アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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「人間」展示の歴史

2011-11-30 13:48:08 | インポート
フランス・パリ(Paris)のケ・ブランリー美術館(Musee du Quai Branly)で28日より「作られた未開人(the invention of the savage)」展が開幕したというニュースが入りました。
「『人間動物園』、植民地支配の負の歴史を伝える展示会 フランス」(AFPBB News 2011年11月29日 18:20)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2843167/8139713?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics


植民地主義による負の歴史と向き合う展示会。植民地から先住民族を連れさり、「未開」と「文明」のコントラストを示すために「展示」したということは過去blogにも書きましたが、その歴史を展示したとのこと。
(http://pub.ne.jp/ORORON/?search=11138&mode_find=word&keyword=%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92)

今回の展示会では先住民族がどのように「扱われた」かを絵画や彫刻、ポスター、書籍など600点で展示。
なかには白人がいかに優秀だったかを示すために用いられた頭蓋骨計測器もあるとか。
形質人類学で用いた道具でしょうか。頭蓋骨の大きさで優劣を調べたという差別的な研究・・・。
見たいですね。

もちろん過去展示の問題点も示しているのでしょう。

同じニュースに、ドイツのハンブルク(Hamburg)で動物園の入口には、たくさんの動物の像と共にアメリカやアフリカ先住民族の像が今もあると書かれていました。動物園と植民地主義の問題も過去に書きました。
また、ある人の調査では1810年から1958年の間に各国の展覧会やサーカス、劇場などで見せ物として先住民族を(「未開人」)を見た人は14億人に上ると推計されると・・・。

アイヌ民族も過去に「展示」されました。
1872年:湯島聖堂博覧会(東京)
1873年:ウィーン万国博(オーストリア)
1903年:第5回内国勧業博覧会(大阪)
1904年:セントルイス万国博(アメリカ)
1907年:東京勧業博覧会(東京)
1910年:日英博覧会(イギリス)
1912年:明治記念拓殖博覧会(東京)
1913年:明治記念拓殖博覧会(大阪)
1914年:東京大正博覧会(東京)
1918年:開道五十年記念北海道博覧会(北海道)
1922年平和記念東京博覧会(東京)

(過去blogも参照  http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=954230)。

日本でも負の歴史を伝える展示会を考えてほしいですね。
アイヌ政策推進議会がすすめている「民族共生の象徴となる空間」の博物館の1コーナーにどうでしょうか。
以前から考えていたことですが、盗掘といい、研究といい、負の歴史を分かりやすく展示したらいいのです。
人形などでアイヌの目を盗んで墓を掘っている姿や、頭骨や生身の人間を計測している姿など、どうでしょう。



「ノヤ」入稿を終え、発送準備ちゅうです。今しばらく、お待ち下さい。
明日も作業メンバーとノヤ発送。明後日は会合で札幌です。


金成マツさんの記念DVD

2011-11-27 08:26:52 | インポート
室蘭民報(11/26朝刊)に金成マツさん(1875~1961年)の没後50年記念DVDが制作されたとのニュースがありました。
札幌在住の小野邦夫さんが制作、北海道アイヌ協会登別支部が監修。
小野さんの作品は知里幸恵さんのを観た事があります。彫刻家・砂澤ビッキやJ.バチェラー、N.G.マンローなどのビデオもあるとのこと。すごいですね。
是非とも観たいです!

以下、室蘭民報の記事の抜粋を添付します。

 マツは「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵(1903~22年)の伯母で、育ての母としても知られる。明治8年幌別村に生まれ、旭川や函館では婦人伝道師として活動した。「アイヌ叙事詩ユーカラ集」は昭和31年無形文化財に指定された。昭和36年85歳でこの世を去った。紫綬褒章受章、登別名誉町民表彰などを受けている。
 ビデオはマツを通してアイヌの歴史と文化の素晴らしさ、マツを中心とする知里・金成家の功績を広く知ってもらおうと800巻製作。北海道アイヌ文化振興・研究機構の助成を受けた。
 時代背景を織り交ぜ、マツと関係の深い尾形青天さん、藤本英夫さん、大友正幸さん、宮武伸一さん、藤原秀男さん、佐々木豊さん、谷本一之さんら総勢7人が功績を語る。
 「北海道歌謡集」(知里真志保監修)の音声などを収録し、9章に区切り、生涯と実像に迫る内容だ。
 小野さんは「映像と音声を通しマツが謡うユーカラの声や力強さを感じ取ってほしい」と力を込める。同支部は「貴重な資料。マツが残した功績は大きい。映像を通じ足跡をたどってほしい」と鑑賞を期待している。
 既に北海学園大学(札幌市)でアイヌ文学の授業で取り入れられている。知里真志保の著書「アイヌ文学」の復刻版と一緒にアイヌ関係団体、図書館、学校などに配布された。
(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/11/26/20111126m_05.html



センター機関紙「ノヤ」の発行のため、準備を続けています。今回も大阪の斎藤さんに編集をお願いし、明日に入稿します。来週には発送できると思います。
今回は、巻頭言に笠田弘樹さん(琴似中央通教会牧師)、カナダ合同教会の先住民族の教区幹事マシュー・スティーブンスさんの説教、そして、教職講座や浦河ノンノ学校、函館アイヌ民族フィールド・ワークの諸報告が続き、内容盛り沢山です。

21日はアイヌ民族委員会・情報センタースタッフ会合同委員会のため札幌へ。
23~24日は道北地区の地区修養会が美深温泉で開催され、アイヌ語ポスト・カードや書籍のアピールと販売をしてきました。ポストカードは30セット販売!

