アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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アイヌ民族フィールド・ワークのご案内

2011-09-28 08:13:05 | インポート
NHK特集「クニ子おばばと不思議の森」(9/25放送)を録画鑑賞しました。
宮崎県椎葉村の奥で暮らすクニ子おばば(87歳)は山の草花400種以上を薬にしたり食物に。真っ赤なイモゴ土(火山灰)も食べる(どんな凶作の時もソバ粉にこれを混ぜれば飢えをしのげた、と)。「焼畑で作物が取れればこの森ではお金がなくとも火と水と塩さえあれば世渡りできる」 なんとカッコイイ!! 焼畑で雑草や害虫を焼き、代わりに三大栄養素のチッソ・リンサン・カリと肥料になる炭が出来る。それによって森がよみがえり、ソバ作りもできる。そんなところで生活したいと思いました。「カンチョウ・カンチョウ」(方言で「鹿」の意)と言って、タラの木を棒で叩きながらタラの芽をポロリと落としてGETする姿も感動しました。


北海道大学アイヌ・先住民研究センター主催の「一人の伝導師ジョン・バチェラーの生涯とアイヌ研究」が以下に開催されます。イギリス聖公会の宣教師ジョン・バチェラーは1876年に来道し、約60年を北海道で暮らし、アイヌ民族と関係を持ちました。北大講演の案内文にあるように、「彼は当時の欧米の研究者に とって『アイヌ民族研究の窓口』」だったのですが、あらためて彼の「アイヌ民族の専門家」としての問題やわたしたちキリスト者の課題を調べ続けています。この日は残念ながら新潟敬和学園の二風谷研修最終日を終えて、カナダ合同教会幹事の方々と旭川アイヌ民族フィールド・ワークのために北へ向かいますので聞けません。ディヴァン宣教師が行ってくれそうなので後日にテープを聞かせて頂こうと思います。
「一人の伝導師ジョン・バチェラーの生涯とアイヌ研究」
日 時:9月30日(金) 18:30~20:00(開場 18:00)
場 所:北海道大学人文・社会科学総合教育研究棟 W棟202号室
講 師:Kirsten Refsing(キーステン・レフシン/コペンハーゲン大学教授)
お問い合わせ: TEL/FAX 011-706-2859 E-mail ainu@let.hokudai.ac.jp
http://www.cais.hokudai.ac.jp/event/e_kouen.html







アイヌ民族フィールド・ワークのご案内
今年のフィールド・ワークは七飯教会の協力のもと、函館のアイヌ民族の皆さんと出会い、学ぶ時を持ちます。
「アイヌ神謡集」を執筆し、19歳の若さで惜しまれつつ亡くなられた知里幸恵さんの母ナミと叔母の金成マツが学んだアイヌ宣教師養成学校(1893年J.バチェラー設立)の跡地や、函館博物館を周りながら学びの時を計画しました。また、数年前に開設された北海道アイヌ協会函館支部の皆さんとの交流や、1930年代に北大医学部がアイヌ人骨を発掘した八雲アイヌ墓地跡も訪ねたいと考えています(墓地跡は希望者)。

日 時   2011年11月7日(月)午後6時集合~8日(火)正午まで 
場 所  七飯教会集合(現地への交通費自己負担)
費 用  1、000円(食事・入館料・貸し布団代は自己負担) 
内 容  フィールド・ワーク・学習会
 ※希望者は七飯教会にて宿泊させて頂きます。貸布団希望は実費をお願いします。    
 ※ 配車の都合がありますので参加希望を10月16日締切りで下記まで郵送.FAX.またはメールを下さい。
TEL/FAX 0164-43-0128  E-mail ororon38@hotmail.com
主催:北海教区アイヌ民族委員会・アイヌ民族情報センター  協力:七飯教会

当センターの機関紙「ノヤ」40号が多くのご協力のもとに完成しました。昨日発送完了しました。
特に、大阪に転任されたにも関わらず編集を引き受けてくださっている斉藤さんに感謝。
今から敬和学園の研修協力に二風谷へ出かけます。




「アボリジニ女性の訴え」

2011-09-26 09:03:01 | インポート
今朝4時のJNNニュースでアボリジニのイボンヌさんがウラン採掘反対の訴えを国連事務総長に手紙で送ったと報道がありました。関連ニュースを調べていたら、MBSで記事と映像が流れていましたので紹介します。

http://www.mbs.jp/news/jnn_4835520_zen.shtml

原発とウラン、豪先住民女性の訴え   MBSニュース 2011年09月25日(日) 21時02分
 原発の燃料として日本にも輸出されているオーストラリアのウランをめぐり、先住民=アボリジニの女性が国連事務総長に手紙を送りました。そこには、先祖からの土地で採掘されるウランと、震災後の日本への思いが綴られていました。
 オーストラリア北部の広大なカカドゥ国立公園。その一角を占めるレンジャー鉱山は、世界のウランのおよそ10%を生産しています。
 「カカドゥ国立公園に隣接するレンジャー鉱山です。原発の燃料用にここで生産されるウランが、多く日本へも輸出されています」(記者)
 カカドゥはユネスコの世界遺産に指定されているものの、ウラン鉱山がある地域は世界遺産から除外されているのです。
 鉱山にはウランを硫酸などで精錬するプラントもあり、そこから出る放射性汚染水が下流の世界遺産の湿原や先住民の村周辺に流れ込んでいると環境保護団体などが指摘。しかし、資源会社側は汚染は政府の基準値を超えるものではないとしています。
 ウラン鉱山周辺の先住民、イボンヌさん。イボンヌさんは環境汚染への不安を訴える手紙を東日本大震災後、国連のパン・ギムン事務総長に送りました。そこには、日本国民への同情と悲しみもつづられていました。
 「私たちの土地のウランが日本の原発事故の一因になったのは良くないことです。心から悲しく思います」(イボンヌさん)
 カカドゥに点在するアボリジニの聖地。伝説ではもし聖地が荒らされたら世界中に害がもたらされると言われていて、イボンヌさんにとって、日本の原発事故はひと事とは思えないのです。
 今月オーストラリアを訪れた国連のパン・ギムン事務総長は、イボンヌさんの手紙についてJNNの質問にこう答えました。
 「(まだ手紙は受け取ってませんが)必ず読んで、どうすべきか対応します」(国連 パン・ギムン事務総長)
 カカドゥ国立公園の中でもう1つ、世界遺産から除外されているのが、フランス・アレバ社が権益を持つクンガラ・ウラン鉱床。ここの伝統的土地所有者であるジェフリー・リーさん(40)は今年6月、ユネスコの世界遺産委員会に出席し、クンガラ地区も世界遺産とするよう訴えました。
 「お金なんて何の意味もなさない。心配なのはこの大地なんだ」(ジェフリーさん)
 ジェフリーさんはアレバ社が提示した巨額の補償金を断り、先祖から受け継いだ土地の世界遺産への指定を勝ち取りました。
 「お金が私たちを聖地から遠ざけました。多くの人がそのお金で酒を買いました」(イボンヌさん)
 何万年も自然への恐れを忘れずに生きてきたアボリジニの人たち。イボンヌさんはインターネットに日本支援のメッセージを掲げるとともに、カカドゥのウラン採掘の中止を訴えています。(25日17:41)


