近く、北大開示文書研究会で門別、静内、新冠、三石、浦河のアイヌ墓地の調査に出かけます。そのため、細かい作業ですが諸資料に目を通して、遺骨収集の数や副葬品を確認してみました。
北大で開示された資料『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座)によると、静内では166箇所で165体の遺骨を掘り出しています。男80、女55、不詳30、不在葬1と性別が書かれています。性別判断はどこでするかというと、かつて児玉作左衛門の論文「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就いて」(1936)によると、「常に副葬品が伴ってをりその物品は男女によって、明らかに区別されてをるので、骨格の性別を決定する点に於て、非常によい参考となった」(p23)とあります。これは遊楽部の埋葬についての説明ですが、どの埋葬地においても言えると考えていいでしょうか。ただ、『台帳』の遊楽部の部分には「副保存」とメモが書かれていて、副葬品も盗っていっていることが証明されるのですが、静内のところには「副保存」も「副」も書かれていません。はて、どうやって性別判断をしたのでしょうか。それとも、記入はされていないが副葬品があったということか・・・。
また、この『台帳』には誰が、いつ発(盗)掘したか、誰から寄贈されたかは所々に書かれていますが、静内も浦河(杵臼11体 野深6体)も、門別(1体)も記入なし。
若年、青年、小児、老年、などの年齢層は記されています。
資料を精査していたところ、分からないことが出てきました。手書きの『台帳』をワープロに打ちなおしてある資料も開示されているのですが(仮に『ワープロ台帳』とします)、それには、『台帳』のページに加筆されており、静内4体、杵臼2体、野深1体が追加されています。
合計、静内169体、浦河(杵臼13体 野深7体)も、門別(1体)となります。
ただ、以前に杵臼の墓地で聞いた証言では相当数の墓を掘ったとのことです。北大以外が関連しているのか、どうかがわかりません。
市に承諾を得ているとするならば、市の資料を調べたらいいのか。少なくとも証言者を見つけられたらいいと思います。
植木哲也さん著『学問の暴力』(春風社2008年)によると、児玉作左衛門が晩年に英語で刊行した『アイヌ』(1970)に、日高地方の発掘にも触れているとあります。そして以下が記されています(P119)。
日高各地(児玉による) 発掘頭骨数 35(男22、女13) 埋葬年1870-1910年(一部1920-1930)
静内(松野正彦による) 発掘頭数132(男80、女52)
ここに記されている静内の132体と『ワープロ台帳』の169体との関連性も分かりません・・・・。
ある遺骨収集時におられた方たちの証言テープがあります。その一つは1928年の日高地方のアイヌ遺骨収集を見た方のものです。死亡して3年足らずの遺骨も肉を剥がして持って行ったなど生々しいことが暴露されています。それらも事実関係を詰めていければと考えています。
藤本英夫著『アイヌの墓』(日経新書1964年)には、著者自らがアイヌ墓地を十数か所発掘調査したと証言し(P21)、その時のことも記しています(P86ff)。
どうも、仲間内で人類学者を「骨屋」、考古学者を「石屋」と呼んでいたようです。「骨屋」「石屋」のアイヌ墳墓の盗掘が問題となっているのです。
オーストラリア国立大学アジア太平洋学部が発行しているオンライン・ジャーナル「Asia Rights」に、「アイヌ民族が先住民の遺骨の返還を求めている(Ainu People call for return of indigenous remains)」が掲載されました。
http://asiapacific.anu.edu.au/blogs/asiarights/2011/08/10/ainu-people-call-for-the-return-of-indigenous-remains/
先住民族の遺骨返還問題に関する別の記事も紹介します。
8月11日~26日の日程でペルーにて開催中の世界先住民族教育会議(WIPCE)で紹介されたようです。
http://indiancountrytodaymedianetwork.com/2011/03/yale-returning-remains-artifacts-to-peru/
道立アイヌ民族文化研究センターが発行している『センターだより NO.34』(2011年3月)に、企画展「アイヌ語地名を歩く-山田秀三の地名研究からー」の案内がありました。今年は稚内市と名寄市で行うようです。
稚内市 稚内市立図書館(9/16~10/16) 稚内市立北方記念館(9/17~10/30)
名寄市 名寄市立北国博物館(11/19~12/25)
今日は久しぶりに札幌へ行きます。アイヌ民族を含む市民グループ チ・カラ・ニサッタの学習会です。今回のアイヌ政策推進会議の「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告書を基に、疑問や課題と考えることを話し合います。
いつもの自然風景とがらりと趣を変えて。10代前半に住んでいたところにホテルが立ち、その一室から皇居を見下ろし、東京タワー・国会議事堂を写しました。その頃は毎晩、友だちと皇居の周りをマラソンしていました。
