アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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提訴、シンポジウム報告 その3

2012-09-22 08:59:19 | インポート
昨日、カナダ合同教会の人事幹事が道北入りしたので、懇談のために旭川に向いました。
その後、川村カ子トアイヌ記念館をお訪ねしたら下記の新しいチラシを頂きました。

今日は神居古潭にてカムイコタン祭が開催されます。
今回も依頼されましたのでムックル作りコーナーにてお手伝いをしてきます。
なにやら、チプ(丸木舟)も浮かべて乗るとのこと。舟を掘るお手伝いをさせて頂いた者として、水に浮かんでいる勇ましい姿を是非とも拝見したい! 乗りたい! でも、神居古潭で沈んだら上がって来ないという噂が・・・。

川岸に奇岩怪石が連なる神居古潭の景観は、多くの伝説を生んでいます。その最も代表的なものが、「ニッネカムイとサマイクルの戦い」です。
  むかし、神居古潭にニッネカムイという凶悪な魔神が住んでおり、アイヌの人々を苦しめていた。あるとき、ニッネカムイは大岩を石狩川の川幅のいちばん狭いところに投げ込み、アイヌの人々を溺死させようと企む。これを見ていたヌプリカムイ(山の神)のクマは、アイヌの人々を救おうとその岩を取り除いて水を流した。ニッネカムイは怒ってヌプリカムイに襲いかかるが、文化神サマイクルが駆けつけ、格闘となる。劣勢となったニッネカムイは逃げ出すが、泥に足を取られたところをサマイクルの刀で切り殺される。
2006年の過去ブログ参照 http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=399289




さて、遺骨返還訴訟の訴状内容にふれます。
過去に遺骨返還の動きがなかったかというと、そうではありません。
戦後も学者におけるアイヌ民族への差別的研究が続く中、アイヌ民族は抗議、抵抗を行っています。
1953年、人類学会における河野広道「アイヌ人食い人種説」に対し、知里真志保が反論。
1972年、札幌で開催された第26回日本人類学会・日本民族学会連合大会に対し、結城庄司・山本太助らがアイヌを動物扱いしている研究を批判、雪の中ハンガーストライキ。
1985年、チカップ美恵子さんが更科源蔵らアイヌ研究者を相手に「アイヌ肖像権裁判」をおこすなど、遺骨問題以外においても様々な動きがありました。

1980年に海馬沢博氏が北大に対して、その保管する遺骨をアイヌへ返還することを要求します。北海道大学と海馬沢氏との複数のやりとりは開示請求によって明らかになっています。注目するべきは北大の次の文。
「人体骨については、全て台帳に記載し現在厳重に保管してあり、貴重な標本として本学はもとよりわが国の学術研究進展のため充分に役立たせていただいております」
「お申し越しの方々のご遺体に該当する記録」
はない。
以上の理由から遺骨の返還を拒否。「全て台帳に記載」「厳重に保管」「貴重な標本」のことばに疑問だらけです。

その後、1982年になってアイヌを主体とする任意団体である(社)北海道ウタリ協会(現在の北海道アイヌ協会)が、北大に対し、遺族あるいは地域が遺骨の返還を希望した場合には、その返還を要望するとの文書を提出。のちの協議により、①北海道大学内に納骨堂を設け人骨を納骨する、②人骨返還を希望する同協会支部は協会本部を通して被告北海道大学にその返還を申し入れ、被告北海道大学は責任を持って対処する、などの取り決めを結び、今日まで35体が諸支部に返還されています。

訴状では、この申し合わせは、
「北大と任意団体との申し合わせでしかなく、北大が拘束されるものでもない上、ウタリ協会がアイヌを代表するわけでもない。しかも、当時のウタリ協会は各支部に遺骨返還希望の問合せをしたようであるが、多くのアイヌはそのことを知らなかった。もちろん原告らもそのような問合せが支部にあったことを知らなかった。また遺骨が返還された場合にもその埋葬等は支部が行なうことになっていて墓をあばいて遺骨を持ち去った被告北海道大学は埋葬等の金銭的負担を負っていなかった。このような返還は、被告北海道大学の誠意ある返還手続きであったとは言いがたく、反面では財政的に余裕のない多くの支部は返還の希望があっても声を挙げることはできなかった。」

と指摘します。(続)


秋の海岸


蝦夷三官寺 善光寺 伊達市噴火湾研究所「アイヌ人骨の古病理学」

2012-09-20 13:57:33 | インポート
江戸時代後期、1804年に蝦夷教化等を目的に建立された蝦夷三官寺の厚岸の国泰寺、有珠の善光寺、様似の等澍院があります。

数ヶ月前に厚岸の国泰寺へ行き、アイヌ民族関連の碑の写真を撮ってここで紹介しました。
碑の後ろの解説は以下の通り。

弔魂のことば
由来厚岸は美しい自然と資源に恵まれ、あなた方の楽土であった 
然るにその後進出した和人支配勢力の飽くなき我欲により財宝を奪われた 
加えて苛酷な労働のために一命を失うものさえ少なくなかったと聞く 
けだし感無量である 
我等はいま先人に代わって 過去一切の非道を深くおわびすると共に 
その霊を慰めんがため このたび心ある人びとと相計り 
東蝦夷発祥のこの地へ うら盆に弔魂の碑を建てる
1977年8月15日 アイヌ民族弔魂碑建立委員会



今回は教会員が室蘭の病院に手術入院されたお見舞いを兼ねて、有珠の善光寺を訪ねました。
善光寺は826年、比叡山の僧であった慈覚大師が自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したと伝えられている浄土宗のお寺。
後に、1804年、時の将軍徳川家斉により蝦夷三官寺の一つとして建立。江戸の芝増上寺の末寺とありました(善光寺HP)。
芝の増上寺といえば、1872(明5)年、開拓使がアイヌ民族の風習をなくし、「内地人」へと同化する目的で開拓使仮学校を設置し、アイヌを強制連行した場所ですね(過去ブログ参照)。

箱館奉行がなぜ三官寺をつくったのかというと、「蝦夷地に赴く役人と、出稼人の和人を対象とした供養、それからキリスト教の排除」。しかし、そればかりではなく、アイヌの仏教への改宗目的もあったろう、と指摘するのは佐々木馨さんの講演「アイヌ史における二大改宗騒動」記録。残念ながらこの講演記録には使われた資料が一つも添付されず、出典も未記入。
 http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1710.pdf

