アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ記念館 感謝祭

2007-08-25 12:51:29 | インポート
24日は夕方5時から旭川川村カ子トアイヌ記念館にて“アイヌ記念館感謝祭”が行なわれ、
ムックリをみんなで作って、踊りや輪唱をして楽しみました。
そして夕食は待っていましたユク(鹿肉)のバーベキューを食べました。若い鹿だったのでとてもやわらかかったです。
それと、熊鍋も。はじめてでしたが、油が濃く、今まで味わったことのない、ほんのりと独特な臭みのある味でした。こちらも若い熊でやわらかかったです。
さらに、キトピロ(行者にんにく)の醤油付けを冷奴にかけた一品も最高に旨かったですね~。
以前にこちらでご馳走になり、我が家でも時々作って食べます。キトピロ風味が冷たい豆腐に合うんですよ。
留萌から持っていったイカの丸焼きも美味でした。
って、なにしに行ったんだか分からなくなってきますね。

旭川六条教会、旭川豊岡教会の両牧師と、牧会実習中の同志社神学部の学生さんも来られて、アイヌ文化に触れる豊かな時を持つことが出来ました。

このブログを解説したのが昨年の8月21日。
またたく間に一年が経ち、現在のカウントが11000人を超えていることは感謝にたえません。
見てくださってありがとうございます。
ブログを始めた頃からお手伝いさせて頂いていた、チプ(丸木舟)が、先日完成し、
8月19日(日)に舟おろしの儀式(チプサンケ)を行い、石狩川約一キロを一時間かけて下ったそうです。
おめでとうございます!!
浮いてよかった! 穴が開いていないでよかった~

このチプについては何度もこのブログで紹介してきましたし、お手伝いもさせて頂いたので、
完成は自分のことのようにうれしいです。
旭川竜谷高校の郷土部の生徒さん達が学校を終えてはアイヌ記念館まで足を運び、
いろいろな道具を使って一年がかりで制作(研究発表)したものです。

旭川竜谷高校の郷土部は30年以上(になると思いますが)も前から、
アイヌ民族の皆さんから多くのことを学び、制作や研究を続けておられます。
研究内容も論文のように詳細に出来ていて、以前、わたしも参考にさせて頂いたこともあります。
(旭川アイヌのお墓のことでした。初期の研究報告書が留萌図書館にあったのです)。
顧問の本間先生と昨日すこしお話しましたが、現在はイナウについて研究制作を開始したとか。
楽しみですね。




完成したチプ 樹齢150年~200年のカツラの木


8月20日の北海道新聞の第一面に大きく写真入で紹介されていました。
道新HP  http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/44406.php

わたしたちの「先住民族関連ニュース」にもUPさせて頂きました。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/  (全国ニュース随時更新中)


旭川市立 博物館

2007-08-23 18:55:02 | インポート
全国的に暑さが続きますね。皆さんのご健康をお祈りします。

ながらく更新できずにいました。
にも関わらず、たくさんの方が見てくださってうれしいです。

8月は旭川に何度か所用で行ったため、数日前に時間をつくって
大雪クリスタルホールに併設されている旭川市立博物館を見てきました。
旭川の歴史順に家屋や生活道具、諸資料が展示されており、
常設展示の「ペニウンクルのくらし」(peni-un-kur=川上に・居る・人)では、
上川アイヌの狩猟・漁労・採集の様子や生活を紹介しています。
なお、収蔵する民族資料はアイヌ関係のものを中心に2,570点(内、常設展示は230点ほど)あった、
と以前に紹介されていましたが、数ヶ月前に展示物も変えたようですので(どのように変わっていたか
はわたしにはわからなかった・・・)、展示物の数も変わっているかも知れません。
小さいけれど、とても見ごたえのある博物館です。

なんと言っても、入ってすぐに竪穴式住居や、ウラッチセ(すべて笹を編んで作った家)の
実物大のものも展示されているのがわたしは好きです。

竪穴式住居は地面を90cmほど掘り下げて、4本の柱を立て、屋根をかぶせています。
入口は屋根の一部を扉にして階段のようなもをつけて出入りします。

地下90cmから120cmは真冬でも10℃以下にはならないので暖かいのだそうです。
だから現在も北海道の水道管は地下100cmほどに埋めているのですね。

北海道では寒くてしばれがひどいときは「水を落とす」ことをしますが、
地下の水道管から地上へ向って蛇口までの水が抜ける仕組みになっているんですね(すごいです!)。

竪穴式住居を作って暮らしてみたいです。エコな生活です。

たまたま今回は嵐山の特別展示があり、たくさんの野草や動物達の写真が展示されていました。
熊はもちろん、モモンガもいるんですね~ 会いたいですね。 熊も遠くからなら野生のをみたい!

