アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ語を教える学校

2007-11-30 05:22:52 | インポート
今日は11月最後の日。ブログ更新もそれなりに出来ました。いつも見て下さり感謝です。
冬に入り、寒い日が続きますのでブログも暖かみのある配色で模様替えをしました。
今日はアイヌ民族委員会で札幌に出ます。ついでに調べものもしてきます。
遅くに帰ることになるので、今のうち更新しておきます。


昨日の補足ですが、
バチェラーさんは幌別の愛隣学校をはじめとして、春採(はるとり1891)、
茂尻矢(もしりや1891)、頓化(とんけし1891)、塘路(とうろ1891)、白糠
(しらぬか?年)、姉去(あねさる?年)、函館(1893)、白人(ちろっと1896)
釧路、十勝に学校を設立します。
その生徒の中から優れた教育者や伝道者が出ています。

アイヌ語を使用禁止にした政府はこれに危機感を持ちます。
そこで1901年にアイヌ小学校(一般に「土人学校」と称した)の設立に踏み切ります。
「旧土人保護法」7,9条にそって、1901年より10ヵ年計画で行なわれました。平取から始まり、
1940年の全廃までに29校が設けられます。

その教育内容は偏ったもので、アイヌは「心性ノ発達和人ノ如クナラザル」として一般の修学年齢より
1年遅らせて7歳からとしたり、6年制を4年間に短くしたり、科目も歴史、地理、理科は除かれ、
「修身と国語とは国民的性格養成上特殊の地位を占むべく…」と、皇民化教育を徹底するものでした。

アイヌ語も禁止され、さらに時々、「高貴な来賓=皇族」が来て見世物にされたりと、
民族固有の文化を尊重し守り育てる教育ではなく、民族性を全面的に否定し皇民化を行なったわけです。 


そんな中で、バチェラーさんは堂々とアイヌ語を教えていたわけです。
また、ご存知のように教会においてもアイヌ語を用い、聖書もさんびかもアイヌ語で翻訳して用いたのです。

※明治政府はもう少し前からアイヌの教育をしています。
 1877年に対雁に学校設置、その後も瀬棚、千歳、白糠など学校を建て、
 中には農耕を熱心に教えたりしたものもあったのですが、ほとんどはアイヌ
 文化に理解のない押し付けだったためこどもたちは激減し、失敗に終わっています。
                    
                         小川正人著「近代アイヌ教育制度史研究」参照


寒い日が続きます。ご自愛下さい。


金成太郎さん

2007-11-29 18:23:42 | インポート
今日は木曜なので午前中は作業所のメンバーと最後の宛名シール貼りを行いました。
アイヌ奨学金募金趣意書封筒と機関誌「ノヤ」発送のための、あわせて4700通もの
封筒に宛名シールとメール便バーコードを2ヶ月かけてすべて貼り終えました~。

午後は明日のアイヌ民族委員会での報告まとめや教会の事務を行ない、
瞬く間に、一日が終わりそうです。
今日も「伏流―金成太郎伝」(富樫利一著)が読めずでした。

金成太郎さんについて以前に調べたことを書きます。
「伏流」には資料を駆使して太郎さんの伝記が書かれているそうです。

太郎さんは英国聖公会の宣教師J・バチェラーさんと深い関係があります。
J・バチェラーさんは1876年にCMS(英国聖公会海外伝道協会)の学生宣教師として海外に出向いたのですが、
翌年1877年に香港でマラリヤを患い、静養のために函館に来ます。
そこでアイヌ民族と出会い、実に23歳から86歳(1940年)までの63年間、アイヌ民族と共に生活を送ります。

函館でアイヌ民族と出会った翌年に平取を訪ね、親交を深めていきます。
しかし、事情があり、平取での活動を一時期断念せねばならなくなり、活動拠点を幌別に移します。

そこで、バチェラーさんは金成太郎さんと出会います。
太郎さんは師範学校生徒でありながら、師範学校付属小学校で和人児童を教え、給料ももらっていたほど優秀であり、
家も豊かでした。
卒業後は和人の学校の教師をと期待していたのに、それまでも和人からねたまれ、差別を受けて夢叶わず、
幌別へ帰郷します。その時に、バチェラーさんと出会い、共に聖書を読み、祈祷書をアイヌ語に翻訳していく中で、
太郎さんはキリスト教に傾き、アイヌとしての受洗者第1号となります。