この善光寺はヤマコシナイ(現八雲町山越)からシラオイ(現白老町)までを布教範囲とし、刷り物の配布を布教に取り入れたこともあって、蝦夷地ではもっとも古い板木(はんぎ=印刷用に木版に文字を彫ったもの)が伝わっており、日本語に添えてアイヌ語文を掘り込んでいる資料もある(国指定文化財等データーベースより)とのこと。

板木を見たかったのですが、お寺にはどなたもおられませんでした。残念。アイヌ語文はどのように表記されているのかいろいろと調べたところ、カナ文字でした。善光寺住職三世の弁瑞は子引歌をつくってアイヌ民族にカナ文字を教え、アイヌ語をカナ表記して教化に努力したようです。弁瑞はみなか「念仏カモイ」と尊敬されたそうです。(以上、榎本守恵著『北海道の歴史』参照)

善光寺には、織部灯篭、すなわちキリシタン灯篭も残されていると後から聞き、見たかったと悔いています。


善光寺

不思議なことなのですが、インターネットで調べて善光寺の電話番号を見つけ、それをカーナビに入力して目的地に着いたところ、そこは「伊達市噴火湾研究所」でありました。あれよ?自分はどこへいくつもりだったのかと悩みながら建物に入ると、なんと目の前にイナウが飾られていたので、受付でアイヌ民族関連の展示について訪ねました。縄文遺跡などがあるとのことで、案内して頂いたところ、展示室に
「北海道有珠4遺跡出土アイヌ人骨の古病理学的所見」という大きな写真付きのパネルがあるではありませんか。その隣にはアイヌ頭骨を10倍ぐらいに拡大した大きなカラー写真も。
「所見」には、近藤修、福本郁哉、福本敬(東京大・理・人類)、青野智哉(伊達市噴火湾文化研究所)、三田に智広(洞爺湖町教育委員会)名が記されています。
内容は、有珠4遺跡の2006年~2007年の調査において、アイヌ文化期相当層(埋葬年1640~63年推定)より男12、女4、未成年5(不明2)の計23体分のアイヌ人骨が出土し、骨結核などが観察されたことの報告。

突然カーナビに誘導されて来てしまったところゆえ、この展示にせよ、「アイヌ人骨の古病理学」にせよ、ただ、驚きと疑問をもったのみで、今後も調べようと思いますが、伊達市において、過去に以下の大会が開かれているのが研究所のWebサイトに載っていました。
2003年10月 第57回日本人類学会大会
2005年3月 生態人類学会第10回研究大会
2010年10月 第64回日本人類学会大会


2010年の第64回日本人類学会大会では、「特別シンポジウム【9】」で、「アイヌ人骨研究の現状と将来-その起源と生活史を巡る最近の話題-」が開催されていました。
内容は以下の通り。
●オーガナイザー  篠田謙一(国立科学博物館・人類研究部)
●パネリスト
1.「アイヌ民族の頭蓋および歯冠形態の変異・多様性とその進化」
埴原恒彦(北里大学・医学部・解剖学講座)、石田肇(琉球大学・医・人体解剖)
2.「北海道アイヌの骨考古学:脊椎に残された病変のCT観察」
近藤修(東京大学・理学部・人類学講座)
3.「北海道における近世アイヌ文化集団の食生態」
米田穣(東京大学・新領域)、石田肇(琉球大学・医・人体解剖)、百々幸雄(東北大学・医)、向井人史(国環研・OGER)
4.「DNAが明らかにするアイヌの成立史」
安達登(山梨大学・医学部・法医学講座)
5.「先住民地域社会と共に歩む自然人類学の役割:知の還元を目指して」
瀬口典子(モンタナ大学・人類学部)、アシュレー・マッキャウン(モンタナ大学・人類)、
スティーブン・オーズレー(マーシーハースト・カレッジ・司法科学)
6.「アイヌ人骨を巡る最近の状況について」
篠田謙一(国立科学博物館・人類研究部)
http://www.funkawan.net/jinrui64/program.html


いずれも内容を知りたいですが、特に、6の篠田さんの話はどのような内容だったのか知りたいです。


提訴、シンポジウム報告 その2

2012-09-19 05:40:25 | インポート
北大開示文書研究会のWebサイトおよびブログにて、シンポ当日に使った資料をUPしています。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/
さらに、集会決議文も見ることができます。

訴状内容をわたしなりに分かりやすく紹介します。
この訴訟はアイヌ民族の原告3人が、北海道大学(以下、北大)の前身である国立大学北海道大学及び北海道帝国大学が北海道浦河郡浦河町杵臼から持ち去ったアイヌの遺骨について、それらを保管する被告北海道大学に対し、その返還を求めるものです。あわせて、原告らはアイヌプリ(アイヌの習慣、伝統の意味)にしたがって祖先の霊を祭祀することを今にいたるまで妨害されていることについて憲法20条1、2項の侵害に基づく慰謝料の請求をしています。

原告3名とも浦河町杵臼地域に存在していた杵臼コタンの構成員の子孫で、小川隆吉さんは現在札幌市に、城野口ユリ他一名は現在も浦河町内に住んでおられます。北大はその前身である北海道帝国大学時代、またさらに戦後の国立大学北海道大学になってさえも全道各地でアイヌの墓地をあばき、埋葬されていたアイヌの人骨を持ち去りました。人骨研究を名目としつつも人骨ばかりでなく副葬品のタマサイ(首飾り)、マキリ(小刀)も同時に持ち去っています。

北大側およびアイヌ政策推進会議では、表向きには遺骨を返還すると言っています。しかし、先のお3人が具体的に返還請求をしたにも関わらず北大は速やかに返還に応じませんでした。その理由を推測すると、考えられるひとつは遺骨をDNA鑑定による日本人のルーツや人類の移動ルートの解明に役立てることができるという目的から依然として「研究対象」として捉えていること。また、遺骨のずさんな管理ゆえに個人遺体の確定が困難になっていることです。北大に保管されている1000体近くの遺骨はすでに「整理」のためにDNA鑑定作業がなされています。

本件訴訟は、このような歴史的背景をもちつつ、なおかつ現在においても研究材料として扱われている先祖の遺骨を取り戻し、アイヌプリにしたがってイチャルパ(先祖供養)したいという原告らの切実な願いの下で訴えを提起したものです。

