アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

やさしさ

2008-09-30 09:20:38 | インポート
前中山国交相の話題もテレビニュースで続きましたが、日教組関連に集中し、「単一民族」発言問題が消えましたね。

会談後、加藤理事長は「謝っている者にげんこを振るわけにはいかない」と、当面は矛を収める意向を示しつつ、「全国にアイヌの人が住んでいる。みんな怒り心頭だ」。
http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260349.html


朝日新聞9/26の記事の一文です。だから、ニュースから消えていったのでしょうか。やさしいなあ。


以前、萱野茂さんから、アイヌはやさしいから自分の持ち物を誉められたら、みなあげてしまうんだ、という話を聞きました。これはいい彫り物ですね~と褒めると、「それはこの家にいるの飽きたというから持っていけ」と。
やさしいんです。


1890年、文豪チェーホフはサハリン島をくまなく歩き、当時、島に送られたロシアの囚人たちの悲惨な生活を記録すると共に、「謎の民族」と言われていたカラフトアイヌの印象を書きます。
「アイヌは温和で控えめで、善良で信じやすい。また、自分の財産を大切にし、狩猟に関しては勇敢な民族だと定評がある。無欲、正直、気前のよさがアイヌの持ち前の性質だ。あまりに誠実すぎて偽りに耐えられないのである。」(「サハリン島」)※1
昔から、やさしいんだな~


しかし、アイヌの善意は踏みにじられていきます。

「それまでも、数ヶ月家を留守にして稼ぎから帰ってくると、いろりの隅で使っていた民具が一点、また一点という風に消えているように思っていました。それが今度は、父自身が大切にしていたトゥキパスイ(奉酒箸)がなくなっているのです。・・・
 わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。・・・わたしが彼らを憎む理由はいくつかありました。二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。先生名は(火)をあばいて先祖の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいてみる・・・・・。わたしの母などは、どれくらいの量の採血をされたのか知りませんが、ふらふらになって帰ってきたことがありました。」


萱野茂さんの著「アイヌの碑」の一節です(P.126f)。他にも学者達は空のリュックを持ってきて帰る時にはリュックを満杯にしていったこと、無料同然に持っていかれたことを怒っています。そのため、K教授は萱野さんの父に会いに来るのにわざわざ茂さんがいないことを近所で確かめていたほどだった、と。※3
それらは「学者のもの」になり、中には高額で博物館などに売却されたものもあるようです。


国連先住民族権利宣言の12条に先住民族の精神的・宗教的伝統、慣習、そして儀式の実践やその使用物の返還を「公平で透明かつ、効果的処置を通じて」目指すことが書かれています※4。是非、このような実態を考えて、アイヌ民具はアイヌに返還するべきだと思います。



日高ケンタッキーファームの「ロッキー」


昨夜は「北海道キリスト者平和の会」に招かれ、1時間お話させて頂きました。
国連の先住民族権利宣言の成立過程や、昨今の状況を知っている範囲で話させていただき、わたしたちの出きることを考えるときを持ちました。
パワーポイントを使っての二作目が形となりました(昨年はJ.バチェラーのことを調べて作りました)。

今回の反省を踏まえて、11月3日の石狩・空知地区の地区集会、
そして、11月23日の道北地区集会に向けてそれぞれさらなる手を加えていこうと思います。
状況も変わりますので常にアンテナを張って把握していたいと思います。

今日は教会事務をして、午後に旭川にお見舞いに行きます。






参照
※1 NHK ETV特集「世界が見つめたアイヌ文化」Ⅱ 流刑週の遺産・ロシア1996年6月11日放送内容より。
※2 「トゥキパスイ(奉酒箸)は、神さまにお願いごとするときに、お酒をこのトゥキパスイの先にひたしてお祈りすると、願いが神に通じると信じられている大切な道具」(前掲書126頁」
※3 ここで言うK教授については植木哲也さん著「学問の暴力」にて言及されている)
※4 北海道ウタリ協会日本語仮訳‘07年11月14現在を引用させていただきました。感謝。


単一民族 島国

2008-09-27 11:54:15 | インポート
今朝、早々に各新聞のニュースチェックをしていたら、あるある!
就任したばかりの中山国交相が問題発言を連発したようですね。

まとめたものを「関連ニュース」にUPしました。あまりに多かったので多少、セレクトしましたがご覧下さい。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/

