アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

台湾研修報告 その2

2013-02-15 11:55:31 | インポート
さる11月1日から6日に、台湾にて台湾原住民族と北海道アイヌ民族の交流研修会議を開催したことは以前に書きました。会議後、ディヴァン宣教師とわたしだけ残ってディヴァン宣教師のご実家を拠点にさらに一週間の学びをさせて頂きました。

11月6日は桃園空港で皆と別れた後、ディヴァンさんのご友人Iチャンと合流し、捕里へと向いました。そこで、アウン牧師(セディク民族 2008年にアイヌ民族の研修に来道)とお連れ合い(も牧師)、ルピ牧師(セディク民族 2009年研修者)の案内で九族文化村を見学。アウン牧師の眉原教會訪問。

翌7日はルビ牧師の谷路邦(清流)教會訪問の後、嶺武山(標高3275)~羊の丘(山羊アイス食べました)、盧山教會訪問し、トゥシ牧師と再会(タロコ民族2008年研修者)。そこで、ムササビの煮ものと生の内臓、粟酒をご馳走になりました。

8日は、霧社の記念碑(映画『セデック・バレ』の舞台)、そして、日月譚にてゾウ民族の方と食事会。夜にブヌン民族のロココ村のディヴァン宣教師のご実家に着き、毎週木曜日にある夜店に連れて行って頂きました。日本のお祭の屋台のようなものが広~い公園にたくさん出ていて楽しかったです。UFOキャッチャー式の金魚キャッチャー、すっぽんキャッチャーがあったり、投げ輪の景品にハムスターやみどりガメがあったり、アルマジロのこどもが売られていたりと面白いものでした。


モーナ・ルダオ像

その後、ロココ村にある人倫教会の説教奉仕や、ブヌン中部部会議長・幹事と懇談、そして、2009年8月7~9日に起きた台風8号(モーラコット)被害の被災地を訪問。3日間で3500mmという台湾の一年分の雨量が襲い、台中を中心にいたるところで土石流が発生し、六百人以上が犠牲になったことは過去ブログに掲載しましたが、この被災地は一つの村が陥没し、4~500人が、いまだに埋まっているとのこと。道路も修復できておらず、砂利でデコボコで曲がりくねった道を通りました。


スッポンキャッチャー

映画.com ニュースで「台湾の歴史大作『セデック・バレ』GW公開決定&日本版ビジュアルお披露目」が報道されていました。以下、全文を引用。

第7回大阪アジアン映画祭で観客賞を受賞した、台湾の歴史大作「セデック・バレ」が、ゴールデンウィークに公開されることになり、日本版ビジュアルが公開された。
 台湾で大ヒットを記録した「海角七号 君想う、国境の南」(2008)のウェイ・ダーション監督が、メガホンをとった今作。「レッドクリフ」シリーズのジョン・ウーを製作に迎え、種田陽平がプロダクションデザインを担当した。「第一部 太陽旗」「第二部 虹の橋」の2部構成で、1930年に日本統治下の台湾で発生した先住民・セデック族による霧社事件を描く。リン・チンタイ、ダーチン、ビビアン・スーに加え、安藤政信、木村佑一ら日本人俳優が参加している。祖母が原住民族出身であるスーが、製作費の不足を補うため個人出資を行ったことでも話題を集めた。
 「第一部 太陽旗」は、苦しい生活を強いられてきたセデック族が、部族の誇りをかけ武装蜂起するまでにフォーカス。「第二部 虹の橋」では、憎しみや家族愛などの感情が交錯するなかで、セデック族を襲う悲劇を生々しく映し出す。
 今作は、戦いの舞台となる台湾中部の霧社の村を、歴史考証に基づき再現。日本版ビジュアルは、奥深い森を背景にセデック族を率いたモーナ・ルダオが仁王立ち。生きるため戦うものが見せる、厳しい眼差(まなざ)しが強烈なインパクトを放つ。
 「セデック・バレ」は、ゴールデンウィークに全国で公開。(2月2日配信)
http://eiga.com/news/20130202/3/


わたしはひと足早く台湾で売られているDVDを鑑賞しました。日本人の傲慢さや、日本軍が台湾の原住民を使って民族同士で闘わせたり、セデック民族の女性達が自害する場面はほんとうに苦しく感じました。大半がセデック民族の言葉で語られ、英語の字幕が付き、日本人は日本語を語るので、だいたいの内容は理解できました。深いところまで理解を得たいので日本での放映を楽しみにしつつ、関連する資料の再確認をしたいと考えています。

