アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

劇「アイヌ逓送人 吉良平治郎」

2008-11-30 14:42:30 | インポート
昨夜の劇「アイヌ逓送人 吉良平治郎」~アイヌ・ネノ・アン・アイヌ~(人間らしくある人間)
見にいってよかったです。
一度みただけで、物語の深さや、言葉の意味をわかったとは言えませんが、もやもやした中で感じたことを書きます。詳しいストーリーと正しい解釈は本編を実際にご覧くださいね。


吉良平次郎さんは1922年1月、郵便物輸送中(真冬の夜間でほとんど徒歩による)に猛吹雪にあって遭難し、38歳の若さで亡くなります。その回想録を舞台化したもの。
劇の中でも触れられていましたが彼の殉死は、戦時中は公(天皇)に尽くす滅私奉公の鏡として利用され、戦後は民主主義のもとで責任を全うする鏡として利用されてきたようです。
しかし、いのちすべてを大切にするアイヌはそのようなかたちでいのちを無駄にはしないのだ、とこの物語は最初に否をとなえます。そして、時代を交差させながら物語の核心へと向います。

観終わって感動しました。が、アイヌはいのちすべてを大切にする・・・の最初のことばがストンと納得いく言葉で表現されずに物語が終わってしまったような、腑に落ちないモヤモヤを残したまま、帰路に向いました。


帰りの道の三時間、劇を回想しながら心にわいてきたのは悔しさでした。
劇の中にはアイヌということで多くの差別が行なわれたことが所々に描かれていました。
同時に、吉良平次郎さんは15歳で重い病に罹り左手足に麻痺が残りつつも、何事にも真面目で誠実にやり遂げ、皆からの信頼を得るほど努力家で責任感の強い人として描かれます。
それなのに、アイヌ差別が彼を窮地へと追いやっていく。最後は、その彼のプラスに評価されたすべてが彼を死へと向わせて行くのです。
「アイヌはいのちを大切にする。だから自らを死へと追いやっていくような死に方をアイヌはしないのだ、真面目で責任感の強い彼は差別によって死へと追い込まれていったのだ。公に尽くしただとか責任感が強いだとかに勝手に利用するな。彼を死へと追いやった差別を直視せよ」と言いたかったのでは、と。


劇場で配られたパンフレットの中に監修のおひとりの松本成実さん(釧路アイヌ文化懇談会会長)が、日本国政府へ謝罪を強い口調で訴えておられました。
松本さんは別の講演で、この劇はリアリズムだと、差別の実態が表現されていることを吉良さんの死後のエピソード(顕彰碑像においても差別があった)を交えて紹介されています。
文化振興財団 2006年度普及啓発セミナー報告参照
(http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1818.pdf )


差別を深くじんわりと考えさせられる劇でした。

ニサッタのグループで現在、有識者懇談会へ向けての提言をするべく、原案つくりをしていまます。差別、苦しみの歴史を覚えつつ考えていきたいと思いました。


役者はみんなよかった。特に、子役が光っていましたね。
それと、わたしはてっきり回想案内の山本多助さん役は当実行委員会長の得平さんかと思っていました。似てません?

今日は礼拝後にまた札幌に向かい、先住民族サミットの最終の会議と今後の話し合いに行ってきます。雪がまた降り出しました。




サラダ型共生

2008-11-27 16:11:03 | インポート
20日の北海道大学遠友学舎炉辺談話の講演『アイヌ民族が先住民族であるという意味』(常本照樹[北大アイヌ・先住民研究センター長]講演)について報告します。
この講義も得たことが多かったです。

最近わたしは集団をシチュー型とサラダ型で説明させていただいています。
個々の野菜を一つの鍋に入れて、コツコツと時間をかけてじっくり煮込み、具がとろけて鍋全体がひとつの味に統合される調和の美味しさ。それがシチュー型。
一方のサラダ型は、個々の具財がそのままで盛り付けされて、それで見た目も栄養も満天。さらに見栄えが豊かだけではなく、一口ひとくちが違う野菜たち同士がつくり出すコンビネーションでつねに新鮮そのもの。個々を活かすという共生のあり方。

二つを比較しつつ、もちろん統合された調和もいいですが、わたしはサラダ型こそ多様性を自他共に認めあう豊かさが現われて(味わえて)いると思うのですが、みなさんはどちらが好み?
ありのままの豊かさを認めあいたいですね。

さて、常本さんのお話でわたしが今回一番こころに残ったことは、このサラダ型共生の豊かさをどう多数を占めている和人同士で共感できるか、ということでした。
「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(以下、文化振興法)の法律制定の主旨に、施策の推進による二つの目的が書かれています。
①アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図る、
②あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与すること。