以下、朝日新聞 2008年9月25日のアイヌ民族関連部分のみ引用。

 中山国土交通相は25日、報道各社のインタビューで問題発言を連発した。「誤解を招く表現があった」として撤回したが、今後、波紋を呼びそうだ。 略
 来月1日に観光庁が発足するなど注目を集める観光行政。訪日観光客を増やすには閉鎖的な国民性の克服が必要ではないかとの質問に「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか……」と答えた。86年、当時の中曽根首相は、「日本は単一民族」と発言し、アイヌ民族から抗議を受けた。 以下、略。
http://www.asahi.com/politics/update/0925/TKY200809250311.html


日本列島は島国だから海によって遮断されているので単一民族だ、という教育が刷り込まれているのですね。
「天皇制を中心とした単一民族」という幻想が真実かのように教え込まれた延長上にわたしたちは置かれているのでしょう。

島国=閉鎖されている、というのも、海によって遮断されている島国=単一民族、という図式も他のアジア諸国を考えれば間違っているのは一目瞭然ですね。

フィリピンなどは110の先住民族がいるといいますし、台湾には国が認めているだけでも14民族がいる(認められていないのを入れると20を超える)のですから。

網野善彦さんの本だったかに、海洋の民について書かれていたことを覚えていますが、海は隔たりをつくる溝ではなく、どこにでも行ける道なのですね。

最近、留萌図書館に上村英明さん著の「北の海の交易者たち」がおいてあることがわかりましたので、借りてこようと思います。また関連することがありましたら後日に。



めずらしいエゾサンショウオ(二風谷の山中で)




もう一つ、「日本人論」に関連する記事が道新に掲載されていました。 以下、引用します。

「日本人は本土型か琉球型 理研、7000人の遺伝子解析」
 日本人は遺伝的に「本土型」と「琉球型」の2つのグループに大別できることを、理化学研究所の鎌谷直之グループディレクター(応用数学)らが、約7000人のゲノム(全遺伝情報)のわずかな個人差を統計学的に解析して突き止めた。25日付の米人類遺伝学専門誌電子版に発表した。
 日本人の起源については、在来の縄文人と北東アジアから渡来した弥生人が混血する一方、アイヌや沖縄の人は弥生人の影響をあまり受けずに縄文人の要素が強いとする学説「二重構造モデル」があるが、今回の結果はこれを支持する内容だ。・・・略北海道新聞(09/26 10:18)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/environment/119898.php


この解析は、人によって遺伝子の塩基配列がところどころ異なる部分を調査することによって病気のかかりやすさや薬の副作用の現れ方にどう関連しているかを調べる研究の一環として行われたようです。

北大アイヌ・先住民研究センター主催で、国立遺伝学研究所教授の斉藤成也さんの講演を昨年に聞きましたが、同じことを言われていました。
けっこう、多くの方が聞きに来られていたし、質問をされる方も多かったのを覚えています。それほど、みなの関心が高かったと言えるでしょう。
その質問中に
「ようするに、“しょうゆ顔”は大陸から来て、アイヌの人や沖縄の人たちのような“みそ顔”は元からいたっちゅうことでしょうか」と言うのがあって、斎藤さんは、ちょっとムッとしながら「“しょうゆ顔”“みそ顔”というのはよく分かりませんが、そういうことです」と答えたのが印象に残っています。


チキサニ(はるにれ)の木


石狩カムイノミ

2008-09-25 19:31:16 | インポート
この数日の新聞各社の記事を調べていますが、シャクシャイン法要祭の記事はひとつもなかったですね~
数週間前の豊平川でのアシリチェップノミもなかったと記憶していますが・・・

秋の諸行事はあらゆるところで行なわれているはずなのに。
どうしたんでしょう。自分勝手な政治界の交代劇で紙面が割けないのでしょうか。
残念ですね~


また、日誌がUP出来なくなるまえに、書ける分だけ書いておきます。
(たまった原稿には手をつけられていないのに・・・・)

先に書いたシャクシャイン法要祭に続いて行なわれた第31回北海道ウタリ協会芸能文化交流会は、
歌や踊りはもちろんのこと、皆さんの着ている着物のアイヌ紋様がどれも素敵だったこと。
本当にいいなぁ~と思います。

アイヌ民族の証しでもあるあの着物。一度だけ着せていただいたことがあります。
(わたしごときものは着てはいけないと思っているのです)

