静聴雨読

歴史文化を読み解く

遠くに旅立った本たち

2009-04-28 06:33:20 | BIBLOSの本棚
亡くなった須賀敦子の著書に「遠い朝の本たち」(ちくま文庫)というのがある。本を擬人化した「本たち」のことばが新鮮な衝撃を与える。今回のタイトルはそれを真似してみた。手元にあったが今はなくなっている本のことを書いてみよう。

なくなった原因は、古本屋に持っていってもらったのと、ネットに出品して利用者に渡ったのと、である。いずれにしても、次の利用者・読者に受け渡されたのだから満足している一方、愛惜の念も消しがたい。それで「遠くに旅立った」と表現してみた。

このブログを始めてみて気がついたことは、それぞれのコラムが何らかの本からの知識に拠っていることだ。それらの本の多くは以前手元の本棚にあったものだ。ところが、今では、それらの本の一部はすでに手元にない。「遠くに旅立って」しまったのだ。

例えば、フェルディナント・ホードラー論は吉田秀和「調和の幻想」(*)を参考にしているが、この本は古本屋に処分した口だ。また、ベルト・モリゾのコラムで参照した長谷川智恵子「世界美術館めぐりの旅」(*)は、正・続あわせて、新しい読者のもとに行ってしまった。

手元になくなった本を参照する必要がある場合は、古本屋の店頭で立ち読みするか、図書館に出向いて調べることになる。貴重書ではなく、普通の本がほとんどなので、上の二つの方法で大体用を足せる。

東京・港区には図書館が多く、区の図書館だけで6館ある。それらが互いにつながっていて、本の検索システムで探せば、求める本がどこの図書館のどこの棚にあるかの所在情報が入手でき、さらに、貸出中か否かまでわかる。そこで得た情報を頼りに2、3館をはしごすれば、調べ物が驚くほど捗ることを発見した。もはや、手元に本を置いておかなくても大丈夫である。

このブログに登場した「本たち」で、以前手元にあって今はないものに、感謝と敬意を込めて(*)印を付すことにした。 (2006/9)
            

飲食店の接客サービス

2009-04-26 06:21:30 | 社会斜め読み
飲食店などの接客サービスで感じたことを綴ってみました。

(1) 東京・神田神保町にある居酒屋

でのこと。名前は覚えていない。昼時は昼食を出している。入口を入って食券となるチップを購入する。チップはウェイトレスが取り上げて、注文を厨房に取り次ぐ。注文したものができたらしく、ウェイトレスが私の席に運んで来ていう。「Bランチですか?」 私が注文したのは「鯖の味噌煮定食」だが、それが「Bランチ」かどうかは覚えていない。チップは取り上げられて、手元に残っていない。再びウェイトレスがいう。「Bランチで良かったですか?」私は答えあぐねて「???」となった。

この居酒屋の接客システムの欠陥は次のところにある。

1. まず、食券としてチップを使っていること。

チップは、レジ係→客→ウェイトレス→厨房、と回っていくが、注文品(チップ)と客とを結び付けられるのは、ウェイトレスの記憶だけである。厨房には客の情報がない。また、客の手元には注文品の情報が残っていない。すべてウェイトレスの記憶にお任せのシステムだ。これではウェイトレスが可哀そうである。

2. 次に、「Bランチ」が「鯖の味噌煮定食」だということを客が覚えていると錯覚していること。

「Bランチ」は店側ではよく通じる符丁かもしれないが、客にとっては、コンテンツである「鯖の味噌煮定食」の方が重要だ。ウェイトレスは、客の前に来たら、「Bランチ」から「鯖の味噌煮定食」に変換して、「鯖の味噌煮定食で良かったですか?」というのが正解。

この居酒屋のシステムはウェイトレスの記憶に負荷をかけすぎているようだ。

[解決策]食券をチップから紙に替え、ウェイトレスが食券に客の席番号を書き込む。これで、注文品と客の席番号が結びつき、その情報はウェイトレスと厨房が共有することができる。ウェイトレスは客に向かって「Bランチです」と言ってもいいし、「鯖の味噌煮定食です」と言ってもいい。いずれにしても、この客が「Bランチ=鯖の味噌煮定食」を注文したことは、厨房から回収した食券で明らかだから。 