補足ですが、金成太郎さんのいとこには、ユーからの伝承者として有名な金成マツさん(後に聖公会伝道師)や、
その妹さんの娘で「アイヌ神謡集」の著者の知里幸恵さん、その弟でアイヌ語学者の知里真志保さんという優秀な
人が出ています。

1885年にはバチェラーさんの構想により、金成太郎が先生となってアイヌ児童を集めての「相愛学校」が発足します。
教える目標を
「神の前に人は平等であり、互いに助け合う愛の心を育てること」
と定めます。

3年後、太郎さんの募金活動による和人達からの寄付、CMSからの援助、地元アイヌたちの寄付によって、
国道沿いに「相愛学校」の精神を引き継ぎ、待望のアイヌ学校「愛隣学校」(挿絵)が設立します。
生徒はアイヌ児童15名、和人児童1名の16人。
校長は金成太郎さん。生徒はローマ字を習い、アイヌ語の読み書きを覚えた。
また、日曜日は教会学校となり、和人児童12名も加わり聖書を学びました。

太郎さんは学校長として水を得た魚のように児童達の教育に当たる一方、募金集めにもほん走したのですが、
和人達の無理解から意外なほど協力を得られず、彼の失意は大きかったんですね。
禁止されていた酒におぼれ中毒症になり、校長としての職務をはたせなくなって解任されます。
一時期、そのことを悔いて立ち直ったのですが、肺結核を患い1895年30歳の若さで永眠します。

ひとりの優秀な学生であり教師になる夢をもった存在を、アイヌと言うことで職を奪い、未来を奪い、希望を奪ったわけです。
さらに愛隣学校は室蘭の郡長が来て条約区域外との理由で取り壊されます。

私事ですが、この取り壊された後の土地に、わたしの育ての母が住んでいた、ということが先日、わかりました。
なんということでしょう。バチェラーさんや金成太郎さんのことを何も知らずに住んでいた母が後々にキリスト者になり、
その息子が伝道師になり、しかも、アイヌ民族の権利回復の働きに連ならせて頂いているのですから。
不思議さを感じます。
 
 参照:J・バチェラー著「我が記憶をたどりて」 仁多見 巌著「異境の使徒」他


数年前に母が昔の家を訪ねたときの写真。本人に無許可なので顔はぼやかせています。


アタネ

2007-11-28 22:03:37 | インポート
今日も寒気がやってきて留萌は大荒れでした。
午前中にアイヌ奨学金募金趣意書・機関誌ノヤ発送の段取りをして、
留萌市立図書館に行き、事前に道立図書館に依頼していた本を受け取ってきました。
伏流~金成太郎伝(富樫利一著)をバチェラー関連で読もうと楽しみにしていました。

さて、読もうとしたら電話がなり、札幌在住で海山応援団代表の鍋沢さんという方からで、
すぐ近くに来たから寄りたいとのことで、来て頂きました。

鍋沢さんからは先週の末に、はじめてお電話を頂き、今週末にお話に伺おうとお電話しようとした矢先でした。

はじめてお会いするとは思えないほど話がはずんで、瞬く間に3時間が過ぎるほどでした。

沙流川アイヌとしての歩みと、その初めてのお話ばかりでしたので、うなづくばかりで今日は終わりました。
自分なりに確認していきたいと思います。

お別れに、わたしたちが自然農法で収穫した赤花豆を差し上げたら
アイヌ古来の野菜、アタネを下さいました。
なんとも貴重なもので、受領のサインをするほどのものとのことでさせて頂きました。
さっそく、カブのように塩もみして頂きました。とても歯ごたえがありました。
瞬く間の一日でした。
金成伝は、また後日に。

明後日の金曜日はアイヌ民族委員会が札幌で開催されますので、
アタネの漬物をみんなに食べてもらおうと思います。



これがアタネ


イヴェント情報 その2

2007-11-27 20:10:20 | インポート
イヴェント情報続きです。
いつか、イヴェント情報案内だけのブログを作ろうとおもいます。
皆さんからの情報もお待ちしています。