ウラン採掘現場と先住民族についてはもっと情報を集めて紹介したいと思います。


嵐山のチセ

9月17日の国際シンポの際に、久しぶりにお会いしたIさんから、台湾の情報をいくつか教えていただきました。
過去ブログの台湾原住民族蜂起映画『セデック・バレ』は、ヴェネツィア映画祭に出品したのは2時間半の国際版だそうで、台湾では前・後編あわせて5時間以上にわたる大作とのこと。しかも、今公開されているのは前編だけで、後編は9月末公開予定。
映画ではセデック語を使っているとのこと。是非ともノーカット版を見るか、DVDを期待します。
(情報制限の話も伺い、益々、近しく感じました。感謝)
また、遺骨盗掘問題についても台湾で問題にして下さったらと願っています。

今日は、カナダ合同教会の世界宣教幹事の皆さんが名寄に来られます。道北センターで長く館長を務めて下さっているロバート・ウイットマー宣教師の派遣のお礼とセンターの今後について協議します。何も出来ていない理事長ですが、務めを果たしたいと思います。世界宣教幹事のお一人はカナダ先住民族の方で、30日には旭川アイヌ民族フィールド・ワークを依頼されました。川村カ子トアイヌ記念館などお訪ねし、北大アイヌ人骨の扱い方の問題など協力を得たいと考えています。

28日から二泊三日で新潟の敬和学園3年生の研修旅行が二風谷で行われます。開会礼拝をお引き受けし、三日間協力してきます。楽しみです。



「ハポネタイ」とカムイコタン祭

2011-09-24 21:36:09 | インポート
アイヌ民族の若手作家らによるアートフェスティバル「FOREST STORY」が17日から清水町旭山の「ハポネタイ」(惠原るみ子代表)で始まっています。
昨年に引き続き、今年も22日にボランティアも兼ねて行って来ました。今回は雨が多く、森の中に展示がなかなか出来ず、ほぼ室内展示だったとのこと。自然の中ではこのような課題もあるのですね。
室内に飾られた作品はどれも森の中だったらより活きるなと思えるものでした。
小雨の中、短歌の道を一つひとつじっくりと読みながら歩きました。深く重みのある歌でした。

ちょうど今日にコンサートが行われますが、その会場作りのお手伝いをしてきました。カッパを着ていたので爽快な汗をかいての作業でした。コンサートが盛会でありますように。

夜は雨が激しく降って来たので翌日の下山が心配になり、深夜に下山し富良野まで行って道の駅で仮眠。
(ボランティアに集中し、写真を一枚も撮れずに帰ってきました)



翌日23日は旭川のカムイコタン祭の協力に行きました。来年にJR旭川駅内にアイヌ民族のコーナーが出来、そこで映像を常時放映するらしく、取材に来ていました。楽しみですね。
皆さんが儀式・踊りをしている間はムックル(旭川アイヌ方言)作りコーナーのお手伝い。お一人の方は一つ目を薄く削りすぎて折れてしまい、倍の時間をかけて二つ目を上手に作って帰られました。もうお一人は中学生の女の子で、集中して作っていました。話しを伺うと東京からご家族で旅行中にたまたまこの祭りを知って来たとのこと。わたしのムックルをひとつプレゼント。アイヌ民族の出会いとムックルの音をお友達に紹介してもらえることを願いつつ。
数年、このお祭りでムックル作りの協力をさせて頂いていますが、いつも難しさを感じます。が、腕が上がるよう頑張ります。

ある方から、当活動日誌を見つけて読んだけど、書いていることが難しくて分からなかったと言われ、反省。
もっと分かりやすく、少しボリュームを減らそうかと考えています。


前ブログ写真の数分後


「アイヌ政策のあり方と国民的理解」報告書

2011-09-20 10:52:08 | インポート
日本学術会議の地域研究委員会人類学分科会というところが、9月15日付で、「アイヌ政策のあり方と国民的理解」という報告を出したとUさんから案内を頂きました。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h133-1.pdf

内容は「アイヌの人々の抱えている問題」(「アイヌ民族」とは言わない意図があるのか?)の歴史的背景を解説し、国連先住民族宣言、日本政府のアイヌを先住民族と認める決議、有識者懇談会の報告を紹介。そして、その流れにそった提言をしています。が、歴史的なふり返りはほぼ有識者懇の報告以上のものではありませんでした。同会議のWEBページを見ると会自体が政府所轄の下で設立されていますからしかたないのでしょう。

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。 http://www.scj.go.jp/ja/scj/index.html

つまり、有識者懇の報告でも批判されていた明治以降の国の政策の反省がなく今後に活かせていない内容となっています。

この報告書のアイヌ遺骨研究問題の部分を引用します。
「またアイヌの遺骨が研究目的で収集されたが、中には無断で持ち出されたものもある。現在、大学などに保管されているそれらの遺骨の適正な保管や返還を求める声がある。」(要旨の2)

上に加えて、最後の「新たな政策展開に向けて」部分をまとめると、「現在アイヌ民族や文化の研究者は数が少な」いことがアイヌ文化の知識普及にも障碍となっているのだ。だから、「これまで行われてきた人類学・文化人類学、社会学、文学、歴史学、言語学、法律学、音楽学等の分野でのアイヌ研究もさらに振興される必要があり、またその他の分野でもアイヌ研究への視角をもつべきである」と、アイヌ研究の推進を述べています。
さらに、「アイヌの人々の中からアイヌ研究者を育てることは急務となっている」とも加えられます。(6新たな政策展開に向けて (3)アイヌ文化研究の促進と展示 より)

はじめの「要旨」の「2現状及び問題点」で、アイヌの人骨の収集の問題や適正な保管・返還の問題を挙げながら、何の反省もなく、研究の推進ばかりが提案されています。さも、アイヌ研究が停滞しているがゆえに問題なのだから、研究推進を進めるべきだという考えに納得がいきません。日本の人類学がどれほどひどいことをしたかは植木哲也さん著『学問の暴力』に詳しく書かれていますが、反省と共に徹底的な調査と謝罪、返還の努力をするべきでしょう。