映画の主人公であるモーナ・ルダオを演じるのは、過日、玉山神学院をお訪ねした際に、タイアル民族の口琴をプレゼントしてくださったA教授の実兄だとか、玉山神学院卒業の牧師がけっこう出演しているなどの情報も興味深いものでしたが、2009年に研修にきて以来、わたしたちと交流を続けているルピ牧師がなんと霧社蜂起の際の生き残りとして山から強制撤去され、川中島というところに移住させられた子孫だとのこと。彼女は神学校卒業後、故郷のグルバン教会で牧師をされています。幸いに今回の旅行中に彼女の結婚式があったので参列させて頂きました。相手はブヌン民族の牧師。いい思い出となりました。

訪ねたところの中で、ブヌン民族が日本軍を相手に闘った「大分事件」を知りました。玉山への上り口に建つ南安遊客展示館と抗日英雄記念碑に馬遠教会のSuna牧師が連れて行って下ったのです。Suna牧師のお父様も日本軍に殺されたとのこと。展示館に書かれていた解説をディヴァン宣教師に翻訳して頂いたので載せます。

大分事件(ブヌン語Baungzavan or Maungzavan)
1895年(明治28年)、下関条約により台湾は日本に割譲された。1907年、日本は山地にある村落の統治に着手した。当時の台湾総督の佐久間左馬太は「5年理番計画」を立てた。政府の強硬な統治方法は、ブヌン族の強烈な反発を呼び、1915年(大正4年)にラクラク流域の各地でブヌン族による警察所攻撃事件が次々と発生した。
1915年5月12日にブヌン族はカシパナン警察所を攻撃して成功したことに自信を得て、同年5月17日に、大分社の頭目Aziman Siking「アリマン・シキン」とその兄Dahu Ali「ダホ・アリ」は56名の原住民を率いて、朝5時、食事中だった大分警察所を攻撃した。激戦の末、日本人の警察は死傷者を多く出し、12名の警察は殺された。その中のひとりである警察堀江長治はイシラ社に身を隠していたが、18日に逃げようとした時見つかって殺された。その後、原住民族はアブラァンの山稜線に集結して、通り道を破壊し、木を切って横に置いて、日本警察の討伐隊が来るのを阻止した。その後、高雄に逃げた。
こうした事件が発生したことにより、日本人は中央山脈の横断道路を造る事を決定した。それがブヌン族のを制御するための「八通関の越嶺の警備の道」であった。


原住民族の蜂起に関しては、より調べていこうと思います。


ある原住民村の壁画


アイヌ遺骨返還裁判 第2回口頭弁論内容

2013-02-13 09:27:47 | インポート
アイヌ遺骨返還裁判 第2回口頭弁論が2月8日午後2時から札幌地裁8階802法廷で行われました。
内容は市川守弘弁護士の意見陳述でした。4月に裁判長が交代するため、予定していた原告の小川隆吉さんの意見陳述は次回にまわし、本件訴訟の今後の進行について、主張、立証していく内容を概観した内容でした。抜粋は「さまよえる遺骨たち」ブログ(http://hmjk.world.coocan.jp/trial/trial.html)の資料集にありますので、ここではさらに要点のみできるだけ分かりやすく紹介します。


裁判所のまえで雪祭観光客に横断幕を見てもらいました

1.この訴訟の法的争点
 この訴訟は、①被告が遺骨を占有していること、②原告らは遺骨の返還を求める根拠があること、③に被告の遺骨の占有は何らの占有権限を有していないことの3点から、返還を求めている。
 被告(北大)は答弁書で、浦河町杵臼から発掘されたアイヌ人骨を保有していることを認めている(8頁)。
杵臼から持ち去られた遺骨はすべて被告が占有していると認定できるものだ。
 
2.原告らの権限
 この問題には、様々な法的論点がある。原告の一番大事にしている求めは、お墓と遺骨はコタンが管理していたことを主張し、原告らはそのコタンの構成員の子孫だということだ。