常本さんは、②に注目して、文化振興法は「多数派の利益との結びつけ」がなされていると主張し、それをプラスに評価します。そして、②をご自身が考えてまとめた「今後の検討課題」のひとつにされていました。

アイヌ民族の権利回復はアイヌ民族にとっては奪われたものを取り返すという当然の権利の回復です(新しく要求しているのではない)。その権利回復によって、実は和人も多様な民族・文化に触れることが出来るという「豊かさ」となるんだ、と。双方にとって益となると。多様性を認め合うサラダ型ですね。

ある方に今回の講演の感想を話しましたら、「おいしそうなサラダは一つひとつの野菜が新鮮にシャキッとしている」と言われ、その通りだと思いました。個々が活き活きとしていないとね。そうそう、常本さんは個人の尊重(憲法第13条)を守ることの大切さも語られていました。個々が尊重されてこそ活き活きとなると思います。



月曜日の美深の帰りの峠で遭遇した二頭のシカ。
車の前を走って300メートルぐらい競走しました。



ブラジル・サンパウロ市にインディオ研究センターがあります。代表を務めるアユトン・クレナックさんはブラジル南東部クレナック族の村に生まれました。この部族は1920年代には5千人がいたと言われます。しかし、その後、白人に土地を追われ、現在は各地に散らされて200名ほどが残っているのみ。アユトンさんも16歳の時に両親と共にサンパウロに行き着いたひとりです。彼は自動車部品工場で働きつつ夜学に通い、天才的な語学力で数ヶ月でポルトガル語を習得。
30代なかばには、最も戦闘的なリーダーの一人になり、インディオの土地権の争いを指導します。アユトンさんの名を世界にとどろかせたのが、1987年9月のブラジル国会での彼の演説とのこと。アユトンさんはその演説中に迫害への強い抗議を示す意味で、顔を黒く塗っていきました(映像あり)。
「白人の欲望による開発のおかげで、我々インディオは無視され続けた。現在の法律は白人の都合ばかりで、我々の人権は全く無視されている! われわれはいまも状態を絶対に赦さない」
この演説は全世界に強い印象を与えました。そして、インディオに土地の権利を認めるという憲法の条項は一人の反対者もなく国会で可決されます。


以上は、ちょうど13年前の今日(1995/11/27/22:00~ )、NHKで放映された「インディオが滅ぶ時世界が滅びるー長倉海洋のアマゾン報告」の一場面の紹介です。

このようなインパクトあることが出来ないでしょうか



この数日は大変な雪でした。


PRIME 27号

2008-11-26 20:11:51 | インポート
明治学院大学国際平和研究所にお願いして、「PRIME27号」を送って頂きました~
(担当者の方に感謝!)
すぐに上村英明さんの論文を読みました。
論文の途中に国連の流れを図式して下さったので、一連の流れが分かりやすくなりました。
文末の註には、昨今の関連資料も記されていますのでおいおい調べてみようと思います。
この論文もさっそくニサッタのみんなに紹介しましょう。
(1922年から図式して下されば、より良かったのに・・・って、贅沢?)

はじめに上村さんは「宣言」採択の意義を
①先住民族が国際法の主体とされ、先住民族の権利が国際人権基準の一部とされたこと
②その権利体系が「普遍的な権利」として明示されたこと
の二つを挙げます。

①では、今までの国際法の「西欧的」枠の指摘がされます。「西欧的」なもの以外の権利は認められて来なかったと。例として1770年にジェームズ=クックはオーストラリアに上陸し国際法の「無主の土地」理論を援用し、英国の植民地とします。先住民族アボリジニがいることを分かっていながらも、です。アボリジニは欧州の基準に照らして「政治的システム」・「法システム」・「社会システム」も持ってなかったからであり、その「未開社会の文明化」を口実に植民地化を進めていった歴史があります。そのような「西欧的」枠から先住民族がおいてけぼりにされていたのが、やっと権利を認められるようになった、と。(このまとめ方、あってるかな?)
②は、地域も環境も歴史もそれぞれ置かれている状況が違う多様な世界の先住民族に、具体的でありながらも、どの民族にも当てはまり利用できるような内容が書かれたということ。

しかし、43条に示されているように、先住民族の生存、尊厳および福利のための「最低限度の基準」であることも上村さんは明記します。
そして、この「宣言」は先住民族が「共同の闘いを展開することで勝ち取った成果」と評し、レス・マレサー(グローバル先住民コーカス議長)の言葉を添えて、この「宣言」は、「互いの見解と利益を結合させ」未来への枠組みを示したものであり、「相互承認と相互尊重とを基盤」とした「平和と正義へのひとつの道具となるもの」とまとめておられます。