※財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構設立10周年記念シンポジウム
 ~「アイヌ文化振興事業の10年と今後のあり方」~
  1997年7月に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発の関する
  法律」が施行され、同時にこの法律に規定する事業を実施する財団法人アイヌ文化振興・研究推
  進機構が設立されて以来、今年で10年を迎えました。
  10年間の事業について振り返り、今後のあり方などについて討論するために以下の通り、シンポ
  ジウムが行なわれます。

  日時:2007年12月4日(火) 18:00~20:00
  場所:札幌市教育文化会館小ホール  入場:無料
  内容 ・基調講演  佐々木高明 元国立民族学博物館館長
      ・パネルディスカッション(加藤 忠、阿部一司、佐々木高明 他)

  ◆問合せは 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 事業一課
    http://www.frpac.or.jp/index.html へ

※学校教育におけるアイヌ文化に関する講習会
  アイヌ民族の歴史や文化をこどもたちにどのように伝えるかの取り組み学習会研究会。
  <札幌会場> 2008年1月 8日   <東京会場> 2008年1月25日
                       
  【札幌会場】の案内
  日時:2008年1月8日(火)13:00~16:00
  会場:かでる2.7「710会議室」(札幌市中央区北2条西7丁目)
  内容:講師:中村和之 函館工業高等専門学校教授
      改訂版『アイヌ民族:歴史と現在』を中心とした、アイヌの歴史と文化についての講演。
     事例発表
      発表者:石黒文紀 釧路市桜が丘小学校教諭
      今年度末に発行予定の改訂版『アイヌ民族:歴史と現在』を取り入れた授業の模様を発表。
      発表者:野本久栄 アイヌ文化活動アドバイザー
      小・中学校などでアイヌ文化活動アドバイザーとして児童・生徒を指導した時の様子、感想、
      アイヌ民族としての思いを発表します。
     講師、事例発表者、受講者による意見交換
      アイヌ文化に関する疑問、アイヌ文化についての学習を授業に取り入れる上での疑問や
      意見を出しあっていただき、今後の取り組みにつなげていただきます。

 【東京会場】の案内
  日時: 2008年1月25日(金)15:00~18:00
  場所: アイヌ文化交流センター(東京都中央区八重洲2丁目4-13)
  内容: 講演 講師:岡田路明 苫小牧駒澤大学教授
        改訂版『アイヌ民族:歴史と現在』を中心とした、アイヌの歴史と文化についての講演。
       事例発表・発表者:白石 浩 習志野市立第一中学校教諭
              アイヌ文化活動アドバイザー派遣事業を活用し、全校生徒を対象に行った
              「人権集会」についての事例を発表します。
             ・発表者:宇佐照代 アイヌ文化活動アドバイザー
              小・中学校などでアイヌ文化活動アドバイザーとして児童・生徒を指導した時
              の様子、感想、アイヌ民族としての思いを発表します。
       講師、事例発表者、受講者による意見交換


申込要領など詳細は財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 事業一課
    http://www.frpac.or.jp/index.html へ



いよいよ本格的な冬です。ホワイト・アウトが日常の留萌です。
毎日が暗く、この写真が平日です。


イヴェント情報 その1

2007-11-27 19:44:12 | インポート
帯広百年記念館内にアイヌ民族文化情報センター「リウカ」が2006年に作られました。
そのHPにたまたま遭遇し、大変、重宝しています(ありがとうございます)。
勉強にもなるし、情報も得られるのでとても便利です。
わたしが知らないだけかも知れませんが、このようにまとまったアイヌ民族関連のイヴェントニュース・情報を出してくれている所はありません。
そのため、気がついたら数日後に開催されると焦ったり、すでに遅しと悔やんだりということが多くあります。さらにわたしには土曜日、日曜日が出にくいという事情が加わるので、
なおさら早めの情報が欲しいので、ここはわたしも時々チェックしています。
同センターHP http://www.museum-obihiro.jp/shisetsu/shisetsu.html

さて、今後の「情報その1」をここでもUPさせて戴きます。


※北海道大学 アイヌ・先住民研究センター 講演会
 内容: 「言葉を再び活性化するために役立つオンライン資料-ハワイ語の事例を中心に-」
 講師: 塩谷亨[室蘭工業大学工学部准教授]
 日時: 11月30日(金)18:00~20:00
 会場: 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟(W棟)3階 W309号室
 参加自由,無料.

