アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

チカップ美恵子さんの刺しゅうデザイン(イメル=雷)Tシャツ

2010-05-31 20:16:55 | インポート
数年前に当センターで制作したチカップ美恵子さんの刺しゅうデザイン(イメル=雷)Tシャツが、ふたたび作られることになりました。チカップさんの作品の後をまかされたUさんが準備中です。当センターは販売の協力をしようと思います。収益はチカップさんの写真集や残されたご遺族のために用いられるとのこと。6月末に機関紙ノヤと一緒にチラシを同封します。ウェブ・ページでよくあるように「カゴに入れる」っちゅうようなものを、士別教会の難波さんに作って頂いて、注文を受けられたらいいかと思います。近いうちに見本が届く予定ですので楽しみです。

4月に次男が携帯を持つのにあわせてわたしも携帯を変えたので、携帯番号や携帯アドレスが変わりました。ご質問などのメールや問合せは、このblogに掲載しているメールアドレスにお願いします。直接わたしが受け取ります。
⇒ ororon38@hotmail.com

さて、今日は快晴でした。月末で教会の仕事で一日がつぶれました。
ある方から、このブログでよく「調べてみます」、「勉強します」と書いてあるが、その後のフォローが出来てないではないかと突っ込まれました。
すみません・・・
このことを専門にしているのではなく、他に仕事をもってのことゆえ時間も限られています。また研究者ではないためになかなか調べられません。英語も苦手・・・。可能な限りやりたいと思って、おにぎり持って、とにかく動いて出会いにいってます。そして、そこで得た情報を分ち合えればと願っています。
専門的な分野の方もこのblogをのぞいて下さっているようですから、是非、知恵を頂けたらうれしいです。


ルッコラの芽が出てきましたよ~ 楽しみです。山菜もこの時期に採れるだけ採って保存しておこうと思います。いい季節は来客もハンパないですから、お手ごろなもので北海道の味を満喫して頂ければと。

今日で5月が終わりますね。6月はまた行事や講演会が盛りだくさんです。
かいつまんで紹介します。

6月1日(火) 18:30~ さっぽろ自由学校“遊”連続講座「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」 八谷麻衣さん(1982年生まれ。旭川市在住。旭川チカップニアイヌ民族文化保存会所属)。

6月2日(水) 19:00~ WIN AINU主催「グアテマラ内戦中の性暴力を裁く 「先住民族女性の民衆法廷」報告会 in さっぽろ。報告者:新川志保子さん(日本ラテンアメリカ協力ネットワーク・グアテマラでの「先住民族女性の民衆法廷」陪審員)  ところ:札幌エルプラザ大研修室B

6月3日(木) 18:30~ さっぽろ自由学校“遊”連続講座 「生物多様性」講座 レイモンド・エップさん
(エップさんはかつて教区年頭修養会や三愛塾でお招きしたことがあります。素敵な農民です)。

6月5日(土)18:30~ 『大久保でアイヌ文化を!魂のうた・おどり・ことば』~多民族・多文化のまちで車座になって~ お話:川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん、アイヌ古式舞踊  会場:大久保地域センター4階

6月6日には東京にて川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん、杉村フサさん、星野工さん、平田幸さんらのパネルディスカッションなど開催。過去ブログ参照。

6月8日 第20回 銀の滴・降る日 (知里幸恵さんの生誕祭) 旭川北門中学校にて


イヴェント情報blog参照( http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive )



明日は教区関連の仕事にあわせて“遊”の八谷さんのお話を伺いに札幌に行ってきます。
2月のさっぽろ雪祭りの時に開催されていた「ピリカルアンペの会」が、第2回の行事を開催中とご案内を頂きました。「アイヌ手仕事の世界」。紀伊国屋札幌本店2階ギャラリーにて10時~19時。6月3日まで(最終日6時)。途中でお訪ねしようと思います。

今日もこども達が夕方来て遊んで行きました。1・3・5年の8人。運動会の練習の話から家の話までこどもたちはよくしゃべります。こども達の話を聞くほど、いわゆる家庭的に「問題」のあることが分かって来ています。それでも彼ら彼女らはたくましく生きていますね。


OKIとタテタカコのライブ

2010-05-30 08:21:11 | インポート
緊急情報です

OKIとタテタカコが、な、なんと・・・一緒にライブをするとのこと。
Wakkaさんから情報が入ったので調べました。
本日の午後7時。場所は新宿Naked Loft!

数日前の過去blogにタテタカコさんの歌い方もセンスもいいなぁ~と思ってとりあげていたので、東京の人がうらやましい・・・
以下、タテタカコライブ情報より転送します。
(http://www.navelfactory.jp/tate/live/live.html)


5月30日(日)@新宿・Naked Loft
Naked Loft Premiere 2-men show『タテタカコ × OKI 』
act : OKI(from DUB AINU BAND)、タテタカコ
open 18:00 / start 19:00|¥2,500(adv) / ¥3,000(door) (共に飲食代別)
ticket : ローソンチケット(L-code:79756)、Naked Loft 電話予約
info : 03-3205-1556 / Naked Loft


OKIも「サハリンロック」発売のようです。楽しみにしています。この数週間、旭川のビデオを観ていましたので、OKIやレクポさんの過去映像もちょこちょこ観ました。ご活躍を応援します。
http://www.tonkori.com/news/index.php



昨日、教会員のNさんと暑寒別の奥の沢まで入って、行者ニンニクやウドを採って来ました。熊が出ているので「人間が入るよ~、美味しくないよ~」と叫びながら山菜採りをしました。
今日は礼拝後、山菜パーティーです。


「先住民ラコタの民族自治と生存への取り組み」

2010-05-28 16:10:44 | インポート
昨日は札幌へアイヌ奨学金キリスト教協力会関連の事務や教区関連の事務を行いに行きました。
夜は北海道大学アイヌ・先住民研究センターの講演「先住民ラコタの民族自治と生存への取り組み」を聞いてきました。いつもと変わらず自分の個人的なメモの範囲で報告をUPします。今回もパワーポイントを使っての講演でしたが、残念ながらペーパーはなし。英語でかまわないので配布して頂けたらメモに使えるし、後日に引用しやすいのでお願いしたいです。

講師はThomas Biolsi(トーマス・ビオルシ)さん(カリフォルニア大学バークレー校エスニック・スタディーズ研究科長)。
主にサウスダコダ州のRosebut(ローズバッド)保留地の状況を話されました。この地域は国連調査によると48.3%が貧困層であり、82%が失業者。地域的に農業に適さず、畜産もごく限られた人しか就けないため、白人もこの地を離れていくとのこと。そのようなところに保留地を作った国の責任がある、と。よくTVなどでアフロ・アメリカンの貧しさが言われるが、先住民族のほうがたいへん貧しい境遇に置かれていると。(また、ラコタの人たちは志願して軍に入る人が多いとのこと)

そういう中でもラコタ民族は分ち合う精神がたいへん豊かで、互いに分ち合い、皆で生き抜こうという精神を持っているとのことでした。
また、ラコタ語を第一言語としている人たちはラコタ全体の15%あり、こどもたちには学校で学ばせ、大学においても学部をつくって普及に努めていると。

