アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」報告 その4

2013-05-11 11:47:54 | インポート
前述のドイツ、アメリカ、イギリスの遺骨返還の状況報告の後、休憩をはさんで前日に行われた裁判報告として、原告の城野口ユリさん(アイヌ遺骨返還訴訟原告、少数民族懇談会副会長)、小川隆吉さん(同、北大アイヌ人骨台帳開示請求人) が、お話しされました。
城野口さんは帯状疱疹で入院中の中、駆けつけて母親から受け継いだ思いを語り、裁判支援を訴えました。
小川隆吉さんも昨日の意見陳述をした疲れの中、裁判への意気込みを語られました。お二人の思いは直接、webサイトで見る事が出来るようになりますから、ご覧下さい。

その後に、先日の裁判の証拠として被告側の北海道大学が提出した『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(乙第12号証 以下、「報告書」)に関する意見を当日の資料に基づき、市川利美さん(北大開示文書研究会メンバー)によって行われました。これも以前から紹介しているサイトから資料を見て頂き、ご確認ください。重なるところもありますが、わたし個人の意見は後日、このblogにて書く事にします。

原告代理人の市川守弘さんによる「遺骨返還請求訴訟の経過」報告がなされました。
以下、大まかな報告をいたします。

この訴訟は、ひとつは浦河杵臼から違法に持っていった遺骨を杵臼コタンに返せという主張。そして、もう一つは、違法に持っていった骨を返さないでいるのだから、毎日のように先祖の供養をしたい原告たちの信教の自由を侵害していることへの慰謝料が日々発生している(過去に持っていった事は時効かも知れないが、今も慰謝料は日々発生している)という二本立てだ。

これに対して、北大は、何らかの承諾を得たと「報告書」ではっきり言わないと、慰謝料が発生するので書いている。中には、土地所有者への承諾を得たからいいのだと述べているところがあるが、みなさん考えてみて下さい。杵臼は明治時代から浦河町営墓地です。その町の承諾を得たから発掘はいいのだと言っているのです。みなさんの中で札幌の市営墓地にお墓を持っておられる方がおられるでしょう。札幌市が承諾したからあなたの墓を暴いていいのだ、という論理と同じであって通用しない。

もう一つは、北大は肝心かなめの人骨台帳も出さずに、いったいどう発掘したか分からないと言っている。これは実は、北大の戦略なのだ。管理はずさんだとの指摘に、その通りずさんだと認める事により、「だから、この骨は誰のものかわかりません」と言って返還しないことを裏付けようとしているのだ。マスコミにずさんだと叩かれても北大は痛くもかゆくもない。「はい、その通りです。だから返せません」という論理で進んでいるのだ。
今回の裁判で北大側の主張は、原告である小川さんや城野口さんらが「祭祀承継者」であることが認められれば速やかに返還しますと言っています。この「祭祀承継者」とは、戸長が相続する家督相続制度で、一戸は長男が墓の管理も含めて相続していくという、極めて独特な和人的日本的な風習のもとでの制度であって、それはあくまで個人だ。そうすると、骨が出て来て、その骨が誰の家のものか(城野口家のものか、小川家のものか)が、残念ながら管理がずさんだったためにわかりません、だから返せませんという論理に北大は立っているのだ。
今、このことが裁判の焦点となっており、こちらは、遺骨はコタン(村)のもので、コタンみんなでイチャルパ(先祖供養)し、コタンの管理権限であるゆえにコタンの子孫に返すべきだと主張している。これはまさに和人的な封建的家父長制度に対してアイヌの考え方に基づく管理制度との争いだ。
つまり、アイヌの人びとの存在と自立を認めるのであれば、アイヌの考えに従って遺骨返還をしなければならないのだ。民法から言っても、アイヌと言わなくとも地域の習慣の方が有利であり、アイヌであればなおさらだ。
この事は、北大の教授たちもよく理解している事だというのは、政府のアイヌ政策推進会議第10回「アイヌ政策推進作業部会」 (2013年2月22日)の議事録をみても明らかだ。そこには、「諸外国の例を見れば、地域や団体に 返還するのが原則で、個人に返還する ほうが例外というか、ほとんど例を見 ないくらいである。」(議事概要8頁)に書かれている、しかし、自分たちは祭祀承継者という個人に返すのだと言っているのだ。つまり、自分たちは世界の流れとは全く違う考えをとっているのだと国と北大が認めている。このようなことを許すわけにはいかない。これから裁判の佳境に向かっていくので是非ともみなさんに裁判の傍聴をして頂きたいし、これは骨を返せという事だけではなく、アイヌの考え方=その前提としてアイヌの存在とアイヌの社会というものの自立性を認めさせる戦いなのだということをご理解頂き、支援をおねがいする。

