静聴雨読

歴史文化を読み解く

「不要不急」の社会現象・3

2009-05-31 09:56:12 | 社会斜め読み
「不要不急」のキーワードを拠り所として、現在の「新型インフルエンザ」騒ぎから見えてくることを述べましたが、この「不要不急」は現在のほかの社会現象にも見え隠れしている気がします。そう、政府の打ち出す一連の「景気対策」がそれです。「定額給付金」「高速道路通行料大幅減額」「エコ減税」などは、みな、景気を浮揚させるために、国民の消費を刺激する政策である点が共通しています。

ここでいう「消費」とは何でしょうか?
「定額給付金が出たので、家族で外出してレストランで食事するか。」
「高速道路一律1000円乗り放題なので、遠出してみようか。」
「エコ減税を利用して、冷蔵庫の買い換えを考えようか。」
これらこそ、「不要不急」の外食・遠出・買い換えの典型ではないでしょうか?

消費を刺激してGDPを高めることを至上命題とする政策に多くの国民が乗せられていますが、果たして、それで、国民生活が向上するといえるのか? これが、問題です。

「不要不急の外食の代わりに、父の手作りのカレーライスで家族団らんを楽しもう。」
「不要不急の遠出の代わりに、公園巡りのウォーキングで汗をかいてみよう。」
「不要不急の冷蔵庫の買い換えを止めて、貯蓄を維持しよう。」

こういう考えは、GDPの向上には役立ちません。でも、それでいいのではないでしょうか? 家族団らんに役立つし、健康にも役立つし、将来の備えにもなるのですから。

そろそろ、GDP至上主義に別れを告げる時期に来ていると思いますが。 (つづく。2009/5)

「不要不急」の社会現象・2

2009-05-25 08:05:54 | 社会斜め読み
「ゆとり教育」の結果、授業時間が減り、その分、教える内容が減ってしまって、日本の児童・生徒の学力が低下したので、再び、授業時間を増やすことが計画されています。

ここでは、コンテンツ(教える内容)の多寡が学力の高低に直接関係するかのようにいわれますが、それは誤りでしょう。
コンテンツ(教える内容)の多寡よりも、コンテンツ(教える内容)にアクセスする方法を教え込む方がはるかに重要です。

例えば:
「教科書で気になった項目をさらに調べるために、文献を探索する方法」
「文献を探索するために、図書館を利用する方法」
「文献の中の『索引』を利用する仕方」
「インターネットで情報を検索する方法」
さらに、上級編では、「集めた情報の信憑性を見抜く『眼力』を養う方法」、などなど。

多くのコンテンツ(教える内容)を詰め込む授業よりも、コンテンツ(教える内容)は少なめにして、それにアクセスする方法を教え込む授業を増やした方がはるかに有用だということが、図らずも、今回の「学校休校」の事態で露呈したわけです。

コンテンツ(教える内容)にアクセスする方法を知っている生徒は、休校中に自宅にいても、インターネットを利用するなどして、自分で学習することができます。
一方、コンテンツ(教える内容)にアクセスする方法を知らない生徒は、あきらめて、カラオケボックスに繰り出すしかないわけです。 

高校生諸君は「不要不急」の存在といわれないように、自律的に学習する姿を世に見せてほしいものです。  (つづく。2009/5)


「不要不急」の社会現象・1

2009-05-23 00:17:07 | 社会斜め読み
今回の「新型インフルエンザ」騒ぎで、改めて思い知らされたのは、「わが国には、どれだけ『不要不急』のものが溢れているのだろう。」ということです。緊急事態なので、「不要不急」のことは慎むように、という文脈で使われるわけですが、以下、その「不要不急」のものを列挙してみます:

1. ニューヨークに出かけて、国連の擬似会議に出席すること、あるいは、カナダに出かけて、体験留学してくること
2. ビーチバレー大会や浜崎あゆみのコンサートの中止を嘆くこと
3. 学校の休校を利用して、カラオケボックスに集まること

