静聴雨読

歴史文化を読み解く

競馬改革試案・2

2013-12-30 18:51:01 | スポーツあれこれ

 

(2)シーズン制の導入

競馬は年中開催されている印象がある。実際、1月から12月まで、中央競馬は毎週末に開催されている。

サラブレッド種は暑さに弱く、夏負けしやすい。また、冬季は霜などで路面が凍結しやすく、競馬の開催が危険になる。年中開催するのが望ましいか、考えざるをえない。

一方、牝馬は夏場に好成績を残すという定評がある。

これらのことを合わせて考えると、冬場と夏場は開催地を選び、レース編成にも工夫をこらすのがいいのではないか。

ここでは、1年の競馬を4つの季節に分けることを提案したい。今でも、春競馬・夏競馬・秋競馬・冬競馬という考え方はあるが、それをもっとメリハリを付けて、各季節の競馬の特色を出すようにしたらよい。                                            (2011/8)

 


将棋愛好会の3年・7

2013-12-28 07:13:15 | 将棋二段、やりくり算段

 

(7)「いい加減」の哲学

将棋愛好会を創めて3年経ちました。今では会員数も増え、月3日の例会日を設けるまでになりました。

規模の拡大に伴い、様々な問題に突き当たります。

当初は、例会の案内をその都度発行して、欠席の人は返答するように求めました。回答は6割で、欠席の連絡のないまま欠席する人がいます。

それで、方法を変えて、出席する人だけ回答するように求めたところ、出席の連絡なしに、当日ボーッと現れる人が出てきます。

つまり、事前に確実に出欠の確認をすることは難しいことがわかりました。

会員の一人は言います。「同好会とはそんなものさ。」

つまり、気分が乗れば出席する、乗らなければ欠席する。会員はそれを自由に操っている、というわけです。

なるほど。それで、以後は、事前の出欠確認を廃止し、さらに、当日遅刻しようが早退しようが自由、という運営に変えました。会員への連絡は月1回のみ、翌月の例会案内をするという方式に変えました。会員からの連絡はすべて会員の自律的判断に委ねることにしました。

案内方式を変更した後、例会日を間違えて会場に行ってしまった、という報告がありました。済まないことをしたとも思いましたが、例会通知はその程度の軽さで受け取られているのだということを実感しました。ここに息づいているのは、まさに「いい加減」の哲学です。例会日をウロ覚えで、間違っていたら、「ああ、仕方ない」で水に流す。これが、「いい加減」の哲学です。同好会の本質を衝いています。

今年の冬は大雪に見舞われた日がありました。例会は中止せざるを得ませんでした。ところが、中止の案内をし忘れた会員から、きついクレームをいただきました。「行ってみたら誰もいない。だったら、中止の連絡をくれてもよさそうなものを。」

確かに、中止の案内をし忘れたことは申し訳なく思いました。一方で、「昨日の大雪で例会は予定通りあるのかしら。」と思ったら、(こちらからの案内を待つことなく)自ら問い合わせをしていただきたかった、という本音もあります。何しろ、「会費ゼロ」で運営している同好会ですから。

この話を会員の一人にすると、「同好会とはそんなものさ。」と返ってきました。                         (2013)


競馬改革試案・1

2013-12-26 18:47:53 | スポーツあれこれ

 

長らく競馬を楽しんできたファンから見た競馬の改革について書いてみる。主として、中央競馬(*1)に話題は絞られる。

構想している内容を箇条書きにすると、以下のようになる:

・シーズン制の導入

・レース体系の統廃合

・距離体系の整備

・ダート競馬の拡充

・競馬場の統廃合

・賭式の簡素化

・中央競馬と地方競馬との融合

(1)競馬の由来

競馬の由来を尋ねれば、明治時代以来の軍馬の改良と農耕馬の改良に行き着く。

軍馬の改良のためにサラブレッド種の改良が進められ、農耕馬の改良のためにアラブ種の改良が進められたのがそもそもの始まりだ。その改良のため、「競馬」という手段が用いられたわけだ。

しかし、軍備の近代化によって軍馬の利用が止み、また、農作業の機械化によって農耕馬の利用も減った。その結果、「軍馬の改良と農耕馬の改良」という競馬の大義名分はなくなってしまった。

そこに、「スポーツとしての競馬」の魅力を見出す考え方が出て、競馬が市民権を得た。しかし、おかしなことに、競馬を主管する役所は今でも農林水産省なのだ。中央競馬を主催する「日本中央競馬会」は農林水産省の所管する独立行政法人になっている。この点は、競馬発足当初の「軍馬の改良と農耕馬の改良」の大義名分を後生大事に保持している。