※北海道大学アイヌ・先住民研究センター主催 国際シンポジウム
 内容: 「アイヌ文化振興法の過去・現在・未来」
 日時: 2007年12月15日(土)午後1:30-5:00,16日(日)午前10:00-午後5:00
 会場: 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟W203号室
 報告: メロディ・カピリアロハ・マッケンジー(ハワイ大学先住民法研究センター長)
      ジョン・ヴァン・ダイク(ハワイ大学ロースクール教授)
      キャロル・エリック(SRI財団広報教育部長)
      ジョー・ワトキンス(オクラホマ大学先住民研究センター長)
      岩崎まさみ(北海学園大学教授)
      萱野志朗(萱野茂二風谷アイヌ資料館館長)
      北原次郎太(アイヌ民族博物館学芸員)
      スチュアート・ヘンリ(放送大学教授)
      常本照樹(アイヌ・先住民研究センター長)


詳細は同センターHPへ 
http://www.cais.hokudai.ac.jp/

アイヌ文化振興法制定10周年を記念し、同法の課題と展望を総合的に検討する国際シンポジウムを開催。
この法によって何が期待されていたか、実際はどうであったかを未来の希望を沿えて話し合う会。
さらに、このたび採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」の検討を踏まえつつ深める会。
むちゃくちゃ楽しみです。が、日曜日は参加できないのが残念!




オオワシの飛んでるところ(初山別の海岸にて) 羽を広げた長さは2メートルを超える


苫前だベヤ~

2007-11-27 17:13:38 | インポート
今朝はアイヌ奨学金の事務を作業所メンバーと行なっていました。
そろそろ募金趣意書や、センター情報誌「ノヤ」の印刷が上がってくるころなので
いよいよ最終準備に入ります。クリスマス前に発送できるように気合いを入れます。

昨日は初山別の教会員宅で家庭集会でした。
初山別(しょさんべつ)より30キロほど手前、留萌から40キロほど北上した処に
苫前(とままえ toma-oma-i えんごさく・ある・ところ 上原地名考※)という町があります。
 ※西蝦夷日誌では「enrum-ina-moi 岬に・ある(いりこんでいる)・入り江」
                          (山田秀三著 「北海道の地名」参照)

町役場に巨大な熊の像が立っています。4メートルもあるかと思われるその像は、
立ち上がって前足を広げて牙をむき出し、今にも襲いかかりそうなのです。
しかも、夜は目に電球が入っていて光る!

その像の上には、歓迎の挨拶が掲げてあり、
「苫前だベヤ~」となんともがっくりくるダジャレが添えられているので、
熊の怖さは滑稽へと転落するのですが(写真撮って載せればよかった・・・)、
なぜ、巨大熊かと言うと、1915年の12月にヒグマの大被害が起きたからです。

苫前の町から数十キロ山に入り込んだところに三渓というがあります。
当時、十数戸が暮らしていました。
大抵のヒグマは秋に栄養を蓄えて冬眠します。しかし、秋にたらふく食べられず
冬の間も食べ物を探してうろつくものを「穴もたず」というそうですが、
その「穴もたず」が村を襲い、犠牲者7名、そして3名に重症を負わせたのです。

話は「熊嵐」という小説や映画にもなりましたので聞いた人がおられるでしょう。
本多勝一著の「きたぐにの動物たち」にも掲載されています。
最初の犠牲にあった人の葬式をしている所にもその熊が襲ってきたということですから、
本当におそろしい話です。

家の壁をぶち抜いて牙をむき出した巨大熊の顔が出ているセットが
苫前町歴史資料館内にあるのを数年前に見に行ったことを記憶していましたので、
今回、再確認をしようと資料館を訪ねたら、11月から休みに入っていました。残念!

