アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

道東訪問 その4

2007-06-29 09:56:42 | インポート
シレトコを後にして次に向かったのは網走。
道立北方民族博物館には以前から行きたいと思っていたのです。
北方地域に生活する民族の分化と歴史を各種テーマに沿って紹介してくれており
それぞれに映像も映し出してくれていて見ごたえがありました。
東はグリーンランドのイヌイット(エスキモー)からニシはスカンディナビアのサミ(ラップ)までの
諸民族の文化の共通性や多様性を展示してくれています。


北極を中心にして描かれた地図に、40近くの先住民族の生活圏と
主な生業を色分けして描かれてあるのを見て、新たな見方が出来ました。


衣装・装飾もどれも見事でした!
ビーズに興味を持ってからあらためて民族衣装を見ると、
ほんとうに多く使われているのが分かります。(3月11日のブログ参照)

ビーズに似てるなと思いきや、カリブーの歯を使って装飾しているベルトがありました!
300頭あまりの下あごの前歯だそうです。びっくり!!



狩猟したものの皮や一部を使うことは美しく見せるという効果だけではなく、
動物への畏敬の念や、魔よけなどの働きをも意味するということが説明されていました。



衣装や狩猟道具、狩猟方法など感動したものもたくさんありました。
中でも、クジラやオヒョウなどの海獣や魚の腸・内臓膜を使っての雨具(パーカー)には感動。
縫い目から水が差し込まないように、つなぎ方や縫い方には技術を使っていました。

魚皮の服や靴は見たことがあったのですが、内臓でも作るのですね。

3時間ほどじっくり観てきました。
 http://www.hoppohm.org/

その後に網走、北見望ヶ丘、置戸の各教会を周り、センターの利用と支援をお願いしてきました。


道東訪問 その3

2007-06-29 07:49:25 | インポート


シレトコはアイヌ語の shir=地の etok=突出部 で   
「岬」 という意味だそうです。 ※1

シレトコと聞くと、だれもが(って、わたしだけ?)口ずさんでしまう歌
「知床の岬」は、「み~さき~の岬に~」と歌っていることになるのですね(笑)

漢字の「知床」は全くの当て字であって「知」も「床」もなんの意味もないのですね。


世界遺産に登録されて下記のような看板など新設されたのでしょうが、
この看板のように、どこを見てもアイヌに関する記述がありません。




2005年7月14日に世界遺産について検討する委員会IUCNは
シレトコを世界遺産として認める公式文書で

「アイヌ民族の代表者たちが、たとえば北海道ウタリ(アイヌ)協会などを通じて、
伝統的な儀式や世界遺産として推薦された地域の利用にかかる適切なエコツーリズムの
開発を含めたかたちで、推薦地域の将来の管理に関与することが重要であると考えられる」※2

という勧告書を出したそうです。

アイヌ民族の歴史と文化が益々伝えられるようになったらいいですね。

※1「北海道の地名」山田秀三著 草風館 下記に紹介しています。
(http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/blog/)
補足ですがシレトコはモシリ・パ(国の・頭)とも呼ばれていたようです。
国の果てではなく「頭」と考えられていたのですね(同書)。

※2参照:「シレトコ世界自然遺産へのアイヌ民族の参画と研究者の役割―先住民族ガバナンスからみた世界遺産―
 環境社会研究第12号(2006)pp。41~56 有斐閣 小野有五著
 6月25日ブログにも関連あり


道東めぐり 番外編

2007-06-28 18:33:41 | インポート
シレトコ半島の西岸の最北近くに秘湯カムイワッカの湯があります。

もう4年ほど前になるでしょうか、小さかった息子たちを連れて入りに行った事があります。
流れる滝そのものが温泉なのです。

滝を登って行くほど水温が高く、けっこう上流に登った記憶があります。
ちょうどいいぐらいの水温のたまり場について、水着に着替えて入りました
(男女に分かれているわけでも塀があるわけでもないので)。

しかし、入浴すると・・・かなり酸性のきついお湯で、アトピーの気があった三男は痛がってしまって
すぐにリタイア。わたしたちも10分も入らずに下山しました。残念。

でも、ところどころでお湯と湯気が吹き出ていて沸き上がったものが滝になっているのですから
なかなかの温泉でした。

今回は、シレトコに着いたのも朝6時という早い時間だったので、
足を伸ばして東岸を行き止まりまで行って来ました。
海の東側の対岸には国後島が霧の中からうっすらと見えていました。
クナリシリ・メナシの戦いを想いつつドライブしました。

帰りに、温泉の湯気が立ち上るところがあったので車を止めて見ると、
「熊の湯」という露天風呂が木々に囲まれてあり、入ってきました~。
とても熱くて、気分爽快!