「スポーツとしての競馬」を謳うのであれば、競馬を主管する役所はスポーツ振興を所管する文部科学省であるはずだ。この点に矛盾がある。

もう一つ、競馬には「ギャンブルとしての競馬」の側面がある。「競馬にギャンブルは付き物だ」という人もいるが、実はそうではない。現に、アラブ首長国連邦では、金を賭けない競馬が大々的に行われている。「ギャンブルとしての競馬」が推進され、一般に容認されてきたのは、国や地方自治体の税収補填のために、競馬からの収益金を見込んできたからに他ならない。「地方競馬」でこのビジネス・モデルが破綻していることは最後に見てみるつもりだ。

(*1)中央競馬:わが国の競馬は、国(の管轄する独立行政法人)が主催する「中央競馬」と地方自治体が主催する「地方競馬」の二本立てになっている。この両者は、主催団体が異なるだけでなく、経営状態においても、レース体系においても、まったく相異なる様相を見せていて、両者を同時に論ずることは不可能だ。それで、馴染みの深い「中央競馬」を中心に論ずることになるが、両者の融合は可能か、という点は重要な論点で、これを最後に論じようと思う。      (2011/8)

 


将棋愛好会の3年・6

2013-12-24 07:11:10 | 将棋二段、やりくり算段

 

(6)熱心なメンバーに対して

同じメンバーでも、例会への出席率の高い人・低い人の出るのはどこの同好会でも同じでしょう。

将棋愛好会では、出席率の高い人、すなわち熱心なメンバーを手厚くサポートできないか、を考えてきました。

そこで考え出したのが「プレミアサロン」の構想です。

「プレミアサロン」は愛好会への出席率の高い人、すなわち熱心なメンバーだけが参加資格を持ちます。棋力は問いません。

そこで行うのは;

(1)長時間対局と感想戦

(2)棋譜採譜と研究

(3)指導対局

(4)手筋教室

です。

いずれも、よほど将棋が好きな人でなければついていけないような内容です。

また、棋力の差があるメンバー同士でも楽しめるプログラム(指導対局、手筋教室など)を用意しました。 

「プレミアサロン」は準備の手間がかかるため、当面は3ヶ月に1回開催することとしました。                                         (2011)

 


ドイツ:冬から早春へ・9

2013-12-22 07:29:45 | 異文化紀行

(9)長い!

バーデン・バーデンでは、ベルリン・フィルハーモニーが引越してきて、イースター・フェスティバルを開催していた。オペラ、管弦楽コンサート、室内楽コンサートのすべてにわたってベルリン・フィルの楽員が出演し、首席指揮者のサイモン・ラトルがオペラと管弦楽コンサートを指揮する。なかなか経験できないイベントだ。

ベルリン・フィルのイースター・フェスティバルといえば、カラヤンがザルツブルクで開催していたものの記憶が鮮烈だ。カラヤンの死後、最近は、ここバーデン・バーデンでイースター・フェスティバルを開く試みが続き、今年から本格的な引越公演となった。

今回、私は、オペラ(モーツァルト『魔笛』)、管弦楽(ブラームス『ピアノ協奏曲第1番』、ブルックナー『交響曲第9番』)、室内楽(ハイドン『キリストの7つの言葉』)を聴くことができた。うち、管弦楽と室内楽はいずれも演奏時間が長かった。

 ブラームス『ピアノ協奏曲第1番』:50分

 ブルックナー『交響曲第9番』:60分

 ハイドン『キリストの7つの言葉』:70分

これらの曲目を、ベルリン・フィルの面々の絹の感触で、かつ、切れ味鋭い演奏で聴けたのは幸せだった。

ハイドンの曲目は弦楽四重奏で全8楽章から成る大曲で、トマス・カストホフのナレーションが付く。このカストホフの声が素晴らしく、これまで聴いたことがない豊かなバス・バリトンを聴かせてくれた。今回の最大の収穫だった。この演奏会がわずか15ユーロ。得した気分だった。      (2013/12)


将棋愛好会の3年・5

2013-12-20 07:09:13 | 将棋二段、やりくり算段

 

