アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

二風谷フィールドワーク 3 「ノカピラ」

2007-10-31 13:53:53 | インポート
故萱野茂さん監修で石坂啓さん作の「ハルコロ」というマンガがあります。

少女が成長するまでの物語に加え、アイヌの生活や歴史、
そしてカムイの物語がちりばめられた内容豊かな二巻ものです。
               (「ハルコロ」 石坂啓作 本多勝一原作 萱野茂監修 潮出出版) 

この物語のはじめに、カムイの国からオキクルミという若い神が
アイヌ・モシリ(人間の住む地)に降りてくる話があります。


沙流川に降臨した神オキクルミはアイヌの人々と共に住み、文化を教えました。
ある年の冬、一夜で家が埋まるような大雪に見舞われ、
食料であるユク(シカ)が次々と死にました。

オキクルミは心をいため、自分の食べる分を減らしてまでも
アイヌたちに食料を分け与えました。
オキクルミの妻が各々の家の窓からそっと食料を差し入れていったのです。

ところが、ひとりの若者が窓から差し出されるオキクルミの妻の手を見て
あまりにも美しかったので、思わずその手を握ってしまったのです。

それに怒ったオキクルミは神の国へと帰ってしまいました。

こんな、話です。

先日のフィールドワークで訪れたところに、「ノカピラ」があります。
ノカ(形)ピラ(崖)という意味で、地域の言い伝えによると、
ここにオキクルミが妻ではなく妹と住んでいたそうです。



ある年、対岸のシケレペコタン(村)が大飢饉となります。
オキクルミは沙流川河口の浜へ行き、鯨を獲って煮物を作り、
お椀にいれて妹に一軒づつ届けさせました。
その妹の手を見て、是非とも顔を拝みたいとその手を引っ張った男がおり、
そのとたんに雷鳴が鳴り響き、怒ったオキクルミは妹とカムイの国へと
帰ってしまった、


という話となっていました。


ここには、さらに伝説が残っていて、突然に帰った後に、
妹の使っていた箕がそのまま残され、その箕が今も崖の一部に残っているので、
箕の形(ノカ)が残っている崖(ピラ)=ノカピラと言い、
古くから村の人たちのチノミシリ(祈りの場)となっていたそうです。
(貝澤美和子さん談)

箕は、半月型のザルのような形で、籾殻と実を分ける道具(と言っていいでしょうか)。
下のノカピラの写真にも見えますね。不思議な形がくっきりと残っていますね~




フィールドワーク 2

2007-10-28 16:06:10 | インポート



オプシヌプリを眺め。
(昔、沙流川流域のアイヌと十勝のアイヌが争いになったとき、オキクルミは
お互いに血を流すことを避けるために弓の技くらべをしようと提案しました。
そしてまずオキクルミがヨモギの矢で川向こうの山を射た所、一本の矢で
山に穴があいてしまい、それを見た十勝アイヌは恐れをなして逃げ帰ってし
まいました。そこで今も山の上あたりに穴が空いた跡が見えるとのこと。
「穴あき山」の向こう側には今でもヨモギがいっぱい自生しているそうです。
1900年ごろまでは穴が空いているようなものでしたが、上の部分が崩れ、
今は、くぼみが見えるだけとなっています。
写真の向こうの山の上がくぼんでるのがわかります?


二風谷アイヌ民族フィールドワーク

2007-10-28 16:04:40 | インポート
昨日、二風谷のシケレペッ農場(貝澤耕一さん、美和子さん)にて、
アイヌ民族フィールドワークが行なわれ、6教会から8名が参加しました。

午前中は、アハ(日本語でヤブマメ)を近所で自生しているところへ掘りにいくところから始め、
アイヌ料理を一緒に作って食べました。
アハは表面の土色の皮を一枚はがしてくさみをとるためにサッと軽くゆがき、
お米と粟と一緒に炊き込みました。

おかずは粟の粉と米粉で練ったシト(だんご)。
ゆがいたシトにイクラや油で揚げた昆布を砕いて砂糖を入れて作ったタレをのせたもので
(コンブシト)とってもうまかった。

