アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

遊講座 「アイヌ文化との出会いと私」

2010-07-31 10:24:48 | インポート
27日(火)は、さっぽろ自由学校「遊」の講座「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」第三回 「アイヌ文化との出会いと私」を聞きに行ってきました。

ゲストは川村このみさんと木村君由美さん。おふたりとも「伝承者育成事業」の研修生。
伝承者育成(担い手育成)事業とは、文化庁の管轄で財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構が行っている伝統的生活空間(イオル)の再生事業のひとつ。
実際には推進機構が白老のアイヌ民族博物館に委託し、「アイヌ民族、文化に関する総合的な知識、教養を身につけるとともに、熟練された伝承者から指導を受け技術等を伝承する人材を育成」することを目的として二年前の2008年に始まった事業(白老町のイオル事業概要に記載)。
全国から公募して15名の申し込みの中から8名が選ばれ、三年を一期としてアイヌの衣・食・住・工芸・儀礼・言語・芸能などを研修されていますが、お二人とも覚えることがありすぎて大変とのこと。一生懸命さが伝わってきました。

「先住民族の10年News」の第155号に川村さん、第156号に木村さんがそれぞれ自己紹介を書かれています。今回の話はその内容をさらに深く広く、ご自身のことをお話くださいました。

木村さんは母方のおばあちゃんが阿寒でアイヌ民族の踊りをされており、友達にも自慢していたほど大好きなおばあちゃんだったそうです。ハワイの先住民族との交流の際、引率者にアイヌの踊りを踊れなかったことをひどく批判されて、なにくそと踊りや歌を覚えることに火がつき出したとのこと。

川村さんは、同じハワイの先住民族交流で一緒に参加した阿寒出身の同じ年の女の子と出会い、人生が変わった、と。その彼女は踊りも歌も上手でアイヌとして生き、差別も受けてきた。それでもアイヌの歌を鼻歌で歌うほど好きだったそう。
彼女との出会いでアイヌであることをカムアウトし、再度、先住民族交流で台湾へ。刺激を受けて帰った後、もっともっとアイヌに携わりたいと伝承者育成事業に応募されたそうです。

この学びもあと一年となり、さらに詰め込むことが多いそうですが、お二人とも燃えていました。
学びが終了したあと、アイヌ民族関連の仕事に就いたり、出身地の博物館や記念館などで就職できたらいいですね。推進機構や文化庁が仕事先の斡旋をしてくれたらいいですよね。残りの一年で考えてくれたらいいと思います。アイヌ文化振興・研究推進機構に電話で尋ねたところ、当財団のアドバイザー登録は考えているとのこと。この一期生が終了後の就職先のあるなしと、第二期以降の申込者の増減は関係するでしょうね。お二人とも他にアルバイトしなければならないとのこと。予算面でももう少し余裕がほしいですね。

お二人とも「ニカオップ」のメンバーとのこと。アイヌ語で木の実を意味するこのグループは、白老のポロト・コタンのフェスティバルで研修生達で何かをしようと声をかけ、16人ほどが賛同して出来たアイヌ舞踊グループ。踊りも歌も今ではどこの地域でも踊られていないもの、いわば幻の歌と踊りを古い映像資料などから掘り起して研究し、そのままを復元してやっているそうです。現在は、二十数曲でき、さまざまイヴェントで披露されています。
先月19日の第三十一回樺太移住受難者墓前祭で、わたしもみせて頂きました。けっこう、わたしもいろいろな場所で歌や踊りを見聞きさせて頂いていますが、今まで聞いたことのないものでした。いま思えば、確かに川村さん(ニカオップの代表)がリードしていたような・・・。

燃えているお二人が今後もいきいき学び伝承活動をされて輝きますように祈ります。そのことによって、その輝きが、さらに多くのアイヌ民族の若者を照らしてアイヌとしての自信を取り戻し、誇りをもって生きて行くものとなっていきますように。



28日から士別教会のこどもたちが留萌にて一泊キャンプ。あいにくの雨模様の中、かろうじて28日はゴールデン・ビーチで泳ぐことが出来ました。しかし、海水の冷たさで2時間もしないうちに終了!
ちょうどいい時間に教会に着いて、ゲーム大会。そのうちに近所のこどもたちが集まりだして、合同遊び大会。留萌での定番の超ハードなハンカチ落としやウインク・キラーは大うけ。同じく士別が持って来たハンカチ落としならず“人間落とし”は衝撃的でした。さっそく、今日に近所のこどもたちとやりました。超超ハードな遊びにみんな混乱してブーイング。夏休みの刺激は成長を促しますな。