アイヌ民族との関わりに関しても小さなコーナーが出来ていました。

嵐山は古くからアイヌ民族の皆さんにとって祈りをささげる聖地(チノミシリ)なのです。

  チノミシリ(ci=nomi-sir=我ら祭る所)
  カムイに祈り、火事、水難、病気の流行などの吉凶を受ける場として大切にされた。
  また、個々の家や村で祭っていたカムイをチノミシリの木や岩などの定められた場所
  に持っていくそうです。
  この地は、神聖ゆえに秘かに定められ、アイヌ民族意外に漏らしたり、汚したり、
  傷をつけたり、地形を変えたりすることは禁じられていた。
  チノミシリはアイヌ民族にとっての心の拠り所なのです。


今回、残念に思ったのは、せっかくたくさんの花の写真と名前が展示されてるのですから、
日本語表記だけではなく、アイヌ語も同じ大きさで展示したらいいのにと思いました。
もちろんアイヌ語名の説明もつけて。アイヌのみなさんが大切にされたチノミシリに咲く花々が
どのような意味を持ち、用いられたのかを知れるいい機会となることでしょうに。


さて、明日(24日金曜日)の午後5時より
旭川川村カ子トアイヌ記念館にて“アイヌ記念館感謝祭”が行なわれると連絡を頂きました。
ムックリ作り、踊りの指導、ユク(鹿肉)のバーベキューなど盛りだくさん。
食券は1500円、その他、ムックリ作りなど個別有料ですが、全日参加は2千円で格安!!
わたしも行ってきます。


※旭川市博物館  (神楽3条7丁目 ℡69-2004)
※アイヌ文化の森・伝承のコタン(分館)  (鷹栖町字近文9線西4号℡52-1541)
下の写真は嵐山分館





アイヌ納骨堂イチャルパ~北大構内エコ・ツアー

2007-08-03 22:13:30 | インポート
3日の今日は11時から北大医学部の駐車場の隅にある
アイヌ納骨堂での慰霊祭(イチャルパ)に参列して来ました。

開催日時の案内をインターネットで探しても見つからず、
北海道ウタリ協会の総会資料中の事業計画で(予定)としてあったのが今日であること、
そして、昨年に参列した際に頂いたプログラムで開始時間を予想して、だめもとで行って来ました。
(って、1日のブログではそんなあやふやな案内していませんよね~)

お昼のお休み中に納骨堂の中を見せていただきました。
教会や寺院の納骨堂とはやはり違い、倉庫に収めている感をぬぐえないのが残念です。
(特定の宗教色を出してはいけないからなのでしょうか?)

969体はどのような経緯で墓から持ち出されて大学に持ち込まれたのでしょう。
これによって研究された内容はオープンになっているのでしょうか。
研究対象としてどのように持ち込まれ、扱われたのか明らかにするべきことでしょう。

このイチャルパが、今を生きるアイヌの権利回復への力となるよう祈りと共に花を献げました。


イチャルパの後に、小川隆吉さん、石井ポンペさんのガイドで
北大内アイヌ民族エコ・ツアーがあるというので参加させていただきました。
昨年は小野有五(北大教授)さんがガイドしてくださり、いい学びをさせて頂きましたので
今回も期待しつつ参加しました。

最初に配られたフルカラーの資料を見てびっくり!!
わたしの「札幌アイヌ民族フィールドワークノート」(作成途中)の数ページが
そのまんま資料としてはいってるではありませんか・・・。
この数年、小川隆吉さんから学んだことをもとにして少しづつ調べたり写真を撮ったりして
まとめたノートなのですが、それを小川さんにお渡ししたのが流れて今回の資料に入ったようです。
(使っていただけるのはうれしいですね~)
それにさらに、竪穴式住居址や鮭を捕獲する際に用いるテシ(うらい)址の分布図や、
遺跡から発掘された生活道具などの写真など、豊かな資料が出来ていました。