いずれも「なるほど」と思わせるものばかりで、日本人の活動の多くは「不要不急」のものばかりで、これらの「不要不急」を取り除いたら、日本のGDPは50%ダウンになり、失業率も急増することになりかねません。「不要不急」のものに人や資源を割けるのは、それだけ、わが国が豊かな国になっていることの証左ですが、その「不要不急」の象徴が今回の高校生諸君です。

「学校の休校を利用して、カラオケボックスに集まる」高校生が多いというニュ-スは外国特派員も本国に送ったそうです。休校だからヒマで、ヒマつぶしにカラオケボックスに行くという高校生の行動パターンは、笑えます。

おそらく、彼らは、休校中に自宅で学習する方法をまったく知らないのでしょう。学校でも、それを教えていないのでしょう。これが最大の問題です。 (つづく。2009/5)

「老人らしさ」を感ずる振舞い

2009-05-20 08:12:43 | 介護は楽しい
介護老人保健施設や特別養護老人ホームに通っているうちに、老人に特有の振舞いに気がつくようになりました。以下、アットランダムに箇条書きで記します。(母に当てはまる項目に○を付しました。)

=時々、粗暴なことばを発する(○)
=絶えず、何かを叩いて音を出す
=大声を上げる(○)
=自動発声器のように、同じことばを繰り返す

=表情が乏しくなる(○)
=痛みを訴える(○ 本当に痛い個所があるかどうかは微妙なところ)
=家に帰りたがる(○)
=生まれ育った地域のことばが甦る(○)

=自分の持ち物を盗られたと訴える(○)

=食欲が旺盛(○)
=食が細くなる(食欲が旺盛、と正反対だが、どちらかの兆候が現われるようだ)

=幻視・幻聴(○)
=夢遊状態・憑依状態(○)

これらの振舞いはすべての老人に当てはまるというわけではなく、また、どの振舞いが認知症の兆候かということもわかりません。医師・心療内科の先生・看護師・介護士のだれに聞いても確たる回答は得られません。

しかし、これらの振舞いは、介護老人保健施設や特別養護老人ホームでは経験的に多くの事例を把握しているようで、これらの施設の家族への問診票には、「このような振舞いがありますか?」と列挙されています。こうやって集積された「振舞いのパターン」を分析すれば、より良い介護と看護の指針が出来上がるように思えますが、期待のし過ぎでしょうか?  (2007/5)      

老人と「うつ」

2009-05-18 09:09:10 | 介護は楽しい
老人ホームに母を訪ねると、母の口元がわずかに緩むのがわかります。それが母の歓迎のしぐさですが、それ以上、母が表情を変えることはありません。食事の介助をする私を見る目はクールで、あたかもヘルパーの方を見ているようです。

一般に、老人は笑いません。これは、誰にも共通する特徴です。

食事時に母と同席するおばあさんは、母よりはるかに若く、おそらく70歳代だと思われますが、このおばあさんも笑いません。
私と目が合うと、「ネー」と声を発しますが、それ以上のことばが聞かれることはありません。「ネー」といいつつ、何かを訴えているのですが、その意味は他人にはわかりません。
このおばあさんは、ほかにも、机を叩いて、ひとの関心を引こうとします。

「老人性うつ病」ということばがあります。
老人の表情が乏しくなる症状の嵩じた様をいうのだそうです。
確かに、うつ病と間違えるほどの無表情の老人は多い。

この老人のうつ病の緩和のために、「玩具療法」を試みる動きがあるそうです。
ダーツやジグゾーパズルなどをあてがって、的にあてたり、絵を完成したりする喜びを味わってもらう、という趣旨のようです。
先日テレビで放映されていましたが、確かに、遊びのあと笑顔を見せる老人がいました。

「玩具療法」は始まったばかりで、いろいろ問題点も出てきているようです。
その一つは、おもちゃが老人には使いづらいことです。パズルのピースが小さすぎたり、ピースの切り込みが複雑すぎたり、という問題が指摘されています。
これから、改良が施されていくことでしょう。  (2009/5)      

ベルト・モリゾをご存知ですか?

