アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう」市民集会参加報告(3)とその後の行動

2012-05-18 07:09:18 | インポート
「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう~未来をともに生きるために」(5月14日18時半~20時半 かでる2・7)の報告の続き(3回目)と、その後の行動報告(新聞紙面で確認)を書きます。


市民の集い(5/14)参加者一同で採択し、関係機関に送った抗議および要請文のまとめは以下の通り。
1.書きかえを一方的に求められている副読本を編集した編集委員会を早急に開催し、北海道が書きかえを求める箇所について、執筆者と編集委員会による十分な検討を行うこと。北海道、およびアイヌ文化振興・研究推進機構は、書きかえを一方的に求められている副読本を編集委員会の意見を尊重すること。
2.上記編集委員会の検討を経たうえで、副読本を速やかに全道の学校に配布すること。
3.このような不当な政治介入を許した北海道は、編集委員会ならびに、国民、北海道民に対して公式に謝罪すること。


毎日新聞(5月17日)記事によると、「副読本問題を考える市民の会」は16日に推進機構を訪れ、改訂の必要性などについて検討し直すよう申し入れたようです。
以下、記事を引用

 申し入れで市民の会は改訂にあたっては副読本の編集委員会を開き、十分な検討を行うことを求めた上で、「改訂は歴史を歪曲(わいきょく)するものだ」として、現行の副読本の速やかな学校への配布と、編集委員会や道民に対する謝罪を主張。清水代表は「編集委員会の意見も聞かず、話を進めるやり方は許せない。今後、署名活動も行いたい」としている。
同機構の西田俊夫専務理事は「今の副読本に間違いがあるとは思っていないが、誤解を招く箇所がある。新しい編集委員会を作り、今年度中に全面改訂する方針は変わらない」と話している。【千々部一好】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120517-00000009-mailo-hok


推進機構は新しい編集委員会を作り、今年度中に全面改訂する方針をすでに立てており、その計画を変更する気はないとのこと。北海道新聞(5/17)記事によると、西田専務理事は「編集委員会は開催しない」と明言した、と。
「市民の会」代表の清水裕二さんは、今後も編集委員会を開催するように要求する(道新)と。
署名活動が行われるようなら、皆さんに協力呼びかけをさせて頂きます。


いくつかイヴェントのご案内です。
旭川の嵐山アイヌ文化の森にて「チノミシリカムイノミ」(聖なる地でのお祈り)が5月26日(土)午前10時より開催されます。毎年、この時期に嵐山のチセの中で行われます。

山開きに向けて安全を祈願するヌプリコロカムイノミ(山のまつり)が6月16日午後7時より、旭岳温泉の中の旭岳青少年野営場で開催されます。
カムイノミや舞踊が披露され、会場には大きな焚き火や一般観覧者も参加できるたいまつ行列もあり、たいへん、にぎやかで幻想的な夜です。
詳しくは、北海道新聞 (ブログ 2012年05月11日)
http://blog.hokkaido-np.co.jp/0141kome/archives/2012/05/post_754.html


カメラ修理のためここ最近の写真は携帯で写しているためか、なんだか深みが出ないように感じます。
修理に出しているのも1万数千円のものですが写りは満足しています。
ただ、よくレンズの内側にごみがつくのです。2回修理に出しました。


「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう」市民集会参加報告(2)

2012-05-17 10:39:33 | インポート
前回に続き、「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう」の報告の続きを書きます。

経過報告の次に提言者として、萱野志朗さん(萱野茂アイヌ民族資料館館長)、小野有五さん(北海道大学名誉教授)、市川守弘さん(弁護士)らが発言。以下、短く、重ならないようにわたしの独断で要点をまとめます。