次に、『宣言』ができるまでの長く困難だった道のりについて詳しく記述し、続いて『宣言』の内容紹介(以上は内容紹介を省略しますのでご希望の方は実際に手にとってご覧下さい)、そして最後に今後の課題が述べられます。
そこにおいて、日本政府が20年近くものあいだ、人権機関に政府代表を派遣しながら何も「学習しなかった」ことを暴露し、日本政府の主張の反証をし、日本政府に対して先住民族の問題を足元から取り組むよう促します。「宣言」成立までの長い闘いの一面を知ることが出来ました。

加えて、小林致広(神戸市外国語大学)さんの論文「国連宣言採択とアメリカ大陸の先住民運動の『転回』」も、「宣言」採択前後の各国のせめぎあいが記されていていい情報でした。
アフリカ・グループ(AU)の提出した9項目修正案が「宣言」案を骨抜きにするものであったため多くの抗議がでたとのこと。しかし、実際はどの程度に修正されたのでしょう。「宣言」前文の23段と、第46条の二段落目の追加はAU提案が盛り込まれたものだと以前に聞きました。
このような情報をいち早く知りたいですね。論文に出てくる先住民族の各グループ名ははじめて聞くものばかりですので、調べていきたいと思います。
宣言後の集会の中には、連邦・州政府による体系的な妨害があったことや、先住民族指導者の釈放・文化的多様性の尊重・持続可能な資源利用モデルの確立などが要求として出されていることが記されていました。

ボリビア政府はこの『宣言』を一足飛びに国内法(国内法3760)として認定しているのですね。それほど本『宣言』の質は高いのだ、と上村さんは紹介しています。



21日の朝に、小樽市総合博物館で開催されている「ピリカ・モシリ 現代に生きるアイヌ工芸」を観に行きました。
いい、感じに展示されていました。小川早苗さん、加藤町子さん、そして、加藤里美さんの作品は目を引きましたね。
さらに、小樽在住の川村則子さんの作品は芸術作品です。
くわしくは下記へ
http://www.city.otaru.hokkaido.jp/kyouiku/museum/gyojioshirase.htm#pirikamoshiri


道北地区集会

2008-11-26 18:51:01 | インポート
23日(日)午後から24日(休)にかけて、道北地区の一泊修養会が美深(名寄より北上した町)で行なわれました。教会員7名で参加してきました。

主題講演は台湾原住民族宣教師のディヴァンさん。
台湾における教会と社会、信仰と民主化の闘い、原住民族の権利回復に関して貴重なお話を伺う事が出来ました。
以前にも書きました(08/7/31 blog)が、信仰と一人ひとりの権利回復の闘いは密接につながっています。
宗教はとかく、こころの問題だと言われ、政治的・社会的な活動に関して消極的のように考えられがちですが、違います。
社会の中にわたしたちは生きているのです。

台湾の原住民族は、信仰によって絶望的な状態から希望を確信し、権利回復の闘いを続けていきました。
台湾基督長老教会の働きから、わたしたち日本の教会は学ぶべきことがたくさんあります。
今後も得たことを活かしていきたいとおもいます。
これをお読みの皆さんにとっても、台湾の原住民族に対する政策は興味あることだと思います。
たとえば、日本の九州と同じぐらいの面積のあの土地に、たくさんの原住民族がいて、
現在、14民族が台湾政府によって認められ、その民族の言葉は公用語とされたことや、
政府に原住民族の委員会があったり、原住民族だけのテレビ局があるなど。
そのあたりも伺いたいと思います。お楽しみに。


翌日の24日にはわたしも「アイヌ民族として認められた後の課題と展望」を、小グループでお話させて頂きました。
(11月20日の北大での常本さんの講演で学んだ事もHOTな情報として紹介させて頂きました)。



昨日の25日、初山別の教会員の家庭訪問に行きましたが、その途中の海岸で見つけた屍骸。
なんでしょう? 鈴木君! 君はわかる? くちばしがカモノハシみたい 


クジラかな? 前にイルカとトドの屍は見たことがあります。それとは違います。
こんな時、どこに伝えればいいのでしょう。





さて、さて、AINU REBELS情報です。
12月6,7日と、三重県に参上!!との情報をGETしました。

「甦れ、アイヌの誇り」in 松阪市
松浦武四郎の生まれ故郷でトーク&コンサート
12月6日(土)13:45~15:30  嬉野ふるさと会館・大ホール
チラシをダウンロード ↓
http://www.ainurebels.com/20081206.pdf

「アイヌ文化の現在―誇り高く、かっこよく―」in 名張市
トーク&パフォーマンス@ふれ愛コンサート
12月7日(日)13:00開場、13:30開演(※REBELSは第二部の14:30スタート)
名張市青少年センター
チラシをダウンロード ↓
http://www.ainurebels.com/20081207.pdf

どちらも入場無料!


