静聴雨読

歴史文化を読み解く

幻想の庭園・7・あじさい(開花前)

2014-02-28 07:44:55 | わが博物誌

 

これから梅雨の季節になると、あじさいが一斉に開花する。今は開花前であるが、あまりにきれいだったので、紹介する。

何がきれいかというと、その葉がきれいなのだ。大ぶりの葉だが、しっとりと水気を含んだ深緑の様は、花がなくても観賞に耐える。まことに珍しい存在だ。

大ぶりの葉では、チョウセンアサガオも負けないが、葉の質感と葉が群れあう量感で、あじさいに軍配があがる。

梅雨前の5月の強烈な光を受け止めながら、あじさいはてぐすね引いて出番を待っている。  (2008/5)

 


幻想の庭園・6・ツツジ

2014-02-26 07:40:44 | わが博物誌

 

ツツジは4月中旬から咲き始め、今、いたるところで満開だ。

ワインレッドと白の花が多い。これは、例えれば、風呂上りの、絣の浴衣の美人だ。さっぱりしているのが取り柄で、生垣にたくさん植えるには、このワインレッドと白の花の組み合わせが無難だ。

一方、数は少ないが、この写真のようなピンクの濃淡の花をつけるツツジもある。ロココ朝のフランスか世紀末のウィーンの妖艶な美女を思わせる。
花の艶がしっとりとして、マーガレットと違い、また、ワインレッドと白のツツジとも違い、入念に化粧を施した顔である。
 
花は大きく、花の数も多いが、例えば桜の花に感じるような狂気を感じさせないのがツツジの最大の美点だ。おそらく、桜と違って、花と葉が同じ比重で存在を誇示しているために、人を和ませる調和を生んでいるのだろう。

この花も開花期間が長いので、幻想の庭園にはなくてはならない役者だ。 (2008/5)


幻想の庭園・5・マーガレット

2014-02-24 07:32:30 | わが博物誌

花屋の店先で店番のおばさんに「これ、何という花?」と聞くと、一言「マーガレット」と答える。これ以上梃子でも答えぬという風情なので、退散した。

時々道端に大きな株についた黄色い花を目にすることがあったので、その名を知りたいと思っていたのだが、それがマーガレットだった。

マーガレットは、例えれば、スッピンの美人で、色気はないものの、清楚なたたずまいは捨てがたい。
一つの株に300ほどの花をつける。その群れの豊かさが売りの一つだ。
葉は雪の結晶を思わせる形がユニークだ。
また、花の開花期間が長いのが特徴だ。近くの例では、昨年12月に咲き始め、今5月でもまだ花が残っている。

幻想の庭園には是非ほしい便利な花だ。黄色以外に白い花もある。 (2008/5)


幻想の庭園・4・山茶花

2014-02-22 07:26:58 | わが博物誌

山茶花は冬の間長く愉しむことができる。この写真は11月に撮影した。もちろん、今でも咲いている。
山茶花の花びらは、八重で、この上なく、柔らかな感じがする。その気品の高さは、薔薇や牡丹に劣らない。

写真でわかるように、木のあちらこちらに花をつけるのが珍しい。根に近い部分にも花がつく。

東京・神田の女学校の塀に山茶花がずらりと植わっている。なかなか清楚でよろしい。
これを大川栄策が聞いたら、「女学校に山茶花? それはええ策やのう。」とでも感想を述べるのではないか。「それで、何本植わっているの?」「山茶花=九本です。」???  (2008/2)


幻想の庭園・3・蝋梅(ロウバイ)

2014-02-20 07:43:48 | わが博物誌

幻想の庭園の1月を飾る花は蝋梅(ロウバイ)だ。1月上旬から咲き始めた。2月の花とばかり思っていたので、ここに訂正する。
この写真は1月13日に撮影したもの。八分咲きだ。

この花はいい香りがする。
母を連れて散歩に出たとき、満開の蝋梅の下を通りかかった。
「この花は、いい香りがするんだよ。」
「今もいい香りがしているじゃない。」
「鼻が悪くなって、匂いが嗅げなくなってしまったの。」
それで母の鼻の障害を知らされた。そんなこともあった。

蝋梅は中国原産だそうである。  (2008/1)


