それを、仮に、国民総満足度(GNS=Gross National Satisfaction)と呼んでみます。

ある国は、現在のように、経済成長の高さがGNSに直に反映している、と主張します。
ある国は、他国への援助の多さがGNSの大きな要素である、というかもしれません。
また、ある国は、生活程度は高くなくても、部族間の対立もなく、平和に生活するのが、GNSの指標になる、というかもしれません。

そう、GNSにどのような要素を含めるかは、国それぞれで違いがあって不思議でありません。また、年々要素が変わっても構いません。

そのようにして、国ごとに、自国のGNSを定義して、そのGNSの成長率を測り、国際的な場でそれを発表する習慣が出来上がると、各国の他国を見る眼が変わってくるのではないでしょうか?
国によって価値観が多様であることを国同士で認め合うことができれば、それは素晴らしいことです。「そんなの『夢物語』だよ」と一笑に付されてしまうかもしれませんが。 (2009/12)

鶴見俊輔『思い出袋』

2010-10-03 09:48:28 | 歴史文化論の試み
鶴見俊輔『思い出袋』(2010年、岩波新書)を読んだ。
最近7年間の短文をまとめたもので、82歳-89歳の文章だ。

以前、「私のバックボーン」というコラムの中で、次のように述べた。
- - - - - - - - - -
鶴見俊輔。私の最も尊敬する哲学者です。アメリカの分析哲学から研究生活を始めたようですが、これはよく分かりません。本人も分からないようですから気にすることはないでしょう。
目線の低さが誰も真似できないところです。庶民・常民・おばさん・がきデカ、誰とでも意見を交わすことができ、誰からもそのいいところを吸収できるという特技は余人を許しません。戦後、雑誌『思想の科学』を興し、「限界芸術」(専門家でないものによる、芸術か芸術でないかはっきりしないような芸術)論を唱え、漫画を読んで「ムフフの哲学」を唱えたのも、目線の低さの然らしめるところでした。『鶴見俊輔集 全17巻』(筑摩書房)と『鶴見俊輔座談 全10巻』(晶文社)は(アメリカの分析哲学を除いて)読破しました。
- - - - - - - - - -
今回の著作では、鶴見の育った環境だとか依拠する信条とかがよくわかる。

その1。
鶴見は、小学校・中学校では不良学生で、中学校を放校される。圧倒的な母親の権威に強く反発したのが原因だ。

その2。
政治家の父親(鶴見祐輔)の手配で、中学校を放校された鶴見はアメリカに渡り、ハーヴァード大学に入学して、アメリカ分析哲学を専攻する。小学校・中学校の不良学生とのギャップには驚くばかりだ。

その3。
日米開戦に伴い、アメリカの捕虜となり、日米捕虜交換船で帰国する。

その4。
海軍に入り、インドネシアのバタヴィアで通信兵として過ごす。カリエスの病を得て、内地送還。

以上が20歳代半ばまでの、鶴見の履歴だ。
この間に、アメリカに対する見方を育み、日本に帰るかどうかで悩み、日本の軍隊に対する見方を勉強し、敵を殺す命令に従うかどうかで悩み、というような経験をする。

これらの経験が、戦後の鶴見の活動(『思想の科学』誌の創刊、アメリカ軍脱走兵をかくまう運動への加担、など)を規定したということがよくわかる。

鶴見の文章は断片的で、時に、読んでとまどうことがあるのだが、今回は、短文の中に、断片的な文章がピタリとはまっている印象を受ける。 (2010/10)


古本屋の店頭にて

2010-10-01 18:32:40 | BIBLOSの本棚
「すいません。棚の上にある本を取ってもらえますか?」
「そこらに脚立があるでしょう。」
「自分で取れ、ということですか? 重くて、下ろすのが大変なんですが。紐を解いて構わないですか?」
「ダメです。」
「??? 買いたいと思う商品の中身を確認したいと思っているのに、中身を確認できないとは、どういうことですか?」
「本当に買うのでしょうね?」

ずいぶん、安く見くびられたようです。この古本屋では、店内での客へのサービスを一切しない、と固く心に誓っているようです。
店内にはコミックやアダルト本が数多く並べられています。ああ、そうか、一般書の客をコミックやアダルト本の客と同等に扱っているのか。

街中の古本屋では、コミック・アダルト本・一般書がそれぞれ1/3の棚を占めています。売上げだけを取れば、コミック40%・アダルト本40%・一般書20%の割合でしょう。それだけ、一般書の扱いがぞんざいにならざるを得ません。

そんな街中の古本屋にも、キラリと光る良書が紛れ込んでいることがあります。一般書への目利きが甘いのです。それで、安く見くびられても、街中の古本屋に足を運びます。  (2010/10)