「先住権サポート基金」

2008-11-22 16:11:33 | インポート

北大の小田博志さん(文化人類学准教授)や、上村英明さん(市民外交センター代表・恵泉女学園大教授)らが、アイヌ民族自身が、できるだけ広い範囲と地域で話し合うための基盤を作ったり、有識者懇談会とアイヌ民族とが話し合う機会をつくることを目的に「先住権サポート基金」を創設し、基金を募っています。わたしもさっそく協力しました。
今こそ協力できることはどんどんみんなでしていきましょう。
(北海道新聞11/15 12:15 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/129315.php参照)

小田さんも熱い人ですね。以前にこのブログでも紹介しました(08/8/28 blog)が、先日もお会いし、熱心さに心打たれました。小田ゼミの学生達もいい!



もう一つの記事を紹介。

アイヌ民族の全国協設立へ 道ウタリ協会が決定(北海道新聞11/15 08:16)
道ウタリ協会が十四日に帯広市内で理事会を開いて、道内外の他団体を含めたアイヌ民族の連携強化に向けた協議機関「全国協議会」(仮称)の設立を目指すことを決めたというニュース。
「協議会」は来年度以降に発足を目指すとのことです。
早期に結成して、有識者懇談会との協議に間に合えばいいと思うのですが・・・・。
「協議会」において団結して自己決定権を行使し、国と対話できる日ももうすぐですね。

ところで、有識者懇談会とアイヌ民族との「ヒアリング」の人選はどなたがなさっているのでしょうか。おそらく、有識者懇のほうからアポを取り、それを受けた団体が会合を開いて人選したのでしょうが、その辺りの情報はアイヌ民族の中で共有されているのでしょうか。

さらに、札幌のヒアリングに参加された方から伺ったところ、おひとりたったの5分だけの持ち時間しかなく、話したいことも話せなかったという感想でした。

有識者懇のおひとりである常本さんは先の講演の中で、月一度の会合の合間に多くの調査が行なわれ資料としてメンバーに届けられていると言われていましたから(11/20講演については後述します)、その方の5分のヒアリング以外にも情報を受け付ける窓口が設けられていたり、調査が進められているのでしょう。アイヌ民族の皆さんには少なくとも窓口を開いていることと、その窓口の所在地を伝えることを希望します。


さて・・・、
20日の北海道大学遠友学舎炉辺談話の講演『アイヌ民族が先住民族であるという意味』(常本照樹[北大アイヌ・先住民研究センター長]講演)は、聞きごたえがありました。常本さんの講演はとても聞きやすく分かりやすいです(注:今回お会いして「ブログ読んでますよ」と言って頂いたから褒めているのではありません)。今回のような北大での講演や昨年のウタリ協会総会後の講演、アイヌ民族シンポジウム(07/2/19)など、思えば7回聞かせて頂いて、いつも教えられています(ブログ内検索したら26件もヒット!)。
学んだ内容は・・・次回につづく・・・




すごい雪が降っています。


チ・カラ・ニサッタの会合

2008-11-19 13:46:16 | インポート
数日前のブログ日誌に、尊敬する上村さんからコメントを頂きました。
国連の先住民族権利宣言(以下「宣言」)の後に、規約は作らないのかという疑問に答えてくださいました。
とてもうれしかったです。

コメントを頂きながら、北大の常本さん(北大アイヌ・先住民研究センター長)が講演の中で言われたことを思い出しました。
宣言は法的拘束力はないけれど、いくつかこの点についてプラスに考えられるとのこと。
ひとつは国連の常設委員会などで宣言は活用されていくはずで、そのように国連が積極的にこの宣言を活用していけば加盟国は宣言を尊重しなければならなくなる、と。いわば、国連自身がどれだけ宣言を活用するかによって効力が出るのだとのこと。

もう一つは、一部の国際法学者によると、宣言全体ではなく個々の宣言に法的拘束力があると考える人がいる、と。
慣習国際法(慣習として守られているもの)として存在しうるものがあるとのことでした。例としてアメリカでは長い期間、国際人権規約を批准しないできたので、国際的な人権を守る手段として世界人権宣言を慣習国際法として用いていたことを紹介されました。

上村さんが教えてくださったように、「宣言」だけれども、「条約」並みに用いられうるという点で、アイヌ民族の権利回復をこの宣言を参考にして考えていっていいのですね。


17日(月)は、お世話になっているエカシのところに資料を届け、夜はチ・カラ・ニサッタの会合をしてきました。
約4時間もの間、じっくりとアイヌとアイヌではない仲間とでアイヌ民族の権利回復について語り合いました。

ニサッタでは、市民の声として有識者懇談会にむけて提言をすることを考えています。
みんなで「提言つくり」を始めていますが、なに分、みなさん学者でもなければ専門家でもありません。
しかし、権利回復のためにと知恵を出し合って、疑問をぶつけ合って進めているこの会はいい会だなあ、と感じました。

