静聴雨読

歴史文化を読み解く

「ローテク」の逆襲

2008-07-21 00:04:45 | Weblog
これまで分載した「『ローテク』の逆襲」をまとめて再掲載します。

(1)ITの世界

PCとインターネットに関して、私は「先生」についています。
「先生」はPCのハードウェアと Windows について何でも知っていて、聞けば答えてくれます。とてもありがたい存在です。
また、「先生」は、HTMLやJavaのプログラミングに精通しています。私の「BIBLOSの本棚」のホームページは、「先生」がHTMLやJavaを駆使して制作してくださったものです。

さて、「先生」とのやりとりで、奇妙な経験をしました。
「先生」の説明がわからないのです。「先生」は説明の中でIT用語などがふんだんに盛り込まれますが、そのうちの多くがわからないことばです。「先生」は私がその種のIT用語を当然わかっているものとして使うのでしょうが、残念ながら、そうではありません。結局、「先生」の説明の30%ほどしか理解していないのではないか、というのが現状です。しかし、それでも、「先生」の説明は貴重です。

「先生」はITの専門家です。専門家としてのレベルを落とさずに、私に説明します。話をかみくだいて、私に説明するということはあまり得意としていないようです。ITの専門家にしばしば見られる類型といっていいかもしれません。

一方、私はITの専門家ではありません。IT用語などはほんの一部しかわかりません。それで、「先生」の説明にとまどうことになります。 

(2)PC初心者

さて、私と同年代の人で、最近PCを購入した人がいます。その人から、PCの使用法について質問を受けたとき、その人が、私の説明を聞いて、初めて、PCとは、ファイルの構造とは、というようなことが理解できるようになった、といわれたことがあります。

ディジタル・カメラで撮影した映像をPCに取り込むことがテーマでした。
「ディジタル・カメラで撮影した映像は、このSDカードに蓄えられます。」
「今までのカメラのフィルムのことね。」
「そう、カメラのメーカーによって、メモリー・スティック(ソニー)とか、コンパクト・フラッシュ(キャノン)とか、呼び名はいろいろですが、ニコンはSDカードと呼んでいるようです。」

「ディジタル・カメラとPCはこのケーブルでつながります。ほら、PCのUSBケーブルのジャックにつなぎます。すると、PCから見て、ディジタル・カメラ(実際は、SDカードですが)が周辺装置の一つとして認識されるようになります。」
「『マイ・コンピュータ』をクリックすると、ほら、『リムーバブル記憶域があるデバイス』に『NIKON(SDカード)』が入っているでしょう。」

「それで、『リムーバブル記憶域があるデバイス』の『NIKON(SDカード)』から、PC内のどこかのファイルにデータを移送すればよいわけです。」

「PC内のファイルは階層構造になっています。映像データは、『マイ・ドキュメント』の下位にある『マイ・ピクチャ』に格納するのがいいでしょう。したがって、『リムーバブル記憶域があるデバイス』の『NIKON(SDカード)』から『マイ・ピクチャ』にデータを移送します。」
「これで、PC内で、映像データをトリミングしたり、縮小したり、タイトルをふったり、する編集ができるようになりました。もう、USBケーブルははずしてかまいません。」

これだけの説明で、この人は、ディジタル・カメラの映像データをPCに取り込んで、編集することができるようになりました。実は、これは、10ヶ月前に、パソコン教室で私が学習したことをオウム返しに教えたに過ぎません。  

(3)メール・マガジン発行者

もう一つ、例を挙げます。
シニア層に情報提供する目的でメール・マガジンを発行している「先輩」がいます。「先輩」は「相棒」と二人で、この仕事に携わっています。

メール・マガジンの購読者は55歳から上のシニア層で、PCのモニターを見るのがつらい人やPCを持っていない人もいるので、同じ内容の冊子を印刷して配布する事業も行っています。素晴らしいことだと思います。

さて、このメール・マガジンのコンテンツを一覧してみると、書体が不統一なのに気がつきました。ゴシックと明朝が混在しているのです。
この点を問い合わせると、書体の混在は認識しているが、致命的な欠陥ではないので、そのままにしている、とのことでした。