今週から教会はアドヴェント(待降節=クリスマスの四週前から)が始まり、クリスマス準備を始めました。クランツやツリーも出しました。徐々に準備をしつつ、今週もノヤ入稿、家庭訪問、諸会議と続きます。

この時期、毎年ですが車がスピンし、ダメかも~とヒヤッとします。幸いに事故にいたらず助かっています。
与えられている命、大切にします。





アイヌ協会江別支部学習会

2011-11-21 07:11:22 | インポート
アイヌ協会江別支部の学習会に行ってきました。
講師は「クスクップオルシペ~私の一代の話~」著者の砂澤クラさんのお孫さんに当たる砂澤代恵子さん。幼少の頃からアイヌとして生き、20代より本格的に刺繍や織物などに取り組み、現在、「アイヌ民族伝承会らぷらん工房」を拠点に、作品制作や講習会の講師を務め、苫小牧駒澤大学でも刺繍を教えておられるようです。

祖父母(クラさん)が春になると春マタギに山に出かけ、必ず熊の子を連れて帰ってきてくれる。それがかわいくて楽しみでしかたがなかった、と。そして、毎年、その熊を育ててイオマンテを行っていたそうです。その当たりのお話しをもっと詳しく伺いたいですね。

クラさんの本では、毎年、山に猟に出かけていて、それも相当広い範囲で移動していたことが書かれていたのを記憶しています。木ネズミ(リス)が旨かったというのもインパクトありました。台湾タイアル民族のご家庭でムササビをご馳走になり、美味だったことを思い出しました。

スコットランド博物館まで出かけ、ニール・ゴードン・マンローのアイヌコレクションを観にいき、130年前の作品を二つ複製作業もされたそうです。「素晴らしい作品で引き込まれるようだった。ただ、誰のいつの作品かが分からないのが残念だった」と。
アイヌ関連のコレクション・ヒストリーのないことの問題は過去blogにも書きました。マンローコレクションもコレクション・ヒストリーが書かれていないというのは不思議。たまたま先日からマキリの彫刻を見るために開いていた資料集「海を渡ったアイヌ工芸 英国人医師マンローのコレクションから」の出展資料リストをながめても、確かに書かれていない(そもそも「出展資料リスト」には書かないものかも・・・)。

 差別のお話しもあり、胸が痛みました。参加者の感想に、「わたしは差別をしなかったし、アイヌ差別を周りで見た経験はない」という類のものが今回もありました。しかし、現に差別はあり、何よりも国が先住権を認めていないという構造的な差別を変えるために努める必要性を改めて感じました。

 差別の資料で、「アイヌのなにが悪い!」という文章が配布されました。娘さんで元ウタリ協会(現・アイヌ協会)苫小牧支部生活相談員の砂澤嘉代さんが2001年に(多分、解放出版の冊子に)特別寄稿されたもののようです。

身体的特徴が差別の対象になった事例、暴力事件にまでなった例、それでも学校側は「アイヌということでいじめを受けることはない」と言い張る無責任な姿勢の問題など、生活相談員という主にアイヌ民族を対象にした市町村の相談窓口役として見聞きしたほんの一例を紹介してくれています。1996年度の教育相談件数は336件、2000年度では427件もあり、今、日本の学校内の現実の問題だと。 あらためて、周りの皆さんからアイヌ民族差別について伺いたいと思いました。
 
 講演終了後、嘉代さんとのつながりがうれしく、ご挨拶させて頂きました。


講演会会場の別フロアーでは、江別の手芸同好会「ユペオツの会」主催のアイヌ刺繍展示会が催されていました。
代表の清水百合子さんは裕二さんのお連れ合い。「催しの準備も半年前に会場予約を取らないとだめだった」と、親しくお話しくださいました。とても素敵な作品が多く、たくさんの人の目をくぎづけにしていました。

道新が記事にしていましたので、引用します。
(北海道新聞 11/20 10:00)
 【江別】アイヌ民族の衣装などをつくる手芸同好会「ユペオツの会」(清水百合子代表)が18日から3日間の日程で、初の展示会を野幌公民館ギャラリーで始めた。伝統模様を忠実に再現し、草や木の皮を使って布地を染める古来の製法で、日高管内平取町で古くから伝わる衣装を忠実に再現している。
 同会はアイヌ文化に関心を持ち、「いつかアイヌ20+ 件民族の衣装を作りたい」と願っていた清水代表を中心に2005年に結成し、市内と近郊在住の7人で活動する。
 衣装づくりは06年から、平取町在住の講師に教わりながら始め、現在は月2回程度、会員同士で集まって製作している。
 展示会では、伝統模様「チカルカルペ」「カパラミプ」などを丁寧に刺しゅうした衣装、子ども服、タペストリーのほか、エコバッグなど約100点が並べられている。
 同会がつくる衣装の特徴は、自然の素材を多く使って古くから伝わるアイヌ民族衣装の雰囲気を再現すること。伝統模様をつくる布地は古い布を集め、タマネギ、ヨモギ、木の皮などを使って染める古風な手法で丹念につくる。
 伝統を重んじるだけではなく、フードを付けて赤や緑などカラフルな模様をあしらったコート、シンプルなワンピースなど実用性を考えた衣装づくりも心がけている。
 清水代表は「衣装を見て、アイヌ民族が生活していたという事実を再認識してほしい」と話す。
 観覧無料。午前10時~午後5時(最終日は午後4時まで)。(竹内桂佑)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/333005.html




今日はこれからアイヌ民族委員会・情報センタースタッフ会のため札幌です。
ついでに推進機構に寄って、煙草入れの製作DVDも借りてこようと思います。


札医大のアイヌ遺骨研究

2011-11-19 08:12:35 | インポート
その後、遺骨調査の報道が止まってしまいました。道新は出すと思ったのですが。

さて、2004年1 0月7日、札幌医科大学学長宛に北海道ウタリ協会(現、アイヌ協会)理事長名で、以下の照会要望が出されています。

1.アイヌ民族の遺骨収集について ①収集目的 ②収集揚所 ③遺骨の柱数 ④収集年月日 ⑤収集者(責任母体〉⑥遺族または本人の合意の有無 ⑦その他
2.遺骨に係る研究実績について ①研究者名 ②発表年月日 ③論文等の提供希望
3.これまでの貴大学の保管や慰霊の状況について
4.今後の保管、慰霊について
5.その他特記事項


その応答としての「札幌医科大学古人骨標本の概要 古人骨収集の目的」(2005年4月4日)には、以下のことが書かれています。

昭和3 4年に医学部解剖学講座が発足して以来、人類学的研究がおこなわれ、北海道内より出土した縄文時代から近世の古人骨資料を現時点において697体、そのうちアイヌ人骨は291体ある。アイヌ人骨の収集に札幌医科大学が直接たずさわったのは、1959年から1961年にかけて、当時制定されて問もない文化財保護法による行政手続を経て発掘調査を実施。8件77体。

