アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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米国先住民族被曝者の実態と補償問題

2012-02-28 18:25:00 | インポート
『先住民族の10年News』 第181号(2012/2/11発行)に、「北米先住民族と核(4) 被曝の補償と先住民族、米国の場合」(玉山とも代さん 総合研究大学院大学文化科学研究科比較文化学専攻博士課程)が掲載されていたので読みました。北米の被曝者補償、特に先住民族被曝者への補償のあまりのひどさにがっかりしました。

米国では1990年になってようやく、被曝者補償法(RECA)という法律が出来たものの、補償内容は狭く浅く、補償額が安い。特に先住民族被曝者にとっては、母語としていない英語で複雑な書類作成はハードルが高いし、認定の面で、出生記録がなかったり結婚登録記録がない場合もあり、困難とのこと。

「元々、「白人」がまき散らしたもので何も知らずに病気になり、「白人」社会の、勝手に「白人」の都合によって決められたルールに則った方法でしかのみ、補償を受け取ることができないという理不尽さは、一体どうやって誰に訴えればいいのだろう、という思いが先住民族被曝者間にはある」(P.6)
と、玉山さんは述べていますが、補償を受けられた被曝者の中で先住民族は明らかに少なかったと報告しています。

本当に誰に訴えればいいのでしょう。

玉山さんは米国先住民族被曝者の実態、補償問題を報告しながら、最後に、以下の相関関係があると思うと言っています。
1.被曝の影響は健康被害だけではなく、社会的・経済的・文化的な人の生存の権利を奪う。
2.被曝の影響は、生物的・社会的・経済的弱者およびマイノリティーへより多大に集中し、甚大な格差を生む。
3.被曝の影響による社会的・経済的・地域的格差は、長期間に及び世代を超えて受け継がれ、そのギャップを埋めることは非常に厳しい。

さらに、「被曝した米国先住民族はギニーピッグ(実験動物)にされたという確信を持っている」と。

少数者、弱者へと追いやられている先住民族。その叫び声に耳を傾けなければならないと思います。
なかなかこのような情報を得ることがないので、情報提供は感謝でした。


山中で出会ったオオワシ。
 

以下の案内を頂きましたので、ご案内します。

アネサラ シネウプソロ~遠山サキさんファミリーと学ぶ、アイヌの唄と手仕事の二日間~

日 時:2012年3月3日(土) 17:30開場、18:00開演
内 容:アイヌ民謡ライブ

日 時:2012年3月4日(日)(10:30~12:30)
内 容:アイヌ刺繍のコースター作り、花ゴザのコースター作り、オヒョウの木の皮を使ったストラップ作り。

会 場:フェアトレード雑貨&レストラン みんたる(札幌市北区)
主 催:アネサラ シネウプソロ実行委員会
共 催:さっぽろ自由学校「遊」
予約&問合せ:090-2050-3139、pon_syon@hotmail.com(やなぎ/平日は19時以降で)

もう少し詳しくはイヴェント情報blogに掲載しています(http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive)


名寄にて道北センター理事会のために峠を往復。荒れるのも恐いですが、晴れて路面が滑るのも恐怖。
今冬の名寄の最低気温はマイナス27度とのこと。晴れると凍れるのです。
月がきれいでした。明日は皆既月食があるようです。晴れてこどもたちと見られたらうれしいです。


杵臼からの盗骨の「研究資料」化の調査

2012-02-24 20:52:07 | インポート
児玉作左衛門の著書『アイヌ』(英語で書かれている 『Ainu』 1970年)に、児玉が日高地方のアイヌ人骨を発掘したことが以下のように記されています。

「日高地方のアイヌ頭蓋骨は、一つの墓からではなく、いろいろな村から発掘された。そのうちいくつかは1920-1930年に埋葬されたかなり最近のものだが、大半はおよそ1870-1910年に埋葬された。(中略)著者は努力したが、この地方全体で35(男22、女13)の頭蓋骨しか集められなかった。これらは解剖学教室の大場利夫が計測した。最近、解剖学教室の松野正彦が日高地方中部の静内で132の遺骨を発掘した。」
(Sakuzaemon Kodama, Ainu; Historical and Anthropological Studies, Hokkaido University School of Medicine, 1970, pp164-5.) 植木訳


ここにある大場利夫について調べました。するとUさんから、北海道大学文学部附属北方文化研究施設『北方文化研究』第7号(1974年3月)に、大場利夫著の「日高アイヌ頭蓋の人類学的研究」があると情報を頂き、道立図書館で確認してきました。
大場が「研究資料」に用いたのが「日高アイヌの頭骨37ヶ」とあり、論文に添付されている表(P.67)と『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座 作成年不明)のリストは同じものです。大場は細かく、頭骨を計測して公表しています。この情報は、倫理的に問題はないのでしょうか。遺骨はご遺体の一部なのですから個人情報(カルテ)と言ってもいいのでは? すると、守秘義務違反となりますね。当時の法律も調べつつ、確認して行こうと思います。
解剖学教室の「松野」さんについても確認します。