1934年にローズバッド・スー族の部族会議によって自分達の憲法(民法・刑法)を制定。
保留地に住む15%の白人は部族が制定した憲法の拘束力はないと主張(インディアンにそんな能力はないという差別的な主張)。それに対して部族会議は差別的と批判。

2007年12月19日にラコタ民族の代表らが自治国を表明したことに関して何も触れられなかったので質問しようとも思いましたが時間切れでした。連邦政府の対応や自治国になって改善されたのかなど、逆に話で触れなかったということは、連邦政府も認めなかったということでしょうか。


さくらんぼの花。今満開です。6月になるとさくらんぼ狩ができますよ~ (増毛町)

質問の中で、日本のキリスト教はアイヌに対して何もしてくれなかったが、アメリカのキリスト教会はどのような支援をしたか?というのがあり、ローズバッドにおいては「保守的支援」にとどまったと。保守的というのはこどもたちの修学支援、家族のカウンセリングなどの支援、アルコール依存者への復帰支援など。一方、ラコタ民族は政治的領域での支援を希望したが教会は応えてくれなかったので失望したと。どのようなやり取りがあったのでしょう。先住民族の中にキリスト教会は存在するのでしょうか。調べてみようと思います。

もう一つ、質問に対する答えの中で、民族の認定基準について言われていました。アメリカではそれぞれの部族会議が独自に認定しているのだそうです。連邦政府が決めるのではないということですね。ローズバッドでは四分の一の先住民族の血が入っているというのが基準とのことでした。
アイヌ協会はどのようなアイヌ民族認定がなされているのでしょうか。内規などがあるのでしょうか。


山の緑がほんとうにきれいな季節となりました。山菜が呼んでいる!今日も札幌の帰り道に山に入り、ウド、タラの芽、ふきを日曜日のてんぷらパーティーのために採って来ました。
 
センダック原作の絵本「かいじゅうたちのいるところ」が実写映画になりましたが、ツタヤでDVDレンタルされていましたよ。さっそく見ちゃいました。絵本のほうは、わが子たちによく読んでいました。映画ではどうなるのか楽しみでしたが、実写のかいじゅうが可愛い。そして、でた!あの言葉 「いかないで、食べちゃいたいほど好き!」
なかなかよかったです。


自然にゆだねる

2010-05-26 21:41:33 | インポート
今日は北星大学付属高校のフィールド・ワークの打ち合わせに、旭川の川村カ子トアイヌ記念館をお訪ねしました。先週の熊がどうなったかも教えて頂きました。

熊はとてもきれいに飾り付けがされてチセのカムイ・プヤラ(神の窓)から見える祭壇に納められていました。
撮影の許可を得て写そうとすると、邪魔な感じにハエがたかるので手で払いながらシャッターを押していると、館長が、「こうやって自然にまかせるとハエが来て、うじが肉を食べつくすんだ。来週にはきれいに白骨化しているよ。」と。
なるほど・・・

HさんのビデオをDVD化するものの中に、旭川アイヌ語教室劇「第六回アイヌ民族文化祭「ピンニ カムイ ウチャシクマ」(1993/10/31開催)があって、楽しく鑑賞しました。
山のなかの大きく立派なヤチダモの木の話です。傲慢オキクルミたちが倒そうとしたけれども斧の歯が立ちません。
次に来たのはアイヌ民族。彼らは丁重にカムイノミ(ヤチダモの霊にお祈り)をします。「あなたを交易のために使わせてください、たくさんの動物の毛皮を運ばせてください、お礼にいつもきれいにさせて戴きます」
ヤチダモは了解し、その木はアイヌの交易のために大きな舟に加工され、荒波を進み続けます。
最期は無事に船旅を終えたアイヌが舟にカムイノミをし、ヤチダモは「イナウを作り酒をつくっていっぱいに飾ってくれたので、益々わたしの品格を高めることができました!」と言います。
自然を敬い、自然と共生するアイヌの豊かさが表現された劇でした。みんなとっても活き活きしていましたよ~。
サケヘ(繰り返し)の「コイナマシ~」が、とてもいいリズムでしたし、荒波を航海する場面は技術的にとてもよくできていると感じました。


カムイ・プヤラからながめた熊頭の飾り

東京でふたつのイヴェントの案内が届きました。
ひとつは「アイヌ感謝祭」。
●日時:2010年6月13日(日) 13:00~17:30
●場所:スペース・オルタ(新横浜)    横浜市港北区新横浜2-8-4
●主催:アイヌ・ウタリ連絡会
●ワークショップ(13:00~15:00)
 刺繍教室(講師:八幡智子/定員12名 1,500円)
 木彫り(講師:星野工/定員12名 1,500円)
 リムセ(踊り)(講師:平田幸/定員30名 500円)
 ムックリ(口琴)(講師:宇佐照代/定員15名 1,000円)


もう一つは、「先住民族アイヌからのメッセージーアイヌモシリと首都圏を結んでPART2」
ケウトム ピリカ ウタラ アン テケ アンパロ (美しい心で 仲間(私達)は 手を つなごう)
【日 時】 2010年6月6日(日)
*午後4時~午後6時 カムイノミ  会場:「虹の広場」(足立区・千住新橋右岸たもと)
*午後7時~午後9時 アイヌ古式舞踊公演 
    会場:生涯学習センター・講堂(千住新橋右岸たもと「学びピア21」内)
【内 容】アイヌ古式舞踊公演
●講 演 「いま先住民族アイヌからのメッセージ」講師・川村シンリツ・エオリパック・アイヌ 
●パネルディスカッション 司会 中山千夏(作家)
  川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(チカップニアイヌ民族文化保存会会長) 杉村フサ(チカップニアイヌ民族文化保存会)星野工(東京アイヌ協会会長)平田幸(レラの会)
●古式舞踊 出演:チカップニアイヌ民族文化保存会、東京アイヌ協会、レラの会から
       歌舞・ムックリ演奏・トンコリ演奏           *参加無料
【主 催】 ケウトム・ピリカ実行委員会(呼びかけ:アイヌ・ラマット実行委員会)
     (問合先)090-6012-0903(出原・平日午後6時以降)
【後 援】足立区・足立区教育委員会・荒川区
【プレイベント】アイヌ文化パネル・工芸品展
*5月26日~28日 午前9時~午後5時(最終日4時)(会場)足立区役所1階 アトリウム


今日はこどもたちに野菜の種まきを手伝ってもらいました。しかし・・・楽しんでくれると思ったのが大間違い。「なんで、こんなことわたし達がしなくちゃいけないのぉ~~と、まったくやるきなし!(昨日に描いたイメージと違いすぎる!)。それでもほんの少しを手伝ってもらいました。
その後、6月第2に開催される運動会の出し物の練習が始まりました。逆立ちの補助を手伝いながら、つい、わたしも自慢したくなって倒立をかっこよくしました。
するとすかさず、ひとりのこどもが「あっ!中高年でも逆立ちでるんだ~」と・・・。
しばらく「中高年」と呼ばれるみたいです。

明日は北大アイヌ・先住民研究センターの講演です(10/5/24blog参照)。アイヌ奨学金キリスト教協力会の事務や、北海教区関連の事務などもこなしに札幌に行きます。


「単一民族神話の起源」

2010-05-25 19:55:16 | インポート
小熊英二著「単一民族神話の起源」(新曜社1995)も読み始めました。
おもしろい!
 