会合として意見があったことに関してはいづれ公になりますので、ここでも紹介できると思います。
ちなみに、わたしが考えた以下の要望は、おいおいUPしていきます。
(国の謝罪の必要性。国による長期的な常設審議機関の設置。アイヌ民族議会(仮名)設置の協力。
アイヌ語の公用語化。差別の聞き取りを行なう機関設置。儀式用具や遺骨返還。土地(代替地含)返還、
越境権、他など)。

何よりもアイヌ民族の皆さんの自決権に基づく要望が大切ですから、ニサッタ会議においても傾聴していきたいと思います。

さて、たまった原稿を明日までに仕上げないと・・・。
明日は北大アイヌ・先住民研究センターの常本さんの講演があります。質問できることをしておこうと思います。
明後日は、同じく札幌にて研究会に参加し、帰宅します。




「イタカン ロー」

2008-11-19 13:33:30 | インポート
15日の土曜日はむかわ町に向かい、アイヌ語弁論大会「イタカン ロー」と、第21回アイヌ民族文化祭“ヌヤン・ヌカラン・ピラサレヤン”を観てきました。

「イタカン ロー」は少々遅刻してしまい、こどもの部は聞けませんでした。残念!
しかし、こどもの部2年連続最優秀賞を取られた関根摩耶さんの「小オオカミの神が自らをうたった謡『ホテナオ』」を受賞後に聞く事ができ、感動。長い物語を暗唱して、リズムをつけての熱唱。数日前のNHK教育「みんな生きている」に「わたしのカムイユカラ」で出演していたのを見たばかり。小さなこどもがアイヌ語を愛し歌うのが大好きだというのを聞いて、とてもうれしくなりましたが、生で聞けたのは最高でした。
きっと、他のこどもたちも一生懸命に準備して大会に臨まれたことでしょう。聞きたかったなあ。おとなたちも良かったです。

会場には、ムックリ作り体験コーナーがあり、一本作ってきました。
作業中に、摩耶ちゃんが隣に来て作り出したではありませんか。
めんこいなぁ~と声をかけようと思いましたが、一方的にわたしだけが知っていて、にやけながら声をかけられるのも嫌だろうと思い、やめました。回りのみなさんは知り合いのようで、彼女にうれしそうに話しかけていました。
テレビでは中本ムツ子さんが本当にうれしそうにお話していましたね。

アイヌ民族文化祭も楽しかったです。
以前はもっと時間をかけて楽しんだと、ある方から伺いましたが、一同に会して踊りや歌を披露しあい、交流をより深められたらいいですね。

その日の深夜に帰宅し、翌日の準備をして、日曜礼拝に臨みました。




むかわのししゃも! 撮っただけで買いませんでした。



反植民地主義の視点からの講演

2008-11-19 11:51:02 | インポート
報告が滞っておりました。
出かけてばっかりで記事をUPする時間がないぐらいでしたが、原稿を書くと同時に今日中に数日分の報告をUPします。

14日(金)の夜に、武者小路公秀さん(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長)の講演「国連・先住民族権利宣言の意義―反植民地主義の視点から-」を札幌に聞きに行きました。

いろいろと触発を受け、消化不良ぎみです。
反植民地主義に関しては、うなづきながら聞きました。
確かに先住民族は植民地化した国家を認める必要はなく、国家から先住民族の権利を認めてもらう必要もなく、自分達で枠を作り、自己決定権を行使していけばいいのです。
確かにその通り! 「先住民族として認めろ」ということを国家の枠から語る必要はないというのは分かります。

ただ・・・、現実は植民地として組み込まれた現状から自己決定権を主張していく際には、国家の枠と対峙する必要はあると思います。同時に、長い支配と略奪の保障も国家に要求していく必要もあると。いや、これらは先住民族独自の枠からでも要求できるか・・・。う~ん、少し考えます。

あれ? 先住民族側の枠という点で考えたのですが、先住民族自らが自己の枠として先住民族の定義をしているところはあるのでしょうか。アイヌ民族は? 今度、聞いてみようと思います。

国家に守ってもらうのではなく、互いに人間同士が守りあうものだ、という言葉も記憶に残りました。

また、長く国連に関わっておられるゆえ、深い部分の話も少し伺う事が出来ました。
「国連は全住民族の権利宣言を長い時間をかけて成立させないようにしていた」。
確かに、先住民族作業部会(WGIP)では、豊かな検討を重ねて来たのを、宣言案作業部会(WGDD いわゆる各国の代表)では、10年かけてもらちがあかなかったことを以前に聞きました。しかし、それでも先住民族は忍耐しながらも粘り強く交渉し、勝ち取ってきたのですね。

