アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

旭川の冬まつり

2009-01-31 20:19:32 | インポート
昨日は美馬牛福音教会のことで旭川にて会合があったため、
ほんの少し、旭川川村カ子トアイヌ記念館に寄り、情報を得てきました。

旭川冬まつり(2/7~11)に、川村さんら旭川チカップニアイヌ民族文化保存会が出演されます。
2月6日(金)のオープニンブセレモニーで午後5時55分からアイヌたいまつ行進「心をともす灯り」。翌日7日は午後1時半からアイヌ古式舞踊が行なわれます。
以前にも書きましたが、映画「氷点」(若尾文子出演)に、この祭の開催中にカ子トさんが出演しています。現館長ご自身も2000年のドラマ「氷点」でこの冬祭の場面に出演されたとのこと。

午後は、札幌にてアイヌ民族関連の研究会に参加するべく直接札幌へ。
夜は、アイヌ民族の20代のHASくんからご自身のお話を伺う機会を与えられました。
若い世代との出会いはうれしいものです。


明日は礼拝。
来週は6日(金)の午後1時から名寄の道北センターにて1時間ほどの話しをします。



きれいな朝でした。木の後方に見える足跡はうさぎとキツネでしょうか。



久保陽子さんの演奏

2009-01-29 22:25:32 | インポート
どっひゃ~ の二日を過しました。
昨日は、学生時代にお世話になった東京練馬区の大泉教会時代に、ご一緒した兼岩さん※1の紹介で、北広島にあるHANAホールにて開催された札幌交響楽団の演奏会に招待されて行って来ました。
演奏曲はベートーベンのヴァイオリン協奏曲二長調。そして「運命」。

よくよく考えてみると、オケの生を座って聞くのは初めてでした。
東京でバッハ合唱団に入っていたころや、姫路時代に骨髄バンク支援コンサートでヘンデルのメサイアを歌ったときは舞台の上でオケをバックにしたことはありましたが・・・生聞きは初めて。

今回の招待のお目当ては札饗がゲストでお呼びした久保陽子さん※2.
兼岩さんがプロディースして、久保さんのソロ・コンサートを教会でやらないかとのお誘いがはじめにあって、実際に演奏を聞きにおいでとのことでした。
しかも、アイヌ民族情報センターともリンクして活動を知っていただくようなイヴェントが出来たらいいねとの話で、昨夜は盛り上がりました。

久保さんの演奏は感激しました。小柄なおからだ全体を使いながらの熱演でした。30分以上あったかと思う演奏も譜面なしで、しかも、あんなにハードな動きをして・・・と驚きました。
伺うところによると、朝5時から毎日、何時間もの練習を欠かさずにやっておられるとか。
頭が下がります。
わたしは初体験で感動・興奮でしたが、どうも、よくご存知の方たちは札饗に対しては厳しい評価でした。


兼岩さんとは、仕事関係で今話題のビ・ヨンセの話が出てきたり、若手の素敵な演奏家の話、海外の話、20年前の知人達の消息など、話しっぱなしで、内容も今のわたしのアイヌ民族・キリスト教のジャンルからではないものを伺いながら、夢のような二日を過しました。

5月後半に久保さんの演奏会が出来るように、今度の日曜日の教会役員会にて計画を立て始める予定です。
ちなみに久保さんの演奏予定は三部に分けて、三つの教会を会場に、それぞれの曲を演奏するとのこと。
留萌では、バッハ:無伴奏ヴァイオリン ソナタ第1、パルティータ第1番、パガニーニ:24のカプリス1番~8番。これらの後半は、他の2教会でやれれば、との案。 
楽しみですね~。留萌でも是非、実現したいです。
近所のこども達にプロの音色を聞かせてあげたいですし、
この方、30年留萌から出たことないというじっちゃん・ばあちゃんに生を聞いていただきたいです。合わせて、アイヌ民族と直に出会う機会が持てることを切に願いつつ。

明日は美馬牛福音伝道所の会堂建築にまつわる事務で午前中は旭川、午後はアイヌ民族関連の会合で札幌にに向います。




留萌増毛南部にある岩尾の「岩」。数年前ここで17型テレビ大ほどのトドの頭を発見。
すごい低い鳴き声でびっくり。生きている野性のトドだったのです!
興奮してアルバイト先の漁師さんたちに喜んで報告しところ、叱責されました。
トドは網をわやにするわ、網の魚の一番美味しいところをかぶりついて台無しにしてしまうわで害獣なのです。


※1 オフィスアリュシュを十数年前に立ち上げた、素敵なオルガニスト
⇒ http://www.o-arches.com/
※2 笑顔がとっても素敵な方でした
⇒ http://www.kuboyoko-violin.com/


シンポ 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」に何を期待するか~

2009-01-27 19:36:26 | インポート
27日(火)の今日は、久しぶりに作業所のメンバーに集まって頂き、たまったアイヌ奨学金の募金領収証書きをしようとしたら、調子が悪いようでひとりで黙々と作業。

長年、わたし達の教団の教育委員会から150万~200万円の支援を頂いてきましたが、なんの連絡もなく一方的に来年度から打ち切りとなることが後日に分かり、大変、戸惑っているところです。
継続が危ぶまれる状況で新たな展開が望まれています。覚えてお祈り下さい。


時間を捻出しては、来る2月6日に開催される道北三愛塾※1でお話しさせて頂く内容を考えています。内容は国連の先住民族権利宣言の出来るまでと日本の先住民族であるアイヌ民族の権利についてで、1時間以内ということ。いかにわかりやすくするかを考えています。
そこで思いついたのが、旭川や名寄、天塩など参加者の皆さんが農業を営んでおられる場にまつわる内容を松浦武四郎著「アイヌ人物誌」から紹介しようと。そうすることで武四郎さんが実際に見たアイヌ民族の現状も知ることが出来ますし、アイヌ民族が先住民族であること、その権利について知ることが出来るようになるのでは、と。






新たな期待ある情報をUPします。
市民外交センター主催で公開シンポジウム「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」に何を期待するか~アイヌ民族のさまざまな声を届ける~が3月29日に東京の明治学院大学白金校舎で開催されます。
有識者懇談会は10-11月に現地視察、12-2月に有識者からのヒアリングを終え、3-7月の間に提言を含む報告書の取りまとめを行う予定です。この報告書に、アイヌ民族団体からの要望、そしてアイヌ民族のを含む人々の多様な声を反映させる方策を考えるため、公開シンポジウムを開催。乞うご期待。わたしも行きたいです。

日時:2009年3月29日(日)14:30-17:00
会場:明治学院大学白金校舎 本館2階1201教室
〒108-8636 東京都港区白金台1-2-37
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/
※東京メトロ・都営地下鉄「白金台」駅2番出口より徒歩7分
「白金高輪」駅1番出口より徒歩7分
都営地下鉄浅草線「高輪台」駅A2番出口より徒歩7分

登壇者:
阿部ユポ(北海道ウタリ協会副理事長)
丸子美記子(アイヌウタリ連絡会代表)
島崎直美(札幌ウポポ保存会事務局長)
川村兼一(旭川アイヌ協議会会長)
佐々木利和(国立民族学博物館教授・有識者懇談会メンバー)
上村英明(市民外交センター代表・恵泉女学園大学教授)/ほか
 
