アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

センター10年の重み

2006-08-30 22:03:54 | インポート

わたしたち日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センター(長ったらしい名ですね ^^;)は、1996年に開設され、今年で10年です。10年を記念して年表を作ろうという話になり、センター活動日誌をA4サイズで今朝まとめてみました。な、なんと、22ページ分になりました。歴史を感じます。歴任のスタッフはもとより、協力してくださった方に感謝です。<o:p></o:p>

歴任の主事はわたしの前におふたりおられます。特に最初の主事は苦労されました。真面目に懸命に働いてくださいました。そのベースがあって今があります。<o:p></o:p>

この年表は11月までにそれぞれ項目別(先住権回復に連帯する・世界の先住民族との交流協力・学習活動協力)に分けて整理をし、HPUPしたいと思います。

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午後は今日もチプ作りに行ってきました。<o:p></o:p>

北海道新聞の記者が、作業をしている竜谷高校郷土研究部の生徒たちを取材に来たので、近くに紙面にて紹介されるでしょう。<o:p></o:p>

今日も結構、彫れました。でも・・・どれぐらいで完成するのでしょう。完成祝いとして、チプサンケ(新しい舟を浮かべる儀式:進水式)には、乗りたい・・・・でも、冬に完成したら・・・・<o:p></o:p>

早く仕上げられるように、出来るだけ時間を見つけて行こう。<o:p></o:p>

みなさん、手伝いも大歓迎だそうです。一緒に汗を流しましょう。<o:p></o:p>


各地区の報告

2006-08-29 21:42:35 | インポート

教会の仕事のあい間見つけて、道内の各地区に向けて情報センター活動アピールをするために、今日から資料を作り始めました。<o:p></o:p>

昨年は、道内の70ほどあるわたしたちの関連教会・センター一つひとつに宛てて、その地名のアイヌ語由来を書いたポスターを作って送りました。調べてみるとほとんどの地名はアイヌ語に由来しました。(函館や岩見沢、そして麻生などはアイヌ語ではありませんでした)。<o:p></o:p>

今日はそれらを地区別にひとまとめして、アイヌ語地名解説もすべて付けてみました。<o:p></o:p>

ついでにアイヌ民族委員の方が撮った各教会・センターの写真もいれました(感謝)<o:p></o:p>

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これは、その写真の部分。

 

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この右にアイヌ語地名解説をつけ、これからの各地区集会などで配布できるように準備しようと思います。<o:p></o:p>

見にくいかもしれませんが、教区関連の方でよろしければご意見をくださいますか。どんなことでもメールくだされば幸いです。<o:p></o:p>

9月初めに道東地区の役員研修会があることが耳に入りました。<o:p></o:p>

そこで、センターアピールのため道東地区の委員長に参加させてほしいことを電話でお願いました。<o:p></o:p>

しかし、残念ながら、時間の都合上、難しいようだったので断念しました。<o:p></o:p>

ということは時間が出来たということなので、今週も旭川の川村カ()ネト記念館に再度行ける可能性が出来たということですね(肯定的に考えよう)<o:p></o:p>

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数日ぶりのチプ(丸木舟)作り

2006-08-28 21:46:36 | インポート

きのうは(どうしても宿泊するのでその日には書けないのです)、留萌から200キロ北東のオホーツク海沿いの町、興部の教会が50周年記念を迎えたので記念式に駆けつけました。<o:p></o:p>

そのまま夜は名寄の道北センターで宿泊し、仲間たちとゆっくりと語りあう時を持ちました。<o:p></o:p>

今朝は早朝から士別の五十嵐農場にお邪魔し、朝食中にあがりこみご馳走になった後、お昼まで新ジャガ堀の手伝いをしてきました。手は一生懸命に動かしながらも楽しい会話がはずみ、いい汗をかきました。新シャガやカボチャをたらふく頂いてきました~。感謝。<o:p></o:p>

午後からは旭川川村カ子(ネ)トアイヌ記念館へ行き、チプ(丸木舟)作りの手伝いをしてきました。<o:p></o:p>

大分、コツをつかんできて、上手に彫れるようになりました

(指を金槌で叩かなくなりました・・・()<o:p></o:p>

 