HPを探したら写真が載せてあるところがありました~
http://www.muratasystem.or.jp/~rausu/1999/07/990701a.htm


道東訪問その2

2007-06-28 17:49:54 | インポート
6月25日のブログで紹介したシレトコの「先住民族エコツアー」は、
シレトコの入口にあるチャシコツ岬というところに行きます。
一般には「亀岩」と呼ばれているということと、エコツアーのDVDで見た記憶を元に、その写真を撮ってきました。
皆さん、どうですか? 



見た目では、「亀岩」のほうに軍配が上がりますよね~。
亀そのものですね~(笑)。
(それとも・・・ペンギンがあたまとくちばしを海面に出しているようにも見える??)


いやいや、ここは古くはアイヌ民族の「チャシ・コツ=お祈りしたり、のろしを上げたりした・場所」だそうです。

現在でもその跡や、1500年ほど前に作られた竪穴式住居跡が確認できるとか。
ですから、内容的・歴史的には「チャシコツ岬」が正解!
ツアーではこの岬を登るに際して、アイヌ民族の方が案内してくださり、
アイヌプリ(アイヌの伝統に則る作法)で儀式をし、
アイヌ民族の歴史を含めての説明がなされるとのこと。

シレトコには他にもたくさんの聖地が多数確認されているそうで、
ツアールートも広く、内容も深い「聖地巡礼」や、アイヌ民族の自然観の説明を盛り込んだ「先住民族と歩く」ツアーなどもプログラムにされているようです。
他にも舟作りやアクセサリー木彫体験などもできるとか。
詳しくは下記のHPへ。

http://www.shinra.or.jp/ainutour/ 「シレトコ先住民族エコツーリズム研究会」
〒099-4355北海道斜里郡斜里町ウトロ東284 NPO SHINRA内

シレトコの入口にあるチャシコツ岬。
わたしも登りたかったですが、
是非とも次回はアイヌ民族の皆さんのガイドでアイヌの伝統に則った作法も交えて
お訪ねしたいと思います。楽しみにしています。


チプ(丸木舟)作り再開

2007-06-28 17:15:15 | インポート
このブログ日誌をはじめた昨年の8月は、頻繁にアイヌ民族のチプ(丸木舟)作りのことを書きました。

旭川の川村カ子トアイヌ記念館で、竜谷大付属高校の郷土研究部の生徒さん達が制作研究で頑張っていたので
時々、手伝わせて頂きました。

事情があって完成が遅れたようで今年も作業を再開したそうです。
「グラフ旭川」の最近号に写真つきの記事が載ったようですよ。

先日は舟底をきれいに平らにする作業を生徒二人と先生が頑張っておられました。
クラブ顧問の先生は一生懸命です。生徒さんに作業を教えるべく、率先して身体を動かしておられます。
夏休み前までに完成させるとのことです。また、手伝わせていただこうと思います。



ひっくり返して舟底を出したところ。表はとてもきれいに彫れていました。



そういえば・・・

アイヌ民族の出身の英才・知里真志保さん(知里幸恵さんの弟さんであり、アイヌ語の言語学者)が
「和人は舟を食う」という本を書いておられます。

アイヌ語の魚はchiep チえプ と言いますが、
特にアイヌにとって格別に尊重されている鮭をchip ちエプと厳密に使い分けているそうです。
しかし、和人はチップとなまり、それはアイヌ語では舟のことだ、と。学者の中にさえそう間違えて者もいると
嘆いておられます。

「いかにアイヌでも舟だけは食わなかった!
舟お食ったり砂利を喰ったりしたのわ、資本主義はなやかなりし頃の日本人である」
(知里真志保著「和人は舟を食う」北海道出版企画センターP65)


さらに、和人の学者へ痛烈な批判を本の冒頭(愛国心)でこう述べます。

「アイヌ語もろくにわからぬ連中が
マスコミの波に乗ってアイヌ研究を随筆化し、そのでたらめさにたえかねて
私などがたまに真実をあばくと、やれ偏狭だの思いあがっているのだと
袋だたきの目にあうのが現状だ。
学問の世界ですら正直者はバカをみるのが現状であってみれば、名誉ある
孤立を守って地味な仕事をこつこつと続けてゆくのがささやかながら僕の
愛国心の発露だと思っている。
(前掲書P7. 「毎日新聞」昭和35年11月18日朝刊)

