静聴雨読

歴史文化を読み解く

明治26年と平成20年

2010-12-21 07:39:26 | 現代を生きる

(1)北村透谷

私は滅多に元号を使わないが、あえて使えば、明治26年(1893年)2月、詩人・北村透谷は、「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表した。今風に翻訳すれば、「生きるとはどういうことか?」といったところだろうか。時に、透谷24歳2ヶ月。

その中で、透谷は、山路愛山などの歴史家が主張する「世の役に立つことこそが生きる意義だ。」という説に反駁して、例えば、文学を発表することも生きることだし、日々生活することだって生きがいのあることだと、主張している。

透谷は、その時までに、すでに『楚囚之詩』(明治22年)や『蓬莱曲』(明治24年)などの詩を発表していたし、一方、石坂ミナへの崇拝ぶりが新しい近代人の人間関係だと評されてもいた。透谷にとって、社会的効用一辺倒の考え方は息苦しいものと映っていただろう。

「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表したすぐ後に、人生に煩悶した末に、透谷は自殺を企てる(明治26年12月)。
未遂に終わったものの、翌明治27年(1894年)5月再び自殺を企て、果てた。25歳4ヶ月の命だった。

この明治27年(1894年)の8月に日本は日清戦争を始めている。時代は「効率」という歯車によって回るようになった。透谷の自殺は日清戦争前夜を象徴する出来事となった。  

(2)藤村 操

明治27年(1894年)-明治28年(1895年)の日清戦争に勝利した日本は、未曾有の戦勝景気に沸き、急激に近代国家への道を歩み始めた。「戦後経営」期と呼ばれる時期である。明治30年(1897年)官営八幡製鉄所が設立され、明治34年(1901年)には、操業を開始した。日本資本主義の確立の画期となる出来事である。

そんな中、ある一高生が日光の華厳の滝で自殺を遂げた事件が報道された。明治36年(1903年)5月のこと。

藤村 操、満16歳10ヶ月。

気になって、インターネットで少し調べた。

彼は、滝の近くの楢の木を削り、「巌頭之感」と題する辞世の文を残したらしい。
もう著作権は消滅しているだろうから、その全文を書き写してみる。

「巌頭之感
悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く「不可解」。我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。」

彼は生きることの道理を誰も教えてはくれない、といって生を絶ったのだが、エリートの一高生の自殺に世は騒然としたという。一高教授だった夏目漱石は藤村 操の自殺を聞いてうろたえたという。

今振り返ってみると、ある奇妙な事実に突き当たる。

彼が「巌頭之感」を記すために削った楢の木の表面積は縦200cm、横50cmほどの大きさだ。
これだけの表面積を準備して、「巌頭之感」を書くか彫るか(どちらか確定できないが)するには一日や二日では足りず、相当の日数をかけたに違いないのだ。

ここに、いかにも一高生らしい自己顕示欲が表われていないだろうか?  
藤村 操の自殺は日露戦争(明治37年=1904年=開始)前夜を象徴する出来事となった。

(3)「アキバ男」

明治26年(1893年)、北村透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表し、「効率」一辺倒でない生き方を提起した。
また、明治36年(1903年)、藤村 操は「生きることの道理を誰も教えてはくれない」と不満を訴えた。

ともに、人生に煩悶した末に、自殺を選んだ。

さて、ひるがえって、平成20年(2008年)の現在、人は生きることの意味を見出しているだろうか?

東京・秋葉原の歩道に車を突っ込み、その後、刃物で通行人に切りつける事件を引き起こした「アキバ男」は、彼なりの人生への煩悶ぶりを見せていたらしい。

進学校の高校に入るも、勉強をしようとしなかった。
進路を、好きな自動車に関わることに決めて、自動車整備の短期大学に入るも、卒業までに、誰もが取得する「自動車整備士」の資格さえ取らなかった。
自動車部品工場で派遣工として働くも、「世間はオレを評価していない」と鬱屈する。

「アキバ男」はこの鬱屈をケイタイの「ブログ」に披露する。このブログを読んだ誰かが自分の暴走を止めてくれるのではないか? ところが、たまに、そのブログに反応があると、彼はたちまち反発し、再び自らの殻に閉じこもったという。彼は秋葉原の事件を引き起こす直前まで、出口のないブログへの書き込みを続けていた。

