アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

毛皮などを交易していたアイヌ民族

2007-10-26 15:32:20 | インポート

旭川市博物館へ行った際、写真がふんだんに用いられている本を購入しました。
大塚和義さん編著「ラッコとガラス玉~北太平洋の先住民交易」です。
国立民族学博物館で2001年に同テーマの特別展を行なった時の本のようです。


数ヶ月前に網走の北方民族博物館で、わたしたちがなじんでいる日本を中心にした
世界地図を、上下逆に、北極を下に日本が逆さまになった地図が書かれていて、
いつもと違う見方が出来たことに、はっとさせられました。

今回も、北方民族の生活ルート、交易ルートを掲載されている地図から見直すと、
北海道から千島(クリル)列島へ、そしてカムチャッカ半島へのつながり、
カムチャッカからさらに、アリューシャン列島を経由してアメリカの西海岸へと
ルートが広がっていることがわかります。
また、サハリンの北から大陸へ渡って、アムール川をはるかに上って
大陸の奥へと続く道などもよく見えてきます。


北方民族はたいへん寒いところですから、厳しい生活を強いられますが、
海洋資源は豊富で、特にラッコ、キツネ、クロテンなど上質の毛皮を持つ
動物たちの宝庫でもあり、それらをアイヌは古くから先ほどのルートを使って
交易していたことが記されています。

特にラッコの毛皮は重宝されたようです。ラッコはアイヌ語で「海のカワウソ」
という意味で、他の動物とは違い、毛がどの方向にもなびくのだと以前、
川村カ子トアイヌ記念館の川村館長から教えて頂いたことがあります。



アイヌは伝統的な採集民として生活するだけでなく、中国を軸に近隣諸国を交易のネットワーク
で結んで台頭した東アジア商品経済圏の波及を受けて、その枠組みに組みこまれていった。
その時期は13~14世紀ごろで、広範な地域を自在に大型交易船イタオマチプを運航して交易
を行い、財力や武力を蓄えた。一例をあげるならば、サハリンアイヌはニヴフと戦闘して敗走させ、
アムール川河口になで追いつめて救援の元軍と直接に戦っている。これほどの戦闘力をもつア
イヌ社会の集団組織化は、いうまでもなく交易経済の利益に裏打ちされたのものである。
                                     (同書P36)



アイヌは14~16世紀半ばまでは交易による経済力をバックに和人と対等、
あるいはそれ以上の勢力を持っていたといわれます。

以前にも書きましたが、アイヌにとって、海はどこまでも果てしなく続く道路だったのですね。


いよいよ、明日は二風谷アイヌ民族フィールドワーク。
雪が今にも降りそうでとても寒く暗い今日ですが、明日は晴れますように。
往復500キロを超える道のりですので早めはやめに行動しようと思います。



とうとう現れた熊!! の剥製(旭川市博物館の展示物) ぶさいくですね


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