2009-05-11 00:10:12 | 美術三昧
ベルト・モリゾ Berthe Morisot は印象派の女性画家である。「印象派」と「女性画家」という二つのキーワードがこの画家のすべてを表している。

初めて彼女の名を知ったのは何を介してだったか、はっきりとした記憶がない。
長谷川智恵子『世界美術館めぐりの旅』(求龍堂)(*)のマルモッタン美術館の項で知ったのかもしれない。パリ16区にあるこの美術館は、モネのコレクションとともにモリゾのコレクションでも有名だ、と紹介されていたのではなかったか?

1995年にアメリカ・ボストンからフランス・パリに回る機会があった。ちょうど、ボストン美術館でモネの特集にぶつかり、パリのマルモッタン美術館でもモネを見てみたいと考えた。

パリ16区は高級住宅街として知られている。マルモッタン美術館は高級アパルトマンの一角を占めていた。そこでモネに満腹するとともに、モリゾの艶々と輝かしい作品群に出くわした。予期せぬ発見だった。マネのようであり、ドガのようでもあり、ルノワールの趣きも持つこの画家の絵は確かに「印象派」そのものだった。

日本に帰り、『新潮世界美術辞典』で「ベルト・モリゾ」の項を当たると、十数行の解説があった。そこで、モリゾの結婚相手がマネの弟であることを知った。生活面でも、印象派と強くつながっているのがわかった。
その後、外国のどこかで、

Stucky & Scott ”Berthe Morisot – Impressionist”, Hudson Hills Press, New York, 1987

という画集を入手した。以上がモリゾとの係わりのすべてだった。 

近年になり、ベルト・モリゾの話題がわが国の美術界をにぎわすことになった。NHKの「世界美術館紀行」でマルモッタン美術館が採り上げられ、また、マルモッタン美術館展が開催され、この美術館の収蔵品の一方の頭であるモリゾの存在が広く知られるようになった。私はこのいずれも見逃したが、ようやくモリゾがわが国に紹介されたことに満足の念を禁じえなかった。

そして、今年(2006年)になり、日本語による初めてのモノグラフが刊行された。

坂上桂子『ベルト・モリゾ ある女性作家の生きた近代』、小学館

ブルジョワジーの家庭の女性として生を享け、当時としては珍しいプロの女性画家として頭角を現すベルト・モリゾの姿が女性らしい筆致で描かれている。また、モリゾが印象派の活動の中心であったことが跡付けられている。1875年の競売会では、モリゾの作品が平均250フランで売れたのに比べ、モネの作品は平均233フラン、ルノワールの作品は平均100フラン以下だったということが紹介されている。まさに、モリゾは絵の実力の面でも、また、印象派の運営面でも、中心的役割を担っていたことがわかる。

20世紀になり、モリゾは後景に退き、代わって、マネ・ドガ・モネ・ルノワール・セザンヌが風靡したが、ここに来て再びモリゾが脚光を浴びようとしている。
今年から刊行の始まった小学館版『西洋絵画の巨匠』のシリーズの一冊としてベルト・モリゾが割り当てられている。モリゾの正しい位置づけと評価がまさに始まったといえるだろう。注目していきたいと思う。  (2006/3-4)

小学館版『西洋絵画の巨匠 ベルト・モリゾ』が、坂上桂子の解説付きで、刊行された。彼女の本当の実力がよくわかる画集だ。 (2006/10)

「クリーブランド美術館展」にベルト・モリゾの「読書、または緑色の日傘」、1873年、が出展されていた。姉エドマを描いた小さな油彩だ。ふんわりとしたタッチのデザインはモリゾの特色を表わしているが、絵から受けるインパクトはやや弱かった。 (2006/11)