訴状では、北大の前身である北海道帝国大学医学部解剖学第1講座及び第2講座(通称は第1教室及び第2教室とされている)が、昭和初期からアイヌの墓をあばき、埋葬されている人骨を発掘して研究室に持ち帰り、これらを調査研究して研究論文をまとめるということを繰り返していたことに触れ、「墓をあばき埋葬されている人骨を持ち去ることは当然ながら刑法188条1項及び189条によって処罰される行為であった(現刑法が制定された明治41年以前は、旧刑法(明治13年太政官布告第36号)265条によって刑事罰の対象)と断定。

その後、1934年(昭和9年)10月19日付けで北海道庁令83号が発せられ「人骨発掘発見に関する規定」が発布されました。これにより「古墳及び墳墓以外の場所」で人骨を発掘しようとするものは、目的、場所、年月日、人骨の処分方法、発掘地の所有者管理者又は占有者の承諾書の5項目を北海道長官に報告し、許可を得ることによって、発掘を合法的にできるようになったのです。 しかし、浦河町役場に問い合わせたところ、遺族の先祖の遺骨が持ち去られた場所は明治20年より墓地として位置づけられている、明らかに使用していた「墳墓」であり、しかも資料からは埋葬されて直後の人骨が発掘されていることが証明されるため、本来、「発掘」出来ないはずだったのです。

以上が訴状からの紹介ですが、本件の「発掘」は道庁令83号を通して許可を得たのかもあやういですね(1934年以前に掘られた骨もあります)。


約100名用部屋が狭く感じたシンポジウム会場


週刊金曜日910号(9/7)にフリーランス記者の平田剛士さんが「アイヌ民族のさまよえる遺骨たち」で、アイヌ墓地の「発掘」作業に従事した経験のある医者を取材しておられます。
1955年、市街整備工事にともない静内駅前の墓地が移設されることになり、そのことを母校の児玉教授に知らせたところ、「相当数の骨が出るはずだから発掘するように」と命じられたそうです。「以前からアイヌ墓地として知られていた場所」から、「きれいに白骨化した頭骨が180いくつ出てきたと記憶しています。児玉先生が必要とされていたのは120だった」ので、その数だけ本人の自家用車で北大まで持参したと。
実に、貴重な証言を平田さんは掘り起こして書いてくれています。
平田さんが「墓を掘り返して骨を持ち去ることに遺族の抵抗はありませんでしたか」と質問すると、医者は「許可の手続きをとった覚えもありません。でもゴタゴタはなかったし、礼拝などもしなかった」と返ってきた、と。

この証言から、いくつもの疑問が沸いてきます。
前述したように、1934(昭和9)年に道庁は新しい人骨発掘規定(北海道庁令第83号)をつくり、それ以後は道庁長官から許可を受けてでないと人骨発掘は出来なかったし、さらに言うとこの新規定は「墳墓以外」の発掘認可なのだから、「以前からアイヌ墓地として知られていたところ」からの発掘は違法であり、「許可の手続きをとった覚えもありません」と手続きすらしていない、明らかに盗掘をしたということでしょう。
また、180以上を掘り出したにも関わらず、児玉教授が120でいいからというのでその数だけ持っていったのならば、残りの60数個はどうされたのでしょうか。移設された墓地? あるいは埋め戻した? とても気になります。

このような「発掘」作業に従事した方たちの証言が次々と出てくることを望みます。


教会員の緊急手術のお見舞いで室蘭に行き、その足で昭和新山の麓にある「アイヌ記念館」をお訪ねしました。
フチがおられて会話がはずむと、なんと旭川ご出身とのことで、飾られているイオマンテ(熊送り)やお祭りの写真を見ながら旭川近文のみなさんのお若い時の姿が。つながりがあるのですね。写真は昭和新山


提訴、シンポジウム報告 その1

2012-09-15 19:33:19 | インポート
昨日の午後1時、北海道大学を相手に先祖の遺骨を盗掘された遺族三名が遺骨返還とアイヌ民族の宗教観に基づいて先祖の霊をお祭りすることを妨害され続けてきたことに対する損害賠償訴訟を札幌地裁におこしました。


裁判所に入る写真を毎日新聞がUPしていますが、裁判所の前で原告と北大開示文書研究会メンバーを含む支援者
<アイヌ民族>子孫3人、北大を提訴…収集の遺骨返還求め  毎日新聞 2012年9月15日(土)1時19分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw371245

その他、WEBサイトで各新聞が記事を出しています。

「遺骨返して」北大を提訴 浦河出身のアイヌ民族3人   北海道新聞 9月15日朝刊掲載
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/404269.html

アイヌ遺骨返還求め北大を提訴   NHKニュース 9月14日 21時40分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120914/k10015038361000.html

アイヌの子孫3人、北大を提訴  京都新聞  2012年09月14日 19時30分 (共同通信)
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120914000104


その後、2時より司法記者クラブにて記者会見。代理人の市川弁護士がくわしい説明をし、訴状を読んだ上での質疑が続き、原告の中の城野口ユリさん、小川隆吉さんがお話しされました。
城野口さんは、お母様が亡くなる直前に、先祖の盗掘にあったことを知らされ、仇をとってくれと遺言されたこと、そして、小川さんは開示請求を2008年から行ってきたが北大があまりに不誠実であることを、時に涙を浮かべつつ時に声を荒くしながらカメラの向こうの皆さんに訴えました。

またたく間に40分を過ぎ、小川隆吉さんは北大医学部駐車場に建てられている「アイヌ納骨堂」へ。アイヌの仲間に協力・賛同してもらって、裁判を始めたことをカムイ(神)に報告し、助けをもとめるのだと事前に準備をしておられたのです。
しかし、北大側は当日になって、アイヌ納骨堂の使用を認めませんという通達を朝に「持参」。(「持参」というのは、封筒に切手も貼っておらず消印もなく、もちろんメール便のようなシールもない、持参して小川さんの住んでいるポストに入れたとしか考えられない。しかも、文章記載の日時は二日前だが、「持参」したのは当日朝とたいへん奇妙な手紙なのです)。

事前に北大に建物の使用を申請し、多くの方々の支援を受けて準備をしたにも関わらず、当日の朝の通達で、隆吉さんは意を決して、「2008年から開示請求をし続けてきた。北大の不誠実さで裁判をおこした。節目としてなんとしてでもカムイノミを行いたい」と述べ、アイヌ納骨堂敷地内の外の砂利にゴザをひいてカムイノミを決行されました。