(1) アイヌの遺骨の管理権限を裏付ける2つの考え
①ひとつは、被告はたんに現在の民法上で遺骨は原告らが適法に相続しているのかどうか(ないし、適法な「祭祀承継者」なのか否か)のみを問題にしている。しかし、私たちは、この管理権限を裏付ける一つとして、コタンの権限という法的論点を示す。
・アイヌの人たちは、歴史的に7世紀には登場している。
・江戸時代では、17世紀初頭から徳川家康の松前に対する黒印状によって、「蝦夷のことは蝦夷まかせ」とされるアイヌ社会を幕藩体制から除外する政策が行なわれていた。幕藩体制下では蝦夷が島(北海道)の松前周辺の和人地以外はすべて蝦夷地とし、アイヌには人別帳の作成もされなければ課税すらも課せられてはいなかった。
・一方、アイヌの人たちは、それぞれのコタンがイオルという支配領域を持ちそれぞれのコタンがそれぞれの民事法、刑事法、民事刑事の訴訟法をもち、例えばイオルが他のコタンのアイヌの人たちに侵略された場合には「戦争」になった。
・アメリカにおけるインディアン法にしたがってこのコタンの法的地位をみると対内的主権を有する主権団体と認めることができる。
・17世紀以降のヨーロッパ列強による世界制覇の中での列強国と先住民との関係を規律した法体系からすると、列強国同士での国境制定後、自国内の先住民族との交渉が必要とされている。この場合、日本は各コタンと交渉しなければならなかったはずだ(※わかりやすくするために、さっぽろ自由学校遊の連続講座での講演から引用)。
②ふたつめは、日本の民法における民法制定以前の集団の慣習法上の権利として考察する。
・現在の民法上175条によって、コタンの権限は民法制定以前から存在していた慣習法上の集団の権限であることを今後、主張、立証する予定。

(2) 現在におけるコタンの権限とその承継問題
・被告(北大)法学部のある高名な教授は、「欧米の法体系を継受した日本では権利主体が原則として個人」であるとしてコタンのような集団の権利を否定する考えを述べている(日本学術会議発行、学術の動向2011年9月号)。
・しかし、欧米の法体系を継受した後の大正11年時点においてもコタンにおいて独自の裁判が行なわれていたのだから、集団としての権限がある。
・本件訴訟において杵臼コタンが存在したこと、杵臼コタンはコタン構成員が死亡した場合にはコタンの領域内に埋葬し、コタンという集団がその埋葬場所を管理していた。この権限は、国際法上は先住権といわれている権限の問題だ。
・もしこの杵臼コタンが現在において機能していなかったとしても、かつての杵臼コタンの構成員の子孫である原告らは杵臼コタンに埋葬された遺骨を管理する様々な行為、例えばイチャルパという慰霊行為などを継承して継続していたことから依然として杵臼から持ち去られた遺骨の管理権限を有していると主張する(市民的・政治的権利に関する国際人権規約(ICCPR)27条の文化享有権その他)。
・さらに、現民法上の慣習法として原告らの遺骨管理権限を論じた場合、その遺骨の所有はコタンという集団の総有(ないし合有、共有)に基づく管理行為と見ることができる。原告らは、かつての杵臼コタンの構成員の一部の子孫のため、杵臼コタンに埋葬されていたすべての遺骨に関して、総有ないし共有関係にあった構成員の権利を継承しています。しかも本件は持ち去った埋葬場所への返還を求めるという、遺骨の保存行為として本件請求をなしているのだから、構成員の子孫全員によらなくても原告らには明らかに返還を求める権限が存在するといわざるを得ない。

3 小括
 以上のように、アイヌ社会の歴史考察、コタンの集団としての権限、原告らの地位等から検討した場合、アイヌ先住権、アイヌの権利、あるいは民法的な管理権限が本件の主位的請求の法的論点となっていくもので、原告らは今後、これらの諸点について主張・立証を尽くすものです。


さらに、「4 被告の占有権限」では、被告が、一方で遺骨を返還することを「切に希望」すると言いながら、本件では訴訟に敗訴しなければ返還しないと主張していることに関して、学術研究機関である被告として決して許される態度ではなく、このような態度こそ、アイヌの人たちを苦しめ、無益な摩擦を引き起こす、と科学者の社会的責任を追及。また、被告は一方で、誰の承諾を得て発掘し持ち去ったのか等、について全く触れていないのだから、被告の本件遺骨の占有は違法・不法占有だと言及。
 加えて、こんな問題も出てくると指摘。それは、被告が「裁判所によって原告らが祭祀承継者等に該当すると判断すればそれに従う」と述べることは、被告がかつて幾つかの遺骨をウタリ協会支部に返還しているが、ウタリ協会の各支部が「祭祀承継者」であることをどのように確認したのか、もし、この返還当時に祭祀承継を問題にしていなければ、本件においてだけ祭祀承継を問議するのは、被告が遺骨返還に関して二重の基準を用いていることを主張するもので、明確に矛盾している、と。