「文化財保護法による行政手続きを経」ることが、⑥の「遺族または本人の合意の有無」に答えているということでしょうか。文化財保護法を調べて見ると、遺骨が含まれるのかがまず、疑問。手続きとは92条に該当するのか?附則を合わせると三百条以上あるので専門家に聞こうと思いますが。

他の調査は以下の通り。
教育委員会等の行政機関による発掘調査 36件117体
他大学等の教育研究機関による発掘調査 2件6体
教育委員会等の公的機関・民間団体からの移譲 19件26体
個人からの受託 11件33体
工事中の発見 6件32体


もうひとつ疑問があります。アイヌ民族の遺骨発掘8件77体の埋葬年推定は? 北大での埋葬後数年しかたっていない遺骨収集の証言もありますので疑問です。研究論文に明記されているのでしょうか。
研究論文については、現在調査収集中であり平成1 7年末までに論文リストと別刷りを提供できる見込みである。とのこと。すでにアイヌ協会に提供されているのでしょうか。

慰霊については、「遺跡の発掘現場では供養がおこなわれることが多いが、本学に保管されてからは古人骨に対する慰霊式などの行事はおこなっていない。イチャルパ等の慰霊については、今後実施に向けて検討していきたいと考えている。」と応答。札医大はその後、アイヌ協会との話し合いの中で、2006年よりイチャルパ(慰霊祭)を実施しています。

その関連の過去報道を調べていたら、北海道新聞2005年5月23日朝刊にて札医大で人類学を教えてきたO医学博士がこんなことを提言しています。
「研究者が常駐するアイヌ総合研究所を建設して遺骨を適切に保管し、研究とともに慰霊を行える場を作るべきだ」と。以前からこのような意見が出ていたのですね。はて?研究と慰霊を共に出来るのか?

北大に対してはこのような質問を北海道民族問題研究会代表・海馬沢博さんが1980年に出します。2年後に北海道ウタリ協会が人骨の「適切な処置」を北大に申入れます。



函館 海峡通の美術館。ツタの葉の紅葉がきれいだったこと!
今日は道立図書館で調べ物をして、アイヌ協会江別支部の学習会で砂澤代恵子さんのお話『私の歩んだ人生』(仮題)を聞きに行きます。


続報 朝日新聞記事に「文科省 アイヌ民族遺骨調査」

2011-11-15 14:14:30 | インポート
今朝の続報です。

朝日新聞記事に「文科省 アイヌ民族遺骨調査」が出ました。

心配していた私立大の調査も行うとのこと。
さらに、調査内容は、(1)収集の経緯(2)大学の保管状況(3)保管数、など。調査を期待します。
特に(1)収集の経緯 は大切ですね。いつ、誰がどこで、誰の遺骨を、どのように(遺族に了承を得たか)発掘したかが。
盗掘もあったと認めている部分がありますから、ことさら丁寧に調査をして頂きたい。
ちなみに、承諾を得ていないと判断できたものはすべて盗掘と言っていいと思うのですが。

また、全国の博物館、個人所有、海外の調査も続けていただきたいですね。
さらに、アイヌ民族人体発掘台帳のワープロ化した「台帳」によると、例えば「38年11月17日 苫小牧図書館より借用」という備考があるので、これらの調査も含めて図書館、各郷土資料館などにも調査をする必要を感じます。

以下、一部を引用します。
 政府の調査によると、遺骨は江戸時代から人類学の分野で研究対象とされてきた。1865年には、英国領事館員らが道南地域2カ所のアイヌ民族の墓地を発掘し、持ち帰る事件があった。
 その後も少なくとも戦前にかけて、日本人の起源をめぐる研究が盛り上がる中で各地で遺骨が集められ、大学で保管されたとされる。アイヌの人々の同意を得ずに集められたものもあるという。
 アイヌ政策推進会議の「民族共生の象徴となる空間」作業部会が6月にまとめた報告書では、遺骨の返還や集約の進め方を検討するため、保管状況を把握するよう指摘していた。返還のめどが立たない遺骨を象徴空間に集約、尊厳ある慰霊をし、集約した遺骨をアイヌ民族の歴史を解明するための研究に寄与するともうたっていた。
 日本人類学会は、北大や東大、京大、大阪大、東北大、新潟大などに約1500体あるとの報告をとりまとめている。北大には最も多い969体が保管されているとされ、1982年に当時の北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が、将来にわたってアイヌ人骨の供養に誠意ある措置をするよう北大総長に申し入れた。その後北大に納骨堂が整備され、協会主催でイチャルパ(先祖供養)が執り行われている。(神元敦司)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001111150004


くどいようですが、「戦前」までで遺骨収集が終わったわけではありません。
そのように読める記事内容に何かしらの意図を感じますが。

戦後の発掘は以下の通り
① 1955-6年 北海道大学解剖学教室が静内で大量発掘 
② 1965年 北海道大学解剖学教室が江別市対雁で発掘
  (植木哲也さんの発題レジュメによる)

①の静内からの発掘数は資料がないので、開示された手書きの「アイヌ民族人体発掘台帳」(北大医学部解剖学第2講座)に記されている遺骨数を調べると、166体。但し、ワープロ化された別「台帳」には3体加わっています(これらは寄贈者が明記されているので発掘ではない)。
②の江別対雁での発掘は手書き「台帳」には「樺太」として20体が明記されています。
ところが、北海道アイヌ協会「第26回北海道大学アイヌ納骨堂におけるイチャルパ」の資料には、樺太の20の地区から91体を発掘していることになっています。
数字が資料によってバラバラなのです。それだけ丁寧さが欠けていたと言うことでしょう。丁寧な調査を望みます。

ちなみに手元にある資料「札幌医科大学保管アイヌ人骨遺跡別リスト」によると、札幌医科大学による発掘調査は戦後の1959年から69年の浦河町浜東栄や門別町第二豊田などの7箇所から75体を発掘しています。
「固体別リスト」には刀、着物、鎌、骨角器などの副葬品も記されていますので同時に発掘したのでしょう。北大の副葬品発掘物の行方不明も加えて、それら副葬品の調査も同時に行うことを望みます。