単一民族神話の定義として小熊さんは「単一純粋の起源を、共通の文化と血統を持った日本民族だけで、日本国が構成されてきたし、また現在も構成されている」とし、それがいつどのように発生・定着していったかを実証していきます。
序から1942年(太平洋戦争中)に文部省社会教育局らが発表した単一民族を否定する文書が紹介され、ズバズバと単一民族神話を切っていきます。「明治以来、日本は純粋な血統を持つ単一民族であるという単一民族神話に支配されてきた」というのではない、と。
戦時中に言われたスローガン「進め一億火の玉」の「一億」という人数は、「1895年に台湾、1910年に朝鮮を併合し」た、総人口の三割の台湾・朝鮮の人びとを含めた日本帝国の総人口だったそうです。
台湾領有時に、およそ300万の漢民族や原住民族を帝国臣民として参入する際、「日本人」が単一の血族などではないことを「突きつける潜在的脅威を秘めていた」問題にもっとも単純な解決策を示唆したのは福沢諭吉。彼は、「只その土地を目的として全島の掃蕩を(完全に除き去ること)期し、土人の如きは眼中に認めず、一切の殖産興業を日本人の手に経営して大いに富源を開発す加し」、「兵力を以って容赦なく掃蕩を行い、葉を枯らし根を絶ちて一切の醜類を殲滅し、土地の如きは尽く之を没収して、全島挙て官有地と為すの覚悟」と主張。必要なのは台湾の土地だけであり、住んでいる人間は眼中になし(葉も根も、醜類=台湾に住んでいる人たちのことを言っているのか?)と言っているのですね。小熊さんは「ここまで原始的な意見は、さすがに中央の論壇では少数」で、対等であれ支配的にであれ共存するという方向に論議が向いたと。

この頃のキリスト教はと言えば、内村鑑三が教育勅語への奉拝を宗教行事として拒否し、問題になりましたが、一方では後に日本組合教会理事になる渡瀬常吉が天皇崇拝の否定もせず、異民族を同化するには民族を超えた宗教が必要でキリスト教は国家の発展に寄与するものだ、などとキリスト教擁護論を展開。キリスト教が国家に巻き取られてしまいます。大きな過去の過ちです。



以前に書きましたが(2008/10/22 blob)、この度の有識者懇談会でも本書が引用紹介されていました。初等教育(尋常小学校)の国定教科書から戦前においてもアイヌ民族は大和民族と異なる民族であると記していることを調べあげています。
1903年に初版された第一期の地理教科書では、帝国の構成員については、「これに住める人民の数は、ほとんど、五千万におよべり。これらの人人は、上に万世一系の天皇をいただきて、みな、たのしく、その日をおくれり」とあるのみ。沖縄の項目では「住民の言語、風俗などは、他の府県の住民と、すこぶる、おもむきを異にするものあり。・・・されど、近年は、交通の便、大いに、開けたれば、遠からずして、他と同様となるに至るべし」と。
北海道は「盛装せるあいぬの酋長あいぬの家屋」と題のついた挿絵が掲載され、文中には「あいぬ人は、むかしは、広く、本州にも住みたりしが、今は本道全体に通じて、その数二万に足らず」と、本州にもアイヌがいたと記述。
1910年の第2期では「住民は概ね大和民族にして・・・」と異民族の存在が無視できなくなっており、「樺太」に「アイヌ其の他二三の種族」がいることや、「北海道地方は古来アイヌの住する所」と言った記述がみられるとのこと。
1918年の第3期では、大幅な記述の変化があり、日本が多民族帝国であることを公言しています。
「国民の大多数は大和民族にして、其の数五千四百余万に及ぶ。其の他、朝鮮には約一千六百万の朝鮮人あり、台湾には十余万の土人と支那より移り住める三百余万の支那民族とあり。又北海道にはアイヌ、樺太にはアイヌ其の他の土人あり。民族は相異なれども、ひとしく忠良なる帝国の臣民たり。」


夕方の風景はいつも違います。

今日は小雨が降り続きました。裏の畑で野菜の種まきの準備をしました。明日にでもこどもたちに手伝ってもらおうと思います。夏はお泊り会をしたいと言うので成長した野菜でサラダを作りましょう。自分の蒔いた種が野菜になっていくのはうれしいことです。今回はベビーキャロット、イタリアンパセリなども育てます。
少し風船バレーやマッチ棒クイズをしましたが、ある子が笑みを浮かべながら「先生って中高年でしょ?」と・・・。わたしが以前に「50歳からが中高年だよ」と言ったことを親に言ったのでしょう・・・ばれた!


ラコタ民族の自治と生存への取り組み講演

2010-05-24 20:04:11 | インポート
今週の木曜は北海道大学アイヌ・先住民研究センターの講演「先住民ラコタの民族自治と生存への取り組み」があります。講師はThomas Biolsi(トーマス・ビオルシ)さん(カリフォルニア大学バークレー校エスニック・スタディーズ研究科長)。文化人類学と法律学の観点からお話されるとのこと。遺骨収集の問題や返還にまつわる問題も伺えばお答えいただけるでしょうか。トーマスさんご自身はラコタ民族の方でしょうか。講師の詳しい紹介なども案内に書いて頂けたらうれしいです。
http://www.cais.hokudai.ac.jp/event/e_kouen.html
いつも立派なカラー刷りの案内がありますが、お金をかけているなぁ~と気になります。印刷数や配布範囲はどれぐらいなのでしょう。アイヌの方のお話も伺いたいです。本にもなりましたが、シンポジウムはアイヌの方がコメントされてたいへん良かったです(過去ブログに書きました)。


皇帝ペンギン(旭山動物園)

ディー・ブラウン著「わが魂を聖地に埋めよ」(草思社1972)を読んでいますが、一章から白人の先住民族に対する嘘、裏切り、略奪、レイプ、虐殺、民族絶滅の数々、つらくてなかなか先が読めません。
この書でラコタは西部でもっとも数が多くて強力な部族だったと書かれています。ラコタ民族の名として、タ・オヤ・テ・ドゥタ(歩きながら狩をする鷹。またはリトル・クロー)、マフピワ・ルタ(レッド・クラウド)、クレージー・ホース、タタンカ・ヨタンカ(シッティング・ブル)、スポッテド・テイルが記されています。地図も見ながら一つひとつの歴史を追っています。

AFPBB News(2007年12月20日)に、「北米先住民族ラコタ、米国から『独立宣言』」というニュースを掲載しています。
以下、抜粋して添付します。
 ラコタ族の代表らは19日、ワシントンD.C.郊外の荒廃した地区にある教会で記者会見を開き、「米国政府と締結した諸条約から離脱する」と発表。 新しく発足する「ラコタ国」は、ネブラスカ(Nebraska)、サウスダコタ(South Dakota)、ノースダコタ(North Dakota)、モンタナ(Montana)、ワイオミング(Wyoming)の5州の各部分をまたぐという。ミーンズ氏によると、ラコタ国は独自の旅券や自動車免許証を発行し、住民が米国の市民権を放棄すれば住民税は徴収しないとしている。
 今年9月、国連(UN)が「先住民族の権利に関する国連宣言」(先住民族宣言)を採択したことがひとつのきっかけとなった。この宣言には拘束力はないが、米国は採択の際、自国の法と衝突するとして反対している。
http://www.afpbb.com/article/politics/2328199/2469480


