アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

十勝エテケカンパ

2008-02-28 15:19:05 | インポート
今日は帯広の「十勝エテケカンパ」の集いに出ようと準備をしていましたが、ちょうどわたしが通る地方すべてに大雪・着雪・なだれ注意報が出ていて、留萌の荒天にめげて断念しました。ホワイト・アウト状態で、運転が出来ませんでした。

十勝エテケカンパは、主にアイヌ民族のこどもたちと共に学集会を開いて基礎学力の充実や、アイヌ語・舞踊などのアイヌ文化を学ぶための催しを開催している会です。
カナダへ先住民族との出会いの旅を開催したり、キャンプなどの様々な行事を行っておられます。

さる1月13日午後10時よりNHK教育にて放映されたETV特集「僕たちのアイヌ宣言~“民族”と“自分”のはざまで」で出演していた酒井美直さんはこの会出身ですね。

アイヌレブルスのURLはこちらから入れます。 http://www.ainupride.com/
上記へ行くとYouTubeでデモテープが観ることが出来ます。
若さがあふれていますよ~

十勝エテケカンパは今年からエカシやフチからアイヌ民族のお話を伺おうと計画されているようで、今日はその第1回目。同会の代表をされている木村さんのお話を聞くとのこと。
行きたかったです。でも、窓の外を見ると、行かなくてよかったと思えます。
ディヴァン宣教師が行くと言われていたので、報告を楽しみにしています。


事務仕事や調べものをしながら過しましたが、以前に購入していた藤永 茂著「アメリカ・インディアン悲史」の前半を読みました。
トーマス・バジャー著「コロンブスが来てから」も大変、ショックを受けましたが、あらためて考えさせられました。

著者の藤永さんは、序の部分で、
「北米インディアンの悲史をたどることは、そのまま『アメリカ』の本質を、 くもりのない目でみさだめることにほかならぬ」
と述べ、1968年の南ベトナムの小村ソンミで450人もの村人を米兵が虐殺した事件を紹介し、アメリカ「建国」の始めから今も変わらず同じ殺戮を繰り返していると批判しています。
1864年のサンド・クリーク、1890年のウンディド・ニーの大殺戮の延長線上にソンミ虐殺事件があるのだ、とネイティブ・アメリカンの虐殺の歴史を紹介していきます。
侵略者のずるさ、惨さは読んでいてとても苦しくなります。
この延長上にイラクも入るのですね。





“旧土人”って?

2008-02-21 21:07:56 | インポート
なぜアイヌ民族は「旧土人」と言われていたのかしっくりきていませんでした。
いくどか引用している上村英明さん著「知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版」
(解放出版)の中に、分かりやすく書いてありました。それを要約すると・・・

そもそも「土人」という言葉は、そこに住んでいる“土地の人”と言う意味であって、
江戸時代までは差別的には使われていなかったそうな。
だからと言ってアイヌ民族は差別されていなかったわけではなく、
差別表現はべつにあった。
蝦夷(えぞ)、夷人(いじん)、夷狄(いてき)というコトバで。
しかし、ロシアとの国境争いでアイヌ民族を“土人”(わが領土の人)にして、
=アイヌ・モシリは俺のものとした。
同時に、今度は「土人」=「未開で野蛮な外国人・異民族」という意味に刷り込まれていった。
それで「土人」は差別表現へと変わっていってしまったのでした。

と、言うことだそうです。

その後、戸籍制度で1878年から「旧土人」と区別(=差別)することになったのです。
(旧い“土人”ということですね)
まさに植民地政策のひとつだったのです。

今日は兵庫時代にご一緒していたSさんが、わざわざ留萌に来てくださいました。
札幌の用事で、今朝一番に札幌を出たそうですが、バスが1時間以上遅れ、
5時の飛行機に間に合わせるためにほとんどトンボ帰り状態でした。
それまでしても会いに来て下さったことに感謝でした。

夜は、めずらしく風がなかったので遊び心で、教会看板の前に
光のモニュメントを作って撮影しました。
長く厳しい冬ですが、楽しみ方はいろいろあります。
毎年、工夫して作っているんですよ。
クリスマスに使ったロウソクの残りの処理にもなりますし・・・。




