静聴雨読

歴史文化を読み解く

企業戦士

2013-02-01 08:43:00 | 社会斜め読み

 

アルジェリアの天然ガス・プラントにたいする襲撃事件を受けた日本政府の反応は、予測できたとはいえ、異様であった。

 

菅官房長官は記者会見で、「情報が錯綜して、あるいは情報がなくて、人質となった日本人の安否は不明」と繰り返した。ところが、その言葉は淀み、視線は宙に泳いでいた。「何か、隠しているな。」と読み取れた。肝の据わらない人だな、と思った。この人は、東日本大震災と福島原発事故が起こった時、菅(こちらは、カン)内閣の対応を口を極めてののしった当人だ。「危機管理の強化」を標榜する安倍内閣の官房長官として、どうかな? と感じざるをえなかった。

 

安倍首相は、人質となった日本人を「企業戦士」と呼んだ。懐かしい言葉だ、しかし、古臭い・嫌な言葉でもある。

 

「企業戦士」とは、企業のために、24時間、世界中で働く日本人のことだ。高度成長時代には、誇らしく持ち上げられた人たちだ。しかし、企業のために自己犠牲を厭わない生き方が流行らなくなった今、この言葉は死語に近い。

 

今回犠牲となった日本人を見ると、日揮の役員を「上がった」特別顧問、派遣会社から日揮に派遣された中高年のエンジニアや職人が多かった。一方、日揮の中枢を担う幹部社員や幹部エンジニアはいなかった。これが、アルジェリアのプラントで働く人たちの平均像なのだろう。彼らは、「企業戦士」というよりも、むしろ、前に述べた「外人部隊」と呼ぶのがふさわしい。日揮という企業に雇われた傭兵。この認識は、日揮の記者会見によく現れていた。日揮は、「日本人10人と外国人7名、計17名の犠牲者を出して、痛恨の極み」と表明していた。日揮にとって、日本人も外国人も日揮のために働く傭兵なのだ。一方、日本政府は、「世界中で働く日本人の安全確保にさらに必要な措置を講ずる決意だ」と述べ、その視野に入っているのは、日本人だけだ。日揮と国のスタンスの違いが際立っていた。  (2013/2)