この資料館にはアイヌ民族のチセ(家)もあるんだと旭川川村カ子トアイヌ記念館の
川村館長が以前教えてくださったので、それも確認したかったのですが。

今年の夏の水不足で山の木の実が育たなかったのか、
秋にはヒグマ出没の話がよく聞かれました。
留萌近くで突然に道路脇から巨大熊が出てきて車と接触して車は大破し、熊は逃走!
目撃証言も街中でもあったほど。

人を襲う熊をアイヌ民族は「キムン・カムイ」(悪い神)と言って、
捕えた後に、カムイ・モシリ(神の世界)に行けないように、死体をうつぶせにして埋めるのだそうです。
(川村館長談)



初山別の少し手前の海岸 一日いても誰一人来ない長い海岸線。
家庭訪問の前後に散歩するところです。ガラスの浮きが時々漂着してます。


道北地区集会

2007-11-25 08:38:43 | インポート
23~24日に、道北地区の諸教会が集まっての一泊二日の地区集会が行なわれ、
美深まで往復してきました。

実行委員長でもあり、全体の進行役も兼ねていたので、今朝は少々疲れ気味です。
しかし、50名が集まり、顔を合わせて聴きあい語りあえたり
苫小牧地区の「共同牧会」についての講演も学べて大変よかったです。

わたしたちのセンターの紹介もほんの少しでしたが出来ました。
各教会・センターの紹介を兼ねたクイズ大会を交流の時間に持ったのですが、
その中で、センターの問題を出しました。

センターでは活動情報紙「ノヤ」を作成していますが、
このクリスマスに発行される「ノヤ」は以下のうちどれ?
①13号   ②33号  ③53号  という問題でした。
この問題を出したとたん、ものすごい速さで手を挙げる人がいました。
なんと、ノヤ紙面の編集を一手に引き受けてくれている我がスタッフでした~

答えは②の33号。
1996年にセンターが開設されて、はや11年。
年に3回発行してきましたので今回で33号になります。
今年から年二回(夏、冬)にして、今号よりA4版にリニューアルします。
今週には印刷にまわせるようですので、皆さんのお手元には12月上旬には届くでしょう。


アイヌ民族関連と関係のないことですが、教会紹介クイズでこんな問題も出ました。

☆名寄教会創立時(100年前)には、教会堂に十字架がなかったが、
ある時代から十字架を飾るようになった。その十字架は以下のうちどれ?
①木で作った十字架 ②掛け軸に描かれた十字架 ③その他

☆三浦綾子さん著「塩狩峠」の主人公のモデルとなった長野政雄さん
 (旭川六条教会員)の命日は?

☆旭川豊岡教会のオルガンは大変古いもので、このオルガンに関係する
ヒュエット宣教師のことを野口雨情が童謡「赤い靴」で登場させている。
 さて、ヒュエット宣教師はなんと呼ばれているか。
 ①異人さん  ②いい爺さん  ③人参さん

名寄教会の答えは②の掛け軸の十字架、塩狩峠で自らを投げ出して乗客を救ったという
長野さんの命日は2月28日だそうです。寒くてしばれた日だったそうです。

「赤い靴」に登場する「異人さん」ヒュエット宣教師のことは初耳でしたので、
ちょっとインターネットで調べてみましたらいくつかありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4 など。



小平ダム 中央に小さく映ってるのはオオワシが魚を食べてるところ


「先住民族の権利に関する国連連合宣言」の採択

2007-11-19 15:44:57 | インポート
北海道ウタリ協会主催の国際先住民の10年「第20回アイヌ民族文化祭」の様子が道新に掲載されました。こちらにもUPしています。ご覧下さい。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/

当日、わたしは早朝に留萌を出て、午前中に北海道立近代美術館にて常設会場と特設会場の「Born in HOKKAIDO」を観てきました。常設会場では、シャガールの絵「パリの空に花」やルオーの聖なる顔、松浦武四郎を描いた「憂北の人」岩橋英遠作など、とてもよかったです。ビッキの作品は・・・難しいけど、力強さを感じました。