さらに驚く事に、日本はスペイン人のバルボア(Vasco Núñez de Balboa 1475-1519)の植民地なんだって!! 
探険家であり植民地政治家の彼はヨーロッパ人としてはじめて太平洋に到達し、太平洋の名付け親となります。
さらに、当時の正当な法的手続きにより、太平洋に十字架を立て、この海とそこに浮かぶ島を先占すると宣言したそうです。
「先占」についても考えさせられるお話でした。

上村英明さんが明治学院大国際平和研究所の冊子PRIME 27号にて、論文「『先住民族の権利に関する国連宣言』獲得への長い道のり」を書いておられると武者公路さんから紹介され、早速、同大学にメールして送っていただけるようお願いしました。楽しみです。

それと、昨日、敬愛する先輩から貴重なアイヌ民族関連の図書・資料を多数いただいて来ました。その中に武者公路公秀さん著「世界のマイノリティと法制度」(解放研究所)もありましたので、追って読んでみようと思います。




アイヌ民族女性の複合差別

2008-11-14 10:11:21 | インポート
12日は恵庭に手術入院している教会員のお見舞いをし、その後、札幌で諸事務をこなし、
夜はさっぽろ自由学校“遊”の講座を聞きに行きました。

アイヌ民族女性という、マイノリティーの中の女性の立場からさらに差別を受けるという“複合差別”に関するお話を多原良子さん(ウタリ協会札幌支部)とアンエリスさん(北大研究員)から伺いました。

かつて、多原さんには時間を割いて頂き、わたしたちの機関誌「ノヤ」にインタビュー記事を掲載させていただきました。その際も、複合差別に関して問題や課題の多いことを伺いましたが、今回はさらに、より詳しく聞く事が出来ました。複合差別は差別に差別が重なっているということではなく、「複数の文脈の中でねじれたり、葛藤したり、ひとつの差別が他の差別を強化したり、という複雑な関係にある」(多原さんの発題から)と、分かりやすく問題部分をお話くださいました。

さらに、アンエリスさんの発題で注目したのは「複合差別と権利宣言のパラドックス」の項。
慣習法、伝統法と先住民族社会に見える女性権利を否定する習慣についてのお話でした。
先住民族の伝統儀式において、女性差別・軽視が温存される伝統があるということを、いろいろな例を出して提起されました。
例えば、インドでは先立たれた男性の遺体を燃焼する際に、残された連れ合いの女性も火に身を投じる習慣が過去にあった(最近も新聞に掲載あり)ことや、アフリカでは映画「母たちの村」で取り上げられた女子の性器切除の習慣など。
(「母たちの村」→http://www.alcine-terran.com/main/moolaade.htm 参照)

アイヌ民族女性の具体的な事例に関しては出されませんでしたが、その当たりじっくりとアイヌ女性から伺いたいです。
ただ、大事なことは、自己決定権が個人に確保されていて、そこで同意があるかないかが重要なことだと思いました。

エンパワメントをより豊かにするためのプログラムに関しても多原さんから紹介頂きました。
エンパワメントは互いにその人の過去を慰め癒し、現在を認め褒め、未来を励まし支えあう交わりが必要だと思います。今後も豊かな交わりができますように。



白老ポロトコタンで飼われていたアイヌ犬。熊にも挑む勇敢さがあると言われます。
今は、お隣に熊さんも一緒に飼われて仲がよさそうです。




余談ですが、第3回有識者懇談会は、北海道において開催されました。
ニュースではアイヌ民族のみなさんとの懇談をしたとありましたので、さぞ、有識者懇談会の皆さんはアイヌの声を傾聴しただろう報道ですが、実際は、10名のみなさんでひとりの発言時間はたったの5分以内だったと。
それで聞いたと言えるのでしょうか。
(ちなみに、アイヌ文化振興法制定時の「有識者懇談会」も最初に一度だけ、アイヌ民族と接しています。しかし、それっきりでおわっている!)

時間をかけて傾聴する必要性を感じます。


今日はこれから札幌にてアイヌ民族委員会、夜は6時半から武者公路公秀さん(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長)講演会「国連・先住民族権利宣言の意義―反植民地主義の視点から-」(北海道環境サポートセンター)
明日は、むかわで行なわれる国際先住民の10年 第21回アイヌ民族文化祭“ヌヤン・ヌカラン・ピラサレヤン”を観て帰宅しま
す。

そうそう、朝日新聞記者であり、ニサッタ仲間の山田さんの文が紙面に載りましたね~
いい記事です。全国版のようですので多くの反響を望みます!!
朝日新聞11/12(水) 夕刊1面「ニッポン人脈記」
シリーズ「ここにアイヌ」① ありのままの君でいい
http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200811120235.html



