静聴雨読

歴史文化を読み解く

バイロイト詣で(6-8)

2013-04-09 07:35:38 | 音楽の慰め

 

(6)祝祭歌劇場

 

バイロイトから戻った。そこでの印象を記していきたい。楽劇については、補習が必要なので、しばらく措いて、歌劇場の印象などから記していく。

 

バイロイトの駅から外に出て、北側(右側)を望むと、丘の上に、祝祭歌劇場の茶色の瀟洒な建物が見える。ああ、バイロイトに来たな、という実感が湧いてくる。

駅から祝祭歌劇場まで、歩いて20分。私のホテルは駅から南に5分のところにあったので、毎日25分かけて、「バイロイト詣で」の儀式に参加したことになる。

 

最初の日、開演の15分前に歌劇場に入り、自分の席を探そうとして、奇妙な光景に出くわした。それぞれの座席に到達した観客が、皆、立っているのだ。貴顕の列席に敬意を表しているのかと思った。プレミアの日には、メルケル首相はじめ、錚々たる面々が列席したことが新聞で報じられていたから、この日も同じようなことがあるのかと思った。

 

どうも様子が違う。

座席に到達した観客が、後から来る観客が自席に到達するのを助けるために、立っているのだ。何故なら、座っていると、前を人が通れないほど、前後の座席間隔が狭い。これで謎が解けた。

 

座席そのものも、粗末で、観客の中には座布団を2枚持参する人もいた。1枚は尻の下に敷き、1

枚は背中に当てるためだ。小柄の私の場合、足が床につかず、これを含めて大変な難行苦行を強いられることになる。 

 

(7)建築基準法

 

祝祭歌劇場は、横幅が広く、奥行きが狭い印象を受けた。これは、客席にも舞台にも当てはまる。

 

1階の平土間を例に引くと、30列あり、各列におよそ60席がびっしりと並んでいる。いかに奥行きが狭いかがわかろう。30列は歌劇場としては少ない方だ。その30列を確保するのも並大抵のことではなく、前回述べた「前後の座席間隔が狭い」設計にして初めて30列が可能になった。通常の設計では、20列か22列を配置するのが精一杯のはずだ。

 

一方、各列におよそ60席というのもずいぶん詰め込んだものだと思う。そして、驚くことに、60席を区切る通路がまったくない。そのため、観客は左と右の入口からしか自分の席につけない。前回述べた「座席に到達した観客が、後から来る観客が自席に到達するのを助ける」必要はここから生じている。

 

『ニーベルングの指輪』が上演された4晩、毎回、必ず開幕間際に入ってくる人がいた。その人が自席につくまで、我々はいつも最後まで「立って」いなくてはならなかった。

 

『ジークフリート』の公演の第2幕の前でも同じ事態が起こった。貴婦人とその連れが開幕ぎりぎりに入って来た。私は、そこで、「ノー! (扉を指して)そこに居たら。」と話した。彼女の顔が見る見る蒼白になった。彼女は連れと一緒に扉のところに戻り、係員となにやら話している。「彼は正しい。あなたたちはいつも遅く戻ってくる。」隣の席の男性が係員のことばを英語に通訳してくれた。

 

なおしばらく彼女と係員のやりとりが続いた後、係員が私に向かって「 Excuse me. 」と話しかけてきた。(この二人連れのために通路を作っていただけませんか?)といわれることがわかっていたので、私は席を立った。同時に、左右の観客も一斉に立ち上がった。私の前を仏頂面をさげて貴婦人が通り過ぎていった。

 

このような輩(やから)はどこにもいるものだ。

女性のわがままは世界共通だ。それをやんわりと諌める役割が連れの男性に求められているのだが、この男性は頼りない存在だった。

 

楽劇そのものは定時に開始する。定時間際に係員が入口のドアを閉鎖する。

 

さて、客席を縦に区切る通路をまったく持たない客席構造は、ドイツの建築法規は知らないが、わが国の現在の建築基準法では承認されないにちがいない。ひとたび、火災や地震が起これば、中央部の観客は避難・脱出するのが遅れて大惨事になることが明らかだ。 

 

(8)オーケストラ・ピット

 

祝祭歌劇場の大きな特徴の一つがオーケストラ・ピットの構造にある。オーケストラ・ピットが客席から見えず、舞台の下にあるということだが、実際の配置はどうなっているのだろうか? こう考えたのだが、実際、歌劇場に赴いてみると、本当に、客席からオーケストラ・ピットはまったく見えない。

 

市内のワーグナー博物館に、このオーケストラ・ピットの模型が展示してあった。これで、その構造を理解することができた。

 

ひな祭りの「ひな壇」を想像してもらえばわかりやすい。「ひな壇」を表裏逆にして、指揮者が最上段に座り、楽員が下の段に配列されているのだ。そして、その段は7段。上段から、指揮者、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、木管楽器、金管楽器、打楽器の順に並ぶ。図体の大きいコントラバスやハープなどは脇の壁にへばりつくように配置されている。

 

オーケストラ・ピットは舞台の奈落に展開していて、指揮者が舞台の床のレベルにいるらしい。

客席から聴くオーケストラの音は限りなくまろやかなものだ。ちょうど、大きなラッパの口から、オーケストラ全体の音が混じりあって出てくるような味わいで、かつ、舞台の木のぬくもりも音をまろやかにすることに貢献している。これは、聞きしに優る音響効果だ。

 

1876年、この祝祭歌劇場の柿落としに、バイエルン国王ルートヴィヒ二世が訪れて、『ニーベルングの指輪』を鑑賞した。初めの『ラインの黄金』は、国王ただ一人のために上演された。これが国王の流儀で、国王は民衆とともに鑑賞することが嫌いであった。

 

ところが、『ラインの黄金』が終わったあと、以降は、歌劇場内を観客で満たした状態で聴いてみたいとの仰せがあり、実際、『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』は満員の客を入れた状態で上演された。この件に関する国王の感想は残されていないが、おそらく、満員の客を入れた歌劇場の音響効果にご満悦だったのだろう。そして、ワーグナーもまた、建物と人間が織り成す音響効果に国王自身が気づかれたことに、また、満足したはずである。

 

このように、バイロイト祝祭歌劇場は、オーケストラがまるで一つの楽器のように鳴ると同時に、歌劇場全体が大きな一つの楽器として響くように設計されたワーグナーの会心作だったわけだ。

 

だが、楽員は辛いだろう。4時間にわたって、大音量を狭いオーケストラ・ピットで味わい続けなければならないのだから。 (2009)

 

 



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