(5) 多様化するメンバー

前回「将棋愛好会の一年」と題して報告してから半年経ちました。その後の動きを報告しましょう。

メンバーはさらに増え、16名になりました。それを機に、月2回の例会を開催するようにしました。

曜日を変えた月2日の例会であれば、メンバーは、少なくとも、そのどちらかに参加できるだろう、という配慮からです。

メンバーが増えると、それに伴う種々の悩み事も現われます。その最大のものが、メンバーの段級位のバラツキです。およそ、級位者から四段まで、広がっています。段級位の差があるメンバー同士の対戦では、「駒落ち戦」を行いますが、「香落ち」ならまだしも、「角落ち」や「飛車落ち」は好まない人も出てきます。

また、メンバーの中には、とにかく純粋に将棋を楽しみたいだけで、勝敗の記録や昇降級には興味がないという人も出てきました。

それで、思い切って、メンバーを2つのグループに分けることにしました。

1つは「同好会員」。もう一つは「研鑽会員」。

「同好会員」には勝敗を記録する義務はありません。また、昇降級にも関係しません。主として、級位者と初段のメンバーが「同好会員」になります。

「研鑽会員」は、勝敗を記録し、5連勝すれば昇段、5連敗すれば降段する仕組みです。また、「研鑽会員」は対局時計を使った対局を行います。主として、二段以上のメンバーが「研鑽会員」になります。

こうして、誰もが、ストレスなく、例会を楽しめる工夫をしました。    (2011)


ドイツ:冬から早春へ・8

2013-12-18 07:27:19 | 異文化紀行

(8)ベルリンからバーデン・バーデンへ

ベルリン滞在の後半から晴れが続き、路上の雪がどんどん融けていった。

ベルリンからカールスルーエまでICEで6時間ほどの旅程だ。南に下るにしたがって車外の雪が減っていき、フルダあたりで見えなくなった。

バーデン・バーデンはカールスルーエのすぐ南、「黒い森」(シュヴァルツヴァルト)への入口に当たる街で、温泉の湧く保養地として知られている。淡雪に迎えられたものの、何となく春の気分が感じられる。この小さな花々に春の息吹が見出せる。

トリンク・ハレ(飲泉場)の建物の大きさにびっくりする。ここは今では飲泉施設は閉鎖しているが、昔の栄華を偲ばせる巨大な建物だ。ヨーロッパでは、温泉とは浴泉と飲泉の両方を指すことがよくわかる。

バーデン・バーデンは高級保養地なので、各国のセレブリティが保養に訪れる。中でも驚いたのが、ロシア人の多いことだ。街のいたるところでロシア人のセレブリティを見かける。これは、あるビアホールの入口の看板だ。よく見てほしい。ドイツ語、英語に続いてロシア語が記されているのがわかる。フランス語はその後だ。それほど、この街はロシア人に愛されているのだ。かのドストエフスキーもこの街を訪れたのではなかったか? (2013/12)

 


将棋愛好会の3年・4

2013-12-16 07:07:11 | 将棋二段、やりくり算段

 

(4)向上心豊かなシニア世代

将棋愛好会のメンバーはサラリーマンなどの仕事を退役した人で、中には、70歳代半ばのメンバーもいると書きました。私も若いとは思っていませんが、70歳代半ばといえば、私より一回りお歳を召しています。これらの人たちの元気なことにびっくりします。

もちろん、体力的な衰えが見られる人はいます。これはやむを得ないことです。しかし、心の持ちようはどの人も若々しいのです。

若々しさは「将棋がもっと強くなりたい」という形で表われます。

愛好会に「顧問」として四段の人を迎えました。顧問と対局する時は、多くの人が「駒落ち」で教えてもらいます。私は二段ですから、「香落ち」で指してもらいます。

この顧問との対局で、下手は多くのことを学んでいます。対局の後、「感想戦」で、どこが悪かったか、そこでどう指せばよかったか、また、どの手が良かったか、などを指摘してもらうのです。顧問の指摘を反芻することにより、下手は上達の手がかりを得ることができます。おそらく、感想戦を熱心に行った人は、一年後には、(初段の人は二段に、1級の人は初段に、というように)「一枚強くなっている」ことでしょう。

70歳代半ばのメンバーが顧問に教わる姿勢には敬服します。向上心こそ若さを保つ秘訣です。                                            (2011)

 


