静聴雨読

歴史文化を読み解く

チョウセンアサガオの不思議(総集編)・2

2007-06-29 00:31:52 | わが博物誌
(不思議その4) その学名について。尾崎章「NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月 エンジェルストランペット」、2001年、日本放送出版協会、という園芸書を読んだところ、「日本ではチョウセンアサガオ属で一緒に括っていたが、もともと、欧米では、ブルグマンシア属(木。花は下向き)とダツラ属(一年草。花は上向き)を別に扱い、エンジェルストランペットと呼ぶのはブルグマンシア属のキダチチョウセンアサガオなどのことである。」という記述に出くわした。北隆館の図鑑(1986年)や平凡社の「日本の帰化植物」、2003年、とはまったく異なる見解だ。
ブログの一読者から、尾崎氏の見解を支持するコメントも寄せられた。

素人目に見ると、木(花は下向き。花は大きい。)と一年草(花は上向き。花は小さい。)は分けた方が便利だ。花の大きさも違うのだから。尾崎章説を奉じることにした。

尾崎章氏によると、ブルグマンシア属がさらに二つの系統に分かれる。
ブルグマンシア属
 A(花冠が大きなトランペット形で、果実は紡錘形・長卵形):
    キャンディダ、アウレア、スアウェオレンス、ウェルシコロル
 B(花冠が大きく広がらない筒状で、果実は球状・卵形):アルボレア、サングイネア

尾崎章氏の分類に従えば、私の見たチョウセンアサガオは、ブルグマンシア属のスアウェオレンス(学名:Brugmansia suaveolens 。「キダチチョウセンアサガオ」のこと)に違いない。氏の本に収載されている写真からも推定できる。
 
(不思議その5) その日本名について。なぜ、「チョウセンアサガオ」という名がついたのか? どれかの本で、外来種の植物名には、「異国の」という意味を込めて、「チョウセン」という冠詞がつくことがある、とのこと。なるほど、この見解は納得できる。「キダチチョウセンアサガオ」は南米原産だし、ダツラ属のチョウセンアサガオは南アジア原産だというが、いずれも「異国の」原産だということで、「チョウセンアサガオ」の名が被せられたのだろう。 

(不思議その6) その毒性について。本で調べると、1.いわゆる「チョウセンアサガオ」すべてに毒があること。2.根にも実にも毒があること。根をゴボウと間違えて食して中った例や実の中のゴマ状のものをゴマと間違えて食して中った例が報告されている。3.花弁や葉を絞ったしずくを目に入れるとただれること。4.毒はアルカロイドであること。以上がわかった。

このように、チョウセンアサガオの毒性がはっきりしていることを考えると、園芸植物として推奨するのはやや危険ではないかと思う。尾崎章氏はどう考える?

(不思議その7) その薬用について。5.葉や茎を乾燥させて細かく砕いて粉薬化して、タバコのように火をつけて吸入すること。6.間違っても、葉や茎を煎じて飲用してはならないこと。7.有吉佐和子が「華岡青洲の妻」で描いた、青洲が乳がんの手術に使ったという蔓陀羅華(まんだらけ)は、ダツラ属のチョウセンアサガオらしいこと。8.プルーストが薬草として引用したダツラはダツラ属のどれからしく、喘息の薬として使われていたらしいこと。

以上で探索は終りだ。
車椅子の母を散歩に連れ出したときに、道端のお宅にチョウセンアサガオを見たのが今回の探索の発端であった。
「あ、また、ラッパが咲いている。」
「これは、チョウセンアサガオというのだよ。」
その時、初めて「チョウセンアサガオ」という名が私の頭に刻まれた。 (つづく。2007/6)

チョウセンアサガオの不思議(総集編)・1

2007-06-27 04:27:21 | わが博物誌
道端のお宅にチョウセンアサガオの木(?)が一本ある。高さ3メートルほどの幹(?)から枝が出て、大きな黄色い花を30輪ほど咲かせている。花は直径15㎝ほどもある大振りのラッパのような姿で、下を向いている。このチョウセンアサガオを見たのが探索の発端であった。このチョウセンアサガオには不思議なことが多くある。