ブログへの書き込みには自己顕示の要素がある。ちょうど、華厳の滝の傍らの楢の木に「巌頭之感」を記すのと同じ自己顕示である。

「アキバ男」を特徴づける「派遣工」と「ブログ」はまさに現代の象徴だ。生きる悩みの発生する場所とその悩みを披露する場所。彼は、その意味で、現代の悩める人間の象徴だといえるかもしれない。

北村透谷や藤村 操はその悩みを自殺で終結させたのだが、「アキバ男」は少し違う。違いは「他人を道連れにして、破滅しよう。」 ああ、何という錯乱だろう。 (2008/7-9)

「アキバ男」と同様に、自らの生きる意味を喪失し、しかし、自殺する勇気を持たない人間が引き起こす事件が後を絶たない。常磐線・荒川沖駅頭で刃物をふりかざして通行人を殺傷した男、常磐線・松戸駅前のバス内で刃物をふりかざして乗客に襲い掛かった男。
いずれも、「襲う対象は誰でもよかった。」と言っているらしい。

現代は、自殺者の多さが目を引くが、ここには、自殺さえもできない「自殺予備軍」が控えていることが顕在化している。 (2010/12)


ネットワークの力

2008-09-15 20:59:38 | 現代を生きる
風邪をひき元気の出ないまま、テレビのスイッチをつけると、国会中継を実況していた。これが意外に面白く、ひきずられて見てしまった。参議院の予算委員会だ。

質問者は野党(民主党・新緑風会・日本)の桜井充氏。福島県の選出。医師の経験があるそうで、小泉内閣・安倍内閣と続いた構造改革・格差是認政策を追求するには格好の質問者だ。

格差問題が今国会の重要テーマに浮上してきて、桜井氏の切り口を注目したが、社会保障制度と郵政民営化に焦点を当てたのは妥当なところだ。

いろいろ勉強になることがあった。
医師の不足、とりわけ、産婦人科医と小児科医の不足がいわれて久しいが、この現象が際立って現われるのが、地方の地域であること。ここでも格差が如実に現われること。舛添厚生労働大臣が丁寧に答弁していたが、中でも目立ったのが、大規模病院に過度に依存することが危険であるという指摘だ。地域ごとにしっかりしたクリニック(産婦人科医クリニックと小児科医クリニック)を根付かせることこそが重要だということ。この点については、質問者と政府答弁が合致したように感じた。

そう、地域ごとにしっかりしたクリニックがあって初めて医療システムが機能することを改めて肝に銘ずるべきだ。
その上で、地域ごとのクリニック相互を結ぶネットワークがあり、さらにそれらを補完する高度医療機関がある、というかたちが、スマートで経費の少ない解決方法だといえる。

実は、地域ごとのしっかりした拠点という考え方は、医療にとどまらず、介護においても、教育においても、当てはまる考え方であり、この考え方こそが、「地方再生」だとか「地域格差の是正」だとかいう政策の決め手だと思う。そして、その中核となる裏方こそが「ネットワーク」なのだ。

(2)

医療にとどまらず、介護においても、教育においても、地域ごとのしっかりした拠点という考え方が、「地方再生」だとか「地域格差の是正」だとかいう政策の決め手で、その中核となる裏方こそが「ネットワーク」なのだ、と前回結んだ。

今回はそれを詳しく述べよう。
地域ごとに医療・介護・教育の需要はあるが、通常、その需要は大都市に比べて小さい。そのため、「効率が悪い」・「不採算だ」として、地域の医療・介護・教育に携わる人間・機関が減少するというのが基本構図だ。小泉内閣・安倍内閣と続いた構造改革・格差是認政策のもたらした帰結だ。

いい知恵はないものか?
地域ごとに医療・介護・教育に携わる人たちと機関に、まず、踏ん張ってもらえるような行政の手当てが必要だ。地域の医療・介護・教育に、大掛かりな設備を投資することは経済効率上難しい。その代わり、地域ごとに医療・介護・教育に携わる人たちと機関に最小限の財政支援をするよう地域行政組織に期待したい。