さらに、杵臼から盗掘されたご遺体を研究材料としている論文を見つけました。
『北海道先住民族のAcromioglenoidale Breite(Hasebe)について』 松野正彦 
北大解剖研究報告1955年9月 第8号


これからも城野口さん、小川さんらの先祖の遺骨がどのように無断で用いられたかを調べていこうと思います。
いつか北大側が責任をもって、これらの情報をアイヌ民族に公開することを望みます。


前回blogで、アイヌ民族のコタンは、アメリカでのトライブと言えるのではとの疑問には、まだまだクリアしなければならないこともあるようです。法律の専門家から学びながら、より深めていこうと思います。

新たなアイヌ民族関連の映画の紹介を頂きました。以下、頂いた情報を添付します。

~カムイと生きる~上映について
自然と人間の共存を考えるドキュメンタリー映画「カムイと生きる」の先行上映が、3月3日から9日まで浦河町の映画館大黒座で行われる。
初日の3日は、午後3時からの上映後と同7時の上映前に、主演の浦河町姉茶出身の浦川治造さんとナレーターを務めた浦川さんの甥で俳優の宇梶剛士さんが舞台あいさつする。
 映画は、仲間たちが語る浦川治造の横顔と自然との対話によって彩られる日々を綴っている。
北海道の雄大な自然とそこに展開する幻想的なアイヌの唄と古式舞踊による映像日、伝統と文化を語り継ぐ、アイヌ語の厳かな響きを収めた。
問い合わせは大黒座(TEL0146・22・2149)へ。


暑寒別岳をのぞむ。留萌の今冬は全道で積雪量2位。まだ荒れていますし寒いです。今夜は-16度を超えるでしょう。


差別は続いている

2012-02-23 20:08:54 | インポート
前回、紹介した『学術の動向』2011年9月号の特集「今、アイヌであること―共に生きるための政策をめざして―」の佐々木利和さん(北大アイヌ・先住民研究センター教授)の講演「ひとつの列島、ふたつの国家、みっつの文化」を読みながら、疑問に思ったことを追加します。

佐々木さんは、以前からも言っておられることとして日本には「二つの国家、三つの文化」があったと論じます。
日本に①天皇を核とする国家、②琉球王国を核とする国家の二つの国家があり、それら二つの文化に加えてアイヌ文化があった。ここでは、アイヌは国家としては認めていませんし、なぜ国家ではないかの説明もありません。

では、他の国ではどうかと調べて見ると、アメリカでは先住民族はそれぞれのトライブ(主権の主体の意味)が、独自の法制度と独自の支配範囲を確保していたとされ、各集団に主権が認められています。トライブの小さいものはバンドと呼ばれ、一家族程度のもあります。
これをアイヌ民族に当てはめると、コタンがトライブだといえるのでは?
アイヌ民族は大きな全体的な国家はつくってはいませんでしたが、各コタンが独自の法を有し支配領域(イオル)を持っていたことは、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書(2009/7)にも書かれています(P.7)。
そうだとすれば、イオルという独自の支配領域内の利用権は先住権として確保されますし、アメリカでは先住民族とは条約を結んでいますが、アイヌ民族には条約がありませんから依然として各コタン(トライブ)には利用権があり、鮭などを取る権利があるはず。

先住民族の先住権は憲法以前の権利(それを前憲法的権利と言うのだそう)だと法律の専門家から聞きました。たしかに、不本意に土地を含むあらゆる権利を奪われたのですから、後から来た人々の憲法よりも先住権は強いというのは納得が行きます。

佐々木さんがアイヌを国家としないのは、アイヌは国家ではなかったので、諸国では先住民族に返還を続けている先住権だけれども、日本では認めなくていい、という考えにつながっていくように読めるのです。
常本さんも前述したように、国際的な先住権をアイヌに与えることは無理だとして、「文化」を薦めます。
お二人ともアイヌ政策推進会議のメンバーであり、北大の教授。