海岸を散歩中のキツネ


もうひとつ気になることがあります。「要旨」のまとめの部分を引用します。

日本の近代化の過程において不利益を蒙ったアイヌの人々への対策や保障は本来全国民の理解のもとに進められる必要がある。一層の国民的理解に取り組むために、地域研究委員会人類学分科会では、平成23 年3月6 日に公開シンポジウム「今、アイヌであること―共に生きる政策をめざして」を実施した。このシンポジウムには3名のアイヌの人々が参加して9月号の「学術の動向」にも寄稿している。さらに人類学分科会としてもこの『報告』を提出することとなった。

上記に言及されている法政大学を会場に行われた公開シンポジウム「今、アイヌであること―共に生きるための政策をめざして」の内容や講演要旨は以下にUPされています。http://race.zinbun.kyoto-u.ac.jp/event_report/20110306.html

このシンポジウムの中で、大きなスクリーンにアイヌの人骨の写真が映し出され、「このアイヌは病気だった、そのせいで脊椎が固まってしまったんだ」と解説する場面があったとのこと。参加されていたアイヌ民族のPさんは会場で思わず「泥棒、ちゃんとアイヌのコタンにそれを返せ」と叫んだとご本人から伺いました。このシンポのどの講演か、なぜアイヌ人骨が映し出されて個人情報を差別的に公表したのか、はなはだ疑問です。その後、このことが問題になっていないことも・・・。


アイヌ解放同盟の結城庄司さんは1972年の第26回日本人類学民族学学会連合会の演壇に実力で上り、公開質問状を読み上げてアイヌを「研究と解剖の客体」と位置付けてきたことを非難したことは知られています。これをきっかけにアイヌ関連の研究家が減ったというようなことをどこかで聞いたことがあります。その時の手書きの質問状のコピーが手元にあります。後日紹介しましょう。


琉球時報(9月19日)に霧社蜂起のニュースが出ていました。「暴動」表記は気になりますが。
前篇「日の丸」と後編「虹の橋」の2部からなる5時間の超大作なのですね。
セジャック民族の言葉で「セデックバレ」は「真の人」とのこと。セデックは人間という意味でしょうか。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181807-storytopic-1.html


昨日の夕方の暑寒別岳


映画『セデック・バレ』

2011-09-19 10:55:18 | インポート
MSN産経ニュース(2011.9.16)に台湾で話題になっている霧社蜂起の映画『セデック・バレ』の記事が載っていましたので紹介します。

台湾有情 されど映画?
 日本人として「霧社事件」を直視するのはつらい。
 日本統治時代の1930年、台湾中部の先住民セデック族による大規模な武装抗日暴動で、山間部の霧社の日本人を男女、児童を問わず約140人を殺害。総督府は警察と軍で武力鎮圧し、セデック族も約700人が死亡した。侮蔑や労役への不満が背景とされるが、日本教育を受け模範的先住民と目された警察官兄弟も決起、自殺したことは深刻さを象徴している。
 その重い歴史を描いた台湾映画「セデック・バレ」(真の人)が9日から一般公開され、連日満員だ。
 議論も百出し、「事件を知らなかった。感動した」という若者から、「殺戮(さつりく)と戦闘場面が冗長」という年配者、また主人公の頭目モーナ・ルダオに関し「事件前には近隣部族民も多数殺害した。英雄視は誤り」とする別の先住民も。
 一方、馬英九総統が「国や部族間の平和には、対等な関係や理性が必要」と自らの対中関係改善の努力をにおわせれば、来年の総統選で馬氏に挑む野党・民主進歩党の蔡英文主席は、先住民のアイデンティティーを守る姿に共感を示す。
 ベネチア映画祭で金獅子賞を逃し、「台湾と日本の歴史は理解され難い」とこぼした魏徳聖監督は「映画は映画」とクギをさすのだが。(吉村剛史)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110916/chn11091602560001-n1.htm
(関連ニュース・ストック  http://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/3b8f44ce79ffa52b71ef88803b8a0249)

ペキン語ではAPPLE DAILYにて映像入りで紹介されています。
http://tw.nextmedia.com/applenews/article/art_id/33662442/IssueID/20110912

ディヴァン宣教師の発音では「バレ」ではなく「バライ」とのこと。
確か、セデック民族の「ありがとう」が「マホワイスー・バライ」だったような。関連があるのでしょうか。
また、「霧社事件」と言ってきましたが、「蜂起」が正しいと考え、今後は改めていきます。

毎年、台湾の原住民族のための牧師養成校である玉山神学院から実習生を受け入れています。アイヌ民族の歴史や現在の課題、そして、台湾原住民族の現在の課題を学びあっていますが、ある学生は自分の村が日本人に追いやられて山の上の荒地へと移され苦労した。今も日本人を信頼していないと怒りをあらわにされました。日本の負の歴史を学ぶのは辛いことですが、それなくして共に未来を築いていくことは出来ないと考えます。
早く日本上陸してほしいです。



小笠原さんの作品絵はがき10枚の内の4枚 今回の「FOREST STORY」の作品も楽しみです。


もう一つ、最新ニュースが入っています。若手のアイヌ民族作家らによるアートフェスティバル「FOREST STORY」が17日から清水町旭山の「ハポネタイ」(惠原るみ子代表)で始まりました。昨年も訪ねましたが森の中の美術展はとても素敵でした。今年は絵画・シルバーアクセサリーなど約80点が並べられているとのこと。ボランティアも募集中とのこと。わたしも22日に一泊で奉仕してきます。24日午後3時からは音楽ライブ(音楽ライブは中学生以上1000円)で盛り上がるようです。25日まで。

アーティストたちの写真も写っていますよ。
「アイヌアート展始まる」 十勝毎日新聞社ニュース2011年09月18日
http://www.tokachi.co.jp/news/201109/20110918-0010392.php




国際シンポ「民族共生象徴空間―日本と海外の比較―」

2011-09-18 18:29:42 | インポート
9月17日(土)に開催された北海道大学アイヌ・先住民研究センター主催の国際シンポジウム「民族共生象徴空間―日本と海外の比較―」の報告(個人的な感想)です。

午前の報告者は常本照樹(北海道大学アイヌ・先住民研究センター長)さん、パスヤ・ポイッツオ(国立台湾史前文化博物館 元館長)さん。午後にEthan Allan Petticrew(アラスカ先住民文化センター文化教育担当副館長)さん、Gena Timberman (オクラホマ・インディアン文化センター兼博物館長)さんが発題。その後に一時間ほどの質疑応答をしました。