(不思議その1) これは草なのだろうか? 木なのだろうか? 一番目の不思議だ。
高さ3メートルの幹は茎とは呼べないしろものだ。
インターネットで調べると、チョウセンアサガオには草質(花が上向き)と木質(花が下向き)とがあるようだ。私の見たのは、花が下向きの木質のチョウセンアサガオだった。

(不思議その2) 花の咲く時期について。私の目撃したのは10月16日で、ほぼ満開の盛りであった。「アサガオ」の名がつくように、この花の盛りは短く、せいぜい1週間ではないか。しかし、この花は一度では終わらない。何週間か何ヶ月かすると、再び一斉に花開くと記憶している。それを年に何回も繰り返す。その後、違う場所で、11月と12月に開花を現認した。

今知りたいのは、開花の時期、周期、頻度である。いろいろな本にあたったところ、一年中咲く、というのが正しいらしい。1年間、道端のお宅のチョウセンアサガオを観察してみようと思う。

(不思議その3) その香りについて。 本によると、開花直後に香りがするという。「麝香のような」と形容した本もあった。これはまだ現認していない。  (つづく。2007/6)


プルーストの翻訳

2007-06-01 08:07:15 | 文学をめぐるエッセー
5回にわたって分載した「プルーストの翻訳」をまとめて一本にして、再録します。(長文)
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(1)「失われた時を求めて」の冒頭の一文

プルースト「失われた時を求めて」の第1編「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭は、主人公の「私」の回想を導く印象的な一文で始まります。非常に長い文章で有名なこの小説では異例といえるほどの短文です。

まず、フランス語の原文を示します。(アクサン・テギュ、アクサン・グラーヴ、アクサン・シルコンフレックスは省います。)

Longtemps, je me suis couche de bonne heure. (Marcel Proust, Du Cote de chez Swann, 1988, Folio Classique, Editions Gallimard) 

鈴木道彦訳では:「長いあいだ、私は早く寝るのだった。」(2006年、集英社文庫ヘリテージシリーズ)
井上究一郎訳では:「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。」(1992年、ちくま文庫版)

病弱な「私」が、親の指示で、早い時刻に就寝することを余儀なくされていたことを示唆する一文です。しかし、就寝がすなわちまどろみではなく、ある時は母親のお休みのキスを待ち焦がれる長い時間があり、またある時は幼い日を回想し追憶する時間があり、このような時間が眠りを妨げる。そのような甘美な時について、以後「私」は延々と語り始めます。

この印象的な一文のニュアンスが訳文で表現されているでしょうか? 
フランス語はしばらく措いておいて、英語では、おそらく、

For a long time I used to go to bed early.

とでも表現される文章だと思われます。 For a long time と used to と go to bed とがキーとなる言葉です。

For a long time を「長い時にわたって」(井上訳)と訳すのは、原文の理解とは別に、こなれた日本語とはいえないでしょう。ここは「長いあいだ」(鈴木訳)と訳すのがスマートです。

used to は「私」の習慣を表す重要な言葉です。井上訳は「ものだ」とすることによって辛うじて原文のニュアンスを伝えていますが、鈴木訳の「のだった」では不十分だといわざるを得ません。

また、就寝する(go to bed)のニュアンスが二人の訳文からは伝わりません。作者のねらいは、就寝から実際の眠りまでの時間を語ることにあるのですが。

なぜこの冒頭の一文に注目したかというと、井上究一郎が、(出典は忘れましたが)どこかの雑誌で、「この冒頭の一文を理解したことによって、『失われた時を求めて』の全訳の見通しがたった」旨の発言をしていたからです。それにしては、なんとも歯がゆい訳文だとしかいいようがありません。
井上訳を批判する鈴木の訳もこの一文に限っては芳しいものではありません。 