札幌駅から大通りにつながった地下道に展示されているアイヌ文様。素敵な作品がたくさんあります。


『学術の動向』のアイヌ民族特集に、アイヌ民族の文章も掲載されています。原田公久枝さんこと、キクちゃんは、アイヌ関連のいろいろな集会でお会いする度に声をかけて下さいます。彼女の「今、アイヌであることを語る」には、アイヌであることで学校や職場で差別を受けたことが書かれています。現在もスーパーのレジで働いている彼女に向って、「アイヌのくせに、何偉そうに客商売してんの?」「なんでお前みたいなもんが触ったものを俺が喰わなきゃなんないのよ」とあからさまに差別をしてくる人がいるというのです。なんと悲しいことでしょう。これでも以前に比べれば全然無いに等しい、と。
榎森進著『アイヌ民族の歴史』(草風館2007年)のプロローグに、キクちゃんの中学一年の時の作文が掲載されています。13歳の子が、「帰れアイヌ」と罵倒され、石を投げられながら、その作文で「みんなは人権というものがほんとうにわかっているのだろうか?」と問うています。アイヌであることで差別を受けるのは昔の話ではないのです。

なお、そのプロローグでもうおひとり、差別体験の作文が引用されています。この度、北大に先祖の遺体の返還請求をしている城野口ユリさんです。彼女の時代は学校の教師も校長も差別をしたことが記されています。是非とも、『アイヌ民族の歴史』を手にとって読んでほしいです。


留萌から南30キロほどにある雄冬(おふゆ)にある滝が凍った写真。毎年、趣のあるかたちを見せてくれます。

このところ、猛吹雪やインフルエンザの猛威で、近所のこどもたちが遊びに来ても6~7名でしたが、今日は久しぶりに晴れて、やんちゃな4年生を中心に17人も来ました。小さな礼拝堂でサッカー、バレー、長縄跳び、はんかち落とし、リーダー探しなど2時間半ほどですがたっぷりと遊びました。こどもたちの真剣な顔や笑顔、不思議な行動に笑いっぱなしです。
こんな純粋なこどもたちに差別を教えるのはオトナなのです。こどもたちの笑顔を絶やさないようにと最近は児童相談所との連携も持っています。


シンポ「今、アイヌであること―共に生きるための政策をめざして―」報告から

2012-02-21 16:29:23 | インポート
『学術の動向』2011年9月号に特集記事として「今、アイヌであること―共に生きるための政策をめざして―」が掲載されています。
今年の3月10日に日本学術会議主催で開催されたシンポジウムの「成果」をまとめたものです。
開催内容は以下のURLを参照。 http://race.zinbun.kyoto-u.ac.jp/event_report/20110306.html

最初の挨拶で、近年、日本政府がアイヌ民族を日本の先住民族として認めアイヌ政策を推進していく中、残念ながら全国的なマスコミ報道は少なく、国民の理解は大切なので開催したとあります。
開催も報告も啓発のためには大切だと思います。
が、このシンポジウムについては以前にも当blogでも触れましたが、さらに内容を読んで疑問になった点を紹介します。 

過去ブログ(2011/09/20 http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=3900611)では、このシンポジウムの中で、大きなスクリーンにアイヌの人骨の写真が映し出され、「このアイヌは病気だった、そのせいで脊椎が固まってしまったんだ」と解説する場面があり、参加されていたアイヌ民族のPさんは会場で思わず「泥棒、ちゃんとアイヌのコタンにそれを返せ」と叫んだことを紹介しました。その時は情報が少なかったのですが、今回の冊子で誰の講演内容がわかりました。

Pさんが問題にされたのは、篠田謙一さん(国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長)の講演。
篠田さんの同じような講演についても当blogで触れました。
(2011/11/01 3回連載 http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=3977482)

「アイヌ人骨の自然人類学的研究とその課題」と題した講演の内容は以下の通り。
まず自然人類学において
①集団の系統を明らかにする研究
②その集団の社会や生活を復元する研究
の二つの研究が行われていると説明。
①は、たとえばアイヌ民族は近隣の民族とどう違い、近いのかと比較していく研究。DNA分析もこちらに入り、成果を見せている。
②はその骨に残された病気などからその集団社会を復元するのだと。例えとして、ある人骨は20歳前後で死亡しているが幼少期にポリオを患ったと推測され、数年間にわたって寝たきり生活をしていただろうと骨から判断。ここから狩猟採集社会であってもハンディを負っている人をケアしながら生活していたことが分かる。
次の例に脊椎性結核と思われるアイヌ人骨を挙げ、埋葬年代は火山灰から1640~63年と断定でき、アイヌ民族としては最も古い結核羅患例と説明。これらの研究を進めることが出来ればアイヌの過去の生活の様子をより詳細に再現できるだろう。

また、真実を知るために、「資料として人骨を保存・継承していくことが必要」であり、質疑ではアイヌ人骨を元の場所に返すべきでないと主張(P.105「討論まとめ」)。
「アイヌ人骨の収集に関しては、発掘の当事者である研究者の日記などの記述等を見ると、現在の基準に照らして倫理的な責任がある者が存在することは明らかである。また、得られた成果の周知は学問の世界に完結して、当事者であるアイヌの人々に還元されることはなかった。これらのことは研究者として率直に反省すべきである。」(P.86)