先住権と民法制定以前の慣習法上の権限の二本立てでいくことを分かりやすく説明してくれた意見陳述でした。
その後の、裁判報告会では、北大は現在、969体のアイヌ人骨を「保管」していることが公になっているが、最近の調査で800体ほど増たこと、多くの副葬品がまた出てきたこと、そのために現在の「納骨堂」の増設を考えているとの情報がありました。今後、調べていこうと思います。
次回の裁判は4月19日(金)の午前11時30分より。


さっぽろ雪まつり


アイヌ遺骨返還裁判 第2回口頭弁論

2013-02-06 12:51:50 | インポート
アイヌ遺骨返還裁判 第2回口頭弁論が2月8日(金)午後2時から札幌地裁8階802法廷で行われます。
内容は市川守弘弁護士の意見陳述です(30分間)。
その後、裁判の報告会を2時45分から、弁護士会館5階E室で行います。
皆さんの傍聴をお願いいたします。
(4月に裁判長が変るとのことで、原告の小川隆吉さんの意見陳述は第3回公判に変更)。


2月2日に、「第16回アイヌ語弁論大会 イタカンロー アイヌ語で話しましょう!」を北海道大学クラーク会館講堂へ見に行ってきました。
子どもの部14名。みんな一生懸命に準備してきたことが伝わりました。長い伝承を覚えて発表した子もたくさんいました。3~4歳の女の子が舞台にあがった途端に自己紹介から物語へとスムーズに語り終え、その後に6歳ぐらいのお兄ちゃん(でしょうか?)が、どっしと座って長い物語を語ってくれたには感動。
とてもとてもよかったです。
口承文芸部門は帰宅の都合上、6人目が終わって休憩に入るまで聞かせて頂きましたが、これまた長い物語をよく覚えたものだと関心するばかり。語り方がユニークなものから、迫力あるもの、逆に淡々と静かに語るものなど内容も含め聞きごたえがありました。
北海道新聞の動画NEWSでも短い記事と、ほんの一部が流れています(記者のIさん、小型ビデオをかまえていつも会場を動き、録画されています。ご苦労様です)。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=News&v=398182222002
昨年に比べて10組ほど多い43組の参加だった、と。弁論部門・口演の部は今年も聞けず残念でした。



北海道立近代美術館の特別展 アイヌ工芸品展「風のかたりべ」特別展も初日に鑑賞できました。
恥ずかしながら、管茶山の名を初めて知り、その収集作品もお初でした。1827年のもの。松浦武四郎も収集し所有していたのですね。昨年に訪ねた武四郎博物館には展示していなかった記憶がありますが。これも1845~58年のもの。古い作品に驚きました。
感動したのは、写真や映像では見た事のあった松井梅太郎さんのワニ熊の実物(藤戸竹喜蔵)。
また、彫りのすばらしいものが多く、その迫力に圧倒されました。藤戸竹喜さんの狼や熊は動物の毛並がリアル! 貝澤幸司さんの作品は若々しく斬新! 貝澤徹さんの作品もとてもよかった。
刺繍は若手の貝澤珠美さんのはやはり若々しさを感じましたし、川村則子さんの作品は初めてでしたが、新しさを感じました。
また、チカップ美恵子さんの作品は本当に細かくて色使いも素晴らしい。刺繍が浮き出てくるように感じました。チカップさんの作品は当センターにひとつ、それと個人所有がひとつあります。大切にしたいと思います。チカップさんとはカレンダーやTシャツの制作販売のお仕事をご一緒できてとてもいい思い出となっています。
まだまだ言い足りませんが、こんな感想しか言えません。是非、皆さんも足を運んで実物を鑑賞されることをお勧めします。
3月24日(日)まで。入館は9:30~17:00(入場16:30まで)

