静聴雨読

歴史文化を読み解く

OMさん(続)

2014-02-03 07:01:17 | 将棋二段、やりくり算段

 

OMさんが亡くなる5ヶ月前のこと。2013年9月3日に、「将棋を世界に広める会」が「UYさんを偲ぶ会」を開いた。UYさんは「将棋を世界に広める会」の副理事長を長く勤めていたが、5月に亡くなった。UYさんは大学の大先輩だったので、同学のOMさんも誘って、参加していただいた。

「偲ぶ会」では、UYさんが生前熱心に推し進めていた「将棋の世界組織を作る」という話題で盛り上がった。

OMさんはこの話題に「ピピっと」反応した。翌日、OMさんからメールをいただいた。「協力して、将棋の世界組織を作る活動をしよう」という趣旨だった。ちょうど、9月7日に2020年の東京オリンピック開催が決まったこともあり、OMさんは「東京オリンピックに併せて、東京で頭脳オリンピックを開催し、その中に将棋を入れる」という計画を思いついたようなのだ。

私のほかにも2人に声をかけて、以後、OMさんのメール攻勢が始まった。OMさんが亡くなるまでの5ヶ月間で、メールは40通を超えた。内容は、世界組織の構成、会長候補、事務局の構成、囲碁などの他団体の事例、スポーツ・アコードの情報、知恵を出してくれる人の名前など多岐にわたった。OMさんは情報の出し惜しみをしない性格で、これらの情報が役に立つなら自由に使ってほしい、と書いてきた。

私の方では、OMさんのメールに答えることはほとんどしなかった。

それは、ある疑問があったからだ。それで、率直に疑問をぶつけてみた。

「OMさんは、肩書きのいくつかを整理して、このプロジェクトのために時間を割く用意がありますか?」

「立ち上げの資金を私が拠出します。OMさんも拠出なさいますか?」

これらに対する回答ははかばかしくなかった。それで、OMさんの「本気度」には疑問符がついた。

今、OMさんの生前の心中を察すると、以下のようになるのではないか?

「このプロジェクトは自分の存命中には陽の目を見ないかもしれない。でも、今すぐ、このプロジェクトは立ち上げねばならない。」このような使命感に基づいて、OMさんは将棋の世界組織の立ち上げに仲間を募ったのではないだろうか?(2014-02-03)

 

 


OMさん

2014-01-26 20:12:31 | 将棋二段、やりくり算段

 

OMさんが2014年1月21日に亡くなった。享年76。自宅で脳出血を発症して、病院で帰らぬ身となった。

OMさんは、大学と勤務先での私の先輩で、退役後は主として将棋仲間としておつきあい願っていた。

将棋以外にもOMさんの盤上遊戯にかける情熱はものすごく、囲碁7段、将棋初段のほか、中将棋の普及役、シャンチー(中国将棋)の選手、連珠の国際連盟の役員、チェッカー・ドラフツの日本連盟の会長、として活躍していた。また、遊戯史学会の役員をしていたのではなかったか?

OMさんの退役後の活動でもっとも華々しくかつ意義深かったのは、シニア世代向けのメール・マガジンの発行だろう。15年前に発行し始めて、現在まで371号を発行している。エッセー、旅行記、社会時評、シニア向け物品あっ旋など、絶えることなく発信し続けていた。

高校と大学で同学だった仲間3人で始めた活動で、数年前に仲間の一人が亡くなり、そして今OMさんが亡くなってしまった。

亡くなる半年前には、「これから『将棋学』を創設しようと思う」という抱負を聞かせていただいた。詳しい内容は伺わなかったが、おそらく次のような構想が頭にあったのではないか?

・        将棋の起源

・        ゲームとしての将棋

・        持駒使用のルール

・        文化としての将棋

・        棋譜の表記と表現

・        将棋の国際普及

このうちのいくつかでも、OMさんの跡を歩めたらという思いが募る。

「新しいことを始める時には、これまでの肩書き3つを整理してからにすべきです」と生意気にも申しあげたが、OMさんは聞く耳を持たなかった。生涯突っ走るのがOMさんの生き様だった。そして、突然逝ってしまった。        (2014-01-26)

 


将棋愛好会の3年・8

2014-01-01 07:15:06 | 将棋二段、やりくり算段

 

(8)愛好会の解散

常々、マナーの良さを保つ将棋愛好会の運営を心がけていましたが、次第にほころびが目立つようになりました。上記(2)で述べたような悪いマナーに加え、出・欠席の連絡をしない、訳もなく毎回遅刻する、などの事象が常態化しました。

それで、思い切って将棋愛好会を解散することにしました。ちょうど、NPO法人の運営が忙しくなり、将棋愛好会に割く時間が少なくなりかけていたことも動機の一つでした。

そして、悪いマナーの人が入り込めない新しい愛好会を作ることにしました。その話はまた別のコラムで。                                   (2013)


将棋愛好会の3年・7

2013-12-28 07:13:15 | 将棋二段、やりくり算段

 