将棋改革試案

2009-05-06 08:51:55 | 将棋二段、やりくり算段
(1)棋士が多すぎる

現在の将棋界は、名人戦のスポンサー変更問題で揺れている。毎日新聞社主催から朝日新聞社・毎日新聞社の共催に移行しようとしているのだ。背景に、慢性的な財政不安とスポンサーからの契約金増額のもくろみがあるといわれている。

財務状態の改善は緊急の課題だ。その中で、棋士が多すぎるという現実にも目を向けるべきだ。日本将棋連盟に所属する現役棋士は、122名+αである。内訳は:名人:1名、A級:10名、B1級:13名、B2級:23名、C1級:30名、C2級:45名、フリークラス:α名(不明)

毎年4名の棋士が生まれるが、現役を退く棋士は年に4名はいないから、棋士数は年々増え続ける構造になっている。当然、それが、連盟の財務状態を圧迫する。

これを、思い切って、名人:1名、A級:10名、B級:12名、C級:16名、D級:20名、E級:28名、フリークラス:α名(不明)+35名、にすることを提案したい。対局専門の棋士は35名の削減になり、87名になる。
当面、この線になるまで、種々の改革を実行していくのはどうだろう。

とくに、級間の移動をよりダイナミックにして、実力の高い棋士が上位の級に昇級しやすくするとともに、従来以上に下位の級への降級を促進することだ。
A級←→B級 自動昇降級2名
B級←→C級 自動昇降級2名 ほかに入替戦参加2名
C級←→D級 自動昇降級3名 ほかに入替戦参加3名
D級←→E級 自動昇降級4名 ほかに入替戦参加4名
E級 降級点10名
E級→フリークラス 降級点2回で降級

例えば、B級とC級との間では、少なくとも2名が入れ替わり、多ければ4名が入れ替わることになる。これで人材の流動化が一気に進み、力のある棋士が下の級で鬱々とした日々を過ごすことが少なくなるだろう。

級間の移動をよりダイナミックにして、実力の高い棋士が上位の級に昇級しやすくするとともに、従来以上に下位の級への降級を促進すると、結果として、しばらくの間は、フリークラスの棋士が増加することになるだろう。 

(2)指導棋士を尊重しよう

現在、C2級以上の中堅棋士で、年間の対局数が20局程度という人が多くいる。プロ棋士としては明らかに対局数が少なすぎる。フリークラスの棋士は順位戦に参加しないから、さらに10局程度年間対局数が少ない計算だ。年間20局程度かそれ以下の対局しか指さない棋士は、別の見方をすれば、もったいない。それで、対局棋士としての役割のほかに、「指導棋士」としての役割を担ってもらい、将棋の普及に邁進してもらうのはいかがであろうか?

しかし、誰でも指導棋士に適しているとは限らない。私の考える指導棋士の要件は次の通りだ:

1 指し手を正しく読み上げられること。将棋盤のマス目は、縦を筋(または、路)と呼び、右から1、2、・・・、9という筋(路)番号がついており、また、横は段と呼び、上から一、二、・・・、九(または、1、2、・・・、9)という段番号がついている。先手の飛車は2八に、後手の飛車は8二にある、というふうに表現する。ところが、棋士によっては、3六銀と呼ぶべきところを7四銀と呼ぶ人がいるのだ。高位者から若手まで、この「呼び間違い病」がかなり曼延している。これは、指導を受ける人の理解をはなはだしく殺ぐ。

2 指し手を、一手一手省略せずに、盤面上で再現できること。例えば、2四歩、同歩、同角、同角、同飛、という手順があった場合、駒がすべて2四のマスで交換になるので、プロの棋士の中には、該当する駒を2四のマスに動かすことなく、盤上から駒台に移動させてしまう人がいる。指導を受ける側からいえば、急ぐことなく、駒はゆっくり動かしてもらいたい。そのほうが理解が進む。この「指し急ぎ病」もかなり曼延している。