資料代:500円 ※アイヌ民族の方は無料です
事前申し込み不要・どなたでも参加できます

主催:市民外交センター
協力:明治学院大学国際平和研究所
先住権サポート基金
問い合わせ:市民外交センター事務局(担当:塩原良和)
〒132-0033 東京都江戸川区東小松川3-35-13-204
FAX:03-5662-0906
Email: shiobarayoshikazu@hotmail.com


※1道北三愛塾に関心のある方は同URLへ⇒http://www8.ocn.ne.jp/~sanai333/




見えにくいですが、トンネル内のつららです。
札幌への往復で通る道にはたくさんのトンネルがあります。
出入り口は凍結していることが多いので慎重になります。が、トンネル内にはつららが・・・・。
ということはコンクリートに隙間があって水が滴ってきているということで、
その水が凍ったり溶けたりして、次第にその亀裂は大きくなって崩壊の危険性が出てくるわけで・・・。
地図を見るとほぼすべてが崩壊危険地点になっています。


「『売れる』西部劇映画のレシピ」を読んで

2009-01-26 19:42:46 | インポート

朝にこのblogを見て出勤するのが日課だと言ってくださる方や、毎日見て下さる方のために出来るときに出来る限りの情報をUPしていきたいと、今年も願っているわたしです。

さて、
「先住民族の10年News第148号」にある松井健一さんの「北米先住民族の『文化的主権』マニフェスト16」をもっと読みたいと思いました。

テーマは「『売れる』西部劇映画のレシピ」で、西部劇映画で先住民族はどのように描かれているかが書かれていました。
現在、わたしたちアイヌ民族情報センターでは、アイヌ民族を含む世界の先住民族に関連するテレビ放映されたニュースや番組、そして映画を資料として収集しています。映画などもそれなりに集まってはいましたが、このNewsに紹介されているもののうち「折れた矢」「ダンス・ウイズ・ウルブス」「スモーク・シグナルス」のみ。
「馬と呼ばれた男」「小さな巨人」「モホークの太鼓」「駅馬車」「シャイアン」「ジェロニモ」「サンダーハート」など知らないものばかり。明日は火曜日ですので早速TUTAYAの半額日にあわせて借りて観たいと思います。

松井さんは、西部劇では先住民族は悪役として描かれていることを指摘。この「悪役先住民族」に共通している特徴を以下に挙げています。
①暴力的で落ち着きがない。
②白人ヒーローが苦労して築き上げたものを心なく破壊する。
③そのような場面では感情の露出が激しく、雄たけびをあげる以外の台詞がない。
③台詞があったとしても、憎しみと怒りに満ちた言葉だけ。

なるほど・・・・。ヒーローを引き立てる悪役ぶりを発揮させているのですね~。
これらを無意識に観て、白人開拓者は善で先住民族は悪の破壊者と刷り込まれていったのですね。“暴力的で落ち着きのない激しい雄たけびと憎しみしか語らない人たち”=野蛮人=先住民族という図式から解放される必要がありますね。

もうひとつ、これらの映画で先住民族が果たす重要な役割は、「本物」の儀式や踊りを披露することだと松井さんは紹介し、そのことが批判されていることも述べています。
う~ん。儀式や踊りは大変神聖なものでしょうから映画で観るものではないのでしょう。まして商業用映画で扱うべきではないというのは分かるような気がします。
つい先日「エメラルド・フォレスト」を観て、よかった、踊りなどの儀式も観ることが出来てよかったなどと書いた後、あらためて紹介してくださった小田さんのブログを読み直したら誇張もあるとのことを知り、複雑な思いになりました。無批判に観てしまっていたことを考えさせられました。
このシリーズはもっと読みたいです。


映画といえば、はたまた事務仕事をしながら「ファースト・フード・ネイション」を観ました。
最後の場面で牛肉工場のコンベアーに牛が次々と乗せられ、され、逆さに吊るされて頚動脈を切られて血抜き、足を切られて皮をはがされ、内臓を取られと処理され、次第にハンバーガーのミートになるまでが映像に流れてきたのを見ながら、これまたいろいろと考えさせられました。千松くんのように一対一でちゃんと格闘して得た肉を感謝して喰うのがやっぱり本当なのかな、と。(1/17 blog参照)


今日は一日で30センチ積もった雪を何度か投げながら、教会事務やアイヌ奨学金の事務をしていました。午後にはお客さんたちが訪ねて来てくれました。
近所の小学3年生の女の子達がちょくちょく遊びに来るのです(彼女たちのことは6/24blog参照。その後も、秋のフリマもお客さんに手品の芸を披露するわ、クリスマスでも一芸を披露してくれるわで、とても協力してくれています)。
今も時々、遊びに来ては、一緒に最近流行っているという「だるまさんの一日」や、鬼ごっこ、かくれんぼをして遊びます。




北方民族博物館の展示物。アイヌ民族ではない北方民族のイナウと熊の頭蓋。
イナウが独特ですね~ (どこの民族か忘れてしまいました)


ペウレ・ウタリの会~インカルシペ・アイヌ民族文化祭

2009-01-26 06:17:33 | インポート
24日(土)は、小金湯のピリカ・コタンで行なわれている会合に参加しました。

午前中は第13回ペウレ・ウタリの会に参加。ペウレとはアイヌ語で“若者”の意味。
この数年は少数で開催されたようですが、今回は午後にウタリ協会札幌支部開催のインカルシペアイヌ民族文化祭もあったためか(関係者談)、多くの若者達が集っていました。

田澤 守さん(樺太アイヌ協会会長)の上手な司会進行により、各グループに分かれての話し合いを行ないました。先住民族としての権利を自分の声で訴えようというもので、わたしの参加したグループも豊かな時間を過しました。
いちばんお若い16歳のKくん、そして20代~40代の数人、60代の方もおられて年齢幅も広く、内容も豊かでした。

「金持ちになりたい」、「土地を返して欲しい」、「ピリカコタンの維持を」、「トンコリを世界中に広めたい」「孫が差別なく暮らせるように」という願いなどが出されました。
また、わたしのグループは半数がアイヌ民族の機動訓練生で、現在、ピリカコタンで木彫りや刺しゅうの訓練を毎日学んでおられるとのことでした。が、その後の補償などが全くないとのこと。学びを活かせる職が広げられるよう要望が出ました。

さらに、伝統的なものを作るために山から素材を取るにも今は申請・許可が必要で大変面倒だとのこと。資源が自由に使えるようにとの要望も出ました。
アイヌのテレビ局を作るように。ピリカコタンでの就職の枠を広げるようにとの声も。
他のグループからは「鮭を自由に捕れるように」「国立・国定公園を自由に使えるように」「アイヌ文化を学び活動できる施設を」「謝罪を!」という声も。
若者の声を聞けて良かったです。




午後は、さらに人数が増え、第15回インカルシペアイヌ民族文化祭に参加させて頂きました。
はじめに上村英明さんの講演。その後、「先住権・自己決定権」「教育・文化」「土地・資源」など5つのグループに分かれ、それぞれの権利について話し合い、発表されました。
わたしは「先住権・自己決定権」のグループに参加させて頂きました。