(2) 理想のやきとり屋

この町に越して来て1年になる。新しい町では、おいしい豆腐屋やおいしいパン屋をまず探すが、居心地の良い居酒屋も忘れてはならない。この町では、最初に入ったやきとり屋が「当たり」だったので、ほかの店をさまよう必要がなかった。この店のことを記そう。

店内は16席ほどのカウンターだけの小さな店だ。夕方17時の開店後まもなくには満席になる盛況ぶりだ。女性客も多いようだ。

入口近くの焼き台の前にマスターが陣取っている。マスターは焼き方を勤めるとともに、3人の店員に指示を出している。さらに、自分の前の6席分の客の注文をとって、ほかの店員に取り次ぐ。まさに八面六臂の活躍である。

ほかの店員3人は、もつ煮だとかお新香だとかの、焼き物以外のつまみや飲み物などを担当している。もちろん10席分の注文を受けるのも3人の役割だ。

マスターは、16人の誰がどんな焼き物を注文したかをすべて記憶しているようだ。焼き方は、なんこつならなんこつをまとめて焼き、手羽先なら手羽先をまとめて焼く、という方法をとっている。焼けると、これは誰々さん(常連の場合)、何番さんと割り振っていく。それをほかの3人がそれぞれの客の皿に置いていくのだ。

マスターとほかの3人の店員との間ではたえず声のやりとりが行われているが、怒声が聞こえてきたことはない。マスターの声はいつも低く透き通っている。そのため、客がいらいらすることがない。

注文したものが一通り出ると、すかさず、「これで、ご注文の品は終わりです。追加のご注文があれば、どうぞ。」との一言が返ってくる。余計な心配をすることなく、終わりまで安心してまかせられる接客ぶりだ。味と値段は? 十分納得できることは請け合いである。

月に2回ほど訪れるが、実際にここのやきとりにありつけるのはその内1回である。満員のことが多いのだ。 

(3)すし屋の思い違い

横浜・金沢八景のすし屋でのこと。大ぶりのネタで評判らしい。平日の昼時の店内は、カウンターと小上がりが満席で、繁盛している。大ぶりのネタが好みではない私は、ちらしずしに決め、「上ちらし」を奮発した。ところが、「昼は並ちらしだけなんですよ」という答えが返ってきた。ここで、まずカクッときた。昼食のメニューが、壁にも看板にも載っていない。もちろん、手元のメニューにも載っていない。載せるべきでしょう。

運ばれてきた並ちらしをほぼ食し終わろうとしたとき、マスターの大きな声が聞こえた。「お椀はお代わりできますよ!」 ここで気がついたのだが、私の席にはお椀が来ていない。やむなくそのまま食べ終わり、会計のとき係の人に、「お椀がついてなかったよ」とやんわりクレームを申した。その人が接客兼会計係だった。その人は小さな声で「申し訳ありませんでした」といった。しかし、それ以上のことは何もいわず、ただじっとしている。早く会計を済まして立ち去ってほしいという風情である。

マスターを呼んでもらった。(以下には接客上の禁句があるが、そのまま記録しておこう。)

「お椀がついてなかったんだけど。」
「いってくださいよ。出しますから。」(「いってくださいよ」は客に責任を被けるいいかたで、禁句。)

「もう食べ終わるところだったので、いまさらお椀を飲みたいとは思わなかった。」
「いいですよ。今からでも出しますよ。」(サービスのタイミングをわきまえていないことば。)

「食べ終わった後にお椀を飲めという法はないでしょ。お椀がなかった分値段を下げてください。」
「弱ったなあ。こういうこといわれるのは初めてですよ。」(客を侮辱することばは禁句。)

「お椀はサービスで出しているのでね。お椀には値段なんてないですよ。原価ゼロだし。」(価格は原価に基づいている口ぶり。客との折衝に原価を出すのは禁句。価格は、材料・手間・サービスなどを勘案して決まっているはず。その認識がない。)

「サービスに重大な欠陥があったのでは、価格通りの請求はできないはずでしょう。」
「わかりました。200円引きましょう。」

私は了承し、会計を済ませて店を出た。

マスターと私のやりとりを聞いていた他の客はどう思っただろう。それを考えて恥ずかしくなった。 

(4)飲食店サービスの要諦

これまで、居酒屋の昼食、理想のやきとり屋、すし屋での接客サービスを観察してきた。まとめとして、飲食店での接客サービスの要諦は何かを考えてみたい。

大声で騒ぐのは客寄せの手段。
店員が大声で騒ぐのは、立て看板同様、客寄せには有効であっても、店内の接客サービスには向かないし、必要でもない。すし屋の例をとってもわかるように、大声で案内するマスターがいる一方、もう一方では小さくなって客席で接客する接客係がいて、互いのベクトルがかみ合っていないのでは、良質の接客サービスができるわけがない。