折角の優れたコンテンツが、このメール・マガジンに収録されてほかのコンテンツと一緒に並べられた途端に、ギスギスした響きを生んでしまいます。この点を「先輩」と「相棒」は知ってほしいと思います。

それで、僭越だとは思いましたが、メール・マガジンの一つの号を採って、書体統一版を作ってみました。

PCモニターで閲覧する時には「MS P ゴシック」の書体が見やすいですし、印刷する時には「MS P 明朝」の方がなじみます。PCモニター閲覧版と印刷版の2種類を作成して、「先輩」と「相棒」のコメントを求めました。

数日経ちました。しかし、「先輩」からも「相棒」からも応答はありませんでした。
これ以上の「お節介」は慎むことにしましょう。  

(4)「ハイテク」・「ローテク」・「ノーテク」

さて、本題の入口に来ました。

「ハイテク・ローテク・ノーテク」ということばがあります。

テクノロジーに対する詳しさや親密度(テクノロジー・リテラシー、といいます)で人間を区分することばです。このことばにはやや疑問がありますが、とりあえず、このまま進めます。

「ハイテク」は、先端テクノロジーに詳しい人です。私の「先生」は「ハイテク」の代表といっていいでしょう。

「ローテク」は、先端テクノロジーに詳しくはないが、先端テクノロジーを組み込んだ機器などを一応使えるレベルの人です。私自身は「ローテク」と自認しています。私の「先輩」も「ローテク」といえますが、実際は、私よりテクノロジーに詳しく、メール・マガジンのホームページも自分でHTMLを使って書いているほどです。

「ノーテク」は、先端テクノロジーがまったくわからない人です。私にPCの使い方を尋ねる「PC初心者」がそうですし、「相棒」もそのようです。

これら3種の人間がいるとして、それぞれの間で、どのようにテクノロジーのノウハウが移転していくかを考えてみたいと思います。 

(5)「ハイテク」と「ノーテク」

テクノロジーの源は「ハイテク」にあります。したがって、その「ハイテク」からどのようにテクノロジーのノウハウが流れ出るかが焦点の一つです。

知人の「ハイテク」の一人が、ボランティアで、パソコン教室の講師を勤めています。「定年後」に自らのスキルを生かしてボランティア活動をするのは素晴らしいことです。

ただ一つ、気になることがあります。
パソコン教室の生徒はみな「ノーテク」です。「ハイテク」が「ノーテク」を教えているわけです。一般的に、「ハイテク」はテクノロジーに詳しいが、そのテクノロジーを噛み砕いて説明することは必ずしも得意としていません。パソコン教室の生徒にPCのテクノロジーがうまく伝えられるのか、気になります。

「ハイテク」・「ローテク」・「ノーテク」の人口分布をモデル的に、1:10:100としてみます。

すると、パソコン教室では、「1」が「100」を相手に教えなければなりません。「ハイテク」にとっては、大変な負担です。この問題を考えなければなりません。

結論をいえば、「ハイテク」が一手に「ノーテク」を教えるには無理があり、むしろ、「ハイテク」の教える相手は「ローテク」であるべきだと思います。そして、「ローテク」が「ノーテク」にテクノロジーを伝播する、というテクノロジー移転の階層構造を構築することが重要に思います。 

(6)「ローテク」の存在意義

次に、一転して、「ノーテク」の側から、見てみましょう。

「ノーテク」にとって、PC、ディジタル・カメラ、地上波ディジタル・テレビなどのマニュアルを見て理解するのは頭痛の種です。判らないことばの羅列でつまずきますし、「こうしたい時、どうすればいいのか」に答えるような記述を見出せることはまずありません。

この悩みを「ハイテク」にぶつけても、「ハイテク」はマニュアルの人間版のようで、そのことばは理解を越えます。
「こうしたい時、どうすればいいのか」に対しては、「ハイテク」は解を知っていますが、その解を「ノーテク」に伝えるのが上手ではありません。
こうして、「ノーテク」と「ハイテク」は生産性に乏しいコミュニケーションを続けることになります。