幻想の庭園・2

2014-02-18 07:02:20 | わが博物誌

澁澤龍彦には『澁澤龍彦 空想美術館』(平凡社)という本もある。澁澤好みのレオノール・フィニー、四谷シモンなどの芸術作品を集めた図録である。

さて、澁澤龍彦の『フローラ逍遥』と『空想美術館』をヒントにしつつ、私の「幻想の庭園」を展開してみたい。
現在は団地住まいで庭がないので、庭が手に入った場合の「幻想の庭園」はどのようなものか?
庭に植える花の木をあれこれ考えてみる。

花の選定の基準は:
1.開花期間が長いこと(桜や夏椿は適さない)。
2.小さくて、チマチマした花は除く。
3.手入れの難しい花は遠慮する(薔薇などは泣く泣く諦める)。

以上の基準で、かつ、できるだけ、年中何かの花が咲いているのが理想だ。この理想に沿う花の木をラインアップすると次のようになる。開花期は南関東を基準にしている。

2月:蝋梅
3月:沈丁花(花は小さいが、姿が立派で、香りもいいので、採用する)
4月:ツツジ

5月:(ここだけが埋まらない)

6月:あじさい
7月-9月:チョウセンアサガオ・むくげ
10月:金木犀
11月-1月:山茶花

意識したわけではないが、蝋梅・沈丁花・チョウセンアサガオ・金木犀と、香りの馥郁とした花の木を多く選んだことになる。香りはあるに越したことはない。  (2007/12)


幻想の庭園・1

2014-02-16 07:13:16 | わが博物誌

フランス文学者でマルキ・ド・サドの翻訳者として著名な澁澤龍彦に『フローラ逍遥』という著作がある。現在は、「平凡社ライブラリー」に収録されている。文字通り、花の博物誌だが、マルキ・ド・サドの紹介者との親和性は思いつかない。しかし、次のようなエピソードを知ると、納得がいく。

澁澤は長らく「フランスを訪れたことのないフランス文学者」であった。「アームチェア・ディテクティブ」(書斎探偵)ということばがあるが、彼は、いわば「書斎フランス文学者」として長年過ごしてきたのだが、ある年、念願叶って、フランスに旅立つ。サドにゆかりの地などを確認するためだ。

ある古城に来て、感慨を込めて城を探索した後、澁澤は城の周りの花々と戯れていたというのだ。これは同行した知人(妹の澁澤幸子か妻の矢川澄子かは忘れたが)の証言だ。周りの人たちは、澁澤に、好きなだけ花々と遊ばせておいたという。澁澤の花好きの素地を証明するエピソードだ。(2007/12)


ヨーロッパ! ヨーロッパ! (3)EUとユーロの実験

2014-02-14 07:06:15 | Weblog

 

さて、現在のヨーロッパで最も注目すべきは、EUとユーロの行く末だろう。

1993年に発効したマーストリヒト条約によって誕生したEU(欧州連合)は、初めの「西欧諸国の連合」の性格を脱皮して、今や、27ヵ国が加盟する大連合に成長した。歴史・文化・言語・通貨が異なる国々がこれほどまで連合を組むとは予想できないことであった。

また、2002年には、欧州統一通貨として、「ユーロ」が発行され、EU加盟国のうち16ヵ国がユーロを採用し、ほかにも6ヵ国がユーロを導入している。「ユーロ」は、今や、ドルに次ぐ「第二の基軸通貨」と評されるまでになった。これもまた、大規模な通貨統合が実現するとは夢にも思わぬ出来事だった。

だが、統合地域が巨大化し、統合通貨が拡大するにつれて、その中で、歪みが否応なく露呈してくるのは避けられない。それは、EU内やユーロ圏内における国ごとの格差として現われる。上部に、旧「西欧」諸国が、そして、下部に、周辺の北欧・東欧・南欧諸国が、という二重構造が出来上がってくる。

そして、EUやユーロの安定を脅かしたのが、アイスランドに始まる周辺諸国であった。ギリシア、ポルトガル、ハンガリー、最近のアイルランド・スペインに見られるように、いずれも経済基盤の弱い国々が財政不安・金融危機・通貨不安の波に洗われた。これを解決するのは並大抵の努力では無理かもしれない。