このニュースによると、現在、ラコタ民族の男性の平均寿命は世界でも最も短い44歳未満。10代の自殺率は米国平均の1.5倍、乳幼児死亡率は米国平均の5倍、失業率も高いとのこと。
民族自治と様々な取り組みについて詳しく最新情報を伺えたらと思います。そして、それがアイヌ民族の権利回復の一助になったらいいと願います。


旭川の見本林(三浦綾子文学記念館前)

今日はNCC教育部の教育週間用に、アイヌ民族のことを学ぶための学習教材作りに頭を悩ませました。
当センターがどうしてアイヌ民族の権利回復の働きに連なるか、そのことを北海教区の宣教の課題とするのはなぜかを、当ブログの自然の写真など12枚ほどをパネルにして小学生にも分かり安い言葉で数行にまとめるというもので、教育週間に希望教会や学校に貸し出すのだそうです。あと二週間で原案を出さなければなりません・・・・。悩みこんがらがっているときにこども達が来たのですぐに逃避して遊んでしまった・・・
今日も新しい小学3年生の男の子達の二人をふくむ7人が入れ替わり来て、風船バレーをして行きました。
北海道では6月に運動会があるので誘ってくれました。


「先住民族関連ニュース」ブログ

2010-05-23 05:11:40 | インポート
在宅時は毎朝、各社新聞のウェブ・ページでアイヌ民族や世界の先住民族関連のニュースをひろいあげます。それを「先住民族関連ニュース」ブログに掲載し、ストックしています。
このブログは毎日80人ほどがアクセスして下さっていますが、人のためというより、自分のために情報を得ておきたいとの思いからです。
ブログには紙面の写真は掲載していません(面倒なのです)。但し、発信元のアドレスを表示していますから、そちらに行って写真を見ていただけたらいいかと思います。
http://blog.goo.ne.jp/ivelove/

昨日のブログで紹介した道新の記事「日本語でひくアイヌ語辞典出版」も一日遅れでウェブ上にUPされていました。辞書の中身の写真も付いていますから道新のページでご覧下さい。
紙面に載ってウェブ・ページにUPされていない記事もあります。道新道北版以外の紙面の記事は残念ながらストックできません。残念。


熊の頭骨を安置する木(ユクサパオニ)。素材はキハダの木。皮をむくと黄色の幹が出てきて、金色に見えるので位の高い木とされているそうです。

5月20日の朝日新聞に、「私たちの命まで採掘しないで」とインド・オリッサのアムネスティ・インターナショナルからの報告が掲載されていました。
数ヶ月前に話題になった映画「アバター」(ジェームズ・キャメロン監督・脚本)の世界と同じことがインドでも起こっている、と。
http://www.asahi.com/international/shien/TKY201005200217.html

「アバター」を観ながら、世界の先住民族が侵略者から土地や資源、そして人のいのちまで奪われる歴史と同じだと感想を持たれた方がわたしの周りに多くいました。ジェームズ・キャメロン監督は最近、先住民族の権利回復の働きにも参与しているとのこと。
共同通信 2010/04/21 09:53「熱帯雨林に巨大ダム建設へ ブラジル・アマゾン」
ストック ⇒ http://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/187bf457b47c8be8aba512523c3eb22e

このように映像や物語によって分かりやすいようにして、先住民族の権利回復の力になればいいと願います。マンガや絵本などもどんどん出来たらいいですね。


川村カ子トアイヌ記念館のチセ。街の中にある癒しの空間。

22日(土)は日曜礼拝の準備を中心に過ごし、夕方にこども達が来たので少し遊びました。


昨日の余韻

2010-05-21 18:27:40 | インポート
昨日の興奮がまだ残っています。
ひぐまの頭は大きかった・・・牙もわたしの手の親指よりも大きかった・・・
留萌の隣町の増毛にある暑寒別岳ふもとでも春に熊の目撃が何件かありました。来週は礼拝後にみんなで山菜採りに行きますので熊にあわないよう、あまり奥に行かないで鈴を付けるなど注意します。
(山菜を食べたい方は30日の礼拝後にてんぷらパーティーを教会でしますのでどうぞ!)

ウェブ・ページにはUPされていませんでしたが、今日の北海道新聞の紙面に「日本語でひくアイヌ語辞典出版」という記事が掲載されていました。道教大旭川校の学生や卒業生有志による旭川アイヌ語研究会が日本語からアイヌ語をひく「アイヌ語旭川方言和愛辞典草案」を出版したとのこと。メンバーの写真を見ると、なんと、きのう川村カ子トアイヌ記念館のチセにいた方達ではありませんか。作業中、川村久恵さんの指導の下でウポポを歌ってくれていました。
辞典は地名など2200語を収録し、豊富な例文も入っているとか。A5判177頁。1200円。アイヌ語を「愛」にしているのはメンバーの案だそうで。サッポロ堂書店で販売中(問合せは同店011-746-2940)。アイヌ記念館にも売っているでしょうね。昨日、知っていたら買ってきたのに・・・


頬肉削りは難しいです。毛皮と肉の間にある脂肪(?)がゴムのようで切れにくいのです。
これがわたしの限界。

昨日は旭川竜谷高校の郷土部メンバーも駆けつけて、ビデオ録画や手伝いをしていました。郷土部の「上川アイヌの研究」は40年の歴史があります。研究内容の広さ深さはたいへん豊かです。数年前に留萌の図書館で調べものをしていたら初期の「研究書」が目に止まり、多くを教えられました。何よりもすごいのは高校生達が直接、川村カ子トアイヌ記念館や近文のエカシやフチのところに足を運んで、聞き取りや調査をし、つくり方を教わりながら実際に作業をしているのです。過去blogにも書きましたが、わたしも一緒に丸木舟(チプ)つくりもさせて頂きました。それらを研究発表として毎年、冊子にしています。2年前にはその40年の集大成として厚い2冊からなる研究書合本を製作(わたしも頂戴しました。感謝)。
顧問の本間愛之さんに今年のテーマについて伺ったところ、「今日のがテーマになるかも」と。いいですね~。
わたしの昨日のblogを見て下さっていて、教育現場でのアイヌ民族の扱いの出来ていない様子についてもお話下さいました。なぜ学校教育でアイヌ民族を取り上げないかというと入試の問題に入らないからではないか?と。なるほど・・・。国公立の入試問題に出す!いい考えだ。
竜谷高校の入試問題にはアイヌ民族関連の出題があるそうです。

タテタカコさんが3rdアルバム『Harkitek or ta ayoro』(ハルキテク オッ タ アヨロ)を発表しましたね。
タイトルはアイヌ語で「左手に宇宙」という意のようです。
彼女の事をちょっと調べましたが、いい感じで、声もすきです。映画「誰も知らない」の挿入歌「宝石」もYouTubeで観ましたが、映画のストーリーが思い出され泣けてきました。あの映画は辛い。
http://news.jp.myspace.com/NewsArticles/7211.aspx


