今日は27日に行われる二風谷フィールドワークの準備のために
二風谷をお訪ねし、明日に行なわれる事前学習会の打ち合わせもしてきます。
ついでに今から出て、道立図書館にも寄り、調べものをしてきます。
調べたいものの一つに最上徳内の書物があります。
徳内は1785年から1809年まで7回も「蝦夷地」を調査した人物で、
松前藩によるアイヌ民族への関わり方を『蝦夷国風俗人情之沙汰』に書いています。
松浦武四郎が蝦夷を訪ねる70年前のことです。
それによると、アイヌ民族(「夷人」)が「日本風俗に化し染まぬ様」にするのが
「松前家の掟」であり、もしアイヌ民族が「日本詞」を使用したり、笠、蓑、草鞋を用いれば
通詞(通訳)がこれを咎め、禁止に背いたとして「ツクナイ」を要求して謝罪を求めたと。
アイヌ民族を人として扱わず、モノとして利用していったということが証言されているのです。
しかし、間もなく幕府はロシア南下という外圧によって、1799年に「蝦夷地」を直轄し、
対アイヌ政策を「異化」から「同化」(「日本人化」)へと大転換します。
ロシアとの領土争いで、アイヌが日本人であり、「蝦夷地」は日本領土だということを
示すための政策に使われるのです。
日本によるアイヌ民族に対する同化政策が始まります。
都合のいいように利用してきたのです。
この『蝦夷国風俗人情之沙汰』が、三一書房刊『日本庶民生活史料集成』第四巻に
収められている情報を得ましたので、道立図書館に寄ってきます。
家の近くから
二風谷をお訪ねし、明日に行なわれる事前学習会の打ち合わせもしてきます。
ついでに今から出て、道立図書館にも寄り、調べものをしてきます。
調べたいものの一つに最上徳内の書物があります。
徳内は1785年から1809年まで7回も「蝦夷地」を調査した人物で、
松前藩によるアイヌ民族への関わり方を『蝦夷国風俗人情之沙汰』に書いています。
松浦武四郎が蝦夷を訪ねる70年前のことです。
それによると、アイヌ民族(「夷人」)が「日本風俗に化し染まぬ様」にするのが
「松前家の掟」であり、もしアイヌ民族が「日本詞」を使用したり、笠、蓑、草鞋を用いれば
通詞(通訳)がこれを咎め、禁止に背いたとして「ツクナイ」を要求して謝罪を求めたと。
アイヌ民族を人として扱わず、モノとして利用していったということが証言されているのです。
しかし、間もなく幕府はロシア南下という外圧によって、1799年に「蝦夷地」を直轄し、
対アイヌ政策を「異化」から「同化」(「日本人化」)へと大転換します。
ロシアとの領土争いで、アイヌが日本人であり、「蝦夷地」は日本領土だということを
示すための政策に使われるのです。
日本によるアイヌ民族に対する同化政策が始まります。
都合のいいように利用してきたのです。
この『蝦夷国風俗人情之沙汰』が、三一書房刊『日本庶民生活史料集成』第四巻に
収められている情報を得ましたので、道立図書館に寄ってきます。
家の近くから