共有財産裁判の札幌高裁判決のときでした。
裁判の最初から支援のために裁判の度に留萌から通い続けて傍聴し、あの日も勝利を願っていました。
原告側の小川早苗さんがたくさんの着物を持参し、傍聴者に貸してくれていたので、
わたしも恐縮しつつ、着せてもらいました。
感動と緊張をしながら法廷に向うと、わたしたちの仲間が「似合うね~」と誉めて下さり、照れ笑い。

が、判決はひどいもので訴えを却下。裁判長らはそそくさと後ろのドアーの中へ帰る始末。

しかも・・・、腹立ちつつ脱いだところで分かったのですが、着物を裏返しに着てた・・・。
「どうりでなんか変だと思った」と、さっき誉めてくれた人がポツリ。

ガ~~~ン。判決を聞くことと、着物を貸して頂いたことに緊張して表裏も分からずにいた自分にショック!
着物の初体験はひどい思い出となりました。
だから、まだ、着物は正しく着たとは言えません・・・



この数日、波風が激しく、初冬を実感しています。海は白波が立っています。


23日のシャクシャイン慰霊祭の翌日、札幌からの帰りに、かつて石狩アイヌの豊川重雄エカシが
豊平川アシリチェップノミで使用する鮭を獲っていた漁場に寄ってみました。
先週の21日(日)に、石狩カムイノミが行なわれたことを聞いていたので、
もしかすると代表の金打さんがまだおられるかもと思ったのです。
波風激しかったのと、すでにカムイノミも終わったところだからでしょうが、祭儀の跡だけが残っていました。

豊川エカシが期間中に使用していた中古バスも撤去されており、
懐かしさと同時に淋しさが心に染み入ったひとときでした。
近く、また豊川エカシのところをお訪ねしようと思います。




シャクシャイン法要祭

2008-09-25 12:36:30 | インポート
23日は旭川カムイコタン祭に行く予定でした。
が、一度はシャクシャイン法要祭に行きたいと思い、今年は静内へ向いました。
朝5時半に家を出てお一人札幌で乗せて、10時からのアペカムイノミに間に合いました。
昼食をはさみ、午後3時までカムイノミ、イチャルパと時間をかけてシャクシャインの戦いを偲び、祈りがささげられました。
全道の31のウタリ協会支部や、関係市町村役員、また国会議員(鳩山民主党)なども参列し、多くの人たちが集いました。

午後3時からは第31回北海道ウタリ協会芸能文化交流会が講演の広場で開催され、
選ばれた16支部がそれぞれの地域の歌や踊りを披露されました。
似たような歌でもメロディが違っているのが多く、はじめて聞くものばかりでした。
実に豊かな時間を過させていただきました。
持ち時間5分と言う短い時間が残念と思うほど、もっとゆっくりじっくり聞きたかったです。
エカシやフチの熱のこもった踊りや歌にも感動。
さらに、若手が一生懸命に踊っていたのも感動。
今までのアイヌ民族関連の催しに比べ、若者が多く感じたのはなによりもうれしいものでした。
アイヌ民族以外の若者も多く来ていて、いい交流の場になっていた感じがしていました。
益々、関係が深まるといいですね。


厳かに行なわれたカムイノミ

加藤 忠ウタリ協会理事長の挨拶で、先の第二回有識者懇談会の報告をされました。
①権利回復のために立法処置をとるように。②一年間のみの審議機関ではなく継続するための審議機関をつくるように。③アイヌ民族自らがアイヌ語や文化を学べる研究センターを作るように。④国連権利宣言に照らして権利回復を行なうように。これらを国の責任で行なうよう要望したとのことです。
この件に関しては、後日により詳しい内容をいただけそうなので後日にまわします。
(関連ニュース記事を読んでも、いまいち分かりにくいものでしたが、この度、ウタリ協会から政府への詳細な要望書がA4用紙15ページにまとめられて出たそうです)


今回の加藤理事長のスピーチにも触れられていましたが、ウタリ協会が作成した「アイヌ新法案」を政府に持っていく際に(‘88)、野村義一理事長(当時)らがシャクシャイン像の前で出陣式をやったことが竹内渉著「野村義一と北海道ウタリ協会」(草風館)に記されていました。
以下、引用(P.46f)