特設会場では、現代の芸術家の不思議な空間もあり、いい時間をすごしました。貝澤さんの作品も現代的で良かったです。

午後は、北海道大学の「アイヌ・先住民研究センター」の常本照樹センター長による講演会に参加しました。
「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の採択に至るまでのわかりやすい説明と、明確な今後の課題について学べました。

1985年から草案作成が開始され、今年の9月13日に
賛成143(モンテネグロを加えて144カ国)
反対4カ国(米・カナダ・オーストラリア、NZ)
棄権11カ国(ロシア、ウクライナ、コロンビア等)で採択されたことは以前にUPしました。

賛成票を投じた日本はその演説で、


―自決権は分離独立権を含まない。
―土地権とその行使は、国法に従い、第三者の権利及び 公共の利益と調和するように合理的な制約を受ける。
―集団自決権は認めない(webcastでは流れている)
と、条件をつけました。

同じ賛成投票したイギリスは


―宣言の自決権は先住民族に特有の権利
―12条の遺骨等返還権は国が保有するものに限る(個人の所有物はだめ)
―宣言は過去の出来事に遡及的に適用されない。
―イギリスの領域内には適用される民族はいない。 (我が国には関係のないこと)

と述べています。

さて、反対票を投じた4カ国は、実は先住民族の権利に関しては先進国的存在で、反対理由も宣言文の曖昧さを指摘しています。
NZ(アロテアロア)などは、宣言の内容についてすでに国内で実現していることを述べ、具体的な反対部分について指摘しています。

要は、賛成した国は自分達には「関係ない」けれどいいことなので賛成するという対応であり、反対した国は、もっと審議を重ね、あやふやな部分を整備するべきだと主張。
また、法的拘束力がないからこそ、実効性がありコンセンサスが得られるものにするべきだった(オーストラリア)、との意見でした。

さて、日本政府は相変わらずアイヌを先住民族とは認めていません。
宣言が決議された後、衆議院議員鈴木宗男氏が9月14日に衆議院で「国連総会における『先住民族宣言』の採択に関する質問」を出し、答弁が9月25日に安倍晋三(当時、総理大臣)名でだされたのを衆議院質問答弁本文情報より抜粋します。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_shitsumon.htm


―我が国は、宣言について、基本的には、人権の保護に資するものとして、賛成票を投じたところである。
―「先住民族」については、現在のところ、国際的に確立した定義がなく、宣言においても、「先住民族」の定義についての記述はないことから、我が国として宣言にいう「先住民族」に該当する民族がどの民族を指すのかについて、お答えすることは困難である。
―アイヌの人々が、アイヌ語や独自の風俗習慣を始めとする固有の文化を発展させてきた民族であり、いわゆる和人との関係 において、日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことについては、歴史的事実として認識しているが、「先住民族」の定義をめぐる現状が四についてで述べたような状況にあり、アイヌの人々が宣言にいう「先住民族」であるか、また、宣 言において述べられた権利を適用すべきかについて、お答えすることは困難である。


先住民族の定義がないからアイヌは先住民族と言うことは困難だ、と同じ事を繰り返すのみです。

この「宣言」の大いに活用できると常本センター長は希望を語られました。
わたしたちも多くの人に「宣言」の意義について伝えたいと思います。


偶然にも二風谷ダム訴訟の時の主任弁護士さんが隣の席に来られたので、ほんの少しお話できました。名詞はやはり持ってないとなぁ。自己紹介すらできない・・・


昨夜、名寄で牧師会があり、早朝に峠を通って帰ってきました。
本格的な吹雪でした


アイヌ民族文化祭

2007-11-15 13:40:21 | インポート
北海道ウタリ協会主催の
国際先住民の10年「第20回アイヌ民族文化祭」が
以下の日程で開催されます。

これにあわせてでしょうか、3日前から北海道新聞で
「ウレシパ・シラリカー白糠アイヌ文化年の1年」と題して
3回連続のコラムが掲載されました。

白糠では今年を「アイヌ文化年」として、町をあげて
アイヌ文化普及事業を展開しているとのこと。
15年前に町で立てたウレシパチセ(チセ=家)を拠点として
アイヌ文化資料と、工芸品展示販売のコーナー開設。
白糠アイヌ文化保存会によるアイヌ文様の刺しゅう教室を行なったり、
ミニライヴまで開いているそうです。

