静聴雨読

歴史文化を読み解く

京都に隠棲する友に贈る詩

2006-04-14 12:46:50 | 文学をめぐるエッセー
知人が京都に部屋を借りたと聞き、驚き、うらやましく思い、かつ、困ったなと思った。この複雑な気持ちを綴ってみたい。

彼はPCに関する私の相談役だ。近くにいなくなるのは困る。しかし、いずれ、PCを設置し、Eメールで相談にのってもらえるだろう。

首都圏にある家はそのままに、単身で行ったり来たりの生活をするそうだ。「何のために?」などと野暮なことは聞くまい。永年働いて退役したのだから、何をしても(あるいは、何をしなくても)いいのだ。それにしても、その経済的余裕がうらやましい。
今、定年後をタイ・マレーシアなどの海外に移住したり長期滞在したりすることがはやっているらしいが、その長期滞在型だろうか? その場合、夫婦で滞在することが多いようだが、彼の場合は単身で、その点がユニークだ。それで、彼のパターンを「隠棲型」と名づけたい。
実は私も一時神奈川県央の丹沢山系を望む町に住まったことがあり、そのとき、戯れに、修学院に隠棲した兼好法師や吉田山の山麓に庵を結んだ鴨長明に自らを擬したことを思い起こす。しかし、彼の場合は本物の京都だ。うらやましく思う所以である。

ここで、彼に王維の詩「元二の安西に使いするを送る」を贈りたいと思う。
「謂(本当はサンズイ)城の朝雨軽塵をうるおし 客舎青青柳色新たなり」で始まる詩だ。時4月、昨夜来の大雨が中国大陸からもたらされた黄砂を洗い流してしまい、葉桜の緑が急に深まった。ピッタリの情景である。
さ、さ、もう一杯いきましょう、西の方、熱海を過ぎて丹那トンネルを抜ければ知った人もいなくなるでしょうから。「君に勧む更に尽くせよ一杯の酒を 西のかた陽関を出づれば故人なからん」
「蛍の光」の曲に合わせて朗々と歌えば送別気分が盛り上がる。
若干の誇張とデフォルマシオンはあるものの、送る側の気分に誤りはない。送られた側の後信を待つことにしよう。  (2006年4月)

日本選手の実力は? =野球の話=

2006-04-12 07:14:58 | スポーツあれこれ
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝してから、世界で日本野球の評価がうなぎのぼりです。以下は日本選手の実力についてのひとつの見方です。

WBCの準決勝でイチロー選手を3番に起用した王監督の采配が評価されました。この采配にはウラ事情があり、実は、岩村選手のケガ欠場に伴って実現したのでした。

数年前、ある日本人の野球評論家が、中村選手(現オリックス)や小笠原選手(WBCにも出場)は、大リーグでは通用しない、と断言しているのを目にしました。その理由はこうです:彼らは振りが大きすぎる。大リーグでは、コンパクトでシュアなバッティングをしなければ、投手の「動く」ボールに対応できない。真直ぐのように見えるボールが、実は微妙に「動き」、それでバッターのタイミングがずらされる。この「動く」ボールに対応するには、振りをコンパクトにして、シュア・バッティングを心がける必要があるというのが、その野球評論家の意見でした。
なるほど、大リーグで成功している松井秀樹選手(ヤンキース)や井口選手(ホワイトソックス)は、日本時代に比べお尻回りは大きくなっているのに、振りははるかにコンパクトに変わっています。イチロー選手は言わずもがな、です。
中村選手は大リーグで成功せず、小笠原選手は大リーグに呼ばれない。野球評論家の意見はなるほどと思いました。岩村選手も同じタイプのようで、WBCでは、小笠原選手と同じように苦労していました。
イチロー選手の3番は、文字通り、岩村選手の「ケガの功名」によるものでした。

松井稼頭央選手がメッツに入団してすぐ後の守備練習で、コーチから「捕球から一塁への投球までの間に手に無駄な動きがある」と指摘されたことがあります。松井選手はびっくりしていました。日本のコーチからは指摘されたことがなかったからです。
日本のコーチは松井選手のクセは知っていたけれど、矯正しなくても日本の野球では通用すると判断して、本人に伝えなかったのではないでしょうか? 大リーグでは通用しないため、コーチからの矯正アドバイスがあったのでしょう。
中村選手は捕球の前にグラブをポンと叩くクセがあり、やはり「無駄な動きだ」とコーチに指導されていました。
守備にスピードが要求されている一つの例証です。

さて、日本選手の実力は?  (2006年4月)