カムイノミの風景

その後、午後6時15分より、かでる2・7にて、シンポジウム「さまよえる遺骨たちPart2-アイヌのお骨はアイヌのもとへ~遺骨返還訴訟と「象徴空間」計画」を開催。
約120人の参加者が発言や講演を熱い思いで聞き、活気あふれる集会を持つことが出来ました。
最後に決議文を採択し、盛りたくさんの内容を駆け足で走りきった集会でした。

シンポジウムの詳細は下記のURLをご覧下さい。
北大開示研究会 http://hmjk.world.coocan.jp/symposium2012.html

事前宣伝をしていますが、講演は東北学院大学教授であり、わたしたち北大開示文書研究会のメンバーのおひとりである榎森進さんより「遺骨は誰のものか」と題して歴史的な部分、そして、ご本人の経験されたことの中からお話しいただきました。
また、訴訟をおこした城野口さん、小川さんの発言、さらに、今回の訴状の解説を代理人弁護士の市川守弘さんにして頂きました。
パネルデスカッション(司会 殿平共同代表)には、昨年のシンポにて講演して頂いた当メンバーでもある植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)を交えて、さらに、フロアーからは『アイヌ民族の先住補償問題』(2012/08/04自由学校遊発行)著者の吉田邦彦さんも質問をして頂きながら参加。
 遺骨盗掘にまつわるアイヌ民族の方の証言や、「なぜ北大は謝罪しないのか?日本人として恥ずかしい」という発言などもあり、充実した集いであり、今後もこの裁判をおぼえ、支援するぞという熱気を感じた集会でした。

取り急ぎ、簡単な報告とします。
参加者決議文や大事な訴状内容について順次、書いていきます。




昨日は札幌で泊まり、早朝から清水町で開催されているハポネタイ六人展を鑑賞すべく、道東へ向いました。山の中の笹を刈った道の中に作品が展示され、自然と融合しつつ作品が輝いていました。とても素敵な作品でしたよ。
風になびいて揺れる草花の音、落ち葉の落ちる音、鳥の鳴き声、(遠くからハポネタイのみなさんが演劇の練習をしていたようですが、その歌声や笑い声もかすかに聞こえてきました)。前日の緊張と興奮、そして疲労が吹っ飛んだ、癒しの時間でした(500キロほどの運転の疲れは続いていますが)。
展示道に入ったところで、ビッキ(かえる)が、道の真ん中で口をパクパクさせているではありませんか。
ほんとうになにかをしゃべっているようでした。作品は心の中に秘めておいて、ビッキの写真をUP!
さて、ビッキはどこでしょう。作品はいくつ写っているでしょう。



いよいよ、明日、提訴

2012-09-13 22:06:40 | インポート
9月11日は、『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート3 に参加しました。

30,144筆の署名や道内外からの抗議などが多数寄せられたことや、財団内での厳しい指摘の結果、「歴史の改ざん」と「新編集委員による新たな副読本作成」にストップをかけることができたことを受けての報告集会でしたが、吉田邦彦さん(北大大学院法学研究科教授)の提言では「今回の問題は解決になっていないのではないか」という問いかけから始まりました。
その内容を当日配られた詳しい資料で補足しつつ、大事だと思う部分をわたしなりに要約して数回に分けて報告します。第一回目は以下の通り。

そもそも日本では過去の侵略戦争においてもそうだが、最も多くの不法行為をしたことについて民法学者は十分な議論をして来ていない。また不法行為の歴史を次世代に伝えていない。これは考えなくてはいけない。民法709条には被害者は加害者に損害賠償を求めるという法があるが、規模がでかくなるとその制度は機能しなくなるのは理解に苦しむ。
アイヌ民族の歴史問題の核心は民法問題(所有の問題、不法行為の問題)だ。つまり、集団的不法行為の救済方法をどう考えるかだ。アメリカでは以前はジョン・ロックの考えである無主地に開拓してそのみかえりとして土地取得が出来るという従来の考え方から大きな転換がなされて、現在では民法(所有法)専門の学者達が議論を始めた。それに刺激を受けて、自分も専門的なところから論文を2000年から書いてきたが、まったく議論にならないというのが現状だ。

補償は金銭問題だけではなく、民族的な「対立・復習の連鎖をどう抑えるか」「どのように関係を修復していくか」が大事であり、以下のプロセスが必要だ。
①過去の不正義・不法行為の事実の解明(そのために真実究明委員会など)
②それをうけた加害者側からの不正義事実の承認、そしてその責任の認識
③被害者に対する謝罪、その真正さを裏付ける金銭的授受
④以上を受けて、被害者の「赦し」
真の意味で加害者は被害者と向き合い、どうしたらいいのかというプロセスを考える際に、謝罪がより根本的だ。だが、いずれもなされていない。
今回のアイヌ民族副読本「修整」事件の問題は、①にまつわる問題だから、重要なことだ。

このような補償をせず、日本は「福祉」対策を行っている。
(「補償アプローチ」の限界・制限と「福祉アプローチ」との比較に関しては遊ブックレットP.61ff参照)



はじめてみた海鳥


さて、いよいよ、明日、北海道大学を相手に、先祖の遺骨を盗掘された遺族三名が遺骨返還とアイヌ民族の宗教観に基づいて先祖の霊をお祭することを妨害され続けてきたことに対する損害賠償訴訟をおこします。

その後、6時15分より、かでる2・7で、シンポジウム「さまよえる遺骨たちPart2」を開催します。
副題は、「アイヌのお骨はアイヌのもとへ~遺骨返還訴訟と「象徴空間」計画」で、内容は以下の通り。

【開催時間】 午後6時15分~8時45分
【会場】 かでる2.7 1060会議室
【プログラム】 
経緯説明  清水裕二さん(北大開示文書研究会共同代表)
発言  「肉親の眠る墓を掘られた母の遺言」 城野口ユリさん(アイヌ遺骨返還訴訟原告、少数民族懇談会副会長)
発言  「北大には実態解明の責任がある」 小川隆吉さん(同、北大アイヌ人骨台帳開示請求人)
講演  「遺骨は誰のものか」 榎森進さん(東北学院大学教授)
報告  「浦河町杵臼コタンへの遺骨返還訴訟について」 市川守弘さん(弁護士)
討論  コーディネーター 殿平善彦さん(北大開示文書研究所共同代表)


チラシ(PDF)や、前回シンポジウムの記録は下記のURLをご覧下さい。
北大開示研究会 http://hmjk.world.coocan.jp/symposium2012.html