そして鹿肉をふんだんに使い、二輪草やキトピロ(行者ニンニク)の乾燥させたものを入れて
作ったユクオハウ(鹿汁)。

本で読むのとは違い、体験することで水加減や炊き方のコツ、食べ物にまつわる
多くのことを教えて頂くことができ、とてもいい経験になりました。

そしてどれも美味しかったこと!! さらに鹿のステーキまでご馳走になりました。

食前の祈りはディヴァン宣教師がブヌン語でしてくださり、
はじめて聞く言葉に思いを馳せ、感謝の祈りを重ねました。



アハごはん


おなかも満たされ、午後は、二風谷のアイヌ語地名を実際に車で廻って説明をきくツアーへ出発! 
二風谷アイヌに伝わるオキクルミの神話や、独特な地形に伝承されたお話、
さらに、アイヌ民族の歴史や伝統文化にまつわるお話と、移動中の車の中も含めて
とても充実した学習となりました。

最後はゆったりと散歩をしながら感想を語り合う時も持ててよかったです。
何よりも、講師の貝澤美和子さんがいきいきと目を輝かせてお話くださったことに感激しました。 

身も心も満腹した一日でした。感謝!



オプシヌプリを眺め。

(昔、沙流川流域のアイヌと十勝のアイヌが争いになったとき、オキクルミは
お互いに血を流すことを避けるために弓の技くらべをしようと提案しました。
そしてまずオキクルミがヨモギの矢で川向こうの山を射た所、一本の矢で
山に穴があいてしまい、それを見た十勝アイヌは恐れをなして逃げ帰ってし
まいました。そこで今も山の上あたりに穴が空いた跡が見えるとのこと。
「穴あき山」の向こう側には今でもヨモギがいっぱい自生しているそうです。
1900年ごろまでは穴が空いているようなものでしたが、上の部分が崩れ、
今は、くぼみが見えるだけとなっています。
写真の向こうの山の上がくぼんでるのがわかります?


毛皮などを交易していたアイヌ民族

2007-10-26 15:32:20 | インポート

旭川市博物館へ行った際、写真がふんだんに用いられている本を購入しました。
大塚和義さん編著「ラッコとガラス玉~北太平洋の先住民交易」です。
国立民族学博物館で2001年に同テーマの特別展を行なった時の本のようです。


数ヶ月前に網走の北方民族博物館で、わたしたちがなじんでいる日本を中心にした
世界地図を、上下逆に、北極を下に日本が逆さまになった地図が書かれていて、
いつもと違う見方が出来たことに、はっとさせられました。

今回も、北方民族の生活ルート、交易ルートを掲載されている地図から見直すと、
北海道から千島(クリル)列島へ、そしてカムチャッカ半島へのつながり、
カムチャッカからさらに、アリューシャン列島を経由してアメリカの西海岸へと
ルートが広がっていることがわかります。
また、サハリンの北から大陸へ渡って、アムール川をはるかに上って
大陸の奥へと続く道などもよく見えてきます。


北方民族はたいへん寒いところですから、厳しい生活を強いられますが、
海洋資源は豊富で、特にラッコ、キツネ、クロテンなど上質の毛皮を持つ
動物たちの宝庫でもあり、それらをアイヌは古くから先ほどのルートを使って
交易していたことが記されています。

特にラッコの毛皮は重宝されたようです。ラッコはアイヌ語で「海のカワウソ」
という意味で、他の動物とは違い、毛がどの方向にもなびくのだと以前、
川村カ子トアイヌ記念館の川村館長から教えて頂いたことがあります。



アイヌは伝統的な採集民として生活するだけでなく、中国を軸に近隣諸国を交易のネットワーク
で結んで台頭した東アジア商品経済圏の波及を受けて、その枠組みに組みこまれていった。
その時期は13~14世紀ごろで、広範な地域を自在に大型交易船イタオマチプを運航して交易
を行い、財力や武力を蓄えた。一例をあげるならば、サハリンアイヌはニヴフと戦闘して敗走させ、
アムール川河口になで追いつめて救援の元軍と直接に戦っている。これほどの戦闘力をもつア
イヌ社会の集団組織化は、いうまでもなく交易経済の利益に裏打ちされたのものである。
                                     (同書P36)



アイヌは14~16世紀半ばまでは交易による経済力をバックに和人と対等、
あるいはそれ以上の勢力を持っていたといわれます。

以前にも書きましたが、アイヌにとって、海はどこまでも果てしなく続く道路だったのですね。


いよいよ、明日は二風谷アイヌ民族フィールドワーク。
雪が今にも降りそうでとても寒く暗い今日ですが、明日は晴れますように。
往復500キロを超える道のりですので早めはやめに行動しようと思います。



とうとう現れた熊!! の剥製(旭川市博物館の展示物) ぶさいくですね


合唱劇「カ子ト」旭川公演準備始まる

2007-10-25 08:30:35 | インポート

先住民族関連ニュースにもUPしましたhttp://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/が、
毎日新聞 2007年10月12日付の記事
「合唱劇:難工事に挑んだアイヌの技師描く 「カネト」を名古屋で来月公演 /愛知」
によると、合唱劇「カネト」の愛知講演のための準備が進められているようです。