ドイツ:冬から早春へ・7

2013-12-14 07:25:22 | 異文化紀行

(7)物乞い

Sバーンのフリートリヒ・シュトラッセ駅からベルガモン博物館に向かう途次の路上で、少女が座って物乞いをしていた。すでに記した通り、3月といえども、強い風が吹きさらす路上だ。私の頭の中にとっさにシューベルト『冬の旅』の最終曲「辻音楽師」が駆け巡った。「氷の上で、裸足で あちこちと歩き廻りながら。しかし彼の小さな盆には いつまでも銭は入らない。」少女の姿と辻音楽師の姿が重なりあう。

この写真は、ベルガモン博物館の帰途、同じ場所で撮ったものだ。少女に代わり、老人が路上に座っていた。 (2013/12)


将棋愛好会の3年・3

2013-12-12 07:05:11 | 将棋二段、やりくり算段

 

(3)段級認定の悲喜劇

将棋の対局では、力量の差に応じたハンデキャップをつけて戦います。それを「駒落ち戦」といいます。力量差を測るためには、対局者各人の力量がわからなければなりません。

将棋愛好会でも、この力量の測定に意を用いました。基準は私の力量で、私を「二段」と仮に位置づけ、私と互角の勝負をする人は「二段前後」、私が敵わない人は「三段以上」、私に勝てない人は「初段以下」というふうに、極めて明確な物指しになります。私は、街の道場でも「二段」で指していますので、この基準は妥当だと考えています。

こうして、各メンバーの段級を認定しました。

その結果に対して、異議を挟むメンバーがいました。事情を聞いてみると、「私の段位はもっと高いはずだ。」・「街の将棋道場ではもっと高い段位で指している。」というものがほとんどでした。

街の将棋道場の中には、甘い段級認定をしているところもあるようで、このクレームはもっともだ、と思いました。それで、本人の申請する段級を認定しました。気位の高さも尊重しなければなりません。

そして、対局を進めると、クレームを出したメンバーは一律に苦戦しているのです。

「高い税金を払って苦戦するよりも、ほどほどの税金で勝ったり負けたりしている方がストレスの溜まりも少ないだろうに。」と個人的には思いますが。しかし、こればっかりはどうにもなりません。                          (2011)


ドイツ:冬から早春へ・6

2013-12-10 07:23:00 | 異文化紀行

 

(6)時代設定

ワーグナーの楽劇は神話・伝説の時代を扱っている。ということは、物語がいくぶん荒唐無稽になりがちだ。それで、物語にリアリティを持たせるために、時代設定に工夫する場合がある。

時代設定には、神話・伝説の時代そのまま、ワーグナーの生きた19世紀、楽劇が上演される現代、時代を特定しない、の四通りある。

私の考えでは、「神話・伝説の時代そのまま」と「時代を特定しない」とは実は同根で、それだけ、ワーグナーの楽劇には融通性があるのだ、と思っている。

一方、「楽劇が上演される現代」に時代を設定するということは、演出者のメッセージが隠されていると読むのが普通だろう。今回の『トリスタンとイゾルデ』はその典型だ。舞台は、現代の邸宅で、1幕から3幕まで通す。したがって、船も何も登場しない。

しかし、登場人物のセリフに変更が加えられた跡はない。つまり、トリスタンとイゾルデもワーグナーの書いた通りに歌うのだ。書き割り(装置)と派生的登場人物がこの新しい演出の「売り」というわけだ。派生的登場人物の中には、裸で静々と歩く女性だとか、同じく、裸で土掘りをする男性だとかがいる。また、天井のシャンデリアが降りてきて左右に振れたりする。

結局のところ、ワーグナーの音楽は変えられず、書き割り(装置)とか派生的登場人物とかで「新味」をアピールする、というに過ぎない。これが、「楽劇が上演される現代」に時代を設定することの限界なのだろう。(2013/12)


将棋愛好会の3年・2

2013-12-08 07:03:01 | 将棋二段、やりくり算段

 

(2)一年の後

新しい将棋愛好会を創めて一年が経ちました。それを振り返ってみます。

東京・神田一ツ橋に将棋盤と将棋駒が置いてある施設があり、そこを借りて、愛好会を創めました。昨年4月のことでした。集ったメンバーは4人。

4人で創めた愛好会ですが、1年の間に、メンバーが12人にまで広がりました。すでに、サラリーマンなどの仕事を退役した人ばかりで、中には、70歳代半ばのメンバーもいます。当然、体調と相談しながらの参加ですので、毎月全員が集まるわけではありません。