いよいよわたしもアイヌ語を勉強しようと思っています(って、宣言はまず先にしておかないと・・・)


道東訪問 その1

2007-06-27 21:45:28 | インポート
昨日は夜、旭川で会議があったので、会議前には川村アイヌ記念館(竜谷高校の生徒さん達がチプ=丸木舟製作を再開していました。「グラフ・旭川」最新号に写真も出ているそうです。後日、写真をUPします)をお訪ねし、7月5日に基督教独立学園の修学旅行生の研修の最終打ち合わせをさせて頂きました。

その後の会議は途中で抜け出し、道東に夜道を走らせました。
睡魔が襲ってきたので北見手前の道の駅で休息をとることにしました。
積んでいた布団を車中で整え、寝だしたのですが・・・・
なんと、丑三つ時に恐ろしいことが起こったのです。

道の駅の駐車場の端のほうに車を止めたのですが、
なんと、突然に、両側に大型トラックが駐車し、ず~っとうるさいエンジン音を付けたままにしたんです!
 (思い出すだけでも恐ろしい・・・温暖化も問題になっているのですから、トラック運転手さん!暖気運転はやめてくださいよ)

眠れないので3時半には起きて、再び東へ。
今回は網走にある教会訪問と北方民族博物館、そして北見望ゲ丘教会、置戸教会を訪問予定でしたが、時間も早かったので、この間からブログでも名前があがっているシレトコへ足を伸ばしました。

シレトコは緑が深い。岬の東にも行き、海向いに国後島も見てきました。
いろいろ報告をUPしたいのですが、昨日から920キロぶっ続けで走り、あすも5時に出かけなければならないので続きはまた明日。
いやあ~。自然とアイヌ民族・北方先住民族を満喫してきました。




シレトコは深かった!!


「キア オラ」

2007-06-25 22:45:31 | インポート
スティーブン・ケントさんの講演でもう一つ印象深かったお話を紹介します(衝撃的だったのでよく内容を反芻しています)。

80年代に入り、マオリはいっそうの権利回復運動を展開したのですが、その中のひとつのエピソードです。ひとりの電話交換士の女性が電話を取り次ぐときにマオリ語で挨拶したことについて注意を受け、その行為を禁止されたそうです。しかし、彼女はマオリにとってその挨拶は自分の部族の宝物であり、使わないと死んでしまうほど重要な言葉だと反発したそうです。それが国中の話題になり、結果は使用許可が出たと。

「キア オラ」というたった二つの言葉で成る挨拶は、一時は使用できなくなる危機に陥りましたが、なんと今では国中のすべてのテレビやラジオ番組で最初の挨拶として使われているそうです。そして、どこの局もマオリ語の番組を持っているとのことです。
たったひとりの女性の働きがマオリの人たちを解放へと引っ張っていったそうです。

わたし達も少なくとも北海道発の番組の挨拶で「イランカラプテー」と言えたらいいですよね~。
とても素敵なことばですしね(イランカラプテ:あなたのこころにそっとふれさせてくださいの意味)。


「ハチドリのひとしずく」という本を先日、教会員の方から紹介されました。
南米のアンデス地方の先住民族に伝わる物語を絵本にしているとのことで、こんな内容でした。

あるときに森が火事で燃え出して大変なことになりました。皆、われ先にと逃げる中、
一匹の小さなハチドリが燃えている森のほうへと飛んでいきます。
そして、その小さなちいさな口ばしに吸い込んでいたひと滴の水を火にかけているではありませんか。
「なんて意味のないことをやるんだ」とみんなが言う中、そのハチドリはひと言、
「わたしは、今わたしの出来ることをやっているんだ」と、一滴の水を運んで消火を続けたというお話です。

わたしたちも諦めないで出来ることをし続けたいですね。よしっ!

明日からまたノヤを各教会に配布することを再開します。
先週のようにポストイン・ダッシュではなく、少しお話できるように余裕をもって廻ろうと思います。
数日かけて道東方面の予定です。

 「ハチドリのひとしずく」辻信一監修、光文社 ↓以下のブログで紹介しています
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_2b32.html




先住民族エコツアー

2007-06-25 20:39:24 | インポート
自由学校“遊”の連続講座第3回は小野有五さん(北大大学院地球環境科学研究院教授)による「先住民族エコツーリズムの意義」の講演でしたので6月6日に行って来ました。