合唱劇「カ子ト」は、川村カ子トアイヌ記念館の2代目館長である川村カ子トさんの生きた道を描いており、
アイヌへの差別と闘い、測量技師として険しい所を測量し、生き抜いた歩みを合唱劇にしているそうです。

昨日、川村カ子トアイヌ記念館に寄り、旭川でも「カ子ト」公演が来年の7月にあり
その準備会が始まっていることを知らされました。

事務局は川村カ子トアイヌ記念館内(0166-51-2461)。
事務局も少なく、われこそはと思われる方は是非とのこと。

また、愛知でもそうですが、一般の方からも合唱団員を募集し、
参加型の劇を考えているようです。旭川では100名を募集しています。歌の好きな方、是非!!


そもそもカ子トエカシのことをもっと旭川市民に知っていただこうと
来る、11月11日(日)14時からときわ市民ホールにて
「合唱劇『カ子ト』を知る会」を行い、カ子トエカシ紹介ビデオや歌を一緒に歌おうと
呼びかけておられます。

詳しくは川村カ子トアイヌ記念館へ。


さて、今日は所用を兼ねて、旭川市博物館に行って来ました。
博物館では企画展「カムイのもとに暮らして~アイヌの人々の四季」が今月の初めから始まり、
アイヌ民族の展示物が多くなっています。

この企画展に、以前に紹介した絵本「くまのしっぽがみじかくなったわけ」の絵を描いた
黒瀬さんの絵が数枚飾られています。A2以上の大きさだったでしょうか。
わりと大きい紙に繊細な色使いの水彩画でした。とてもきれいでした。
絵本の原画かと思いきや、新しい絵でした。
ここに紹介したいのですが、ご本人から承諾を得てからにしますね。
http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/museum/index.html(旭川市博物館HP)

企画展は12月9日までとのこと。時間を見つけてどうぞ!
http://www.frpac.or.jp/kodomo/flash/ehon/shippo/shippo.html(アイヌ推進機構HP)

今週の土曜日はフィールドワークに二風谷へ。申し込みも終わりました。
8名ほどで行ってきます。



隣町の山(暑寒別)の登山口辺りに見つけた熊のふん(だと思うのですが)
大きさは、わたしの両手には乗らないぐらいです。乗せて写せばよかったのですが(苦笑)


風邪

2007-10-20 21:25:33 | インポート
ブログ日誌にも記してきましたが、今週は帯広の日帰り往復をし、
木曜日には日高の二風谷往復をして、ちょっと疲れが出たのか、今日はめずらしく寝込んでしまいました。

昨夜、深夜に胃腸全般と背中に鈍痛が襲ってきて眠れず、いよいよ肝臓かと思って朝一番で病院に行ったのですが、
風邪から来る急性胃腸炎とのことで、座薬一本15分で痛みがなくなりました。

9時間眠れずにのた打ち回っていた痛みはなんだったのかと思うほど。非常に単純な身体です。
それでも痛みをとるだけの処方でしたので、今日は大事をとるべく、楽しみにしていた講演をあきらめました。
とても残念です。

ひさびさの身体の痛みを伴う病気でした。
朝、痛みと寝不足、疲れで病院に行くにも時間がかかり、気力がわいてこない、マイナス思考、だるい、と
普段は考えない体験をしました。時々、必要だなと実感しました。
しばらく病気モードでスローペースにいようと思います。

来週の土曜日はフィールドワークで二風谷日帰りですが、それまでには完治しようとおもいます。
みなさんも季節の変わり目ですからご自愛下さい。
(教職講座で2時間の露天風呂がまずかったか・・・・)




紅葉もそろそろ散ってきます


教職講座

2007-10-19 07:43:45 | インポート
17日に二風谷の貝澤さんをお訪ねし、翌日の打合せをしました。
夜は、夕張で開催中の牧師たちの研修会(教職講座)へ。

18日は教職講座の中でアイヌ民族のお話を聞く時間を持ちました。
講師は貝澤美和子さん。
二風谷の地名からアイヌの伝説、また、歴史を教えて頂きました。
パワーポイントを使っての講演で、楽しみながら聞かせて頂きました。
写真やご自身で描かれた絵を貼り付けたりして分かりやすくお話くださいました。