地域の医療・介護・教育に携わる機関は、大掛かりな仕事はできないかもしれない。しかし、そこに働く人たちのノウハウは高い水準を保っている可能性がある。その可能性を引き出すのが、地域の医療・介護・教育に携わる機関同士の連携だと思う。得意な分野・深い経験を互いに交換し合えるような連携の輪を作り出すことで、個々人や個々の機関に埋もれていたノウハウを最大限に活用することができる。これが、「ネットワーク」という考え方だ。

「ネットワーク」には、地域の医療・介護・教育に携わる機関同士のもののほかに、地域の医療・介護・教育に携わる機関と大規模な医療・介護・教育機関とのあいだのものがあり、こちらのネットワークの整備も並行して進めるべきことは論を俟たない。 

(3)

「ネットワーク」はIT用語でもある。

情報システムの発達の歴史は、バッチ処理システム→オンライン・システム→ネットワーク・システムとたどることができるのは周知の事実だ。

「オンライン・システム」の基本形態は、1つのホスト・コンピュータに多くの端末機器がぶら下がるというピラミッド型だ。全体を統制するのが「ホスト・コンピュータ」で、ほかの端末機器はホスト・コンピュータの指示するままに動作する。このシステムは別名「ホスト・スレーブ・システム」といわれるように、「ホスト」が「スレーブ(奴隷)=端末機器」を完全に支配するのが特徴だ。

はて、待てよ? と思う方もおられるだろう。
従来の国と地方との関係がまさに「オンライン・システム」の形態だったのである。国が「補助金」というエサで地方を実質上支配する構図が長いあいだ続いてきたのだ。

これに異を唱えたのが、宮城県・高知県・三重県・鳥取県・長野県などの知事たちで、国のひも付きでない「地方分権」を提唱した。
これに対して、国は、「補助金」を削減した上で、地方に「自由にしなさい」と引導を渡したのである。財力のある・なし、知恵のある・なしがモロに県や市町村の浮沈を左右するようになったのが、小泉内閣の「三位一体改革」であった。

ここで地方がひるんではならない。ここで、もう一度、情報システムの発達の歴史からの類推を進めてみよう。

(4)

情報システムはオンライン・システムからネットワーク・システムへと進化した。
「ネットワーク・システム」は情報システムの中核にネットワークがあり、そのネットワークにあらゆるものが参加するシステム形態だ。「あらゆるもの」の中には、巨大なメール・サーバやデータベース・サーバと並んで、個人のPC群もあるのが特徴的だ。また、あらゆるものが「参加する」ということばが表わすように、例えば、巨大なサーバと個人のPCとの間に上下関係はなく、それぞれが対等な立場でネットワークに参加し・ネットワークを利用する考え方が根底にある。

昔のオンライン・システムが「ホスト・スレーブ・システム」と呼ばれたのに対し、ネットワーク・システムは「クライアント・サーバ・システム」とも呼ばれるように、個人のPCなどの「クライアント(顧客)」とショッピング・モールなどの「サーバ」がネットワークを介してつながっているのが特徴だ。その中にあって、ネットワークそのものは透明であることが求められる。

さて、ネットワークがあると、地方自治で何ができるようになるか、が問題だ。

まず、地域の医療・介護・教育に携わる機関同士の連携が可能になる。得意な分野・深い経験を互いに交換し合えるような連携の輪を作り出すことで、個々人や個々の機関に埋もれていたノウハウを最大限に活用することができる。医療でいえば、例えば、症例の照会や空きベッドの照会などがスムーズに行えるようになる。

次に、地域の医療・介護・教育に携わる機関と大規模な医療・介護・教育機関とのあいだの連携が可能になる。医療でいえば、例えば、カルテの電子的共有ができれば、A地の大規模な医療・機関の専門医がB地の患者を診ることができるようになる。また、教育でいえば、遠隔教育設備があれば、A地の大学の高度な教育内容をB地の学生が享受できるようになる。

このように、ネットワークがあれば、財政状態の貧弱な地域でも、大きな負担なしに、地域だけでは受けられないような高度で先進的なサービスを受けられる可能性があるのだ。ネットワークこそ、現代のインフラストラクチャであるといってよい。 