今日は自宅にて奨学金関連の事務を少し行い、NCC教育部の教育週間に向けてのアイヌ民族教材の作成準備、それと、礼拝の準備。オルガン奏楽の録音や教会員の相談を受けた一日でした。


ひぐま

2010-05-20 22:21:16 | インポート
今日も朝から事務作業をしつつ、過去テレビ放送番組のDVD化をしていました。
ある番組(93年6月の番組に続いて撮られていたので、その直後に放送していると思う)に気になることが報じられていました。旧土人保護法のもとでこの「旧土人」という表現に基づいてアイヌ民族の戸籍謄本には「旧土人給与地出生」と記入されていたというのです。番組では旭川アイヌのMさんが、この記載のために差別が厳しく、就職の際に戸籍の記載だけで断られたという話や、自殺した中学生もいると話されていました。
さらに、それが旭川のアイヌ民族の運動で戸籍法が改正された、と。
それがどのような運動だったのかを色々調べてみたのですが分かりませんでした。ネットで調べると1972年に「『旭川区旧土人借与地で出生』の記載撤廃」とあるのみ。
この当たりをもう少し知りたいのと、6月の旭川でのアイヌ民族関連イヴェントのチラシなどを得るために旭川の川村カ子トアイヌ記念館に行って来ました(フィールド・ワークの打ち合わせも兼ねて)。

手みやげにでもと、いつもの魚屋に行くと、なんと、魚介類がハンパなく安い! 店長も「わやだわ!(めちゃくちゃだぞ) この安値。今月いっぱい続くから」と呆れているほど。それもそのはず、活き毛ガニ10パイ入って、なんと、1400円。一パイ140円! 思わず二箱買って、一箱を川村カ子トアイヌ記念館へ。


毛ガニ一箱(クリックすると拡大します)

記念館に行くと、「なんで分かった?」と、意味不明の挨拶。
何かあったのか伺うと、チセ(笹で出来た上川アイヌ伝統の家)に行って見ろ、とのこと。
行って驚き! 


上川の牧場の子牛が被害にあっていたために、ハンターによって捕えられた推定10歳のオス。
それを祀ってくれと頂いたとのこと。アイヌ民族の伝統にのっとって、解体作業が行われました。
イオマンテとは違うようですが、ひぐまをお迎えする儀式をお手伝いさせて頂いたのです。

まず、イナウ作りのためのやなぎの木や、頭骨をかかげるためのキハダの木の二股がきれいに分かれている枝、笹の葉など、事前に山からとってきた枝を削ったり、飾りのための準備を行います。
並行的に、ひぐまの頬肉を丹念に削ぎ落とします。
アイヌ語の言い方を忘れましたが、ひぐまの舌を取り、その代りに笹の葉を差し込みます。
両目を取り出し、目玉だけをイナウに包んで頭骨に入れ戻します。
頭骨の後ろ側を砕いて脳を取り出し、イナウを詰めます。
鼻を削ぎ、そこに六本のイナウがついている枝を差込み、イナウを笹で編みこんだもので飾りを整えます。
ここで残念ながら、わたしは次の会合のため途中で帰途につきました。


わたしは頬肉と右目を取り出すところをお手伝いさせて頂きました。
とても大きい頭骨でした。子牛をさらっていくほどのものですから、実際の姿は相当のものだったでしょう。
実は、まだ興奮しています。こんな体験はまず出来ないでしょう。

川村さんからは、その他のなんの情報も、打ち合わせも出来ずに終わりました。

ちなみに先ほど、我が家の分の毛ガニを今後の来客用に調理し終えました。先着8名様!お待ちしております(二ハイは連れ合いと食べました。旨かった~)


公教育の現場

2010-05-20 05:43:49 | インポート
北海道新聞に以下の記事が掲載されていました。

アイヌ教育、積極的に 文化機構、教師用の指導書作製
(北海道新聞 05/19 07:12)
 アイヌ民族の歴史や文化を紹介する小中学生向け副読本の活用を広げようと、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)は副読本の教師用指導書を作製、全国の小中学校に配布した。指導のポイントを分かりやすく解説しており、同機構は「アイヌ教育に積極的に取り組む学校が増えてほしい」としている。
 「教師用指導書 アイヌ民族 歴史と現在」は、A4判61ページで4万部を作製。道内には各校3部ずつ、道外には1部ずつを3月末に郵送した。副読本の縮小コピーを中央に示しながら「アイヌ語地名から、そこにはアイヌ民族が先住していたことを気づかせたい」などと指導のポイントや民族の歴史のエピソードなどを記している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/education/232163.html

一冊頂きたいですね。副読本自体も全国の生徒分をすでに送付しているのでしょうか。
道内では確か小学校4年生と中学2年生の時に全生徒分を配布しています。
ただ、我が家の息子三人共、授業で使ったことはないと申しておりました。
わたしが授業参観で見かけたのは教室の後ろのロッカーに、あのあやしい「心のノート」と一緒に人数分がどっさりとまとめられていました。学年が終わる最後に配布され持ち帰っては来ています。
指導書だけではなく、それを元に教師の研修会を開く必要もあるでしょう。恐らく本州の方達(ばかりではなく道内の教師もアイヌ民族に関してほとんど知識をお持ちでないでしょうから。道内の教育大学や教職養成にはどれぐらい扱われているのでしょうか。その調査と措置もすでに国は動いているのでしょうか。


国連の先住民族権利宣言14条、15条にも教育に関して書かれています。これは先住民族が民族の教育を受ける権利と保障が記されてもおり、同時に先住民族以外の社会の構成員が先住民族に偏見を持たず、差別せずに理解を促進する措置を国が取ることを求めています。
第14条
1.先住民族は、自らの文化的な教育法および学習法に適した方法で、独自の言語で教育を提供する教育制度および施設を設立し、管理する権利を有する。
2.先住民族である個人、特に子どもは、国家によるあらゆる段階と形態の教育を、差別されずに受ける権利を有する。
3.国家は、先住民族と連携して、その共同体の外に居住する者を含め先住民族である個人、特に子どもが、可能な場合に、独自の文化および言語による教育に対してアクセス(到達もしくは入手し、利用)できるよう、効果的措置をとる。
第15条
1.先住民族は、教育および公共情報に適切に反映されるべき自らの文化、伝統、歴史および願望の尊厳ならびに多様性に対する権利を有する。
2.国家は、関係する先住民族と連携および協力して、偏見と闘い、差別を除去し、先住民族および社会の他のすべての成員の間での寛容、理解および良好な関係を促進するために効果的措置をとる。
(市民外交センター仮訳)


市民の草の根グループである「チ・カラ・ニサッタ」からの有識者懇への提言(09/3月)にも多文化社会であること意識し、措置を行うことを要求しています。



おねだりギツネ

「みんぱっく」について、皆さんはご存知でしょうか。
大阪にある国立民族博物館がこどもたちに新しい世界と出会い、触れあうための「カバン」を作ったのです。
世界の先住民族の民族衣装や生活の道具、それらにまつわる情報や解説がこの「カバン」の中に「パック」されています。
 MINパックの“M”は、こどもたちが実際に触れたり着たり使ったりできる実物に出会う“MeeT”(「出会う」の英語)。“I”は、そこで生まれた素朴な疑問など、イメージを膨らませていくことにつながるという“Image”(イメージと読む)。そして次に(Next:ネックストと呼び、「次は」の意味)、自分の疑問の答を自分で調べたり、自分なりのテーマを掲げてより理解を深めたり探究を続けたりと、学びを発展されることを期待して、MINパックと名づけたそうな。
パックの種類は⇒ http://www.minpaku.ac.jp/museum/kids/minpack/contents.html
その中に、アイヌ民族のも出来ました。これも教育現場で活用できたらいいですよね~