Pさんは、上述の学者達への批判を持ち、アイヌ人骨返還と共に、遺骨盗掘の真実を追究しているお一人です。Pさんにとって、アイヌ人骨の写真を公開し、その人骨の個人情報(病気)を公表することに、怒りと悲しみを覚えたのでしょう。「率直に反省すべき」と口ではいう篠田さんも同類と考えたのではないでしょうか。

この問題をもっとわたしたちは身近な事として考える必要があると思います。自分の祖父母の墓を勝手に掘って遺体の一部を盗み出し、公の目に晒し、研究材料として扱う。その後は、研究室の隅のほうにダンボールに入れられ、忘れ去られる。そんなことをされてうれしいはずはありません。

遺骨研究は、過去の事実究明、反省と謝罪、そして補償を伴い、さらに研究「成果」をアイヌ民族にお返しすることから始めないといけないのではないでしょうか。

また、篠田さんは質疑で
「象徴空間の中でアイヌの人骨コーナーを作った場合には、それぞれの骨がどのように集められたものなのかについて、分かる限りつぶさに明らかにしていくことが必要だと考えている」(P.105「討論まとめ)より)
と述べていますが、仮定の話であっても人骨展示を考えているということでしょうか。そんなことをしたら「共生空間」とは名ばかりの、遺族の感情を逆なでする行為ではないでしょうか。



浜益の黄金山

このシンポでの疑問のもう一つは、常本照樹さん(北大アイヌ・先住民研究センター長・アイヌ政策推進会議)の「アイヌ民族と『日本型』先住民族政策」についてです。

常本さんは、国際社会では国連宣言で掲げているように先住民族とは自己決定権や土地に対する権利を中心とした特別の実態的権利を持っていることを述べつつ、アイヌ民族はそうではないという「問題が生ずる恐れがある」と指摘します。
その理由として、
①アイヌの定義が定まっていないということ。
②先住民族の権利には集団的権利が伴うが日本の法律では欧米を継受して、原則として個人の権利しか認めていないこと。
を挙げます。法律の専門ではなく一般的に考えても、両方とも課題だと思いますが、だからこそアイヌ政策推進会議において深め、権利回復の道を拓いていくべきと思うのですが・・・。
また、①については先住民族自らが決めるのでなければ意味がないでしょう。推進会議において幅広くアイヌ民族の声に耳を傾ける必要を感じます。②については、素朴な疑問が。法体制を継受した欧米は近年、先住民族という集団に権利を認めているのでは?そうなら欧米に倣えばいいと思うのですがどうなのでしょうか。

常本さんは、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書」(2009年7月)から以下を紹介。
日本政府は国際的な理解である先住民族への権利を横に置き、民族の権利というより、「国が負う責務の強さとその理由(民族側の同意の欠如)に着目した」。そして、「国が責務によって回復すべき民族の利権とされたのが文化」だった。文化の回復と言っても言葉や歌、舞踊、工芸などに限らず、「新しい文化を創り出せるような環境」の必要性も考えている。

そこから、「共生空間」の提言が出てくるのですね。
講演のテーマである「日本型」先住民族政策というのが、以上の内容です。
とすると、日本政府は、「問題が生ずる恐れ」を回避するために、国際社会的に言われている先住民族の権利をアイヌ民族には認めないと言っているようなものでは?
共生のための象徴空間というものを与えるだけで、先住民族にとって大事な土地や資源、自己決定権などを含む先住権を認めない、と。そうすれば①のアイヌの定義についても、②の集団権についても「問題が生ずる」ことはなくなる、ということなのでしょうか?

講演の質疑の中で、アメリカやオーストラリアと日本とでは先住民族に関する法制度はどう違うかが質問されました。その答えとして、それらの国は憲法あるいはそれに準ずる法的文章の中に、先住民族の位置づけが書き込まれているのが大きな違いで、「日本の場合はそれはがないが、憲法13条などを活用することによって法政策を進めていきたいと考えている」と述べています(P.104「討論まとめ」より)。

日本では法改正、あるいは憲法に準ずる法的文書の中にアイヌ民族の位置づけをするつもりはないと読めます。これはおかしいことです。
アイヌ民族の要求はそうではないはずです。
「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」第2回会議(2008/9/17)において、加藤 忠ウタリ協会理事長のヒアリングで、権利回復のために立法処置による施策を行うように。国連権利宣言に照らして権利回復を行なうように。これらを国の責任で行なうよう要望ししたことが記録されています。