あるフチは、先祖の土地がお酒一杯で奪われた(酒を飲ませて不当に搾取された)という話や川に流されて区画整理の時には半減されていた(しかし、抗議のしかたが分からずそのまま)、など、調査も含めて返還を求める声や、アイヌ民族の伝統を伝えることの出来る学校をつくってほしい、各地でのアイヌ墓地がほしい、などの要望が出されました。

これらのまとめをウタリ協会札幌支部でまとめて、有識者懇談会へ提言という形で送るとのこと。まとめの情報が入り次第、また紹介させて戴きます。


その後、三つのグループの歌や踊りが披露され、最後はアイヌ・アート・プロジェクトの歌にあわせてリムセ(輪踊り)で盛り上がりました。あんたも来なさいと手招きしてくださったおかげで照れ屋のわたしも加わらせて頂きました。




途中の猛吹雪の中を無事、帰宅し、翌日は日曜礼拝。
その後、酪農大学で行なわれたイヴェント「フェスティバル創楽」に行きたいと思いつつ、時間がなく断念しました。残念。


ニサッタの会合

2009-01-25 20:22:25 | インポート
この数日の活動報告をします。
22日(木)は奨学金会計の事務で札幌に向い、夜はニサッタの会議に参加しました。
ニサッタでは、この度の有識者懇談会へ提言を出すべく何度もチャランケをしつつ提言をまとめて来ました。

この度の会議は、出来上がりつつある提言の扱い方に議論が集中しました。結論として出来るだけ多くの賛同者を集めて賛同者の名前をつけて2月中に有識者懇談会に渡そうということになりました。

このブログでも具体的になった段階で呼びかけさせて戴きますので、皆さんのご理解とご協力をお願いいたします。

いつものカプセル(一泊2,200円ですから最安ですね)に泊り、早起きのわたしは翌朝23日(金)の6時前に起きて二風谷へ。われらが宮島利光さん※1にいくつかの相談をしに行ったのですが、なかなか携帯がつながらず、お宅も探せずで結局はナラの自然林と新しく作られている二風谷ダムの建設中のところ、そして二風谷博物館の前のチセ(家)を見て、札幌へ帰りました。博物館前には新しい大きなチセが二軒建てられていました。

その足で、恵庭在住の教会員宅訪問。そして、札幌に戻り、昨年の先住民族サミットで一緒にサポーターをした青年が持病で入院していると聞いていたのでお見舞いに行って来ました。
そして夜は、はたまたニサッタで計画をして開催された市民外交センターの上村英明さんの講演会に参加。内容は12月29日のウハノッカの会での講演に沿って、さらに改良を加えたものです。このblog12/31~1/3を参照ください。
その後、10時も過ぎたところで上村さんを囲んでわいわいやりつつ、様々な議論や意見も言い合えて、大変、有意義な時間でした。
後は続きます。





※1 わたし達(プロテスタント)の日本キリスト教団の引退教師で、北海道内の働きにおいてアイヌ民族の権利回復を訴え続けた方。著書「チキサニの大地」(日本キリスト教団出版局)、「アイヌ民族と日本の歴史-先住民族の苦難・抵抗・復権」(三一新書)、「日本宣教の光と影-アイヌ伝道等をめぐって」(いのちのことば社)があります。さらに、宮島さんは浦河のべてるの家の創設時代の協力者としても有名ですね。命名もご本人。今度、武田鉄也主演の映画も作られるそうですよ。乞うご期待。

北大センター冬季シンポ 本田さんのコメント

2009-01-21 13:36:24 | インポート
過日の北大アイヌ・先住民研究センター冬季シンポジウム(12/6)の報告の続きをします。

第1部「文化人類学」の佐々木利和さんの講演に対する二人目のコメンテーター本田優子さん(札幌大学文化学部教授)の報告をします。
先日、大先輩からアイヌ民族関連の図書・資料を三百冊ほどセンターに寄贈頂きました。
すぐにでもリストを作成して紹介できるようにと思っているのですが、札幌での会議や講演が連日のようにあり、相変わらず動いているので未整理のままです。出来るだけ早くと考えています。
その中に、本田優子さん著「二つの風の谷」があるかと期待していましたが、まだ見つけられていません。それを読んでから紹介を兼ねて冬季シンポの報告をUPしようかと考えていましたが、待っているとのメールが入りましたので慌ててUPします。

本田さんははじめに佐々木利和さんの提起された「文化人類学はなぜアイヌ民族を忌避するか」について私見として
①坪井正五郎※1、鳥居龍蔵※2からはじまるアイヌ民族の形質人類学の歴史において計測が重要視される中、アイヌ民族にとっては屈辱的な空気があったこと。
②いつの時代も野本正博さんのようなアイヌ民族のことをよく知っている優秀な学者がいたこと。

を挙げ、よっぽど頭がいいか、よっぽど頭の悪い(にぶい)人間でないと、やっていけなかったはずで、そこそこ頭のまわった研究者達は忌避せざるを獲なかったのだろう、と言われました。

しかし、実際は多くの研究者が研究をしていたことを述べ、その方法として個人的に仲良しのアイヌを作ってきた、と。それは双方にとって益になったことではあるが、ご自身は二風谷で生活しながら苦々しく感じていたと語られました。

さらに、現在、札幌大学文化学部教授として学生達とどのように学ばれているかの紹介がありました。
アイヌ語授業を週にふたコマ(通年)、その他に「アイヌ文化論」、そしてゼミ。
「アイヌ文化論」では、一番最初に学生にアンケートを取り続けているそうで、それによるといかに学生達の認識が現実のアイヌ民族に対して無知かがわかると、大変、興味深い分析結果を紹介してくださいました。
たとえば、アイヌ民族の人口についての質問は2万人以下が全学生の50%おり、1000人以下と答えたのが20%もいた。さらに、その中でアイヌ語を話せる人はどれぐらいいるかという質問には500~1000人はいるだろうと答えた人が多かった。
すなわち、極めて少数の、自分達とは普段出会えない遠いところで、固まって住んで伝統文化を守っているだろうという誤ったイメージを持っている、と。
それらの学生に、まず現代のアイヌを知ることから始め、歴史、伝統文化の学習とおこなっているとのこと。その中で、合宿で阿寒や二風谷に行ったり、自著「二つの風の谷」の文章(ご自身が二風谷在住時に感じた違和感を綴った部分)などを参照に学んでいる、と。

また、冨山一郎著「暴力の予感」(岩波書店)P111の一部を引用し、はたしてこの冨山の批判に耐えうる研究が出来ているかを問いました。
たとえば今、日本文化の多様性を補償するものとしてアイヌ文化が取り扱われているけれども、むしろ違いを際立たせてこれがアイヌ文化だというような研究が行なわれている。それは、伝統的な部分のみを強調しすぎて、今を生きるアイヌが欠落しているという問題を感じる、と。
そこから自分達は脱却する必要がある。そういう議論の場の設定を望むし、それが個人的な仲良しアイヌとのみの今の研究を否定していくことが出来るもだと思う、と。