北大の銀杏並木。きれいですね。たくさんの見物客がいて、歩行者天国状態でした。
少し前なのでもう葉は落ちているでしょう。留萌は朝から雪・雪・雪。冬の始まりです。


読売報道 「アイヌの人骨を調査」

2011-11-15 07:22:14 | インポート
やっと本格的な調査が国によって行われようとしています。
以下、読売ニュースの引用です。

アイヌの人骨を調査…来年12月までにまとめ
 政府のアイヌ政策推進会議(座長・藤村官房長官)は14日の作業部会で、全国の大学に保管されているアイヌの人骨の状況を調査し、来年12月までに結果をまとめることを決めた。調査結果を踏まえ、北海道内に建設予定の慰霊施設に移すか、遺族に返還する方針だ。
(2011年11月14日21時08分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111114-OYT1T00909.htm


もう少し詳しい報道(「議事概要」の公開)がほしいですね。
過日のアイヌ政策推進会議の常本・佐々木両氏との質疑では、今までは「全国の大学」とは国公立大学にとどまっていました。私立大学、各博物館、学者たちの個人所有、そして、海外に流出したご遺骨も含めての調査を願います。
もちろん、様々な難しいことがあるでしょうが、国が過去の謝罪を込めて、出来うる限りの努力をしつつ慰霊施設設置をして頂きたいです。
大きなニュースなので他の紙面でも報道されると思います。北海道新聞の今朝の紙面にも掲載されていません。
待ちましょう。


ポロト・コタンの鮭 いつもチセの天井に吊るされています。美味しそう。


先日のblogにアイヌ民族博物館の特別企画展「男の手業 マキリと煙草入れ」のことを書きましたが、技術を競いあいつつ、互いの向上のために刺激になった彫刻のことをもっと知りたいと、手元の写真やアイヌ生活文化再現マニュアルの「彫る」を観直しています。タンパクオプ・ニキセリ(喫煙具)には興味がなかったのでまだ借りていませんでしたが、今度、レンタルして観ようと思います。
先日、川村カ子トアイヌ記念館の館長にお願いして、マキリをお願いしました。とてもいいものを作って頂きました。
苫小牧民報に紹介記事が出ています。

【白老】アイヌ民族博物館で特別企画展「男の手業」始まる (苫小牧民報 2011年 11/14) 抜粋
 展示されているのは、マキリ約80点、たばこ入れ11点、江戸時代などの人物画7点。同館をはじめ市立函館博物館、網走市立郷土博物館などの所蔵品が中心だ。
 マキリは狩猟、採集、木彫り、漁労など日常生活の必需品とされ、さやや柄にアイヌ独特のうろこや曲線模様を施しているのが特徴。女性に求婚する際の贈り物としても使われるなど、今回の展示品も見た目の美しさが光るものが多く、アイヌ文化では珍しい幾何学模様のマキリも目を引く。たばこ入れは印籠型で、キセルを収納する腰差しと一体となっているのが基本形。腰差しとを結ぶひもにガラス玉を通したおしゃれな品も展示されている。マキリ、たばこ入れともアイヌ男性の手仕事として確立され、「頑丈で見た目も美しいほど、男性としての度量を高く評価された」(同館)と言う。
 人物画はたばこの葉を手に入れた喜びを、2人の古老がタプカラ(踏舞)で表現している様子や、腰にマキリを携えた男性が狩猟をする様子を描いたものなど。このほか、貝沢徹さん(平取町)、藤戸幸夫さん(オホーツク管内津別町)といった現代アイヌ工芸家の作品も展示されており、現代文化との融合という視点からも楽しむことができる。
 同館の野本正博学芸課長は「展示品を通じて、時代背景や和人にもひけを取らないアイヌ民族の高い技術力を感じ取ってもらえたら」と話している。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11111402.html




第24回アイヌ民族文化祭

2011-11-13 19:20:01 | インポート
国際先住民の10年 第24回アイヌ民族文化祭(11月12日 土曜日 14:00-16:30)に行ってきました。
アイビー・プラザ(苫小牧市文化交流センター)での開催だったので、少し早めに出て白老ポロト・コタンに行きました。

ポロト・コタンではいつも説明してくださる方ではなく、若手の方でした。しかし、丁寧にひと通り工夫を凝らして解説してくれました。その後、いつもの踊りや歌、ムックリの演奏を見せて頂きました。客が10人もいなかったのでとてももったいなく感じました。

博物館に行くと、特別企画展「男の手業 マキリと煙草入れ」の最終準備中でした。翌日の13日からとのことで、遠くから覗いていると、なんと、学芸員のNさんが手招きして下さるではありませんか。熱心に見ていると、そっと寄ってきて詳しく説明して下さるのです(感動!)。説明によると、マキリの彫刻も煙草入れのそれも男達が自分の技術を披露するために用いられたとのこと。さらに煙草がアイヌ文化に取り入れられてからは、単なる嗜好品としてではなく、煙はカムイへの献げものとして用いられ、互いに煙草を回しながら交流を深めていた(その際にも煙草入れの彫刻技術を鑑賞しあっていた)とのこと。そのために、それらの彫刻は想いも込められ、技術もどんどんと競いあったようです。
展示物は函館博物館と網走郷土博物館、そして、白老アイヌ民族博物館からのものでした。中には、ほんとうに細かく精巧な彫り物もあって驚きました。
特別企画展は2012年の1月15日まで(但し、12月29日~1月5日は休館)。 お勧めです。
http://www.ainu-museum.or.jp/(博物館WEBサイトには案内を見つけることが出来ませんでした)


さて、二時間ほどポロト・コタンを見学し、その後、苫小牧のアイヌ民族文化祭「ヌヤン・ヌカラン・ピラサレヤン」へ。
はじめに、アイヌ古式舞踊として千歳アイヌ文化伝承保存会、苫小牧支部(特別出演)、白老民族芸能保存会を鑑賞。
興味を引いたのは、苫小牧支部の舞踊で、ひとつの輪踊りの中に男性たちだけが内側に輪を作って踊ったり、鳥の舞いというのか、違う踊りが盛り込まれていたものがありました。来客の際に踊ったという説明がありましたので、いろいろな踊りを盛り込んだのかと。


苫小牧支部の舞踊 クーリムセ

また、お一人だけ、ムックリの演奏をして下さったフチがおられました。白老の方でしたが、こんな音色は聞いたことがないという素晴らしい演奏に感動と驚きをかくせませんでした。会場に「うまい! 上手!」と途中で拍手が沸きました。
その後の、ムックリ演奏指導にも出られましたが、フチのお名前をどなたか教えて頂けたらうれしいです。