常本さんはアイヌ政策会議に設置された「象徴空間」作業部会において、アイヌ民族の委員からの提案(作業部会第2回目2010年9月22日開催)に極力沿って象徴空間を審議したと話しました。第2回作業部会議事概要を調べると、加藤忠北海道アイヌ協会理事長が、「『民族共生の象徴となる空間』の意義等について」の発題をしたことは記録に残っていますが、内容は全く記されていません。その後の議事2「主な意見」の中に、「人骨問題は、今後の共生、発展のためにしっかりとした位置づけが必要。将来の研究成果の還元も考え、慰霊と研究を両立させることはアイヌ協会も理解の上で提案」とあります。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/shuchou-kukan/dai2/gijigaiyou.pdf
アイヌ協会は慰霊と研究の両立を理解(承認)していると読めます。
では、アイヌ協会では正しい手はずを踏んで承認したのかが疑問です。というのは、少なくともわたしの知っている数名のアイヌ協会員は強力に反対をしているからです。さらに、以前にも触れていますが、政府が北海道アイヌ協会を「アイヌ民族」の代表としていること事態が問題と言わざるを得ません(この件は後日に詳しく書きます)。公にアイヌであることを認めている方の2割にも満たない会員数(自らをアイヌであることを黙している方たちを含むとさらに少なくなる)であるアイヌ協会はアイヌ民族の代表ではないはず。加えて、非会員の旭川アイヌ協議会の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんも、慰霊と研究の両立を認めておられません。

また、常本さんは相変わらず、遺骨を遺族への返還を第一に考えると言われましたが、返還のための努力は全く行っていません。例えば、現在、北大アイヌ納骨堂に納められている1000体近くのアイヌ人骨の一遺族が、「自分の祖父母の遺骨が掘られて盗られたようだから返せ」と言って来たらどうするのでしょう。「●●地域から掘った骨々はこの箱にまとめていますから、勝手に持って行って下さい」と言うのでしょうか。きちんとした調査の下で正しく返還してくれるのでしょうか。丁寧かつ心を込めて返還するには相当の調査が求められているのです。また、埋葬されていたものを掘り起こしたのですから責任を持って遺族に納得のいく再埋葬をするべきです。是非、取り組んで頂きたい。

新しい情報も得られました。「アイヌ政策関係省庁連絡会議」が、内閣官房、法務省、外務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省らで構成し、会合が持たれているという報告がありました。これはどこで報告がなされているのでしょうか?先の「象徴空間」の議事概要のようなものではなく、きちんとした情報がわかるように公開を望みます。

パスヤさんは「台湾原住民族文化公園と博物館」をテーマに、政策としての原住民族の法律の紹介と、14民族の紹介、そして、国立原住民族文化公園、国立台湾博物館、国立台湾史前文化博物館、私立順益原住民博物館、そして、各地域にある28の地方原住民族文物・文化館の紹介などされました。個人的なことですが、タロコ民族の博物館は一昨年に行きましたが、他の施設も行って見たいと思いました。
あらためて、過日に当blogで紹介した苫小牧民報の記事で(http://pub.ne.jp/ORORON/?daily_id=20110903)、国立台東大学の学生の1人が「台湾には先住民の文化を紹介する施設がまったく無いので、(日本を)見習うべきだと思う」と話していたというのはおかしいことを実感!
新しい情報としては、台湾では原住民族の権利回復の始まる前は原住民族人口が20万だったのに比べ、権利回復と共に増えていき、現在では50万になっているとのこと。
パスヤさんのペキン語名は浦忠成さん。わたしの名前を見て、二文字も重なっていたので親しみを感じてくださいました。感謝。

Genaさん  Ethanさん パスヤさん

Ethanさんはアラスカ先住民文化センター(ANHC)について、Genaさんはオクラホマ・インディアン文化センター兼博物館の紹介をされました。それぞれが興味深いプログラムが行われていました。特に、教育プログラムが豊かに感じました。いろいろな問題を抱えているようですが、豊かな運営が出来ているようです。お働きを祈ります。

待ちに待った質疑応答の時間ですが、常本さんが仕切りご本人への質問もけっこうあったようですが(関係者証言)、それらの質問は、来る10月に国の説明会が札幌で行われるのでそちらで答えるから、ここでは割愛すると一切無回答。
また、今回は海外のお客さんがせっかくおられるのでそちらに質問を集中したい、時間の都合で意見表明は聞かないし同じような質問はまとめる、と。

多くの質疑がされましたが、興味のあることだけ紹介します。
Ethanさんの質疑で、質問には出ていなかったにも関わらず、以下のような応答がありました。
「アラスカのカルチャーセンターは『博物館』をつくるつもりはない。遺骨を集めることはしていない。遺骨はあったところに返すことが大切と考える。そして、遺骨の研究をすべきとも考えない。」

この回答に引き続いて、「台湾、(アラスカ)、オクラホマにある各センターには先住民族の慰霊施設もあるのか?遺骨は研究材料として利用されているか?」という質問があり、それに対して、Genaさんは、「オクラホマでもアラスカと同じ考え(遺骨を集めることはしていないし研究すべきとは考えない)。先住民族の遺骨の扱いは各部族の単位で行うべき、研究目的も各部族部族で行うべき」と回答。
パスヤさんは、「台湾では遺骨研究問題はない。1980年代に開発中にブヌン民族の墓を壊したことから先住民族の権利回復運動に火をつけた事はある。遺骨研究は千年以上も前のものの研究ゆえ問題になっていない。博物館にはかつて出土した石棺と共に出土した遺骨を台東・自然文化博物館の地下の収蔵庫等に収めているが慰霊施設はない。」と回答。パスヤさんはさらに、日本で遺骨問題があることを台湾にも知らせたいと言われました。
慰霊施設と研究施設の併設という問題以前に、遺骨収集もしないし遺骨の研究利用もしないというのが聞けてよかったです。

ちなみにわたしは以下の趣旨の質問を書きました。が、先の2問以外は無視されました。ほぼ意見表明だからか・・・!
・常本さんは大学保管の盗掘遺骨をすみやかに返還すると言いましたが、そのための調査(誰がどこからどのような発掘をしたか)・公開せずに「返す」というのは問題だと思いますがどうでしょうか。
・霧社蜂起の映画が話題になっていますが、博物館にはこのような蜂起の歴史がしっかりと説明・展示されているでしょうか。日本の象徴空間にもアイヌの墓を盗掘する姿の説明・展示を望みます。
・台湾、(アラスカ)、オクラホマにある各センターには先住民族の慰霊施設もあるのか?その民族は過去に遺骨盗掘(研究材料)の歴史があるか。そして、今も研究材料として利用されているか(アイヌは遺骨を盗掘され研究材料とされ、謝罪もなく慰霊施設が計画されている。そればかりではなく、遺骨を研究材料にする研究施設も併設しようとしている。おかしいとは思わないか?)


