静聴雨読

歴史文化を読み解く

ソローとモリス - 共通する側面

2012-07-09 07:54:21 | ソローとモリス

 

私の歴史文化論の中心に、アメリカのヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau (1817年―1862年)とイギリスのウィリアム・モリス William Morris (1834年―1896年)を置くことは以前述べたが、なぜこの二人なのかについて疑問を抱く向きもあるかもしれない。自らの備忘録を兼ねて、整理してみよう。

数年前、ある人からヘンリー・D・ソローとウィリアム・モリスの共通点は何ですか、という質問を受けたことを思い出す。その時は、まともに答えることができなかった。特に何か共通点を意識してこの二人を取り上げたつもりは当時なかった。

しかし、今冷静に考えると、確かに共通点はある。
以下に、比較項目 : ソロー : モリス : の順に記す。
 創作者の側面 : 詩 : 詩とロマンス :
 思索者の側面 : 日記に結実 : 書簡に結実 :
 翻訳者の側面 : ギリシア・ローマ詩の翻訳 : サガの翻訳 :
 教師の側面 : 熱心な学校教師にして家庭教師 : 社会主義の教導者 :
 旅行家の側面 : コッド岬やメインの森への旅行 : アイスランドへの旅行 :
 自然保護の側面 : 植物相と動物相の観察 : 古建築保存活動 :
 講演者の側面 : コンコードなどにおいて : ロンドンなどにおいて :
 文明への反抗の側面 : 市民的不服従 : 大量生産・大量消費への疑問 :
 実業家の側面 : 家業の鉛筆製造に参画 : モリス商会を経営 :
 技術者の側面 : 測量技師 : 染色・工芸技師 :
 わが国への影響 : 宮沢賢治などに : 柳宗悦などの白樺派に :

このように、様々な側面で、二人は、ともに、検討に値する成果を残している。同時代の多くの大思想家に共通する資質のようにも思われる。

「ヘンリー・D・ソローとウィリアム・モリスの共通点は何ですか?」と質問した人は、続けて、「それは、文明への懐疑、ですか?」と質問してきた。
ああ、今思えば、彼女は答えを知っていたのだ。まさに、十九世紀の歴史文化に楯突いて、自然へ・民衆へ・ユートピアへと思索を紡ぎ続けた点が二人に共通している。

参考文献:
ウォルター・ハーディング『ヘンリー・ソローの日々』(山口晃訳、2005年、日本経済評論社)
名古忠行『ウィリアム・モリス イギリス思想叢書11』(2004年、研究社、*)
 (2006/11)


イギリス民衆文化への共感

2007-12-01 03:30:19 | ソローとモリス
黒田千世子さんの近著「大人のためのやさしい日常英会話事例集50選」、創英社、2007年、を読み終えたところだ。実用英会話の経験豊かな著者の面目躍如だ。

黒田さんには前著「イギリスの丘絵(ヒル・フィギュア)を紹介する本」、講談社出版サービスセンター、2003年、という傑作がある。この本を紹介しよう。

「地上絵」といえば、ペルーの「ナスカの地上絵」が有名だが、「イギリスの丘絵」は地上絵を丘に描いたものといえばわかりやすいかもしれない。イギリス南部のイングランド地方とウェールズ地方の石灰岩地層を有する地帯に点在するという。全部で20余り。その一つ一つを黒田さんは訪ね歩き、出現や制作の由来を土地の人に聞き、記録している。普通の人にはなしえない力業だ。

丘絵の原理は、石灰岩地層の表面の緑の草を剥ぐことによって白い石灰岩が露出することを利用している。写真で見ると、白馬のフィギュアが多いようだ。

誰が、何の目的で、ということが気になるところだ。これだけ大掛かりの絵を描くためには、多くの人の参加があったに違いない。そこに黒田さんは民衆文化の伝統が根付いているのを示唆している。鋭い指摘だと思う。

黒田さんは、土地の人へのヒアリングで、民衆と領主との複雑な葛藤と協力の関係があったことを探り出している。

描かれた白馬などが表徴するものは何か、キリスト教との係わりは合いどうか、土俗信仰の表れではないのか、など興味はつきない。
現代的な関心からいえば、緑の草を剥ぐことは自然保護に反しないか、という疑問もあろう。

ローズマリ・サトクリフに「ケルトの白馬」、2000年、ほるぷ出版、というロマンスがある。バークシャー地方のアフィントンにある丘絵の生成の由来を題材にしたロマンスだ。丘絵はイギリスの人々の想像力を掻き立てる独特の存在であることがわかる。