さらに、現在、若いアイヌ民族出身のアイヌ研究者も多く出ているが、アイヌ=研究対象、和人=研究者という誤った固定観念がアイヌ出身研究者の価値を下げてしまっている、と。さらにまっとうな研究をして、きちんと評価をえるべきことを佐々木利和さんの応答として語られました。


「二つの風の谷」は、いづれどこかで借りて読むとして、アイヌ文化振興・研究推進機構の2003年度普及啓発セミナー8月25日大阪会場で「アイヌの生活文化」(衣食住について)講演をされていますが、それを読むことが出来、勉強になりました。
かつて旭川の川村カ子トアイヌ記念館で、館長から「ラッコの毛並みは逆毛がないので両方になびく。それを例にして“浮気”癖のある男をラッコの毛皮と言っていた」と教えていただきましたが、もっと知識が増えました※3。感謝。
推進機構のURLは以下。
http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem15.html
(講演録にある、当日配布された「資料」もUPして頂けたらうれしいいですね~)


昨夜の教会員の記念会も無事に行われ、今日はいつもの早朝祈祷会を行い、部屋で淡々と諸作業をこなしています。ガラス窓の外は雪がしんしんと降り積もっています。
明日は教会事務のため教区事務所へ行き、その後は奨学金事務とニサッタの会議、
明後日は市民外交センターの上村英明さんの講演があるので、札幌に二泊してきます。


※1坪井正五郎(1863~1913) 明治期の人類学者、考古学者。1884年東京大学理学部在学中に人類学会を創設、86年には「人類学会報告」を刊行した。1888年に同大学助手となり、北海道のアイヌ調査をおこなう。

※2鳥居龍蔵(1870~1953) 明治から昭和にかけて活躍した人類学・考古学・民族学研究者。東京帝国大学理科大学人類学教室の坪井正五郎博士に師事し、標本整理をしながら研究に専念。
そういえば、過日に国立民族博物館に行った際、鳥居龍蔵のコーナーがあった!調べると、同博物館のウェブページに1992年「鳥居龍造の見たアジアの研究」が佐々木高明代表によって行なわれたことが示されています。
http://www.minpaku.ac.jp/30arch/research/collaborative_research/100.html

※3 ラッコはひとつの毛穴から35本も毛が出てる! 1平方センチメートルあたりに生える人の毛が230本に比べて、ラッコは15万本! しかも、ラッコの毛には寒さを防ぐために毛の中に空気を含む層が入っているとか。って、ラッコ毛の話ばかりかい!!
他に、鮭の皮をなめすのは噛んで唾液を混ぜてしごくのが一番(ニブフ)とか、鳥羽衣一着にはエトピリカなどの鳥が60羽ほど必要だとか。アットゥシの素材は南方要素、紋様は北方要素だとか。食事のことも興味を持ちました。



マンモス発見!(網走北方民族博物館の展示場入口にて)


先住民族の権利に対するアプローチーカナダを例に

2009-01-20 10:26:46 | インポート
北大アイヌ・先住民研究センターの冬季シンポジウム(12/6)の報告の続きです。

佐々木利和(国立民族学博物館教授)さんの講演の感想に、文化人類学者の批判について触れましたが、考えてみれば、わたしの身近な文化人類学者は誠実そうな方ばかり(シンポの総司会をされた方も誠実そうな方でした・・・存じ上げないので「そうな」で失礼!)。
また、7月に開催された先住民族サミットにサポーターとして一緒に参加した学生さん達も、大変な下働きをよくしてくださいました。聞くところによると早稲田大や北大等で文化人類学を専攻されていた方が多くおられました。もっと先住民族の皆さんと交わりたかったでしょうに文句ひとつ言わず働きに徹してくれました。彼ら彼女らと出会えたことは昨年の一番の喜びでした。是非とも、論文を書き終えてすべて卒業されるのではなく、今後もアイヌ民族の権利回復のために一緒に進んでいきたいと願います。


さて、法律学からは佐々木雅寿さん(法学研究科教授・アイヌ・先住民研究センター)が講演されました。原稿に近いレジュメ(要点を書いたもの)も用意下さり、それを目で追って内容の付け足しもしっかりと聞けてよかったです。
内容は、カナダ憲法を参考にしつつ先住民族の権利に対するアプローチの仕方を模索したもので、カナダにおける先住民族の地位と権利の歴史をたどり、連邦政府の諸政策を紹介。
カナダの憲法では、3つのグループの明確な先住民族が認定されています※1(全人口の約4%を占める117万人。うち、ファースト・ネーションズ(北米インディアン)60%、メティス(先住民とヨーロッパ人の両方を祖先とする人々)33%、イヌイット(北極地方の人々)4%)
連邦政府はそれぞれのグループごとに異なる個別的なアプローチをしているそうです。
さらに、各々の先住民族と政府とは交渉という手段を重要視しているということ、
そして、政府の責任性(信託上の義務)を強調していること、
もうひとつ、権利内容の未確定の部分に関しては、その確定作業に当の先住民族も参加することが出来るという権利保障などの特徴が挙げられました。

その上で、日本ではどのようなことが考えられるかについて、以下の3つのアプローチの利点・欠点を紹介。

Ⅰ.個別的アプローチ
利点
 ①様々な文化や歴史を持つそれぞれの先住民族の独自性を維持できる
 ②各先住民族に固有の先住権を保障できる
 ③先住権の定義に適合する、等。
欠点
 ①権利内容の確定に時間とコストがかかる
 ②先住民族グループの聞に不公 平感や対立等の感情が生じる
 ③長年の努力の末、多様な権利を規定する国連宣言が採択されたにもかか わらず、そこで規定された権利の
  一部を認められない先住民族グループが発生する危険性がある、等。

Ⅱ.一般的アプローチ
利点
 国連宣言で規定された様々な権利をすべての先住民族グループに保障する。
欠点
 様々な文化や歴史を持つそれぞれの先住民族の独自性を無視する。

Ⅲ.折衷的アプローチ
利点
 ①原則として、国連宣言の諸権利をすべての先住民族に保障することができる
 ②国連宣言の中で規定された諸権利の中から、各先住民族グループに固有の先住権とそれ以外の権利とを区別できる
 ③国連宣言の中で規定された諸権利の中から、特定の先住民族グループにとって固有で重要かつ強く保障されるべき
  権利とそれ以外とを区別できる
 ④先住権の保障を求める際に、優先順位を 決めることができる
 ⑤固有の先住権保障に関しては、非先住民族も説得しやすい、等。
欠点
 保障される先住民族の権利の範囲が不当に制限される可能性。


これらを吟味しつつ、「交渉の必要性と政府の誠実対応義務」があること、「暫定的権利保護の必要性と手続的権利の重要性」、「社会全体の理解の重要性」、「アイヌ民族に関する学際的研究の重要性」などを訴えられました。


このように他国の、とりわけ先住民族の権利が勝ち取られている諸国の例を聞けるということは勉強になります。より具体的に交渉する方法を直接、先住民族の連帯の中で学べたらいいですね。

コメンテーターの阿部ユポさん(北海道ウタリ協会副理事長)の話もわかりやすかったです。阿部さんのお話もこの数年で4回ほど伺っています。

もうおひとりのコメンテーター辻康生さん(法学研究科教授・アイヌ・先住民研究センター)のお話も、カナダにおける多様性を認める流れは70年代から「ケッベック」「移住者」「先住民族」の諸権利に対する問題が交差して急速に進んだというお話など、体全体のパフォーマンスも豊かでよき学びとなりました。