町ぐるみで町興しも願っての楽しいイヴェントが盛りだくさん。
うらやましいですね~

わたしも留萌で市民のみなさんと一緒に、なにか出来ないか考えてみます。

白糠の文化年1年は17日のアイヌ民族文化祭でフィナーレを迎えるそうです。
わたしは距離的にも難しいので北大の講演を選びますが、
こちらも魅力的ですな~


アイヌ文化祭

日時:11月17日(土)14:00~17:00
場所:白糠町総合体育館  白糠町東2条北3丁目
内容
 ★芸能公演
  ①アイヌ古式舞踊
   阿寒アイヌ民族文化保存会   弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会
   春採アイヌ古式舞踊釧路リムセ保存会   帯広カムイトウウポポ保存会
  ②アイヌ語劇
   白糠アイヌ語教室
  ③特別講演
   「アイヌ文化と国連宣言」   秋辺得平(ウタリ協会副理事長)
 ★展示関係
  ①アイヌ民族資料の展示
  ②アイヌ民族関係書籍の展示
  ③各種ビデオの上映
 ★講習会  ムックリ製作・演奏体験
 ★協賛事業 アイヌ語弁論大会    (アイヌ文化振興財団主催)
 ※入場無料




札幌から留萌への帰り道。日本海沿岸を北上します。


Born in HOKKAIDO 

2007-11-15 10:29:48 | インポート
北海道立近代美術館にて

開館30周年記念特別展
「Born in HOKKAIDO 大地に実る、人とアート」
開催中。

出展者の中に、貝澤珠美さんの作品も展示されています。
珠美さんは先日お世話になった二風谷の貝澤美和子さんの娘さん。
アイヌ紋様を現代風にアレンジして作品作りをされています。
関連イヴェントとして作者のリレートークも開催している様子。
珠美さんは11日だったようですね。


美術館のHP
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/07/born.html


常設会場には

「コレクション物語 1977-2007 第Ⅲ章 北海道の美術」

が開催されていて、おなじみの林竹治郎の「朝の祈り」や、
田中忠雄の「空の鳥を見よ」、また、砂沢ビッキの作品や
蠣崎波響、小玉貞良の作品も展示されているようです。

まだ行ったことがないので、このチャンスにゆっくり見に行こうと思います。

10代前半は近所の東京国立近代美術館によく行ったのですが(特に夏、涼みに)
こちらに帰ってきて「美術館」と名のつくところには全く行っていません。
あ、いや、数ヶ月前に旭川でビッキの素描画を見にいきました(むずかしかった)。
それ以外ありません。

常設会場の案内
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/collection/collection_new.html




留萌はいよいよ雪の到来です。今年はセージとタイムがめずらしくよく出来ました


先住民族の権利に関する国連宣言の講演

2007-11-10 09:42:25 | インポート

毎週、火曜と木曜日の午前中はセンターに作業所メンバーが来てくれて
事務仕事をお手伝いして頂いています。

最近はもっぱらアイヌ奨学金キリスト教協力会のクリスマス募金趣意書や
情報センター機関誌「ノヤ」を全国発送するためのシールタック貼り。

今から準備して発送がスムーズに行くように。クリスマス前には十分、間にあいますね。


さて、北海道大学の「アイヌ・先住民研究センター」の次の講演案内が届いています。

先住民族の権利に関する国連宣言の、その後のニュースがほとんど届いていなかったので
とても楽しみです。きっと、宣言を丁寧に日本語訳にして、今までの経緯と評価、
問題点などをわかりやすく説明してくださることでしょう。
ここにもUPしたいと思いますのでお楽しみに。



11月17日(土)14:30~16:30
常本照樹[北海道大学アイヌ・先住民研究センター長]
『「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の採択とその意義』
会場:北海道大学人文社会科学総合教育研究棟(W棟)3階 W309号室
※参加自由,無料.