萱野提言
今回のことは言論の自由の侵害に当たる。編集委員に承諾を得ずに発行元の推進機構の判断一つで変えるのは非常に問題だ。推進機構の理事長は憲法学者だ。学者としての見解を伺いたい。
 中学生用副読本P.22の2行目「一方的に日本の一部として」が削除されたことに関して理解しかねる。アイヌ民族が合意したとでも言うのか?
 小学校用副読本P.34の書換え部分「政府は1871年に「戸籍法」をつくってアイヌの人たちを「平民」に組み入れました」とあるが、書換えを受け入れられない。アイヌ民族は古い戸籍には「旧土人」と記され、身分制度の最下位で差別されていたのだ。
 アイヌ協会が全くコメントしないことについて一会員でるが疑問を感じる。全くアイヌ民族の権利を守る気はないのか?
 今回のことはアイヌ民族が先住民族としての権利があるのに、それを弱め、認めさせないように動いているのなら大問題だ。これは他の民族の権利のみならず弱者へと追いやられているお年寄りや障がいを持っている人たちの権利も侵害されることになる。


小野提言
2011年12月6日開催「第4回北海道議会定例会 予算特別委員会」の小野寺道議員の質問の(1)「例えば『1869年(明治2年)に日本政府は、この島を“北海道”と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部にしました』という表記があります。この表記では、明治2年当時、アイヌが北海道を支配していたと認めるような文書になっている。これは誤解を招く表記ではないのかと。」
は、ぜんぜん理解できない。野寺議員が勝手に誤解しているだけ。アイヌ民族は蝦夷地を国家をつくって「支配」していたのではない。世界の先住民族は基本的に「国」をつくって支配しようと考えなかった。領土もつくらなかった。例えば、スカンジナビアのサーミ民族はトナカイの遊牧生活をしているが、ひととき滞在した場所から移動する際に一切の生活跡を残してはいけない(土地は神からの借りている)とされている。アイヌ民族もこの島がアイヌ民族のものだと言ったことは一度もないし、だからといってアイヌ民族がここに先住していなかったとは言えない。このような質問そのものが先住民族を理解せず、誤解からくるものだ。
同予算特別委員会」の小野寺道議員の質問の(4) 「・・・ともすればアイヌの方々が先に北海道に住んでいて日本人がそれを奪ったというような間違えた認識が広がっていると感じますので、「それは違う」ということを北海道としてもしっかり広報して頂きたく思います・・・」
は、一番最悪で赦しがたい部分です。「間違った認識」ではなく、これが正しい認識だ。一議員が議会で何を言おうと自由だが、予算委員会の議事録を見る限りなんの議論もない。にもかかわらず、この直後に書換えがなされた。これは大事件だ。道の問題、そして、推進会議の問題を問う。
 副読本は初版からあまり変わっていない。初版の編集委員は専門家の学者が入っている。それが11年間何の問題もなく使われてきた。それが今回の一議員の質問で後退するのは問題だ。皆で声を挙げよう。


めずらしい黄色いカタクリ(名寄・ウイットマー宣教師庭

市川提言
 まず、三つの問題点を説明。
①この副読本の著者名、編集者名をそのままにして中の記述を変えた場合は著作者の表現の自由や著作権の侵害に当たる。ただし、推進機構はそれほど愚かではない。恐らく、全く別の執筆者人で全く別の副読本を作るだろう。そうなればもっと深いところで本質的に書換えが行われる。
②そうすると何が問題かというと、この副読本を用いてこどもたちが正しい歴史を教わるという教育を受ける権利が侵害される(憲法26条)。もう一つは、こどもたちに正しい教育を受けさせたいという親の教育権も侵害される。
③アイヌ民族の先住権の問題が消えていってしまう。これが一番問題。
 