次に驚いたのは二風谷の関根摩耶さんの口承文芸「モユク キムンカムイ」(むじなと熊)。長いながい物語をすべて暗記してみごとに聴かせてくれました。感動!
今週に摩耶さんのお母さんが留萌の教育委員会主催のアイヌ民族講演に来られるというので、教会にも寄ってくださいとお願いしておきました。


摩耶さん

特別公演は、ジャズシンガーの熊谷たみ子さんの熱唱。大腸がんで余命一年を宣告されながらも、笑顔で歌い続けた歌声に心が震えました。特に、アメージングレースのアイヌ語に感動。



時間の都合上、三石民族文化保存会と平取アイヌ文化保存会の舞踊は観ることが出来ず、これで帰路に着きました。
とても感動し、充実した一日でした。
週初めの函館行きの疲労が取れずにいましたが、それでも白老、苫小牧には行ってよかったです。


白老民族芸能保存会の皆さんの舞踊




2011年度 函館アイヌ民族フィールド・ワーク報告

2011-11-09 17:37:17 | インポート
11月7日(月)の夕方より8日(火)正午まで、アイヌ民族フィールド・ワークを開催しました。
今年は道南地区の七飯教会の協力のもと、函館のアイヌ民族の皆さんと出会い、学ぶ時を持ちました。
早速ですが、簡単な報告をUPします。

一日目は七飯教会を会場に18名の参加で、聖公会宣教師J.バチェラーの働きの前半を土台に函館のアイヌ宣教師養成学校(1893年J.バチェラー設立)についてのミニ講演をわたしが担当し、学習を深めました。
パワーポイントを用いながら簡潔に分かりやすさを目標に45分ほど話し、活発な意見交換を行いました。

翌日は北海道アイヌ協会函館支部長の加藤敬人さんのお話しを伺いました。ご自身のことから支部を作るために同胞を探したこと、そして、バチェラーが建てた愛隣学校のことをお話しくださいました。


校舎跡の説明をする加藤さんを囲んで


その後、加藤さんにご案内いただき、アイヌ宣教師養成学校跡地を周りました。学校校舎跡地には二つの説があり、羊小屋があった場所や校庭があったであろう場所を眺めつつ、全道から来た生徒達がこの地で活き活きと学んでいたことを想像しました。アイヌ語を学び、ローマ字や英語も覚え、讃美歌を歌い、体育まであったといいますから、たいそう豊かな学びが出来たと思います。
初代校長のネトルシップ神父は、日本で初めて野球とホッケーを教えた人としても有名です。
函館百珍と函館史実「日本最初のアイヌ学校と其校長」
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hyakuchin/169.htm


この辺りから海に向ってグランドが写っている古い写真があるとのこと


その後、函館支部の事務所と1階部分のアイヌ民芸店を訪問。カトリック元町教会のすぐ下に可愛らしいお店があり、二階が事務所。民芸品は色々な地方の方達の作品を紹介し扱っていました。収益を支部運営に当てているとのこと。近隣に教会が多いので(日本キリスト教団の函館教会も歩いて数分のところ)、アイヌ紋様の入った十字架がうれるそうです。皆さんも是非、お寄りください。



続いて、函館市北方民族資料館を一緒に周って頂きながら学びました。
北方民族資料館では幸いなことにちょうど収蔵資料・企画展「渡島半島のアイヌ民族資料-椎久家旧蔵資料展-」が開催
されており、かつて椎久家より寄贈された170点以上の資料の中から数十点の資料が展示されていました。開催期間は11月13日(日)まで。
http://www.zaidan-hakodate.com/hoppominzoku/download/2011-kikaku.PDF

偶然にも、椎久さん(現北海道アイヌ協会八雲支部長)が博物館に来られていて、ご挨拶をさせて頂きました。
総参加人数は21名。皆さんのご協力を頂いて、たいへん充実した研修でした。

帰宅途中に、八雲の墓地を訪ね、落部盗掘事件被害者の慰霊碑の前で、イギリス人の森(4体)、落部(11体)の盗掘事件から始まる学者達の遺骨収集の歴史と問題について学びを深めました。

参加者の感想・報告を次回の機関紙ノヤ クリスマス号に掲載予定です。ご覧ください。


ウタリ鎮魂碑(左 大)と落部盗掘事件被害者の慰霊碑(右 小)

日曜日の夕方から出かけ、八雲で仮眠をとって松前まで足を伸ばしました。7日の午前中は下見のつもりで北方民族資料館や函館をうろつき、皆さんと午後6時に合流。8日は終わり次第7時間をかけて留萌に帰宅。運転の疲労と寝不足です。
が、今日も2時間ほどこどもたちと遊びました。


緒集会報告の補足

2011-11-05 10:56:55 | インポート
10/29と11/2の集会報告で、DMにて質問や意見を頂きました。いくつか紹介しつつ補足します。
まず、10月29日の「アイヌ人骨の慰霊問題を考える学習会」はWIN-AINUとチ・カラ・ニサッタの共催でした。

10/29集会の篠田さんの答弁で「その時に盗骨の調査が深まるかというとそれは疑問だ、全体の流れからするとそれは落ちるのではないか」とありましたが、基本として殆ど100%のアイヌ人骨の研究はアイヌの許可/情報公開無しで行われたということであれば、殆どのケースが「盗骨」の内に入ると思われるがどうか?という質問について。

その通り、調べなくとも「盗骨」ですよね。大量の「発掘」調査をした児玉作左衛門は、自分より過去の「発掘」者を批判しつつ自分はそれとは違ってアイヌの承諾を得て「遺跡」を調査していると言い訳を述べていますが、それも植木哲也著『学問の暴力』(春風社)にて批判されています。
また、答弁の中で百年以上も前の骨だけを掘ったようなことをどなたか言っていましたが、児玉自信が発掘した各墓地の推測上の埋葬年を以下のように記しています。
八雲    1800~1870年代
落部    1830~1879年代
森      1870年代
長万部   1870年頃
浦幌    1870~1910年
北見常呂 1870年頃
サハリン  1890~1910年
クリル諸島 1870年以前
日高  大半1870~1910年 一部1920~1930年

大半は19世紀末から20世紀初頭に埋葬されたものであり、発掘が1930年代から開始されたことを考えれば、遺骨は埋葬後20~30年しか経っていないのもあります。さらに、児玉は遺骨の「新しさ」を強調することもあったことを考えると「遺跡」というのは困難です(以上、『学問の暴力』より)。
ある聞き取りによると埋葬後3年も経ないのを掘り出し、肉をメスで切り分けそのまま掘った穴に戻して骨だけ持っていったというものありました。