※1 カナダ大使館URLより
 http://www.canadanet.or.jp/about/aboriginal.shtml


アイヌ民族情報センターのWEBサイトは、以下に引っ越しました。
今後とも、諸情報をUPしていきます。よろしくお願いします。
http://www.douhoku.org/ainu/
(この活動日誌ブログはこのままのアドレスです。)


札幌へ向かう途中の雄冬にある白銀の滝
赴任したてのころ、ここを通りがかり感動して「滝・滝・滝」と連呼してこども達に教えました。
すると不安な顔で「なにが来たっていうんよ」というではありませんか。
そう。連呼しすぎて「たきたきた・きた・来た、来た」と、後ろから恐いものが追いかけてきたと聞き違えたのです。
通る度に思い出します。


「文化人類学はなぜアイヌ民族を忌避するか」

2009-01-19 22:21:50 | インポート
さて、ずいぶんと経ってしまいましたが、過日の北大アイヌ・先住民研究センター冬季シンポジウム(12/6)のことを少し報告します。

テーマは「アイヌ研究の現在と未来:第二部」。
文化人類学、法律学、形質人類学の3分野から講演があり、それぞれに2名づつのコメンテーターがついて、多くを学ばされました。
おいおい、紹介していきたいと思いますが、今回は文化人類学の感想だけ。
講師は佐々木利和さん(国立民族学博物館先端人類科学研究部教授)。
とても残念なことですが、せっかくパワーポイントを使って講演されたのですから、そのまま印刷して配布してくださればいいのに(よく常本さんがされるように)。レジュメもなく、「よた話」の多いもので、正直、疑問も多く残りました。

テーマは「文化人類学はなぜアイヌ民族を忌避するか」で、ご自身が文化人類学者ではなく、また、「アイヌ」を研究したこともないと先に述べ、文化人類学およびその学者を批判。
人間が人間を研究対象にできるのかという疑問、フィールドワークという研究方法の問題※などを挙げました。

※フィールドワークの問題とは、例えば、ある村の長老から聞き取りをしたとしても、その長老が正しいことを言っているかどうかわからないと。実際にご自分もある長老から、学者がいろいろと訪ねてくるので面倒だから適当に答えたということを聞いたことがあると。

はて? 現在の文化人類学者たちはどうなのでしょう? 
インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「文化人類学」を開いても、そのあたりの問題はすでに提起されています(注・「フィールドワークとその弊害」の項参照)。ですからそのことを知らないはずはないでしょう。それでも同じ過ちを犯しながらの「研究」をしているとすれば、相当、問題だとおもうのですが、佐々木さんはその意味で相当ひどい「研究」が「文化人類学者」によって行なわれているということを言われたのでしょうか。
『ウィキペディア(Wikipedia)』 「文化人類学」の項は以下のURL
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6

お話(よた話)の中で、ご自分の勤めている国立民族博物館の「文化人類学者」らは、廊下ですれ違っても挨拶すら出来ないと嘆いておられた(そんなのがフィールドワークに行ってコミュニケーションが取れるはずがないと言われていた)ので、やはり、よっぽどひどいのでしょうか?

文化人類学者として、旧い日本絵の分析などもっとアイヌ民族研究のやるべきことがあるだろうという指摘や、
アイヌ民族研究が「忌避」されていることは「差別ではないか」との指摘は、ふむふむと聞いていましたが。

もうひとつ気になった「批判」は収集した資料に基本的な情報(いつ、どこで、だれが、何を、どのように、どうしたという5W1H)がないということで怒っておられました。あったかも知れない情報をないがしろにしたと言わんばかりでした。国立民族博物館の資料もそれらがないものが多い、と。
これはたいへん気になります。11/4のblogでも指摘しましたが、情報を付けられないわけがあったのでは?と。


佐々木さんは国立民族博物館ホームページの研究者紹介ページ主要業績他には以下の著書が挙げられています。
2004 『アイヌ絵誌の研究』東京:草風館
2001 『アイヌ文化誌ノート』 東京:吉川弘文館
1995 『アイヌの工芸』(日本の美術354)東京:至文堂
1988 『アイヌ語地名資料集成』 東京:草風館
1982 『蝦夷島奇観』 東京:雄峯社(谷澤尚一と共著)
2005 『街道の日本史1 アイヌの道』東京:吉川弘文館(古原敏弘・児島恭子と共編)
2005 「平沢屏山オムシャ図の世界」『国際日本学シンポジウム報告書 アイヌの歴史』:77-84 法政大学国際日本学研究所
※以下のURL参照(http://www.minpaku.ac.jp/staff/tosikune/)


ちなみに、佐々木利和さんの勤めておられる国立民族学博物館は日本における国立の民俗学の研究・情報センターです。同博物館のアイヌ民族担当が彼。
加えて彼は、文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官(歴史資料部門)でもあり、昨年より国土交通省で設けられたアイヌの伝統的生活空間の再生事業運営諮問委員会の委員でもあります。
(イオルの進み具合は同委員会のURLで確認できます。
http://www.mlit.go.jp/hkb/topimg/ainusimon.html)

国との関係もあり、おのずとこの度の「有識者懇」においても大きな存在となることでしょう。
ご自身が批判された「文化人類学(者)」とは、違って、アイヌ民族の声を傾聴し、アイヌ民族の権利回復のために働ける方であることを期待します。


佐々木さんの講演に対するコメントとして、野本正博さん(財団法人アイヌ民族博物館学芸員他)、本田優子さん(札幌大学文化学部教授)が講壇に立たれました。
自らアイヌ民族としてアイヌ研究をされておられる野本正博さんは、開口一番に、
「文化人類学(そしてその研究者)であろうが民俗学者であろうが、言語学者であろうがアイヌにとって「研究者」は「研究者」なんです。
その「研究者」はアイヌをどのように研究してきたのか、そしてその成果をアイヌがどのように利用しているのかということだけ興味を持っています。
では過去において「研究者」はどのような「研究」をしてきたのか。」「アイヌの求めに応じた研究をしてきたのか?」

と疑問を投げかけられました。

それを聞きながら、「文化人類学(者)」以外の、アイヌ民族に関係する学問(者)であっても、その批判を免れないことだと感じました。

本田さんの内容は紹介された自著「二つの風の谷」を読んでから、紹介を兼ねて後日に。


明日は7年前に天に召された教会員の息子さんの記念日です。急な病で倒れた彼は18歳の若さでした。
祈りをもって今日は記念会の準備を行ないました。まだ癒えぬご遺族の慰めをお祈りします。




荒れた札幌からの帰り道(石狩)。この海岸線をず~っと北上します。
路面が滑ったり前が全然見えなかったりと死にそうになることが度々あります。


「エメラルド・フォレスト」と「ぼくはこうして猟師になった」

2009-01-17 17:32:19 | インポート
明日は手稲はこぶね教会から礼拝のお話をしに来て下さるので、
準備をしなくてよかった分、昨日から事務仕事や映画鑑賞、読書をして過しました。


映画は「エメラルド・フォレスト」を観ました。
これは最近お知り合いになったODAさん(北大大学院文学研究科准教授)のブログを見ていて、紹介されていたもの。
(http://odahiroshi.blogzine.jp/webessay/2008/12/post_52af.html)

1985年のアメリカ映画で、先住民族とアマゾンの熱帯雨林「開発」の関係がテーマ。
内容に関しては、詳しくODAさんのブログに書かれているので興味のある方は是非!