士別教会のトーン・チャイム演奏に留萌のこども達も加わらせて頂きました。士別のこども達がやさしく教えてくれました。いい思い出となったことと思います。感謝。


「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」第三回 

2010-07-27 11:52:46 | インポート
23日(金)に「アイヌ民族教育共同研究会」主催の「アイヌ民族学校設立の展望と課題」(討論会)に参加してきました。
同研究会は「アイヌ民族教育に関する総合的な研究」をテーマに共同研究を3年前から始め、今年には学術振興会より研究援助を得て、本格的に「アイヌ民族学校・アイヌ民族大学の設立を含むアイヌ民族教育システムの構築を目指す」(紹介文より)とのこと。

はじめに少数民族懇談会会長の清水裕二さんの発題があり、続いて、豊岡正則(作曲家)さん、萱野志朗(萱野茂二風谷アイヌ資料館・館長)さん、川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(川村カ子トアイヌ記念館館長)さん、楢木貴美子(北海道アイヌ協会札幌支部事務次長)さんらの発題、パネルディスカッションを行いました。
北大のクーラー設備のない小さな会場だったこともありますが、熱の入った参加者が50名ほど集まり、会場内はたいへん暑かったです。
内容をくわしく報告したいところですが、いろいろと考えさせられることがあって、うまくまとまりません。印象に残ったことをそのままUPします。

発題の中には、「アイヌ民族大学」、「アイヌ民族学校」の設立に向けて進んで行こうという話があり、その展望と問題点が出されました。はじめは通信教育からでもいいのだ、と清水さんが言われていました。
次いで、国の認可を受けなくとも「市民大学」があるように、まずは自称大学を作って実際に動き始めるのがいいと萱野さん。
そのような具体的な「大学」設立方向に対して、豊岡さんは、まずは環境整備が大切だろうと話されました。そして、ご自身の家庭内ではアイヌ語のみで会話するよう努めている話や、受け継いできた技術を後の人たちに伝承しておられることを例に、日常でアイヌプリを取り戻すという環境整備の必要性を言われていました。
日常会話でアイヌ語を使ってアイヌ語ならではのコミニケーションを行い、囲炉裏を囲んでエカシやフチからアイヌ語で物語を聞き、自然の中で狩猟や採取といった生活の技術を伝授してきたアイヌ民族。これらの環境を整えることは大切なことと思います。そのためには土地の返還、狩猟・採取の自由など諸権利と密接な関連がありますね。

フロアーのアイヌ協会の方からは、現在、政府によってすすめられている「民族共生の象徴となる空間」構想には、アイヌ民族の小学校から大学まで考えられているとの発言がありました。
その作業部会の議事録を確認しましたが、5回までは簡単な議事次第がUPされていますが、議事録は「概要」のみ、しかも、第2回分しかまだUPされていない始末。これでは何を話されているのか分かりません。
アイヌ政策推進会議⇒ http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/kaisai.html

経済的な余裕も必要であることや、公教育でのアイヌ民族への理解を深めていく努力、差別をなくする努力に関しても話が出ました。



海水浴シーズンとなりました。明日から1泊で士別教会のこども達がキャンプに来られます。


24日のTVH午後7時から訪ソした土曜スペシャル「大自然の鼓動を聴け!」の中で、知床も出ていましたが、そこに、な、なんと、知床アイヌ民族エコ・ツアーの早坂さんがチラ出していたのをチェックしました~。
早坂さんには昨年のエコ・ツアーでお世話になりました.NHK教育「モリゾー・キッコロ森へいこう夏スペシャル「知っとこ!知床!世界遺産」(09/7/19放送)にも出演されています。

26日(月)の昨日はアイヌ民族委員会、アイヌ民族情報センタースタッフ合同会議を札幌で行ないました。
主な内容としては、今年の秋のアイヌ民族フィールド・ワークの計画をはじめました。日程は10月4日の夕方から5日午後。ちょうど完成予定の知里幸恵記念館や白老ポロト・コタンを訪ねようと準備中です。

今日は、これからさっぽろ自由学校「遊」の講座「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」第三回 「アイヌ文化との出会いと私」を聞きに行ってきます。
今日のゲストは川村このみさん(1987年生。旭川生まれ、札幌で育つ)、木村君由美さん(1987年生。弟子屈町で育つ)のお二人。最近までアイヌに関わりなく生活してきたという川村さんと、弟子屈出身で幼い頃からアイヌ文化に親しんできた木村さん。おふたりとも、現在、アイヌ文化の担い手を目指し白老で研修中とのこと。お話を楽しみにしています。