児玉を中心とした北大の発掘は、国の資金で設立された日本学術振興会の事業の一環として行われていますから、「国家的プロジェクト」と言ってもいいと教えてくださった方がいます。だからこそ、国の責任としてしっかりと各大学に調査をさせ、自らも動く必要性があります。これは「学問の暴力」だけではすまされない国の犯罪であり、天皇制批判にも通じるものです。
国家的プロジェクトであるなら、「発掘調査書」が付いていないのが不思議。

遺骨以外の民族遺産の返還について、今回、文化遺産(博物館に収めておられる着物、物質文化等)の返還は課題としてでたか?という質問について。

「民族共生の象徴となる空間作業部会報告書」には一切、書かれていません。あらためて有識者懇談会の「報告書」(2009/07/29)に目を通しましたが触れていませんね。以前にも書いたことですが、文化遺産のコレクションヒストリー自体がない場合が相当あるとの事ですから、それらのこともきちんと調べて「返還」するべきですね。
こういったことを言うと、「宝を返還したあと、どうするんだ?ちゃんと管理できるのか?」という声を聞きますが、それはアイヌ民族が主体となって考えることです(私見では一旦、返還後、正当なレンタル料を取って貸し出せばいい)。

チ・カラ・ニサッタが有識者懇談会宛に送った「提言」(2009/03/20)に以下の要望がありますので紹介します。

6.儀式用具や遺骨の返還を求めます。
「宣言」12条には埋葬と墓地の保護の権利が保障されています。しかし、研究を目的にアイヌ民族の墓地は荒らされ、副葬品の行方も分からない現状にあります。過去に収集された個人・団体の所有するアイヌ民族の儀式用具や遺骨について、その収集調査を含めて明らかにし、すみやかにアイヌ民族に返還することを求めます。
   「先住民族の権利に関する国際連合宣言」第12条
1.先住民族は、自らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、その宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骨の返還に対する権利を有する。
2.国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骨のアクセス(到達もしくは入手し、利用する)および/または返還を可能にするよう努める。


7.アイヌ語・紋様などの知的財産の権利を保護する機関の設置を求めます。
「宣言」第31条にあるように、アイヌ民族独自の知的財産に対し、所有、管理、保護に関する権利を認め、それらを使用する際の認証を行なう窓口を設置する手助けを求めます。それにまつわる法的整備も国として行なうことを求めます。
   「先住民族の権利に関する国際連合宣言」第31条
1.先住民族は、人的・遺伝的資源、種子、薬、動物相・植物相の特性についての知識、口承伝統、文学、意匠、スポーツおよび伝統的競技、ならびに視覚芸術および舞台芸術を含む、自らの文化遺産および伝統的文化表現ならびに科学、技術、および文化的表現を保持し、管理し、保護し、発展させる権利を有する。先住民族はまた、このような文化遺産、伝統的知識、伝統的文化表現に関する自らの知的財産を保持し、管理し、保護し、発展させる権利を有する。
2.国家は、先住民族と連携して、これらの権利の行使を承認しかつ保護するために効果的な措置をとる。

アイヌ政策推進会議は国連宣言に則って政策をすすめるといっていますので、十分に宣言を実行へと踏み出すことを望みます。


北大のイチョウの木。今日は北大で「イタカンロー」がありましたが、断念。
明日から道南に出かけ、フィールド・ワークや調査をしてきます。


“遊”講座「アイヌ政策推進会議~作業部会報告書から~」報告

2011-11-04 10:51:24 | インポート
11月2日に、さっぽろ自由学校“遊”連続講座 市民とともに考える これからのアイヌ政策「アイヌ政策推進会議~作業部会報告書から~」で、佐々木利和さんを招いて話しを聞きました。

動物園の歴史と植民地主義の関連については過去blogで書きました(2年前のことでした)
http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=2068095
http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=2561992

今回、佐々木さんの講演の最初の部分は、ご自身が勤めていた東京国立博物館の歴史に触れ、先住民族や植民地の人々の「人間展示」の先がけとなることがすでに博物館で展示されていたことを紹介されました。
東京国立博物館は、以前は帝室博物館と呼ばれ天皇の権威がおよぶ異文化人の品物を集め、天皇はこういうところまで支配しているのだということを示すために出来たとのこと。
東京の湯島大聖堂で開催された「文部省博物館」というのが前身で、展示品は1873年(明治6年)開催のウィーン万国博覧会への出品予定品が中心だった。展示品の中には名古屋城の金鯱(しゃちほこ)や松浦武四郎が集めたアイヌ関連のものもあった。加えて、政府は織田信徳(おだのぶのり)という当時の開拓使に命じて札幌・後志周辺のアイヌ関連の資料を集めさせたものをウイーンに持って行き、戻ってきたものをそのまま展示した(日本政府が公式に集めたアイヌ関係の文化財の一番古い例)。

以前に北大植物園のアイヌ民族資料についての講演を聞き、メモしたことがありますが、この第一期の部分ですね。
http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=2021656
(記憶が定かではないですが、確か国立博物館のアイヌ関連展示物に「織田 寄贈」だったかと多く書かれていたような・・・)



昨日の朝、札幌から帰宅中の山中で出会ったエゾライチョウです!数年前にも偶然出会った事がありました。クリックで拡大。


その後、今回のテーマに沿った話をされましたが、ここでは省略し、個人的に質問したことと、その応答を書きます。

問:一般市民のわたしにはアイヌ推進会議や各作業部会からの情報があまりに少なく感じる。たとえば、他の方が質問した「教育にもっと力を注ぐべき」との意見について、佐々木さんは「教育に関しては文科省が動いている」というし、他の方の意見については、「そのような意見をたくさん頂いています」と言われたが、文科省も含む各省庁がどう動いているのか総合的にまとめて示されるようにして頂きたいし、他の方たちの意見も集約して公表して頂きたいがどうか。また、アイヌ政策推進会議、各作業部会は、メモ程度の「議事概要」しか出されておらず、そこには発言者の名前が出ていない(発言のバックグランドが分からない)のはなぜ?
答:その通りで申し訳ないと思う。出来るだけ情報を分かりやすく出すよう言う。「議事概要」は政府ではそのようにするのが常なので従っているとのこと。