(7)「いい加減」の哲学

将棋愛好会を創めて3年経ちました。今では会員数も増え、月3日の例会日を設けるまでになりました。

規模の拡大に伴い、様々な問題に突き当たります。

当初は、例会の案内をその都度発行して、欠席の人は返答するように求めました。回答は6割で、欠席の連絡のないまま欠席する人がいます。

それで、方法を変えて、出席する人だけ回答するように求めたところ、出席の連絡なしに、当日ボーッと現れる人が出てきます。

つまり、事前に確実に出欠の確認をすることは難しいことがわかりました。

会員の一人は言います。「同好会とはそんなものさ。」

つまり、気分が乗れば出席する、乗らなければ欠席する。会員はそれを自由に操っている、というわけです。

なるほど。それで、以後は、事前の出欠確認を廃止し、さらに、当日遅刻しようが早退しようが自由、という運営に変えました。会員への連絡は月1回のみ、翌月の例会案内をするという方式に変えました。会員からの連絡はすべて会員の自律的判断に委ねることにしました。

案内方式を変更した後、例会日を間違えて会場に行ってしまった、という報告がありました。済まないことをしたとも思いましたが、例会通知はその程度の軽さで受け取られているのだということを実感しました。ここに息づいているのは、まさに「いい加減」の哲学です。例会日をウロ覚えで、間違っていたら、「ああ、仕方ない」で水に流す。これが、「いい加減」の哲学です。同好会の本質を衝いています。

今年の冬は大雪に見舞われた日がありました。例会は中止せざるを得ませんでした。ところが、中止の案内をし忘れた会員から、きついクレームをいただきました。「行ってみたら誰もいない。だったら、中止の連絡をくれてもよさそうなものを。」

確かに、中止の案内をし忘れたことは申し訳なく思いました。一方で、「昨日の大雪で例会は予定通りあるのかしら。」と思ったら、(こちらからの案内を待つことなく)自ら問い合わせをしていただきたかった、という本音もあります。何しろ、「会費ゼロ」で運営している同好会ですから。

この話を会員の一人にすると、「同好会とはそんなものさ。」と返ってきました。                         (2013)


将棋愛好会の3年・6

2013-12-24 07:11:10 | 将棋二段、やりくり算段

 

(6)熱心なメンバーに対して

同じメンバーでも、例会への出席率の高い人・低い人の出るのはどこの同好会でも同じでしょう。

将棋愛好会では、出席率の高い人、すなわち熱心なメンバーを手厚くサポートできないか、を考えてきました。

そこで考え出したのが「プレミアサロン」の構想です。

「プレミアサロン」は愛好会への出席率の高い人、すなわち熱心なメンバーだけが参加資格を持ちます。棋力は問いません。

そこで行うのは;

(1)長時間対局と感想戦

(2)棋譜採譜と研究

(3)指導対局

(4)手筋教室

です。

いずれも、よほど将棋が好きな人でなければついていけないような内容です。

また、棋力の差があるメンバー同士でも楽しめるプログラム(指導対局、手筋教室など)を用意しました。 

「プレミアサロン」は準備の手間がかかるため、当面は3ヶ月に1回開催することとしました。                                         (2011)

 


将棋愛好会の3年・5

2013-12-20 07:09:13 | 将棋二段、やりくり算段

 

(5) 多様化するメンバー

前回「将棋愛好会の一年」と題して報告してから半年経ちました。その後の動きを報告しましょう。

メンバーはさらに増え、16名になりました。それを機に、月2回の例会を開催するようにしました。

曜日を変えた月2日の例会であれば、メンバーは、少なくとも、そのどちらかに参加できるだろう、という配慮からです。

メンバーが増えると、それに伴う種々の悩み事も現われます。その最大のものが、メンバーの段級位のバラツキです。およそ、級位者から四段まで、広がっています。段級位の差があるメンバー同士の対戦では、「駒落ち戦」を行いますが、「香落ち」ならまだしも、「角落ち」や「飛車落ち」は好まない人も出てきます。

また、メンバーの中には、とにかく純粋に将棋を楽しみたいだけで、勝敗の記録や昇降級には興味がないという人も出てきました。

それで、思い切って、メンバーを2つのグループに分けることにしました。

1つは「同好会員」。もう一つは「研鑽会員」。

「同好会員」には勝敗を記録する義務はありません。また、昇降級にも関係しません。主として、級位者と初段のメンバーが「同好会員」になります。

「研鑽会員」は、勝敗を記録し、5連勝すれば昇段、5連敗すれば降段する仕組みです。また、「研鑽会員」は対局時計を使った対局を行います。主として、二段以上のメンバーが「研鑽会員」になります。

こうして、誰もが、ストレスなく、例会を楽しめる工夫をしました。    (2011)


将棋愛好会の3年・4

2013-12-16 07:07:11 | 将棋二段、やりくり算段

 

(4)向上心豊かなシニア世代

将棋愛好会のメンバーはサラリーマンなどの仕事を退役した人で、中には、70歳代半ばのメンバーもいると書きました。私も若いとは思っていませんが、70歳代半ばといえば、私より一回りお歳を召しています。これらの人たちの元気なことにびっくりします。