感動のあまり今回の作品集も購入し、センター所蔵としました。
ただ、作品集にある資料を見ながら、古い着物や、タマサイ、マキリなど、副葬品の盗品にまつわるものではないかという疑問が出てきます。
(作品集にはチカップさんの作品は入っていませんでした)


留萌の連日の吹雪

札幌雪まつりが始まっていますね。
これからさっぽろ自由学校「遊」連続セミナー 「アイヌ先住権とはなにか」第3回目(2月6日19:00~21:00)を聞きに行き、
チカホ北4条広場(札幌駅地下歩行空間)のパネル展・民具展示や、ロイトン札幌で開催しているToyToyライヴ・販売、そして、フチ工房 ピリカ作品展(バックストンビル2F 札幌市中央区北2条西3丁目)などを鑑賞して来ようと思います。

詳しくは↓「イヴェント情報ブログ」をどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive




「アイヌ民族シンポジウム」のパネルディスカッション報告

2013-02-05 15:12:59 | インポート
前回紹介した北海道アイヌ協会札幌支部主催「アイヌ民族シンポジウム」のパネルディスカッションの簡単な報告もUPします。
テーマは「アイヌ民族の宗教的伝統と慣習の権利について考える」。北大を訴えた遺骨返還の裁判と関連付けて遺骨の問題、副葬品の問題を考えようと札幌支部役員会で話し合ったとのこと。
司会者は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」にある11~13条にうたわれている権利だと紹介。
ちなみに、どう書いているか手元に権利宣言があるので引用します。

第11 条 【文化的伝統と慣習の権利】
1. 先住民族は、自らの文化的伝統と慣習を実践しかつ再活性化する権利を有する。これには、考古学的および歴史的な遺跡、加工品、意匠、儀式、技術、視覚芸術および舞台芸術、そして文学のような過去、現在および未来にわたる自らの文化的表現を維持し、保護し、かつ発展させる権利が含まれる。
2. 国家は、その自由で事前の情報に基づく合意なしに、また彼/女らの法律、伝統および慣習に違反して奪取されたその文化的、知的、宗教的およびスピリチュアル(霊的、超自然的)な財産に関して、先住民族と連携して策定された効果的な仕組みを通じた、原状回復を含む救済を与える。

第12 条 【宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還】
1. 先住民族は、自らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、その宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骨の返還に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骨のアクセス(到達もしくは入手し、利用する)および/または返還を可能にするよう努める。

第13 条 【歴史、言語、口承伝統など】
1. 先住民族は、自らの歴史、言語、口承伝統、哲学、表記方法および文学を再活性化し、使用し、発展させ、そして未来の世代に伝達する権利を有し、ならびに独自の共同体名、地名、そして人名を選定しかつ保持する権利を有する。
2. 国家は、この権利が保護されることを確保するために、必要な場合には通訳の提供または他の適切な手段によって、政治的、法的、行政的な手続きにおいて、先住民族が理解できかつ理解され得ることを確保するために、効果的措置をとる。
(市民外交センター仮訳 改訂 2008 年9 月21 日)


11条の1には、アイヌ民族には、自分達の守り伝えてきた文化的伝統と慣習を実践し、発展させる権利があることが保障されていること。これには考古学上の遺跡、史跡、加工品、デザイン、儀式、技術、視覚芸術および舞台芸術、そして文学などが含まれています。2には、日本政府はこれらの文化的、知的、宗教的およびスピリチュアル(霊的、超自然的)な財産が破壊や収奪を受けた場合、原状回復を含む救済を行わなければならないという責務が与えられています。
たとえば、現在、博物館に保管されているアイヌ民族文化財は正等な入手が行われたかどうかを調査が行われ、不当入手の場合、返還が必要です(市民外交センターブックレット3参照)。
過日、北海道大学に大量の副葬品が保存されていることが、北大の開いた記者会見で記事になっていました(2012/11/28朝日)。「副葬品は刀や漆器、首飾りなど80種類あり、総数は数百点から数千点に上るという」と、なんとアバウトな数を書いています。これらも徹底的に調査するべきものです。

12条は、遺骨(この原語には遺髪も含まれる)、副葬品などの返還を受ける権利が述べられ、日本政府は返還可能になる政策を改善しなければならないのです。
さらに、アイヌ民族としての慣習や儀式にのっとった返還方法が必要でしょう。今回の遺骨返還訴訟では、アイヌ民族の慣習では、遺骨は各コタンが所有するものとしてあり、返還はコタンの継承者に行うべきと訴えています。