留萌の朝日です。
さきほど、印刷物の準備をすべて追え、明日に備えます。明日以降、裁判のことやシンポ報告などをUPしていきます。


「アイヌ民族の遺骨・副葬品盗掘に関する件」

2012-09-08 20:10:53 | インポート
吉田邦彦さんは『アイヌ民族の先住補償問題』(2012/08/04自由学校遊発行)にて、アイヌ民族の遺骨・副葬品盗掘に関する件については、返還し、慰謝料賠償がなされるべきだと述べておられますが(P.54)、
あらためて疑問に思うことがあります。
北大アイヌ納骨堂に納められている先祖の遺骨を返してほしいと小川隆吉さんをはじめ三名が北大に訴え続けたにも関わらず、北大は誠実な対応をしなかったため訴訟準備を行っています。
北大が2012年に開示した少し詳しいアイヌ人骨台帳一部を見ると、「第一解剖移管」という記載があります。これは北大の「解剖学第一講座」と推測され(児玉作左衛門らは第二講座)、山崎春雄という教授が1921(大正10)年5月に開講し、「山崎教授のもとではおもにアイヌの人類学的研究とくにその容貌の研究がすすめられ」たと北大大学院医学研究科 解剖学講座の「沿革」にあります。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~e20704/history.html

はて?児玉の発掘は1932年に日本学術振興会の発足後、同振興会第八小委員会の発掘として1934(昭9)年から発掘を始めています。すると、人骨台帳にある、「昭和6年発掘」というのは、児玉以前の発掘で、山崎の発掘ということになるのでしょうか。その発掘には埋葬後すぐのもあり、「発掘当時未だ軟部の残存せるもの多く教室にてmagertion」と備考が記されているのもあります。多くの腐敗しきっていない脳や内臓、筋肉を解剖学教室でmagertion(削り落とすの意味か)という、埋葬してまもない墓を掘ったということでしょう。
(この開示資料に関しては過去ブログ2012/4/10参照)。

また、その当時も墓地発掘は刑法上の犯罪だったはずです。そのために児玉は新聞ざたになり、北海道警察から呼び出しを受けています。
結局、(道庁は)新しい人骨発掘規定(北海道庁令第八三号)をつくり、それ以後は道庁長官から許可を受けることになり、罰則規定もできています(植木著『学問の暴力』P.196)。
ということは、それ以前の発掘は明らかに盗掘であり犯罪になるのでは? そして、児玉の発掘は日本学術振興会の研究調査活動の一環としておこなわれていますが、それ以前は個人(北大)単独犯罪になるということでしょうか。
児玉は「現行墓地」を発掘したのではなく、埋葬年が古く「放棄された墓地」である墓地「遺跡」だと苦し紛れに弁明しているのですが、先の資料からは(「山崎」のは)明らかに現行墓地発掘となります。
児玉は自分より過去の学者達の発掘に対して自分の論文で批判をしていますが、「山崎」への批判も含まれるのか? いや、それはないでしょう。なぜなら、その後に児玉は「第一解剖移管」でそれらを研究材料とし恩恵を受けているのですから。

さらに、副葬品盗掘はどの時代をとっても窃盗になるはずではないのか?

わからないだらけですが、裁判が始まると開示される内容も多くなりますので、可能な限り情報を挙げていきましょう。
真実が明らかになり、それに伴って謝罪と和解のための働きができるように願います。


暑寒別岳の登山道にはたくさんのきのこの群れ。食べられることが確信できたらいいのに。勉強しようと思います。
下山時は写真をとる余裕はまったくありませんでした。


昨夜、紋別の畠山 敏さんからお電話を頂きました。
数年前からお付き合いをさせて頂き、わたしも鮭漁やホタテ漁の仕事を数年したということで親しみを感じて頂いています。このブログでも藻別川支流域に建設中の産業廃棄物最終処分場をめぐってのやりとりなど情報をあげてきましたが、今回は宮島利光さん著のアイヌ民族関連の本を読んで、分かりやすくて良かったと感想をお話くださいました。宮島さんは現在わたしたちの働きの基礎をつくった人であり、浦河べてるの家の設立に関わった方(命名者でもある)とお話しました。『チキサニの大地』(1994) 『アイヌ民族と日本の歴史』(1996)など書かれています。

畠山さんはさる2011年12月5日に、仲野政務官と面接し、以下の要望書を渡しています。
詳しくは「モペッ・サンクチュアリ・ネットワーク」ブログに掲載されていますのでご覧頂き、要望書のみを紹介します。 
http://mopetsanctuary.blogspot.jp/


内閣総理大臣 野田佳彦殿
農林水産大臣 鹿野 道彦殿
農林水産大臣政務官 仲野 博子殿

アイヌ民族伝統生存捕鯨協会 会長 畠山敏

要望書

私、畠山敏は和人最古の記録「津軽一統志」(1670年)に「まふへつ村アイヌ人百人ほど。大将クヘチャイン」と記述されたモペツコタンに生まれ育ったアイヌ漁師です。私の父、畠山寿男は、明治8年末(1875年)の紋別場所の戸籍簿に「幌内から湧別までの海岸筋、川筋、山奥までの10ヵ村92戸361人を統率したアイヌ酋長」と記述されている(新紋別市史上巻)キケニンパ(後に大石蔵太郎と改名)の血を引く先住民族の漁師であり、初代の北海道ウタリ協会(現アイヌ協会)紋別支部長でもありました。
 父から漁業経営と支部長の要職を引き継ぎ、アイヌ民族の歴史文化を学ぶ中で、私の祖先達が強要された歴史的不正義の重大さを知り、民族の誇りにかけて今こそ自立と自治を目ざした復権運動が必要だと思うに至り、18年前からアイヌ民族生存捕鯨の復活を水産庁の関係機関や政治家の皆さんに訴え続けてきました。
 私達のこの悲願は、2007年9月、国連総会で日本政府代表も含めた141ヵ国の賛成で採択された「先住民族の権利宣言」の中に「歴史的不正義からの回復」が高らかに謳われているにもかかわらず、さらに翌年の衆参両院において全会一致で採択された「アイヌを日本の先住民族と認めることを求める決議」を受けて政府が正式に認めたにもかかわらず、いまだに実現の糸口すら示されておりません。
 私の先祖達にとって捕鯨を中心とした狩猟・漁業の共同作業は、自然界の万物を神の国からの尊い贈り物と感謝の祈りを捧げつついただいた精神文化の柱でした。1640年頃に初めてオホーツク海を探検したオランダのフリース号の乗組員の書いた『フリース号の探検』にも「捕鯨と礼節の民アイヌ」という詳しい見聞録が収められていることから、その昔、私の先祖達はアイヌモシリ(人間の大地=北海道の旧称「蝦夷国」のアイヌ語)で鯨を捕りながら自由に豊かにつつましく生を営んできたことは明らかな歴史的事実です。
 最後に、私が内閣総理大臣ならびに農林水産大臣閣下に今最も訴えたいことを書きます。
 日本人の中に現在もなお根強く残っているアイヌに対する「劣等民族視」という偏見のために、アイヌ同胞でありながら、それを公言することすら恐れ嫌う人達が数知れず存在するという不幸な事実を直視してください。この差別と偏見を決定的にしたのは大日本帝国政府が作った「旧土人保護法」という法律であり、その制定議会(貴族院)において政府要員がアイヌ民族をして「無学文盲蠢爾たる有様」と虫けらの如く断定したことに証明される和人の尊大なる差別感情の強さなのです。
 世界は民族間の優劣を競った自然征服争いから脱して、多民族、多文化共生の大道へと大きく方向転換を始めています。日本国政府も今こそ歴史的不正義を自ら解消する決意を内外に明示され、不当に奪った先住アイヌの生存のための捕鯨の権利を回復させる責任と義務を全うされることを心からお願い申し上げます。