ここに、「ローテク」の出番があります。

「ローテク」は「ハイテク」からテクノロジーの伝授を受ける際に、判りづらい個所を体得しています。その個所は「ノーテク」にとってはなおさら難関であることは自明でしょう。それで、「ローテク」は「ノーテク」にテクノロジーを伝播するにあたって、判りづらい個所を判りやすくする工夫をすることに精力を注ぎます。それで、「ノーテク」も理解できるテクノロジーが生まれることになります。

このように考えてみると、「ローテク」の大きな役割がわかると思います。「ハイテク」のテクノロジーを理解できるのが「ローテク」ですし、「ノーテク」の悩みを理解できるのも「ローテク」です。「ローテク」は、「ハイテク」と「ノーテク」との間を取り持つ存在として不可欠なのです。

テクノロジーの世界では、「ハイテク」がもてはやされます。当然、テクノロジーの専門家として、「ハイテク」は高い尊敬を得るべきでしょう。
しかし、同時に、テクノロジーの伝播の媒介役として、「ローテク」は従来以上の尊敬を得てしかるべきではないか。・・・・「『ローテク』の逆襲」と題した所以です。
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なお、「ハイテク・ローテク・ノーテク」の用語には疑問があると申しました。特に、「ノーテク」に侮蔑感を抱く人も多いと思います。

それで、「専門家・普及員・初心者」と言い換えてみたいと思います。すると、学問の世界でも、テクノロジーの世界でも、農業経営の世界でも、この三者の間で、どのようにノウハウの伝播を行うのがいいのか、が問題となっていることがわかります。この問題については、また、別のコラムで触れることにしたいと思います。 (2008/4-5)

うなぎ四方山話

2008-07-19 04:57:58 | わが博物誌
土用の丑の日が近づきました。何回かに分けて掲載した、うなぎにまつわる話をまとめて再掲載します。

(1)うなぎと遊女

東京から車で長野県に向かう途中、どこかで昼食をとることになり、仲間の一人が「女郎うなぎにしよう」と提案しました。衆議一決、埼玉県小川町の「女郎うなぎ 福助」に立ち寄ることになりました。小川町は古くからの宿場町で、今は東武東上線とJR八高線が通っています。

「福助」のホームページを見ると、「女郎うなぎ」の名の由来がわかります。「百六十年前、うなぎの蒲焼の秘伝極意を江戸吉原の花魁が当店に伝えたことから『女郎うなぎ』と名付けられました。」
どうやら「秘伝」はタレにあるようです。

その時の味のことは覚えていませんが、旨かったことは確かです。

さて、所変わって、静岡県三島市に行った時のこと。ここもうなぎ料理の名所だということを知っていましたので、うなぎ屋を探索しました。三島広小路近くに「桜家」がありました。ここのうな重が絶品でした。
うなぎの柔らかさとご飯との相性が抜群なのに加え、焦げ目の全くない焼き上がりなど、食べやすくする工夫が随所に見てとれます。

その秘訣の一つが「三島の水」だということです。富士山の伏流水が豊富な三島では、その水を利用して、お店で、仕入れたうなぎを泳がすのだそうです。その効果で、養殖でつきすぎた脂が適度に落ち、また、えさや泥などの不純物が排出されるらしい。「うなぎの柔らかさ」と「ご飯との相性」はこの「三島の水」の効果でした。

三島は、「三島女郎衆はノーエ」と歌われたように、遊郭で有名な地でした。その女郎が「三島の水」を使って肌をきれいにしていたことは有名です。「三島の水」は遊女にもうなぎにも優しい水なのでした。

うなぎの名所である埼玉県小川町と静岡県三島市とに共通のキーワードは「水」と「遊女」であることがわかりました。
「うなぎと遊女」のタイトルから別のことを連想した人がいたら、その期待を逸らしてしまって申し訳ありません。 (2007/5)

(2)うなぎ屋のうなぎ

うなぎはうなぎ屋で食べるに限ります。

現在は、ファストフード感覚で楽しめるうなぎ屋があります。また、スーパーマーケットでは、調理済みのうなぎも手に入ります。しかし、うなぎを食べるには専門のうなぎ屋に出向かねばなりません。それほど、専門のうなぎ屋のうなぎとそうでないうなぎとでは、味に差があります。