わたしも読んで興味をわき、すぐに購入(1500円だったので・・・)して観ました。
とてもいい映画でした。紹介してくださったODAさん、ありがとうございます。

アマゾン川流域に住む「見えない人々」の成人になるための儀、婚姻の儀、葬りの儀なども興味深く観ました
(誇張されているようですが)。

エンディングに以下のことが書かれていました。

アマゾンの熱帯雨林は一日に20平方キロメートルの割合でなくなっています。
かつて四百万人いたインディアンは十二万人しか残っていません。
数種類の部族は外の世界と交わったことがありません。
彼らは我々が忘れてしまった事をいまだに知っています。







読書は、千松信也著「ぼくはこうして猟師になった」(リトルモア社)。
千松さんは三十代前半の若者。数年前に旭川の川村アイヌ記念館のチセ(笹の家)造りで一緒に仕事をした仲。
京都大学の後輩らを連れてよく働かれました。
彼は卒論で新渡戸稲造とアイヌ民族の研究を行い、「殖民学」について調べたというので読ませてももらいました。
分かりやすく良くできたものでした。
当時はすでに猟師だったのですね。どうりで山に笹を採りにいったときの山の歩き方が違ったわけだ。

お若いのに小さい頃には薪風呂だったり、大叔母さまやお母さんが豆狸(まめだ=全国各地に言い伝えが残っている
妖怪で、親指ほどの大きさでいたずら好き)を見た話や、ガタロ(河太郎=河童)の話が自然に話題になる環境で育ち、
虫や動物などともよく触れあった子ども時代を送ったようで、思い出ばなしもとても面白い。

この本には猟師になるまでの話から、ワナの説明や実際に獲物をどう捕るか、さらに、処理の仕方、食べ方までと、具体的。
初めての鹿猟もイノシシ猟も仕留めるまで読みながら緊張するほど細かく描かれています。
猟師になりたい人への貴重な入門書と言えるでしょう。

猟をするには免許がいること、猟には期間が設定されている(11月15日~2月15日)こと、
獲ったらいけない非狩猟獣(猿など)がいること、狸やキツネは臭くて煮ても焼いても喰えない事、
いがいにアナグマは旨かったこと、どんぐりを食って育ったイノシシは脂がのって旨いこと、
イノシシの心臓の刺し方は前足から後ろへ指三本ほどの中心からがいいこと(牡丹鍋にするバラ肉を傷つけなくてすむ)、
内臓を傷つけないように解体すること(破れて肉に臭みが付かないように)、特に膀胱と肛門の処理は丁寧にすること、
内臓を取ったあと鮮度を保たせるためにすぐに氷などで冷やすこと、
カラー写真でイノシシと鹿の解体方法や皮のなめし方まで載っていました。

イノシシ肉ベーコンや鹿肉オイル漬けなどのレシピ、睾丸や血、耳や骨スープ、さらにイノシシの胆のう(薬)の使い方も。

そして網猟では無双網やすずめ猟のメカニズム、捕獲したカモの人差し指だけでのすばやい血抜き方法などなど・・・。

すんげぇ~生き方してんなぁ~と、感心しつつ、あっという間に読み終えてしまいました。

猟師である二人の師匠と出会い、ワナ猟、網猟の技術や知識、さらに狩猟にあたっての心構えから
自然に対する考え方なども学ばせてもらったそうです。
今では、けもの道に付けられた痕跡で動物の姿が見えるようになったとか。ワナ猟のマナーについても書かれていました。
毎日見回れるよう1時間ほどの距離に仕掛けるのだと。数日おくとワナにかかった獲物が死んで血が抜けず臭みが残ったり
腐ったりして食べられなくなってしまうのだと。自分が獲った獲物は最大限努力して美味しく戴くことがその動物に対する
礼儀だし猟師のマナーだと。

あとがきで彼はこんなことを書いています。

「七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的な
レベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。
地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、
他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、
とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、
そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います」


う~ん。分かるような気がします。
自分は命の大切さを分かっていないかも・・・とも。
さらに、彼は自然との共生の大切さについても述べていました。

読みながら、アイヌ民族も狩猟民族としてこのような豊かな生き方をしてきたんだろうな、と思いました。
お勧めです。薦めてくれたHATAさんありがとう!





朝焼けの大雪(12日早朝の網走に向かう途中で)

北海道内水面漁業潮整規則

2009-01-16 14:25:13 | インポート
前回の小野有五さんの講演に配布された資料で、「川漁に関する規制法令等」というものがあり、興味を持ちました。
そこには「北海道内水面漁業潮整規則」の抜粋があり、こちらでも調べてみましたら、「釣フォーラム」のURLにその規則全部がUPされていたので紹介します。
(http://fishing-forum.org/naisuimen/naisui_06.htm)


北海道内水面漁業潮整規則(昭和39年11月12日規則第133号)

第1条(目的) この規則は、漁業法第8条第3項に規定する内水面における水産資源の保護培養、漁業取締りその他漁業調整に関し必要な事項を定めることを目的とする。
第22条(禁止区域及び禁止期問) 次の表の上欄に掲げる水産動物は、それぞれ同表下欄に掲げる期間は、これを採捕してはならない。さけ=周年。
第27条(試験研究等の適用除外) この規則のうち水産動植物の種類若しくは大きさ、水産動植物の採捕の期間若しくは区域又は便用する漁具若しくは漁法についての制限又は禁止に関する規定は、知事の許可を受けた者が行なう試験研究、教育実習又は増養殖用の種苗(種卵を含む。)の自給若しくは供給(以下本条において「試験研究等」という。)のための水産動植物の採捕については、適用しない。


鮭はこの第27条の規定により、伝統的な儀式もしくは漁法の伝承および保存ならびにこれらに関する知識の普及啓発を目的とした採補として許可がでるそうです。
漁業権についての規則を具体的に見ることが出来たのはうれしいですね。

さらに、「国有林野の利用活用について」も記されていました。
国有林野への入林許可、山菜、樹木等の採取手続きがどうなっているかというと、

1.鹿猟の入林許可
  エゾシカ入林承認申請書(手数料500円)の提出により入林承認を受ける。
2.散策・ハイキング等
  一般入林承認申請書(無料)により入林承認を受ける
3.山菜採取
  ①個人で食べる程度のものは、散策などの目的の中に含めており、特に許可を必要とする項目としていない。
  ②ただし、販売等を目的とした採取については、採取する山菜の種類と区域を設定し、
   区域内の三歳の量により料金を決定し販売(採取許可)している。
4.オヒョウ等の樹木の採取
  ①これまでも、立木の販売については、造林事業者等へ販売しており、個人への販売は行なっていないが、
   平成19年度までは、アイヌ団体からの買い受け希望を森林管理局長が受け、森林管理所で立木の販売をしていた。
   しかし、平成20年度から取扱が変更となり、アイヌ団体からの買い受け希望を原木(丸太の状態)に限定する
   ことになり、これを森林管理局長が受け、森林管理署で販売することになった。 以下、略。
   (資料:北海道森林管理局上川中部森林管理署聞き取り)