大声で騒ぐのは、ビジネスの世界では、マスマーケティングの手法といわれているものの一つで、店内の客にはマスマーケティングは必要ない。

個々の客のケアが基本。
店内では、入店した個々の客にどのように満足を与えるか、に集中すべきだ。

高級割烹などでは女将などが個々の客のケアを専門に担当している。
そのような人員を割けない大衆飲食店では工夫をこらす必要がある。

私の提案は、マスターか接客係かの誰か一人が、少しの暇と手間を割いて、個々の客のケアを意識的に実行することだ。かといって、理想のやきとり屋の例にあったマスターのような獅子奮迅ぶりを誰でもできるわけではない。

客と対面していると、客の要求を意外に見逃すものだ。客の後ろに回って左から右に見回すことをお勧めしたい。これを一時間に一分励行すれば、個々の客の希望・不満・期待などが自ずとわかると思う。客の背中が語るものを汲み取る訓練が重要だ。

情報の共有が大切。
接客係と厨房、接客係と客との間で情報を共有することが重要なことは、居酒屋の昼食や理想のやきとり屋の例で紹介した。居酒屋の昼食はそれがうまくいっていない例で、理想のやきとり屋はそれをマスター主導で実行している例だった。

私の提案は、接客係の一人を選び、給料を少し上げて、個々の客のケアを意識して行わせるような体制をつくることだ。 (2006/3-8)


奇人変人比べ

2009-04-15 08:21:26 | Weblog
世の中には、変なものや奇妙なことに情熱を燃やす人がいて、昔から「奇人変人」として気味悪がられてきました。それが、今では、「マニア」とか「オタク」とか称されて、「そういう人がいてもいいんじゃない?」という気分が世の中にいきわたっています。「山彦おじさん」は、各地の山彦発生地点を探して歩き、山彦を録音し、家に帰ってそれを再生して悦に入っています。「ブックカバー収集狂」は、丸善とか紀伊国屋とかの本屋のブックカバーを集め回っています。「それにどういう意味があるの?」と聞いてもしょうがありません。無意味なことに情熱を傾けるのが、「マニア」とか「オタク」の本領だからです。

私自身もかなりの奇人変人と自覚しています。

今年の夏、只見に行った時のこと。
その目的が、「たもかぶ本の街」という古本村を訪ねるというのが、他人から見れば、尋常でないしょう。

只見に行く前の日に柳津温泉に泊まるというアイディアはインターネットで旅程を調べていて思いつきました。
日程上、夕方に止宿できる場所は柳津温泉以外にありえない、と思われました。実際には、只見線沿線にも小さな温泉地が多数ありましたが、これは現地に行って初めてわかったことで、インターネットでチェックしているだけではわかりません。

これだけ綿密に旅程を考えるのは私だけだと鼻高々だったのですが、同じことを考えた人がいたようなのです。柳津温泉で同宿した30歳代の母と小学生の男の子がそうでした。

この母子は私と同じ列車で会津柳津駅に降り、柳津温泉の同じ宿に泊まりました。翌朝、下り一番列車で只見方面に向かう時も同じ行程でした。この列車が豪雨のため会津川口駅で運転中止になったことは既に述べました。この母子は小出行きの代行タクシーを求めていました。

推測すると、男の子が鉄道マニアで、夏休みの最後の思い出作りに、母親の肝いりで、只見線を下る旅をしているのでしょう。会津柳津駅前に展示してあるSLの前で男の子は喜々としてスナップ写真に納まっていました。只見線を堪能するには、朝の下り一番列車を使うのが最善なので、そこから逆算して、前夜、柳津温泉に泊まることにしたのだと思います。何と、私と同じ発想をする人が他にもいたことになります。この母子にとっては、途中駅での運転中止は残念なことだったと思います。