気がつけば、過去の謝罪はもちろん、国際社会的な先住権を与えることは無理だよ、法的処置はできないよ、文化面だけは認めるよ、と言われているということか・・・


石狩から小樽方面を極寒の朝に撮影。澄んだ空、海の深い青、海上にただようケアラシ

今日の留萌も大荒れでした。一日中、猛吹雪で視界がほとんどない状態の中、共同通信の記者さんが、今回の遺族の北大訪問の記事を毎日に載ったと連絡をくれたので、店まで買いに行きました。
明日は奨学金関係を含め、どうしても札幌に所用があるので向います。現時点では札幌への道は通行止めになっていますが落ち着きますように。道立図書館にも寄って、北大医学部の論文や北方文化研究などを調べ、北大の発掘年代を見つけようと思います。


遺骨返還要求報道から

2012-02-19 20:50:54 | インポート
1930年代から戦後にかけて、北海道大学の学者達に先祖の遺骨を盗掘され研究材料とされたご遺族のお二人と共に、17日に北大に面談にいったことを前回に報告しました(若干、誤字の指摘があったので訂正済み)。

北大開示文書研究会のブログに今回の面談申込みの動画ファイルがアップされましたので、是非ともご覧下さい。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-947f.html


翌日の18日の北海道新聞に記事が掲載されていました。
残念ながら道新のウェブサイトには記事が掲載されませんでしたので全文の紹介は出来ませんが、以下の北大のコメントにびっくり。

「3人が提訴を検討していることについて、同大は「仮定の話に答えることはできない」としている。」
(北海道新聞2012年2月18日朝刊記事より)


遺体の一部を盗掘されたご遺族は、北大総長宛の要請書の中に、親や親戚から聞いて確認できた名前を明記しておられます。そのお一人おひとりのご遺骨を北大の学者達は遺族の了解を得ずに、掘り起こし、「杵臼のMさんの鳥小屋に置かれたブリキ蓋付きの缶」に入れ、持ち帰った、と証言。
その周りは「とんでもない異臭で耐えきれなかった、とMさんのお婆さんからはいろいろと、しっかり聞いています」と。

1986年に、この盗掘の実態調査をしたメンバーが杵臼の皆さんに聞取り調査をした際、証言者は盗掘された年と北大教授の数名の名前を挙げ、何体を持ち出したかを証言しています。
その時、杵臼の人たちは「北大の関係者に駅前で直に会って、先祖の祟りがあるからやめなさいと抗議した。しかし、そんなことあるかと笑われ、無視された」とのこと(Mさん1986年6月13日証言)。

さらに、別の証言者からは、「死亡して3年から6年足らずの新しいもの」を掘って行ったと証言。
それ以前に来て遺骨を掘ったが「遺骨が古すぎて研究材料にならないということで、2回目に来た」のだとも証言しています。(Nさん同年4月22日証言)

ご遺族は、一日も早く返してほしいと訴えてきましたが、だれも今までこの叫びを聞いてくれなかった、と。研究者達にはもう指一本も触ずに返してほしいと思われているかも知れません。

しかし、さらに気になることがあります。
今年3月の北大開示文書研究会にお招きしたA北海道アイヌ協会関係者からの情報です。
2011年2月に北大のH副学長らがアイヌ協会を訪問し、アイヌ遺骨についての協議をした際のこと。北大側はアイヌ協会に、「北大のアイヌ遺骨を精査中に、桐の箱内の遺骨がいいかげんで同一人物と違いバラバラだった。それを確認し遺骨の整理をさせてほしい」とお願いしたというのです。

発掘された遺骨は箱ごとで地域別に分かれてはいるものの、同地域の複数体の遺骨はごちゃ混ぜに一緒になっているということなのでしょう。
研究者は遺骨をご遺体の一部と認識をせずに、単なる「研究材料」としか見ていなかったということでしょう。だから、次々と研究室の奥から遺骨が出てくるのですね。今回の国の調査でも、確実に遺骨数は増えると漏れ聞いています。

是非ともこれらに関わった学者に、そして、現在も関係している方たちに、実情を伺いたいです。

話は戻しますが、複数体の遺骨がごちゃ混ぜに箱に納められている中から小さな部分骨を含むすべてを調査して一体一体を認定し、返還しなければならないとは、大変な作業になることと予測されます。

『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座 作成年不明)には、かつて北大が1000体以上の遺骨を「発掘」し、保管しているという事実が記されています。一方、盗掘されたものを返してほしいと訴える遺族がいます。
北大は「仮定の話」と言ったことのは文面通り「提訴」するかも知れないと言う「仮定の話」なら理解します。が、遺骨が遺族のものかどうかが「仮定の話」と北大が言ったように読んでしまったのでびっくりしたのです(単なる勘違いならいいですが)。もし、北大が後者のようなことを言うようであれば、それなりのことを証明しなければなりません。(2/20 7:00若干訂正)