「考える会」の公開質問による推進機構の回答に(前回blog参照)、「北海道(蝦夷地)が日本の領土になった時期が明確となっていないことから・・・誤解をまねかないように記述の修整を行った」とあるが、これは国際的に日本の領土か否かという問題と、先住するアイヌ民族の土地使用権、利用権の問題を混合している基本的な間違いがある。たとえばアメリカでは独立戦争以後、次々と国境を定めたがその後にそこに居住する多数の先住民族と部族ごとに条約を結んで土地を取得していった。日本も日露和親条約で対ロシアとの国境を定めたが、国際法的に言うと、この日本とロシアの国境問題はアイヌ民族の主権を奪うものではない。本来は日本とアイヌ民族との条約によらなければならない。明治政府がこの土地取引交渉を全くせずに、アイヌの土地使用権、利用権を無視したのは歴史的事実であり、これを「一方的」な征服というのだ。

わたしは、アイヌは国家を持っていたと理解する。明治39年の札幌地裁判事が司法研究という本を書いているが、そこにはアイヌのそれぞれのコタンには民事法制がある(法制度、刑事罰)と記している。現在の裁判所のような機能、法律(慣習法)を持っている。つまり、アイヌの各コタンが独自の支配領域を持ち、権限を持っていた。それを対内的な主権という。ただ、松前が単独でアイヌとの独立交渉権を持った時点で、対象であるアイヌは対外的な権利が限られた。しかし、対内的な主権はまだある。アメリカでは1820年代に連邦最高裁で多数の判決が出ているために条約が必要なのだ。しかし、条約を結んでも権利は失われないという連邦最高裁判決が1970年代にあり、先住民族が売った場所の全水揚げ収益の半分は先住民族のものとされた。それだけ対内的主権は大きく、国際的にも認められているのだ。日本のアイヌにも対内的な主権はある。それを「先住権」というのだ。

土地で言えば明治4(5?)年、土地売買規則・地所規則を制定し、勝手に土地を日本国家に所属すると決めた。それが土地についての開拓史の命令だ。その後、明治10年に地券発行条例で国に属している土地を売買することを確定し和人が一斉に入って来た。さらに、明治30年、40年に国有未開地処分法が分布された。これら一切、アイヌ民族からの土地使用権、利用権の交渉もなく、一方的に開拓史が決めている。では、開拓使にはそのような権限があったのか?ないのだ。開拓使の「権限一覧」にはアイヌから土地を取得して日本の土地にするという権限はない。極めて法的には不明確なずさんな対アイヌの交渉だったと言える。このような事実を一議員の知らないというのは勉強をしていないのだからしかたがない。しかし、その発言を正すのは憲法学者が理事長をいている推進機構であり、給料をもらっている官僚ではないのか?

これらのことを知っていながら「修整」したのには意図を感じる。先住権が扱われていないことに危惧を感じているからだ。北海道大学の常本照樹教授がある雑誌に、アイヌは先住民族であるがすでに実態がないので先住民族の権利宣言を実現させるのは困難だ、現在にふさわしい権利は文化だと言っている。そこには先住権の「せ」の字もない。わたしたちはここで諸外国の国際法にもう一度立ち返ってアイヌ民族に先住権があることを一から勉強して詰めて、相手に突きつけていかなければならない。こんな修復を求めることは情けないんだ。
わたしたちも正しい知識と理解を身につけなければならない。


以上、簡単にまとめました。その後、阿部ユポさん(アイヌ協会副理事長)の話、そして、現場で副読本を用いて実践をされている方々からの嘆きともいえる声や怒りの声を聞き、最後に市民の集い一同からの要請文を採択しました。

要請文とその後に考える会の代表らが推進機構に訪問し要請文を手渡しし、その反応など、本日、報告を受けましたので近く続きを書きます。

なお、市川さんの提言の最後にある常本教授の内容は「学術の動向9(2011)」 (日本学術会議)のP.80頁参照のこと。


阿寒湖近くの滝


「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう」市民集会参加報告(1)

2012-05-15 13:01:04 | インポート
アイヌ民族副読本の筆者らがつくる「アイヌ民族副読本問題を考える会」(以下、「考える会」)が呼びかけ、「アイヌ民族副読本の書きかえ問題を考えよう~未来をともに生きるために」を開催(5月14日18時半~20時半 かでる2・7)。
少々、遅れて参加しましたがすでに会場は満席で立ち見者多数。道新報道では約150名とありましたが(5/16朝刊)、後ろでざっと数えて200名はいたように感じます(報道関係者も含む)。みな真剣に耳を傾けていました。