「・・・私ら、シャクシャインの像の前に行って、明日、これから今、日本政府にアイヌ新法作れっていうことで行くからエカシ頼むぞって言って、お願いして、そして行ったわけなの。行ってそれで出したんだけど、さっぱりでさ。
 その、今度あとは二人か三人ぐらい連れて東京行った時に、自民党本部に行ったのさ。あん時に小沢一郎が幹事長だったわわけ。幹事長のところへ行っていろいろ言って話したらね、・・・「あんた、南部だなあ?」って言ったら「そうだ」ってこう言って。ああ、したら南部衆だってそう言って。それがとっても彼、親しく耳持ったんだなあ。・・・わたしが陳情に行くと親切にしてくれてね。
 ある時なんか行ったら・・・私だけ四十分ぐらいだなあ。いろんな話をして。それから「今なあ、日本政府にやれって言ったって、政府の連中は棚に上げてやらない」と。「だけど俺がやっぱり党として段取りすればできるから心配するな」ってそう言ってね。・・・それから二~三ヵ月の間に、幹事長・小沢さんが各庁に行って各庁の局長クラスに全部寄せて、そこで、アイヌの新法の問題を討議したんだね。それが始まりですよ。」


こんなことがあったんですね。今は民主の小沢さん。党を変わっても、アイヌの権利回復のために頑張ってもらいたいですね。鳩山さんは昨年もシャクシャイン祭に来られ、アイヌ民族の権利回復のために努めると言われたようですから(今年も)、党をあげてやってもらいたいものです。

新党大地の鈴木宗男さんも先の国会では二十回を越すアイヌ関連の質問を政府に出してきました。今後も続けて頑張ってもらいたいですね。

党派を超えてアイヌが日本の先住民族であることを審議し決議をしたのですから、党派の壁をなくして権利回復のために審議をしていただきたいものです。


帰りはシンガポールから学びに来ているLOSLINさん、アメリカ先住民族のところを何ヶ月もかけてウォーキングしたイヴェント(なんというイヴェントか忘れてしまいました。失礼)に参加したWAKOさん、先住民族サミットで一緒に働いたHATAさんをお乗せし、わいわいとしゃべりながら札幌へ戻りました。いつもひとりなので大変にぎやかな車中でした。

明日はまたアイヌ関連で調べものと会議があり、札幌です。




秋の落ち込み

2008-09-25 08:48:54 | インポート
なかなかUPできずにいましたが、いつも見ていてくださる方がたくさんいて
感謝と共に恐縮しています。

北海道の秋は収穫は豊かなのですが、日の入りも早くなるし波風も強くなるし、
紅葉まえに葉は枯れて落ちるほうが多いので、とても淋しいのです。
そのせいか、動いているのですがblog更新が遅くなってしまいます。
来月からいくつか話を頼まれているので準備したいところでもあるのですが。

ふ~

それに加えて、教会員の方が貸してくれたDVDを事務仕事しながら観てしまいました。
「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」(2005年 ドイツ)
「赤いコーリャン」(1987年 中国)
さらに先日のNHK特集「戦場 心の傷」の録画していたものをみて辛くなってしまいました。



ハヤブサだろうか。ハヤブサに比べて優雅に飛んでいたのですが・・・


でも報告したい事もあるので、とにもかくにもさかのぼって報告します。

19、20日と先ほどの事務仕事やDVD鑑賞、そして日曜日の準備をこなし、
日曜日の礼拝後は、会議に出席するため名寄へ向いました。
30分ほど時間があったので、名寄市北国博物館※1へ行って来ました。
いつも名寄には出かけますが、なかなか行くことが出来ずにいました。
名寄にはわたしたちの道北クリスチャンセンター※2があり(そこでいつも会議をします)、
このセンターが以前に博物館と共催で川村カ子トアイヌ記念館の皆さんをお招きしてイヴェントを組んだということがあったので、アイヌ民具が飾られているのを見学しに行きました。

※1 http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-bssbk/bunrec/sisetu/na05/na05n006/
※2 道北センターは7/22blogに書いたくりちゃんが主事として働いています。



二風谷アイヌ民族フィールドワーク

2008-09-19 17:54:59 | インポート
16日から18日まで二風谷に行って来ました。
わたしたち日本キリスト教団の、神奈川教区西湘南地区靖国問題委員会が計画をして5名が19日まで来道し、二風谷、札幌にてアイヌ民族フィールド・ワークをされました。そのお手伝いに行って来ました。
初日は夕方に二風谷に到着し、二風谷ダムを案内して二風谷のアイヌ民族のこと、二風谷ダム裁判のことをお話しました。
準備のついでに川の事も調べたのですが、北海道にはたくさんの川が流れているんですね~。
って、他の都府県はどのぐらいの割合だか分かりませんが・・・。
ここで質問です。下記の内容が正しい場合は○を、間違いの場合は正確な答えを言ってください。正解は最後。