「世界の先住民の国際年」の開幕式典での講演

2008-02-20 16:21:56 | インポート

1992年の「世界の先住民の国際年」の開幕式典で、国連が招待して北海道ウタリ協会の当時理事長であった野村義一さんが参加し、記念演説を行いました。
その中で日本政府に対して民族としての自決権の要求をされたことを、ちょうど1年前のブログ日誌に載せましたが(2月28日「国連先住民作業部会(WGIP)」)、先日の1月13日、NHK教育テレビのETV特集で放映された「僕たちのアイヌ宣言」の中でもその映像が映し出されました。ほんの一部でしたが印象に残ったので、調べてみましたら、上村英明さん著の「知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版」(解放出版)の中に全文が掲載されていました。以下、一部を紹介します。


本日は国際人権デーですが、1948年に世界人権宣言が採択されて45周年の、人類にとって記念すべき日に当ります。また、国連先住民年の開幕の日として、私たち先住民族の記憶に深く刻まれる日になる事も間違いありません。
 これに加えて、本日12月10日が、北海道、千島列島、樺太南部のはるか昔から独自の社会と文化を形成してきたアイヌ民族の歴史にとっては、特に記念するべき日となる理由がもう一つ存在します。すなわち、それは、ほんの6年前の1996年まで、日本政府は私たちの存在そのものを否定し、日本は世界に類例を見ない「単一民族国家」であることを誇示してきましたが、ここに、こうして国連によって、私たちの存在がはっきりと認知されたということであります。~略~ 私たちアイヌ民族は、日本政府の目には存在してはならない民族だったのです。しかし、ご心配には及びません。私は決して幽霊ではありません。皆さんの前にしっかりと立っております。



「しかし、ご心配には及びません。私は決して幽霊ではありません。」は、なんともユーモアがあるではないですか。怒りを覚えながらも、冷静に、ユーモアを盛り込んでの講演は、この後、短くきっぱりと19世紀後半からの「北海道開拓」の名のもとで行なわれた同化政策を批判し、新しいパートナーシップを結ぶことを求めています。
さらに、民族自決権を求めています。しかし、あえて以下を説明しています。


しかしながら、私たち先住民族がおこなおうとする「民族自決権」は、国家が懸念する「国民的統一」と「領土の保全」を脅かすものでは決してありません。私たちの要求する高度な自治は、私たちの伝統社会が培ってきた「自然との共存および話し合いによる平和」を基本原則とするものであります。

とてもいい講演です。
新しいパートナーシップのこと、民族自決権(自分たちで決定する権利)のことを、すでに簡潔にしっかりと述べられているのですね。



月曜日の午前中に予定していた会議がなくなったので、
流氷を見たいと興部まで行きました。けれど残念。
数日前に激しい風が続いて帰っちゃったって。
道北センター館長のウイットマー宣教師が流氷の写真を送ってくれました。




とんがりねずみ?

2008-02-19 20:19:49 | インポート
日曜日の礼拝後、地区委員会に参加するため、名寄に一泊で行って来ました。
すると、ある方が「今日は沖内は滑りませんでしたか?」と・・・。
思わず、目頭が熱くなり・・・。ブログを見てくださっているんですね~。
感謝、感謝です。



山の中を運転中に小動物に出会えました。
とんがりねずみと言う説をある方から聞きましたが、
ネットで調べてみると、どうも違うように思うのです。
この子の顔はとんがっていないのです。
最初は“ヤマネ”かと思っていたのですが、しっぽが違うように感じます。
どなたか分かった方は教えてください。

さて、ご案内です。
明日の午後7時より、旭川六条教会にて、川村カ子トアイヌ記念館館長の
川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんのお話があります。
参加自由で無料です。
アイヌ民族の現在をお話くださるとのこと。近い方は是非。


「同化」=進化論?