エコロジーは生態学(広い意味で環境に優しい生き方や考え方)という意味。
エコツーリズムとは日本エコツーリズム協会の私論を読むと

①自然・歴史・文化など地域固有の資源を生かした観光を成立させること。
②観光によってそれらの資源が損なわれることがないよう、適切な管理に基づく保護・保全をはかること。
③地域資源の健全な存続による地域経済への波及効果が実現することをねらいとする、
資源の保護+観光業の成立+地域振興の融合をめざす観光の考え方。(同協会HP参照)

だそうです。

小野有五さんは、何万年もそこに住んでいる人間の歴史や文化・伝統を知って学ぶことも含まれるのだから、
先住民族の歴史・文化を知ることもエコツーリズムだと説明します。
そして、この先住民族エコツーリズムは先住民族の権利回復のために極めて有効な運動だと
ネイティブアメリカンやマオリの実例を引用して説明してくれました。

※アオテアロア(NZ)では先住民族マオリとパケハ(白人を中心とするNZ殖民者)で
自然保護地域の協同管理(co-management)をし、マオリによるエコツアーがされているようです。


また、シレトコが世界遺産の候補地に選定される過程において、先住民族アイヌの存在や意見が全く考慮されなかったことを挙げ、世界に類を見ない「事件」だと言われます。そしてそのような「無視と差別」をどう打開するかを意識しつつ、シレトコにおいて数年前から先住民族エコツアーを開催されています。

さらに国際機関に働きかけて、アイヌ民族がエコツーリズムによって適切に関与することが望ましいと明文化されたとのこと(世界遺産となった時に、ダムの撤去や漁規制などと共にIUCN:国際自然保護連合日本委員会から指導が入った)。

※参照:「シレトコ世界自然遺産へのアイヌ民族の参画と研究者の役割―先住民族ガバナンスからみた世界遺産―
 環境社会研究第12号(2006)pp。41~56 有斐閣 小野有五著

※自由学校“遊”がDVD「もうひとつのツーリズム~先住民族のエコツアーの始動~」を制作販売していましたので、
センターで購入しました。



留萌の海岸から礼受牧場を望む



「先住民族が自らの文化を主体的に発信するとともに、これまで外部資本や非・先住民族側に握られてきた観光業を自らのビジネスとして取り返し、先住民族としての経済的な自立、若い世代の雇用確保、文化の伝承を図るのが、先住民族エコツーリズムである。」(前掲書P51)
小野さんはこのように説明し、さらに
「先住民族エコツーリズムを可能にするためには、当然のことながら、先住民族の伝統的な自然利用としが保障されなければならない。」(同頁)
と述べ、IUCN(国際自然保護連合日本委員会)に提案を行なっているとのこと。

確かに、民族の儀式と採取や狩猟などとは切り離せないものですね。アシリチェップノミ(新しい鮭を迎える儀式)をしようとすれば鮭を獲る権利を得なければ密猟になりますからね。
是非とも権利回復を願います。

自然管理もアイヌ民族にお返しし、委ねる日が来ればいいですね。

もちろん、シレトコだけではなく、各地で「エコツアー」が出来たらいいですね。
旭川のカムイコタンも随分と歴史・伝説的にも地形的にも貴重なところのようです。
(10月にカムイコタン巡りを計画中だと川村さんから伺っています!)


そういえば「SEED シード」(意味:種)というコミックで、アマゾンの先住民族エコツアーのことが書かれてあったなあ(集英社:本庄敬・ラディック鯨井)


中本ムツさんのお話

2007-06-24 08:26:44 | インポート
23日(土)は北大のアイヌ・先住民研究センター主催の第2回目の講演会に行って来ました。
ブログにも案内を書いておきながら、2時半からだと信じ込んでいて、それでも何か胸騒ぎをしつつ2時に会場に向うとすでにお話は半分終わっていました。
講師の中本ムツ子さんとは秋のアシリ・チェップ・ノミにお会いして以来でしたが、この度もお元気そうで何よりでした。
(正直なこと言うと、時々センター所蔵のビデオでお若いころの中本さんを観ているので、お年を召されたな~と・・・・)

アイヌであることで差別され、街中で「アイス」の看板を見るのも嫌だった自分が、白沢ナベさんとの出会いでアイヌであることを誇りと思い、現在もアイヌ語教室を開いたり、アイヌ語でカムイユカラのCDを作るなど積極的に取り組んでおられることをお話くださいました。
最近も「カムイユカラでアイヌ語を学ぶCD付」(白水社)を出版されておられます。
以下で紹介しています。(わたしもその場で購入しサインを頂きました~)。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/

知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」をアイヌ語で歌ってCDを作成したお話が特に興味深かったです。リズムを知らないものもいくつがあったので当初は朗読のみにするつもりだったけれど、読んでいるうちにリズムが湧いてきて歌えたんだそうです。さっそくそのCDを購入して聞きたいと思います。