礼受牧場から留萌の町を映しています。海岸は夏はゴールデンビーチとなり、たいへんにぎわいます。

19日(水)は、早朝の祈祷会の後、アイヌ奨学金の事務と教会事務を行いました。
午後4時に裏の畑のビニールハウスの微調整と暴風対策を行っていたら、今日もこども達が来ました。
な、なんと総勢12人。紅茶を入れるのだけでも大騒ぎ。ほんの少しハンカチ落としをして帰って行きました。


バチェラー

2010-05-18 20:16:53 | インポート
ブログ更新のために当ブログにアクセスしようとしたところ、なかなか開かない。何かあったのでしょうか。数時間がんばり、やっと、つながりました。

台湾原住民族のタイヤル民族である、女優ビビアン・スーのニュースがありました。
5月16日に台湾原住民族による軟式野球大会があり、そのイヴェントにお母様と出席。
始球式ではバッターボックスに立って見事にヒットを打ち、観客を大いに盛り上げたとか。
お母さんも慈善家のようで、ビビアンと共に原住民族の経済的に苦しんでおられる家庭の子どもたちを覚えて、各地の小学校に対し毎年、多額の寄付を続けているようです。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=42179&type=5

原住民族は野球大会とか、運動会を町ぐるみで行なうようですよ。ブヌン民族のディヴァンさんの村でも正月に町をあげて運動会を行い、賞品はまるまる太った豚だとか。いいですね~


エゾサンショウオの卵 いたるところにあります。

J.バチェラーを調べてblogにも何度か取り上げていますが、知人のK君が修士論文でバチェラーを取り上げており、先日、ご本人から送って頂きました。気づく事も多く勉強になりました。

英国の聖公会は国王をその首長(統治者)とする教会政体をとっており、日本の聖公会では国王=天皇に重ねて受け継いでいるという指摘があるようです(塚田理「キリスト教と天皇制」)。
また、礼拝において「祈祷書」(礼拝の内容がすべて順序よく書かれていて、それを読むだけでどこでも同じ祈りや説教が行われる)を用いるため、祈祷書の日本語への翻訳もなされたわけですが、英国の祈祷書には国の宗教であるために国王のための祈祷もある、それを日本語訳する際に、天皇のための祈祷として翻訳されたとか。バチェラーが天皇に巻き込まれるのは、国王=天皇の考え方も影響しているのでしょうか。

バチェラーはアイヌ伝道を志した際に、以下の三点を自伝に記しています。
①私が自分で信ずる如くアイヌ達にもキリスト様の御教を教へたい。
②大和民族の中の多くの人たちがアイヌ人を無慙にあしらひ、あまりにはずかしめ圧制するのを見聞きして、それは神様の御心では無い、また陛下の御心でも無い、又人道でも無い、眞に残念なことだ、願わくは私一人でも哀れなアイヌへ行って共に住んで兄弟同士のように愛を以って交際し、良い道を教え慰めて神様のお光を知らせたい。
③大和民族より長く住っていたアイヌ民族が宗教言語解剖学上万国に比して大なる値のあることを伝えたい。                             バチェラー著『我が記憶をたどりて』(文録社1928年)P.122


また、1936年の際に天皇と講話の際、彼はこんなことを言っています。
「私はこれら帝国民(アイヌ)が誰にも劣らない愛国心と、陛下や皇室に対する忠誠心を持っていることを十分なる確信を持って申し上げることが出来ます。若者や、女性達もこの点に関しては、全く同じであります・・・これらの人々は、自分達の生命や、幸福の中心は陛下をお守りすることにあるということ・・・彼らはみな、自分達の天皇陛下を一人の父なるお方と拝し、平価にお尽くししる栄誉を心から願っているのであります」 バチェラー著『わが人生の軌跡』(北海道企画センター1993年)P.298

う~ん・・・・どうだろうか。

バチェラーのもとで、多くのアイヌ民族がキリスト者になったことは資料から伺い知ることが出来ます。その信仰の内容はどういうものだったのでしょう。この論文も同じ疑問を投げかけています。
「急激にアイヌクリスチャンが増えた一方、ある時期を堺に急激にアイヌクリスチャンが減少していった。この点でバチェラーが本当にアイヌの生活、習慣、そして文化を深くまで理解した上でアイヌを次々に改宗させていったのかという問題」がある、と。
しかし、残念なことに、その問題は「今後の課題にしたい」と・・・。ここからが聞きたかったな~! って、わたしも調べたいと願っています。


山桜が見ごろとなりました。

今日は午前中に作業所メンバーに手伝って頂き、6月発行予定の機関紙「ノヤ」発送のための作業を行い、お昼は飛び込みの相談があったので、お話を伺い、少し山のほうへ。少々の山菜を採ってお隣さんに持っていったら、たいへん懐かしがられ喜んでいただきました。
3時からはいつものこども達が遊びに来ました。今日はマンが持参でそれぞれ読むことが多かった不思議な90分でした。途中に、ある子が「中高年って何?」と突然聞いてきたので、思わず「50歳ぐらいから90歳ぐらいの方たちだよ」と言ってしまった・・・・。わたしの年を知っている子ども達は、すかさず「じゃあ、先生は中高年じゃないんだ」と、期待した応答! 悪あがきしてしまった・・・ 今日もおとなげないわたしでした。



貝沢 正さん

2010-05-17 21:43:22 | インポート
今日は、NHK「わが心 沙流川によせて~アイヌ 貝沢正の自叙伝」をDVD化しました。1992年の放送です。
二風谷の貝沢正さんの、アイヌプリでのご葬儀を中心にその生涯をたどっています。

エンジュの木を山に切りに行き、墓標(オッカヨクワ)を丁寧に堀りあげていきます。
エンジュの木は匂いがきついので魔よけとなるんだと聞いたことがあります。
萱野さんの説明では、「神様の山、山懐に、立木の神様数あるけれど、雄弁も度胸もその香りも兼ね備えた立木の中の立木の神様。すごい誉め言葉なの」と。

昭和初期のN・G・マンロー撮影の二風谷の映像も映されていました。すでに鮭漁は禁止されていたために川向いの地で農耕を行っていたようです。やっと少し農業が軌道にのったかと思いきやダム建設の話が持ち上がり、どこまでばかにしているのかと怒りを現しておられた映像を、確かNHK「一枚の埋蔵許可証から~わが心沙流川によせて」(放送年分からず)だったかで見たことがあります。