富良野ニングルの住みか


イヴェント・他 ご案内

2010-07-22 14:53:34 | インポート
全編アイヌ語の長編アニメ 『七五郎沢の狐』の制作中間報告会&創作神謡 カムイユカラの夕べが、きたる7月25日(日) 午後6時より札幌北区のフェアトレード雑貨&レストラン「みんたる」にて開催されます。                      
原作者の結城幸司さんはアイヌアートプロジェクト代表。そして、長年、知床先住民族エコツアーに関わっておられます。環境破壊が叫ばれている中、自然を大切にするアイヌ文化を仲立ちに何を次世代に残すかメッセージを発信しようと、この作品が作られたとのこと。
あいにくわたしは日曜日であることと午後に旭川から来客があるため参加できませんが、成功を祈っております。
みんたるの住所は札幌市北区北14条西3丁目1-1 tel:011-756-3600(http://www.mintaru.com)
何度か行きましたが、かわいらしいお店です。

参加費 : 前売り券 1,000円、当日券 1,500円(いずれも1ドリンク込み)
※終了後に交流会開催。       
※7月20日より、結城さんの原画展も開催するとのこと。
《問合せ先 七五郎沢の狐制作委員会 佐々木さん tel:09038917713


オオウバユリの花の季節です。留萌でも多く見られます。
苫小牧民報の昨日の記事にキウス周堤墓群で、自生のオオウバユリが見ごろを迎えたとありました。我慢できなくて今朝、今年最後の根を採りに行って来ました。
http://www.tomamin.co.jp/2010c/c10072103.html


OKI関連ニュースです。「サハリン ロック」発売関連イベント情報
■明日23日金曜日、ピーター・バラカン氏のInterFM番組 「Barakan Morning」に、OKIが生出演。
☆Inter FM「Barakan Morning」76.1Mhz☆ 午前9時頃出演予定!
■OKI「サハリン ロック」発売記念トークショー&サイン会
 @タワーレコード渋谷店は、いよいよ今週末!!(7/24土 15:00~)
□同時発売・マレウレウ mini album「MAREWREW」のインストアLIVE& サイン会も今週末!!@タワーレコード札幌ピヴォ店(7/25日 15:00~)

他、チカルスタジオにメール登録すればありがたいニュースが入ってきますよ!
http://www.tonkori.com/
先日の角松敏生のライヴ「the way to INCARNATION」のことを道北センター主事のクリちゃんに話したら、当たり前のように知っていて、6年前の旭川のライブにも行ったとのこと。う~ん。知らなかったのはわたしだけだったようだ。


小さな野生のラン。

以前にも紹介しました(7/3 blog)が、明日の午後に北大にて「アイヌ民族学校設立の展望と課題」討論会が行われるので行って来ます。「アイヌ民族学校の必要性と設立の可能性について」課題提起を清水裕二さん(少数民族懇談会会長)がされた後、萱野志朗さん(萱野茂二風谷博物館館長)や、川村シンリツ・エオトパック・アイヌさん(川村カ子トアイヌ記念館館長)らがパネル・ディスカッションをします。楽しみです。



玉山の学生達と二風谷の途中で寄った富良野 写真中央にディヴァンさんと三人が両手を挙げて映っています。

今日のお昼にNHKで兵庫県西脇市の仕掛け針職人の家族が取材されていました。
その仕掛け針の作り方も技術のいる仕事だと感心しましたが、その針を使って加古川で実際に釣をしている人たちが映し出されました。その時の気温が39度。本州は猛暑が続いているようですね。みなさんの健康が守られますように。
今日の留萌は20度いかないぐらい寒いです。こんな日によりによって髪を短く切ってきたので風邪をひきそうです。涼しすぎて申しわけないぐらいです。短い頭で寒そうにしているのをこどもたちにも笑われてしまいました。


カニ ツンツン

2010-07-16 07:56:34 | インポート
14日は玉山神学院の皆さんと千歳で別れた後、留萌に帰宅。この間のふりかえりと報告のまとめをしました。

その前日の13日。彼女達を送って札幌に行った後に駅近くの本屋をのぞくと、知里真志保編訳「アイヌ民潭集」(岩波文庫)が目に止まり、即購入。夜に読み始めました。
すると、なんと、なつかしい節が最初の物語に出てくるではありませんか。
カニ ツンツン ピィ ツンツン 
カニ チャララ ピィ チャララ

これは真志保さんが古老たちから聞いて集めた十以上にもなる「ペナンペパナンペ ウエペケレ(物語)」のひとつ、「パナンペ放屁譚」に出てくる鳥の鳴き声。
物語のあらすじは以下の通り(正しくは660円を出すか、図書館で探して読んでください)。
昔あるところにパナンペとペナンペがいました。パナンペは山にコクワ採りに出かけると、可愛らしい小鳥が先ほどの鳴き声をあげて飛んでいるのを見て感心したところ、小鳥が口に飛び込んで来た。
家に帰ったパナンペはお連れ合いに「屁をひるから聞いてくれ」と言う。連れ合いは嫌な顔をするも、屁の音を聞いて驚いた!
カニ ツンツン ピィ ツンツン 
カニ チャララ ピィ チャララ