留萌の海。先日も近所のこどもたちと最後の海水浴。一時間ほどでひとりがくらげに刺され(軽症)、すぐに教会へもどって小さなプールに11人が入って水浴び。それほど残暑きびしい数日でした。今日も暑すぎて隣町の温水プールへ。こどもがみるみる泳げるようになるのが楽しいです。


北大開示文書研究会より、アイヌ政策推進会議への要望書

2012-09-07 20:51:02 | インポート
吉田邦彦さん著『アイヌ民族の先住補償問題』(2012/08/04自由学校遊発行)の内容を、自分なりに解釈して少しずつ紹介させていただいていますが、その後は、

3.近時の民法的諸問題その1-とくに共有財産返還問題
4.近時の民法的諸問題その2-環境問題
5.近時の民法的諸問題その3-差別・観光アイヌの問題など
6.「補償」の観点からの再検討・再構成
7.終わりに-アイヌ政策の展開の立法プロセスの問題と将来の課題


と、続きます。その中で、わたしが印象に残った部分は以下のところ。

「博物館的箱モノづくり的なイオル建設には、補償的意味があるとも思われない。また保障的な土地返還ならば、返還先の自主的な利用方法の自己決定が重視されるから、それに関して、上からないし外から博物館的に「用途指定」するということも起こりえない。(P.54)
と指摘し、現在進行中のイオル構想については、榎森進教授の以下の言葉を引用しています。
「現在のアイヌ民族の生活に資する昨日を持たせなければならない」「これでは、アイヌ民族の伝統文化を伝承し、『再生』するための単なる『野外博物館』と言っても過言ではないだろう」「アイヌ民族にとって、どれだけ役に立つものなのか、大きな疑問を抱かざるを得ない」「この『イオル』の『再生』事業をよりアイヌ民族に有利で、アイヌ民族の生産・生活基盤を保障する性格を有したものへ変えていく」(P.54)
必要がある、と。

個人的に伺いたいアイヌ民族の遺骨・副葬品盗掘に関する件については、返還し、慰謝料賠償がなされるべきで、アメリカの「原住アメリカ人の墳墓保護及び遺骨帰還法」(Native American Graves Protection and Repatriation Act 1990年)を参考にすべきだ、と。同法律によると、各大学博物館等に収蔵されている全住民族の遺骨類については、遺族がわかる限りは返還するべきだというもので、その手続きを行わない研究機関などは、連邦政府の補助を受けられないという、間接的な圧力が課せられるとのこと。
この法でいけば、北大のやっていることは大問題ですね。


ソフトバンクCMお父さんはアイヌ犬であることを皆さんはご存知でしょう。その息子さん「空くん」は白老のポロト・コタンにいます。最近の報道でパートナーが見つかったとのこと。上手ではないですが写真をUP。


さて、北大開示文書研究会が本日、アイヌ政策推進会議へ二度目の要望書を送りました。
全文はブログ「さまよえる遺骨たち」に掲載されていますのでご覧ください。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/
主要内容は以下です。

2.アイヌ民族の先住権に伴う法的措置へ向けて
この度は、第4回アイヌ政策推進会議、および、第8回「政策推進作業部会」議事概要より、今後の進行について要望いたします。
一年ぶりに開催された第4回アイヌ政策推進会議の議事概要にも記されている通り、「国会決議から4年が過ぎる中で、総理が替わり、官房長官が替わり、大臣が替わり、事務方が替わり、4年前の熱い思いが冷めたとは言わないが、心配している」(2頁)との思いをわたし達も抱いています。
2008年6月6日、衆参両議院にて「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が、全会一致をもって可決されました。この決議は、その前年の2007年9月に、国連において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(以下、国連宣言)が、日本も賛成する中で採択されたことを受け、「その趣旨を体して具体的な行動をとることが、国連人権条約監視機関から我が国に求められている」(決議文)ことであり、政府が早急に講ずるべき施策として、国連宣言を踏まえ、「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること」、および、国連宣言が採択されたことを機に、「同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聴きながら、これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと」(決議文)を求めています。
また、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」第2回会議(2008年9月17日)において、加藤 忠ウタリ協会(当時)理事長のヒアリングでは、権利回復のために立法処置による施策を行うこと、国連権利宣言に照らして権利回復を行なうことを国の責任で行なうよう要望したことが記録されています。
 しかし、その後のアイヌ政策推進会議、各作業部会の議事概要を読みながら、「アイヌ民族との共生象徴空間」構想のみがひとり歩きし、国連宣言に謳われている基本的な先住民族の権利である先住権に関しては一切話し合われてはいないことに疑問を感じざるを得ません。先住民族アイヌの先住権を回復するために、国は尽力するべきです。
 先住権に伴う法的措置をしっかりと論議し、実行へと結びつけることが「国連宣言の趣旨を体して具体的な行動をとること」になるのではないでしょうか。以上の件についてどのようにお考えかお答え下さい。 