来週は実際に二風谷をお訪ねし、フィールドワークを行ないます。
希望される方は10月22日までお名前・住所・連絡先をご記入の上、下記へ。

日時 2007年10月27日(土) 午前10時~ 午後3時
場所 二風谷シケレペ農場(貝澤宅集合)
費用 2、000円(現地までは自己負担)
(前泊希望者は宿泊費千円、食費別で可能)
内容 アイヌ料理をみなで作って昼食・二風谷アイヌ語地名フィールド・ワーク

下記へ郵送、FAX下さい。
送り先 〒077-0032 留萌市宮園町3留萌宮園伝道所 0164-43-0128
メールでも可     E-mail ororon@jade.plala.or.jp (三浦)
主催:北海教区アイヌ民族委員会・アイヌ民族情報センター



明日は札幌大学のシンポジウムに出かけます。魅力ある講演が待っています。


二風谷の萱で作られたチセ

最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』

2007-10-17 07:28:19 | インポート
今日は27日に行われる二風谷フィールドワークの準備のために
二風谷をお訪ねし、明日に行なわれる事前学習会の打ち合わせもしてきます。

ついでに今から出て、道立図書館にも寄り、調べものをしてきます。

調べたいものの一つに最上徳内の書物があります。
徳内は1785年から1809年まで7回も「蝦夷地」を調査した人物で、
松前藩によるアイヌ民族への関わり方を『蝦夷国風俗人情之沙汰』に書いています。
松浦武四郎が蝦夷を訪ねる70年前のことです。

それによると、アイヌ民族(「夷人」)が「日本風俗に化し染まぬ様」にするのが
「松前家の掟」であり、もしアイヌ民族が「日本詞」を使用したり、笠、蓑、草鞋を用いれば
通詞(通訳)がこれを咎め、禁止に背いたとして「ツクナイ」を要求して謝罪を求めたと。
アイヌ民族を人として扱わず、モノとして利用していったということが証言されているのです。

しかし、間もなく幕府はロシア南下という外圧によって、1799年に「蝦夷地」を直轄し、
対アイヌ政策を「異化」から「同化」(「日本人化」)へと大転換します。
ロシアとの領土争いで、アイヌが日本人であり、「蝦夷地」は日本領土だということを
示すための政策に使われるのです。
日本によるアイヌ民族に対する同化政策が始まります。
都合のいいように利用してきたのです。

この『蝦夷国風俗人情之沙汰』が、三一書房刊『日本庶民生活史料集成』第四巻に
収められている情報を得ましたので、道立図書館に寄ってきます。



家の近くから


二風谷アイヌ民族フィールド・ワークのご案内

2007-10-15 06:20:38 | インポート
昨日は旭川で初雪が降り、帯広では初氷が張るほど寒い朝でした。

朝5時に留萌を出発し帯広教会に行って来ました。
午前は礼拝の説教奉仕、午後には「アイヌ民族とキリスト教」のテーマでお話をさせて頂きました。
帯広教会は創立100周年を記念して、様々なイヴェントを組んでおられます。
今回の講演も事前に北海道新聞(帯広版)に載せるなど準備をよくされてました。感謝でした。

富良野、狩勝峠を越えての往復480キロに、午前、午後とよくお話させて頂いたので、
帰宅後はバタンキュー。しかし、朝は早く目が覚めるのです。
今日は事務仕事をしつつ「ラスト・オブ・モヒカン」を観ようと思います。
上村英明さんの本にこの映画の背景が書かれてあったので、借りてきました。


二風谷アイヌ民族フィールドワークのご案内をします

主のみ名を讃美いたします。
それぞれ主に励まされ宣教の業にお励みのことと存じます。
恒例になりましたアイヌ民族フィールドワークは、今年は日高の二風谷にて貝澤美和子さんを講師として、
以下の通り、計画しました。
貝澤さんは二風谷周辺のアイヌ語地名を詳細に調べ、アイヌ語地名にまつわる歴史・文化を含めて
現地に出向き説明をされています。

わたしたちも実際にその場に出向き、アイヌ民族の歴史・文化に触れ、出会いを通して多くを得たいと願っております。
なお、昼食も伝統的な食材を使ってのアイヌ料理をみんなで作って囲みたいと思います。

さらに、この度の事前学習を兼ねた講演会を教職講座のプログラムの中(10月18日木曜日 午後1時より2時半)で、
貝澤さんをお招きして行ないます。映像を駆使した内容です。教区内の皆さんにご案内申し上げます。