あまりにおもしろいので二人は笑顔が絶えなかった。
それを聞いたお殿様。彼を呼んで披露してもらって大笑い。パナンペはたいそうなご褒美をもらったそうな。
となりに住んでいたペナンペ。同じぐらい貧しかったのにどうしたことかと聞きに来ると、パナンペは丁寧に家に招いて食事を与え、おまえも同じようにやったら金持ちになれるよと教えてあげた。
しかし、ペナンペの反応は感謝と違って怒りが先に。「先におれがやろうとしていたのに俺を出し抜きよって」と捨て台詞をはいて、玄関先に糞としょんべんをかけて帰って行った。
同じように金持ちになろうと殿様の前に出たペナンペは、力みすぎて糞をまき散らして、殿様に懲らしめられた・・・という「花咲かじいさん」のようなお話。
このような話が続くのがとてもおもしろかったです。特に、おならやうんち、肛門であらゆる魚を吸い込む話や、尻滑りで竹に突き刺さる話など、なんと言うか、「下ネタ」というか、こどもが好きそうなリアルな話が出てくるのがいいですね。

kani=金、tun-tun=金属製の美しい響き。 kani chara-ra=黄金サラサラ、pii=小鳥の鳴き声だろうと知里真志保さんの解説(P237)。



この「カニ ツンツン ピィ ツンツン カニ チャララ ピィ チャララ」は、福音館書店の絵本「カニ ツンツン」(金関寿夫文・元永定正絵 福音館書店2001)に出てくるのです。福音館が出している360円だったかの「こどものとも」シリーズで初版を買って、我が家では息子三人とも想い出に残るほど好きな絵本でした。
単純なカニの絵が出てきて、「日本語」ではない言葉が響きつつ、話が進んで行くのです。そして、圧巻は最後の数ページ。言葉がなく、絵だけでこども達は物語に引き込まれて大笑いするのです。
URLにて検索するといろいろ出てきますのでご参考に(その後のハードカバー版で言葉の解説も付いてきました)。でも、最後の部分はこどもたちと楽しんでください。

ちかく遊びに来ているこどもたちに「カニ ツンツン」を読もうと思います。その反応を見たあとに、ペナンペ・パナンペ物語につなげてみます。こどもたちは「うんち」が好きですから、こちらのほうがはまるかも・・・・。


浜益の黄金山(登山が出来るそうですから時間を作って行きたいと思います)
昨日(15日)はこども達と模造紙に世界地図を真ん中に貼り、その周りにこの数日でここを訪れた人の写真を貼って、出身地い矢印をつけました。台湾のお姉さん達ともっと遊びたかったと言ってました。

帯広教会の長老が別の用事で留萌に来られていたので、お訪ねくださいました。感謝。


6カ国(+3民族)の交流

2010-07-13 10:17:10 | インポート
12日(月)は玉山神学院の皆さんと道北センターのスタッフ、そして共働学舎の国際ボランティアが集い、にぎやかな交流をしました。
台湾原住民族の皆さんが歌や踊りを披露してくださいました。フランスやベトナムの青年は遠慮され、フィンランドの彼はピアノとウイットマーさんのギターで即興演奏をしてくれました。
このような交流で何か披露できるものを仕込んでおかないといけないと反省しました。ムックリはいつも持って歩いているのですが。



その後、隣町の増毛でディヴァンさん念願のサクランボ狩り。今年は寒さでまだ甘みがのっていないとのこと。中には腐ってくるものも多く、果樹園のみなさんは悲鳴をあげていました。



夕方にはこども達も来たので、ほんの少しでしたが玉山の皆さんも加わって遊びました。ディヴァンさんがゲーム説明をペキン語で通訳しているのを興味津々に見つめ、楽しいときを過ごしました。

過日に紹介した東京新聞の記事「アイヌ遺骨『故郷』に 国の慰霊施設集約案に異論」ですが、以下のURLに載っているのを教えてくださった方がいますので紹介します。わたしは川村カ子トアイヌ記念館の館長より縮小FAXを頂いたのですが、文字が見えにくいところもあったのでこれで確認できました。

http://asahikawaramat.blogspot.com/p/blog-page_5421.html


上士幌町のミズナラの巨木 周囲490センチ

今日はこれから玉山の皆さんを札幌まで送り、明日、千歳空港で別れます。
お二人の民族のことをいろいろ聞かせて頂きました。今後の学びと働きを祈ります。


出会いはおもしろい!