問1 北海道の川は全部で265ある。
問2 その中で一番長いのは留萌川の365キロである。
問3 沙流川は9番目に長い川で、日高山脈に発し、二風谷を経て門別まで109キロある。
問4 沙流川のもとの名前はシ・シリムカ(シ=本当に シリ=辺り ム=詰る カ=させる)だ。
問5 二風谷はアイヌ民族が7割をしめ、世界で一番アイヌ民族の人口密度が高い。


答1× 全部で316.そのうち安全や経済活動のために特に重要とされる川を国が一級河川と定めていますが、道内には13あります。その流域面積は北海道全体の約5割、そこに暮らす住民は人口の約6割を占めているというのです。

答2× 一番長いのは石狩川で268キロ。(石狩川は昔は365キロあった。アイヌ語でIskar-pet美しく作られた川の意味。ユーカラによるとシマフクロウが天から降りて来て、大地を引っかいて美しい川を作った。今は整備されて短くなったし、美しくもなくなったと川村カ子トアイヌ記念館の川村館長がよく説明してくださる。

答3○ 上流部では豊かな森林に囲まれた渓谷の中を流れ(特に日勝峠付近のエゾマツやトドマツの原生林は「沙流川源流原生林」として国の天然記念物に指定)、サケ・マスやシシャモがのぼる川としても知られ、豊かな自然の恵みを背景に古くからアイヌ民族が住んで、この川にいのちを託して共生し、自分達のアイデンティティーを築いてきました。宗教的、文化的、歴史的な価値がある川なのです。

答4○ 萱野茂さんが以下の説明をされています。「分かりやすくいうと、大雨が降り水かさが増すと、上流から大量の土砂が流れてきて、河口が鵡川のほうへ寄ったかと思えば、次の雨では門別の方へ移るという具合であったのです。それで、本当に河口がふさがる川と、アイヌたちは名付けて暮らしていました。そこへ、あちこちからのアイヌ語の地名を日本語に付け代えて歩いていた役人が来て(略)、そうか、河口がふさがるということは上流から土砂が流れて来るのだな、それでは沙の流れる川沙流川とつけよう、というわけでシシリムカが沙流川と名前が代えられました。ちなみに、沙流川の右隣の川の古い名前は、ムカ、これも詰るという意味で、それが武川になり、左隣がモペッ、これは静かな川というのが門別になったのです」(萱野茂「沙流川沿いの地名」より)

答5○ 貝沢耕一さんが以下の説明をされています。「二風谷は戸数で140戸、人口500人弱。その人口の7割がアイヌで、世界で一番アイヌ民族が密度濃く生活している村といわれます。」(貝沢耕一著「アイヌとして」)。


付録:(「アイヌわが人生」貝澤正 84、104頁)より。
「1882年に明治政府はアイヌを狩猟民族から農耕民族にしようと言うことで、鍬やタネを与えてアイヌに農業を教えました。沙流川の川筋は沖積土で土地がよく肥えていたので、農業を始めた頃は、1反(約10アール)の土地にヒエを蒔いておけば、無肥料で1年間食べられるぐらいの収穫があったそうです。おかげでその頃の二風谷の生活は裕福で、自給する食糧も豊富になり、大豆もよくできて、それを馬の背に乗せて門別の浜まで持っていって金に換えて、現金収入も十分あったようです。しかし、木が切り倒され奥地が乱開発されるようになると水害が起こるようになり、その度に沙流川の流域は一面にわたって水がたまり海のようになりました。そのような大きな水害が10年に一度は起こるようになり、二風谷のアイヌは貧乏のどん底になってしまったのです。1910年、苫小牧に王子製紙工場が出来、沙流川上流の松丸太が乱伐された。」 






あれれ・・・。今日はQ&Aで、しかも一日目だけで報告が終わってしまいそうです。
二日目は貝沢美和子さんにご指導頂いてアイヌ料理を作って食べ、午後は二風谷アイヌ語地名のフィールドワークへ。いつも目を輝かせて楽しみながら説明してくださり、わたしもいつも二風谷アイヌ伝説に引き込まれてわくわくします。お勧めです。
三日目は萱野茂さんの博物館を見学し、彫刻・刺しゅう体験。午後は札幌に移動し、北大キャンパス内のアイヌ民族フィールドワーク。夜は夜で遅くまでお話し、ゆったりじっくりとすごしました。
道外からこのように来てくださるのは大変嬉しいことです。わたしたちも協力しますのでいつでもご相談下さい。