この問題は、(財)アイヌ文化振興・研究推進機構(以下、推進機構)が発行しているアイヌ民族副読本(小学4年生用、中学2年生用)を編集委員会も開かず、推進機構が一方的に不当に書き換えた「改ざん事件」。

主催者を代表として清水裕二さんが挨拶をし、次に、副読本執筆者の平山裕人さんが経過報告をされました。
平山さんは、まず、道議会の一議員、参議院の一議員からの質問で結果的に、
①アイヌ民族が先住民族であるという事実が極めて弱められた。
②日本が多民族国家であることも弱められたり、カットされた。
③執筆者や編集委員が現場の教職員であったり、労働組合員ということがあたかも悪いかのように執拗に攻撃の材料にされた。

の三つの問題を指摘。それを道議会が受け入れたり、き然とした対応をとらなかったために、推進機構が受け入れてしまった。そこが問題だ、と。

次に、平山さんは今回の問題の経過として、以下を報告。
①2011年12月6日開催「第4回北海道議会定例会 予算特別委員会」の小野寺道議員の質問。
「私は実際にこの副読本に書かれている表記について多くの問題があると思っています。例えば『1869年(明治2年)に日本政府は、この島を“北海道”と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部にしました』という表記があります。この表記では、明治2年当時、アイヌが北海道を支配していたと認めるような文書になっている。これは誤解を招く表記ではないのかと。」
他に日本国民は多民族であるという記述に対し、「民族の定義も無くそのようなことを書いていいのか」と。
※これに対し、道は、北海道はわが国の固有の領土だ、アイヌは本来日本国民だ、と回答。

②2012年3月19日開催「第4回北海道議会定例会 予算特別委員会」に小野寺道議員が以下の質問をしています。
「北海道旧土人保護法により、アイヌには1戸1万5千坪の土地しか与えられず、一方、和人の開拓者には10万坪が与えられたというのは事実ですか?」
※これに対し、道は「数字等についてはまだはっきりしておりませんので、この場でお答えするのは差し控えたい」と回答。ちょっと調べれば事実と分かることなのに「はっきりしていない」と返答するのはおかしいと平山さんは声を大にして批判。

③2012年3月27日参議院「沖縄及び北方問題に関する委員会」の義家議員が副読本の「多民族」に関する質問を行う。


以上の三つの質問で、推進機構は修整案をつくり、各学校に配布。
その経緯はおそまつなもので、12月の道議会の噂を聞いて執筆者の平山さんが推進機構を訪れ、どうなっているのかと正式でないかたちで質問しに行ったのが3月17日(行かなければだまって訂正されただろう、と推測)。
その時にはすでに修整案が出来ていた。突然の修正案に動揺し「せめて、『ことわりなく』や『一方的に』のどちらかは残せないものか」とか、「なにも問題はない」と言ったところ、その一部だけを取り入れ、執筆者の了解を得たとばかりに他編集委員に連絡。
わずか9日で全国の教育委員会に修整が配布。

「考える会」は急きょ、5月2日に各新聞社に記者会見を開催。
その際に推進機構に公開質問書を送ったところ、先方より11日付で回答があり、「考える会」の見解を付して会場に配布されました。回答はいずれも誤解を招く恐れのある表現を改めたというものや、はぐらかしのみ。

その一つに、「アイヌの人たちにことわりなく一方的に日本の一部にしました」を「一方的に日本の一部として本格的な統治と開拓に乗り出した」と削除した理由は何か?に対し、
推進機構側は「北海道(蝦夷地)が日本の領土になった時期が明確となっていない」と回答。
「考える会」は「アイヌと関連する地名そのものを消し去り、これを「北海道」と解消したことが、「蝦夷地」の日本への領土化であることは、歴史学上の常識である。」 「「蝦夷地」の土地を日本政府が一方的に取り上げ、処分したのは1969年の『大政官布告第734』に引き続いて1972年に出された「地所規則」および「他起動土地売貸規則」によることは万民がみとめること。」と見解を記しています。