 

作業中に、なんと以前にお世話になった北海道ウタリ協会札幌支部の方が来られました。チプ作りに集中していたため、ゆっくりとお話できず残念でしたが、お会いできてうれしかったです。<o:p></o:p>

6時までお手伝いして帰ろうとすると、川村館長が「明日も来るんでしょ。ひとりだとやる気が出ないから」と言われ、うれしかったです(が、今週は難しいです。残念)。

その後、10月に開催される牧師研修会でアイヌ民族の方からお話を伺うのですが、講師候補にあがった旭川のフチをお訪ねし、お願いをしてきました。快く了解してくださり、大変助かりました。とっても楽しみにしています。<o:p></o:p>


白老ポロトコタン~苫小牧博物館に行ってきました

2006-08-26 17:57:41 | インポート

きのう札幌でアイヌ民族委員会があったのでそのまま札幌で宿泊し<o:p></o:p>

今朝から足を伸ばして白老ポロトコタンに行ってきました。<o:p></o:p>

お若い方たちが踊りや歌を披露してくださり、<o:p></o:p>

とても元気な印象を受けました。<o:p></o:p>

子守唄がとても素敵で気に入りました(シシベも安眠しますね~)。<o:p></o:p>

ポロ(大きな)・ト(湖)に、丸太舟が3隻置かれていて、<o:p></o:p>

一つは乗れるようになっていましたから乗ってみました。<o:p></o:p>

旭川の舟が完成したら実際に川を漕げるな~とうれしくなりました。<o:p></o:p>

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<o:p>白老ポロトコタン(萱葺のチセが並んでいる) </o:p>

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次に苫小牧博物館に寄り、出土した丸木舟を見てきました。<o:p></o:p>

博物館のHPにも写真が掲載されていたり、<o:p></o:p>

由良さんの本にも図面が載っていましたので<o:p></o:p>

見たつもりになっていましたが、実物は思った以上に大きい。<o:p></o:p>

そしてしっかりと原型を留めていて、刻印も確認できました。<o:p></o:p>

説明には600年前のものだとありました

(昨日は320年と書きましたがどちらが正しいでしょう)。<o:p></o:p>

5つの舟はアオダモ・ヤナギ・カツラなどで出来てるそうです。<o:p></o:p>

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学芸員の方に、HPの写真をこのブログで紹介していいか伺いました。<o:p></o:p>

返事は後日くださるとのこと。<o:p></o:p>

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せっかく苫小牧に来たので、苫小牧弥生教会に寄りました。<o:p></o:p>

残念ながらどなたもおられず、お土産だけ置いて帰路につきました。<o:p></o:p>


「北海道の丸木舟」

2006-08-25 05:51:27 | インポート

由良 勇さんの著書『北海道の丸木舟』(マルヨシ印刷株式会社)

幸いにも近くの留萌市立図書館にあることを見つけ、早速借りました。<o:p></o:p>

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アイヌ民族は板綴舟(イタオマチ)、丸木舟(チ)、木皮舟(ヤッチ)の<o:p></o:p>

三種類の舟を用いたそうです。<o:p></o:p>

イタオマチプは(ita-oma-cip 板・・・和語の転訛か-がある-舟の意)、<o:p></o:p>

丸木舟の両舷に数十の小穴を開け、縄を通して1,2段の板を綴じつけて<o:p></o:p>

舷を高くし、波よけの効果と積載量の増大をはかったもので、<o:p></o:p>

海を越えて交易する際に用いたとされています。<o:p></o:p>

(アイヌ文化振興・研究推進機構が出している「アイヌ生活文化再現マニュアル」<o:p></o:p>

のうちの一つ「綴る」に、この舟を復元している作業風景を見ることができます)

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丸木舟(チ)は、丸太を掘り下げるというもっとも手っ取り早い舟で、<o:p></o:p>