ユクオハウ(鹿汁)やコンブ・シト(昆布タレの団子)、豆とイナキビ入りのご飯、etc・・・みな美味しく満腹しました。



アシリチェップノミ

2008-09-15 13:40:19 | インポート
13日(土)に、新しく鮭を迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェップノミ」に行って来ました。先住民族サミットでサポーターとして一緒に働いた仲間たちや、稚内から対雁まで歩いたアプカシのメンバーとも会うことが出来、うれしいひと時でした。
ブログを見ているから久しぶりという気がしないといってくださった方もいて、感謝、感謝です。多くの方が見てくださっていることが励みとなっています。それだけアイヌ民族の権利回復を願い、関心を持っている方がおられるということでしょう。

祭主を務めた札幌市の結城幸司さんも大変ご苦労様でした。お忙しいようですので健康が守られますように。


北海道新聞に目を引く記事が載っていました。
まずは14日の朝。
「先住民族の国連宣言1年 アイヌ民族へ権利保障急げ 東京で記念集会」の記事。
「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されて、はや1年が経つのですね。
一周年記念集会が東京のアイヌ文化交流センターで13日に開かれたようです。
以下、記事より。

首都圏在住のアイヌ民族でつくる「アイヌ・ウタリ連絡会」の長谷川修事務局長は「まず政府や国会議員が謝罪することが重要だ」と指摘。「これまでアイヌ民族への福祉施策は道内限定だった」と生活支援策の道外拡大なども求めた。
アイヌ民族の国連での活動を支援してきた福岡県立大の手島武雅講師(政治学)は「政府は国連宣言が掲げた権利のうち、実現可能なことだけやろうとしている」と批判。自決・自治権も含め、宣言が掲げた権利の完全な履行を検討するように要求した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/117674.php


さらに、14日の深夜の記事。
「アイヌ政策 生活格差是正要求へ ウタリ協会と連絡会が合意」
第2回目の政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」会合を17日に控え、道ウタリ協会と首都圏のアイヌ民族団体との会合が14日に行なわれ、政府への要望事項を協議したとのこと。
要望事項はウタリ協会理事会が9日にまとめ、この度、連絡会側が了承したようです。
以下、記事から。

アイヌ民族と他の国民との生活格差是正を当面の重要課題と位置づけ、道外在住者も含めアイヌ民族の認定と支援を国に要求する。一方、自決権など「先住民族の権利に関する国連宣言」が掲げた全四十六項目の権利について、アイヌ民族への適用検討を求める。
有識者会議開催が来年夏までの見通しのため、その後もアイヌ政策を協議する機関の設置や、政策を総合的に推進する国の統一窓口づくりも要望する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/117796.php




国の謝罪についてわたしも述べてきましたが、先日のアイヌ文化普及啓発セミナーでの、阿部一司さんのお話(8/29)で、新たな事実を聞きました。
それは‘97年に「アイヌ文化振興法」が制定された際、当時の首相だった橋本龍太郎が阿部さんらウタリ協会役員の前で机に手を置いて謝罪したというのです。

この度のアイヌ民族を日本の先住民族として認めた国会決議前後には、このような話は聞いていないですね。
公の場での正式な謝罪は必要でしょう。


明日から神奈川教区西湘南地区の方たちが二風谷にフィールドワークに来られます。
わたしも案内役で3日間、二風谷に出かけます。




「北の民 アイヌの世界」

2008-09-09 08:35:18 | インポート
今日は9月7日の北海道新聞の記事から。

開拓記念館が展示指導 入館者減の地方博物館と連携 学芸員交流も
北海道新聞(09/07 09:32)
 道は六日、北海道開拓記念館(丹保憲仁館長、札幌市厚別区)のリニューアルに合わせ、入場者数のじり貧に悩む道内の地方博物館とネットワーク化を進める方針を固めた。・・・略・・・道は、同記念館が開館四十周年を迎える二〇一一年をめどに、アイヌ民族に関する展示を強化し、道内を代表する総合博物館「北海道ミュージアム(仮称)」へ改編する予定。
・・・北海道ミュージアムを中核としたネットワーク化の具体策としては、《1》地方博物館との期間を区切った学芸員の相互派遣《2》地方博物館に対する展示方法の助言・指導《3》各博物館が所有する収蔵品の貸し借りや映像情報の共有-などを検討する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/116180.php