前回blog記載にあるように、諸外国において遺骨返還がなされている今日、日本の北大、東大、京大、その他の大学も誠実に謝罪し、返還をすることを強く求めます。
(アイヌ人骨がある諸大学一覧は過去blog参照  http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=4066756)


大好きな雪山の風景。もう少しで固まりますから歩けます。


遺族が盗掘遺骨の返還請求を北大に

2012-02-17 21:26:20 | インポート
『先住民族の10年News』第181号掲載の、「先住民族の遺骨・埋葬品返還をめぐる海外の動向」(手島武雅さん)を紹介します。

この、遺骨や副葬品についての問題は手島さんの指摘の通り、アイヌ民族の当事者みなさんに十分な情報が事前に提供されることがないことと、わたしも考えます。
「遺骨の取り扱い一つにしても複数の可能な選択肢を議論することなく、博物館のような施設において“慰霊と研究”を行うという方策が唯一無二の選択肢であるかのように提案され、推進されていることである」

そうなのです。他にも道はあるという事を示さねばなりません。
遺体の一部(骨)を奪われたご遺族は遺体の返還を求め、謝罪を受ける権利があるということ。
それも、承諾なくして、いわば盗掘されたのですから慰謝料請求はもちろん、盗掘の経緯を知る権利があること。
どのような研究に用いられたかの研究「成果」を知る権利があること。
返還された遺骨は再度、盗掘者側に丁寧に埋葬させることが出来ること。
再び研究材料となることを拒否できること、など。
この他にも道があるのです。

アイヌ政策推進会議では、そのようなことは国の不利のためか、ほとんど扱っていませんでした。わたしも情報を得たいと願っていたところでした(現在進行中)。

手島さんは、ナヴァホネーションがアメリカ連邦政府を相手に2011年12月、過去に考古学者たちに発掘され、持ち去られた330人分の先祖の遺骨の適切な再埋葬のための返還を求めて連邦地方裁判所に提訴した詳細を掲載。
また、内務省は2010年に先住アメリカ人墳墓保護返還法(NAGPRA,1990年)の実施規則の見直しを行い、それによって遺骨を保管している大学、博物館、連邦政府機関などは、先住民族の居留区(または先祖の土地)から出てきた遺骨については、関係する先住民族に通告しなければならなくなり、当事者である先住民族は遺骨を取り戻す権利が与えられた、と。そのため、「全米で推定16万体の先住民族の遺骨に影響が及び、多数の遺骨が返還されると見られている」とのこと。
ハーヴァード大学のピーヴォディ博物館は最近、500体の遺骨の請求を受けて、職員を追加雇用して内務省規制に対処。
UCバークリー校でも、帰属先不明の約1万体の遺骨のうち6千体以上が返還される可能性があり、その返還先トライブとの連絡係として4人の職員が新規雇用。
ミシガン大学は1580体の遺骨を返還を求める13のインディアントライブにお返しすることを決定し、現在、遺骨の保管所に研究者は立ち入りを禁じられているとのこと。

アイヌ政策推進会議は、このような遺骨返還の海外の実情をきちんと調査し、丁寧にアイヌ民族に説明し、アイヌ人骨返還をするべきです。それなくして、研究可能な慰霊施設に遺骨を集積し、好きなように扱うことに反対します。


さて、浦河在住の城野口ユリさん、●●さん、そして札幌在住の小川隆吉さん三名が北大に対し、盗掘された先祖の遺骨や副葬品を返して欲しいと1月10日に要請文を出しました。

城野口さんと●●さんは父・母方の祖父母を含む八名の遺骨および副葬品、小川隆吉さんも先祖三名の遺骨を浦河町杵臼の墓地から北大の教授たちによって盗掘されました。
城野口さんは北大に対して以下の五点を2月17日に面談し回答を求める手紙を出しました。
①なぜ無断でお墓を掘り起こしたのか?      
②そのお骨を北大はどのように使ったのか? 
③お墓の遺体には、宝物(刀・タマサイなど)が必ずある。それはどうしたのか?
④遺骨が眠っていた杵臼コタンの墓地に、遺骨を元通りに戻して欲しい。一緒に埋葬されていたタマサイや耳飾りや刀も埋め戻してほしい。 
⑤母は54~5年も悔しくせつない生涯を過ごした。その償いを誠意を持って示して欲しい。お金には変えられない心の問題であるが、損害賠償や慰謝料などでの形で処遇を示して欲しい。それが母の遺志でもあった。