朝日

オキクルミ伝説(二風谷フィールドワーク4)

2007-11-05 09:49:29 | インポート
先週に二風谷フィールド・ワークの「ノカビラ」のことをUPしました。

石坂啓さんのマンガ「ハルコロ」にも触れましたが、原作が本多勝一さんだったので
ちょっと留萌の図書館へ行って調べて見たら、「アイヌ民族」(朝日新聞社)に
オキクルミの話がノカビラの写真付で掲載されていました。

その後の話も載っていたので続けます。


オキクルミが怒って神の国へと引き上げるとき、
彼はアイヌをあわれんで「留守番の神」を作りました。
ノヤ(よもぎ)を束ねて人の形にして、ノヤウタサプという大変強い神を作りました。
ノヤはアイヌモシリで最初に生えた草なので、どんな魔物よりも強かったのです。
さらに、このノヤウタサプには胸と両手足に五つも心臓(おきを清水にひたして作った炭)が
あり、五倍の強さを持っていました。

ノヤウタサプは現在の平取町の川向こうにあるアベツという丘で、
そのおかげで沙流川流域は病神も避けて通る。


と、いう内容でした。 (前掲書P.48,49)



暑寒別岳をのぞむ


「蛮族」発言

2007-11-03 17:57:32 | インポート
11月1日、2日と長男の部屋に寝泊りし、近くの道立図書館へ調べものに行って来ました。
事前に読みたい北方民族資料をインターネットで調べて印刷をし、
受付にお願いすると数分で本が出てきます。
とても便利です。
中にはほんとうに古いものまで簡単に閲覧できて確認できます。
禁帯出の資料もその場で目を通し、必要な部分も10円でコピーできますし、
留萌の図書館へも送ってくれるシステムがあるようなので
次回は利用してみようと思います。

今回の調べもののひとつは、NCC(日本キリスト教協議会)女性委員会からの依頼で
アイヌ民族とキリスト教、特に、教会学校関連の写真がないかとのことで、
バチェラー関連のことを調べてみました。
NCCは先だって日本のキリスト教教育の100年に関する本を出版し、
北海道関連ではアイヌ民族とキリスト教について聖公会の司祭が執筆されています。
今回は100年の年表を作っているとのことでした。

もうひとつの調べものは小金井良精氏のこと。
彼についてはもう少し調べてから書きましょう。

数日、家を空けていたら、アイヌ関連のニュースが多く流れていました。
関連ニュースにもUPしましたhttp://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/

「蛮族」発言です。
民主党の山岡賢次国対委員長が「私らはアイヌの血をひく蛮族だ」と発言し、
その後、撤回したというニュースです。

報道によると、10月31日に自民、民主両党の国対委員長会談の冒頭で
「(自民の)2人は貴族。こっちらは(民主党は)アイヌの血を引く蛮族です」と発言。

その意味について、山岡氏のその後の記者会見で発言撤回した後に、

「私は(自分が)たくましさとか、生活者中心、そういう土壌から出ていると言っている。
その言葉を使うこと自体が差別だ、という認識には賛同しない。アイヌの血を引く者を悪
いとは思っていない。口走ったということなら、誇りに思って言っていると解釈してほしい」


と釈明したそう。 (毎日新聞 2007年11月1日記事)

説明になっていない・・・
一方には「貴族」を用い、その対比として「蛮族」が使われ、
それに、ご丁寧に「アイヌの血をひく」と説明が入っています。
アイヌ=蛮族=非貴族 か。

記者会見の内容には「蛮族」は「たくましさ」「生活者中心」と
イコールのニュアンスを持っているようだけれど、そもそも、
ことばの使い方(たとえかた)が問題にされていることがわかっておられるのでしょうか。
ことばの使い方の根底に差別性があることが問われているのではないでしょうか。

アイヌが「蛮族」なら、アイヌから搾取し続けている和人をなんと呼べばいいのでしょう。

「アイヌの血を引く蛮族」発言に関して、単に、言わなかったかのように撤回するだけに留まらず、
さらに、アイヌ民族に対して理解を深める機会にして欲しいものです。




隣町である増毛の果樹園で実ったリンゴ! 美味しいんです。