もちろん、体力的な衰えが見られる人はいます。これはやむを得ないことです。しかし、心の持ちようはどの人も若々しいのです。

若々しさは「将棋がもっと強くなりたい」という形で表われます。

愛好会に「顧問」として四段の人を迎えました。顧問と対局する時は、多くの人が「駒落ち」で教えてもらいます。私は二段ですから、「香落ち」で指してもらいます。

この顧問との対局で、下手は多くのことを学んでいます。対局の後、「感想戦」で、どこが悪かったか、そこでどう指せばよかったか、また、どの手が良かったか、などを指摘してもらうのです。顧問の指摘を反芻することにより、下手は上達の手がかりを得ることができます。おそらく、感想戦を熱心に行った人は、一年後には、(初段の人は二段に、1級の人は初段に、というように)「一枚強くなっている」ことでしょう。

70歳代半ばのメンバーが顧問に教わる姿勢には敬服します。向上心こそ若さを保つ秘訣です。                                            (2011)

 


将棋愛好会の3年・3

2013-12-12 07:05:11 | 将棋二段、やりくり算段

 

(3)段級認定の悲喜劇

将棋の対局では、力量の差に応じたハンデキャップをつけて戦います。それを「駒落ち戦」といいます。力量差を測るためには、対局者各人の力量がわからなければなりません。

将棋愛好会でも、この力量の測定に意を用いました。基準は私の力量で、私を「二段」と仮に位置づけ、私と互角の勝負をする人は「二段前後」、私が敵わない人は「三段以上」、私に勝てない人は「初段以下」というふうに、極めて明確な物指しになります。私は、街の道場でも「二段」で指していますので、この基準は妥当だと考えています。

こうして、各メンバーの段級を認定しました。

その結果に対して、異議を挟むメンバーがいました。事情を聞いてみると、「私の段位はもっと高いはずだ。」・「街の将棋道場ではもっと高い段位で指している。」というものがほとんどでした。

街の将棋道場の中には、甘い段級認定をしているところもあるようで、このクレームはもっともだ、と思いました。それで、本人の申請する段級を認定しました。気位の高さも尊重しなければなりません。

そして、対局を進めると、クレームを出したメンバーは一律に苦戦しているのです。

「高い税金を払って苦戦するよりも、ほどほどの税金で勝ったり負けたりしている方がストレスの溜まりも少ないだろうに。」と個人的には思いますが。しかし、こればっかりはどうにもなりません。                          (2011)


将棋愛好会の3年・2

2013-12-08 07:03:01 | 将棋二段、やりくり算段

 

(2)一年の後

新しい将棋愛好会を創めて一年が経ちました。それを振り返ってみます。

東京・神田一ツ橋に将棋盤と将棋駒が置いてある施設があり、そこを借りて、愛好会を創めました。昨年4月のことでした。集ったメンバーは4人。

4人で創めた愛好会ですが、1年の間に、メンバーが12人にまで広がりました。すでに、サラリーマンなどの仕事を退役した人ばかりで、中には、70歳代半ばのメンバーもいます。当然、体調と相談しながらの参加ですので、毎月全員が集まるわけではありません。

メンバーになるための条件は、初段-四段の棋力があることと、もう一つ、マナーの良いこと、です。この後者の条件にはこだわりました。将棋は車夫・馬丁の娯楽といわれたように、やや荒っぽい楽しみ方をする人もいます。その部分を押さえ込むのが一苦労です。

悪いマナーを具体的に挙げますと;

1 指している最中に、隣りの対局に口を出す

2 駒落ち戦を嫌がる(「駒落ち戦」とは、上手が駒を落とすハンデキャップ戦のことで、下手の中にはこれを嫌がる人がいます。しかし、ハンデキャップのない「平手戦」では、戦う前から勝敗の帰趨は明らかで、上手は乗り気になれません。妥当なハンデキャップをつけなければ、下手の棋力の向上も見込めません。)

3 一方的に考慮時間を使う(勝敗にこだわるばかりに、念には念を入れて、手を読む人がいます。限られた時間の中では、考えすぎは対局相手に失礼です。ほどほどに考えて、ほどほどに指す。この習慣を身につけることが求められますが、これがなかなか難しいようです。それで、対局時計を導入しましたが、この対局時計に違和感を覚える人もいます。)

4 感想戦に興味を示さない( 「感想戦」とは、対局が終わった後に、悪かった手・良かった手などを意見交換することです。特に、下位者は、感想戦で上位者の意見を聞くことが参考になります。)

現在、月に1回の愛好会ですが、メンバーの増加を受けて、月2回に広げようかと考えているところです。                               (2011)

 


将棋愛好会の3年・1

2013-12-04 07:00:38 | 将棋二段、やりくり算段

 

(1)将棋道場とは一味違う

将棋はもともと車夫・馬丁の楽しみでした。偉いさん同士の会合とか愛人との逢瀬とかで旦那が時間をかけている間、それを待つ車夫・馬丁が時間つぶしに楽しむゲーム、それが将棋です。丁々発止、手も出れば口も出る、横から「待った。」の合いの手もかかる、というのが将棋というゲームの本質です。