※アイヌ政策推進会議第10回「アイヌ政策推進作業部会」 (2013年2月22日)の議事録は以下。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/seisakusuishin/dai10/gijigaiyou.pdf

趣旨を変えないようにテープを聴きながら補いました。とりあえず、これでシンポジウムの報告を終わります。
次回は、北大の「報告書」に対して書く予定です。
このブログの字の色がうまく変えられずにいます。読みにくいかもしれませんがお許しください。


次回、第4回口頭弁論は6月14日(金) 午後2時より 札幌地裁8階にて
今年度より札幌地裁では入館の際に厳しい手荷物検査、ボディーチェックがされるようになりました。
なんでも全国の数カ所で試験的に導入だとか。入館に時間がかかる事がありますので早めにお越し下さい。
多くの傍聴をお願いいたします。

裁判原告の小川隆吉さんが7日、苫小牧駒沢大学で講演し、提訴のいきさつやアイヌ民族の心を学生に訴えたことが苫小牧民報のWEBで紹介されています。
http://www.tomamin.co.jp/2013t/t13050903.html

なお、「先住民族関連ニュースブログ」にて、アイヌ民族関連・世界の先住民族関連のニュースを毎日チェックしてストックしています。どうぞ、ご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ivelove/


留萌も朝はストーヴをつけていますが、やっと春らしくなってきました。
今朝は、遊びに来ている近所の子どもたちの野球の試合を寒いなか観戦。
見やすいところを選んで相手チームのベンチで、「よっしゃ~」と大声で応援。
負けはしたものの、寒さのが吹き飛ぶ試合でした。全体的に下手だった…けど、頑張っていた!


シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」報告 その3

2013-05-10 08:12:35 | インポート
続いて、「イギリスの状況」を植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)が報告。

4月19日に行われた政府のアイヌ政策推進会議作業部会で遺骨返還のガイドラインが示されたというニュースに触れて、どのようなガイドラインかまだ中身は知らされていないがイギリスではすでにガイドラインができ、それに基づいて返還されているので、その違いを注意して見ておく必要性を訴えました。
(ニュース参照:http://blog.goo.ne.jp/ivelove/s/%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3)

以下、重要部分を記します(詳細は前回お伝えした『資料』を参照してください)

・これまでの経緯として、1980年代にオーストラリアやニュー ジーランドから遺骨や副葬品の返還要求があったが、一部の研究者が遺骨返還の問題を取り上げたのみ。

・1999年にAlder Hey 事件が発覚。小児病院が死亡した小児の心臓や臓器を遺族の同意なしに大量に研究用に保管している事実が偶然に判明し、社会問題化。両親からの返還請求。

・遺骨に対する先住民族の感情が、Alder Heyの両親たちの気持ちと同様に理解されるようになり、遺骨問題がにわかに脚光を浴びるようになる。ここから、遺骨は研究上、重要であると主張する科学者と返還支持者の論争が活発化してくる。

・2000年7月、オーストラリア先住民の遺骨返還に向け、英国首相とオーストラリアのブレア首相が共同声明。英国にあるオーストラリア先住民族の遺骨を返す方向に両政府が積極的に努力するというもの。これをきっかけとして英国の科学者たちも返還に向けて動き出す(が、博物館保管物を移転させるのに法的な制約があったため遅くなる)。

・2001年5月:英国政府 (Department for Culture, Media and Sport) が遺骨返還に向けたワーキング・グループ ( The Working Group on Human Remains) を招集。2年後にワーキング・グループによるレポート(DCMS2003)。2004年11月:人体組織法(Human Tissue Act 2004)成立。この法律により、9つの国営博物館に、死後1000年より新しいと考えられる遺骨について、返還の権限を与える。

・2005年10月、英国政府が遺骨の扱いに関するガイダンスを刊行 (DCMS2005)。それ以降、大英博物館と自然史博物館がアボリジニの遺骨返還に同意。また、自然史博物館がトレス海峡諸島の先住民族の138 の遺骨を返還との報道。