2008-02-16 15:05:46 | インポート
前回の「『滅びゆく民族』ではないのです」のつづき。
近代日本で、アイヌ民族への調査を行なっていたのが「日本民族衛生学会(以下、学会)です。
学会は優生思想のもとでアイヌ民族が生物学的に滅亡に向っているという認識を示し続けたわけですが、1930年代に入り、北海道庁の認識は、そうではなかったと藤野さんは諸資料から指摘します。
道庁はむしろ、アイヌ民族は人口増加する傾向にある、と。

なぜ??
実際には減っていないし、調査そのものの不正確さ、たとえば、アイヌ民族のみなさんが札幌などの都会に行った場合にはアイヌ民族であるかどうかがあやふやになっている、と当時の北海道庁長官の佐上信一自らが不正確さを認めている発言をしているのです。

さらに、日本政府は傀儡国家である「満州国」を建国して「五族協和」を掲げていたので、アイヌ民族にも同様に「同化」が強化される必要性があったと藤野さんは指摘します。
だから、滅んでは困るし、むしろ和人と接触して「同化」することを必然と考えたのです。
「同化」=「進化」というとらえ方です。

さて、当時のアイヌ民族自身はどだったでしょうか。

アイヌ民族自身による、生活改善・経済向上を目指した最初の組織である旭明社(1927年帯広で結成)は、初代理事社長は和人であり、道庁の「同化」=進化論の範疇に止まっているそう。
同じく、道庁主導の北海道アイヌ協会も、同じものだった、と。

ここで藤野さんは道庁主導ではないグループを取り上げます。

日高支庁管内鵡川のアイヌ民族青年団から別れて1932年に結成された組織で、キリスト教主義のもと、活動した「チン青年団」、さらに1933年に帯広でキリスト者貫鹽法枕(ぬきしおほうちん)が結成した「北海少群更正団」です。
しかし、キリスト教主義に基づく生活・経済の更正運動にしても、「同化」を前提にしたものだったという結論でした。

これらのグループに関して、はじめて聞く組織です。おいおい調べてみようと思います。

前回に引き続き参考にした藤野豊さんの著書「日本ファシズムと優生思想」(かもがわ出版)は
わたしの別ブログである報道クリップに紹介しています。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/


あっ、また熱くなって書いてしまった・・・
こんかいの旅行で、このブログのことも少々話題に出たのですが、大半の方は写真(自然の美しさ)と、何げないわたしのコメントは読むけれど、真面目な部分は今度ゆっくり読もうと思い、飛ばしているとか・・・・。
う~む・・・しょうがないよなあ。

今日も大荒れの留萌です。今朝5時に起きて30センチちかく積もった雪を投げ、
お昼も雪投げしました。
明日は道北地区委員会で礼拝後に、北東140キロ先の名寄まで1泊で出かけます。はたしてこんなに荒れていて行けるだろうか・・・。

そうそう、前回に名寄に行く途中でやたらと滑った村があったんです。
ブレーキしても止まらずに100メートルほど滑る状態でした。
村の手前のほうで事故があったようでパト車も来てましたが、その村の名が沖内。
思わず納得。滑って転んで“起きない” か。    って、なんでやねん!
アイヌ語の意味を山田秀三著「北海道の地名」(草風館)で調べましたが載っていませんでした。
写真 暑寒別岳のふもとで。



「滅びゆく民族」ではないのです

2008-02-16 12:50:45 | インポート
このたびの旅行ではところどころでアイヌ民族についての話をしましたが、
ある方が アイヌ=「滅びゆくく民族」 のイメージを持っておられることを言われました。
しかし、おかしなことに当のご本人は「滅び行く」とはどういうことかあまり考えておられないのです。
恐らく、その方は知らぬうちにインプットされた言葉をふと口にされたのでしょう。


近代日本において、アイヌ民族は「滅び行く民族」だと言われ続けてきました。
それは、近代にはいって人口が減少したと考えられてきたからです。
減少の原因は社会ダーウイニズムの「優勝劣敗」の考え方からだとか(強いものが生き残る)、結核・梅毒などの疾病の流行によるとか説明がされています。
また、「滅び行く」と言っても、アイヌ民族が死滅すると言う場合の「生物学的滅亡」と、和人に“同化”して民族的特徴を失うという「文化的滅亡」とがあります。

はて、ほんとうに近代に入って人口減少が起きたのか、あるいは“滅んでいく兆し”が見えたのでしょうか。
さらに、「滅び行く民族」という表現はどのような意味でもちいられたのか、

このあたりのことを近代初期までさかのぼって、実証的に検証した方がおられます。
日本近現代史研究者の藤野 豊さんです。
藤野さんは著書「日本ファシズムと優生思想」(かもがわ出版)の第5章「アイヌ民族と優生思想」でこのことを扱っています。
(「アイヌ史史料集人権侵害裁判」の際の証言もとてもよかったです)。
それによるとまず、アイヌ民族人口は減少期はあったが、その後は増えているとのこと。