やがて、車夫・馬丁がいなくなるとともに、将棋仲間が集まる会所が誕生し、それが、今では、形を変えて、「将棋道場」という名の社交場となっています。私も将棋道場に通ったことがあります。

どのような楽しみの集まりでも、必ず「常連」が巣食っています。将棋道場にもそのような常連がいます。彼らは、根っからの将棋好きですが、それに加えて、独特の「くせ」を身につけています。その一つが、指し手がやたらに早いことです。こちらが、駒を盤上で動かすか動かさないかの間に、常連は次の自分の手を指しています。なにやら、こちらも早く指さないといけないような気分に襲われます。

また、将棋道場では、煙草を吸う人が多く、それもまた気分良く将棋を指す気持を失わせます。

それやこれやで、将棋道場に通う習慣は失せました。

将棋道場に代わって、仲間を募って将棋を指すことも考えられます。そのような将棋仲間の一つに入っていたのですが、そこも辞めました。対局中に煙草を吸う人がいたり、酒を飲んでグデングデンになりながら将棋を指す人がいたりで、純粋に将棋を楽しむ雰囲気に欠けていたのがその理由です。 

それで、新しい将棋愛好会ができないかと考えるようになりました。  (2010)

 


職団戦

2013-10-07 07:00:56 | 将棋二段、やりくり算段

 

久しぶりに将棋の職団戦に出場した。20年ぶり、だろうか。職団戦とは、「職域団体対抗将棋大会」のことで、年に2回、東京で開催される。5人でチームを組み、補欠が1名認められている。わがチームは6名でチームを組んだ。50歳代が3名、60歳代1名、70歳代2名で、平均60歳のシニア世代のチームだ。

大会は7つのクラスに分けられていて、各クラスで優勝を競う。わがチームは一番下のクラスで、64チームがトーナメント戦を戦う。優勝するまでに6回戦う必要があるわけだ。

わがチームの戦力構成は、⑥⑤③③②②(丸の中が段位を指す)。六段と五段が絶対的なポイントゲッターで、2勝を確実にものにする。残りの4名が交代に出場して、残る1勝をもぎとる。これが基本的戦略だ。

1回戦は戦略通り、3勝2敗で通過した。

だが、2回戦で波乱が生じた。何と、六段が負けてしまったのだ。しかし、ここは3段の2名が勝利をものにし、辛うじて、3勝2敗で通過することができた。

3回戦でも五段が負けたものの、三段と二段が勝ちを収め、ここも、3勝2敗で通過することができて、ベスト8に進んだ。「ここまで来たら、優勝や」との檄が飛ぶ一方、「頭が疲れた」とぼやく人も出た。

ここで、6人制チームの利点が出てきた。3回戦まで、三段の2名と二段の2名は交代で休んできた。それが、各人の疲労を少なくする効果があったのだ。

4回戦と5回戦は、それぞれ、4勝1敗で勝ち抜けることができ、決勝に進むことになった。

2勝2敗で最後の六段の勝敗に運命が託されたが、勝ちきることができ、わがチームは3勝2敗で見事優勝してしまった。

全員あっけにとられたが、やがて、皆にやにやし始めた。

表彰が終わり、近くの居酒屋で祝勝会をしたのは言うまでもない。        (2013/10)

 


ポーランド:将棋の旅

2012-08-01 06:27:43 | 将棋二段、やりくり算段

 

今夏、ポーランドを旅した。主目的は、クラクフで開催される「世界オープン将棋選手権」に参加することだった。

ポーランドといって思い出すのは、ピアノの詩人・ショパン、映画監督アンジェイ・ワイダ、そのワイダ監督の『灰とダイアモンド』に主演したズビグニエフ・チブルスキーなど。

また、政治の分野では、自主管理労組「連帯」のワレサ氏、遡って、冷戦時代に北大西洋条約機構(NATO)と対抗したワルシャワ条約機構、さらに遡って、1939年のナチスによるポーランド侵攻やアウシュビッツ強制収容所など。

歴史をさらにさらに遡れば、18世紀のロシア・プロシア・オーストリアによる「ポーランド分割」。絶えず周辺の強大国に翻弄されてきた国がポーランドだ。

滅多にない機会なので、わがポーランド像を形成する旅にしたいと思った。まずは、将棋の体験から。

(1) ワルシャワ将棋クラブ

羽田空港0:40発パリ行き。羽田発の深夜便を利用するのは初めての経験だった。パリ着6:15。そこで乗り換えて、ワルシャワに着いたのが11:45。ヨーロッパ(の僻地)に真昼に着くというのは画期的で、便利なフライトが出来たものだ。

ただし、羽田に早く着くと、時間をつぶすのに苦労する。また、深夜便では軽食しか出ない、というのが予想外だった。しっかりと夕食をとってから乗り込むのが深夜便の賢い利用法のようだ。