北大文学部で少数民族の言語の講義をしているという方が(お名前を聞き取れず)、講義を聞いてこんな感想を言われていました。「文字を持っている人にすると文字を持たない人は劣っていると思いがちだが実はそうではないと出会って感じている。文字を持たない民族はたくさんいるし、文字を持たないほうが言葉に対して素直に自由になれる、そしてそれだけ記憶を大切にする」と。言葉を文字に書かない分、言葉に力があるのでしょうね。
中本さんが加えてこんなことも言っておられました。「アイヌは税金を取り立てたりしなかったから文字は持たなくてよかったんだ、と聞いている」と。税を搾り取ったり徴兵のために文字が必要になったということですね。納得いきますね。

知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」の序文には、かつてアイヌがアイヌモシリの大自然に抱擁され幸せだったときのことを思い浮かべつつ、すべてを奪われているアイヌ民族の現実を直視しながら、この現実から二人でも三人でも強いものが出て、アイヌであることを誇りとしてアイヌ語が取り戻される日が来ることを熱望することが綴られています。
知里幸恵さん、白沢ナベさん、中本ムツ子さんに続き、多くの方がアイヌ語を取り戻していけますように。

アイヌであることを誇りに思えるような環境をつくることはわたしたちの義務(常本センター長)であることを確認させられました。


会場を出るとき、幸いにマオリの講演をしてくださったKENTさんとも会い、ほんの少しお話できました。
149年の闘いの重みに感服したと話すと、闘った先輩達は裁判の資金を集めるために自分の土地を切り売りし闘い続けた、そしてその闘いを次世代の人に渡していったことをお話くださいました。
その闘いが実り、今では幼児から言語や文化をこども達に伝える施設が出来たり、地名もマオリ語標記され(前述の通り)、NZの国歌も最初にマオリ語で歌っているそうです(国民のほとんどが覚えて歌っているそうです。
もう少し、ゆっくりお話したかったです。いつかまたその機会があたえられりますように。

会場ではディヴァン宣教師と会いました。彼女も積極的に諸集会に参加されてますね。また、ディヴァンさんが北村嘉恵さん(北大助教授)を紹介してくださいました。北村さんは台湾原住民族の歴史を研究されておられ、先日に自由学校“遊”の講座での講演をされています。直に出会い、連帯の輪が益々広がり強くなっていくことを願います。



知里幸恵さんの愛したエゾカンゾウ


白沢なべさんの「アイヌとして生きて」

2007-06-23 08:00:27 | インポート
21日はご近所のお寺で太子祭がありました。
教会の前の道路のすぐそこまで夜店が並び、歩行者天国となります。
目の前を通る人たちを対象に、数年前からフリーマーケットを行なっています。
他人のふんどしですもうを取って、収益は被災地や海外医療協力へ送ります。
今年も午後3時から7時まで開催しました。
平行して、教会員の方やわたしもメンバーになっている「9条の会増毛」が、憲法9条を変えることへの賛否のシール投票をしました(わたしはフリマにつきっきりでしたが)。
結果、4時間ほどで80人近くの方が協力してくれましたが、9条を「変えるべき」と「わからない」がいづれも3票、あとは「変えるべきではない」という結果でした。
通りすがりとはいえ、意識を持っての投票ですから結果は「変えるべきではない」がおおいだろうと思ってはいたものの、「変えるべき」が思った以上に少なかったですね。

一昨日の方付けが一段落して、昨日は喫茶店ビューネに行きました。
留萌市でも有志が集まって出遅れてはいますが「9条の会」をつくろうとの事で、今、動き出しています。
その数人と会い、ほんの少しはなしをしたのですが、今の状況はいくらやっても空しいなあと暗い話が続きます。
しかし、この間のマオリの話を思い出し、149年の闘いをやり続けた努力と勇気が、実を結んだ事を紹介し、
希望をもってやろうと話しました。

「留萌 9条の会」は現在、8月15日の地方紙「日刊留萌」に九条を守ろうという意見広告を出すために賛同者を集めています。カンパ一口900円(9条にこだわって)で、広告に名前を出させていただくようにしています。協力いただける方はメール下さい。

うわわっ! ただの日記になってしまっている・・・アイヌ民族関連の話をしないと。

そうそう
本日、23日(土)は北大のアイヌ・先住民研究センター主催の第2回目の講演会が行なわれます。
講師は中本ムツ子さん。中本さんのお話は何度か伺わせていただきました。
また、かつて中本さんの協力の下で、故白沢なべさんの「アイヌとして生きて」を日本キリスト教団教育委員会が出版しました。とてもいい本です。絵は金 斗鉉さん。
インターネット本屋「アマゾン」では在庫切れになっていますが、教団教育委員会に問い合わせれば数百冊の在庫があるはずです。

実は、この本を英訳して出版したいと案を練っています。


6月23日(土)13:30~15:30 
中本ムツ子 [千歳アイヌ文化伝承保存会会長]
「アイヌ語のこれから」
会場:遠友学舎(地下鉄南北線「北18条駅」下車。徒歩10分)
 ※参加自由,無料.