暑寒別岳から


日本の原発と世界の先住民族の権利

2011-09-15 16:41:19 | インポート
「見捨てられる先住民族」(『週刊金曜日』 862号 文・写真:豊崎博光)には、世界18カ国で行われているウラン採掘・精錬場の75%が先住民族の居住区周辺にあり、先住民族が肺がんなどになって苦しめられていることが報じられています。

それによると、日本の原発の核燃料ウランの33%がオーストラリア採掘(2007年時点)。オーストラリア国内にある3ヶ所のウラン鉱山の中でも最大の産出量を誇るオリンピックダム鉱山は、かつてロクスビーダウンズと呼ばれた先住民族コカダ・アボリジニの人々の所有地であり聖地だった。採掘前にコカダは土地所有権を裁判で主張したが棄却され、1986年から採掘が始まった。他のアボリジニも強制分散させられ、遠くの居住区(リザーブ)に移され、‘67年まで市民権が与えられなかったことなどから土地所有権を認められなかった。

1942年にはじまったアメリカのマンハッタン計画(原爆製造計画)にウランを供給したカナダ・ノースウエストテリトリーズのグレイト・ベア湖のエルドラド鉱山では、ウランを入れた布袋を担いで運んだデネー・インディアンの多くが肺がんで死亡。同じく、アメリカ・アリゾナ州レッドロック鉱山では約1500人のナバホ・インディアンが死亡。

ウランが“致死性の元素”であることを先住民族は全く知らされず、ウランの塵が飛散する中で働かされ、鉱山周辺に住む人たちも被害を受けた。精錬所も先住民族の住む地域に作られ、放射能が85%も残る廃棄物も周辺に無造作に積み上げられ流出事故を起こしている。79年にはアメリカ・ニューメキシコ州チャーチロック精錬所で起きた流出事故では約1100トンが近くに流れるプエルコ川に流出し、110キロ下流に住む約5000人のナバホ民族に被害を与えた。カナダ・サスカチュアン州北部のキーレイク鉱山やオーストラリア・オリンピックダム鉱山の精錬所でも同じ被害が出ている。

以上、まさに、ニュークリア・レイシズム(核開発が生み出した人種差別)の言葉通りのことが起きているのですね。

2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」の29条にはこうあります。
第29 条 【環境に対する権利】
1. 先住民族は、自らの土地、領域および資源の環境ならびに生産能力の保全および保護に対する権利を有する。国家は、そのような保全および保護のための先住民族のための支援計画を差別なく作成し実行する。
2. 国家は、先住民族の土地および領域において彼/女らの自由で事前の情報に基づく合意なしに、有害物質のいかなる貯蔵および廃棄処分が行われないことを確保するための効果的な措置をとる。
3. 国家はまた、必要な場合に、そのような物質によって影響を受ける民族によって策定されかつ実施される、先住民族の健康を監視し、維持し、そして回復するための計画が適切に実施されることを確保するための効果的な措置をとる。
【市民外交センター仮訳 改訂2008年9月21日より】


先住民族には、それぞれの伝統にのっとって活動を行うために環境を保護する権利があり、河川の水質や森林の維持は守られなければならないことが権利として謳われており、国はその保全、保護のために支援しなければならないとあります。さらに、国の責任として、先住民族の土地や領域に有害物質のいかなる貯蔵・廃棄処分が行われないよう措置しなければならないし、先住民族の健康管理・維持・回復計画を行わなければならないとあります。
しかし、あいも変わらず先住民族の存在は無視され、ウランの採掘と精錬は続けられ、先住民族健康管理・維持どころか、回復計画もなされていないとのこと。大きな問題です。

2011年1月時点で54基の原発を所有する日本は核燃料用のウランをオーストラリアカナダ、ナミビア、ニジェールとアメリカなどから購入し、さらにオーストラリアやアメリカで新たなウラン採掘計画を進めているとのこと(『週刊金曜日』記事)。先住民族への核の加害国からの脱却を真剣に考えていきたいと思います。


旭川の川村カ子トアイヌ記念館の公式HPが再開されました。
9月19日にアイヌ文化ふれあい祭り、23日にはカムイコタン祭りです。詳細は後日に。
http://ainu-museum.sakura.ne.jp/


もう一つ、宣伝です。北海道大学アイヌ・先住民研究センター主催の国際シンポジウム案内です。民族共生象徴空間の日本と海外の比較をテーマに朝から夕方まで行われます。
発題される台湾の浦忠成さんやアメリカのEthan Allan Petticrew、Gena Timberman 各氏は北大のアイヌ遺骨問題や、象徴空間の慰霊施設・研究施設問題をご存知なのだろうか。どこかで伝えられたらいいと考えています。

国際シンポジウム 民族共生象徴空間―日本と海外の比較―
日 時:9月17日(土) 10:00~17:00(開場 9:30)
午前の部  報告者
日本 常本照樹(北海道大学アイヌ・先住民研究センター長)
台湾 浦忠成(国立台湾史前文化博物館 元館長)
午後の部  報告者
アメリカ Ethan Allan Petticrew(アラスカ先住民文化センター文化教育担当副館長)
アメリカ Gena Timberman (オクラホマ・インディアン文化センター兼博物館長)
ディスカッション    通訳つき、入場無料、申込不要
場 所:北海道大学人文・社会科学総合教育研究棟    W棟203室
主催:北海道大学アイヌ・先住民研究センター
問い合わせ:TEL/FAX 011-706-2859  E-mail ainu@let.hokudai.ac.jp


明日はアイヌ民族委員会・センタースタッフ会で札幌に行きます。一泊して上記のシンポに参加予定です。


稲穂が垂れてきていますね。豊作を祈ります。


「北海道行幸」

2011-09-15 01:09:39 | インポート
清華亭が1880年(明13)に、明治天皇北海道行幸の際の休憩場として建設されたことは前述しました。
その辺りや琴似さんの資料がないか調べているところですが、清華亭にあった資料によると、明治天皇は北海道の「開拓の様子を視察」に来たのですね。現在、中島公園にある豊平館(移築前は北1西1)で宿泊し、清華亭は休憩のみ。
(「見学者の皆さん、ようこそ清華亭へ」より)

天皇来道関連を手元にある資料で調べてみました。

『北海道行幸啓誌』(札幌市1955年)を開くと、昭和天皇が来道した1954年の記録が書かれています。その一節に北大訪問の下りがあります。島学長先導のもと、名誉教授や各部局長より歓迎を受けて、高倉経済学部教授より北海道の名づけ親である松浦武四郎の説明を受け、
「ついで、医学部第二解剖教室において児玉教授が「北海道先史時代の遺物」につき御説明申し上げ、本道の先史時代の遺物・出土品等をお目にかけ陛下も御興味深くいられた。」(P.199f)