ポーランドは2006年にEUに加盟したが、通貨はユーロを採用せず、旧来のズウォティ(zt)がそのまま使われている。1zt=22円。空港で両替をして、タクシーでワルシャワ市内に向かった。空港に着陸してから、ターミナル→バッゲージ・クレーム→両替→タクシー乗り場→旧市街のホテルまで、1時間しかかからなかった。

ワルシャワは暑かった。前日から猛暑に襲われているそうで、25℃ある。湿度はあまり高くなく、日差しがきつい。素足をさらした女性がまぶしい。

夕方から、「ワルシャワ将棋クラブ」の例会に顔を出した。KM女流初段に紹介いただいたものだ。

市内のカフェに11人ほど集まった。クラクフの大会の幹事役を引き受けているアドリアン、高群女流三段を破って一躍人気者になったカロリーナ、ワルシャワ将棋クラブの肝煎り役を務める弱冠18歳の学生ピョートルの三人が主役だ。これに、ワルシャワ在住の日本人3名が加わった。それぞれ、四段、二段、二段の実力とお見受けした。それに、KM女史と私が客人として参加した。

「ワルシャワ将棋クラブ」は最近できたものらしく、その名称は私が勝手につけたものだ。

まだ、将棋盤や将棋駒の道具が不十分で、手書きの将棋盤を広げているのには微笑を誘われた。(クラクフの大会後、ビニール将棋盤と木製の将棋駒一式と、プラスティック将棋セット一式を「ワルシャワ将棋クラブ」に寄贈した。)

KM女史は指導将棋をしたり、「どうぶつしょうぎ」の相手をしたり、九路盤で囲碁の相手を務めたりと、サービス精神豊かに振舞っている。

私はカロリーナと一局指した。カロリーナの先手三間飛車の対抗型になり、途中までうまく捌いたつもりだったのだが、肝心な局面で受けすぎて形勢を損じて、以降はなすすべもなく破れた。カロリーナは中盤の読みがしっかりとしているように見受けられた。

続けて、アドリアンと一局指した。中盤まで有利に指し進めたのだが、終盤決めに出た手が「指しすぎ」で、形勢を悪くした。相手の入玉を辛うじて阻止して勝ったが、ほめられた勝利ではなかった。これでは、クラクフの大会が思いやられると思った。

「ワルシャワ将棋クラブ」は恵まれているように思った。なにしろ、三名もの強力な日本人の対戦相手がいるのだから。どうぞ、三名の日本人の方々は、ワルシャワの将棋指しの相手になっていただきたい。なにしろ、カロリーナという伸びしろ豊かな将棋指しが現われたのだから、彼女の棋力を伸ばすのに協力いただきたい。併せて、ワルシャワの将棋人口の拡大を祈念したい。 

(2) 「世界オープン将棋選手権」

ワルシャワからクラクフまで、鉄道の「マリア・キュリー・スクウォドフスカ号」で3時間の道程だった。ノン・ストップで、林・畑・牧場の間を駆け抜ける。クラクフはワルシャワの南西にあたる中世以来の古都だ。

クラクフの大会の会場は、旧市街からヴィスワ川を渡った対岸にある「日本美術・技術センター」のホールだ。「ヨーロッパ将棋選手権」「世界オープン将棋選手権」「Blitz(早指し選手権)」「どうぶつしょうぎ選手権」「京都将棋選手権」「チーム選手権」が行われた。大会後の集計では、参加者は87名。40面以上が一堂に並ぶのは壮観だ。

同時進行する「ヨーロッパ将棋選手権」と「世界オープン将棋選手権」との関係が分かりづらいので、少し説明しよう。実は、この2つの選手権、実体は1つで看板が2つの選手権なのだ。ちょうど、国際飛行便の「コード・シェア便」に似ている。

ヨーロッパの国の国籍を持ち、ELOというレーティングの上位32名が「ヨーロッパ将棋選手権」への参加資格を有し、トーナメント戦を戦う。トーナメント戦の敗者は直ちに「世界オープン将棋選手権」へと合流するわけだ。実に考えられた対戦システムだと思う。

「ヨーロッパ将棋選手権」は、昨年と一昨年の3位だったドイツのトマス(ELO2012)が優勝した。準々決勝でカロリーナ(ELO1805)に逆転勝ちして、決勝ではベラルーシのセルゲイ(ELO1964)に終始リードして勝ちきった。昨年まで3年連続優勝のフランスのジャン(ELO2009)は振るわず、ベスト4に入らなかった。

「世界オープン将棋選手権」は、スイス方式で8ラウンド戦う。「ヨーロッパ将棋選手権」の参加者も8戦になるまで戦う。トップはまれに見る混戦となり、日本人3名が7勝1敗で並んだ。3名は3つ巴になったので、「対戦相手に勝った方が上」という決着方式では決着せず、その他の要素を入れた決着になったようだ。そして、優勝は昨年3位だったUYさん(ELO2438)。おそらく大会参加者最年長者の優勝に会場が沸いた。2位は昨年2位・一昨年優勝のTKさん(ELO2120)。3位は昨年優勝のKMさん(ELO2570)。上位3名は昨年の上位3名の順位が入れ替わった結果となった。