前回ご紹介した埼玉県小川町と静岡県三島市のうなぎ屋の例でわかるように、うなぎを食膳に上せるためには、事前に様々な工夫をこらす必要があります。箇条書きで述べると:
・水を選ぶ
・仕入れた養殖うなぎを生簀で泳がせ、つきすぎた脂を適度に落とし、えさや泥などの不純物を排出する
・蒸し加減を調節する
・焦げ目の全くないように焼き上げる
・タレを仕込む
・水に合う米を選ぶ
・米の炊き加減を調節する、などなど。
  
これらの工夫をこらして、ようやく「うなぎ屋のうなぎ」として、食膳に供することができるようになります。ファストフード感覚のうなぎ屋やスーパーマーケットのうなぎには求めようとしても求められない「職人技」です。

比較のため、「てんぷら」を例にとりましょう。
ファストフード感覚のてんぷら屋で食べる500円の「天丼」と、てんぷら専門店で食べる1575円の「天丼」の間に、価格差ほどの味の違いが認められるでしょうか? 私には認められません。てんぷらの調理技術は比較的普及しやすくて、ファストフード感覚のてんぷら屋でも旨いてんぷらを出せるのでしょう。

うなぎとてんぷらとの違い、それは隠れた「事前の工夫」の多寡にあるように思われます。  (2007/5)

(3)うなぎ屋のうなぎ・続

うなぎはうなぎ屋で食べるに限るという話の続きです。

将棋の藤井猛九段は振り飛車使いの達人です。その振り飛車で竜王位まで極めました。それまで、上位棋士で振り飛車を採用するものは少なかったのですが、藤井の活躍に刺激されたせいか、居飛車専門と見られていた棋士までもが振り飛車を指すようになりました。その風潮を苦々しく思って藤井が発したことばが、「私の振り飛車は『うなぎ屋のうなぎ』ですから。」というものです。

「ファストフード感覚のうなぎ屋やスーパーマーケットのうなぎではなく、年季の入った職人技で客を魅了する専門のうなぎ屋のうなぎです」という自負がそのことばににじみ出ています。

将棋には、振り飛車と居飛車の対抗型があります。
居飛車側の戦法として「居飛車穴熊」という戦法が生まれ、振り飛車の分が悪くなりました。その対策として藤井が編み出した戦法が、今では「藤井システム」と呼ばれるようになったものです。「藤井システム」とは、居飛車側が「居飛車穴熊」を採用しようとしたら、急戦に持ち込んで、居飛車側に「居飛車穴熊」をやすやすとは組ませない、というものです。

「居飛車穴熊」を組むには手数がかかります。それに合わせて、振り飛車側がゆっくり玉の囲いを進めていたら、できあがった玉の「深さ」・陣形の堅さで、「居飛車穴熊」にかなわない、という考えが背景にあります。その考えは理論的で、明解です。

藤井は自らの著書「藤井システム」、毎日コミュニケーションズ、で「藤井システム」を詳しく紹介し、テレビの解説などでもわかりやすく「藤井システム」を説明しています。

「藤井システム」は、確固とした考え・理論を持つ戦法として、プロ棋士の間でも広く認知されています。
「それに比べて、今どきの亜流の振り飛車使いは見ていられない」という思いが藤井にあって、「うなぎ屋のうなぎ」発言になったのだと思われます。 

うなぎを枕にして将棋の世界に引きずり込んでしまいました。  (2007/6)

(4)うなぎの「くりから焼き」

うなぎはうなぎ屋で食べるに限ります。それは重々わかっていますが、何せうなぎ屋のうなぎは値が張ります。そうそう食べられるわけではありません。一年に数回の楽しみに限られます。