2010-07-11 21:03:08 | インポート
9日に玉山神学生を名寄までお連れし、久しぶりに留萌に帰宅しました。
過去(2008/7/11blog)にも掲載しましたが、Sing ’Olamさん(台湾原住民アミ族、台湾基督教会総会副総幹事)の台湾原住民14民族についてのレポートからアミ民族、セデック民族の部分を紹介します。

***************現在、台湾原住民族は14民族で、人口は約47万人。
※ アミ族 Amis/居住地:花蓮台東の海岸平原。
   /人口:17万6千人/特徴:海洋民族、母系大家族族制、年齢階級、歌舞。/豊作祭。
※ セデック族Sedeq/居住地:南投花蓮の高山。
   /人口:7千人。/特徴:刺青と織物文化を持つ。
この度のオーィさん(アミ民族)は花蓮の村、ルビさん(セデック民族)は台東の村出身。お二人とも現在、大学院2年を終了したところなので、あと一年後には自分の村に帰って牧師をされるとのこと。
今回の研修がお二人にとって意味のあるものとなるように願います。


久しぶりに撮れたウサギ(やはり遠くてぶれています)。

アイヌ民族推進会議の開催状況を、たまにのぞいています。(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/kaisai.html)
「北海道外アイヌの生活実態調査」作業部会は、第2回(4/16)、第3回(5/12)と開催。先住民族の認定についてや調査方法で細やかな論議がなされているようです。しかし、あくまでも議事概要ゆえ、詳しくはわかりません。デリケートなことですからどれくらいオープンにするかも配慮しているということでしょうか。ただ、その判断も含め、後日に明らかにしてほしいものです。

「民族共生の象徴となる空間」作業部会は第2回(4/27)、第3回(5/19)と開催していますが、議事概要はUPされていません。第3回の議事次第(相談しあう内容)には、「有識者ヒアリング」(その道の専門家からの意見)として、ボン大学名誉教授のヨーゼフ・クライナーさんと、国立民族学博物館副館長の佐々木史郎さんの名が出ていました。早く、詳しい内容を知りたいですね。

過去の「関連ニュース」blog(http://blog.goo.ne.jp/ivelove/)で、東京新聞(2010年6月18日)に
「アイヌ遺骨『故郷』に 国の慰霊施設集約案に異論」と題して、以下の前文が載っていました。
鳩山前政権で発足した「アイヌ政策推進会議」の根幹事業である「民族共生の象徴となる空間」計画が波紋を呼んでいる。かつて学術目的で盗掘され、現在も北海道大学などの研究機関に保管されている膨大なアイヌの人骨を、この「空間」と呼ばれる施設に集約する案が検討されているためだ。「これ以上見せ物にせず、故郷に帰してやってほしい」と望むアイヌの人々もいるが、政府は少数意見として耳を傾けていない。 (大野孝志、加藤裕治)
記事全文を見るには朝刊を買うか、有料会員サービスを利用するしかなく、内容は分からずでしたが、記事を確認できました。異論を訴えたのは旭川の川村カ子トアイヌ記念館の館長である川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん。アイヌ民族の人骨を慰霊するどころか、一箇所に集めて研究対象にしようとしていることに異議をとなえておられます。それよりも権利回復を進めるべきだ、と。
アイヌ民族への補償や謝罪、遺骨返還を要望する1万6千人分の署名を持って政府に提出するも、政府は受領を拒否。「大学などに本当は全部で何体の遺骨があるのか分からない、国の責任で各地に遺骨を返して遺骨堂を造り、供養させてほしい」と。
「民族共生の象徴となる空間」作業部会は要チェックです。


富良野の観光スポット ニングルにも行きました。この場所好きなんです。

今日は礼拝がありましたが、九州小倉からご夫婦が来られました。6年前に来られたことのあるお二人で、うれしい再会でした。何とも自家用車泊での旅とのこと。心配しつつも快適とのことゆえ、安全を祈りつつ、再会を願って分かれました。
さらに、隣町の共働学舎から電話が入り、国際ボランティアが来ていて、そのひとりがムックリのことを知りたいと言うので教えてほしいとのこと。20代前後のベトナム人女性一人、フランス人女性二人、フィンランド人男性一人、通訳にICU(国際基督教大学)学生一人が来て、国際色豊かな交流ができました。
明日は玉山の皆さんと道北センターのスタッフが留萌を訪れますので、せっかくだから国際色を深めようと共働学舎に先ほど電話して合流してはと相談。出会いが交差する明日が楽しみです。

10日(土)は数日ぶりにこども達と遊びました。距離をもっているこどもも少しづつ近づいてきてくれているのがうれしいです。
明日は6カ国+三民族とこども達との出会いがあるかも知れません。カルチャーショック日の報告を楽しみに!