改めて、EU統合と通貨統合の理念に各国が立ち返ることが求められる。それは何か、に答えることはできない。ただ言えるのは、現代のEUの実験・ユーロの実験は、はるか昔の中世期に、大西洋・地中海・カスピ海がとりまく広大な地域を「ヨーロッパ」として霧の中から浮かび上がらせた歴史的経験の再生のはずだ、ということだ。 (2010/11)

 


ヨーロッパ!ヨーロッパ! (2)中世への回帰

2014-02-12 07:37:50 | 異文化紀行

「ヨーロッパへの憧れ」の再燃を記したが、その憧れの内容は以前とはいささか異なっているようだ。

これまでの「ヨーロッパ」は、いわゆる「西欧」のことで、イギリス・フランス・ドイツなどの国々のことだった。
イギリスでいえば、ウィリアム・モリスなどの「アート・アンド・クラフツ運動」やカール・マルクスも通った大英博物館。フランスでいえば、フランス革命以来の華やかな近代史や印象派の絵画・フランス映画など。ドイツでいえば、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンなどのクラシック音楽やトーマス・マンの文学など。これらが関心の的だった。

それが、近年はやや関心の対象が変わってきている。

「ヨーロッパ」の起点は中世にあることを再認識したことが大きい。そして、中世とは、キリスト教とイスラム教とが共存し葛藤を繰り広げた時代で、その痕跡は、「西欧」だけでなく、周辺のヨーロッパ諸国にも数多く見られる。スペインのアンダルシアを旅して、このことを実感した。

中世の遺跡は、文字通り、ヨーロッパのいたるところにあり、私の訪れたところだけでも、スペインのアンダルシアのほかにも、ポルトガルのリスボン、チェコのプラハ、フランスのパリ左岸やシャルトル、オランダの田舎街、ドイツのケルン、などがある。これらの中世遺跡を訪ね歩くことは、「西欧」文化に触れることに匹敵する楽しみなのだ。

そして、中世への興味を引き出してくれた高校・大学の歴史教育に感謝する気持が大きくなった。 (2010/11)


ヨーロッパ! ヨーロッパ! (1) 憧れの地

2014-02-10 07:52:45 | 異文化紀行

人間は歳を重ねると小さい頃・若い頃に帰るようで、最近になって、高校時代に培った「ヨーロッパへの憧れ」が再び頭をもたげてきた。昨年はワーグナーの楽劇を聴くためにドイツを旅した。それは、私のヨーロッパ熱を再燃させるに十分だった。

そして、今では、行こうと思えば行けるのだが、なぜか前に踏み出せないでいる。萩原朔太郎の詠った「ふらんすに行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」の状態に金縛りになっている。

そう、「ヨーロッパは遠い」のだ。これは、歳を重ねて、体力の衰えを自覚し始めた証しだ。これからは、何回もヨーロッパに行けないかもしれないと思っている。

それでも、是非行きたいところを3ヶ所挙げるとすれば:

ドイツ: ブレーメン近郊のヴォルプスヴェーデ村の芸術家コンミューンを訪ねる旅とワーグナーの楽劇を再び聴く旅を併せてしてみたい。季節はいつでもよい。今年2月のベルリン・ドイツ・オペラのワーグナー集中上演の例から推すと、冬になることも大いに考えられる。「ドイツ:冬の旅」の実現だ。

北イタリア:ミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェの三都市は音楽・美術・文学の醸す垂涎のトライアングルだと思う。須賀敦子のミラノ、トーマス・マンのヴェネツィア、若桑みどりのフィレンツェは、どのようなたたずまいを見せていたのか? 通貨リラの恐怖から解放されて、イタリアも身近になった。

イスタンブールとブダペスト:ヨーロッパとアジアが交差し、キリスト教とイスラム教の歴史文化が交錯するイスタンブールは是非訪ねてみたい。
また、プラハ・ウィーンと歴史ある中欧の都市を巡った後には、ブダペストにも行ってみたいものだ。加えて、マジャールの面影をもたどってみたいし、温泉文化も興味あるところだ。

トルコ航空を使えば、イスタンブールとブダペストを一回の旅行で回れる旅程が組める。これを利用する。

以上、3回とも、ゆったりとした日程で、もちろんツアー旅行は使わずに、旅ができたら最高だ。
(2010/11)


ベラルーシの風 3

2014-02-08 07:44:34 | 異文化紀行

 

ミンスクは清潔な街で、私の同僚は「道路にゴミ一つ落ちていない」と評したが、それは少し言い過ぎで、私は街中の植え込みの中にウォッカの空きボトルを発見した。これはどの街でもあることだろう。それにしても清潔な街は味気ない。横の路地に入れば、ごたごたした飲食店でもあるのだろうか?