しかし、これに対する返事の期限(1/25)を過ぎても、北大からの返事はなく、2月6日に直接、事務局のわたしが北大に出向いたところ、総務課長が建物から出てきて、返事が遅れたことを謝罪し、大学は遺族と面談する意志はあるがその日は都合により要望に答えられない、3月に面談できるよう日程の相談連絡をするとの返事を口頭で頂きました。その後、同じ内容の文章が各遺族に2月14日に郵送されてきました。
遺族はこれでは納得がいかないと予定通り、2月17日に北大に面談を申し込む手紙を14日に出し、本日、ご遺族とその代理人である弁護士、そして北大開示文書研究会のメンバーと共に訪問しました。

通知時間に大学に行くと、建物の前に三名の警備員がたちふさがり、建物に入れることは出来ないとのこと。それを受けて、盗掘された遺族が直接面会に来ているので会えない理由をきちんと説明してほしいと総務課に連絡を要望しましたが出来ないと断られました。しかたがなく直接、総務課に電話で面談希望をしたところ、先方が建物から出てきて話を聞くことになりました。遺族は、昔も今も変わらない仕打ちをするのかと怒り、北大開示文書研究会から遺族の要望として、3月に面談が実現できるようにと要請書を提出しました。

アイヌ政策推進会議は、遺族に遺骨返還をすることを前提にし、政策を進めています。
が、盗掘した当事者が返還を求める遺族に対し、自分の都合が悪いからと警備員による門前払いをしようとしたことに疑問と怒りを覚えます。
ただ、お年を召されたご遺族が階段に座って話されているのを階段の上から見下げるのではなく、膝を土につけ、目線を下げて耳を傾けたことに総務課長の人柄を感じました。
今後の北大の対応に誠実さを願います。

近く、このやりとりの動画を北大開示文書研究会のウェブサイトにてUPすることを検討しています。
http://hmjk.world.coocan.jp/index.html

北大の誰が、いつ、なぜ無断で遺体の一部を持ち帰ったかに関する北大の資料は、開示請求では一部しか出てきませんでした。
『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第二講座 作成年不明)には、杵臼地区から11体の遺骨(男性6、女性5)が発掘されたと記されているのみ。別のワープロに打ち直した『発掘台帳』では、一体にのみ「昭和10年、児玉教授持参。浦河町字杵臼出土」と備考に書かれていますから、昭和10年に杵臼墓地から児玉作左衛門北大教授が掘り出したということでしょう。(但し、加えて「2体分以上なり」と書かれているのは意味不明)。

また、『北大解剖研究報告』1957年7月 第66号に『日高アイヌ歯牙の人類学的研究』(上田米三郎)に杵臼地区の遺骨9体を研究対象にしたことが記されています。


札幌ピリカ・コタンに祭られたイナウ


2012 札幌雪祭り周辺アイヌ民族関連 

2012-02-11 11:51:26 | インポート
2月6日から12日まで開催している札幌雪祭周辺のアイヌ民族イヴェントの紹介をいたします。
札幌雪祭会場内には「札幌スタイル」ブース内以外に見当たりませんでしたが、
周辺に以下のものがあり、出かけてきました。

「第18回インカルシペ・アイヌ民族文化祭」パネル展・民具展示
2012年 2月8日(水)~2月10日(金) 9時00分~17時
札幌市役所1Fロビー(札幌市中央区北1条西2丁目)
アイヌ文化と歴史のパネル展、民具及び工芸品展示・実演等
主催・北海道アイヌ協会札幌支部、札幌市


すでに終わってしまいましたが、9日に見学に行きました。幸いにムックリ演奏実演をしていて、若手で大会でも優勝したKさんの見事な演奏を再び聞くことが出来ました。何気なく聞いていた人たちは彼女の演奏のすごさは分からないかもと、思いつつ・・・



雪祭5丁目会場「札幌スタイル ブース内」にToyToy作品陳列
http://www.sapporostyle.jp/events/201201/snowfes2012/

お店なので写真は撮れませんでした。とてもかわいらしいブースでしたよ。



「アイヌ伝統工芸作品展」
2月5日(日)~12日(日) 10時~17時
中央区北2条西3丁目東向き バックストーンビル2F お茶処「ぴりか」
主催:フチヌ工房


フチヌ工房では毎週木曜日の午後にアイヌ文様刺繍教室を「ぴりか」にて開催しているとのこと。
生徒さんたちの上手な作品も展示されていました。
たまたま来られていた石井ポンペさんと再会。ヘペレ(小熊の声色を出す笛)を頂戴しました。感謝。




2月4日開催された第19回全道ムックリ大会は、優勝を目指して行きましたが、おとなの部の皆さんの上手なこと。
正直、二十数名中の20位ぐらいかと、がっくりしつつ帰路につきました。
後から知人が10位入賞していたことをわざわざメール下さり、その方に感謝。そんなはずはないと苦笑。
来年は事前にマイクを使う練習もして臨みます。初挑戦の際は13位でしたから、3位上がりました。