なるほど、こんな規則もあるのですね。

かつてアイヌ民族は、自分の生活しているところで自由に鹿やさけを捕ったり、山菜を採集し、オヒョウの皮を取って着物を織ったりしました。
ところが、明治に入ってから次々と権利を奪われていきます。

以前にも書きましたが、アイヌ民族に対するさまざまな禁止令を追ってみます。
まず1871年に戸籍法によりアイヌ語名を奪います。同年、家屋自焼の禁止、入墨、耳輪、言葉(文字)等の禁止。
1876年、開拓使は鹿狩規則を定め、アイヌの伝統猟法、仕掛け弓・毒矢の使用禁止し銃器を使用する事を命令。この頃、アイヌの戸籍がほぼ完成するがアイヌ一般に氏(うじ・苗字)を用いるように通達。
1878年、札幌郡内の河川で鮭漁禁止(根室では1883年に禁止)。
1889年、鹿猟の道内前面禁止。

アイヌ民族の生産と生活の場が根底から奪われていくのです。幕藩制国家もアイヌ民族に対する支配と収奪はありましたが、それとは比較にならないほどの早さで根底から破壊されていきます。

国連が先住民族の権利宣言を可決し、日本政府がアイヌ民族を日本の先住民族として認めた今日、奪われた権利をどうお返しするかが問われています。

自然に抱かれ、共に生きていたアイヌ民族はオヒョウの樹皮を取る時も、木が死なないように樹皮の三分の一だけを剥ぎ、その剥いだ木に帯を結んで感謝を示したといわれます。
今では、樹皮を得るにも一本まるまる切り倒さないといけなくなったと、ある方がなげいておられました。




土地や資源対する権利

2009-01-16 10:45:50 | インポート
14日(水)は、アイヌ奨学金事務を兼ねて札幌へ行き、さっぽろ自由学校「遊」2008年度後期講座「『先住民族の権利に関する国連宣言』を読む」を聴講して来ました。
テーマは「土地や資源に対する権利」、講師は小野有五さん(北海道大学大学院地球環境科学研究院教授)。
この二年で小野有五さんのお話を四回聞かせて頂いています。いつも整理された内容でわかりやすく、また今回も多くの資料を出して下さいました。

今回は「先住民族の権利に関する国連宣言」(以下、『宣言』)の土地や資源に関する権利についてですので、『宣言』の第25条から29条が焦点となりました。
小野さんはここから「10のキーワード」を以下のように取り出し、その後に問題・課題を挙げて説明されました。

1.「伝統的に所有。もしくはその他の方法で占有または使用してきた」(25~28条に共通)
 ※アイヌは土地や領域、水域、沿岸域、その他の資源を伝統的に所有したか?
 ※アイヌにとって占有とは何か?
2.「土地、領域、水域および沿岸域、その他の資源」
 ※アイヌにとっての資源とは?
 ※アイヌの伝統的な土地所有制度とは?
3.「独特の精神的つながり」(25条)
 ※アイヌは、土地や領域、水域と独特の精神的つながりを持っていたか。
4.「所有し、使用し、開発し、管理する権利」(26条)
 ※アイヌが土地や水域との精神的つながりを維持し、強化するとは?
5.「関係する先住民族の慣習、伝統、および土地保有制度」(26条)
6.「公平、独立、中立で公開された透明性ある手続き」(27条)
 ※アイヌにとって公開された透明性ある手続きとは?
7.「原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により」(28条)
 ※アイヌにとって現状回復とは?金銭的補償とどちらがいいのか?
8.「環境ならびに生産能力の保全および保護に対する権利」(29条)
 ※アイヌにとって環境を保護・管理するとは?
9.「自由で事前の情報に基づく合意」(29条)
 ※「自由で事前の情報に基づく合意」とは?
10.「有害物質のいかなる貯蔵および廃棄」(29条)
 ※アイヌは、原発や核廃棄物の地層処分に反対するか?


そもそもアイヌに土地に対する所有概念の考えはないといわれています。サーミ民族も同じだけれど、サーミは使用していた土地を出るときには生活の跡を残さないように配慮しているそうです。
アイヌは「所有」概念はなかったが、そこに住み、食べ物を捕獲・収集し祈るなど、占有(もっぱら使う)・使用はしていたし、独特な精神的つながりを持っていたとして、チノミシリ(祈りの場)や、Nitatorunpe(谷地の魔神=知里幸恵著「アイヌ神謡集」にある湿地の神)を例に出して説明をされました。

さらに、小野さんは土地権利に『宣言』第13条を加えます。

第13 条【歴史、言語、口承伝統など】
1. 先住民族は、自らの歴史、言語、口承伝統、哲学、表記方法および文学を再活性化し、使用し、発展させ、そして未来の世代に伝達する権利を有し、ならびに独自の共同体名、地名、そして人名を選定しかつ保持する権利を有する。
2. 国家は、この権利が保護されることを確保するために、必要な場合には通訳の提供または他の適切な手段によって、政治的、法的、行政的な手続きにおいて、先住民族が理解できかつ理解され得ることを確保するために、効果的措置をとる。
「市民外交センター仮訳2008年7月31日」

アイヌ民族にとっての土地の権利は、アイヌ民族みずからの歴史や伝統、(芸術)などと深いつながりがあるんだ、と。
確かに、アイヌ民族はその住んでいたところで文化的、宗教的なことを育み(『宣言』11~13条)、教育や労働を行なってきた(『宣言』14~17条)のですから、それらの権利と密接につながっている重要な権利なのですね。

小野さんは現在、アイヌ語地名の並列表記を主張されています。地名回復は重要だ、と。
確かにわたしもそう思います。以前にわたしたちも道内の諸教会のある地名を全部調べてアイヌ語の説明を加えてポスターにして諸教会に送ったことがあります(08年3月3日blogにあります!)。自らが活動している地の名前がアイヌ語から来ていることを意識する必要があると思います。

あらためて『宣言』25~29条の重要さを学びました。




道立北方民族博物館~年頭修養会

2009-01-14 10:14:36 | インポート
12日(月)は早朝5時に家を出て、300キロひたすら走り、午前中に網走へ。
道立北方民族博物館を2時間ほどじっくりと観ました。
各展示場にテレビが設置されていて、それぞれの民族の映像が流れています。
「狩猟」展示場の映像にはオットセイや一角獣を獲っているところなど、興味津々。
映像の中に、ドキュメンタリー映画「極北の怪異(極北のナヌーク)」の映像もありました。
なかなかじっくり観ることが出来ます。
出来たら所々に折りたたみ椅子でも置いていてくれたらうれしいですね。





その後、北見に戻って、いざ一泊二日で行なわれた年頭修養会へ。

毎年、道内の70近くの諸教会から400名から500名がこの季節に集まり、学びの時を持ち、連帯を確認しあうのが年修。
今年は少なく、250名が集まりました。

この時ばかりと、わたしたちアイヌ民族情報センターも活動のアピールをします。
今回は、期間中の書籍販売のみ。数冊売れました。
書籍だけではなく、アイヌ民族の皆さんに協力頂いて、小物など販売できたらと考えています。
Tシャツやカレンダーも販売したことがありました。