旭川地方では石狩川河口まで行く際はヤチダモ、カツラで作った大型を用い、<o:p></o:p>

普段の小河川での漁や交通用にはシコロやヤチダモで作ったのを用いたとありました。<o:p></o:p>

特に昔はシコロやヤチダモの舟で出漁すると豊漁に恵まれると信じられていたので<o:p></o:p>

好んで用いられたといいます(同書の川村カネト氏談)。<o:p></o:p>

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木皮舟(ヤッチ)は、樹木から剥ぎ取った皮で作られたそうです。<o:p></o:p>

(yarは「剥ぎ取った木の皮」の意)。<o:p></o:p>

材料はコルク質の厚いエゾマツ、トドマツ、キハダなどが用いられたようです。<o:p></o:p>

山猟で獲物があったときなど現場で急遽作って運搬したので、<o:p></o:p>

その目的を果たせば捨てられて朽ちるため、実物は現存しないとか。<o:p></o:p>

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勇払川から掘り出された丸木舟のことも詳しく書かれていました。

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研究家の由良さんはこれらの舟を「他の丸木舟に比べて<o:p></o:p>

均衡のとれた機能的な整形からみて道内丸木舟中の傑作である」<o:p></o:p>

と絶賛するほど。<o:p></o:p>

著書には詳しく調べられて書かれた製図も載せてありました。<o:p></o:p>

なるほど、これをモデルにしようということか。<o:p></o:p>

益々、実物を見たくなりました。

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今日は今からアイヌ民族委員会のために札幌に向かいます。

足を伸ばして<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道苫小牧市;" Address="苫小牧市">苫小牧市</st1:MSNCTYST>博物館にいけたらいいなあ~<o:p></o:p>

後日、報告します。<o:p></o:p>


丸木舟作り

2006-08-24 10:55:23 | インポート

 

昨日、旭川の川村カ子()トアイヌ記念館に丸木舟作りの手伝いに行きました。

が、あいにくの雨で写真のみとなりました(残念!)

 

 

 『北海道の丸木舟』の著者である由良 勇さんが、

1966年に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道苫小牧市;" Address="苫小牧市">苫小牧市</st1:MSNCTYST>沼ノ端の勇払川川岸で掘り出された丸木舟をモデル

にして製図を書き、指導に当たっておられます。<o:p></o:p>

 作業は8月8日から始まりました。樹齢200年の桂の木を測量し、

船底に当たる部分を水平に丁寧に掘り出しました。

ほぼ水平になったところで丸太を返し、舟の上の部分を掘り始めました。<o:p></o:p>

勇払川から掘り出された丸木舟は川用の舟(チップ)が3隻、

海の漁労用の舟(イタオマチプ)が2隻で、

およそ300年前のものと推定され、

現在、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道苫小牧市;" Address="苫小牧市">苫小牧市</st1:MSNCTYST>博物館にて展示されているそうです。

舟べりにはアイヌ文様のアイウシが彫られ、

いっしょにみつかった櫂(かい)

(さお)にも所有者を示すアイヌ文様が刻まれているとのこと。

今度、機会を見つけて見に行きたいと思います。

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川村カ子ト アイヌ記念館 (無休)<o:p></o:p>

住所 アイヌ・モシリ・チウ・ペツ・コタン(<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:旭川市北門町11丁目;" Address="旭川市北門町11丁目">旭川市北門町11丁目</st1:MSNCTYST>)

電話 0166-51-2461 

会館時間 9時~17時(夏8~18時)

入場料 おとな500円 中高400 こども 300

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情報センター活動誌をはじめます

2006-08-21 16:53:36 | インポート

その昔、この広い北海道は私たちの
先祖の自由の天地でありました。天真
爛漫な幼子のように美しい大自然に
包容されて、のんびりと楽しく生活し
ていた彼らはまことに自然の寵児、何
という幸福な人たちであったでしょう

        知里幸恵「アイヌ神謡集」序文)

 

今から10年前にアイヌ民族の権利回復を宣教の課題として、

わたしたち北海教区はアイヌ民族情報センターを開設しました。

現在、スタッフ4名と主事1名、そしてアイヌ民族委員の協力の下で

活動していますが、これから諸活動の報告を記載していきます。