留萌の朝日。


交易民族であったアイヌ

2008-11-11 14:42:14 | インポート
上村英明さん(市民外交センター代表)著「北の海の交易者たち」を図書館で見つけ読んでいます。
上村さんはアイヌ民族の領土と交易を考える上で、北海道本島だけではなく、
千島、樺太南部を含む広大な領域を前提としなければならないことを述べています。
さらに、アイヌ民族が接してきた異民族を以下に挙げます。

①和人
②中国人
③ロシア人
④ウィルタ人(サハリン中部の遊牧民)
⑤ギリヤーク人(ニブヒ。サハリン北部からアムール川下流域に住む遊牧民)
⑥カムチャダール人(カムチャッカ半島の南半分を占める遊牧民)
⑦アレウト人(アリューシャン列島に狩猟漁撈を営む先住民族)


交易というと商品が必要ですが、アイヌ民族は生産力が低く商品どころでなかったので交易はなかったとする従来の考えや、外圧による交易論に対して上村さんはポランニー(ハンガリー経済学者)の理論を用いて反論していきます。
大変、おもしろいです! が、また反芻できていませんし、このたびの言いたいこととかけ離れていきますので本の紹介はここまで!(って、最初の13ページで終わり?)。


国連の先住民族権利宣言の36条に、国境を超える権利がうたわれています。
国境によって分断されている先住民族は国境を越えて他の民族だけではなく、自民族の構成員たちとの接触、関係および協力を維持・発展させる権利を有する、と。
この国境越えの権利と共に、25~28条の先住民族の伝統的に領有している資源の権利をあわせて交易権を得られれば、豊かな資源を得られますね。
もちろん、36条ではカラフトアイヌ、サハリン・アイヌの帰郷・お墓参り、自由往来、財産権、漁業権も含まれる、注目に値する権利です。これにさらに32条の資源開発の権利を加えればいいのです。



白老ポロトコタンで飼われている熊さん



オカリナ奏者の宗次郎が「イヤイライケレ」というアルバムを作っているのをご存知? 
実はトンコリ奏者OKIのお連れ合いレクポさんとのコラボが二曲入っているのです!
ウポポとムックリで出演。先日、やっと中古屋でGETして聞きました。
いい感じですよ~

数日前のブログで紹介したサーミ民族の歌姫ウルスラと妹トゥニーのグループ “アンゲリット”のアルバム「マンヌ~月に願いを」も同時にGET!
サーミ民族の音楽ヨイクは歌ではなく自然界とコミュニケーションをとることを目的として生まれたものといわれています。「宗教が儀式化される以前の純粋な祈りとされ、あの世と連絡を取る手段とも言われることがある」(解説より)そうな。とてもきれいな透き通った歌声です。


これで数ヶ月は車の移動時のBGMが充実します。もちろん、過去に聞いたたくさんの方たちの講演も聞き直しているのですよ。




先住民族のこれまでの主張

2008-11-10 19:40:39 | インポート
アイヌ民族の権利回復について仲間と考えを深めています。
昨年のさっぽろ自由学校“遊”の「先住民族の権利回復って、どういうことだろう」連続講座第1回目の講演をされた相内俊一さん(小樽商科大学教員・市民外交センター)のまとめは、とても参考になっています。

相内さんは世界の先住民族のこれまでの主張を以下の 7 点に要約されています。※

1.先住民族は、民族として存続することが困難な状況に置かれてきている民族であるから、民族としての自己決定権と、尊厳をもつ存在であることを国際的に認知せよ。
2.国際社会は、すべての民族に等しく認められている諸権利を、差別なく先住民族に保障せよ。自決権と民族としての集団性に基づく集団的権利は中心的権利である。
3.先住民族を支配してきた国家は、先住民族から奪った土地、資源、環境、文化を返還し、損失を補償せよ。
4.国際社会、とりわけ先住民族を支配してきた国家は、先住民族が自己決定権を行使し、自ら民族としての尊厳を取り戻す上で必要な環境、能力(スキル)、資源を、先住民族に対して保障せよ。
5.国際社会、とりわけ先住民族を支配してきた国家は、先住民族に対して形成されてきた差別や偏見をなくすための具体的な政策を実行せよ。
6.いかなる国家も、先住民族の権利に関連する問題について、事前に、十分な情報を示し、自由に決定できる関係の下で、先住民族と誠実に協議せよ。
7.先住民族に特有の文化、社会、経済、政治、司法システムを承認せよ。


これらの主張をアイヌ民族に当てはめつつ、有識者懇談会へ要望をするなら何をどうしていくかをまとめています。

※相内さんは、他に「権利回復をめぐる支配国家と先住民族との間の対立点」(‘07年7月4日blog参照)、「先住民族アイヌの課題」(7月22日blog参照)についても箇条書きでまとめておられます。