玉山学生との交流

2010-07-10 20:00:59 | インポート
玉山神学院の学生と旭川、富良野、二風谷、帯広を回りました。
7日(水)の二風谷では研究で帰省されている新井かおりさんから二風谷ダムのレクチャーを受けることが出来ました。貝沢正さんのお孫さんである彼女は二風谷ダムをめぐる裁判で二風谷のアイヌが分断されたことや正さんの訴えたかったことをお話くださいました。正さんについては過去ブログに何度か紹介させて頂いています。ブログ左側下の検索が役に立ちます。

ダム裁判のことをまとめた「二風谷ダム裁判の記録」(三省堂1999年)の貝沢さんの陳述を読みなおしています。
1885年アイヌに農業授産の長期計画を立てて種と食料を支給し、農業指導員を二風谷にも置いて指導を行ったことが書かれています。帯広の伏古や音更などでも農業指導がおこなわれましたが、うまくいかなかったようです(帯広アイヌ民族文化情報センターURL参照)。しかし、二風谷の土地は沙流川流域の沖積土で栄養がふくまれていたので、開墾するほど収穫もあった、と。例えば2~3反のヒエ・アワをつくれば一年間食べられたそうです。それを続ければよかったのに三県制度が北海道庁に変わった途端にその事業もやめてしまった、と。

北海道ジャーナル「二風谷から報告 ダム開発とその波紋」(1989/6/6放送)にもご本人が建設大臣へあてた意見書を読まれている映像があります。
「どうにか土地を死守したものの、ダム計画で土地がなくなってしまう。一度ならずニ度、三度、大資本を太らせるためにわたくしたちは犠牲にならなければならないのか。我慢が出来ない。」

氾濫を繰り返す沙流川と闘いながらの開墾、旧土人保護法によって狩猟から農耕へと転換させられたにも関わらず、今度はその農地が開発の名によって取りあげられることとなるダム問題と、国によってアイヌが振り回され続けている状況を、怒りをもって述べています。

貝沢正さんの訴えたかったことをあらためて意識して、正さんの言葉を確認していきたいと思います。


かおりさんからレクチャーを受けているところ。ダム管理棟の展示室で。


二風谷では他にアイヌ文様彫刻の体験をしたり、萱野茂アイヌ民族博物館などで学びました。

8日は帯広に向いました。帯広ではトカチ・エテケカンパの例会に参加させて頂き、交流を持ちました。あいにくこども達は少なかったですが、とても豊かな時間を持てました。玉山の学生もそれぞれの民族衣装を着て歌や踊りを披露してくださいました。似合っていましたよ。

9日は名寄の道北センターへ移動して、わたしだけ留萌へ戻りました。12日まで名寄で農民交流をして、留萌に来られます。数日でしたが密な日を学生さんと過ごすことが出来ました。

富良野では見ごろのいい季節でした。


数日、滞ってたニュースブログもUPしました。


独立学園修学旅行&玉山神学生交流

2010-07-06 09:33:26 | インポート
イギリス聖公会の宣教師ジョン・バチェラーについては過去ブログに度々書きました。
1877年から1940年、彼が23歳から86歳までの63年間、北海道にてアイヌ民族にキリスト教を伝え奉仕した生活を送ります。当時、明治政府によってアイヌは同化政策をとられ、文化・習慣、言葉までも禁止されました。その中、バチェラーはひとりアイヌ語を習得し、アイヌ語で礼拝を行ないました。讃美歌や聖書、祈祷文などもアイヌ語に翻訳したと言われます。
友人からアイヌ語版「主の祈り」についての問合せがありましたが、手元にはなく、聖公会の方に伺おうと思います。
手元の仁多見巌さん著「異教の使徒」P55(道新選書)に、「主我を愛す」のアイヌ語版が掲載されています。川村カ子トアイヌ記念館で館長の紹介を受けて、この讃美歌を覚えていると歌ってくださった方を紹介して頂いたことがあります(もう10年も前のことでしょうか)。

YESU EN OMAP
Yesu kane en omap   イエス我を愛す
Kambi otta anuye    聖書に示す
Yesu okirashinu nep  イエス強ければ
Ku shitoma shiomoki  我は恐れず
※Yesu en omap   (折り返し)我を愛す
 Yesu en omap    我を愛す
 Yesu en omap    我を愛す
Kambi otta anuye 
(2、3 省略)



昨日から、玉山神学院の大学院生が二名、北海道入りしてアイヌ民族との出会いの旅が始まりました。昨日は旭川空港から美瑛を少し観光し、午後からは川村カ子トアイヌ記念館へ。