北大で開示された資料『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座)によると、静内では166箇所で165体の遺骨を掘り出しています。男80、女55、不詳30、不在葬1と性別が書かれています。性別判断はどこでするかというと、かつて児玉作左衛門の論文「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就いて」(1936)によると、「常に副葬品が伴ってをりその物品は男女によって、明らかに区別されてをるので、骨格の性別を決定する点に於て、非常によい参考となった」(p23)とあります。これは遊楽部の埋葬についての説明ですが、どの埋葬地においても言えると考えていいでしょうか。ただ、『台帳』の遊楽部の部分には「副保存」とメモが書かれていて、副葬品も盗っていっていることが証明されるのですが、静内のところには「副保存」も「副」も書かれていません。はて、どうやって性別判断をしたのでしょうか。それとも、記入はされていないが副葬品があったということか・・・。
また、この『台帳』には誰が、いつ発(盗)掘したか、誰から寄贈されたかは所々に書かれていますが、静内も浦河(杵臼11体 野深6体)も、門別(1体)も記入なし。
若年、青年、小児、老年、などの年齢層は記されています。
資料を精査していたところ、分からないことが出てきました。手書きの『台帳』をワープロに打ちなおしてある資料も開示されているのですが(仮に『ワープロ台帳』とします)、それには、『台帳』のページに加筆されており、静内4体、杵臼2体、野深1体が追加されています。
合計、静内169体、浦河(杵臼13体 野深7体)も、門別(1体)となります。
ただ、以前に杵臼の墓地で聞いた証言では相当数の墓を掘ったとのことです。北大以外が関連しているのか、どうかがわかりません。
市に承諾を得ているとするならば、市の資料を調べたらいいのか。少なくとも証言者を見つけられたらいいと思います。
植木哲也さん著『学問の暴力』(春風社2008年)によると、児玉作左衛門が晩年に英語で刊行した『アイヌ』(1970)に、日高地方の発掘にも触れているとあります。そして以下が記されています(P119)。
日高各地(児玉による) 発掘頭骨数 35(男22、女13) 埋葬年1870-1910年(一部1920-1930)
静内(松野正彦による) 発掘頭数132(男80、女52)
ここに記されている静内の132体と『ワープロ台帳』の169体との関連性も分かりません・・・・。
ある遺骨収集時におられた方たちの証言テープがあります。その一つは1928年の日高地方のアイヌ遺骨収集を見た方のものです。死亡して3年足らずの遺骨も肉を剥がして持って行ったなど生々しいことが暴露されています。それらも事実関係を詰めていければと考えています。
藤本英夫著『アイヌの墓』(日経新書1964年)には、著者自らがアイヌ墓地を十数か所発掘調査したと証言し(P21)、その時のことも記しています(P86ff)。
どうも、仲間内で人類学者を「骨屋」、考古学者を「石屋」と呼んでいたようです。「骨屋」「石屋」のアイヌ墳墓の盗掘が問題となっているのです。
オーストラリア国立大学アジア太平洋学部が発行しているオンライン・ジャーナル「Asia Rights」に、「アイヌ民族が先住民の遺骨の返還を求めている(Ainu People call for return of indigenous remains)」が掲載されました。
http://asiapacific.anu.edu.au/blogs/asiarights/2011/08/10/ainu-people-call-for-the-return-of-indigenous-remains/
先住民族の遺骨返還問題に関する別の記事も紹介します。
8月11日~26日の日程でペルーにて開催中の世界先住民族教育会議(WIPCE)で紹介されたようです。
http://indiancountrytodaymedianetwork.com/2011/03/yale-returning-remains-artifacts-to-peru/
道立アイヌ民族文化研究センターが発行している『センターだより NO.34』(2011年3月)に、企画展「アイヌ語地名を歩く-山田秀三の地名研究からー」の案内がありました。今年は稚内市と名寄市で行うようです。
稚内市 稚内市立図書館(9/16~10/16) 稚内市立北方記念館(9/17~10/30)
名寄市 名寄市立北国博物館(11/19~12/25)
今日は久しぶりに札幌へ行きます。アイヌ民族を含む市民グループ チ・カラ・ニサッタの学習会です。今回のアイヌ政策推進会議の「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告書を基に、疑問や課題と考えることを話し合います。
いつもの自然風景とがらりと趣を変えて。10代前半に住んでいたところにホテルが立ち、その一室から皇居を見下ろし、東京タワー・国会議事堂を写しました。その頃は毎晩、友だちと皇居の周りをマラソンしていました。