(5)

と、ここまで書いたところで、古本屋で、金子郁容『ネットワーキングへの招待』、1986年、中公新書、を手に入れた。20年前の著作だが、そこには、ここまで考えてきた「ネットワークの力」と相通ずる議論が展開されていて、興味深かった。

金子の言説の趣旨を我流で要約すると;
① 人と人、機械と機械を結びつけて、新しい価値を創造しようとするのがネットワーキングの考え方である。
② ネットワークを活性化するのは、そこに参加する「自律的人間」である。「自律的人間」は互いに主張し、時には論争して、何らかの共通の目的を達成しようとする意思がある。
③ 「自律的人間」相互に上下関係は存在しない。
④ ネットワークそのものは中立的で裏方である。

さて、インフラストラクチャ(社会基盤)の議論に戻ろう。
インフラストラクチャは、文字通り、社会の活力の基盤となるものだ。道路・河川・鉄道などの交通インフラ、電力・ガス・水道などの生活インフラ、郵便・電話などの通信インフラなどが数えられる。ネットワークはIT時代の通信インフラとして不可欠のものとなった。

しばらく、通信インフラの一つである「郵便局ネットワーク」について考えてみよう。さきにふれた参議院の予算委員会に質疑では、「郵政民営化」で何が変わったかの議論があった。

桜井氏の指摘したのは、①手数料が値上げになった。②1万9千局あった特定郵便局が400局も休止に追い込まれた。局と局員が「老朽化」して、新しい設備・新しいサービスに追いつけなくなったのが原因らしい。③集配局の統廃合が進み、100局が集配を取りやめた。それで、年間400億円の経費削減ができるという。その結果、廃止された集配局の近隣の人たちへの郵便配達サービスが悪くなるのは子供でもわかることだ。

「郵政民営化」で、経営の効率化とサービスの低下が並行して起こっていることに、総務省も「日本郵政グループ」も真っ向から答えられないのだ。
それはなぜかといえば、「郵政民営化」で新しいサービスを提供できるようになると謳いながら、その新サービスを提示できていないからだ。

郵便局は全国で2万4千局あるという。そのうち、1万9千局が特定郵便局で、そのうち400局が休止に追い込まれたのだ。「郵便局ネットワーク」の価値が損なわれる事態になっているといえる。1万9千局の特定郵便局は、いわば「不採算拠点」の典型のように扱われている。1局の廃止は1局分の不採算の解消に役立つかもしれないが、それ以上に「郵便局ネットワーク」の価値の損耗をもたらすことを考えるべきだ。 

(6)

「郵便局ネットワーク」の価値を維持するためには、特定郵便局の不採算を解消するか・赤字を減らすかの手立てが必要だ。ここに知恵が必要だ。

例えば、「産直販売」への進出などはどうだろう。
全国、どこの村でも、どこの港町でも、自慢できる産品を持っているものだ。これを、「郵便局ネットワーク」に乗せて、販売することを考えてみたらどうだろう。

その際、必要なものは、①自慢できる「産直品」、②それをPRできるインターネット・ショッピング・モール、③産品を出荷する物流網、④そして、少しばかりの頭脳だ。

インターネット・ショッピング・モールはヤフーか楽天の軒先を借りればすむことだ。

物流網こそ、「郵便局ネットワーク」がフルに活躍できる場ではなかろうか。例えば、1日の出荷個数200個の「産直品」を持つ村や港町の特定郵便局の「ゆうパック」の集荷量が200増えるということだ。この200個という数が特定郵便局にどれだけインパクトがあるかわからないが、少なくない数であることは間違いないだろう。何よりもいいことは、この「産直品販売」はどのように小さな村や港町でも始められることだ。

ここで、「産直品」だけを扱う「産直メール」を、「ゆうパック(郵便小包)」「ゆうメール(冊子小包)」と並ぶ第三の郵便商品とすることを併せて提案しておこう。
「産直メール」は、全国一律どこへでも500円、大きさは80サイズ(縦・横・高さの合計が80cm)まで、商品の価格は上限5000円、として、「ゆうパック(郵便小包)」との差別化を図る。
何よりも、特定郵便局の集荷の荷扱いが多くなるのが魅力的だ。配達よりも集荷を増やす知恵こそが、特定郵便局の生き残る道だ、と思う。