国連の先住民族権利宣言の確認は今しばらく資料収集をしてからUPさせて戴きます。



7日に教会員の入院のために恵庭まで付き添い、ついでに白老を訪問しました。


ヒラーコレクション

2008-11-04 14:14:25 | インポート

ばたばたしていてブログ更新ができずにいました。

昨日は石狩・空知地区の信徒大会でお話させて頂き、さらに島崎直美さんの講演もうかがう事が出来ました。
先住民族サミットのことやインドで開催された先住民族女性会議の報告、そしてご自身のことをお話くださり、
よき時間を過すことが出来ました。感謝。

それと番組「カムイの夜明け」もよかったですね。
BGMはOKIとKILLAのコラボが流れていましたね~
はたまたDVDの録画予約がうまくいかず、スタッフ仲間に助けていただきました。
じっくり観なおしてから感想をUPします。


11月1日にリニューアル・オープンした旭川市博物館に行って来ました。
なかなかいい内容でした。展示のしかたがとてもきれいだったり、
マンガを使っていたり、いろいろな工夫がほどこされていました。
陳列されていたものも貴重なものが多いようですね。
「現代のアイヌ民族」のコーナーもあり、「過去にいたアイヌ」の展示ではなく
現代にもいきいきと活躍している事も示すことが出来ていていいと思いました。
今後、旭川アイヌ民族フィールド・ワークのコースに入れられますね。

ただ、やはり・・・
見事に、アイヌ「民族」の表記はひとつもありませんでした。
(アイヌを日本の先住民族として認めた国会決議が出されて半年近くなるのに、です。なぜでしょう?)




同館にて、特別展「アイヌの工芸-ペンシルバニア大学考古学人類学博物館ヒラーコレクション-」(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構アイヌ工芸品展)も開催されていました。

ヒラーコレクションを見られただけではなく、幸いなことにヒラーに詳しい小谷凱宣さん(名古屋大学名誉教授)の講演「北米の主要なアイヌ民族資料―H.M.ヒラー資料を中心に―」を大変、興味深く聞くことも出来ました。

小谷さんは国内外のアイヌ民族資料を調査されている方で、国内外の比較からお話くださいました。それによると、現在日本国内には約6万点のアイヌ民族資料があるとされる中、確認出来ているのは5千点のみであるとのこと。さらに、その内の3千点にのみしか収集時情報(だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どうやって)が付いていないとのこと。この収集時情報(5W1H)がないと「資料」としての価値はなくなるのだそうで、この場合、6万点(この数字の根拠を質問したかったのですが時間がありませんでした、残念)のわずか5パーセントしか資料としての価値はないとのこと。
海外に出回ったアイヌ民族資料は今年現在で約13,500点(個人所蔵を含まず)とのそうだが、それらの中でも収集時情報が付いているのは5千点強のみだそうです。割合から行くと海外資料のほうが優秀ですね。

では、なぜ、国内資料には収集記録がないのかについて小谷さんの推測をいくつか紹介します。まず、日本における人類学民族学の遅れを指摘。たとえば東京帝国大学での人類学専攻が出来たのは1940年からであるなど。さらに当時の日本文化研究には「匿名性」の影響が色濃くあり、「名もなき人が作ったことが美しい」とされていたために、匿名になったのでは、ということ。

はて・・・
英国人がアイヌ民族の墓を盗掘して大問題になった事件は1865年に起きました。当時のヨーロッパではアイヌの骨は研究材料として高い値で取引されていたのです。
それと当時、東京大学理学部生物学の生徒だった坪井正五郎と白井光太郎を中心に「人類学会」が設立され、初の会合を1884年10月12日に開催しています!※

小谷さんの講演の中で、資料の中には「しるし」(墓に一緒に埋める副葬品にわざとつける「傷」のこと)が付いているものがあるという事も言われていました。すなわち墓から取られた(盗られた?)ものもあるということ(どれぐらいの割合で「傷」がついているのかも質問したかった)。
さらに、収集者の名簿に小金井良精や坪井正五郎などアイヌ民族の墓を掘って遺骨収集した人物の名もあること。

これらのことから、端的にわたしなどは収集時情報を付けられないわけがあったのでは?と疑ってしまいました。
そしてさらに、アイヌ民族の遺骨も「資料」として国内外に散らばされていることを踏まえ、調査対象にする必要があると思いました。

(※植木哲也著「学問の暴力」参照)


講演を無料で聞いただけでなく、カラー刷りの立派なヒラーコレクションパンフレットとムックリまで頂きました~。
ムックリは自分なりに削って手を加え、手持ちのなかで一番音がいいムックリの次ぐらいの音色に仕上がりました~(って、持っているのは二本だけ)。なかなかいい感じです。これで大会に出たら今度こそ優勝できるかも・・・




留萌の町を増毛からながめています。留萌がケアラシに包み込まれているのがわかります?