(2)鈴木道彦の場合

プルースト「失われた時を求めて」の第1編「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭の印象的な一文の解釈について、前回一回で終わりにする予定でしたが、その後、鈴木道彦の翻訳に関して思わぬ発見がありましたので、さらに続けます。議論がトリビアなところに入り込みますので、関心のない方はスキップしてください。

鈴木道彦は、全訳の前に抄訳を発表しているのでした。全訳・抄訳、単行本・文庫と、鈴木訳には様々な版がありますので、ここで、時系列に沿って、すべての鈴木訳を抽出してみます。5点ありました。

「久しく、ぼくは夜早く床に就いてきた」(1971年、鈴木訳、集英社・世界文学全集「コンブレー/スワンの恋」)
 「長いあいだ、私は夜早く床に就いた。」(1992年、鈴木訳、抄訳版・単行本)
「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。」(1996年、鈴木訳、全訳版・単行本)
「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。」(2002年、鈴木訳、抄訳版・集英社文庫)
「長いあいだ、私は早く寝るのだった。」(2006年、鈴木訳、全訳版・集英社文庫ヘリテージシリーズ)

1971年の翻訳が、鈴木の最初のものだと思います。以後の訳文とは、随分趣が異なります。
「久しく」、「ぼくは」、「床に就いてきた」などが、以後の訳文とは違っています。古めかしさはありませんが、全般に生硬さは否めません。

1992年の抄訳版・単行本は訳文を一新しています。冒頭に、最も座りのいい「長いあいだ」を置き、「私は」と変え、「床に就いた」と変えています。
この訳文は、1996年の全訳版・単行本、2002年の抄訳版・集英社文庫にも、「床に就いた」が「床に就くのだった」に改められた一ヶ所を除き、踏襲されました。この間に出版された、鈴木道彦「プルーストを読む」、2002年、集英社新書、も同じです。これで1996年の全訳版・単行本が最終の決定稿と思われました。

ところが、2006年の全訳版・集英社文庫ヘリテージシリーズで、再び訳文に手が加えられています。(巻末に、「本書は1996年9月、集英社より単行本として刊行されました。」とだけ記されていて、単行本の翻訳に手が加わっていることを明記していないのは解せません。)

「夜早く」が「早く」に代わっています。もともと、「夜」のことばはいわずもがなでしたので、納得できる変更です。
次に、「床に就くのだった」が「寝るのだった」に代わっています。これは大きな変更です。原文のニュアンスが go to bed を表わしていることを考慮すると、この部分は原文のニュアンスをかえって損なうことになったといえるかもしれません。変更に至った理由はわかりません。

以上、35年間にわたる鈴木道彦のプルースト翻訳史をたどると、2度大きな訳文の変更があり、細部の違いを含めると4通りの訳文が生まれていますが、それが、必ずしも、一本道の「改良」の積み重ねではないことに気づかされます。ことほど左様に翻訳は難しいということでしょうか? 

では、井上究一郎の場合はどうか? 次回への宿題です。 

(3)井上究一郎の場合

井上究一郎は、初期の淀野隆三との共訳を含めて、多くの訳文を発表しています。ここで、時系列に沿って、すべての井上訳を抽出してみます。5点ありました。

「長い間、私は宵寝になれてきた」(1953年、淀野・井上訳、単行本、新潮社)
「長いあいだ、私は宵寝になれてきた」(1960年、淀野・井上訳、世界文学大系版、筑摩書房)
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」(1973年、井上訳、筑摩世界文学大系版、筑摩書房)
「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」(1984年、井上訳、プルースト全集版、筑摩書房)
「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。」(1992年、井上訳、ちくま文庫版)
 