☆フィールドワーク 
日時 2007年10月27日(土) 
午前10時~ 午後3時
場所 二風谷シケレペ農場(貝澤宅集合)
費用 2、000円(現地までは自己負担)
(前泊希望者は宿泊費千円、食費別で可能)
内容 アイヌ料理をみなで作って昼食・二風谷アイヌ語地名フィールド・ワーク

☆事前学習講演(公開 無料)
日時 2007年10月18日(木)
     午後1時~2時半           
場所 ホテルマウントレースイ(夕張)

フィールドワーク参加希望を10月22日までお名前・住所・連絡先をご記入の上、
下記へ郵送、FAX下さい。
送り先 〒077-0032 留萌市宮園町3留萌宮園伝道所 0164-43-0128
メールでも可     E-mail ororon@jade.plala.or.jp (三浦)

主催:北海教区アイヌ民族委員会・アイヌ民族情報センター


エゾジカの足跡


「野蛮」「未開」というレッテル

2007-10-12 16:22:45 | インポート

「この部門の目的は暗い原始から最も輝かしい開化へ、未開から文明社会へ、
利己主義から利他主義へという人類の進歩を示すことである」

セントルイス博覧会の人類学部門の責任者W.J.マクギーが
開催の意図をこのように語ったことは数日前のブログに書きました(10月3日付)が、
ボディブローがじわじわと後から効いてくるように、なんともいえない痛みと怒りが湧いてきます。

そんな時、また、上村英明さんの文章が目に入りました。
(以下、北教組教育政策調査研究室編「アイヌ民族についての連続講座」の中の
上村英明さん講演「先住民族問題と国際活動」を参照)

それによると、アメリカが連邦政府を設立するのにお手本としたのは、
イロコワ連邦という1500年代に5つの先住民族によって作られた連邦制だというのです。

五大湖の南部の方に住んでいたモホーク(カニエンケハカ)、セネカ、カユーガ、オネイダ、オノンダーカ
(後にタスカローラが入り6つになる)が、それまで争いごともしていたけれど、
皆で連邦を作ろうと会議でまとまり、各民族の主権を残したまま、その上に連邦政府を設立し、
以来ずっと自分達は国だと主張します。
この先住民族のひとたちが実は連邦制という政治機構の発明者だったのです。

そのイロコワ連邦の考え方、あるいは現実を現在のアメリカの連邦憲法を立案した者達が賞賛し、
多くを学んだということを1987年に上院・下院共同でひとつの議会決議として出しました。
1987年は米連邦憲法が制定されて200周年のお祝いの年でした。
その年、連邦憲法200年を記念しつつ、その憲法を作るのにイロコワ連邦の考え方に大いにお世話になった
ということが「とつとつと書かれてある」、議会決議を出したというのです。


マクギーがセントルイス万博で、先住民族を「暗い原始」で「未開」で「利己主義」とレッテルをはり、見世物にしたわけですが、なんとその400年も前から連邦制を実践し、後の合州国を形つくる大事な制度を先住民族は生み出していたのですね。


トウモロコシやイモ、コーヒーやタバコ、それにハンモックやカヌーも先住民族の知恵だ、と上村さんは語り、
そのように先住民族からずっと昔から学んできたことを
「ちゃんと認めるかどうか」が問われていると続けます。


今日は、千葉の教会から情報センター所蔵のアイヌ民族関連ビデオの問合せがあり発送準備をはじめました。
このようにどんどんと協会関係に用いられたらいいと思います。
リストはわたしまでどうぞ。

明後日の日曜日に依頼されている帯広教会の礼拝説教と午後の発題も準備中です。
今日はとても寒く、みぞれっぽい雪が降りました。日曜日の峠は大丈夫だろうかと
ちょっと不安になりました。




以前、麦が植えられていた丘(8月3日のブログ写真)。こんな秋晴れももう終わりそうです。


秋も深まり

2007-10-12 05:13:00 | インポート
札幌大学ペリフェリア・文化学研究所 シンポジウム・公開講座「アイヌの交易世界」の
案内を帯広のスタッフからFAX頂きました。
案内文は以下の通り。わたしも土曜日は参加しようと思います。日曜日も行きたいですが、時間的に無理ですねぇ。


札幌大学ペリフェリア・文化学研究所では、北方研究を大きな柱の一つとしています。略
本研究所は「アイヌ文化研究の今」をテーマに毎年1回、シンポジウムと公開講座を開催しており、第4回目となる今年は「アイヌの交易世界」をテーマにシンポジウムと公開講座を開催します。
参加希望の方はその旨を研究所へ。