それで、リーズナブルな価格で楽しめるファストフード感覚のうなぎ屋の出番が出てきます。東京の神田・新宿などに店舗を持つN亭はその代表です。

ファストフード感覚のうなぎ屋のうなぎとうなぎ屋のうなぎとを比べると、次のようになります:
ファストフード感覚のうなぎ屋のうなぎは、割き・串打ち・焼きともに、仕事の丁寧さはどうしても落ちます。
ファストフード感覚のうなぎ屋のうなぎは客に供されるのが早い傾向があります。
もちろん、ファストフード感覚のうなぎ屋のうなぎの価格はリーズナブルです。

ファストフード感覚のうなぎ屋のうなぎとうなぎ屋のうなぎと、どちらを選ぶかは、時と場合によるでしょう。

さて、東京・自由が丘に、うなぎの一杯呑み屋があります。U形のカウンターに12人ほど止まれば一杯になる小さなお店です。

ここのつまみはうなぎだけです。
最も出るのが、うなぎの身を短冊状に6つか8つに裂き、串にらせん状に巻いて焼く「くりから焼き」です。その名の由来は聞きましたが、忘れました。1本300円ほどだったと記憶しています。
この「くりから焼き」は注文後1分ほどで出てきます。あまり早いので驚きます。おそらく、一度下焼きしておいて、注文後に暖め直す程度の細工をしているのでしょう。「ファストフード」の面目躍如たるものがあります。

味はそこそこで、串に刺してあるので、食べやすさも抜群です。一番人気の所以です。
この「くりから焼き」をぱくつきながら、冷酒をきゅーっとあおり、「ごちそうさんよ」と店を出れば、格好いい江戸っ子になるのですが、その仕草を板につけるのはむつかしいものです。 (2007/7)

(5)「うなぎ百撰」

訪れたうなぎ屋で「うなぎ百撰」というブックレットを手に入れました。横18cm x 縦17cm 、40ページの瀟洒なものです。うなぎにまつわるエッセー、うなぎ料理の紹介、会員のうなぎ屋の紹介など、なかなか読ませる内容となっている。季刊らしい。

会員のうなぎ屋の一覧も載っています。数えると95軒。

東京(35軒)、埼玉(12軒)、静岡(9軒)のお店が多いようです。
神奈川県からはただ2軒。うち、「鰻松」が参加しています。金沢八景にあるこのお店には何度か入ったことがあります。どっしりとした店構え、BGMは日本の筝曲など、成年・老年ばかりの客筋、20分は待つ出来上がり時間、など老舗のうなぎ屋の資格十分です。仕事も丁寧で、うなぎはふんわりと仕上がっています。こちらも老舗のうなぎ屋らしい味です。

95軒のうち、5軒の暖簾をくぐっていることがわかりました。これから、その数を増やしていきたいと思います。 (2007/11)

次の世代に託す・1

2008-07-07 00:27:17 | 現代を生きる
今まで、立ち止まって何か考える時に、いつも仰ぐのは先人の考えであった。
「私のバックボーン」で挙げた、日本人10人、外国人10人は、いずれも19世紀から20世紀にかけて生き抜いてきた、私にとっての「先人」である。

特に、いつまでたっても青臭さの抜けない私は、先人の考えを仰ぐことばかりに熱心であった。
イギリスのオックスフォード、アメリカのパロ・アルト(スタンフォード大学のある町)、ボストン(ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のある町)などを訪れると、いくつになっても胸が高鳴る。これは、青臭さの抜けない表われだ。

だが、60歳代の半ばを迎えて、考え方を変える必要に迫られている。
現代を考え、これからの社会を展望するのは「次の世代」の役割ではないか、と考えるようになったのだ。
そのような「次の世代」を代表する人物を見つけ出す。これはものすごく難しい仕事だ。

最近になって「発見」した金子郁容は50歳代、私にとって「次の世代」の星だ。

現代社会哲学のキー概念に、以下のようなものがある、と指摘した。
「老いの哲学」
「ボランティアの哲学」
「介護の哲学」
「クラブの哲学」
「メディアの哲学」
「ネットワークの哲学」
「地域振興の哲学」
「ブログの哲学」、などなど。

それぞれの分野で思索をめぐらす人を見つけ出し、紹介することがこれからの課題となる。重い課題だが、好奇心のある限り、この課題に取り組んでいきたいと思う。  (つづく。2008/7)