ベルト・モリゾ Berthe Morisot は印象派の女性画家である。「印象派」と「女性画家」という二つのキーワードがこの画家のすべてを表している。
初めて彼女の名を知ったのは何を介してだったか、はっきりとした記憶がない。
長谷川智恵子『世界美術館めぐりの旅』(求龍堂)(*)のマルモッタン美術館の項で知ったのかもしれない。パリ16区にあるこの美術館は、モネのコレクションとともにモリゾのコレクションでも有名だ、と紹介されていたのではなかったか?
1995年にアメリカ・ボストンからフランス・パリに回る機会があった。ちょうど、ボストン美術館でモネの特集にぶつかり、パリのマルモッタン美術館でもモネを見てみたいと考えた。
パリ16区は高級住宅街として知られている。マルモッタン美術館は高級アパルトマンの一角を占めていた。そこでモネに満腹するとともに、モリゾの艶々と輝かしい作品群に出くわした。予期せぬ発見だった。マネのようであり、ドガのようでもあり、ルノワールの趣きも持つこの画家の絵は確かに「印象派」そのものだった。
日本に帰り、『新潮世界美術辞典』で「ベルト・モリゾ」の項を当たると、十数行の解説があった。そこで、モリゾの結婚相手がマネの弟であることを知った。生活面でも、印象派と強くつながっているのがわかった。
その後、外国のどこかで、
Stucky & Scott ”Berthe Morisot – Impressionist”, Hudson Hills Press, New York, 1987
という画集を入手した。以上がモリゾとの係わりのすべてだった。
近年になり、ベルト・モリゾの話題がわが国の美術界をにぎわすことになった。NHKの「世界美術館紀行」でマルモッタン美術館が採り上げられ、また、マルモッタン美術館展が開催され、この美術館の収蔵品の一方の頭であるモリゾの存在が広く知られるようになった。私はこのいずれも見逃したが、ようやくモリゾがわが国に紹介されたことに満足の念を禁じえなかった。
そして、今年(2006年)になり、日本語による初めてのモノグラフが刊行された。
坂上桂子『ベルト・モリゾ ある女性作家の生きた近代』、小学館
ブルジョワジーの家庭の女性として生を享け、当時としては珍しいプロの女性画家として頭角を現すベルト・モリゾの姿が女性らしい筆致で描かれている。また、モリゾが印象派の活動の中心であったことが跡付けられている。1875年の競売会では、モリゾの作品が平均250フランで売れたのに比べ、モネの作品は平均233フラン、ルノワールの作品は平均100フラン以下だったということが紹介されている。まさに、モリゾは絵の実力の面でも、また、印象派の運営面でも、中心的役割を担っていたことがわかる。
20世紀になり、モリゾは後景に退き、代わって、マネ・ドガ・モネ・ルノワール・セザンヌが風靡したが、ここに来て再びモリゾが脚光を浴びようとしている。
今年から刊行の始まった小学館版『西洋絵画の巨匠』のシリーズの一冊としてベルト・モリゾが割り当てられている。モリゾの正しい位置づけと評価がまさに始まったといえるだろう。注目していきたいと思う。 (2006/3-4)
小学館版『西洋絵画の巨匠 ベルト・モリゾ』が、坂上桂子の解説付きで、刊行された。彼女の本当の実力がよくわかる画集だ。 (2006/10)
「クリーブランド美術館展」にベルト・モリゾの「読書、または緑色の日傘」、1873年、が出展されていた。姉エドマを描いた小さな油彩だ。ふんわりとしたタッチのデザインはモリゾの特色を表わしているが、絵から受けるインパクトはやや弱かった。 (2006/11)
初めて彼女の名を知ったのは何を介してだったか、はっきりとした記憶がない。
長谷川智恵子『世界美術館めぐりの旅』(求龍堂)(*)のマルモッタン美術館の項で知ったのかもしれない。パリ16区にあるこの美術館は、モネのコレクションとともにモリゾのコレクションでも有名だ、と紹介されていたのではなかったか?
1995年にアメリカ・ボストンからフランス・パリに回る機会があった。ちょうど、ボストン美術館でモネの特集にぶつかり、パリのマルモッタン美術館でもモネを見てみたいと考えた。
パリ16区は高級住宅街として知られている。マルモッタン美術館は高級アパルトマンの一角を占めていた。そこでモネに満腹するとともに、モリゾの艶々と輝かしい作品群に出くわした。予期せぬ発見だった。マネのようであり、ドガのようでもあり、ルノワールの趣きも持つこの画家の絵は確かに「印象派」そのものだった。
日本に帰り、『新潮世界美術辞典』で「ベルト・モリゾ」の項を当たると、十数行の解説があった。そこで、モリゾの結婚相手がマネの弟であることを知った。生活面でも、印象派と強くつながっているのがわかった。
その後、外国のどこかで、
Stucky & Scott ”Berthe Morisot – Impressionist”, Hudson Hills Press, New York, 1987
という画集を入手した。以上がモリゾとの係わりのすべてだった。
近年になり、ベルト・モリゾの話題がわが国の美術界をにぎわすことになった。NHKの「世界美術館紀行」でマルモッタン美術館が採り上げられ、また、マルモッタン美術館展が開催され、この美術館の収蔵品の一方の頭であるモリゾの存在が広く知られるようになった。私はこのいずれも見逃したが、ようやくモリゾがわが国に紹介されたことに満足の念を禁じえなかった。
そして、今年(2006年)になり、日本語による初めてのモノグラフが刊行された。
坂上桂子『ベルト・モリゾ ある女性作家の生きた近代』、小学館
ブルジョワジーの家庭の女性として生を享け、当時としては珍しいプロの女性画家として頭角を現すベルト・モリゾの姿が女性らしい筆致で描かれている。また、モリゾが印象派の活動の中心であったことが跡付けられている。1875年の競売会では、モリゾの作品が平均250フランで売れたのに比べ、モネの作品は平均233フラン、ルノワールの作品は平均100フラン以下だったということが紹介されている。まさに、モリゾは絵の実力の面でも、また、印象派の運営面でも、中心的役割を担っていたことがわかる。
20世紀になり、モリゾは後景に退き、代わって、マネ・ドガ・モネ・ルノワール・セザンヌが風靡したが、ここに来て再びモリゾが脚光を浴びようとしている。
今年から刊行の始まった小学館版『西洋絵画の巨匠』のシリーズの一冊としてベルト・モリゾが割り当てられている。モリゾの正しい位置づけと評価がまさに始まったといえるだろう。注目していきたいと思う。 (2006/3-4)
小学館版『西洋絵画の巨匠 ベルト・モリゾ』が、坂上桂子の解説付きで、刊行された。彼女の本当の実力がよくわかる画集だ。 (2006/10)
「クリーブランド美術館展」にベルト・モリゾの「読書、または緑色の日傘」、1873年、が出展されていた。姉エドマを描いた小さな油彩だ。ふんわりとしたタッチのデザインはモリゾの特色を表わしているが、絵から受けるインパクトはやや弱かった。 (2006/11)