(7)「いい加減」の哲学
将棋愛好会を創めて3年経ちました。今では会員数も増え、月3日の例会日を設けるまでになりました。
規模の拡大に伴い、様々な問題に突き当たります。
当初は、例会の案内をその都度発行して、欠席の人は返答するように求めました。回答は6割で、欠席の連絡のないまま欠席する人がいます。
それで、方法を変えて、出席する人だけ回答するように求めたところ、出席の連絡なしに、当日ボーッと現れる人が出てきます。
つまり、事前に確実に出欠の確認をすることは難しいことがわかりました。
会員の一人は言います。「同好会とはそんなものさ。」
つまり、気分が乗れば出席する、乗らなければ欠席する。会員はそれを自由に操っている、というわけです。
なるほど。それで、以後は、事前の出欠確認を廃止し、さらに、当日遅刻しようが早退しようが自由、という運営に変えました。会員への連絡は月1回のみ、翌月の例会案内をするという方式に変えました。会員からの連絡はすべて会員の自律的判断に委ねることにしました。
案内方式を変更した後、例会日を間違えて会場に行ってしまった、という報告がありました。済まないことをしたとも思いましたが、例会通知はその程度の軽さで受け取られているのだということを実感しました。ここに息づいているのは、まさに「いい加減」の哲学です。例会日をウロ覚えで、間違っていたら、「ああ、仕方ない」で水に流す。これが、「いい加減」の哲学です。同好会の本質を衝いています。
今年の冬は大雪に見舞われた日がありました。例会は中止せざるを得ませんでした。ところが、中止の案内をし忘れた会員から、きついクレームをいただきました。「行ってみたら誰もいない。だったら、中止の連絡をくれてもよさそうなものを。」
確かに、中止の案内をし忘れたことは申し訳なく思いました。一方で、「昨日の大雪で例会は予定通りあるのかしら。」と思ったら、(こちらからの案内を待つことなく)自ら問い合わせをしていただきたかった、という本音もあります。何しろ、「会費ゼロ」で運営している同好会ですから。
この話を会員の一人にすると、「同好会とはそんなものさ。」と返ってきました。 (2013)