・ガイダンス (Guidance for the Care of Human Remains in Museums)は最良の手続きを推奨するものであり、法的強制力はない。パート1(法的・倫理的枠組み) パート2(遺骨の管理・保存・使用) パート3(遺骨の返還請求)の三部構成。

・パート1(法的・倫理的枠組み)として、人体組織法(2004年に医学研究のための法律)で人体組織の扱い (DNA分析含む)を規定していたが、規定外の博物館の遺骨の多くについて別のガイダンスを作成。また、イングランドおよびウェールズの法律は人体や人体組織に対する財産権(所有権)を認めていないため、これにもとづく返還請求は困難であるなどの説明がされている。倫理的枠組みとしては、「手続き上の原則」と「倫理的な原則」とに分かれており、厳格さ、清廉潔白さ、個人と共同体の尊重、科学的なことへの尊重(科学を全否定する事ではない)、苦痛を与えないこと、連帯、善意など、一般的な原則が述べられている。これらに基づいて返還の手続きがなされなければならないという大枠が示されている。

・パート2(遺骨の管理・保存・使用) 説明省略

・パート3「遺骨返還請求に関するガイダンス」には、前提として踏まえるべきこととして、人骨は知識の進展に貢献すること、博物館の人骨には、不正に獲得され、個人やコミュニティが深く傷つられたケースがあることなどが示されている。返還請求に関しては、①オープンで公平な対話によって、ケースバイケースで解決されるべきである。②費用の問題が返還を拒否する理由となるべきでない、などが記されている。
さらに、返還手続きのモデルケースが記されている。①返還の申し出に対し、公的に受理し、責任者を明確にし、請求内容を明確にする。そのプロセスは申し出を受ける以前から公開とする。②次に証拠集めを行う。重要なのは請求者の立場と遺骨との関係(連続)性。ここでは、子孫に返還されないのは例外的ケースで ある(genealogical descendants)と明記されている。③総合と分析(すべての証拠を総合し、適切な規準にもとづき、公開された持続的な対話を行なうべき。倫理的・法的枠組みにしたがって証拠を分析する)。④意見聴取(必要であれば)。⑤決定(機関としての公的決定、報告書作成)。⑥アクション(決定プロセスの記録・保存、請求者への通知)。これらの段階をたどる。

・まとめると、①法的な問題で議論されるのではなく、倫理的なレベルで議論が行われているということ。法的に正しい事でも倫理的な問題を解決するように示されているのが特徴。②ガイダンスの中で、かつての遺骨収集には不正かがあったということが明記されている。特に、単に承諾を得ていないということではなく植民地支配の中で集められたということだけで対等な関係ではなかった。それを踏まえた上で検討せよと示されている。③具体的な事としては、必ず公開すること、平等な対話をすることが示されている。特に、遺骨返還を求める側は情報がないのに比べ、遺骨を持っている博物館側等は情報を持っているという情報のかたよりがあるので、博物館側が情報を積極的に公開するようにしなければならないと示されている。これらを含めて、返還に際して努力をするのは博物館などの遺骨を保持している側の責任だとガイダンスでは何度も触れられている。
北海道大学の遺骨返還を求める小川さんたちへの今までの対応を、これらのガイダンスに照らしてみると、どういうものかは、説明をしなくても分かる事。



この度のシンポジウムのテーマにある「遺骨返還は世界の流れ」は、以上の報告からも明らかですし、日本政府も北大もしっかりと見習って頂きたいですね。
倫理的な観点から各国政府が動いているという点も注目にあたいします。

がんばってテープ起こしをしつつ資料で補ってみましたが、いがかでしょう。できるだけ分かりやすいようにしたつもりですが逆に分かりづらくさせてかも知れず、申し訳ないです。
Facebookでもこのblogを紹介していますが、なかなか「いいね」がつきません(どうでもいい写真には「いいね」がたくさんつくのですが・・・苦笑)。中には、分かりやすいと言って下さる方がおられるので、今後も可能な限り分かりやすさを目指そうと考えています。

週刊金曜日掲載の記事「アイヌ人骨“発掘”研究の実態は依然不明??北大のずさんな管理が発覚」(平田剛士・フリーランス記者、4月12日号)が、同webサイトで読む事が出来ます。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3222
掲載写真は第1回口頭弁論の際に、裁判所前で札幌雪祭りを見に来ていた人びとに向けてアピールしたときのもの。