9日に猛吹雪の中、教会員の入院・手術の付き添いで札幌に行きました。
札幌は快晴。石狩からは大荒れ。こんなにも違うのかと驚きました。留萌は連日、雪・雪・雪・・・


ムックリ大会・コンサート 他 案内

2012-02-03 17:39:39 | インポート
最近、教会と地域の働きがなにかとあることと、大雪に埋もれて留萌から出られません。
いくつかイヴェント・テレビ番組の案内をいたします。

第19回全道ムックリ大会・第11回全道トンコリ大会
2012年)2月4日(土曜日)13時00分~16時00
札幌市アイヌ文化交流センター(札幌市南区小金湯27番)
ムックリ大会・トンコリ大会実施、ムックリ・トンコリ演奏指導、
前回優勝者による演奏等


第18回アイヌミュージックコンサート
2012年)2月5日(日曜日)13時00分~17時
札幌市アイヌ文化交流センター(札幌市南区小金湯27番)
アイヌ民族の団体による伝統舞踊、伝統楽器、アイヌミュージック、語り等の披露

パネル展・民具展示
2012年)2月8日(水曜日)~2月10日(金曜日)9時00分~17時
札幌市役所1Fロビー(札幌市中央区北1条西2丁目)
アイヌ文化と歴史のパネル展、民具及び工芸品展示・実演等


明日は、札幌にて大事な会議がありますので、少し前に出て、ムックリ大会にも行こうと思います。
ムックリ大会は過去2回出させて頂きました。初めてのときは13位。一昨年はチカップさんの葬儀に間に合わせるために結果を聞かずに帰りましたので不明。
今年こそは優勝を目指します! と、言いつつ、また3時半に大事な会議があるので結果は聞けないですが・・・。全力を出します!!



三日月


2月5日(日)19:30~20:00
総合テレビ ダーウィンが来た!「密着!ラッコのぷかぷか生活」カリフォルニア
アメリカ西海岸、巨大海藻が生い茂る豊かな海でラッコに密着。
http://www.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/next.html


ラッコについては過去blog(09/01/21)に、少し書きました。
http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=1912841

ラッコはアイヌ語であることはご存知でしょう。
本田優子さんがアイヌ文化振興・研究推進機構の2003年度普及啓発セミナーで「アイヌの生活文化」(衣食住について)講演をされ、その中でラッコにも触れています。推進機構のURLは以下。
http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem15.html
ラッコはひとつの毛穴から35本も毛が出てるそうな。1平方センチメートルあたりに生える人の毛が230本に比べて、ラッコは15万本! しかも、ラッコの毛には寒さを防ぐために毛の中に空気を含む層が入っているとか。
かつて旭川の川村カ子トアイヌ記念館で、館長から「ラッコの毛並みは逆毛がないので両方になびく。それを例にして“浮気”癖のある男をラッコの毛皮と言っていた」と教えていただきました。
プカプカういて、蟹やウニや貝をたらふく食べているラッコも生きるのに苦労しているようです。


先住民族ネットワークAINU 学習会
テーマ:COP11(生物多様性条約会議)名古屋会議報告を受けて
            「私たちはどのようなことができるのか」を一緒に考えませんか?
講師:秋辺 日出夫氏、越田 清和氏
とき:2012年2月16日(木)18:30~21:00
ところ:札幌市エルプラザ4階「研修室2」(札幌市札幌市北区北8条西3丁目)
資料代:500円
http://www.win-ainu.com/index.html

他にも2月、3月にはイヴェントが詰まっています。以下にまとめましたのでどうぞ。
イヴェント案内  http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive


新千歳空港国際線ターミナルビル2階にアイヌ文化紹介コーナーが設置されたとニュースがありました。
外国人観光客だけではなく、北海道に観光に来られた国内の方にもアイヌ民族への正しい理解を促すものになればいいですね。以前にも国内線ターミナルビル3階に設置されていましたので、毎回、空港を利用する時には覗いていましたが、今回、装いが新たにされた後になくなっていたので心配していました。が、国際線に移設されたのですね。
(苫小牧民報 2012年 1/28  http://www.tomamin.co.jp/2012c/c12012801.html)

他にWEB上の報道関係は以下にまとめています。
http://blog.goo.ne.jp/ivelove/




留萌から札幌に向って浜益を抜ける時に見えるサイのような岬。
きれいでとても気に入っています。いつだったか1930年代の古いフィルムにこの岬が映っていたのを観たことがありました。どこで、だれが写した映像をどこで観たのだろう・・・。