最初は淀野隆三との共訳で、新潮社から刊行されたのは1953年のことでした。その後、筑摩書房・世界文学大系版(1960年)と新潮社からの再刊(1974年)に踏襲されています。
冒頭の部分がどちらによる訳業なのかはっきりしませんが、「宵寝」ということばと「なれてきた」の表現に特徴があります。
前回紹介した鈴木道彦訳の最初のもの(1971年)と、奇妙に響きあっていることがわかります。「宵寝」(淀野・井上訳)は「夜早く」(鈴木訳)と、「なれてきた」(淀野・井上訳)は「床に就いてきた」(鈴木訳)と照応しています。互いに意識し合っていることがわかります。ともに「きた」と使っているのは、原文のフランス語の複合過去時制にとらわれたものだとも推測できます。(次回参照)

井上単独訳としては、1973年から1992年までに、2種類あります。
両者に共通する特徴は、まず、初めのことばが重いことが挙げられます。「長いあいだに」「長い時にわたって」というように、原文の Longtemps の軽みに比べるとはるかに重い訳文が採用されています。この点が、淀野・井上訳や後の鈴木訳(ともに「長いあいだ」)と異なるところです。重い訳文に固執する理由はわかりません。

なお、「長いあいだに」と訳すと、「次第次第に」という意味が生じ、原文の意図する「昔から、ずーっと」(次回参照)から離れることになりますので、「長いあいだに・・・ようになった」の訳語は適切ではありません。あるいは誤訳といっていいかもしれません。

次に、早く寝るという習慣を表す訳語に意を用いていることです。この点は評価したいと思います。「早くから寝るようになった」、「早くから寝たものだ」のいずれも習慣を表すことに腐心していることがわかります。ただし、「早くから」のことばが、「寝る」にかかるのか、「ようになった」や「ものだ」にかかるのかは微妙な表現です。(この点に関しては、次回の原文の解釈を参照してください。)

ところで、問題は、19年を隔てたこれらの2種類の訳文の間に本質的な違いがあるのだろうか、という点です。
誤訳のピンチは回避しましたが、ほかに本質的な違いはありません。日本語としての彫塑は進んだでしょうか? ウーン。

以上、19年間(淀野隆三との共訳まで入れれば39年間)にわたる井上究一郎のプルースト翻訳史をたどると、2度大きな訳文の変更があり、井上個人訳としては2種の訳文が生まれていますが、それが、必ずしも、一本道の「改良」の積み重ねではないことは、鈴木道彦のプルースト翻訳史と同様です。 

(4)フランス語の原文の検討

ここで、プルーストの原文に戻るのが適当でしょう。(アクサン・テギュやアクサン・グラーヴは省いています。)

Longtemps, je me suis couche de bonne heure.

わずか8字のきわめて簡潔な文章です。注目すべきは、coucher (寝かし付ける) という他動詞を使って、 se couche (床に就く) という表現を導いていること(主語が私 je なので、me couche となります。)と、 de bonne heure という成句を用いていることです。また、時制が複合過去を用いていることです。

まず、se couche (寝に就く)は、 dormir(眠る)とは違い、寝室に行く、ベッドに横たわる、ということを表しています。「寝る」からそのニュアンスを汲み取ることはできますが、ここはもう少し丁寧に、「床に就く」「寝に就く」と表現したいと思います。

次に、複合過去は、「ある行為(この場合、早く床に就く)が過去になされたことを指し、かつ、その行為は現在では終了していることを表す」(吉田城「『失われた時を求めて』草稿研究」、1993年、平凡社、の「冒頭の一句をめぐって」から引用)。英語における過去完了に近い時制です。
Je me suis couche から、過去の一定期間(いつからいつまでかはわからないが)「早く床に就く」ことがあった、ということが読み取れます。

さらに重要な点は、 longtemps という副詞と複合過去が結びつくと、「行為の反復」を表すことがあることです(「フランス語宝典」。吉田からの孫引き)。
つまり、Longtemps, je me suis couche の含意は、「過去の一定期間(いつからいつまでかはわからないが)、長いあいだ、(早く)床に就くのが習わしになっていた」、ということになります。