メンバーになるための条件は、初段-四段の棋力があることと、もう一つ、マナーの良いこと、です。この後者の条件にはこだわりました。将棋は車夫・馬丁の娯楽といわれたように、やや荒っぽい楽しみ方をする人もいます。その部分を押さえ込むのが一苦労です。

悪いマナーを具体的に挙げますと;

1 指している最中に、隣りの対局に口を出す

2 駒落ち戦を嫌がる(「駒落ち戦」とは、上手が駒を落とすハンデキャップ戦のことで、下手の中にはこれを嫌がる人がいます。しかし、ハンデキャップのない「平手戦」では、戦う前から勝敗の帰趨は明らかで、上手は乗り気になれません。妥当なハンデキャップをつけなければ、下手の棋力の向上も見込めません。)

3 一方的に考慮時間を使う(勝敗にこだわるばかりに、念には念を入れて、手を読む人がいます。限られた時間の中では、考えすぎは対局相手に失礼です。ほどほどに考えて、ほどほどに指す。この習慣を身につけることが求められますが、これがなかなか難しいようです。それで、対局時計を導入しましたが、この対局時計に違和感を覚える人もいます。)

4 感想戦に興味を示さない( 「感想戦」とは、対局が終わった後に、悪かった手・良かった手などを意見交換することです。特に、下位者は、感想戦で上位者の意見を聞くことが参考になります。)

現在、月に1回の愛好会ですが、メンバーの増加を受けて、月2回に広げようかと考えているところです。                               (2011)

 


ドイツ:冬から早春へ・5

2013-12-06 07:21:15 | 異文化紀行

(5)ワーグナーの4作

ベルリン・ドイツ・オペラで聴いたのは、『タンホイザー』・『ローエングリン』・『トリスタンとイゾルデ』・『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の4作。

このオペラ・ハウスの狭さを逆手に取った演出に出会った。『タンホイザー』で、兵士の集団を宙吊りにしてしまったのだ。第2幕の半ばから第3幕の終了まで兵士は宙吊りのまま。そのため、カーテン・コールでもご覧の通りの格好だ。でも、それで何なの? と問われると、答えに窮してしまう。 (2013/12)

 


将棋愛好会の3年・1

2013-12-04 07:00:38 | 将棋二段、やりくり算段

 

(1)将棋道場とは一味違う

将棋はもともと車夫・馬丁の楽しみでした。偉いさん同士の会合とか愛人との逢瀬とかで旦那が時間をかけている間、それを待つ車夫・馬丁が時間つぶしに楽しむゲーム、それが将棋です。丁々発止、手も出れば口も出る、横から「待った。」の合いの手もかかる、というのが将棋というゲームの本質です。

やがて、車夫・馬丁がいなくなるとともに、将棋仲間が集まる会所が誕生し、それが、今では、形を変えて、「将棋道場」という名の社交場となっています。私も将棋道場に通ったことがあります。

どのような楽しみの集まりでも、必ず「常連」が巣食っています。将棋道場にもそのような常連がいます。彼らは、根っからの将棋好きですが、それに加えて、独特の「くせ」を身につけています。その一つが、指し手がやたらに早いことです。こちらが、駒を盤上で動かすか動かさないかの間に、常連は次の自分の手を指しています。なにやら、こちらも早く指さないといけないような気分に襲われます。

また、将棋道場では、煙草を吸う人が多く、それもまた気分良く将棋を指す気持を失わせます。

それやこれやで、将棋道場に通う習慣は失せました。

将棋道場に代わって、仲間を募って将棋を指すことも考えられます。そのような将棋仲間の一つに入っていたのですが、そこも辞めました。対局中に煙草を吸う人がいたり、酒を飲んでグデングデンになりながら将棋を指す人がいたりで、純粋に将棋を楽しむ雰囲気に欠けていたのがその理由です。 

それで、新しい将棋愛好会ができないかと考えるようになりました。  (2010)

 


ドイツ:冬から早春へ・4

2013-12-02 07:18:55 | 異文化紀行

(4)狭い!

ベルリン西部のベルリン・ドイツ・オペラに行った。ほかの街のオペラ・ハウスとは異なり、古びた現代建築の建物のようだ。内部も同様に、左右のバルコニーはなく、日本のコンサート・ホールと見間違える作りだ。

そして、このオペラ・ハウスは狭い! 幅が座席にして10席ほど、すなわち、5mほど、ほかの街のオペラ・ハウスに比べて狭いのではないか。舞台の奥行きも深くない。これらは、市街地に建てたために広いスペースが取れなかったためだろう。 (2013/12)