先日、少々時間があったので開拓記念館を観てきました。
2年ぶりぐらいですが、なんだか少し変わったように感じるのは思い過ごしでしょうか。
以前は展示解説に「アイヌ民族」と書いていたところは狩猟のところのひとつ、たまたま書いているかのようなところにしかなかったように記憶していたのです。ほとんどは「アイヌ」か、「アイヌの人々」だったかと。しかし、こんかいはどこもかしこも「アイヌ民族」と書き、歴史も記述されていました。
前回は台湾の原住民族(ユエンツーミンツー)の方々をご案内し、「開拓」(侵略)の側の展示だと紹介してまわったのですが(名前からしてそうですよね)、今回は名前も含めてリニューアルするとのことで楽しみですね。

帰りに記念館の販売コーナーをのぞいたら・・・・
隅っこに「馬場・児玉コレクションにみる 北の民 アイヌの世界」が一冊あるではありませんか。目を見開いて「こ、これは?」と店のおばちゃんに聞くと、
「今朝、たまたま隅っこから売れ残りが出てきたの。1,500円」。
大喜びでお宝購入。あまりのうれしさにおばちゃんも喜んでくれて、この本もおさまるべきところに納まったんだね」と。
さて、この本は、植木哲也さん著「学問の暴力」(春風社)で出てくる児玉作左衛門のアイヌコレクションを名古屋などの博物館で展示した際の解説本。いろいろと調べるのに欲しかった一冊だったのです。
以前に「日本の古本屋」で検索したら、安いのでも定価の倍以上してました。

今日は他の用事もあり千歳空港で開催しているウタリ協会のアイヌ工芸展に行ってきます。



十勝アイヌ民族フィールドワークのご案内

2008-09-04 20:13:39 | インポート
以下、ご案内

十勝アイヌ民族フィールド・ワークのご案内

主のみ名を讃美いたします。
それぞれ主に励まされ宣教の業にお励みのことと存じます。
今年のフィールド・ワークは帯広教会・帯広百年記念館の協力のもと、十勝のアイヌ民族の皆さんと出会い、学ぶ時を持ちます。
とかちエテケカンパの会代表木村マサヱさんのお話、帯広百年記念館・アイヌ民族文化センター“リウカ”見学、学芸員の内田祐一さんの講演、さらに翌日は十勝地方をまわるなど盛りだくさんの企画を用意しました。
アイヌ民族の皆さんと実際に出会い、交わり、学び、豊かな時を持つべく、広く教区内の皆さんにご案内申し上げます。どうぞいらして下さい。

― 記 ―
日 時   2008年10月3日(金)午後3時集合~4日(土)正午まで 
場 所  帯広百年記念館集合(現地への交通費自己負担)
費 用  1、000円(夕食交流会・宿泊は自己負担)
講 師  木村マサヱさん(とかちエテケカンパの会代表)        
     内田祐一さん(帯広百年記念館 学芸員)
内 容  フィールド・ワーク・講演
帯広百年記念館見学・講演
蝦夷文化考古館 (案内:小助川勝義さん)→フシココタン→
伏古第二尋常小学校跡→チョマトー→伏古別川 

主 催 北海教区アイヌ民族委員会・アイヌ民族情報センター
共 催 日本キリスト教団帯広教会  協力:帯広百年記念館
 
※ 配車の都合がありますので参加希望をお名前、ご住所、連絡先を明記し、
さらに、交流会参加(実費1,200円) 教会泊希望(貸布団実費1.000円)の要望を付して
E-mail (ororon38@hotmail.com)ください。


アイヌ文化普及啓発セミナー受講報告

2008-09-04 19:41:31 | インポート
8月28日(木)と29日(金)は今年度のアイヌ文化普及啓発セミナー(アイヌ文化振興・研究推進機構)後期講演の二つを受講してきました。

一日目は「東京・イチャルパへの道-開拓使仮学校附属北海道土人教育所について-」。
長谷川修(レラの会会長)さんのお話でした。
重みのある言葉であり、事柄であり、多くを考えさせられました。
意思と反して北海道を出なければならなかったご自身の思いと、「開拓使仮学校」に行かされた生徒達との思いが重なり、あれは「留学」ではなく「連行」だったのだと考えるようになった、と。