とあります。これが記録映像として残っていますが、児玉教授は天皇に得意げにアイヌ頭骨を見せて説明しています。その背面の壁一面に棚があり、頭骨がところ狭しと並べられ、さらに、天井からディスクの周りから副葬品と思われるタシロ(刀)やタマサイが隙間なく置かれているのが映し出されます。

それから4年後の1958年6月には皇太子が来道し、同じく北大医学部第二解剖学教室を訪れています。
「医学部第二解剖学教室は俗に児玉教室といわれ、アイヌの標本室があるところ。狭い教室内にびっしり展示されたアイヌやエスキモーの骨格、石器、土器などを興深げにご覧にな」った。(北海タイムス1958年6月24日)

背後のアイヌ頭骨の陳列も、机周辺のタシロの陳列も昭和天皇の時と同じく掲載写真に写っています。
これらとアイヌ墓地から遺骨と共に掘り出した副葬品との関係が定かではありません。そして、一切がどこへ消えたかも。

さかのぼって、1911年に皇太子(大正天皇)が来道の際に、「虻田土人学校」と「有珠土人学校」の生徒が「奉迎」のために駆り出され、虻田の4年生のひとりが次のような感想文を書かされています。
「皇太子殿下がきしゃにおのりになって室蘭へおつくになりました まもなく馬車でお通りになるところをおがみました まことにありがたくおもひました (中略) 私は殿下をおがんでからどうかして 殿下のためにちうぎをつくしたいと思ひます」(「増補アイヌ民族抵抗史」新谷行1977年)

「土人学校」については以前に書きましたので詳しくは略しますが、「旧土人保護法」7条、9条にそって1901年より作られたもので、歴史や地理を教えることを禁止されていました。アイヌ民族の苦渋の歴史、自分の同胞が和人にどんな仕打ちをされたかを意図的に教えなかったのです。新谷さんはこどもたちが歴史を知っていたなら天皇に「ちうぎ(忠義)をつくしたい」とは思わなかったであろうと続けています。

少し前、各新聞社がこぞって、天皇来道報道をしていました。白老ポロト・コタンの見学をしたとのこと。

新谷さんの『アイヌ民族と天皇制国家』(三一書房1977年)には、数日前に紹介した北大・林教授の「北海道経済史」の批判も書かれていました。新谷さんは北海道留萌郡生まれとのこと。いくつまで留萌におられたのでしょう。近しく感じます。


せまい裏庭で二毛作の初挑戦。今年は二畳分のビニールハウスを上手に使って、トマト・なす・ピーマン・きゅうり・ルッコラなど豊作でした。秋はしゅんぎく・ほうれんそうなど葉ものを蒔いて10日ほど。


北大周辺ツアー報告

2011-09-09 19:40:48 | インポート
「フンペシスターズ☆キクちゃんと歩く北大周辺ツアー」の参加報告をします。

フェアトレード雑貨&喫茶店「みんたる」に参加者6名が集合。
みんたるを出発し、はじめに北大医学部の駐車場に建てられている「アイヌ納骨堂」へ。歩きながらアイヌの世界観や遺跡保存庭園等の説明を受け、山田秀三著『札幌のアイヌ地名を尋ねて』(楡書房 1965)に掲載されている都心北部図を見ながらサクシュコトニ川を溯って偕楽園へ。いつも通っている道を少し路地に入っていくと、そこに和洋折衷の建築物「清華亭」がひっそりと建っていました。

説明によると偕楽園は1871年(明4)に初代北海道庁長官岩村道俊によって日本発の都市公園として造成。このあたりに湧き水(アイヌ語で「メム」)が出ており、現在の伊藤邸当たりからはじまるサクシュコトニ川に合流していたようです。おだやかに蛇行するサクシュコトニ川には大量の鮭が石狩川より上ってきており、1877年(明10)年には日本で始めての鮭人工孵化場が試みられたほど絶好の環境だったようです(しかし、細菌やネズミ被害のため4年間で廃止)。

園内にある清華亭は1880年(明13)に、明治天皇北海道行幸の際の休憩場として建設。偕楽園の中の高台にあり、今も内部観覧できます。館内には、誰の絵なのか古い偕楽園周辺の絵地図があり、少し北に「土人家」というのが記されていました。キクちゃんの説明では、清華亭建築に伴い、それらの家は撤去、移住させられたとのこと(詳しくは今後調べようと思います)。

サクシュコトニ川を溯りつつ、もう一つ興味深い話を聞きました。当時その周辺の長だった琴似又一郎さんの家があったところを教えて頂きました(注・キクちゃんの説明では「又市」さん。犬好きでセタイチ(アイヌ語で犬=セタ)と呼ばれていたとか)。サクシュコトニ川のすぐそこでした。彼は1872年(明5)に東京につくられた開拓使仮学校付属北海道土人教育所へ強制連行された35名のアイヌの一人で、アイヌのまとめ役だったのです。
(『《東京・イチャルパ》への道』(東京アイヌ史研究会編集・発行参照)
キクちゃんの説明によると、開拓使・勧業課が又市さんの土地をはじめは「買上」の希望を言って来たのを又市さんは石狩の漁で忙しくしていたため、「囲込」(奪い取ってしまった)したとのこと。つまり開拓使はその土地の所有者を又市さんと認めていたことであり、当時にしてはたいへん珍しいことだそうです。

さらに、かれらが現在の琴似に移住して、地名の「琴似」が付けられたのだそうです。てっきりサクシュコトニ川が現在の琴似から流れてきていると勘違いしていました。
「琴似の歴史 当時の写真」にも又一郎さんが掲載されています。
http://www.kotoni-works.co.jp/history/history2/k-photo/photo043.shtml

もう一つ。清華亭館内の解説写真の中に、札幌農学校2期生でかつ互いに親友であった新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾らが1881(明14)年の夏、卒業式を目の前にしてこの偕楽園で将来を話し合ったとのこと。3人が写っている写真が飾られていました。どこかで見たことある内村でした(独立学園時代?)。



当日は、「みんたる」を会場にして行われていた故チカップ美恵子さんの作品写真展「宙へ。チカップ美恵子刺繍写真展」も見学しました。チカップさんの刺繍はいつ見ても繊細で美しいですね。
チカップさんの新しい書籍「チカップ美恵子の世界 ―アイヌ文様と詩作品集―」(チカップ美恵子・植村佳弘著 北海道新聞社 2625円 B5判 159頁)ができました。10冊購入し、教会関連の緒集会で販売を考えています。とてもきれいな刺繍とよく撮れた写真がいっぱいです。とてもいい!! 写真・解説の植村佳弘さんは北海道新聞のカメラマンなのですね。
開催日:2011.9.6火―9.17土 12:00-21:00 (11,12は休み)
会場:札幌市北区北14条西3丁目2-19 フェアトレード雑貨&レストラン「みんたる」
TEL 011-756-3600 ※建物の内外壁に植村さんが撮影した写真を展示。