ミンスクの街は大きく、人口180万人を数えるという。そのため、街のそこここに巨大なアパートが林立している。地元の人は「グロテスクな建物」だという。その通りだ。

ホテルからヨーロッパ将棋選手権の会場まで、公園の中を通るのだが、そこにある池は穏やかで美しい。水面を渡る風がさわやかだ。朝から釣りをしている人がいる。たなごのような魚がかかっていた。でも、これは食べられないだろう。

なお、「ベラルーシの風」とは、在日ベラルーシ大使館のホームページのタイトルだ。

 (2014-02-08)


ベラルーシの風 2

2014-02-06 07:41:40 | 異文化紀行

 

事前に入手できたベラルーシの情報は少なかった。

岸 恵子『ベラルーシの林檎』(朝日文庫)があったが、中身はバルト沿岸諸国を通ってサンクト・ペテルスブルクに向かう旅行記で、車内で貧弱な林檎を食べるベラルーシの老婆のエピソードが載っているだけだった。

「ウクライナの北」という位置情報を頼りに、チェルノブイリ原子力発電所を訪問できないか、と現地の人に尋ねたが、無理だ、とのこと。

ベラルーシは旧社会主義圏の国だ。これが、日本人にとって、地政学的かつ心理的障壁となっているのではないだろうか? ヨーロッパ将棋選手権への日本からの参加者は、前年(ポーランドのクラクフで開催)に比べて少なかった。日本将棋連盟もプロ棋士の公式派遣を見送った。

現地では、旧社会主義の評判は散々だ。

しかし、街を歩いてみて、清潔な街並み、瀟洒な建物、それなりに親切な人々は、旧社会主義の時代に築かれたものに違いない。旧社会主義も捨てたものではない、と感じた。

(2014-02-06)

 


ベラルーシの風 1

2014-02-04 07:37:37 | 異文化紀行

 

ベラルーシのミンスクに行ってきた。昨年の7月、ヨーロッパ将棋選手権に参加するためだった。

ベラルーシってどこにあるの? と聞かれることが多い。私より年上の人(そんな人は今や少数派だが)には、「昔、白ロシアと呼ばれていました。」というと、通じることがある。私より年下の人には、「旧ソ連の解体とともに誕生した独立国家共同体CISの一員でした。今は独立しています。ロシアの西に位置しています。」と説明するとわかってもらえるが、この説明は長たらしくて不便だ。

一番簡便な説明は、ロシアの西、ウクライナの北、であろうか? これでわからなければ、説明をあきらめたほうがよい。

ベラルーシに入国するためにはビザが必要だ。私はモスクワ経由でベラルーシに入国するつもりだったが、旅行代理店でロシアの通過ビザも取得しなくてはなりません、といわれた。その意味がわからないまま、旅行を始めた。

成田のアエロフロートのカウンターで、モスクワでは入国手続きが必要で、そこから国内便に進んでください、といわれた。「皆さん、間違われるのですよ。」とのことだが、その意味がわからない。

モスクワに着いて、ロシアの入国手続きを済ませ、国際線ターミナルに向かおうとしたら、国内線ターミナルに行きなさい、と係員がいう。さて、どういうことだろう?