21,697人 (1804年)
21,678人 (1822年)と、2万人台だったのが、30年後には
16,136人 (1854年)と、5,500人以上の減少が見えます。 しかし、その20年後には
17,048人 (1877年) 増加
17,715人 (1907年) 増加
18,168人 (1911年) 増加 
となる。 (1920年は若干減ってはいるが暴減ではない)

それなのに、この調査結果を調べている当時の学者達は、減少し続けていないのに、「減少しているという結論を決めていた」と藤野さんは指摘します。
さらに、当時の多くの学者や技師らのアイヌに対する偏見に満ちたレッテルを紹介してくれています(読みながら腹がたってくる!)。

これに対し、1925年に白老村や平取村のアイヌ民族を調査した戸田教授(京都帝国大医学部衛生学教室主任)は、アイヌ民族は「衛生状態は決して悪いほうではなくアイヌは普通に滅びゆく民族とされるが彼等は決して滅亡しない」と、明言し、ただ
「混血の結果民族の血が和人に流れて固有の特色を失って仕舞ふことは争はれない事実」と言ったとか。
また、「梅毒と結核とトラホームが非常に多いという話だったかがそれほど多くない」とも。
事実を歪曲せず、的確に事実に即して指摘している学者もいたことは注目に値しますね。

アイヌ民族に対し、「野蛮人種」「非衛生的」「劣等」「無智蒙昧」というレッテルを張り、「滅ぶ民族」としてきたのは、事実ではないということです。

さらに、興味深い話に、1935年に道庁主催「旧土人保護施設改善座談会」の席上での話しで、アイヌ民族に結核・梅毒の羅患率が高いとの発言をある研究者がしたことに反論して、向井山雄さん(後に北海道アイヌ協会初代理事長)が、
「先生方の御調査は主に弱いに這入って御調査なさるものですから、弱い部分で明示されるではないか」
と問いただすと、その学者は、
「面白いことには癌の死亡率が挙げられていないし、肝臓の硬化といふやうな病気もない。盲腸炎といふような病気も非常に少ないことが目に著くのであるが、こういふことは詳しく調査してから研究する必要があると思います」と述べ、自らアイヌ民族に多いとされる結核・梅毒のみを強調し、逆にアイヌ民族に少ない疾病には十分な調査を行なっていない事実を露呈したというのです。

最初からレッテルをはっての調査であるゆえに、調査結果すら信用できないのです。

つづく


この小動物はなぜ回り道をしたのでしょう??


沖縄での米兵による少女暴行事件

2008-02-15 07:47:11 | インポート
長らくご無沙汰していました。

11日に神奈川教区西湘南地区ヤスクニ問題連絡会主催の
「思想・信教の自由を守る2.11集会」に講師として招かれ、
パワーポイントを駆使して(笑)、講演をさせて頂きました。
皆さん、熱心に聞いて下さり、質問もたくさんしてくださって、よかったです。
まだ、調べている途中の事もありますので、わたしのほうもより深め、
明快にお話しできるよう努めていきますので、どうぞ、声をかけてください。

中には、このブログを見てわざわざ埼玉から聞きに来てくださったかたもいて、
とても感謝でした。ゆっくりお話できなかったので、また、DM頂けたら幸いです。

旅の前後に、恩師にお会いしたり、実家に6年ぶりに帰ったり、友人と会ったりと充実した一週間でした。
ほぼ毎朝、早朝の散歩を90分ほどして旅先の街並みも感じることが出来ました。


夏みかん? 北海道では見られない光景ですね。

北海道は大荒れで交通もマヒ状態が続いています。
その中も元気に愛犬と朝夕のジョギングを再開しています。

さて、講演案内です。
北海道大学アイヌ・先住民研究センター講演が本日、夕方にあります。
わたしも是非とも行きたいのですが、体力的にも無理しないほうがいいかとも思いますし、
この天気で行くのは無謀と言われるかも・・・でも、この講演は聞きたい。悩むところです。