<シンポジウム>
日時:10月20日(土) 13:30~17:30
場所:札幌大学 2107教室 (札幌市豊平区西岡3条7丁目)
内容:「近世アイヌ社会の交易品をめぐって」 佐々木利和氏(国立民族学博物館 教授)
   「アイヌ口承文芸に見る交易」 児島恭子氏(早稲田大学 講師)
「場所請負制下のアイヌ交易の姿」 谷本晃久氏(北海道教育大学札幌校 准教授)
参加料:無料

<公開講座>
場所:札幌大学 6102教室   受講者数:100名(先着順)   受講料:500円
・「詳説:交易をめぐるアイヌ口承文芸と交易のコトバ」 児島恭子氏 10月21日(日)
10:00~12:00
・「ウイマムと漆器」 佐々木利和氏 10月21日(日) 13:30~15:30 
・「近世アイヌ社会における交易品生産活動」 谷本晃久氏 10月28日(日) 13:30~16:00

後援:(社)北海道ウタリ協会、(財)アイヌ民族博物館、北海道新聞、
(財)アイヌ文化振興・研究推進機構





昨日は急逝された士別教会員の方の葬儀に急遽、出かけました。
故人は50歳の若い方でしたが、生前にいくつかの句会にも参加されていました。
そのお仲間たちが、弔句を詠まれました。
わたしにとっては始めてであり、故人を偲ぶ想いがとても心に染みました。

峠の紅葉が秋雨に潤い、残りのいのちを輝かせていました。



厳密な国際的定義がないから?

2007-10-08 14:29:17 | インポート
日本政府はアイヌを先住民族として認めない言い訳として、
「先住民族」というものの厳密な国際的定義がないということをあげています。

このことについて9年も前に出版された本「アジア・太平洋の先住民族」(ヒューライツ大阪解放出版社編)で
上村英明(市民外交センター代表)さんが政府の矛盾を指摘しています。

それは、日本政府が91年に国連に提出した国際人権規約・自由権規約に関する第3回定期報告書には
アイヌ民族を
「少数民族であるとして差し支えない」と報告したことです。

そもそも、この「少数民族」の定義は国際人権規約・自由権規約のどこにも書かれておらず、
92年に採択された「少数者(少数民族)権利宣言」を含めて、どこにも「少数民族」に関する厳密な国際的定義は存在しないのです。
それなのに政府はアイヌを少数民族と定義し、「先住民族」については認めないのは矛盾している、と述べるのです。

この矛盾は97年の差別防止・少数者保護小委員会でも取り上げられており、
日本政府の「おかしな態度」として注目を集めたという事も書かれています(P68,69)

今回も「先住民族の権利宣言」が採択されつつも、いまだに同じ矛盾した理屈で通そうというのでしょうか。
国際的にそれが認められるのでしょうか。

上村さんはこの度の、政府がアイヌ民族にかかわる審議機関設置を考えていないとする答弁書を提出したことを受けて、
「政府は、協会が二十年間一貫して、国連で、アイヌは先住民族だと主張してきたのに、
ただ定義がないというばかりで反論できないできた。こんな姿勢は世界に通用しない」

コメントされています(北海道新聞10月7日 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/53618.php)

要は、「少数民族」と確定してもそれに伴う自決権などの様々な権利主張はされないけれど、こと、「先住民族」と確定しては権利主張されるのが困るということなのでしょうか。


今日は年末に全国発送するアイヌ奨学金の募金趣意書の準備で忙しくしつつ、以前に読んだ上村さんの文を思い出したのでUPしました。



今年は雨が少なかった影響で川水が少なく鮭がのぼってこられないで川尻にうようよしています。
たくさんの背びれが見えます?


OKI トンコリライヴ

2007-10-08 10:48:21 | インポート
昨夜(7日)は、少々、無理して旭川にOKIのライヴを聴きに行って来ました。
始まるまで時間があったので川村カ子トアイヌ記念館近くの銭湯「熊の湯」でゆったりとお湯に浸かってきました(オヤジくさっ)。
それでも時間が余ったので記念館の展示品を改めてじっくりと見ていたら、
若い子達も集まって来て、はじめて見るアイヌ民具にキャーキャー言っていました。
「キャー!これヤバくない?」「鮭の皮で出来た靴だってェ~ ヤバいよ~」
“ヤバい”とはいい意味なのか、本当にやばいのかよくわからないなぁと苦笑しつつ、
お笑いタレントの柳○さんのような話方を(?)ライヴで聴けたことは田舎暮らしのわたしにとっては得した気分でした。