旭川 嵐山の笹作りのチセ(家)が作られています。まだ一日(午前中)だけしかお手伝いに行けていません。すでに笹が編み込まれ出したようですが、一週間前に行った時はサクマ(横木)用の柳の木の皮むきをしました。これからもちょくちょく手伝いにいけたらと思います。数年前の川村カ子トアイヌ記念館のチセ作りの時は毎日のようにお手伝いさせてもらったのがなつかしいです。
札幌ピリカコタンでも茅作りのチセが作られるようです。以下の北海道新聞記事参照。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/464354.html


シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」報告 その2

2013-05-09 13:01:49 | インポート
報告の続きをします。
前回同様、北大開示文書研のwebサイトで閲覧出来る当日の資料を見ながらの方が分かりやすいですので、是非、参考にご覧下さい。以下にあります。
http://hmjk.world.coocan.jp/symposium/sympo2013/symposium2013.html

小田博志さん(北海道大学大学院文学研究科准教授)のドイツ報告の後、「アメリカにおける遺骨返還を巡る問題」を市川守弘さん(弁護士)、 「イギリスの状況」を植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)が続けてお話しくださいました。

市川さんは3年ほどのアメリカ滞在中に3箇所の先住民族墓地を訪ねた経験から、金銀目当てに盗掘されたものや研究者が盗掘していった例を出し、特に、研究者による盗掘について報告。

19世紀にアメリカ連邦政府の助成を受けた「研究者」が先住民族の墓をあばいて首だけを切り離して持ち去り、頭蓋骨の研究をしたという。その目的は、「インディアンは白人と比べて知的に遅れた者であることを証明し、滅び行く民族であることを確認するため」であったとのこと。
民間人による盗掘もあり、その目的は経済的利益のためや、また首を飾って優越感に浸るというグロテスクなものもあった。
ジェロニモ(アパッチの伝説的人物)の墓をエール大学の秘密組織「頭蓋骨と骨の髄」(the Skull and Bones)があばき、頭蓋骨や大腿骨や鞍の一部を持ち去ったという事件もあった。

アメリカでは1990年連邦法 The Native American Grave Protection and Repatriation Act(先住民墓地の保護と返還法)を制定。この法律のすごいところは、まず、遺骨、副葬品の通商、輸送、販売の禁止。そして、5年の間に遺骨、副葬品を管理する連邦職員及び博物館は、可能な限りトライブ政府や宗教リーダーなどとの協議をしながら目録を作成しなければならないとした。しかも、序文に「誠実にしなければならない」と書かれている。

今回の北大の報告は、目録はわからないものがいっぱいあったからつくれなかった、アイヌの人たち、たとえばこの度の裁判を起こした杵臼の人たちに聞いたかというと全くない。誠実さを感じられない、と。

また、返還法制定の後に裁判になったあるケースでは、内務省が先住民族側について全面的にバックアップし科学者と争ったことを紹介し、アメリカの先進性を強調。

話では触れられていませんでしたが、当日の資料には、以下の一文もあるので紹介しておきます。

「返還の相手はトライブであるが、トライブは、法的な単位としてのトライブに限らず、インディアンのグループや地域社会(community)を含み、直系の子孫へも返還」

植木さんの報告は次回にいたします。



OKIがソロライヴを九州で行います。九州地方のみなさん、どうぞ。
5/17 熊本
5/18 玉名
5/19 阿蘇
5/20 阿蘇
5/21 佐世保
5/23 福岡教育大学
5/24 佐賀
5/25 諫早
5/26 天草(詳細発表は後日)
スケジュールはCHIKARA STUDIOのwebサイトへ
http://www.tonkori.com/schedule


シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」報告 その1

2013-05-08 12:46:45 | インポート
アイヌ人骨返還訴訟第3回口頭弁論の翌日、4月20日(土)13時15分より、シンポジウム「さまよえる遺骨たち Part3」~先住民の遺骨返還は世界の流れだ を開催。わたしたちアイヌ民族情報センターも後援となり、当日のわたしの役割はタイムキーパー。