キリスト教独立学園61期修学旅行と合流し、研修。
夜は、21世紀の森にて主に台湾の原住民族のことや唄、踊りで交流を深めました。
独立学園生のほとんどがカルチャーショックを覚え、今後よりアイヌ民族について学びたいと感想を言ってました。それを聞いた玉山神学生は、先住民族のことを知らないと言うこと自体が不思議だと驚きをストレートに伝え、「台湾の原住民族で幸せだ」と。このやり取りも皆さんの心に残ったことでしょう。


場は盛り上がり、みんなで輪になって踊って楽しみました。踊りながらの「ホーゥ」の掛け声がなんとも息があっていました。

学園生のお礼のコーラスもとてもこころが入っていてきれいでした。



教師用指導書「アイヌ民族:歴史と未来」

2010-07-02 11:06:31 | インポート
旭川竜谷高校郷土部顧問の本間先生からアイヌ文化振興・研究推進機構作成の教師用指導書「アイヌ民族:歴史と未来」を送って頂きました。札幌出張のついでに推進機構に寄られたとのこと。感謝です。
内容を見ると興味深いです。
小学生用の副読本の本分が見開きページの真ん中に小さめに載っていて、その周りに「指導のポイント」、「活動の流れ=指導のねらい=発問」「補足説明」などが書かれています。
たとえばいちばん最初のページ「オリエンテーション」のこども副読本には山や海、動物などの絵がアイヌ語で説明されています。指導書にはアイヌ語の日本語訳がすべて載っています(先生はわかっているんだよ~というアンチョコになっています)。そして、このことばはどこの言葉か、どんな意味かを話し合うよう促し、説明のしかたを書いています。

過去blob(2010/5/20)に前日の19日付北海道新聞の記事を引用しつつ、この指導書について触れました。
気になったので直接推進機構にお電話して色々と伺いました。
まず、全国の公立の小中学学校には教育委員会を通して2000年から各学校に2部づつ送付しているとのことです。全道の小中学校には4年生、中2の全生徒分を配布していたことは知っていましたが。
それに今回は指導書を付けたとのこと。この副読本が最初から全国に配布されていたとは知りませんでした(新聞にもそう書いてもったら良かったですね)。てっきり、道内だけかと思っていました。
各学校ではどのような取り扱われ方をしているのかの調査は必要かもしれませんね。うちの息子達は一切、使われなかったと言っていますから。

先日の自由学校“遊”の村上恵さんの講演に十勝の学校教員が聞きに来られていましたが、学校現場でどのように教えたらいいか悩んでおられることを話されていました。
教職員の研修を頻繁に行なったり、教職養成のカリキュラムの中で位置づけることも必要でしょう。また、竜谷高校のように、すでにアイヌ民族に関する学習を行なっている授業などをモデルとして全国に紹介することも、どんどんとしていったらいいでしょう。本間先生が言われたように受験問題にアイヌ関連のことを入れるというのは手っ取り早かったりして・・・。
以前にも書きましたが、2006年に改定された新学習指導要領の国語の「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」という付録表には、
「ア・伝統的な言語文化に関する事項」として、小学一,二年は「昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり、発表し合ったりすること」を指導するように書かれています。「神話・伝統」には当然、アイヌ民族のものも入れるべきですね。
歴史や道徳においても他民族国家であることを認め、多様性と共生をしっかり位置づけることも必要ですね(過去blog09/4/16参照)。

推進機構のHPには、アイヌ語ラジオ講座テープ貸し出しをはじめ、講師派遣やアイヌ文化普及啓発DVDの貸し出しなども紹介していますから、上手に利用したらいいと思います。わたしはセミナーに参加したり、セミナー記録をダウンロードして調べたりさせていただいています。
http://www.frpac.or.jp/

来週から台湾の原住民族の神学校である玉山神学院から2名の実習生が札幌に来られます。アミス民族とセジャク民族、それに通訳のディヴァンさん(ブヌン民族)と一緒に、まずは基督教独立学園の修学旅行生と旭川川村カ子トアイヌ記念館で学習し、夜は交流の時を持ちます。
その後、二風谷に行ったり、道北センターに行ったりと交流と学習を行います。




飽きずに毎日来ているこども達も名簿上では45名を越えました。入れ替わり立ち代り12~15名ほどが来て遊んでいきます。午後5時半までの90分ほどですが、毎日、楽しいです。
このところ気になるのですが、遊びなのに慎重になって最初に輪に加わらない子が必ず数名います。しばらく様子を見てから加わるのですが、失敗を恐れているのでしょうか。
こどもはかわいいなといつも思います。