今年は動物とよく遭遇します

2007-06-22 12:05:41 | インポート
どうでもいいことですが、
教会員訪問で天塩や初山別に行ったり、
会議で名寄や旭川、そして札幌に出かけることが多いのですが、
今年はよく道中で動物たちと遭遇します。
一昨日の旭川の行きに鹿2頭(水田で稲を食べていたのかなあ)、
帰りの夜道は、たぬき1匹、キツネ2匹(子ギツネでした)と会いました。

それと、留萌に移ってからの9年、一度も見たことのないオオミズアオ(だと思うのですが)よく見かけます。
とても澄んだ水色で両の手のひらをくっつけたほど大きい蛾です。
からだも白くふわふわしていて、まるでモスラのようでかわいいです。
山形の小国にいた頃にたくさん飛んでいたのですが、最近では見かけないとこどもたちが言っています。
(興味のある方はHPを調べたら写真のたくさん載っているところを見つけましたので下記へ)
http://www.jpmoth.org/Saturniidae/Saturniinae/Actias_artemis_aliena.html

地球温暖化のせいか、雨の量も少なく、気象異常が叫ばれている今日の、目に見える変化かと
気にしています。

下の写真の中央に映っているのは小平蘂川に住み着いたオオワシ。
今朝、早朝に望遠で撮りましたので小さく見えますが、羽を広げると2メートルはありました。
オオワシも5年ぐらい前から留萌管内に来だしたのではないかなあ



Steven KENTさんの講演

2007-06-22 11:43:08 | インポート

前の記事の追加で、KENTさんの話で感心したことを順不同で書きます。

ナイタフ族とNZ政府とが和解した際、NZ政府は謝罪を公にするのですが、ナイタフ族の伝統にのっとって、謝罪の儀式を行ったそうです。まず心から謝ること。日本もアイヌ民族に対して一番に行なうべきことですね。

さらに、前ブログの表の左側にある「非・部族的保障」に入ることですが、ナイタフ族から奪った土地のもともとの所有者をNZ政府が徹底調査して探し出して返還したそうです。
それに比べて日本政府のデタラメさ、不誠実さはなんたることでしょう。アイヌ・モシリどころか、アイヌ民族に「渡した」共有財産すら極めて悪質に「管理」し、デタラメな変換を強行したのですから。アイヌ民族が怒り、裁判を起こしたのもよく分かります。
結果は司法も国のデタラメさを認める最悪なことになりましたが、ケントさんが言われたように、そのことも含めて権利回復のための証拠としていけばいいですね。

それと、和解保障において勝ち取ったもののひとつに地名のマオリ語化があるとのこと。
もともとはマオリ語で呼ばれていた地名を英国人が勝手に英語で名づけたわけですから、当然のことです。しかし、ナイタフ族は地名標記の際に、マオリ語だけではなく英語地名も同列に標記することを認めたそうです。短い歴史であるけれどもそれでも英国の歴史を否定してはいけないとの思いからとの事。
マオリの価値観の中に「みんなに優しく」があり、思いやりと愛を大切にしていることも紹介されました。
ところで、北海道はどうでしょうか。
みなさんはアイヌ語地名の説明看板を見たことありますか。わたしも移動中に川などの説明を見たことがありましたのであらためて、今朝早く近くの小平蘂川に行き、看板の写真を撮ってきました。




この看板は調べていくと、どうも道庁建設部の土木局河川課で、「北海道の川つくり基本計画」なるものがあり、そのひとつに「川の文化の継承」としてアイヌ語の川の名を保存するという計画のもとで作られているようです。