この「連行」された生徒38名の内、5名が病気などで命を落とします。
頂いた資料の年表を見ると、アイヌのこどもたちが東京に向けてすでに出発しているのに、アイヌ女子の東京府女学校への受け入れを東京府に掛け合うという事務的手続きを後からはじめたり(それも東京府から断られている!)、仮学校でのアイヌ教育を行なう旨の届出をひと月も後に政府に出したり、なんだか見切り発車というのか、まず先にアイヌ学生達をあわてて連れて行った(手続きは後回し)感がぬぐえません。このような状態も強制「連行」といわれる所以でしょうか。

北海道外に住むアイヌは忘れ去られる危惧をいつも持っている。だから、忘れられないように今回もいち早く、アイヌを日本の先住民族として認めるよう政府に要請する署名を集めたし※、有識者懇談会に向けて要望書も出した、と長谷川さんは語りました。

※(今も継続中=先住民族として認められたものの中身が伴っていないので、内実伴うよう願いを込めて署名を継続中。署名の08年4月9日blog参照。署名してくださる方はororon@jade.plala.or.jpまでDMください!)


二日目は「国連の「先住民族権利宣言」とアイヌ民族」と題して、阿部一司(社団法人北海道ウタリ協会副理事長)さんのお話。
重要な部分を当日配布された資料から引用させて戴きます。

アイヌ民族の要求は明確である。1984年北海道ウタリ協会は、6項目の「アイヌ新法案」をまとめ、北海道知事に要請した。北海道知事によって要請された「北海道ウタリ問題懇話会」は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドを視察、調査をして「アイヌ民族に関する新法問題について」という報告書をまとめ、1988年、政府に提出している。
このたびの国連の権利宣言の採択を受けて、わが国における先住民族施策実施のため早急に、国の担当省庁、窓口を決めること。常設の審議機関を国に設置すること。「先住民族の国際10年」の行動計画に言われている、トライパータイト・コミッテイ(先住民族・政府。国連機関による国内3者機関)の早期開催を、強く求めるものである。(「今後の課題」より)


一年期限つきの「有識者懇談会」で、しかもアイヌ民族はたったの1名というものではなく、
時間をかけて審議する審議機関、そして国とアイヌ民族との接点となる窓口の開設等の要求です。
国として当然、設けるべきことだとわたしも思い、願います。

明日はアイヌ民族委員会・アイヌ民族情報センタースタッフ会合同委員会で、札幌です。




北大キャンパスに実っていた「シケレペ」と思っていたが、どうも山葡萄のようです。ハイ


豊平川での第27回 アシリチェップノミ

2008-09-04 09:27:26 | インポート
またたく間に日が過ぎ去り、もう9月に入りましたね。
7月の先住民族サミットから走りっぱなしで、そろそろ落ち着かねばと思っていますが、
9月もイヴェントがいっぱい・・・これだけ多くのイヴェントがあると出たくともでられない状態です。それほど例年になく催しが各地で行われてきたのか、情報がまわるようになったのかは、もう少し確認してみます。どれも参加させて頂きたいものばかりなのが残念!
関連情報にもUPしていますのでご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive


13日は豊平川にてアシリチェップノミが開催されますね。
楽しみにしています。

数年前に、この祭儀を再開した代表のお一人である豊川重雄エカシにお願いし、
石狩川河口で鮭漁をお手伝いさせていただきました。
道が祭儀用に500本の鮭漁を認可したのです。

実は・・・
エカシは漁をはじめると人が変わるのです・・・
以前にバイトしたホタテ漁の時のかっこうで出向いたら、「そんなもん脱げ」と言われ、
リラックス気味で舟に乗ったその瞬間、エカシが変わったのです!
 
「もっと早くやれ」「あわてんな」「こっち持て」「もっと引っ張れ」と、わたしは怒られっぱなし。
この数年はご病気で漁はされていませんでしたが、今年はお元気になられて再開されたでしょうか。
(06年9月19日blog参照)

昨年からこの祭儀の準備を引き受けられているのが結城幸司さん。
幸司さんの父親である結城庄司さん(故人)は豊川エカシと共にこの祭儀を再開した方。
今年で27回目になります。

時間は13時から。南7条大橋上流左岸あたり

ところで・・・
アイヌ文化振興・研究推進機構が今年の3月に改定出版した小中学校の副読本「アイヌ民族:歴史と現在―未来を共に生きるために」小学校版44頁に載っている版画「カムイ・ピリマ」作者は「結城章司」さんではなく、結城幸司さんのですよね。
いつだったかのUHB放送「ほっかいどうNOW」の中でこの版画をご自身が印刷されているのを覚えています。