ミンスクに着いた。そこでは、入国審査はもとより、税関審査や悪名高い健康保険加入手続きも必要ない。なにしろ、係員がだれもいない。

ここで、ようやく、理解した。「ベラルーシはロシアの国内扱いになっているのだ」と。このことを、旅行代理店もアエロフロートのカウンターも教えてくれなかった。

フランクフルトなどからベラルーシに入国した人の話を聞くと、入国審査・税関審査・健康保険加入手続きなどで、時間と(少額ではあるが)金を費やした、とのこと。

結果として、ロシア経由でベラルーシに入国したことが正解だったわけだが、このことをもっとPRすればいいのに、と思った。 (2014-02-04)

 


OMさん(続)

2014-02-03 07:01:17 | 将棋二段、やりくり算段

 

OMさんが亡くなる5ヶ月前のこと。2013年9月3日に、「将棋を世界に広める会」が「UYさんを偲ぶ会」を開いた。UYさんは「将棋を世界に広める会」の副理事長を長く勤めていたが、5月に亡くなった。UYさんは大学の大先輩だったので、同学のOMさんも誘って、参加していただいた。

「偲ぶ会」では、UYさんが生前熱心に推し進めていた「将棋の世界組織を作る」という話題で盛り上がった。

OMさんはこの話題に「ピピっと」反応した。翌日、OMさんからメールをいただいた。「協力して、将棋の世界組織を作る活動をしよう」という趣旨だった。ちょうど、9月7日に2020年の東京オリンピック開催が決まったこともあり、OMさんは「東京オリンピックに併せて、東京で頭脳オリンピックを開催し、その中に将棋を入れる」という計画を思いついたようなのだ。

私のほかにも2人に声をかけて、以後、OMさんのメール攻勢が始まった。OMさんが亡くなるまでの5ヶ月間で、メールは40通を超えた。内容は、世界組織の構成、会長候補、事務局の構成、囲碁などの他団体の事例、スポーツ・アコードの情報、知恵を出してくれる人の名前など多岐にわたった。OMさんは情報の出し惜しみをしない性格で、これらの情報が役に立つなら自由に使ってほしい、と書いてきた。

私の方では、OMさんのメールに答えることはほとんどしなかった。

それは、ある疑問があったからだ。それで、率直に疑問をぶつけてみた。

「OMさんは、肩書きのいくつかを整理して、このプロジェクトのために時間を割く用意がありますか?」

「立ち上げの資金を私が拠出します。OMさんも拠出なさいますか?」

これらに対する回答ははかばかしくなかった。それで、OMさんの「本気度」には疑問符がついた。

今、OMさんの生前の心中を察すると、以下のようになるのではないか?

「このプロジェクトは自分の存命中には陽の目を見ないかもしれない。でも、今すぐ、このプロジェクトは立ち上げねばならない。」このような使命感に基づいて、OMさんは将棋の世界組織の立ち上げに仲間を募ったのではないだろうか?(2014-02-03)

 

 


気になるフレーズ 5

2014-02-02 07:51:55 | 社会斜め読み

 

(5)写真とイメージ

なじみの立ち食いそば屋に「小天丼セット」というメニューがあります。かけそば(または、うどん)+小天丼のセットです。このセットの紹介写真が壁に貼ってあります。その写真の片隅に、以下のような文言が書いてあります;

 「写真はイメージです」

さて、これは何を意味しているのでしょうか?

「写真という芸術作品はイメージ表出方法の一つです。」という、スーザン・ソンタグばりの写真論の哲学を表わしたものでしょうか?

「写真」とは、写「真」というように、以前は真実を写し出すものと考えられてきましたが、今や、「真」も「偽」も、カタカナでいえば、ノンフィクションもフィクションも、写し出すものだと考えられるようになりました。デフォルメやトリミングなどによって受ける印象がガラリと変わるのが写真の真髄で、そこに「写真芸術」が生まれてきたといってもいいでしょう。

「写真はイメージです」はそのことをいっているのでしょうか? 街角のコピーとしては何とも高尚です。

ここで、チョイ悪おやじがしたり顔で説明します;

「ここに掲げた写真は商品(小天丼セット)の大まかなイメージを理解していただくためのものであって、実際の商品は、かけそばのつゆが少なかったり、小天丼のエビが曲がっていじけていたり、湯気が立っていなかったりすることがあるのをご承知置きください、と、客に事前の了承を求めているのですよ。」

なるほど。すると、ここでいう「イメージ」とはおおまかであいまいな像を指していることになります。スーザン・ソンタグの写真論とは対極にある「イメージ像」です。

このように、日本人は外来語を本来の意味から離れた日本語に化けさせることを得意としているようです。  (2012/6)