どこでも一緒だと思いますが、まずは日本語で大きく川の名が書かれています。
そのあとにちいさくアイヌ語での川の名の意味書かれています。メインは日本語で、それは当然のことのように記されています。
これは構造的な差別だ、と北大の小野有五さんが6月6日に行なわれた自由学校“遊”の講演「先住民族エコツーリズムの意義」の中で言われていました。その通りですね。
もともとはアイヌ民族が呼んだ川の名があり、その後に和人が勝手に新しい名をつけたり、アイヌ語に当て字を割り当てたりして現在の日本語河川名が付いているのですから、川の文化継承というのならばマオリのようにまずは先住民族であるアイヌ語標記をするべきでしょうね。

なお、川ではなく、地名の看板にアイヌ語標記しているところはあるのか気になり、差し当たり、留萌の観光課に電話してアイヌ語地名の説明が書かれている看板があるか聞いてみましたが、ないとのこと。看板をつくるように働きかけてみようと思います。

そうそう。KENTさんのお連れ合いは日本の方なので、KENTさんもとても日本語がお上手でした。
日本語で分かりやすくお話頂いた事にこころからの感謝を。

(“遊”の連続講座も勉強になります。まだまだ続きます。どうぞ。
http://sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=92)


アオテアロア

2007-06-21 10:14:55 | インポート
19日(火)は午後6時半より北大のアイヌ・先住民研究センター主催の講演会が同大学地球環境科学研究院2F講堂にて行なわれました。
今後、毎月一回は講演学習会を持つとのことで、本当は第1回目として23日(土)に中本ムツ子さんをお招きして開催する計画だったのが、急きょ今回の講師であるスティーブン・ケント氏が来道中とのことで飛び入り第1回目の講演会となったとか。
先週の樺太移住殉難者墓前祭の時に声をかけてくださった方から聞き、わたしとディヴァン宣教師とで参加させていただきました。

講演テーマは「マオリの権利回復運動の過程とその課題:ナイタフの事例から」で、
ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の中のナイタフ族の権利回復の過程を学びました。

いやいや・・・。
ニュージーランドは、日本人も多く旅行に出かける海外の観光スポットであり、先住民族のマオリがいる程にしか見ていなかった、というより何の知識もなかったわたしにとっては大変な驚きとともに、何も知らなかったことに申し訳なさを感じました。
(まだまだ知らないことが多いですから、「申し訳なさの塊」のようなもんですね)。
とても勉強になり、より調べたいと思いました。

これからはニュージーランドではなく、アオテアロアというようにします。
先住民族であるマオリが住んでいたアオテアロアに17世紀からヨーロッパ諸国が入り込み、1840年に英国とワイタンギ条約を結ぶに至ります。
このワイタンギ条約がくせ者で、正式な英語訳にはこの島を「植民地」にすることが書かれていたにも関わらず、マオリ訳にはマオリの政府を認め、英国との二つの政府をつくるという嘘の訳を付けていたのです。
(なぜ、マオリが英国政府を認めたかというと、英国から渡ってきた人々が島内で悪いことばかりしたので取り締まるため。さらに、マオリは英国政府を認めることによって公平な貿易が出来ると考えたからだそうです)。

その果てに、土地も権利も次々と奪われていきます。
しかし、マオリは9年後に異議申し立てをおこないます。すなわち、1849年から現代に至るまでマオリは権利回復運動を闘い続けているとのこと!!
ケントさんの部族であるナイタフ族は、1998年(9年前です!)に政府と和解が成立します。
その和解内容を示したのが下の図(ナイタフ族委員会 Mark SOLOMON作)です。



一番上に書いているアオラキとはアオテアロアの一番高い山。島のシンボルといえるところの所有権を得ます。さらに真ん中に「謝罪」、そして様々な保障。
この図も見事ですし、勝ち取った和解内容もすばらしいですね。

この149年という長い闘いを始めるにあたり、マオリ同士の連帯が生まれるまで30年かかったことも言われました。
連帯後の闘いにおいて、政府は長い間、権利について認めて来なかったわけですが、そのことをも虐げられた歴史資料として自分達は保存し、用いているという事も言われていました。
すばらしいですね。

講演の終わりにアイヌ・先住民研究センター常本教授はマオリとアイヌ民族との決定的な違いはワイタンギ条約のあるなしだと言われました。いくら不正な条約でも、それがあることによってアイヌのようにすべてを「無主の土地」として取り上げられることはなかった、と。明治政府は大変ひどいことをしたのですね。

他にもいろいろ紹介したいですが、またおいおいUPします。


次回の北大センターの催しは以下の通り
6月23日(土)13:30~15:30 
中本ムツ子 [千歳アイヌ文化伝承保存会会長]
「アイヌ語のこれから」
会場:遠友学舎(地下鉄南北線「北18条駅」下車。徒歩10分)
 ※参加自由,無料.