(3) 私の戦績と交流

私は「Blitz(早指し選手権)」と「世界オープン将棋選手権」に参加した。

「Blitz(早指し選手権)」はスイス方式で8ラウンド戦う。1局1人8分、切れ負けだ。早指しを否定するつもりはないが、切れ負けルールは邪道だ。ストレスがたまってしまう。少なくとも、10秒の秒読み時間が欲しい。運営上、時間管理が必要なら、開始時間を早めるなり、対局数を6局程度に減らすなりすれば実現可能な案だ。

「Blitz(早指し選手権)」は6勝2敗で4位となり、思いがけぬ成績だった。

「Blitz(早指し選手権)」では、「世界オープン将棋選手権」と異なり、相がかりの将棋が多かった。

早指しに向いた戦法を意識的に採用する将棋指しがヨーロッパには多いのかもしれない。

「世界オープン将棋選手権」はスイス方式で8ラウンド戦う。1局1人45分、切れたら40秒の秒読み。ゆったりとした時間の組み方だ。この時間を生かせるかどうかが試金石だったが、結果は、せいぜい考えて30分。中盤の岐路で腰を落として考える力が決定的に不足していることを思い知らされた。

対戦成績は5勝3敗。

負けた相手は日本のIKさん(ELO2200)、フランスのジャン、ハンガリーのゲルゲリー(ELO1661)。ELOから見てゲルゲリーに負けたのが痛かった。何と、この将棋では、大会中の最短終了時間を記録してしまったのだ。それは、私の「王手」の見落とし。

私が後手で「ゴキゲン中飛車」を採用したのだが、最初から棋譜を並べてみよう。

7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛、5八金と進み、先手が超急戦を見せた。ここで、後手は6二玉か3三角と指すのが「定跡」なのだが、何と、私は王を5一に置いたままで、角換わりを強要した。何手か進み、先手から「3三角」と打たれた。これに対して、「4四銀」と応じてしまったのだ。「王手」の放置でゲーム・エンド。隣りの対局者までびっくりしていた。

さて、クラクフの大会で対戦した相手の国籍を記すと以下のようになる;

「Blitz(早指し選手権)」:ロシア、ロシア、ロシア、ノルウェー、ハンガリー、日本、日本、ドイツ

「世界オープン将棋選手権」:ポーランド、スウェーデン、日本、ノルウェー、ウクライナ、フランス、ハンガリー、ロシア

思った以上にヨーロッパの将棋指しと対戦することができた。

棋力通りの対戦結果が多かったが、うち、2人にだけは「取りこぼし」だった。

1人はすでに述べた「王手」を見落としたハンガリーのゲルゲリー、もう一人は「Blitz(早指し選手権)」で負けたロシアのマクシム(ELO1596)。彼には、相がかりからの受け損じで負けてしまった。マクシムとは「世界オープン将棋選手権」でも当たり、彼の三間飛車を受けてじりじりと寄せて勝った。

「世界オープン将棋選手権」で当たったフランスのジャンは、序盤の駒組みがぎこちなく感じたが、中盤からあっという間に寄せられた。理論派というより実戦派という印象を受けた。

ウクライナのボリス(ELO1476)は棋力はまだまだだが、そのマナーの良さが群を抜いていた。日本からの参加者に敬意を表わし、何でも吸収したいという姿勢が見えた。「キエフ将棋クラブ」で例会を持っているらしい。

さて、今回の大会で交流した相手で最も印象に残ったのが、「ヨーロッパ将棋選手権」で優勝したドイツのトマスだ。彼は根っからの理論派だ。他人の将棋にも自分の将棋にも的確な批評を下す。対局ではよく考える。また、対局の棋譜まで取っているのには驚いた。終盤の入口までそれが続くのだ。振り飛車の相穴熊戦が得意らしい。「ヨーロッパ将棋選手権」の決勝でもこの戦法で快勝している。

実は、私は、大会前の練習将棋でトマスと対戦して勝ってしまったのだ。戦型は私が居飛車、トマスが振り飛車の相穴熊だ。中盤の模様の取り合いで押され、猛攻を受けることになった。しかし、彼の寄せにわずかに緩みが生じ、形勢が少し戻った。

下段に飛車を成り込まれたが、私の玉は、飛車か金を渡さなければ「詰めろ」がかからない形。そこで、「4五角」という攻防の一手を放ち、勝負形に持ち込んだと感じた。そして、彼の守りにわずかに乱れが出て、押し切ることができた。

互いに悪手らしい悪手のない、自分でいうのもおかしいが「好局」だったと思う。

そして、このトマスとの対局がクラクフの大会での最大の収穫となった。

詳しくは聞きそびれたが、トマスはドイツ中部を拠点に活動しているようだ。また、対局ができるといいと思う。 

(4) 甦る将棋文化

クラクフの大会には、MN七段、TS六段、KM女流初段が派遣されて、指導に当たっておられた。大会中の4日間で、MN七段とTS六段は二人合わせて計200局以上の指導対局をこなしておられた。まったく頭の下がる思いだ。