3.アイヌ人骨返還について
昨年の6月に出された 『「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告書』において、「各大学等に保管されているアイヌの人骨について、遺族等への返還が可能なものについては、各大学等において返還する」(P.8)とあります。
また、第8回「政策推進作業部会」議事概要の議題2の「今後検討を深めなければならない課題」の中に「アイヌの人骨に係る検討」とあり、以下の記述があります。
「大学等における人骨の保管状況などの調査と並行して、政府において、調査後の人骨の返還に向けた進め方の検討を速やかに進めるとともに、尊厳ある慰霊が可能となるように、関係者の理解を得ながら、人骨の集約施設の在り方、慰霊への配慮の在り方、研究との関係などを検討・整理する必要があるとしている。」(6頁)
 これらの記述に関し、二つの疑問を感じます。
ひとつは、さる、2011年12月2日付で、国立大学法人北海道大学佐伯浩総長宛に、同大学によって発掘・収集し研究資料として活用した「アイヌ人骨及び副葬品」について、そのご遺族である三名が返還と謝罪の申入れをしました。しかし、北海道大学側はたいへん不誠実な態度をとり、その申入れを拒否しました。遺骨を返還すると述べているにも関わらず、具体的に返せという遺族に応じないのは大問題です。ご遺族は怒りと悲しみの中で、法的手段に訴えようと準備を進めています。
このような閉鎖的な対応をしている大学に、遺骨の返還をまかせようとするアイヌ政策推進会議の姿勢も問題であると考えます。この問題は北海道大学のみのものではありません。北海道大学以外の旧帝国大学などにも人骨が収蔵されてきました。アイヌ墓地発掘は明治政府の北海道「開拓」と植民地政策に伴うアイヌ民族へのレイシズムがもたらしたものであり、アイヌ民族の伝統的追悼儀礼を無視した非人道的な発掘の記憶は今日もアイヌの人々の深い傷となって残されております。日本政府は政府の責任においてアイヌ人骨問題の歴史的経緯を検証し、その歴史的責任を自覚し、遺骨の収集と今日までの処置に関して、アイヌの人々の意に反して収集した過去を反省し、アイヌ民族への謝罪がなされるべきです。そして、北海道大学のこのような不誠実に対し、早急な対応をするべきです。以上についてのお考えを聞かせて下さい。

4.研究優先への疑問
第二点に、上の記述にもあるように、ご遺骨の慰霊と共に、常に研究がついていることに疑問を感じます。過去の歴史が示すように、アイヌ民族は研究対象とされ、屈辱を受け続けてきました。今後もさらなる研究対象として屈辱を受けることに危惧を覚え、わたしたちは反対します。遺骨はご遺体の一部であり、故人の特定がなされようがなされまいが、ご遺族が特定しようがされまいが、ご遺体であり続けるものです。それを「物」あつかいにし、一方的に研究対象にすることは問題だと考えます。北海道大学を含め、現在、文科省において、大学等におけるアイヌ民族の人骨の保管状況等の調査を進めていますが、保管されているすべての遺骨の研究の中止を求めます。過去の反省と謝罪がなされ、和解があって、はじめて合意のもとで研究が再開されるべきです。アイヌ政策推進会議としてどのようにお考えかを聞かせて下さい。

5.副葬品の調査と返還について
さらに、アイヌ墓地発掘に伴って膨大な副葬品が出土しました。しかし、それらの多くが行方不明になっていることは周知の事実です。しかし、今までこのことは、他はもちろん、アイヌ政策推進会議においてさえ、何の議論にもなっていません。これらは大学の管理責任にとどまらず、アイヌ民族の財産を散逸させた責任が具体的に問われることになりましょう。人骨問題の解決には副葬品問題の解決も不可欠であると考えます。遺骨返還に伴い、早急な調査と返還を望みます。
以上、先住民族であるアイヌ民族への日本政府およびアイヌ政策推進会議の真摯な対応を強く要請し、応答を求めます。   




美馬牛(富良野の北)の秋


『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート3 案内

2012-09-06 11:36:11 | インポート
以前に、アイヌ民族を含む草の根市民グループ「チ カラ ニサッタ ~我らつくる明日~」(代表 島崎直美・小泉雅弘)で、アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会(以下、有識者懇)に向けて「提言」を提出しました(2009年3月20日)。

その前文で、「アイヌ民族の先住民族としての権利の回復が、この日本という社会において私たち一人ひとりが互いを尊重しあいながら親和して生きる関係を築いていくうえで、必要不可欠の課題であると考え、その実現のために努力することを目的」とし、日本政府がアイヌ民族を日本国の先住民族として認知し、それに伴う法制度や施策について提言する有識者懇を設置したけれど、草の根の市民の声がそこに反映されることを願って「提言」することを述べています。

具体的な提言として、
一、権利保障に向けた整備
1.日本政府に常設の審議機関の設置を求めます。
2.植民地化や差別の調査機関設置を求めます。
二、保障すべき権利とその具体的措置
1.アイヌ民族の自治機関設置への協力およびその機関と政府が協議する場の設置を求めます。
2.国有地および公有地に対して、アイヌ民族に自然資源利用権を認めることを求めます。
3.アイヌ語を公用語にすることを求めます。
4.民族教育を受ける機会の保障と、偏見と差別を除去する措置を求めます。
5.アイヌ民族の経済的、社会的条件を改善し、集団間の格差を是正することを求めます。
6.儀式用具や遺骨の返還を求めます。
7.アイヌ語・紋様などの知的財産の権利を保護する機関の設置を求めます。
8.アイヌ民族の越境権を求めます。

説明と共に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の該当条文が付されています。

今、振り返って読み直してみても、重要なものばかりと感じるのですが、この「提言」が有識者懇でどのように扱われたかはまったく応答がありませんでしたから不明のままですし、アイヌ政策推進会議の現在の動きをみると、「審議機関の設置」ひとつだけしか叶えられていません。
そして、アイヌ政策の進歩状況を具体的に市民に示してほしいのですが、それも不透明のままです。

有識者懇「報告書」(2009年7月)の、「今後のアイヌ政策のあり方」(P.23~)には、かつての「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」報告書(1996年)に触れて、アイヌ民族の「先住性を認めたが、これは事実の確認にとどまり、新たな政策とは結びつけられていなかった」し、「その後制定されたアイヌ文化振興法においても同様であり、同法が推進する文化振興施策はアイヌの人々の先住性から導かれるものではなかった」ので、アイヌ民族が先住民族であることを認め、そこから、今後のアイヌ政策は、国の政策として近代化を進めた結果、アイヌの文化に深刻な打撃を与えたという歴史的経緯を踏まえ、国には先住民族であるアイヌの文化(言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて、土地利用の形態などを含む民族固有の生活様式の総体の意)の復興に配慮すべき強い責任がある、と述べています。