福島原発の地震での影響後、1986年に制作されたドキュメンタリー映画「ホピの予言」の上映が目立ちます。ポピはアメリカのグランドキャニオンで有名な国立公園の近くにあるフォーコーナーという土地に二千年以上にわたって暮らしているネイティブアメリカン。この土地からウラニウムの鉱脈があることを発見したアメリカ政府はポピ族を騙してその採掘に着手。それによって広島・長崎に投下された原子爆弾がつくられた、と。そんな内容です。

原水禁のWEBページで、「ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている」というテーマで以下のことが書かれていました。
世界で2,050回以上行われた核実験は、全て先住民族の土地で行われてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたと言えます。広島・長崎を起点とすれば、65年間、核の被害を先住民族に押しつけ、核を持つ国が豊かになり、今や私たちは、原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。それら全ては、先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって、それを使う事で回っています。つまり、先住民に被害を与え続けている、私たちは今や加害者の側に立っていると言うことです。
http://www.peace-forum.com/gensuikin/news/110610date.html


環境破壊が先住民族に差別的に被害を与えているということを表現した言葉に沿った造語「ニュークリア・レイシズム」という言葉があるようです。わたしが昨年訪ねたカナダ・サスカチュアン州の先住民族居住地にも世界最大のウラン採掘場があるようです。
毎日新聞記事(2011年9月6日地方版)にも、日本の原発での使用量の3分の1を占めるオーストラリア産のウランについてのニュースがありました。豪州内でもウラン開発に対して、環境汚染や先住民族アボリジニの権利侵害などの反対運動があったことが記されています。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110906ddlk26040618000c.html
先住民族の権利の観点からも原子力発電を再考する必要に迫られています。


冬に近づいて来ました。


北大の植民学講座

2011-09-08 12:31:46 | インポート
植木哲也さんの論文『植民学講座のアイヌ民族研究(1)差別講義事件と植民学講座』(苫小牧駒澤大学 環太平洋・アイヌ文化研究 第8号2010年12月) を読みました。

1977年に北海道大学経済学部でアイヌ民族への差別講義事件を掘り起こしつつ、北大で行われていた植民学講座の関連と北大そのものの問題に迫ったものです。
講義内で問題となった林善茂経済学部長(当時)は、経済学部4年生を対象に「北海道経済史」の最初の講義で「北海道経済史は日本人を主体にした開拓使であり、アイヌの歴史は切り捨てる」と名言し、その後も「学生達を笑わせるための冗談や雑談」として、アイヌ民族の身体的特徴を強調し、アイヌ女性を蔑視した発言をおこない、差別的な言葉を繰り返した。
このことから学生がアイヌ民族の結城庄司さんに相談し、結城さんは抗議行動へ。大学側は「学問の自由」を盾に会話を拒むが、結城さんと学生二人が校舎前にテントを張って抗議。その末、二度のチャランケ(徹底的な話し合い)が設けられ、林さんの謝罪が行われます。
この流れの中で植木さんは結城さんの抗議としての公開質問状のなかの以下の質問に注目します。

☆林は事件当時経済学部長であった。経済学部教授会および北海道大学と今村成和学長の責任を求める。

結城さんは上記を含む8の質問を出したにも関わらず回答は7問のみでした。残りの問いは読んでの通り、北大の組織としての責任追及ですが、これには全く触れなかったのです。

林さんは北海道帝国大学農学部の出自。彼が所属していた農業経済学第三講座はもともと「植民学」を教える講座で、林さんが助教授に就任した時の教授は高倉新一郎。林さんは高倉の助言でアイヌの畑作の研究を手がけてもいた。林さんの差別的発言は単なるアイヌ民族への無知や無関心にあるのではなく、北大の高倉のもとで育まれたと植木さんは掘り下げています。

日本で最初に植民学講義をしたのが北大。1890年の「植民史」(96年から「植民論」と改名)で、最初の講義担当者は佐藤昌介(後に新渡戸稲造と佐藤が交互に担当)。佐藤昌介は1894年から札幌農学校第4代校長を務め、1907年の帝国大学への転換に伴い農科大学長に就任、さらに、1918~1930年まで北海道帝国大学総長という最高位にあった。その彼が講義をしたのだから「植民学講座」は大学での中枢に位置を占めていた、と。佐藤の後に植民学を講義した高岡熊雄も1933~37年に北海道帝国大学総長に就任。その後、講座は上原轍三郎、そして、高倉新一郎に引き継がれる。
新渡戸は札幌での活動期間は短かったものの、その後、京都帝国大学、東京帝国大学で植民政策学を講じ、日本の植民政策に大きな影響を与えます。

では植民学とはどんな学問だったか。佐藤昌介は日本の農地不足を解消し農業の改善を図るために各地の過剰な農民を北海道に移植する「内国植民」という農業移民論であり農業政策論だったと植木さんは説明。さらに、北大は「農業移民論」「未開地の開拓論」だけを行い、それに伴って生じる植民国政府と植民地との間に生じる政治的問題も民族問題も取り上げることはなかったと指摘。

いいところで次号を待つことになり期待しますが、北海道は「内国」ではなく「外国」であり、「内国植民」という考え方そのものに疑問を感じますが植木さん、どうでしょう。

先日、個人的なお誘いを受け、「フンペシスターズ☆キクちゃんと歩く北大周辺ツアー」に参加しました。アイヌ民族で現在フンペシスターズのメンバーである原田公久子さんのガイドで2時間ほど北大キャンパス内と周辺を歩いて説明を受けました。新しい情報もたくさんあり、とてもいい学びになりましたので後日に紹介したいと思います。
説明の中で、前夜に行われた北大アイヌ・先住民研究センター主催の講演「「ブロニスワフ・ピウスツキの遺稿整理の最新状況-先住民族、アイヌ民族、ブロニスワフ・ピウスツキ-」(講師:Alfred F. Majewicz)で問題が発覚したことが話されました。詳しいことはまた調べようと思いますが、主催者であるセンターの対応も問われましょう。
北大アイヌ・先住民研究センター開設以来、何度も講演を聞かせて頂きに行きました。学ぶことも多かったですが、同時に、北大に対する疑問も膨らんで来ました。日本のアイヌ政策の方向性を握るセンターでもありますから、しっかりとして欲しいと望みます。