指導を受ける側も、本で読んだ定跡からの変化を持参して教えを請うなど、その熱心さも相当なものだ。

「日本語の定跡書を読んで、理解できるのか」と問うと、「指し手(move)を追っている」とのこと。なるほど。すると、定跡書に次のような工夫をこらすと、外国人にも近づきやすくなるのではないか。すなわち、指し手に、◎(良い手)、×(悪い手)、!(勝負手)、?(疑問手)を付けるのだ。これだけで、誰でも、棋譜の読み込みが深くなるというものだ。実は、この方法は、毎日新聞の将棋欄の棋譜解説ですでに採用している。その例に倣うといい。

ヨーロッパの将棋指しは一様にマナーが良い。

例を挙げれば;

・対局開始時に挨拶する。負ければ「負けました。」という。

・瞬発を入れず指したりしない。

・時間をよく使う。

・対局終了後には「感想戦」を行う。周りに気をつかい、小声でする。

・「感想戦」が終わると、対局開始時の駒の配置に戻す。

これらすべてを実行している日本人はどれだけいるだろう。

わが国の街の将棋道場では、

・駒を盤の腹にパチパチと打ち鳴らす。

・相手が考えると「早く指さんかい」という風情を見せる。

・対局終了後に「感想戦」などしない。

・タバコをプカプカ吸う。

などが横行していることはよく知られている。

また、インターネットでの対局では、

・挨拶もしない。

・早指しが主流。

・負けそうになると、切断してしまう。

など、本当に将棋を楽しむ気風はすでに失せているのだ。

「わが国で失われてしまった将棋文化がヨーロッパで甦りつつある」というのが、おおげさではなく、今回のクラクフの大会に参加して得た私の実感だ。 

なお、来年の大会には2つの国が立候補していて、そのうちの1つにいずれ決まるとのこと。

今回参加した日本人は12名。この数が多いのか少ないのか、評価が分かれるかもしれない。以前は、「ヨーロッパ将棋選手権」に日本人が参加して優勝をさらっていくのに違和感を抱くヨーロッパの人がいたそうだが、今は、「ヨーロッパ将棋選手権」と分離した「世界オープン将棋選手権」ができているので、「日本人が出しゃばり過ぎる」という批判はなくなったようだ。むしろ、さらに日本人が参加して、ヨーロッパの将棋指しに「胸を貸してほしい」というのが主催者側の希望のようだ。その際、強豪はもちろんだが、街の将棋道場で初段か1級で指している将棋好きの方々が参加されることを私は推奨したい。おそらく、参加する日本人にとっても「目からウロコ」の体験をすること請け合いだから。 (2012/8)

 


将棋の「感想戦」

2012-05-03 07:06:54 | 将棋二段、やりくり算段

 

将棋の世界では、対局後に対局を振り返って、両者が悪かった点・こうすればよかった点などを検討する「感想戦」がある。勝者はまだしも、対局に敗れた側にとっては、悔しさをかみ殺しながらの「儀式」となり、心が据わっていないとやり遂げられない「儀式」ではある。

人によっては、そそくさと感想戦を済ませ脱兎のごとく対局場を後にする棋士もいる一方、明け方まで2時間も3時間も感想戦に没頭する棋士もいる。人さまざまだ。

さて、5月1日の「達人戦」は加藤一二三九段対高橋道雄九段の戦いだった。角換わりの将棋で熱戦となり、高橋九段が優勢となった。しかし、そこから、加藤九段が粘りながら勝負手を連発して、とうとう逆転勝ちしてしまった。加藤九段72歳、恐るべき将棋魂の持ち主だ。

ところが、対局後、高橋九段は加藤九段に一礼して、さっさと帰っていってしまった、ということだ。どうしてそれを知ったかといえば、ネット中継があって、対局後の両者の動静を写真付きで報じていたのだ。加藤九段の感想戦の相手方は、ネット中継の解説役の高田尚平六段が勤めた。

上記のように、両者が悪かった点・こうすればよかった点などを検討することに加えて、観戦記を書く記者に対しての局面解説サービスの面も感想戦にはある。つまり、感想戦を行うことは、「プロ棋士」としての義務なのだ。

余りに悔しくて、感想戦まで付き合っていられない、というのでは、小学生棋士にも劣る振舞いだ。おっと、小学生棋士に失礼なことをいってしまった。

高橋九段52歳、願わくば、「達人」にふさわしい振舞いをお願いしたい。  (2012/5)


プロ棋士対将棋ソフト

2012-02-10 07:09:29 | 将棋二段、やりくり算段

 

114日に、プロ棋士の米長邦雄(永世棋聖)対コンピューター・将棋ソフト「ボンクラーズ」との対局が行われ、「ボンクラーズ」が勝利した。将棋ソフトがここまで強くなったかという驚きが広まる一方、この対局について様々な論評が現われた。それをここで整理してみよう。

 