コンサートが始まる頃には200人ぐらいはいたでしょうか。
お洒落な若者も多かったですが、ご年配やお子さん連れも結構来ていて、
ファンの幅の広さに驚きました。

内容もしんみりと心をなごませる曲から、馬が草原を走るようにリズミカルなものまであり、
聴きごたえがありました。
さらに今回は音響効果で音を遅らせたりエコーをかけたりという新たな技術が加わり
とてもカッコよかったです。楽しませて頂きました。

しかし・・・一部の終了でわたしも力尽き、帰途に向いました。


木々も色づいてきました  旭川から留萌へ向う峠


先の国連の「先住民族の権利に関する国連宣言」の採択を受けて、日本政府はアイヌ民族の権利などについて検討する審議機関を設置ことは考えていないとする答弁書を5日に提出した(どこに?)ことが北海道新聞(10/7)に掲載されました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/53618.php

「先住民族」の位置づけがなされていないからアイヌが先住民族かどうかは確定できないと、ごまかしの対応を、政府は今後も続けるつもりなのでしょうか。
こちらにも新聞記事をUPしましたのでご覧下さい。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/


旭川カムイコタン フィールド・ワーク

2007-10-07 15:04:35 | インポート

わたしたちアイヌ民族委員会(アイヌ民族情報センター)と道北クリスチャンセンター主催で
10月4日から10日の一週間、台湾原住民族と出会うツアーが行なわれており、
スタッフ数名が旅の途中におります。豊かな時が持てますように。

わたしは留守番組で、昨日のフィールドワークや今夜の川村カ子トアイヌ記念館祭に参加したり、
来週の帯広教会での講演の準備を行なっています。
(本当は札医大のイチャルパにも参列したかったのですが、
10月5日のはずだったと思いきや3日に行われていたのですね。情報が入らず残念でした)。


石狩川をさかのぼって、旭川入り口付近をカムイコタン(神居古譚)と呼びます。
そこはけわしい断崖と激流のため、上川アイヌの人々が石狩方面と往来する時の最大の難所だったそうです。
以前にもかむコタンのことをUPしましたが、昨日、川村カ子トアイヌ記念館主催の
カムイコタンフィールドワークが行なわれ、参加させて頂きました。
講師は、カムイコタンを長きに渡って調べ、著作まで出された由良 勇さん。
午前中は由良さんより説明を兼ねた講演をして頂き、午後に実際にカムイコタンを廻りました。
川村シンリツエオリパックアイヌさん、川村久恵さんにもガイドして頂き、
さらに、参加者の中にはいろいろな知識をもっておられる方がおられ、よい学びとなりました。
実際に現地に行って、アイヌ民族伝説のいわれのある岩などを見ると、
迫力も感じられましたし、おもしろさが十分に伝わりました。
これからも頻繁に行なえたらいいですね。
事前説明など、スライドやパワーポイントを使ってもいいでしょうね。
協力できることはさせて頂きたいと思いました。



ニッネカムイ・オラオシマイ Nitnekamui-o-rawoshma-i(魔神が・そこで・ぬかった・所)



そうそう、今夜はこれから
 OKI Tonkori Solo Live です
  トンコリ OKI   ダブミックス 内田直之  Marewrew
  10月7日(日)  18:30会場  19:00開演 
  詳細は川村カ子トアイヌ記念館へ


セントルイス万博とアイヌ民族

2007-10-03 21:40:55 | インポート
バチェラーがなぜ植民地主義を正当化し、アイヌを見世物にする催しにアイヌを推薦したのでしょうか。

このあたりを今回の道新の連載は深めていると先に書きましたが、そうでもありませんでした(よく読んでいなかった・・・)。

セントルイス万博に関して参考になるといえば、1996年6月10日~12日にNHKのETV特集「シリーズ 世界が見つめたアイヌ文化」を三夜連続で放映しましたが、その3回目に取り上げていた「アイヌ 太平洋を渡る~アメリカ」のDVDが資料室にありました。
上村英明著『先住民族の「近代史」』も参照にしつつ、もう少し、まとめてみようと思います。
 
 セントルイス博覧会の正式名称は「ルイジアナ購買記念万国博覧会」といい、アメリカがフランスからルイジアナ(ミシシッピー川以西ロッキー山脈にいたる果てしない大地)を買い取って100年目を迎えたことを記念して行なわれます※2。
当時イギリスから独立したアメリカは、ルイジアナを得て、領土を倍にし、さらに、本格的な「西部開拓」を始めます。ルイジアナは当時その地域で最大の都市でした※2。
博覧会の人類学部門の責任者W.J.マクギーは開催の意図をこのように述べたようです。
「この部門の目的は暗い原始から最も輝かしい開化へ、未開から文明社会へ、利己主義から利他主義へという人類の進歩を示すことである」※2
 う~ん。先住民族は「暗い」「原始」「未開」「未文明」「利己主義」、進歩していないものと言ってるのですね。極めて問題あることを述べていますね。
 時代は植民地をめぐる武力紛争がいたるところで起こっていた最中。領土拡大の火花の散る中で、「文明の進歩した明るい国」が「利他主義」を伝えるべく、植民地とされていた先住民族を連れてきて、違いを明確にしたということですね。なんたる「未文明」的な「利己主義」でしょう!