13条は、アイヌ民族は自らの歴史、言語、口承伝統、哲学などを発展させる権利、および共同体名、地名、人名を自分達で選択し、維持する権利を持つ(市民外交センターブックレット3参照)。日本政府は、この権利が守られるように実効的な制作をとらなければならないことが義務づけられています。


旭山動物園の冬の名物 ペンギンのお散歩

さて、パネラーのみなさんの発言にもどります(一部の要点のみ紹介)。
北海道大学が保存しているアイヌ人骨の返還裁判に関わっている小川早苗さんは裁判の報告と支援を訴えました。数年前、先祖の墓を改装するために遺体を取り出したら、一緒に埋葬した着物やタマサイなどの副葬品が全くなく悲しい思いをした、と発言。
カラフトアイヌ協会の田澤 守さんは、北大が人骨を洗い整理する承諾をアイヌ協会とだけ行い、カラフトアイヌにはなんの相談もして来なかったこと、3年前のウタリ協会(当時)総会で質問したところ、協会側はカラフトアイヌの皆さんと相談しながら進めていくと行ったにもかかわらず協会からはなんの連絡もないということを発言。
澤井アクさんは、かつて北大の児玉作左衛門教授が「アイヌコタンで自転車の後ろに箱をつけて、その中に無造作にアイヌ人骨も埋蔵物につっこんで、カチャカチャしながら何十回と歩いて持って帰った。このような犯罪的なことはずっと見逃しておくわけには行かない」と批判し、返還と謝罪を求めると発言。また、土地権に関して闘っていこう、北海道は過半数以上が国有地なので一旦返せと主張していこう、と。
多原良子さんは、アイヌの伝統・文化の継承の大切さと、和人への教育の必要性を主張。
支部教育部長の川上裕子さんは、札幌市の協力を得てこどもたちの教育促進が行われているが学習力がUPしてきている。毎年、料理教室を行うが、料理の食材を個人所有の山に採りに行けない。日高平取町では三井物産がアイヌにひと山を使って下さいと提供されていると聞くが、札幌でもそのような山を確保できたらと思う、と発言。
支部国際人権部長の門脇こずえさんは、古い着物を学びたくとも海外のコレクションだったり権利が他者にあるので実際に見て学べない。これらの権利をご年配に任せるのではなく若者としてしっかりと学び、主張していきたい、と発言。

最後に、聴衆として来たつもりが突然にパネラーに指名された市川守弘弁護士が質問に答える形で以下の発言をされました。
●アメリカでは1820~30年代に連邦最高裁判決が相次ぎ、そこで決まったことが現在のアメリカの基本となっているし、国際法になってカナダ、ニュージーランドでも引用されている。その判決文の中身は、当時ヨーロッパ列強が大航海時代で大地を「発見」する中で、「発見」した人の所属する国の土地になる。ただし、それは列強同士の間での国境の問題であり、そこに住んでいる人々の土地を優先的に取得する交渉ができるのだ。つまり、実際に買っていくのです。そこに不平等な売買があったであろうが、しかし、「一方的」ではなく交渉があった。この間の、問題の道議会では日露和親条約でエトロフとウルップの間で国境が定まったのだから「一方的」ではないんだ、という発言があったが、対ロシアとの関係上であって、そこに住んでいるアイヌとの関係ではちゃんと交渉して土地を買っていかない限りは領有できない。これが1820年以降の国際法なのだ。そういう意味で日本は国際法を無視しているし、「一方的」に違法行為を続けているといえる。
●では、誰と交渉すればいいか。それは各コタンだ。これは北大の遺骨返還裁判も同じで、杵臼コタン(ただし、コタンは昔と違ってちゃんとした集団となっていないので、その構成員の子孫)に返せと要求している。これは和人の考え方では遺骨も相続財産になるので相続人に所属する。だから、北大側は相続人であることが確認できたら返すと言っている。しかし、それは和人の考え方で、アイヌは遺骨をコタンで管理していた。権利主体はコタンにあるんだ。土地の取得もアイヌ全体ではなく各コタンだ。各コタンが主権国家としてイオルという支配領域の中で自主独立の存在だったから。

長くなってしまいました。いい学びが出来ました。


教会前に毎冬つくるキャンドル。今年は連日の吹雪(今も!)で、まだ一夜のみ