次に、de bonne heure は成句で、「普通より早く」という意味ですが、何が普通かはあいまいとしています。辞書(「新スタンダード仏和辞典第3版、1992年、大修館)によると、「世の一般の人より早く」とか「いつもより早く」とかいう含意があるそうですが、この場合は、初めに Longtemp (長いあいだ) の言葉があるので、「いつもより早く」という解釈は退けられて、「世の一般の人より早く」という意味であることがはっきりします。

ところが、別の辞書(「プチ・ロワイヤル仏和辞典第3版」、2003年、旺文社)で、次のような解説を読みました。de bonne heure の訳語として、「いつもより早く」のほかに、「早い時期に」「早い時期から」が挙がっていて、例文として、Il s’est interresse de bonne heure a la politique.(彼は早くから政治に興味を抱いた)が出ています。
「あ! これだ!」と思いました。複合過去と de bonne heure が結びつくと、早くから何かをする、という意味が出てくるのではないか? 
私たちのケースでいうと、「私」が、
・かなり昔から、
・長いあいだ、
・早めに床に就く、
ことを習いとしていた、といっているのではないか?

de bonne heure は、couche という動詞にかかるとともに、je me suis couche という複合過去形全体にもかかっているのではないか? 文法解釈が正しいかどうかわかりませんが、私の理解は以上の通りです。 

では、どう訳すべきか? とお尋ねですか。  

(5)試訳とまとめ

プルースト「失われた時を求めて」の第1編「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭の印象的な一文の解釈について、鈴木道彦訳、井上究一郎訳のそれぞれについて、訳文の変遷を見てきました。

鈴木訳・井上訳のおさらいをすると、両者の翻訳の変遷の過程で使われなくなったことばは、「久しく」(やや古めかしい)、「宵寝」(古めかしい)、「・・きた」(複合過去形の直訳で生硬な感じがする)などで、その後の用語や翻訳文は明らかにわかりやすくなっています。しかし、いざ、一つの日本語の文章としてとらえると、のっぺらぼうすぎたり(鈴木訳・2006年)、全体のバランスを失していたり(井上訳・2002年)していて、原文のニュアンスを十分とらえきれていないきらいがあります。

また、フランス語の原文を検討した結果、複合過去形の採用、de bonne heure の適用、Longtemps の使用などから、執筆当時(30歳前後)のプルーストが、昔(幼い頃)の習わしを回想する意味を強く込めたのがこの一文であると理解するに至りました。

では、どう訳すべきか? とお尋ねですか。

「長いあいだ、早めに床に就くのが私の習わしだった。」

これが私の試訳です。主語を「早めに床に就くのが」としたのが工夫です。
井上訳も鈴木訳(全訳・抄訳とも)も、初めに「私は」と構えたために、以降にっちもさっちも行かなくなったのだと思います。

さて、最初の回に紹介した英語への試訳の方が私は気に入っています。

For a long time I used to go to bed early.

ごく平凡な用語で原文のフランス語のニュアンスをかなり正しく表現していると思います。また、原文のフランス語と同様に、一読で覚えられるのが良いと思います。

原文のフランス語の複合過去形を真似て、英文で過去完了形を使おうとすると、例えば、 I had gone to bed とか I had been to bed とかになって、おかしなことになります。幸い、英語には、過去の習慣を表す used to ということばがありますので、過去形のまま無理なく原文のフランス語のニュアンスを伝えられると思うのです。

最後に、もう一度、プルースト「失われた時を求めて」の第1編「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭の印象的な一文を、原文と種々の訳文で味わいます。

Longtemps, je me suis couche de bonne heure.
長いあいだ、私は早く寝るのだった。(鈴木道彦訳、2006年)
長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。(井上究一郎訳、1992年)
For a long time I used to go to bed early. (拙訳)
長いあいだ、早めに床に就くのが私の習わしだった。(拙訳)

以上、鈴木道彦訳と井上究一郎訳をあげつらって失礼な言辞を続けましたが、もとより、この二方の献身的努力によって、プルーストが私たちに身近になったわけで、それに対して改めて感謝の気持ちを表わしたいと思います。  (2007/6)