3 当たりは柔らかく、しかし、指導相手に阿らないこと。これは難しい要件で、指導棋士を続けていくと、アクが身についてしまいがちだ。

以上挙げた要件を一言で要約すれば、「指導棋士は、指導相手のことを慮ることができなければならない」ということだ。  

それでは、指導棋士にふさわしい棋士を、棋士名簿から勝手に引いてきてみよう。次のような棋士が浮かぶ。

現B1級:中川大輔七段・野月浩貴七段
現B2級:浦野真彦七段・屋敷伸之九段
現C1級:小林健二九段・北島忠雄六段・近藤正和五段・中座真五段・勝又清和五段
現C2級:武市三郎六段・小林宏六段・有吉道夫九段

以上は、「囲碁・将棋チャンネル」で、指導棋士としての才能を確認した棋士たちである。多いようで意外に少ない。そう、指導するということは、難しいことだ。尊敬を受けて当然と思う。

この12名で普及部を組織したらどうだろう。級位や年齢を問わないことにして、役割を分担してもらう。
普及部長:小林健二九段
地域普及担当:野月浩貴七段・武市三郎六段
職域普及担当:中川大輔七段・小林宏六段
学域普及担当:北島忠雄六段・近藤正和五段・中座真五段
政・財界普及担当:有吉道夫九段・屋敷伸之九段
詰将棋普及担当:浦野真彦七段
大道詰将棋退治担当:勝又清和五段

こんな感じで、普及活動に対しても、然るべき報酬を用意して、個々の努力に報いる体制をとる。対局とぶつかった場合は当然普及を優先する。 というより、ぶつからないように事前に調整する。  

(3)「家元制度」を止めよう

「指導棋士」を拡充して、指導棋士に対する報酬を上げ、指導棋士への尊敬を集める手段を講じるべきだと述べた。

一方、アマチュアの棋士を対象とした「普及指導員」という資格があるという。現在、474名が「普及指導員」として、日本将棋連盟から認定されている。

「普及指導員」の要件はいくつかあるが、そのうちの一つに、「三段の免状を持つこと」というのがある。三段の免状を取得するためには、52,500円を連盟に納める必要がある。さらに、三段の免状を申請できるのは、二段の免状を持つ者に限られるらしいのだ。二段の免状を取得するためには、42,000円を連盟に納める必要がある。要するに、「普及指導員」の資格を得るためには、94,500円を連盟に納める必要がある。

このシステムについて、将棋界に詳しい人に尋ねると、「将棋界も『家元制度』を気取っているのですよ。」と答えが返ってきた。
華道などで「師範」の資格を取得するために家元に「上納金」を払うのと同じ慣行を将棋界も踏襲しているらしい。

志をもって将棋の普及に当たろうとするアマチュアから「上納金」を取るとは! むしろ、「普及指導員」として認定したアマチュア棋士には、免状取得に要した費用を返還するくらいの配慮があってしかるべきだと思う。

将棋の普及活動は将棋ファンの裾野を広げるために欠かせぬ活動だ。そのためには、プロ棋士から「指導棋士」を生み出す努力と、アマチュア棋士が進んで「普及指導員」を志願するような制度的配慮とが併せて求められていることを日本将棋連盟は認識してほしい。

(4)幻の七冠王

将棋界には7つのタイトル戦がある。昨年は、羽生善治がこの7つのタイトル戦のすべてに登場して話題を集めた。「すわ、二度目の七冠王か?」と騒がれたわけだ。

羽生は4つのタイトルを獲得したものの、「七冠王」は成らなかった。
しかし、敗れた3つのタイトル戦のすべてで、羽生はフル・セットの戦いを演じたのだ。今一歩で七冠王を取り逃がした印象が強い。

羽生に不運だったのは、対局日程が過密だったことだ。2つのタイトル戦を平行してこなさなければならないこともあった。名人戦が終わらないうちから、棋聖戦が始まる、という具合に、同じ週に2つのタイトル戦を戦ったこともあった。タイトル戦の対局は各地を転戦するから、東京からの移動の負担も加わる。この過密日程は改善しなくてはならない。