単に、鉄道に乗るために旅行に出る人も「奇人変人」の類ですが、これがずいぶん多くいるようです。「乗り鉄」ということばを最近覚えました。「鉄道乗車マニア」のことで、たどり着くことが困難な秘境駅を訪ねたり、全路線乗り尽くしを企画したり、鉄道廃線跡を訪ねたり、と、「乗り鉄」の対象は拡がっています。最近は女性も多いそうです。そういえば、只見線の朝の下り一番列車の乗客の半数は「乗り鉄」だったことを思い出しました。

「何でそんなことを考えるの?」と聞くのは野暮なことでしょう。「そこに鉄道があるから。」という返事が返ってくることは間違いありませんから。 (2007/11)


マイ・ツリー運動

2009-04-11 20:23:21 | わが博物誌
都会地の街路樹を植えるのに、1本1万円-5万円で寄贈を募る動きがあるそうだ。「マイ・ツリー運動」というらしい。NHKの朝の番組で採り上げていた。

1万円-5万円を寄贈すると、寄贈者の名前だとかメッセージとかのプレートを街路樹にかけることができるという仕組みだ。

学校の卒業記念に記念植樹するという風習があった。今でもあると思う。それの街路樹版、市民版が「マイ・ツリー運動」だ。これがなかなか人気を集めているらしい。

定年になった人の「定年祝い」に贈ることもできるし、幼児の成長を見守る「お守り」としても活用できる。負担額もリーズナブルだ。何より、5年や10年にわたって、街路樹の生長を見続けることができるので、街路樹に対する愛着も深まろうというものだ。

NHKの番組で採り上げられていた、東京・日比谷通りに足を運んでみた。ある、ある。
この3月に植えられた街路樹に寄贈者のネームプレートがかかっている。

不思議なことに、むくげの木が多い。私は、むくげが嫌いではない。むしろ、コラム「幻想の庭園」に取り上げたほど、好きな花だ。しかし、いたるところにむくげが咲く光景はどうだろう。馴染めるのだろうか? 今年の夏にこのむくげが花をつけるかどうかわからないが、期待半分・恐ろしさ半分の気分だ。 (2009/4)



ほくろがとれた

2009-04-07 06:51:44 | 介護は楽しい
母の左頬に大きなほくろがあります。大きな干しぶどうのようで、皮膚からぶら下がっています。40年くらい養っているものです。ここから血が出るようになり、医者に診てもらったところ、切除した方がいいとのことで、手術を受けることになりました。94歳にして、手術を受けるとは。心配もありましたが、簡単な手術で、入院も必要ないとのことなので、受けさせることにしました。

近くのクリニックでの手術はあっという間に終わりました。
以後はガーゼ交換のための通院を8日間行い、最後に抜糸して、終了です。
最後の日に病理検査の結果を知らせてもらいました。悪性の腫瘍ではない、とのことです。

通院のたびに母は車窓から外を見ています。久しぶりに町の雰囲気を味わっているようです。

老人ホームに帰り、左頬に手を当て、「痛いか?」と聞くと、黙っています。「痛くないか?」と聞くと、うなづきます。つまり、痛くないのです。

母は、ほくろのとれた痕を自分で確認することができません。
しかし、術後はどうやら気分がいいようです。表情がいきいきしている日が多くなったようです。  (2009/4)    


さらに短いことば

2009-04-05 09:39:56 | 介護は楽しい
以前、母のことばがどんどん短くなっていく、と書きましたが、その通りに推移しています。というよりも、発語そのものが少なくなっている、といった方が正しいかもしれません。

食事の時に、「うまいか?」と聞くと、うまいときには以前は「うみゃ」といいましたが、今はうなづくだけです。発語を省略しています。

うまくないときは、「うまいか?」と聞くと、黙っています。
「うまくないか?」と聞くと、うなづきます。

先日、久しぶりに元気のいい日がありました。
食事の後、差し入れのプリンを一口食べた途端、「うまゃあ。」といいました。そして、プリンを食べ終わると、「うまかった。」とはっきり口に出しました。

食事後の散歩の途中、「何か食べたゃあ」といいます。
「今、食べたばかりじゃない。また、明日ね。」というと、激しく顔を横に振り、「今夜、食べる。」といいます。
これには驚きました。最近、否定や拒否の動作が極端に少なくなっていましたので、顔を横に振るしぐさが久しぶりでしたし、明日ではなく今夜、というような論理的発語も近来にないものでした。

このような気分の優れた日が多いといいのですが。  (2009/4)