貝沢さんは二風谷ダム裁判の原告でした。闘いの途中で亡くなられましたが、そのあとを継いでご長男の耕一さんが引き受け、裁判は実質勝訴。
裁判の係争中の映像が流る度に、何とも言えぬ苛立ちを感じます。工事を中断し、裁判結果を待てばあのダムは存在しないのですから(ダムの不当性が認められながら、壊すのには金がかかるから壊さないという判決だった)。
放送の中でも1991年の11月16日の建設省による二風谷ダムの現場検証の時、正さんは入院中の身でありながらその場に立ち会いました。建設省と土建業者がグルになって無駄なことに金をかけて自然を壊すとは何事かと批判されました(これが公の場での最後の姿)。
耕一さんも怒りあらわに「これは多目的ダムと名が付いてるが、すでに無目的ダムだ。そんなものにこれだけ肥沃な土地をただ水に沈めて。アイヌがようやく生活が安定してきたところで再び破壊して・・・」と批判(すでに苫東工場地への水配給という目的が頓挫したにも関わらず、推し進めていた経緯がある)。
係争中に強引に推し進めた側の勝ちだったとは腹が立ちます。


山菜採りはいつも命がけ。

シャモに負けないアイヌになりたいと貝沢さんは土地を持たない(盗られたというべき)アイヌの農民も新天地で汗を流して働けば大きな可能性が開けてくると夢を描き、1941年に国策に乗って「満州開拓」に渡ったそうです。貝沢さんが描いたのは、あらゆる民族が手を取り合って広大な大地に鍬をふるうことだった、と。しかし、五族協和と言いながら朝鮮の人たちを差別しているのを見て疑問を抱き、開拓団に反抗して殺されかけ、やってられるかと帰国されたとのこと。
町議をされたり、北海道ウタリ協会(現・アイヌ協会)の副理事としても活躍されました。

貝沢さんの著書「アイヌわが人生」(岩波書店 1993)を以前に読みました。その時にとてもインパクトのあったところが赤鉛筆で印をつけているのですが、そのひとつを紹介します。

保護民亡び行く民族と俺達アイヌは呼ばれつつあるや、否、之は沈む夕陽のみを観て嘆ずる語だ。今や我等同族は一歩堅実なる道程へと歩み始めた。
近時保護法の改廃、社会の改善など呼ばれて居るのは誠に慶賀すべきことだ。此の叫びはアイヌ民族が、更正への第一歩を踏出した旗幟ではないか、夕陽は西に沈みぬ、然れ共星東に輝き初めたり。起てよ同族新興の意気を持て、社会の改善に同族の生活向上に努力しようではないか。
(1931年8月 北海道アイヌ協会発行『蝦夷の光』三号所蔵)




昨日の夕方は海岸に行き、畑に使うべく余分に出た木っ端を炭にしてきました。

今日は教会の小さな裏の畑に二坪ほどのビニールハウスを建てました。今後、大切にしつつ野菜を育てたいと思います。夏の来客に我が家の新鮮な有機栽培の野菜を使っておもてなしするのが好きなのです。特にこの数年はルッコラとサラダ菜、そして定番のバジルペーストを使ってのスパは好評です。セージも育ってきているのでそれを入れた特性ソーセージも、すでに羊の腸や桜の木のチップもあるので作る準備は揃っています。
夕方から雨が降り、寒くなりました。それにもめげず、こども達が遊びに来ました。


メディアの盛り上がりが少ない

2010-05-15 19:21:36 | インポート
過日から旭川のSさんからお借りして過去のテレビ放送のVHS録画をDVD化しています。
実は、テレビ放送はNHK北海道が多く、同じ番組の再放送も録画されています。
これらは1993年の国連先住民年を意識しているようで、ある番組での説明には、
「日本国内の先住民族であるアイヌ民族に焦点を当てて、文化や歴史、権利の問題について取り組んでいる。アイヌ民族についてはほとんど知られていないというのが実情だ。知られていないということがアイヌに対する偏見や誤解を生んで、それが今でも続いている差別へとつながっている」と、言っています。
「先住民族アイヌ」と言っていますね~。

この時の盛り上がりと比べて、今回の国会決議以降の動きはとても小さいと感じるのですが・・・。
国民の理解を得るようにおおいにメディアを使って頂きたいです。
そういうプログラムも動いているかも知れませんが、各新聞やウェブ・ページを日毎に調べていますが具体的に現れていません。
どのような計画の下で各省の予算が加えられ、このように進められているということを「アイヌ政策推進会議」のウェブ・ページにでもまとめてUPし、随時、更新をしたらいいですね。


まだ早いのですが、トウレップ(上と左下)の根を採ってみました。大きさは拳ほど。右下はトマです。


NHKではないですが、知里真志保さんのことを扱ったSTVドキュメンタリー傑作選「海は見えない~知里真志保の記録」(88/6/22放送)を観ました。この「海は見えない」は73年10月22日に放送されたものを傑作選で88年に再放送されたもののようです。この中に、たいへん気になったことがありました。
真志保さんの一高校時代の友人Sさんが本人から聞いたと言うことでバチェラー批判について語られているところです。
バチェラーの作った女学校を卒業した女性たちはその後、「ほとんどが身を堕落させた」と。
この「女学校」と言うのは1898年のアイヌ・ガールズ・ホームのことでしょうか。
1924年のアイヌ保護学園(これは男女)かは分かりません。
バチェラーはアイヌの「見るに麗しき女性だけを教育し」、「奇麗な子どもを女学校を出しておけば和人が嫁にもらってくれるだろう」(注・インタビューのまま)ことを目的にしていたが、それがことごとく失敗したという内容でした。
それを裏付ける資料があるのか調べてみたいと思います。
「女子は良家に嫁いだ者や、職業婦人として活動していた者も多」いと書いているものもあります(仁多見巌「異境の使徒」P186)

「北大教授時代の友人」高倉新一郎」、「友人」山田秀三も映ってコメントしていました。

「俺が死んだら、大手を振ってアイヌのことを書く奴がいるだろう」
「アイヌの移動路があって、その上に、日本人の通路が出来、それに鉄道がつく」
「海の見える丘に住みたいと言っていた知里。彼の墓からは海は見えない」
のナレーションでドキュメンタリーは終わります。全体的に重い内容でした。
知里真志保さんのことが少し分かったので、近々、著作集を読みたいと思います。

今年度の道内に呼びかけてのアイヌ民族フィールド・ワークは一日目に室蘭、二日目に白老という計画を始めています。知里幸恵さんや真志保さんのことも学べたらいいと企画案を練ってみます。

NPO法人・知里森舎が、知里幸恵記念館(「銀の滴」記念館)建設に向けて募金活動を行っています。
http://www.ginnoshizuku.com/
皆さんにも協力を呼びかけたいと思います。フィールド・ワークでも幸恵さんのゆかりの場所に行けたらいいと思います。


今日はチ・カラ・ニサッタのメーリングリストにメールを送ったついでに、WIN AINUの総会の日程を訪ねたところ、今日の11時からあるとのことで、急きょ札幌に向い、90分ほど参加してきました。往復5時間かけて、札幌には90分しかいなかったとは。
でも、共有財産裁判などの支援傍聴の時など、冬道往復7時間ほどかけて、裁判は弁護士らと裁判官との5分程度の打合せでおわることもありましたから、長くいたほうです。
留守中に子ども達も来たようですが、今日は遊べませんでした。


「じゅ~~~っ」っと音が聞こえる直前!


