3月11日の東日本大震災の直後から、被災地の人たちを助けようという機運が一気に盛り上がった。ボランティア活動という人的支援と「義捐金」という経済的支援だ。
被災の規模が甚大で広域にわたっているため、救援活動も難航をきわめた。そこへボランティアとして入ろうとするのも容易でなかったようだ。足(移動手段)・食・水・宿泊はボランティアが自前で確保しなければならない。それを知って、「これでは、登山家でなければ、ボランティア活動に参加できないな。」と思った。67歳の男性が、その体験を、4月13日の朝日新聞朝刊「声」欄に寄せている。「床上浸水家屋から家財を運び出し、泥を除去する作業で、とにかく重労働でした。」同世代の私には到底勤まらないと悟った。
ボランティア活動でお役に立てないならば、義捐金を拠出するというのはいかがか。
これまで、私は義捐金に熱心になったことがなかった。拠出した金が日本赤十字社などに渡るまでは把握できても、その先、どのような最終受益者に渡るのかがまったくつかめないのが、不熱心になる原因だ。
今回も、東日本大震災の被災者に義捐金を拠出することに心が回らなかった。
そこに、私の加盟している「スーパー源氏」から、宮城県気仙沼市にある「スーパー源氏」加盟店が津波に店をもっていかれ、家族にも亡くなった方がいるという一報が入った。
それを聞いて、この店に義捐金を送ることにし、翌日にそれを実行した。
ゆくゆくは、津波に流された在庫の復旧のため、手持ちの古本を贈ろうかと考えている。「義捐金」ならぬ「義捐本」になるけれども。
同業の古書店には、是非立ち直ってほしいと思う。 (2011/4)