北大開示文書研究会共同代表の清水裕二さんの挨拶から始まり、海外の先住民族の遺骨返還に関する報告を3つ、休憩をはさんで前日行われた裁判報告として、原告の城野口ユリさん(アイヌ遺骨返還訴訟原告、少数民族懇談会副会長)、小川隆吉さん(同、北大アイヌ人骨台帳開示請求人) 、そして、裁判の証拠として被告側の北海道大学が提出した『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(乙第12号証)に関する意見(市川利美さん:北大開示文書研究会メンバー)、そして、原告代理人の市川守弘さんによる「遺骨返還請求訴訟の経過」の順に進められました。

近く、北大開示文書研究会のwebページに動画がUPされるでしょうから、詳しくはそちらをご覧下さる事にし、ここでは、わたしの報告を書きます。

はじめに小田博志さん(北海道大学大学院文学研究科准教授)の「ドイツにおける遺骨返還の状況/倫理にかなった遺骨返還とは」は、たいへん興味深いものでした。
2011年にシャリテ・ベルリン医科大学が、20体のナミビアの先住民族の頭骨を返還したことの報告です。
シャリテ(慈善の意味)・ベルリン医科大学は、1710年にペスト病院として設立。ルドルフ・ヴィルヒョウ(1821-1902)や、ロベルト・コッホなど医学史の重要人物を排出し、森林太郎(鴎外)や、小金井良精らが留学してここで学んでいます。

ルドルフ・ヴィルヒョウの時代から、解剖学・人類学研究のために数千体から一万体をこえると推測される人骨が世界からベルリンに集められたというのです。しかも、その正確な数は不明だ、と。これらの写真などは、すでに当日配布した資料(コピー代実費)の中に掲載されており、いまは北大開示文書研のwebサイトで閲覧出来ますので、是非、ご覧下さい。
http://hmjk.world.coocan.jp/symposium/sympo2013/symposium2013.html

ドイツは1884年に南西アフリカを植民地とし、1904年にヘレロ人、続いてナマ人による武装蜂起の際にヘレロ人・ナマ人捕虜を強制収容所に入れ(すでにこの時代に強制収容所があった!)、ヘレロ人の8割(約6万5千人)、ナマ人の5割(約1万人)を虐殺。今回のナミビアへ返還した頭骨の20体のうちの18体は強制収容所で死亡し、ドイツ人医師によって頭部が切断され、フォルマリン漬けされてベルリンに送られたもの。

このドイツによる植民地ジェノサイド(民族虐殺)に対し、1990年にヘレロ人側がドイツに対して賠償請求を行い、2004年のヘレロ蜂起100周年記念式典で、ドイツ元経済協力開発大臣が「謝罪」スピーチを行った。このスピーチも資料に掲載していますが、ジェノサイドであったことを認め謝罪しています。
2008年には日本円で約23億がヘレロ・ナマで被害を受けた地域のコミュニティに開発協力の枠で支払われました。

肝心な、ベルリン医大が遺骨問題にどう対応したかについては、
・2008年にテレビ番組で遺骨返還の医師を書簡で通知。
・2010年には遺骨収集の経緯と歴史的背景を明らかにするために、ベルリン医大解剖学センターと医学史博物館合同でプロジェクトチームを開設し調査を始める。
・2011年にその調査を踏まえて20体の遺骨の返還記念式典を主催。この式典の挨拶で医科大理事長のアインホルプル教授は、自分たちのやってきたことはえせ科学であったこと、そして人種主義科学がナチズムに影響を与えホロコースト(ユダヤ人などの大量虐殺)の思想的背景になった事を認め、その犯罪を謝罪。
このベルリン医科大の返還にはドイツ政府も関わり、ナミビアとの外交関係の中で行われたとの事。

小田さんはベルリンと北海道との共通事項として以下を指摘。
・ レイシズムに基づく人骨研究という歴史的背景
・ 解剖学者・人類学者による人骨研究への関与
・ ベルリンを舞台にした、日独の研究者の人脈的つながり
学者の関与に関して、ドイツでは当事者意識を持って罪の意識と謝罪を行っているのですね。この度の北大の対応を考えると雲泥の差を感じます。

さらに、小田さんは驚く事を証言。先住民族の遺骨の問題を調べていくと19世紀から20世紀初頭にかけて、国際的な人骨流通のネットワークがあったのではないかという仮説が立てられる、と。その解明は今後の課題ですし、海外の大学や博物館などに収められているアイヌ人骨の経緯調査や返還についても考えていかなければならないでしょう。

たいへん役立つ豊かなお話でしたし、資料を得る事が出来ました。
(とは言いつつ、当日はタイムキーパーとして時間が押して焦っていたので、後日にゆっくり資料を見ながら聞きました)。
続きは、次回に。