問:二つ以外にも多くの課題があるが、それらの課題に対してはどこでどう対応するのか。
答:とにかくアイヌ政策のスタートラインに立ったばかりだ。ここから始まる。年金の問題やアイヌの議席などの意見も言われるが、この推進会議では一切、話ができない。だから積極的な意見をどんどん出してほしい。

問:遺骨にまつわる問題だが、文科省が現在、各大学に調査をしていると先の答弁だったが、どこまで調べているのか。「発掘報告書」までも調べたのか。国公立大学だけではなく、私立大学、各博物館、海外に出て行ったのは調べるのか。
答:文科省がまずは、帝大・医大系から調査をはじめる体勢をとったという段階。私立大、各博物館、海外の博物館に流れたのも時間がかかるが対象に入れる。今までそれをやる主体がなかったが今回できた。これからの課題だ。

問:遺骨収集の際に、同時に副葬品を持ち帰っているが、これは私見では誰の承諾も得ていない盗品だ。それらの調査はしているのか?
答は児玉コレクションに答えが集中し、「分からない」と言うことでした。それはともかく、例えば先日に北大医学部から出た30箱近くの「副葬品」に関しての徹底的な調査と、当然のこととして返還をするべきものだという認識は持って頂きたいと感じました。

今回、佐々木さんのお話や質疑応答を聞きながら、考えたことは一つ。お互いが共にアイヌ民族の権利回復を願いつつ、アイヌ民族のみなさんの過去の苦しみをしっかりと傾聴し、相互の豊かさを実現するためにも、是非とも、「真実と和解委員会」なる組織を作ることを強く願います。
この組織については、「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日~」(代表 島崎直美・小泉雅弘)が、2009年3月20日に出した「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会への提言 2.植民地化や差別の調査機関設置を求めます。」に入れていますので引用します。

2.植民地化や差別の調査機関設置を求めます。
日本政府の植民地政策とその影響に関して、アイヌ民族を含む独立した調査委員会(真相究明委員会)を設置し、植民地政策がアイヌ民族およびその生活環境に与えた影響を調査することを求めます。
たとえば、南アフリカではアパルトヘイト政策(人種隔離政策)撤廃後、その傷を癒すために「真実と和解委員会(TRC)」を設置し、事実認定と補償および免責を行ないました。またカナダにおいても「真実と和解委員会」が設置され、2006年から15年かけて存命の被害者から聞き取り調査を行っています。


差別の実態と改善を審議するためにもこのような機関設置の必要性を感じます。
カナダの「真実と和解」委員会とカナダ政府による元寄宿舎学校生徒への謝罪の経過について過去blog
http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=2321518



2日は北大にて先住民族と教育に関連するシンポがあり午前中だけ聞きました。
キャンパス内の木々の紅葉がすばらしい!


「アイヌ人骨の慰霊問題を考える学習会」 報告その2

2011-11-02 06:37:19 | インポート
質疑で問題となったことをいくつかまとめて挙げます。
アイヌの承諾を得ないで収集した(盗んだ)遺骨について質問が集中。計画中の「民族共生の象徴空間」には“慰霊施設”と“研究施設”の設置が挙げられていますが、そこに皆が疑問を持っているからです。
遺骨収集は、誰が、いつ、どこで、どういった手順を踏んで行ったかという調査がなされないと盗掘か否かわからないので、慰霊のしようも研究材料としての認可もできないと。今回の主催者であり司会の秋辺日出男さんが「研究を承諾するとしても、盗骨と言われているものを差し出す同胞はいないはず」と言われたのが印象的でした。
なお、会場にはアイヌ政策推進作業部会のメンバーである常本照樹さん(北海道大学アイヌ・先住民研究センター長)と
佐々木利和さん(北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授)も来られ、質疑に答えられました。

問:遺骨収集の調査をしたのか
答:(篠田)「発掘当事者しか分からない。小金井など発掘者の日記などから倫理的な責任があるものが存在することは明らかだ(音声が聞こえにくかったので当日配布の資料で補足:わたし)。今はどこに何体入っているかは調査したが、それ以降は今後の調査だ。大学にも出せる情報は全部出してくれと言っているが、おそらく分からないだろうというのがかなりの部分あるだろう。それをどうするかが課題。それでも出なかった場合にどうしたらいいかは今後の課題だ。各大学で調査をして情報を出し、遺族に返還できるものを返還し、出来なかったものを集約して慰霊施設におさめることになるだろう。その時に盗骨の調査が深まるかというとそれは疑問だ、全体の流れからするとそれは落ちるのではないか」。

「どこに何体入っているかは調査した」も、よく分からない答弁ですが、その詳細を知りたい。また、「それ以降は今後の調査」だと、今の段階で言っているのが納得いきませんし、盗骨の調査は“落ちる(調べられない)のではないか”との答弁に、わたしばかりではなく、会場に怒りが爆発したと思います。
その後、盗骨されたというご遺族の数人が意見・質問をしました。遺骨の返還と賠償、そして副葬品の返還も北大にする、と。

篠田さんは講演の中で、「アメリカ・オーストラリア型の解決法」として、遺骨研究の禁止と埋め戻していることを紹介し、しかし、それは誤っていると指摘。研究の大切さを強調。そのことを盗堀問題の質問で言ってしまうことでマイナスに働いたように感じます。
だから、まずは返還して、その後に同意を得るという手順を踏んで研究するのがいいのではないかという質問が出ました。それに対して、「その通り。現状で出来る情報開示をきちんとして返還できるものは返還する」とあっさり応答。



問:個別返還時にどの地域からの発掘かは分かっても個人詳細まで分からない時、DNA鑑定で遺族を判明することは可能なのか? 
答(篠田):両親、祖父母までなら高い確率で結果が出ると思う。

問:北大は遺骨を発掘した地域の人々と個別に相談をして返還できるものは変換するという手はずをとるべきだと思うがどう考えるか?北大はアイヌ協会としか話さず、個別の対応をしないと聞いている。
答(常本):報告書に書かれていることだが、各大学にお預かりしているものについては可能な限り、大学でお返し出来る方はお返しし、どうしてもお返しできなかったものは象徴空間に集約させて頂いて慰霊させていただく。