北大キャンパス内にある新渡戸稲造像。北大植物園所蔵アイヌ民族資料を調べていたら、「札幌新戸部稲造氏寄贈(ママ)」というのがありました。品名はアイヌ墓標(『北大植物園研究紀要第8号』P71)。これは新渡戸稲造がアイヌ墓標を寄贈したということでしょう。「地名 石狩上川」となっていますが、新戸部(ママ)さんはどこから墓標を入手したのでしょうか。




宣伝です。
今年も清水町の山中で、今を生きるアイヌの若者たちのアート祭典「フォレスト ストーリー FOREST STORY~アートの実り 母なる森から~」が開催されます。
日時 9月17(土)~25(日)日 11時~17時
会場 ハポネタイ 上川郡清水町字旭山28-801
アイヌ民族出身の若手アーティストから、版画家、関東で活躍する彫金作家などアイヌ文化をアート作品で表現する個性豊かな5人(芳野省吾、小笠原小夜、結城幸司、Ague、平田篤史 各氏)の作品が森の中の遊歩道に展示されます。
会場ではアイヌの伝統料理のオハウ(アイヌ語で汁物)や稲キビご飯などの軽食も用意しています。
問合せ ハポネタイ 090-6317-6422 MAIL haponetay@gmail.com
詳しくは上記画像をクリック拡大してご覧下さい。
ボランティアスタッフも募集中
とのこと。
わたしも22日に泊りがけで協力したいとメールしました。森の中はとても魅力的です。




政策推進作業部会 開催

2011-09-03 20:07:25 | インポート

なかなか更新が出来ず残念です。
先週末に北大開示文書研究会で静内、浦河のアイヌ墓地の調査に出かけ、多くの情報を得てきました。
近く、さらに調査を深め、今後に備えたいと考えています。また、いろいろな協力者が出てきたこともうれしいことでした。

今週の水曜日には、白老のポロト・コタンを訪ね、友人と会って来ました。夕方に台湾アミ民族のシン・オラン牧師とお会いし、現在のアイヌ人骨発掘問題の情報提供や、日本と台湾の先住民族会議の話し合いをしました。


あまり報道されませんでしたが、アイヌ政策推進会議で「アイヌ政策推進作業部会」という新たな部会が出来たようです。朝日新聞記事をUPします。
アイヌ政策推進部会が初会合
朝日新聞 2011年09月01日
■個人認定めぐる 議論避けられず
 政府の「アイヌ政策推進会議」(座長=枝野幸男官房長官)に政策推進作業部会が新たにでき、31日に東京都内で初会合があった。
 北大アイヌ・先住民研究センター長の常本照樹氏が部会長で、今までの二つの作業部会の委員ら計10人で構成。2カ月に1回の割合で議論する方針だ。
 民族共生の象徴となる空間施設を白老町に建設するための検討が一つのテーマ。しかし、アイヌ政策の遅滞が指摘される中、最も期待されるのは、アイヌの人々が望んでいる施策を実現するための議論だ。
 この日は、推進会議ができる前の検討組織、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の提言を実現していく方針を確認した。有識者懇談会は、アイヌの人々が居住地に左右されずに生活を営むための支援が必要と指摘している。
 また、「実現するための施策に個人認定が必要だとなれば、(議論の)論点にする」としたのは「誰がアイヌ民族なのか」という個人認定の問題だ。
 政府が国費でアイヌの人々に限った施策を展開する場合、「受給権者をどう認定するのか」という問題に突き当たる。
 個人認定は人権上の配慮や、その手法の難しさもあり、容易に結論は出ない。法整備も必要になるかもしれない。だからといって、個人認定の議論をおざなりにしては、「施策の幅」を最初から狭めて議論することにつながりかねない。
 一方、アイヌ民族にも求められることがある。
 東日本大震災が起きた。国の予算は被災地の復興に重点配分され、アイヌ施策向け予算の増額は、実現が難しいことが予想される。その場合、必要な施策と最優先にするべき施策を整理し、政府などに提言することも必要かもしれない。
 アイヌ施策は全国展開を目標にしている。今後、「発言力」を付ける意味でも、道内外に分散しているアイヌ民族の組織を一本化することも求められる。(神元敦司)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001109010007


アイヌ政策推進会議は先日まで二つの作業部会を持っていましたが、それらをまとめた報告書が出されて閉会し、新たに上記の作業部会が出来たようです。さる6月24日の第3回推進会議の議事概要に今後の運営についてが書かれていました。 
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/kaisai.html

6 今後のアイヌ政策推進会議の運営について(三井国土交通副大臣から説明)
(1)作業部会について
・従来の作業部会に代え、政策推進作業部会を開催
・必要に応じて、部会の下に検討チームを開催
(2)部会長の指名
部会長:常本委員
(3)その他の部会委員の指名
常本部会長と調整し、後日座長が指名


大事なことですから道新など報道してもいいようなものですが見落としたのでしょうか、web上にUPされていないだけでしょうか。



先週の浦河行きで、少し足を伸ばして襟裳岬に行ってきました。早朝ゆえガスがかかって何も見えませんでした。


もう一つ、気になるニュースがありましたのでUPします。

【白老】アイヌ民族の文化伝承活動学ぶ 先住民文化専攻の台湾の大学生が来町
(苫小牧民報 2011年 8/24)
 先住民文化を専攻する台湾の大学生グループが23日、白老町を訪問し、アイヌ民族の文化伝承活動に理解を深めた。
 一行は国立台東大学の教授や学生など5人。台湾には国の認める先住民が14部族あり、学生たちはこれらの食文化や植物の活用、文化伝承などを学んでいるという。
 アイヌ民族博物館(若草町)では、アイヌ古式舞踊の公演や伝統家屋「チセ」の内部を見学したほか、職員との懇談では「若いアイヌ民族が文化を学ぶ機会はあるのか」「アイヌ式の結婚式や葬儀は今も行われているのか」といった質問をぶつけていた。しらおいイオル事務所「チキサニ」(同)ではイオル再生事業の解説を受けた。
 学生の1人は「台湾には先住民の文化を紹介する施設がまったく無いので、(日本を)見習うべきだと思う」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11082402.html


台湾を訪問したり、原住民族の諸情報を得ていますが、最後の台東大学の「先住民文化を専攻する」学生の意見は納得できませんね。台湾ブヌン民族のディヴァン宣教師も学生の無知さにあきれていました(これをそのまま記事にしたことも)。
台湾原住民族の権利回復の働きを知らない方がこれを読めば、さぞ日本のアイヌ民族に対する政策は進んでいると感じるのではないかと心配になります。

機関紙「ノヤ」最新40号は遅ればせながら作成中です。数週間後に送付いたします。