「郵便局ネットワーク」はわが国の誇る通信インフラであり、「民営化」を契機に、インターネットなどのITネットワークを十分に活用しながら、新しいビジネス・新しいサービスを展開する礎となるものだということを再認識したいものだ。  (2007/10)


次の世代に託す・1

2008-07-07 00:27:17 | 現代を生きる
今まで、立ち止まって何か考える時に、いつも仰ぐのは先人の考えであった。
「私のバックボーン」で挙げた、日本人10人、外国人10人は、いずれも19世紀から20世紀にかけて生き抜いてきた、私にとっての「先人」である。

特に、いつまでたっても青臭さの抜けない私は、先人の考えを仰ぐことばかりに熱心であった。
イギリスのオックスフォード、アメリカのパロ・アルト(スタンフォード大学のある町)、ボストン(ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のある町)などを訪れると、いくつになっても胸が高鳴る。これは、青臭さの抜けない表われだ。

だが、60歳代の半ばを迎えて、考え方を変える必要に迫られている。
現代を考え、これからの社会を展望するのは「次の世代」の役割ではないか、と考えるようになったのだ。
そのような「次の世代」を代表する人物を見つけ出す。これはものすごく難しい仕事だ。

最近になって「発見」した金子郁容は50歳代、私にとって「次の世代」の星だ。

現代社会哲学のキー概念に、以下のようなものがある、と指摘した。
「老いの哲学」
「ボランティアの哲学」
「介護の哲学」
「クラブの哲学」
「メディアの哲学」
「ネットワークの哲学」
「地域振興の哲学」
「ブログの哲学」、などなど。

それぞれの分野で思索をめぐらす人を見つけ出し、紹介することがこれからの課題となる。重い課題だが、好奇心のある限り、この課題に取り組んでいきたいと思う。  (つづく。2008/7)


様々な社会・様々な哲学・2

2008-01-18 04:20:17 | 現代を生きる
最近、感銘を受けたのが金子郁容の次の2つの著作だ。
「ネットワーキングへの招待」、1986年、中公新書
「ボランティア もう一つの情報社会」、1992年、岩波新書

いずれも、古い著作で、新書判の手軽な本だが、これらの中に、私の考えていることと響きあう点が多々ある。

金子は、米国で研究と教職に携わり、帰国後、一橋大学と慶応大学で教鞭をとっている。慶応義塾の幼稚舎の校長もしていたはずだ。現在もそうかは知らない。もともとは情報理論などを研究テーマとしていたようだが、それを踏み台にして、そこからはみ出て、現代社会の哲学を語っている、と私は理解した。

前に挙げたキー概念のうち、「ボランティアの哲学」・「介護の哲学」・「ネットワークの哲学」などは、正に、金子の扱うテーマと共通している。

現代は「共生の時代」だ。ボランティア活動を行う人とそれを受け入れる人との共生、介護を受ける人と介護をする人との共生、など、互いに相手を必要とするような関係を築くことが必須となっている。
金子のひそみに倣えば、このような共生の関係を築き上げるのに「ネットワーク」が使える。ネットワークはいわば透明な媒体であって、そこにつながる人の上下・貧富などを識別しないという特徴がある。今はやりのことばを借用すれば、「格差」を意識しない透明な関係を築くのにネットワークは貢献している。

さて、もう一人、哲学者・和辻哲郎を思い出す。彼の著書に「人間の学としての倫理学」というのがある。1937年に岩波全書の一冊として公刊された。「人間」は「じんかん」と読む。つまり、人と人との間の関係を考えるのが倫理学だと和辻はいっている。英語に直せば、 Ethics as Human Communication とでもいおうか。現代では、倫理学は「哲学」と言い換えたほうがわかりやすいだろう。

金子郁容と和辻哲郎とから導かれるのは、現代の哲学とは、非常に身近な人と人との間の関係を考えるものであり、図らずも和辻が指摘したように、現代の哲学は倫理学と極めて隣接しているといえる。 (つづく。2008/1)