ツアーも新たに学んだことが多く、今回の納骨堂の中の写真も含めて
ノートにさらに盛り込んでいこうと思います。





札幌へ行く途中の麦畑。今日はすっかり刈り取られていました。

「アイヌ納骨堂」

2007-08-01 16:02:34 | インポート
北海道大学の医学部構内にひっそりと1階建ての白い建物が建てられています(駐車場の隅)。
近くにいくと正面に「アイヌ納骨堂」と書かれています。
今もそこに969体のアイヌ民族の遺骨が納められています。

その近くの標識に「動物実験施設」の矢印があり、その方に目をやると大きな茶色の5階建ての建物があります。
1階から3階までのすべての窓にはカーテンがかけられていて、なんだかぶきみに感じます。
以前は動物実験室だったとのこと。後に管轄が医学部に変わり、
三階部分に狼やふくろうの骨と一緒に放置された1004体のアイヌ民族の人骨が発見されました。

この事実を知ったアイヌ民族の小川隆吉さんらは抗議に出かけます。
同行した杉村京子フチはその部屋に入るなり、泣き崩れ「ゆるしてください」と三度、遺骨に土下座をして謝ったといわれます(小川談)。大学に対して人骨の返還を求め、北大は納骨堂を作りました(遺骨が地上に降りるまで5年の歳月がかかった)。

※1995年7月に段ボール箱に詰められた6体の頭蓋骨が北大構内古河記念講堂の旧標本庫から発見されたことについてはいづれ報告します。

北海道ウタリ協会の「北大アイヌ納骨堂に係る経過報告」によると、1933年に日本学術振興会学術部に「アイヌの医学的研究」を行う目的で第8小委員会が設置され、そのうちの解剖学担当の委員として北大医学部教授山崎春雄と児玉作左衛門が就任。両教授が中心になり翌年‘34年から’38年にかけて、八雲、浦幌、長万部、森、北見、旧樺太および千島等の各地から、そして‘56年には静内からアイヌ民族人骨の発掘収集を行ったとあります。
人骨の発掘収集数は北海道関係822体、旧樺太関係91体、旧千島関係51体の計964体。その他40の不在葬があり(それら頭蓋骨は未収集)、総合計1004体。

1982年のウタリ協会理事会において、遺骨について「適切な処置をとるべき」との提起と共に北大とのやり取りが始まります。同年、北大は遺骨の返還希望を該当する同協会18支部を対象にアンケート調査を実施し、結果として釧路(7体)、旭川(5体)の2支部は現地にて引き受ける旨の応答と共にそれぞれ返還を行いました(旭川は1985年8月7日殉郷殿に安置)。
翌年7月25日に北大医学部敷地内に納骨堂が完成し、8月11日に第1回イチャルパを実施、その後、毎年8月にイチャルパを開催して今年で24回目を迎えます(日時後述)。

現在は969体(サハリン96体、千島53体、他北海道の遺体。頭蓋骨のみ。)が納骨堂に収められ、35体は帯広(19体)、三石(1体)、門別(3体)が地元支部で引き取り供養しているとのこと。
(しかし、装飾品もすべてどこに行ってしまったのかはわからない。札幌医大にも291体のアイヌ民族の遺骨があった。取り扱いが再検討され始め、2006年より慰霊祭を行い始めました)。


今年イチャルバ慰霊祭は8月3日(金) 午前11時より




付記
納骨堂は遠方から見ると公衆便所に間違えられ、違うと気付いて裏に回って用を足すそうだ。
しかし、そこはアイヌの大切にしている「神の窓」の前であり、大変失礼な行為を行い続けているのだ(小川談)。

また、納骨堂を作る際、政教分離の問題点から「資材保存庫」として国に申請したため、看板に「資材保存庫」と書かれていた
そうです。その看板を裏に返すとそこに「アイヌ納骨堂」とあったそうです(小川談)。なんとも粗末な扱いだったことでしょう。

北大では、この4月からアイヌ・先住民研究センターが開設され、精力的に活動を行なっています。北大内の歴史と振り返り、改善が益々進められるように。