留萌もようやく春らしくなって来ましたが、まだまだ寒い日は続いています。こどもたちからひどい咳のでる風邪をもらい、数キロ痩せました。皆さんもご自愛ください。


アイヌ人骨返還訴訟第3回口頭弁論

2013-05-07 11:39:18 | インポート
さる、4月19日午前11時半より札幌地裁法廷にて、アイヌ人骨返還訴訟第3回口頭弁論が開かれ、原告のお一人である小川隆吉さんが意見陳述をされました。
当時の報道記事は前回に紹介しました。ここで、わたしなりに小川さんの意見陳述を紹介します。

小川さんは1935(昭10)年に浦河町の杵臼でアイヌとして生まれましたが、差別意識の厳しい中、アイヌである事で差別を受けないようにとのご年配の配慮で、「親やまわりの年寄りは、アイヌの暮らし方や風習、伝統といったものを子供の私には見せないようにしていました」と、はじめに証言。葬式もアイヌ式でしていたけれど、こどもの目に触れぬように夜にこっそりやっていた、と。

この杵臼にある墓地に小川さんの曾祖父母、エカシ・フチが眠っており、わかっているだけでも先祖10名以上の遺骨を北海道大学が盗掘して行ったとのことです。「小川伊多久古禮が亡くなったのは明治38年6月3日、フチカシユが亡くなったのは昭和6年4月1日です。それらの骨はすべて北大に持ち去られ」たと、声を大にして証言されました。

小川さんが北海道大学にアイヌ人骨台帳なるものがあることを知ったのは、今から5年前。当時、北大医学部の学生からの電話から。すぐに北大事務局に飛び込み、林副学長面談。その際に、林副学長はアイヌ人骨台帳はあるが「あのままでは外部に出すのは難しい」、「記述内容に差別的なものがあった」、「時間がほしい」とのこと。待ってはいられないとの思いで、三日後に情報開示請求の手続きをスタート。

はじめに開示されたのは、とても台帳とは言えない、ワープロで入力された簡単なリスト。この元となった「台帳」を出して欲しいと北大に請求したが、「そんなものはない」の一点ばり。異議申し立てをしたところ、9月には申し立てが認容され、アイヌ人骨に関する文書がなんと27点も開示されるという始末。その中に、「アイヌ民族人体骨発掘台帳」という手書きの台帳があり、一寸、これぞ探していた「台帳」だと喜んだのもつかの間、記述内容を詳しく見ると先に開示されていたワープロ書きの台帳が若干くわしくなったのみ。さらに、2013年3月に北大が出したアイヌ人骨についての調査報告書には、台帳の原本である「発掘人骨台帳」があり、それが、小川さんが開示請求をしたときに医学部にあったとの記述に唖然とした、と。



こんな、今にいたってもなお「虚偽」と「隠蔽」しかない大学や研修者に大切な先祖の骨を保管させておくことはできない、と声を大にして語られました。
そして、無条件での返還と謝罪を求め、北大が行なってきた罪悪をすべて明らかにしていく、という言葉で陳述を終えました。

裁判には80名ほどが駆けつけました。後の報告会はなく、翌20日のシンポジウム「さまよえる遺骨たち」パート3にて詳しい報告がなされました。次回に、その内容をUPします。なお、小川隆吉さんの意見陳述書は、「さまよえる遺骨たち」のウェブサイトにて公開中。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4d41.html


以下のライヴコンサートの案内が届いていますので紹介します。

第6回マウコピリカ音楽祭「語りと音と永遠永遠と」
2013年6月30日(日) 19:00~21:30(開場18:30)
札幌エルプラザ3Fホール
入場料:前売1,500円(当日2,000円)



志穂A l D 星に願いを志穂に思いを
日時:5月19日(日)Pm13:30open Pm14:00start
出演:ZI ZI  Ainu art project
会場:BAR MINO(札幌市中央区北1条西3丁目古久根ビルB1F)
ワンドリンク付¥2000
先月突然倒れICUを経て今も入院中、5人の子供の母である志穂、ウタリ(仲間)達が結城家を支えようと緊急ライヴを開催。会場費以外、結城家へのAID(支援金)に。
問合 原田公久枝(ウタリ代表) E-mail:yakihunpe-talk-tn1218@docomo.ne.jp