沖縄でまたもや米兵による少女暴行事件が起こりました。
北海教区の数人も抗議行動で沖縄に駆けつけています。兵隊は殺人兵器なのです。
存在自体が凶器です。強く抗議すると共に、基地撤去を願います。

沖縄の友人が2/12夜にキャンプ瑞慶覧ゲート在沖米軍司令部前での抗議集会で
語ったメッセージが、市民メディアJANJANで、映像として見ることが出来ます。

http://www.tv.janjan.jp/movie/shiminkisha/0802120684/s0802120684_01_v.php



北海道大学アイヌ・先住民研究センター 講演
■ 2月15日(金)18:00~20:00
石田 肇[琉球大学医学部 教授]
「アイヌ民族、琉球人、そして日本人:日本列島における形態と生活誌の多様性」
会場:北海道大学人文社会科学総合教育研究棟(W棟)2階 W202号室
※参加自由,無料.




エスノサイドの実態を

2008-02-07 03:40:22 | インポート
アイヌモシリから先住者であるアイヌ民族をどのように排除していったか、その事実を明確にし、日本の責任を解決して頂きたいと前回に書きました。

近代国家を形成した日本が、その過程でどのように「先住民族」の問題を生み出して行ったかを、上村英明さん(市民外交センター代表)は、「先住民族の『近代史』」(平凡社)で、詳細に、且つ、分かりやすくまとめられています。

1854年の「日米和親条約」によって開国された日本はその後、「日英約定」(1854)、「日露和親条約」(1855)、「日蘭和親条約」(1858)と次々と調印します。
その中で、「日露和親条約」のみが、領土問題に関する条文を持ち、先住民族と植民地化について注目されるものだと氏は指摘されます。
結論として、日本政府のアイヌは日本の「属民」であるという主張でアイヌ民族の居住地には、日本の固有な主権・領土権があるという論理が通った、とのこと。
(ロシアはサハリン・千島列島のみを対象にしていたために、北海道本島は日本領土となった)

取って付けたような“理屈”でアイヌ・モシリは日本領土とされたわけですが、
日本政府はそれ以来、強力に、アイヌ民族の日本人化を強制していきます(同化政策)。
それまでは、「禽獣の類」として人間扱いせずに強制労働や搾取を繰り返していたのに、です。
今度は、アイヌ民族の民族性を抹殺する(エスノサイド)ための同化政策がとられます。
そこに登場するのが、日本語や日本風俗の奨励、そして、仏教の布教です(上村前掲書)。
う~ん。
その流れにキリスト教も組み込まれていくのですね(今までのバチェラー関連参照)。

さて、行事案内。
旭川の雪祭り開催中の11日午後3時より、
川村カ子トアイヌ記念館の皆さんによる舞台が行なわれます。
20日(水)には旭川六条教会で川村館長の講演があるとも伺っています。

北海道大学総合博物館シンポジウム
「中世日本列島北部~サハリンにおける民族の形成過程の解明」
-市場経済圏拡大の観点から- 
日時:2007年2月9日(土) 9時00分~18時00分
場所:北海道大学総合博物館1階「知の交流コーナー」
内容:「オホーツク集団と続縄文集団の交流」(北海道大学 天野哲也氏)
「厚真町幌内地区の発掘調査から解ってきたこと」(厚真町教育委員会 小野哲也氏)
「アイヌの宝器・鍬形の成立と変遷」(旭川博物館 瀬川拓郎氏)など
*入場無料 詳しくは北海道大学総合博物館へ
http://www.museum.hokudai.ac.jp/activity/symposium/symposium21/


わたしは神奈川教区西湘南地区ヤスクニ問題連絡会主催の「思想・信教の自由を守る2.11集会」に講師として招かれ、「アイヌ民族とキリスト教布教」とのテーマで、J.バチェラーを例に、北海道の宣教と日本の植民地政策との関連の調べている部分を中途報告させて頂きます。
(今週の「週刊金曜日」の2.11集会案内にも出ていたので、少々、緊張ぎみ)。
10日は平塚中原教会の礼拝の説教奉仕、その夜は小田原教会の栄町集会にて用いて下さるとのことで、盛りだくさんです。楽しみにしています。
ついでに、東京駅八重洲の近くにあるアイヌ文化交流センターにも寄ってみたいと思っています。
今晩から出かけますので、帰り次第、報告をUPします。




夕焼け