様々な社会・様々な哲学・1

2008-01-05 08:37:47 | 現代を生きる
60歳台の半ばを迎えて、考える対象が変わってきて、その一つが、この歳になって、何に生きがいを見つけるか、であることを述べた。

考えることの二つ目は:
「すべての生き物に精霊が宿る」というのはアニミズムの思想だが、同じように、「すべての社会・すべての生活に哲学がある」、という考えが沸沸と湧いてきているのだ。

このことを具体的に述べてみたい。今までのコラムでも断片的に触れてきたのだが、私のブログのテーマに上ってきたキー概念に、以下のようなものがある。
「老い」
「ボランティア」
「介護」
「クラブ」
「メディア」
「ネットワーク」
「地域振興」
「ブログ」、などなど。

これらのことばに「哲学」ということばを付けても何ら違和感がないことを発見した。
「老いの哲学」
「ボランティアの哲学」
「介護の哲学」
「クラブの哲学」
「メディアの哲学」
「ネットワークの哲学」
「地域振興の哲学」
「ブログの哲学」、などなど。

ここでいう「哲学」とは、難しい概念ではなく、また、実用的なハウツウ的生き方や道徳的な処世訓でもなく、生きる力・勇気を与える力・社会を有機的に組織する力などを指すことばである。  (つづく。2008/1)

老いたる覇権主義(60歳台の半ばで・3)

2007-12-27 08:21:16 | 現代を生きる
「定年後」の人生を、(2.趣味に生きる。)(3.ボランティア活動に参加する。)(4.家族の世話をする。)を組み合わせて設計するとした場合、それまでの人生とは違った心構えが必要になる。

一つの例を挙げる。
勤め先のOBが集まって、中小企業のIT化支援のNPOを立ち上げる、という話が沸き起こったという。大企業に比べ、中小企業はどうしても、資力・能力の面で、IT化に立ち遅れ勝ちである。それを解決するために、大企業のOBが一肌脱いで、非営利組織で、中小企業のIT化支援に乗り出すという。素晴らしい話だ。

だが、そのNPOに、大企業の元役員が大勢、顧問として名を連ねているということを聞いて、首をかしげた。NPOに、大企業のヒエラルヒー(位階主義)を持ち込んでどうしようというのだろう。

「定年後」の人生を生きるにあたって、最も重要なことは、それまでのヒエラルヒーをひきずらないことではなかろうか。これは、それまで、特に高い地位にあったものにとっては、難しい要求となる。どうしても、昔の覇権を捨てきれないのだ。それが、NPOの活動、NGOの活動、広く、ボランティア活動にまで浸透して、あたかもそれまでの人生(仕事に生きる)をなぞるようなことになるのだ。これを「老いたる覇権主義」と呼びたい。「老いたる覇権主義」を脱却することを、「定年後」の人生の最大の心構えとしたい。

以上に少し関係することだが、「忙しくしない。また、忙しく見せない。」ことも、心構えの一つとして付け加えたい。忙しくしていると、なんとなく自分に満足するが、周りの人から見ると、その人が忙しいのか、忙しくないのかは、どうでもいいことだ。その人が、(2.趣味に生きる。)(3.ボランティア活動に参加する。)(4.家族の世話をする。)に満足していれば、それでいいのだ、と思う。忙しいことを人に見せる、つまり、「忙しい、忙しい」と吹聴するのは、もう一つの「老いたる覇権主義」の表れといえないだろうか?

少し硬いコラムになってしまった。
なお、ここでいったのは、仕事を退役して、「定年後」の人生を送っている人間の心構えであって、なお現役の仕事人にはあてはまらないことを改めてお断りしておきたい。 (終わる。2007/12)

「便利屋」礼賛(60歳台の半ばで・続)

2007-12-15 07:26:32 | 現代を生きる
「定年後」に何をするか? 大きく分けて、4つある。
1.別の仕事に就く。
2.趣味に生きる。
3.ボランティア活動に参加する。
4.家族の世話をする。

この4つの活動をどう組み合わせて「定年後」の人生設計を行うか? 
私の場合は、今のところ、(2.趣味に生きる)と(4.家族の世話をする)の組み合わせで過ごしている。