今日はこれからアイヌ奨学金関連の支払いなどの事務のため、
そして、自由学校“遊”の下記の講演を聞きに今から札幌へ向います。


さっぽろ自由学校「遊」2008年度後期講座
「先住民族の権利に関する国連宣言」を読む

2009年1月14日(水)18:30~20:30
テーマ:土地や資源に対する権利
ゲスト:小野有五さん(北海道大学大学院地球環境科学研究院教授)

先行案内
2009年2月18日(水)
テーマ:先住民族と教育
ゲスト:清水裕二さん(少数民族懇談会会長)
 野元弘幸さん(首都大学東京准教授・NPO法人保見ヶ丘ラテンアメリカセンター代表理事)
受講料:単発 一般1,500円 会員・学生1,000円)


イースター島の歴史

2009-01-11 20:59:40 | インポート
9日(金)に、北大アイヌ・先住民研究センター主催の講演を聞きに行って来ました。
テーマは『ラパヌイ(イースター島)の先住民社会と考古学、およびラパヌイ先史学の新たな視点』。
ハワイ大学教授のTerry L. Hunt(テリー・ハント)さんのお話。

イースター島は皆さんご存知のモアイ像がある島です。
でかい顔の像が「ぷっちょ食べたい」と言っているCMぐらいしか知りませんでしたので、興味深く聞きました。

この島の歴史として通常語られているのは、
紀元1200頃にイースター島に渡ってきたポリネシア人は自分達の自然環境を自らの手で破壊し、
それによって自分たちを滅亡へと追いやった、というものだそうです。
確かに木一本もなく、見渡す限り草原のようで(奥のほうには植林された森林が少し見えた)、
目立つのは巨大なデカ顔像のみ。

ジャレド・ダイヤモンドという人が著書『文明崩壊』(邦訳は草思社から)に、その説を紹介しているようで、それなりに市民権を得ている説だったようです。

しかし、今回の講師のハントさんは考古学や古生態学調査というもので、あらゆる調査を行ない、科学的に歴史を書き直しているというのです。
結論は、ポリネシア人が自然破壊をしたのではなく、ポリネシア人と共に渡ってきた太平洋ネズミの激増ゆえに当時あったヤシの実が食べられ、木がなくなった。しかし、それでもポリネシア人らは畑などを作りながら安定した生活を送っていた。
そこへ1700年代後半に、ヨーロッパ人らがやってきて持ち込まれた病気や奴隷化により島自体が崩壊していったということのようです。

ハントさんらは地層調査をして年代はもちろん、その地層に含まれている植物の種や花粉、動物の化石などを調べて以上のような結論に達したとのこと。

このことを一緒に聞いていたディヴァンさん(台湾原住民族宣教師)は、同じく台湾も1700年代にヨーロッパ人らの植民地政策によって人口が激減したんだと教えてくれました。

ハントさんらはこれらの調査をするに当たって、以下の手順を踏んで行くそうです。
① はじめに調査地域の先住民族の長老たちに研究の説明と同意を得る。
② 地元の先住民族の高校生達に研究の協力を得て、すべてに関わってもらう。
③ 高校生達の家族らなどが興味を持ってくれるので成人対象に参加呼びかけをする。
④ 調査結果については公開で報告会や討論会などを行なう。
結果、正しい歴史を地域全体で共有できるようになる。
さらに、ハワイ大学のハワイ先住民族の学生とイースター島の先住民族の高校生たちとの交流が生まれ、そこから豊かな共感からくる深まりが起きている、と。

いいですね~

感想としては、直接、今のアイヌ民族の権利回復に関する動きとは関係していませんでしたので、今でなくてもよかったと思ったのですが、過去の誤った「歴史」を正しく修正することのできるフィールドワークができるのだというモデルをイメージできたという点で、布石として聞けて良かったです。

地域を巻き込んでアイヌ民族の正しい歴史を掘り起すことができたら、マジョリティーも変わっていけますよね。

いくつか聞きたいことがありましたが今回も聞きそびれてしまいました。
英語で質問を書いておきます。

① Please teach the size of the rat.
   (島の木の実を食らいつくすほどのネズミの大きさは、さぞ大きかったのでは?)
② Please teach the method of researching the population transition.
   (人口推移の調査方法はどうするのですか。なにか記録が残っているの?)
③ Please give the photograph to me. It makes it to the background of PC.
   (使われたモアイ像のあの写真をいただけませんか? パソコン画面の背景にしたい!)


今回もパワーポイントを使って写真一杯の講演でしたが、手元にコピーを頂けなかったのは残念でした。



明日から北見で北海道内諸教会の最大の一泊修養会(年頭修養会)に出かけます。情報センターのアピールとアイヌ民族関連の図書販売に行ってきます。
朝4時に起きて、少し足をのばして網走の北方民族博物館に行き、じっくり観てから遅刻して向かいま~す。




北大アイヌ・先住民研究センター1月講演

2009-01-06 20:02:49 | インポート
以前のことです。
「遺伝子」が話題になったとき、その専門を国立大学で学んでいる学生さんにお願いして
教会で「分かりやすい遺伝子のはなし」という勉強会を開いたことがあります。
こどもやお年寄りにもわかりやすかったのがとてもうれしかったですが、
それ以上にその学生さんの「国立大学で学ばせて頂いているので学んだことを皆さんにお返しするのは当然のことです」と
言われたことばに感動。
ふと思い出して懐かしんでいます。


さて、新年早々に、北大アイヌ・先住民研究センター主催で以下の講演会があります。
同センターもアイヌ民族の権利回復に向けて、たいへん役立つ情報を提供してくれています。
しかも無料ですからうれしいですね。

ただ、やはりその場にいけなくてもインターネットで見聞きできるように整えてもらえたらうれしいですね。
同時に、インターネットができる環境が整っていない方たちへの学習環境の模索ができたらと願います。
わたしも学んだ知識を、出来るだけわかり易くこのブログにUPすることを努めます。
そのことによって、いつどなたから聞かれてもわかり易く説明出来るように訓練しています。
(それでも、難しいと言われるので、今年はより努力しようと思います)



講演会ご案内

テーマ: 『ラパヌイ(イースター島)の先住民社会と考古学、およびラパヌイ先史学の新たな視点』
日 時: 1月9日(金)18:00~20:30
報告者: Terry L. Hunt(テリー・ハント) [ハワイ大学教授]
会 場: 北大人文社会科学総合教育研究棟(W棟)2階W202号室
※ 参加自由、無料
※ 通訳つき


●先行告知
アイヌ・先住民研究センター、北大総合博物館共催 企画展示
テエタシンリツ テクルコチ
先人の手あと 北大所蔵アイヌ資料―受けつぐ技―
2月1日(日)~3月29日(日)
北大総合博物館3階 企画展示室
※ 入場無料
※ 詳細は後日

詳細は以下のURLを。
(http: //www.hucc.hokudai.ac.jp/~b20232/framepage1.html)



冬ですね~