黒田さんは、ホームページ「イギリスの丘絵」 http://homepage3.nifty.com/okae/ を公開して、丘絵の普及・紹介に努めている。

黒田千世子さんの著作:
「ゴグ・マゴグ:英国の伝説と歴史の接点を求めて」、1994年、近代文芸社
「旅先で出会う 英語の掲示(イギリス編)」、 2000年、創英社
「イギリスの丘絵(ヒル・フィギュア)を紹介する本」、2003年、講談社出版サービスセンター
「大人のためのやさしい日常英会話事例集50選」、2007年、創英社

これらは、例えば、アマゾンで、新刊か古本で求めることができる。私も、このようにして手に入れた。  (2007/12)

Henry D. Thoreau and William Morris:Common Factors

2006-11-19 04:50:16 | ソローとモリス
I stated in my previous column that my discussions on civilization are composed of Henry D. Thoreau (1817-1862) and William Morris (1834-1896). Some of my readers may be suspicious of selection of these two thinkers. I would like to explain the reasons to the readers as well as for my memos.

Several years ago, I was asked by a woman “ What are common between Henry D. Thoreau and William Morris ?” I could not answer properly at that time. I did not intend to adopt these two for their common factors.

However, once I become cooler, there are common factors between these two in several ways.
Followings are comparison items : the case of Thoreau : the case of Morris :

Composer : Poems : Poems and romances :
Thinker : Resulted in journals : Resulted in correspondences :
Translator : Translation of Greek and Roman poems : Translation of Saga :
Teacher : Enthusiastic school teacher and home teacher : Teacher in socialism :
Traveler : Travel to Cape Cod and Main wood : Travel to Iceland :
Preserver : Observation of flora and fauna : Preservation of ancient architecture :
Speaker : In Concord and other cities : In London and other cities :
Rebel against civilization : Civil Disobedience : Doubt on mass production and mass consumption
Entrepreneur : Co-manager of a pencil manufacturer : Manager of Morris and Co. :
Engineer : Surveyor : Engineer in dyeing and craft :
Influence onto Japan : On Kenji Miyazawa : On Muneyosi Yanagi and Shirakaba school:

As stated above, these two thinkers have left us fruits valuable for further inspection, which might be common within great contemporary thinkers .

The woman who asked me “ What are common between Henry D. Thoreau and William Morris ?”successively asked me “Is it a rebel to vilization ? ”
Ah, she had a right answer for her first question. Rebelling to nineteenth century civilization, they were spinning thought for nature, for people and for Utopia.   (November, 2006)

日本ソロー学会の全国大会

2006-10-17 07:18:00 | ソローとモリス
アメリカのヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau (1817年―1862年)はわが国でも根強い人気があり、小さいが学会まである。会員は百数十名で、そのうち、アクティヴな会員が60名程度というところだ。この種の学会としては質が高く、年1回の全国大会のほか、年1回研究誌も発行している。

私はノンアクティヴな会員であるが、今年は全国大会に参加して、いろいろ刺激を受けてきた。

アジェンダは大きく分けて3つあった。それぞれについて感想を記す。

1.シンポジウム「ソローと女性作家たち」
  4人の発表者が、女性作家(チャイルド、アニー・ディラード、モリスン、女性ネイチャー・ライター)に見られるソロー的要素などについて発表した。
  私としては、ソローの女性観・家族観について知りたい。特に、母・伯母・妹とソローとが互いに影響しあっている姿を知りたい、という願望がある。ソローは終身独身であったが、伯母や妹も独身であった。それが、ソローの女性観・家族観にどう影響したか、知りたいところである。
 若い発表者のプレゼンテーションのうまさ(声がはっきりしている・引用の作法が明快である、など)が目についた。

2.研究発表2件
  2件のうち、ソローの著作における「散文的詩と詩的散文」を探求した山本洋平氏のものが興味深かった。
  ソローが生前に出版した「コンコード川とメリマック川の一週間」と「ウォールデン」はともに、極めて詩的な散文として知られている。詩と散文の混交・融合がどのようにして成立したか、また、(若くはあるが)晩年まで、ソローが詩心を保った秘訣は何か、という探求をこの発表は誘起する。

3.講演「ソローは『畏敬の念』を抱いたか」
  朝日新聞の宗教担当記者だった人の講演で、大変面白かった。「畏敬の念」はキリスト教、ユダヤ教などで見られるもの(「神を畏れよ!」)で、仏教ではあり得ない観念だというのは勉強になった。ソローは無宗教でキリスト教会に行くことはなかった一方で、サンスクリットなどに親しんでいたことは示唆的だ。

2007年の全国大会は、10月12日(金)に広島で開催される予定。  (2006年10月)