さっぽろ自由学校“遊”の連続講座「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」第二回

2010-07-01 14:06:06 | インポート
29日はさっぽろ自由学校“遊”の連続講座「アイヌ新時代~若者たちと語り合う、民族の現在と未来~」第二回に出席してきました。
芽室町の村上恵さんのお話。彼女は昨年に解散したアイヌ・レブルズのメンバーのひとりで、NHK教育ETV特集「僕たちのアイヌ宣言」(2008/1/13放送)でも、癒し系キャラ(とわたしは感じているのですが・・)で覚えておられる方も少なくないでしょう。
ご両親とも幕別出身のアイヌで、ご本人も幕別生まれ。小さい頃から日常会話でもアイヌ語の単語が出る環境で育ち、親に連れられてウポポ保存会に参加。気づいたら踊りや歌を覚えたそう。
両親が共働きだったので祖母の家に入りびたり自然にアイヌプリを習得。おばあちゃんは安東ウメ子さん。ウメ子さんのCD「ウポポサンケ」を聴いていない方はお薦めの一枚です。
小さい頃はみんなと一緒でいたかったのでアイヌであることがいやだった、と。今はアイヌとして踊りも歌も楽しんでいる、アイヌでよかったことを確認しながら活動していると言われました。

中学の時にアイヌ民族のことを数度取り上げた授業があったが、自分のことを言われているようで頭を上げられなくなるぐらい嫌だったとも言われていました。休んだら何を言われるか分からないので嫌だったけれど休まずに出たそうです。自分の中でのアイヌに対するイメージが良くなかったので知られたくなかった、と。
千葉在住時に酒井美直さん(元レブルス代表)の呼びかけでアイヌの文化や言葉を勉強しようと始めたのがアイヌ・レブルズ。その後、予定外に活発に活動し、怒涛の毎日を送ったそうです。
(レブルスのコンセプトは現代に生きるアイヌ。かっこいいアイヌを伝えて行きたいと現代風の音楽を用いて踊りもアレンジ)
レブルスに入り、多くの人と出会って話すことによってそれまでアイヌであることが嫌だったのが堂々と出来るようになった。また、自分の中学校時代に受けていたアイヌのマイナスイメージから楽しいアイヌへと変わっていった。だから、今では小学校や中学校をまわって、アイヌは楽しいんだというイメージを与えたい、と今後の活動についても触れられました。
日本がアイヌを先住民族と認めたことによって、日本の先住民族として誇れるようになった、ということも言われていました。

現在、幕別を拠点にグループ・モムモム(アイヌ語で「流れながれて」=あせらずにゆっくりじっくりいこうとの意)としてアイヌ民族の踊りや講演を行なっているとのこと。
今後も応援していきますね。
NHK放映でも感じた通り、今回もやさしい語り口調でとてもほんわかさせて頂きました。
同時にアイヌ民族が誇りをもって生きていける世の中にするのには、わたしたちマジョリティ側(アイヌ民族以外の多数派)が努力をしていかなければならないことだと思わされました。


最後にはムックリや踊りを披露してくださいました。

今後のイヴェント案内が紹介されましたのでUPします。
※7月24日(土) 小樽市総合博物館本館にて18:00~19:00 チーム・ニオカップ舞踊(村上恵さん、小笠原小夜さん、原田公久枝さん出演:チーム・ニオカップとは当時白老博物館の学芸員だった北原次郎太さんを中心に歴史的な音声や映像などの資料を調べてアレンジを入れずそのまま復元するグループ)。
※9月18日(金)~26日(日)に清水にて、小笠原小夜さん、芳野ショウゴさんと一緒にアイヌの絵などを森の中で展示する「ハポネタイ」開催。
※9月19日(日) 午後~夜にかけて新得・空想の森映画祭にてユニット・フンペシスターズ(原田公久枝さんらのユニット)出演。OKIも出るとのこと。


この講座に向かう途中、狸小路で偶然にトンコリ奏者のOKIさんを見かけてびっくり。
と言うのは、つい最近、アイヌ関連VHSのDVD作業の中で、角松敏生の「in way to INCARNATIO」というミュージックものがあったので観てみると、なんと、OKIやマレウレウ(レクポさんら)が出演していたのです。それを観たばかりなので、つい、うれしくなってそのことを伝えました。アイヌの唄やトンコリと和太鼓、そして、琉球民謡をコラボしての音楽を見事に作り上げていましたよ。エイサーとマレウレウのウポポのミキシングはアフリカンなリズムに変身!VHSはドキュメンタリー編・ライヴ編の二本立て。OKIさんは、もう6年も前の話だと言われていましたが、なかなかのものでした。


過去blog 5/26に書いて写真もUPしましたが、こども達に手伝ってもらった野菜の種は見事に成長し、美味しい葉野菜が毎日食べられます。ちょっと密集させて蒔きすぎました。