が、今回は「新たな政策」に結びついているのかまだわかりませんし、吉田邦彦さん(『アイヌ民族の先住補償問題』2012/08/04自由学校遊発行)が述べているとおり、補償問題に関しては後退しています(P.9)。



さて、吉田さん前掲書の内容ですが、「1.はじめに」に続いて、「2.アイヌ民族の歴史」が土地問題を中心に短くまとめられています。副題の通りに「幾重もの『所有侵害のくびき』」を負わされているのだ、と。

明治5(1872)年の北海道地所規則、明治10年(1877)念の北海道地券発行条例により、それまで何千年もの間、アイヌ民族が生活し使用していた土地(土地利用権)は、「無主物先占」(民法239条2項)的発想から無視された。そのことは「みのがされるべきではない」と吉田さんは述べています。
さらに、アイヌに対し狩猟禁止(明22:1889年)、鮭の禁漁化(明29:1896年)と生業奪取、財産搾取を行った。その上で農耕を強制し、不毛の未開拓地を賦与する対策を取るが、開墾を15年以内に成功することが条件となっており、結果的に没収された割合は道北が7割以上、と価値を除く道東は4割以上(釧路、日高は3割以上)、石狩も5割を越えていることに「注意が必要」だ、と。これほどの土地が没収されていたとは・・・。「保護対策」が名ばかりであることがわかります。
そして、そもそもアイヌ民族の土地であり土地利用していたことを無視・黙殺し、「先住民族の土地利用侵害という集団的不法行為については、補償問題が伏在している」と吉田さんは指摘し、アメリカなどでは民法(所有法)の問題として議論が蓄積されている、と。

民法的に解決しなければならない問題が、隠され、しかも、そんな権利はないかのようにすすめられている現在のアイヌ政策推進会議のあり方に疑問だらけです。

さて、『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート3のご案内を頂きました。吉田さんが話されるというので今度こそ聞きに行きます。来週は忙しくなります。

『アイヌ民族副読本』問題を考える市民の集いパート3
 3万筆を越える署名、道内外から寄せられた抗議・要請、さらには財団内での厳しい指摘の結果「歴史の改ざん」と「新編集委員による新たな副読本作成」にストップをかけることができました。この間の成果をみなさんに報告するとともに今後の課題をともに考えたいと思います。

日時 : 9月11日(火) 午後6時半~8時半       参加費+資料代:300円
会場 : かでる2・7 「820研修室」(札幌市北2西7)
内容:提言~吉田邦彦(北大大学院法学研究科教授)
「アイヌ民族の先住補償プロセス~副読本問題との関係で~」
主催:アイヌ民族副読本問題を考える会
問い合わせ先 ainu_subtext@yahoo.co.jp




息子と隣町にそびえる暑寒別岳を登頂。登り3時間半、降り2時間でしたが、そうとう苦しみました。体力が落ちていることを実感。まじめに鍛えなおそうと考えています。
上の写真は途中で見つけたエゾライチョウ。下は山頂から雨竜方面。


シンポジウム「さまよえる遺骨たちPart2」

2012-09-01 09:24:06 | インポート
昨年6月に、シンポジウム「さまよえる遺骨たち」が開催されましたが、
きたる9月14日に下記の通り、シンポジウムPart2を開催することとなりました。
遺骨返還訴訟の報告、そして東北学院大学の榎森進さんの講演があります。
当日に提訴、記者会見、カムイノミを経て、シンポジウムにのぞむ予定です。



シンポジウム「さまよえる遺骨たちPart2」
アイヌのお骨はアイヌのもとへ~遺骨返還訴訟と「象徴空間」計画


【趣旨】昭和期、北海道大学などが「人類学のために」多数のアイヌ墓地を掘り返して集めた計1100体以上の遺骨と副葬品の大半が、いまもアイヌ民族に返還されないばかりか、さらに研究材料として利用され続けようとしています。こんな「学問の暴力」を放置したままでは、アイヌ民族の先住権回復はおぼつきません。遺族たちが北大を相手取って初めて返還・賠償請求訴訟を起こしたのを機に、この問題の本質を明らかにします。

【主催】 北大開示文書研究会

【後援】 少数民族懇談会、平和・人権と民主主義を守る民衆史掘りおこし北海道連絡会、さっぽろ自由学校「遊」

【日時】 2012年 9月14日(金曜)午後6時15分~8時45分

【会場】 かでる2.7 1060会議室
【プログラム】 (変更の場合があり)
経緯説明  清水裕二さん(北大開示文書研究会共同代表)
講演  「遺骨は誰のものか」 榎森進さん(東北学院大学教授)
報告  「浦河町杵臼コタンへの遺骨返還訴訟について」 市川守弘さん(弁護士)
発言  「肉親の眠る墓を掘られた母の遺言」 城野口ユリさん(アイヌ遺骨返還訴訟原告、少数民族懇談会副会長)
発言  「北大には実態解明の責任がある」 小川隆吉さん(同、北大アイヌ人骨台帳開示請求人)
討論  コーディネーター 殿平善彦さん(北大開示文書研究所共同代表)
【入場料】無料(資料代500 円)    【申し込み】不要
【問合せ】三浦方(事務局)

【講演者紹介】
榎森進(えもり・すすむ)さん
1940 年生まれ。東北学院大学文学部教授、同大学院文学研究科教授。専門は日本近世史・北方史。『アイヌ民族の歴史』(草風館、2007 年)、『北海道近世史の研究』(北海道出版企画センター、1997年)など著書多数。



チラシ(PDF)や、前回シンポジウムの記録は下記のURLをご覧下さい。
北大開示研究会 http://hmjk.world.coocan.jp/symposium2012.html



留萌は残暑きびしい日もありますが、もう秋の風が吹いています。
先日、息子と白老アイヌ民族博物館で開催されている特別企画「イヌイットの壁掛」を鑑賞がてら、「共生空間」計画の地図を見つつ、どのあたりに何が出来るのかを想像してきました。
その後、足を伸ばして二風谷の萱野茂アイヌ民族博物館をお訪ねしました。1960年代のもので二風谷でも一番古く歴史的な建造物であったチセ二棟が先月に全焼。出火原因は電気のショートではないかとのこと。こころからお見舞い申し上げます。