ここで、思い切って、一部のタイトル戦の日程を短縮することを提案したい。
二日制・七番勝負のタイトル戦のうち、王位戦と王将戦を一日制・五番勝負に変える。
これだけで、2つのタイトル戦を平行して行う事態は避けられる。

年間カレンダーに各棋戦を当て嵌めてみると:
 4月・5月 -名人戦
 6月   -棋聖戦
7月     -王位戦
 8月     -(空き)
 9月  -王座戦
10月・11月-竜王戦
 12月    -(空き)
 1月・2月 -王将戦
 2月・3月 -棋王戦

7つのタイトル戦を順列に並べても、なお、 8月と12月に空きができるのだ。これらの月はファン・サービス月間として、各地で「将棋まつり」などのイベントを催したり、朝日将棋オープン戦や将棋日本シリーズなどの準決勝・決勝を公開対局で集中的に開催したりすれば、ファンは喜ぶにちがいない。 

(5)対局時間を短く

囲碁の張栩名人は、日本の棋戦の対局時間が長すぎるという。国際対局では3時間が普通だそうだ。そのため、張栩名人は、国内の対局でも意識して早く打って、国際的に通用する棋力を養いたいといっている。見上げた心構えだ。

将棋界では、まだ国際対局が少ないから、対局時間短縮の必要性は現実の課題になっていないように思われる。

しかし、次のようなケースを考えてみよう。

将棋の順位戦は各人の持ち時間が6時間だ。朝10時に開始して、昼食休憩と夕食休憩を挟み、両者が持ち時間をすべて使うと、深夜24時に持ち時間を使い切ることになる。以後は、「1分将棋」といって、1分以内に指す指し手が終局まで続く。対局によっては、深夜1時までかかる場合も稀ではない。

これは明らかに尋常ではない。一昔前の「精神主義」が残っているのではないか。また、棋士の体力的負担も見過ごせない。

これを、仮に、各人の持ち時間を4時間に短縮したらどうだろう。夜20時には「1分将棋」に入り、21時前後には勝負がつくことが期待できる。

今はインターネットで対局の模様を同時進行で観戦することができる。ありがたいことだ。そのようなネット観戦者のためにも、対局のスピード・アップを願いたいものだ。

併せて、対局開始時刻を9時にすることも実施していただきたい。いまだに、のんびり10時に対局を開始していることは信じられない。「将棋指しは朝弱いから」というのは言い訳に過ぎない。朝9時に対局を開始すれば、上記の順位戦も夜20時には決着がつく。 (2007/3-2009/2)


国際試合の経験から=野球の話=

2009-05-04 08:04:57 | スポーツあれこれ
(1)中継ぎを重視すべきだった

来年行われるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に向けて準備作業が進みだし、ソフトバンク・ホークスの監督を退任したばかりの王 貞治氏がプロ野球コミッショナーの特別顧問として、コミッショナーへのアドバイスをする役割を引き受けたそうです。いよいよ、準備開始です。

WBCへの準備を開始するにあたっては、やはり、北京オリンピックにおける失敗の反省から取り掛かるべきでしょう。

私は、投手の選考と起用に注目しました。

北京オリンピックでは、投手を10人選びました。11人にするかどうか星野監督は悩んだそうですが、野手に怪我を抱えている選手が多いことを考えて、投手は10人としたそうです。その10人の投手の個々人にどのような役割を期待するかについて、十分なオリエンテーションがあったかどうか、が最初の疑問です。

現代の野球では、投手陣は、先発・中継ぎ・抑えの3つに役割分化が進んでいます。アメリカの大リーグでその傾向が顕著ですが、日本のプロ野球でも、先発・中継ぎ・抑えの役割分担の考え方が徐々に浸透してきています。