セントルイス博覧会に、謎の民族アイヌを連れてきてほしいとの実行委員会の依頼を受けた人物がいました。シカゴ大学の人類学を担当するフレデリック・スターです。
1904年1月14日に来日し、彼は早速J.バチェラーに会いに行きます。
札幌のバチェラーに会いに行ったスターはバチェラーの作った病室にて、はじめてアイヌ民族と出会い、その場にいる大沢弥蔵(24)さん、その妻シラケさんを誘い、承諾を得ました。※1
 さらに多くを誘おうとバチェラーと共に沙流川に向います。そこで平村サンゲア(56)さん一家が渡米することになります。婦人のサントゥクノはウエペケレ(昔話)が得意。そしてひとり娘のキン(6)さん。※1さらに、同じ平取から平村クトロゲ(39)さんと婦人シュトラテクさん、2歳の娘キクさん。それに、辺泥五郎(26)さんが加わります。※2
 バチェラーに心酔して彼の元で働いていた辺泥さんは志願して行ったようですが、クトロゲさんは二風谷にシカ狩りに向う途中で偶然にスターとバチェラーに会い、説得を受けたけれど異国への9ヶ月間の誘いに戸惑いながら同意したようです。※2
スターはバチェラーに紹介してもらいアイヌ民具を買いあさります(当時の写真も多く放映されていました。現在、それらの品はブルックリン美術館にあります※1)。
チセも白老で2棟購入し、万博会場に建て、92箱分の生活民具も持ち込んで、彼らはそこで生活をします。※2
世界中から2000万人もの人が観に来た※1ほど盛会であった万博会場の一角に彼らは生活をしながら見世物とされます。「謎の民族」として意識されていた彼らのところには連日多くの人たちが押し寄せたといいます。
木彫りの小物やアツシ折の着物、刺繍などの製作品は在庫が残らないほど売れたようです。自然の素材を見事に作品に仕上げていくのを見て多くの人たちは感嘆したといいます。

セントルイスで彼らが得た給料はひと月35円。当時の日雇い労働者の日当が49銭、白米10キロが1円50銭に比べるとかなりの高給となります※2。
日本ではアイヌ民族に対し、伝統的な生活の禁止や自由に狩猟・漁獲することの禁止令が出るなど、貧しさへと追いやられていた時代でもあり、その貧しさが彼らをセントルイスに行くことを決断した要因の一つにもなったであろうと思います。バチェラーもアイヌにお金が入ることを意図していたのでしょうか。
スターの民芸品を沢山買ったということはそれなりに金銭が入ったということでもあるでしょう。
1904年に収集した品の215点がシカゴ・フィールド博物館(人類学のコレクションでは米最大。コレクション総数2000万点 米3位)に現在も眠っています。中には当時、売却した際のメモも入っており、アツシ折の着物が5ドルとありました。※1

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今日、旭川への途上の峠で見つけた山葡萄。あまずっぱかたです。水不足が心配です。



帰国後の一行の足跡は分からないとのこと。ただ、辺泥五郎さんはバチェラーと同じ聖公会の伝道師となり、2年後に万博で得たお金を基に平取の隣町の鵡川に茅葺の住宅兼教会を建てて布教活動をしたことが記されています。
 
ついでですが、セントルイス万博の会場となった所は、今は公園になっていますが、会場跡の面影も残っています。その一つにルイ9世(仏1214~1270)が馬にまたがって右腕を挙げている銅像が残っています。万博後に鋳造しなおして記念として残したとの事。聖(セント)ルイスがセントルイスの由来なのですね~。
なんだか似たような像を見たことがあります。そうそう対雁の榎本武揚像だ!!



参照
※1=NHK 「アイヌ 太平洋を渡る~アメリカ」
※2=北海道新聞 「セントルイスの9人」(編集委員 村山健担当)
※3=上村英明著『先住民族の「近代史」』