趣味の中には、19世紀歴史文化の研究、ブログ「歴史文化を読み解く」の運営、ホームページ「BIBLOSの本棚」の運営、将棋、などがある。
家族の世話とは母の世話のことだ。

今のところ、以上の活動で一杯で、(3.ボランティア活動に参加する)には目が向かない。しかし、ボランティア活動に興味がないわけではない。

私の考えるボランティア活動はあまり高尚なものではなく、自分の得意とすること、を提供することがボランティア活動だと思っている。

今の世の中は、物やサービスがあふれていて、便利になっている。
一方、誰でも経験していることだが、あふれている物やサービスを使い切っているかというと、そうではない。使い方がわからない物やサービス、故障したままの物、仕様通りに動かないサービスが至るところにあるというのが現実だ。とくに、お年寄りの世帯でこの傾向が著しい。

試みに近くのお年寄りの世帯で尋ねてみるといい。
「天井の蛍光灯が切れたまま」、「洗濯機の水もれが止まらない」、「留守電のメッセージの吹き込み方がわからない」、「クローゼットの入口に段ボール箱を積んでしまったために、クローゼットに入れない」、「タンスのレイアウトを変えたいが、重くて動かない」、「Outlook Express の『連絡先』からメールアドレスを拾う方法がわからない」、などなどの答えが返ってくるはずだ。枚挙にいとまがないほどだ。

一件一件の悩みを分析すると、なるほど、とうなずく。少しの知識・ノウハウ・体力・マニュアルの読解力があれば解決する悩みばかりだ。この悩みを解決するのが「便利屋」の仕事だ。ただし、世間の「便利屋」には問題がある。頼むと高いのだ。「蛍光灯の取替えに5,000円」「家具のレイアウト変更に10,000円」では、うかつに頼めないではないか。

ここに、ボランティアの出番があるのではないだろうか。つまり、自分の得意とする作業を進んで提供して相手に喜んでもらう、という考え方だ。
現代はIT社会で、その中で、いわゆる「情報弱者」といわれる、ITに強くない人たちが孤立しがちだ。一方、退役したIT経験者が数多くいる。この「情報弱者」とIT経験者との出会いがうまくいけば、世の中が格段に明るくなる、というのが私の明るい展望だ。

「便利屋」は商売にもなっているが、ボランティア活動の対象としても最適である。悩みが一つ解決するたびに、お客様(ボランティア活動を受ける人)の喜びが伝わってくるのだから。「便利屋」礼賛の所以だ。  (つづく。2007/12)


「利用者」ということばの響き

2007-12-13 03:58:13 | 現代を生きる
介護という体系、あるいは、介護システムは、介護保険制度に則って運用されています。介護保険制度は生まれてまだ日の浅い制度なので、いろいろと未熟なところがあります。その一例が、名前です。

介護をする側は、ケア・マネージャー、訪問介護士(ホーム・ヘルパー)、訪問看護師、などの名前がついています。

一方、介護を受ける側は何と呼ばれているか?
役所から、「あなたは『要介護2』に認定されました」という類の通知が来ます。すると、私は「要介護者」なのか、というわけです。介護保険という制度の利用者は、行政上は、「要介護者」です。しかし、誰も、自分のことを「要介護者」などといいません。

訪問介護の会社の人に聞いてみました。
「介護をうける人のことを何と呼んでいますか?」
「普通は、『利用者さん』とか『利用者様』とか呼んでいます」
やはり、介護保険という制度の利用者という意味合いが強い呼び名です。
しかし、介護を受ける人は、誰も、自分のことを「利用者」などと呼びません。ここにも、介護をする側と介護を受ける側との認識のギャップがあります。

それでは、介護を受ける人は自分のことをどう呼んでいるのでしょうか? そう、「病人」とか「患者」とか、呼ぶことが多いのです。これは、医療システムに擬えているのに違いありません。

省みれば、医療システムは中世の「施療院」以来の伝統ある制度で、この制度が発達する中で、医療を施す側を「医師」「看護師」と呼び、医療を受ける側を「患者」と呼ぶ習慣が確立してきたのでした。
医療を受ける人を「患者」と呼ぶことに、患者自身が何の違和感も抱かないほど、医療システムは成熟しているといっていいでしょう。