実は、この対局の2年半前に、渡辺 明竜王対コンピューター・将棋ソフト「ボナンザ」との対局が行われ、渡辺竜王が勝ったものの、将棋ソフトの実力向上に多くの人が目を見張ったものである。

 

その1年後、つまり、今から1年半前に、清水市代女流王将(当時)とコンピューター・将棋ソフト「あから」との対局が行われ、「あから」が勝利した。その時、業界すずめが様々に論評した。「コンピューター・将棋ソフトは年々進歩している。プロセッサの集積度が増し、将棋アルゴリズムにも改良が加えられている。1年前、渡辺竜王が手こずったコンピューター・将棋ソフトに対して、女流棋士が相手になるというのは『手合い違い』だろう。」というのが最も厳しい見方だった。実際、「ボナンザ」も「あから」もその時点で最も強いコンピューター・将棋ソフトだった。

 

清水さんはなぜコンピューター・将棋ソフトとの対局を引き受けたのか? 4つほどの理由の候補がある。

1 女流棋士の強さを見せつけてやる。

2 男性棋士が苦戦するのは見るに忍びないので、防波堤になろう。

3 コンピューター・将棋ソフトからいいところを吸収したい。

4 「銭ゲバ」

 

どの理由かはわからない。しかし、コンピューター・将棋ソフトに完敗した後も、清水さんの将棋は崩れることなく、対女流棋士戦で高い勝率を残し続けているのは敬服に値する。

 

さて、今回、コンピューター・将棋ソフトとの対局に登場したのは、現役を引退して永い米長さんだった。この人選に多くの人が疑問を抱いた。1年半前、清水女流王将を退けたコンピューター・将棋ソフトに立ち向かう(おや、いつのまにか主客逆転の表現になってしまった)には、少なくとも現役の男性棋士でなければ無理ではないか? これは、もっともな意見だ。

 

米長さんはなぜコンピューター・将棋ソフトとの対局を引き受けたのか? やはり、5つほどの理由が考えられる。

1 引退棋士といえどもプロ棋士の強いところを見せつけてやる。

2 現役の男性棋士が苦戦するのは見るに忍びないので、防波堤になろう。

3 コンピューター・将棋ソフトからいいところを吸収したい。

4 目立ちたい。

5 「銭ゲバ」。

 

どの理由か推測するのは控えよう。しかし、対局1ヶ月後に、米長さんが『われ敗れたり』という本を出版すると聞いて、やはりそうか、と思う。

 

さて、コンピューター・将棋ソフトとプロ棋士が対戦することの「正当性」というか意義というかは何なのだろう。普通に考えれば、「コンピューター・将棋ソフトはどこまで強くなったのか」を測るという点に意義を見出す人が多いだろう。その意味では、引退棋士が相手として出てきても、もはや意味ない。

 

また、米長さんは、2手目に「6二玉」と指した奇手について、「コンピューター・将棋ソフトに『勝つ』ためには最良の指し手だという結論になった。」という。

それほど、コンピューター・将棋ソフトに勝ちたいのですか? その手は対プロ棋士に通用するのですか? 人智を尽くして、コンピューター・将棋ソフトに立ち向かう方法は取れなかったのですか? このような疑問を米長さんに手向けるのは酷だろうか?  (2012/2

 


自由が丘の将棋道場・3

2010-07-16 02:12:03 | 将棋二段、やりくり算段
自由が丘の「高柳道場」は、ほかの将棋道場とは雰囲気が違いました。猛烈な早指しをする客は少なかったし、煙草を吸う人もいなかったようです。客の身だしなみも良かったように記憶しています。そのような雰囲気が私を引き付けたのだと思いました。席主の高柳夫人の客あしらいもさわやかなものでした。

自由が丘の「高柳道場」には、当時プロになったばかりの田中寅彦四段(現九段)や大島映二四段(現七段)が詰めていました。

田中氏は、アマチュア相手に平手(ハンディキャップなし)で指してくれました。指し始めて40手か50手で、形勢がはっきりします。そこで対局を止めて、「感想戦」(対局を振り返って、どこがおかしかったか、そこでどう指せばよかったか、などを検討すること)に移行するのが、田中氏の指導方法でした。

このように懇切丁寧に指導してくれるプロ棋士はなかなかいないと思います。田中氏の指導のおかげで、「感想戦」の大切さを体得しました。

その後判ったのですが、「感想戦」に取り組む姿勢で、アマチュアの棋力をほぼ判定できるのです。

・「感想戦」を行うには、棋譜を再現する必要がありますが、棋譜を再現できれば、棋力は二段以上です。
・勝負のポイントを的確に指摘できれば、三段以上です。
・自分の指した手に感想が終始する人は初段以下です。
・感想戦に興味を示さない人は一級以下の級位者です。

「感想戦」は将棋の上達のために欠かせない手段です。特に、下位者は、感想戦で上位者の意見を聞くことが参考になります。

さて、自由が丘の「高柳道場」は今はありません。いつ閉鎖されたか、記憶に残っていません。そういえば、渋谷の「高柳道場」もなくなったようです。時代の変化は争いようがありません。 (終わる。2010/7)