問:先日の説明会ではアイヌ協会の各支部を通して返還すると言っていたが、個別返還してくれるということですね。
答(常本):それは、今までの実績として北海道大学では5ヶ所の支部から返還請求があったのに対し、お返ししたことがあったということ。今後、どうするかに関してはこれからの課題。北大以外にも遺骨があるので、返し方もバラバラだと適当ではないので、やはり国を中心にどういう形で窓口を作り、お返しするのかを検討した上で考える。
あれよ? 「アイヌ協会以外とは話しません」と言っていたのに・・・。「返し方もバラバラだと適当でない」も説得力がない。

答(佐々木):皆さんはご存知だと思うけれど、アイヌの墓は誰が埋められているかが分からない。エカシがいれば分かる。今、大学にある人骨は誰のか分からないのがあるだろう。だから、大学で返せないものは、象徴空間に集めた後にじっくりと時間をかけて調べてお返しします (いま出来ません)。

問:今、どういう整理がなされて、どのような情報があるのか?
答(篠田):ケースによる。実は「発掘報告書」というのがあり、それがあればどこの穴からどれを掘ったかがわかる。しかし、昭和30年以降のはあるのもあるが、それ以前はほとんどないので場所の特定が出来ない。

問:北大はどこまで発掘の資料があるのか、どれだけ調べられているのか。
答(常本):北大にある資料に関しては情報公開している。その中に記されているように頭骨については一体一体どの地域のものか記されている。手足については頭骨ほど厳密に分類はされていなく頭骨と別に収められているが基本的にはどの地域かわかるように収められている。各大学で現状調査が文科省の責任で行われている。それとは別に、各大学で責任があるので調査をしている。

問:遺骨返還に関して具体的な方法は?
答(篠田):二つある。ひとつは遺骨から情報を得ること(DNAなど)。他は残された文献を調べること。ただし、文献が残っているものが少ない。遺族が返還を申し出た場合、調べなければならないが大学単位では無理がると私(篠田)は思うので象徴空間に入って調べることはありうると思う。過って返還した場合は返還する側の責任になる。アメリカではDNA鑑定をした後に返還されるため、返還のハードルが高くなる。

これらから分かることは、一大学では調査が出来ないほど困難なものであること(逆にいうと、それほどの問題を起こしたという責任がある)。それらを国の責任として国の徹底的な調査が必要ということ(結局、調査は研究成果となることには目を光らせておく必要あり、そして返還を待つご遺族をまた待たせることに!)。

大学では調査をすすめていると言いつつ、出来ないことを正直に認めて国の責任でやらせてくださいと言えば疑問を持っている側と接点が出来るように感じました。

後の会場からの発言にも「遺族が金で売った」というデマで何十もの苦しみを受けた」というのもあり、問題はそうとう深いことを感じました。
また、アメリカでは研究の成果を先住民族に報告し丁寧な慰霊を行っているのでアイヌ民族の遺骨も村に返された時、本当にこの骨はよいお仕事をして来ましたと受け入れられるような配慮をしてほしい、という意見も出て、うなずきました。

篠田さんは、研究成果をきちんとお伝えして来なかったことが現在、人類学会でも問題にしていると発言。

最後に、北大の関係者(常本さん)の答弁で「遺骨の調査をしている。但し、スピードと詳しさは一緒ではない(ので時間はかかる)。だから、はじめに全体像を調べ、主要なところから順に明らかにするべく国立大学からやっている。調査方法もやりながら改善していっている」と。

そういった趣旨を今まで質問した側にきちんと伝えていないから、問題が深刻化しているのですよ。
また、ほんとうに調査をしているのか第三機関などを作って報告してもらうということも考えてほしいですね。

さて、今日はさっぽろ自由学校“遊”で、佐々木利和さんを招いて話しを聞きます。より詳しく推進会議の内容を聞きに行きます。

市民とともに考える これからのアイヌ政策「アイヌ政策推進会議~作業部会報告書から~」
 「民族共生の象徴となる空間」と「北海道外アイヌの生活実態調査」の2つの作業部会に分かれて、議論が進められていたアイヌ政策推進会議。この 作業部会の報告書について説明していただき、意見交換をしたいと思います。
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=280



「アイヌ人骨の慰霊問題を考える学習会」報告 その一

2011-11-01 20:59:06 | インポート
10月29日の「アイヌ人骨の慰霊問題を考える学習会」に参加し、個人的な報告と感想を2回に分けて書きます。

内容は「アイヌ人骨と自然人類学研究」。
「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告にあるアイヌ人骨の慰霊問題を考えるために設けられた講演と質疑の時間でした。
講師は篠田謙一さん。国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長であり、日本人類学会先住民遺骨委員会というのがあり、その委員長とのこと。遺骨委員会は学会のWEBサイトを調べましたが出てきませんでした。初耳です。

遺骨研究がいかに重要であり必要であるかについては熱く語られましたがここでは略します。
問題となっているのは研究方法や倫理についてですから。

最初に、今回はじめて目にした資料を紹介します。これらは「民族共生の象徴となる空間」作業部会にも、新たに出来た政策推進作業部会の資料や議事概要にもUPされて来なかったものです。

まず、全国の大学・研究機関が収蔵する人骨(アイヌ人骨を除く)調査では、
縄 文  (1836体)
弥 生  (2783体)
古 墳  (2011体)
中 世  (3516体)
江 戸  (10863体)
現代日本(1308体)。
小さなかけらを加えるとこの数倍になるとのこと。


次に、全国の国公立大学に収蔵されているアイヌ人骨は以下の通り。
北海道大学  (965体)  未調査
札幌医科大学 (248体)  55対返還
東京大学    (217体)
京都大学    (80体)  55体は樺太アイヌ
東北大学    (21体)  樺太5、千島4
大阪大学    (19体)  概数
新潟大学    (24体)  概数     
これらを合計すると1574体。


ちなみに、博物館全般や私立大学、個人所有、そして、海外に行った遺骨について調査したかを質問しましたが、海外については相当あると思うと言いつつ調べようがないので調べていないとの事。私立大学、個人所有も調べようがない。例えば、人類学者がいな私立大学など倉庫の奥に眠ってカタログ化されていなければ分からない、と。もっと長期的・継続的に国の責任で調べる必要があるとのこと。今後の調査を待ちましょう。
報告の続きは明日の朝に。


滝に虹がかかっているのが見えますか?