■7月14日(土) 午後
マーク・レヴィン[ハワイ大学ロースクール,准教授]
「ハワイ先住民に関する最近の法律問題」
会場:未定
http://www.hokudai.ac.jp/letters/ainu/osirase.htm

ハワイも先住民族を認められていないとのことで、日本との共通な課題が聞けるだろうとのことです。


機関誌ノヤ配布

2007-06-18 22:19:27 | インポート
わたしたちのセンター機関誌「ノヤ」32号が完成し、14日には発送を終えました。
今年度は道内の教会を出来るだけ訪問しようと15日は朝から札幌近郊の教会を訪ねました。
手稲はこぶね、琴似中央通、新発寒、麻生、札幌北光、札幌、北海道クリスチャンセンター、ホレンコ、札幌中央、真駒内、月寒、十二使徒と周りました。
そして、その日の最後は北広島教会にお邪魔しました。
実は一生懸命周ったのですが、早朝だったり、お昼にかかって時間帯が悪かったり、
不在だったりで、唯一、牧師に声をかけることが出来たのは北広島教会だけでした。
札幌近郊ですので、また次回には事前に連絡をとってお訪ねしようと思います。

北広島教会への訪問は今回がはじめてでした。
きれいな礼拝堂も手の行き届いた庭も、たくさんの野菜が育っている畑も案内していただき、うれしかったです。そして、何よりも新しく作られた納骨堂に感動!とても清楚なものでした。


北広島教会の正面


翌日は厚別、野幌、江別と周り、対雁の慰霊祭に出席しました(昨日のブログ参照)。

今日は夜に旭川で会議があって今帰宅しましたが、インタビューでお世話になった平塚さんのところにノヤをお届けし(残念ながらお留守でした)、旭川六条(旭川星光、旭川豊岡、美馬牛)にノヤを配布しました。
今週後半は道東を周る予定でしたが、留萌の教会でのフリーマーケットが21日にあることをすっかり忘れていて断念!!(忘れてた~)

明日の夜は北大で講義があります。 札幌の残りの諸教会を周りつつ、行こうかと思っていますが・・・・明日に結論を出します。


以下、ご案内 **********
☆6月19日(火)18:30~20:00
スティーブン・ケント[ニュージーランド,リンカーン大学,博士課程]
「マオリの権利回復運動の過程とその課題:ナイタフの事例から」(仮題)
会場:地球環境科学研究院2F「講堂」(札幌駅下車。北大正門より徒歩5分)
※ 参加自由,無料.発表は日本語です.
http://www.hokudai.ac.jp/letters/ainu/osirase.htm


銀の滴降る日 集い

2007-06-18 15:13:09 | インポート
10日前の6月8日は、知里幸恵さんの誕生記念行事「第17回・銀の滴降る日 集い」が旭川市立北門中学校にて行われ、参加しました。
北門中学校は、「旧土人学校」の跡地で、幸恵さんはこの学校に通われたのです。現在は、知里さんを記念して資料室が作られていたり、アイヌ民族の学びも行なっています。

この催しも、毎年、中学校全校生徒が参加して行なわれます。
今年は講師として由良 勇さんがお話しされました。
由良さんは松浦武四郎の調査日誌を基にアイヌ伝説が多く残るカムイコタンの地名を紹介した「アイヌ語地名と伝説の岩」(1990年初版 昨年に改訂再版)を著されています。それによるとカムイコタンの地層には1億4千年前の東方海域にあった海底堆積物が認められるそうな! また川に沿って無数にある大小の穴はイシカリ川の流れによって1500万年かけて彫り刻まれた大自然の造形美だそうです。地質学的にも極めて貴重で重要なところのようです。そのことを生徒さんたちにお話されました。

さらに、東京在住の詩人、港 敦子さんが知里さんの「アイヌ神謡集」の中のカムイユカラ「小狼の神が自ら歌った謡」を節つきで日本語訳も取り混ぜて披露してくれました。とても感動しました。15分ものユカラを全部暗唱されていたんですよ。
生徒達も熱心に聞いていました。

その後に幸恵さんの記念碑のまでカムイノミが行われ参列しました。


今年増設された資料室


そういえば・・・
港さんの披露されたカムイユカラに出てきたサケヘ(節・囃子ことば)のひとつ「ピーツンツン」って、うちの子が大好きだった絵本「カニツンツン」(福音館 画・元永定正、文・金関寿夫)の中に出てきていたぞぉ~! 今、思い出した~。

※「アイヌ神謡集」と「カニツンツンは以下のブログ(6月18日)で紹介しています。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/