それに比べると、介護システムは成熟度の浅い制度といわざるをえません。「利用者」に代わる新しい呼称を、介護システムの利用者に付与するには、まだ時間が必要なのでしょう。 (2007/12)      

60歳台の半ばで

2007-12-06 04:19:14 | 現代を生きる
最近、電車を乗り過ごすことが多い。
乗り過ごしは、都心に向かう電車ではなく、都心から郊外に帰る電車で起こる。都心に向かう電車では、元気で、また、立っているので、乗り過ごすことはない。一方、都心から郊外に帰る電車では、疲れており、また、座席に座ることが多いので、ついつい乗り過ごすことになる。
いずれにしても、老化の現われには抗えない。

乗り過ごしには、もう一つ、思い当たる原因がある。考え事をして、乗り過ごすことがあるのだ。
何を考えているか? それは「ブログのネタを考えているのだ」、というと冗談になってしまうが、実情はそれに近い。

60歳台の半ばを迎えて、考える対象も自ずと変わってくることを自覚している。

一つは、この歳になって、何に生きがいを見つけるか、ということをいやでも考えざるをえない。
自営業者にとって、60歳台は現役の真っただ中で、生きがい探しにはまだ間があるだろう。また、私立大学の教授には70歳定年を享受している人がいて、これも、生きがい探しを考えるには早すぎるかもしれない。

しかし、勤め人の多くは60歳で定年を迎え、以降は「定年後」の人生に入ることになる。60歳台の半ばは、この「定年後の人生」の生きがい探しに悩み始める時期となる。

「定年後」に何をするか?
大きく分けて、4つあるのではないか?
1.別の仕事に就く。
2.趣味に生きる。
3.ボランティア活動に参加する。
4.家族の世話をする。

この4つの活動をどう組み合わせて「定年後」の人生設計を行うか? それが、悩みの中心だ。 (つづく。2007/12)

粘着質の功罪・1

2007-08-22 06:17:36 | 現代を生きる
ブログを始めて続けていくうちに、思わぬ発見をすることがあります。それを書いてみます。

その1。
最も意外な発見は、私がかなり粘着質な性格を有していることでした。
これまでは、逆に、淡白であっさりした性格だと自覚していましたので、自分に粘着質なところがあるという発見はかなりのショックでした。

粘着質は、別のことばに直せば「しつこい」性格だということです。
下世話な場面では、異性に「あなた、しつこいのよ」といわれれば一巻の終わりでしょうし、それ以上つきまとえば、「ストーカー」とみなされかねません。

粘着質な性格が私のブログにどう影響しているかを検証してみます。

例えば、「プルーストの翻訳」についてコラムを始めた時は、これほど長く続くコラムになるとは想定していませんでした。

初めは、「失われた時を求めて」について、なぜ井上究一郎と鈴木道彦とが、同時期に競い合うようにして、その全訳に取り組むのか、という疑問でした。鈴木の側から井上の翻訳への批判が出ていることは承知していましたので、両者の翻訳を比較してみようと思いつきました。それで、第1篇「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭の一文で、井上訳と鈴木訳とを比較したのが始まりでした。

ここから、「粘着質な性格」がむくむくと目覚めました。
鈴木の翻訳史を調べてみよう。すると、何回かの訳文の変遷があり、その変遷の理由が謎として残りました。では、井上の方は? というわけで、井上の翻訳史を調べてみると、同じく何回か翻訳を変えています。その理由も謎です。

それで、原文のフランス語の読解にまで手を伸ばすことになりました。辞書や文法書を参考にして原文を読解すると、プルーストがわずか8語のフランス語で、現在と過去とを対比する形で、過去の習慣を述べているのだと確信するに至りました。それで、おこがましくも、私なりの試訳を提示することにしました。「長いあいだ、早めに床に就くのが私の習わしだった。」というのが拙訳です。

結局、最初、井上訳と鈴木訳との比較に取りかかってから、最後に私なりの試訳を提示するまでに、7ヶ月かかるという長期作業になったのでした。  (つづく。2007/8)