「旧土人保護法」制定時の記録

2010-05-14 20:54:00 | インポート
今日、夕方のテレビをたまたま観ていたら、アイヌ協会総会が今日あったのですね。いつもなら総会日程を事前に伺って傍聴させて頂くのですが、今回はうっかり逃してしまいました。残念。
様々な問題がある中の総会でしたから、どうなったか聞きたかったです。アイヌ民族の権利回復のために豊かな力となりますように。

過日に北原次郎太さん(北大准教授)の高校時代の映像を観たと書きました(10/4/15 blog)。
それがどのタイトルだったか確認出来なかったのですが、Kさんより新らたにお借りしたビデオをDVD化している中で前回作業したものも含まれており、それがたまたま彼の高校時代のものだったので分かりました。1992年4月30日?放送のNHKほっかいどうスペシャル「人間の静かな大地・アイヌ民族と北海道」立松和平さんがゲストでした。


今日の夕陽はとてもきれいでした。特殊なレンズを使って撮ってみました。


映像は時に、「あっ、そうだった」と再確認させてくれます。今回も放送の中で、「旧土人保護法」が帝国議会でどのように扱われたかについての開設がありました。
法案を提出した際に内務次官の言葉に
「先ず優勝劣敗の結果として追々人種も減じ、生活の途、財産を保護する途もなく、大いにその生を保つということにおいては、はなはだ、窮境に陥りつつあるかたむきでありますから」
とあり、だから「保護」が大切だ、と説明したこと、さらに、その後の帝国議会で当時の北海道長官が行った答弁では、
「・・・段々と和人の間に融合して結局は何十年か経ったならば分からなくなると、そういうことになるのが理想ではないかと思います」と言っています(読みやすいように、ややこしい漢字やおくり仮名のカタカナをひらがなに変えました)。
優勝劣敗の考えの中でアイヌ民族を絶やすことがいい、と言うのですね。

加藤一夫「『北海道旧土人保護法』-戦後50年の視座から」(「アイヌ語が国会に響く」草風社)の文を思い出しました。
それによると、第5回帝国議会(1893)に法案提出するに際して加藤政之助は
「我が日本には非常に慈悲深い天皇がおり、人民をもって支えている国である、よって人民は世界各国に対して常に義にいさみ、強きをくじき弱いを助けるをもって世界第一自らも思い・・・」
と発言。
民族のためではなく、国家のため、国際社会にむけて日本をよく見せようとする姿勢ですね。

先の「優勝劣敗・・・」発言は松平正直という政府委員の提案主旨説明の一部のようで、続けて、アイヌは日本帝国人民の一員なので、「一視同仁ノ聖旨」(すべて平等が天皇のおぼしめし)に添って提案したい、と述べています(しかし、最初のこの提案は否決)。

加藤さんはこの帝国議会での論議には二つの問題があるとまとめています。一つはアイヌは「劣等な」、「愚かな」人種であり、だからこそ日本人に一体化しなければならない、そうでなければ生きられないという議論をしていると言うこと。二つ目は同じ日本人であり、それゆえに貧しい人がいれば救ってやらねばならないという議論。いずれも差別を前提にしていると。
「劣等」「愚か」「貧困」の民を天皇のあわれみによって「救ってあげる」というものですね。苦渋の歴史を強いられた民族としてのアイヌではなかったのです。

ちなみに、「一視同仁ノ聖旨」をインターネットで検索すると、「高砂族社會敎育要綱」が最初にHITします。これは「昭和十四年八月警務局長依命通牒」とありますので、日本が台湾を植民地化し、台湾原住民族に対する皇民化教育のためのお達しのようです。また、朝鮮半島においても使われたことが分かります。

以前に読んだはずの諸書も、あらためて目を通しなおすと学びになります。いろいろと少しづつ繋がってきて理解できるようになってきています。


快晴で、おだやかな夕方でした。いいショットを撮れました。

今日は事務仕事をこなしました。夕方に今日も小学生が来ました。三十分ほど遊んで帰っていきました。
最近は時間がなくとも、まずはミルクティーを飲んで落ち着いて、風船バレーをして帰ります。
楽しい時です。ゲームをしていて大人気ないといわれることがありますが・・・


旭川イヴェント情報

2010-05-13 21:23:09 | インポート
キリスト教独立学園から、今年の修学旅行も旭川に寄るので川村カ子トアイヌ記念館にて研修をしたいとの依頼を受けました。
(独立学園*http://www.dokuritsugakuen.com/)
その後の予定を聞くと、「時間があったら北鎮館の見学もしたいと思います」と。
渋いですな~
旭山動物園とか言うかと思ったのですが、真面目に戦争責任の視点から学ぶつもりのようです。
真面目すぎるところもあるので息を詰らせないように、その夜の二十一世紀の森では楽しい話と美味しい夕食を用意してあげましょう。

早速、川村カ子トアイヌ記念館にお願いの電話をして了解を取りました。
記念館は昨年から展示内容を変えたり、説明を加えたりと内容が豊かになってきています!
パンフレットも変わったし。
しかも、以前にわたしがプレゼントしたトレップ(オオウバユリ)の粉や、トマ(エゾエンゴサクの根)も展示してくれています。
ただ・・・・トマに一緒に付けて置いた折れたつまようじは外してください・・・格好が悪いデス。

過日には、北星大学付属高校からもフィールド・ワークのコーディネートの依頼があり、こちらも川村カ子トアイヌ記念館の案を出しました。有志の20名ほどとのことで、一緒にアイヌ料理を作ったり、刺繍やムックリつくりの体験もしようと準備中です。

旭川でのイヴェント情報が以下のように入りました。

○ 第20回知里幸恵生誕記念イチャルパ「銀の滴降る日」 6月8日  旭川北門中学校
○ 旭岳山開き ヌプル・コル・カムイノミ  6月19日
○ 旭川嵐山山開きチノミシリ 6月27日


タラの芽が出てきましたよ~ これも今年の初物


紋別市が行っている豊丘川水源域産業廃棄物最終処分場計画に対し、アイヌ民族の畠山 敏さんらが計画の見直しを要望しています。
 豊丘川はモベツ川の支流で、モベツ川は大昔から住むアイヌ民族にとって母なる川として大切にしてきた川とのことです。現在も毎年、特別採捕許可を道知事から得て、「新しく鮭を迎える儀式=カムイチェプノミ」を行うほどアイヌ民族にとって神聖なる川です。
また、アイヌ民族の権利として鮭鱒等の資源管理権の返還を要請活動している地域であり、この川を含めた一帯の自然を守り持続可能な活用を願っているところです。
日本政府はアイヌ民族を日本の先住民族であることを認め、それに先駆けて2007年9月に国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択され、日本も賛成票を投じました。同宣言には先住民族の最低限の権利を保障するよう各国に求めていますが、この度の計画は、第25~27条「土地や領域、資源との精神的なつながり、および、その権利と承認」、28条「土地や領域、資源の回復と保障を受ける権利」、29条「環境に対する権利」を侵害するものであり、さらには第19条「影響する立法・行政措置に対する合意」にも触れる問題です。そのことを意見書として今日、北海道オホーツク総合振興局 保健環境部 環境生活課に送りました。


トレップがたくさん生えている場所を今年も見つけました。大きくなるのが楽しみです。(昨日のブログにこの写真を付けるのを忘れてました・・・