10人の投手の個々人に、「君は先発だ。」「君は中継ぎで大車輪で活躍してもらう。」「君は抑えで1イニングを頼むよ。」というオリエンテーションをしていなかったのではないでしょうか。

北京オリンピックでは、日程は次のようでした:
第1日: 予選第1試合
第2日: 予選第2試合
第3日: 予選第3試合
第4日: 予選第4試合
第5日: 休み
第6日: 予選第5試合
第7日: 予選第6試合
第8日: 予選第7試合
第9日: 休み
第10日: 順決勝
第11日: 決勝または3位決定戦

これを見れば、先発投手は4人で回せることがわかります。そうであれば、次のような先発投手プランがまず考えられます:
第1日: 予選第1試合 先発投手A
第2日: 予選第2試合 先発投手B
第3日: 予選第3試合 先発投手C
第4日: 予選第4試合 先発投手D
第5日: 休み
第6日: 予選第5試合 先発投手A
第7日: 予選第6試合 先発投手B
第8日: 予選第7試合 先発投手C
第9日: 休み
第10日: 順決勝 先発投手D
第11日: 決勝または3位決定戦 先発投手A

残りの6人を、中継ぎ4人、抑え2人に割り振れば、ずいぶん投手起用が楽になります。機械的にシミュレーションすれば、次のような「基本投手起用プラン」が出来上がります:
第1日: 予選第1試合 先発投手A 中継ぎE・F 抑えI
第2日: 予選第2試合 先発投手B 中継ぎG・H 抑えJ
第3日: 予選第3試合 先発投手C 中継ぎE・F 抑えI
第4日: 予選第4試合 先発投手D 中継ぎG・H 抑えJ
第5日: 休み
第6日: 予選第5試合 先発投手A 中継ぎE・F 抑えI
第7日: 予選第6試合 先発投手B 中継ぎG・H 抑えJ
第8日: 予選第7試合 先発投手C 中継ぎE・F 抑えI
第9日: 休み
第10日: 順決勝 先発投手D 中継ぎG・H 抑えJ
第11日: 決勝または3位決定戦 先発投手A 中継ぎE・F 抑えI

もちろん、対戦相手との相性だとか個々の投手の調子だとかによって、実際はこの「基本投手起用プラン」を手直しする必要がありますが、この「基本投手起用プラン」をどれだけ固守できるかが
チームの力を発揮できるかどうかの試金石だと思います。

上の「基本投手起用プラン」から様々なことが読み取れます。
先発投手については、「順決勝」と「決勝または3位決定戦」を担う二人が最も重要です。
中継ぎ投手については、1日に2人投入しても、翌日への連投を避けられるので、存分に活躍してもらえるでしょう。
抑え投手も、翌日への連投が避けられるので、無理な登板をしないですみます。

以上は、先発・中継ぎ・抑えの3つの役割分担を徹底するプランですが、実際の星野監督の采配は違いました。そのいくつかを例示すると:
抑えの岩瀬投手に1イニング以上投げさせたり、中継ぎに起用したりした。
上原投手を抑えに起用したが、機会が少なかった。上原投手はむしろ、中継ぎに起用すべきだった。
先発の和田投手を引っ張りすぎて、墓穴を掘った。早く、中継ぎにリレーすべきだった。

いずれの例も、中継ぎの役割を軽く見た結果の失敗です。

オリンピックやWBCのような短期間のゲームでは、先発投手よりも中継ぎ投手の充実度によって成績が左右されるのではないか、というのが私の持論です。

先発は5イニングをカバーできれば合格、抑えは1イニングをしっかり締めればOK、なのに対して、中継ぎは状況に応じて臨機応変の登板を期待されます。例えば、先発投手が意外に早く崩れた場合には予定より早く登板せざるをえないことがありえますし、延長戦に突入するときには抑え投手の起用に踏み切れず、中継ぎ投手に頼るケースが増えます。そう、それだけ、中継ぎ投手の任務はタフだといえます。また、ことばは悪いですが、負けゲームでの「敗戦処理」の汚れ役も中継ぎ投手が担わなければなりません。

以上を考えれば、(ベテラン投手+若手投手)のペアで1試合の中継ぎをまかなうプランが理想ではないでしょうか。もちろん、いずれも「タフなこと」が絶対条件です。
仮に、中継ぎ陣を、(上原投手+涌井投手)と(川上投手+田中投手)の2組用意すれば、どのようなケースにも対応できる采配ができたのではないだろうか? と思います。 (2008/10)

(2)中継ぎを重視すべきだ

昨年の北京オリンピックにおける日本野球を反省して、「中継ぎを重視すべきだった。」と述べました。

来月から行われるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に向けて、同じことを繰り返し強調したいと思います。

現代の野球では、投手陣は、先発・中継ぎ・抑えの3つに役割分化が進んでいます。それに加えて、今回のWBCでは、投手の投球数の制限が実施されます。
そのため、従来とは異なった投手起用が求められます。
端的にいうと、先発と中継ぎの間に「第二先発」を挟むというアイディアが検討されています。

先発:4イニング
第二先発:2~3イニング
中継ぎ:1~2イニング
抑え:1イニング

およそ、このような配分で投手を回せたチームが優勝するように思います。

今回、投手陣は13名がノミネートされました。彼らを、以下のように配置してみます。

先発:松坂、ダルビッシュ、岩隈
第二先発:涌井、小松、杉内
中継ぎ:(渡辺、岩田)、(田中、内海)
抑え:藤川、馬原、山口

今回は「中継ぎ」を「第二先発+中継ぎ」に発想を転換して、「第二先発+中継ぎ」の総力を動員すれば、プエルト・リコや韓国を破ることができるでしょう。 

くれぐれも、抑えの投手を中継ぎに使ったり、抑えの投手を1イニングを超えて投げさせたり、同じ投手ばかり使いすぎたりしないでもらいたいと思います。その我慢ができたら、日本野球の見通しは明るいと思います。 (2009/2)

(3)スモール・ベースボールの勝利

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本の連覇に終わりました。韓国との決勝戦は文字通り紙一重の闘いでした。

日本を勝利に結びつけたのはスモール・ベースボールであったといえます。
短打や四球で塁に出た走者を、進塁打やバントや盗塁で塁を進め、適時打や犠牲フライで返すという野球がスモール・ベースボールです。日本はこのスモール・ベースボールを貫いて優勝しました。犠牲フライの多さは出場チーム中で群を抜いていたのではないでしょうか。

対するアメリカ、ベネズエラ、プエルト・リコなどは華々しくホームランを飛ばす野球でしたが、日本や韓国の優れた投手にかかると思うような結果が出ませんでした。

第二次ラウンドの一位決定戦、決勝トーナメントの準決勝、そして、決勝と、日本チームは見事ヒット・エンド・ランを決めました。これが、スモール・ベースボールの結晶といえるものです。これは、韓国チームにも見られない日本チーム独特の戦術で、ヒット・エンド・ランができる・できないが両チームの差となったように思います。

投手陣では、先発の松坂・岩隅・ダルビッシュの3本柱の安定感が図抜けていました。「中継ぎを重視すべき」という私の持論をあざ笑うように、3人とも中継ぎの負担を減らす頑張りを見せました。中継ぎ陣の中では、杉内が良かったように思います。岩隅が6回、杉内が3回投げて、キューバを零封した試合は、日本投手陣の真骨頂を示すものでした。

「くれぐれも、抑えの投手を中継ぎに使ったり、抑えの投手を1イニングを超えて投げさせたり、同じ投手ばかり使いすぎたりしないでもらいたいと思います。その我慢ができたら、日本野球の見通しは明るいと思います。」と事前に述べましたが、それが杞憂に終わりました。

よく守って、コツコツと点を稼ぐという、日本のスモール・ベースボールが実った第二回WBCでした。 (2009/3)