以上、取り急ぎ、報告まで。
近く続きを書きます。


萱野志朗さんの提言

13日(日)は礼拝の後、名寄道北センターまで走り、道北地区委員会に出席。翌日は午後に道北センター理事会を終えて、急いで札幌に向いました。
今日は夜に旭川伝道圏委員会があるので旭川へ(今日は子どもたちと2時間は遊べそう)。


道東方面を訪ねました

2012-05-12 15:01:54 | インポート
GW後半からの活動報告をUPします。
5月3日は北大開示文書研究会で札幌へ。新たな情報や課題を受けました。
4日は清水町を訪ね、ハポネタイのチセ作りに協力。のはずが、天候が悪く、その日は阿寒からYエカシをお招きしてカムイノミの意味やイナウの作り方を伺いました。短い時間でしたがとてもいい学びをさせて頂きました。
帰り道に新得教会を訪ね、センター活動の紹介と働きの協力をお願いしました。

10日は道東地区の諸教会(置戸、北見望ケ丘、中標津、釧路、春採)を訪問し、お留守のところには資料をポストに入れ、在宅の教師にはセンター活動の協力のお願いをしてきました。
今年度は9月に知床でアイヌ民族エコ・ツアーを計画しています。その協力も兼ねての訪問でした。

途中で、弟子屈町の更科源蔵文学資料館を見学。



すこし足を伸ばし、クナシリ・メナシ蜂起(1789年)の37名の処刑が行われたノッカマップ岬を訪ねて黙祷。
この蜂起については榎森進さん著『アイヌ民族の歴史』(草風館)第六章(P.244ff)に詳しく書かれています。
榎森さんはクナシリアイヌがなぜ和人襲撃をしたかの原因を三つ述べています。一つはその地域の商場の経営を受け持っていた飛騨屋久兵衛が男女を問わず〆粕生産に動員し、冬に至るまで酷使したこと。しかも手当ても極めて少なく、アイヌ民族本来の狩猟生活もさせなかったために餓死者さえ生じたこと。加えて働かなければ毒殺すると脅したこと。第二は和人達のアイヌ女性への性的暴力。それに抗議したアイヌへ逆に蛮行の横行。第三は、こうした状況の中で、和人から与えられた薬や飲食物でたまたま死亡するという事件がおきたことから、和人達がアイヌを毒殺しようとしているという噂がアイヌ社会に広がり恐怖感を増大させたこと。
アイヌ民族の置かれた状況を読むほど、辛くなってきます。

その後、蝦夷三官寺の一つである厚岸町の国泰寺に行き、そこに建てられている「アイヌ民族弔魂碑」の調査と撮影をしてきました。以前からOエカシに頼まれていたのがやっと果たせました。



11日は春採湖畔の鶴ケ岱チャランケ砦跡を訪ね、道立釧路芸術館で開催中の「チカップ美恵子展―アイヌ文様刺繍と詩の世界から―」を鑑賞。
とてもよかったです。チカップさんの作品は細やかで丁寧でほんとうに素敵でした。以前にTシャツ作成で図柄を使用させて頂いたイメル(雷)の刺繍もありました。
アイヌ文様刺繍カレンダーをつくった時のことを思い出しました。6月27日まで開催。



午後には阿寒湖に移動し、アイヌ文化フェスティバルを鑑賞。
アイヌシアター「イコロ」はとても素敵でした。
近隣の小学生も100名ほど来ていましたので内田祐一さん(帯広百年記念館副館長)の講演「アイヌの人たちと動物」もスライドを用いて子ども用に分かりやすく説明されていました。
アイヌ民族はハシブトガラスをシエパスクル(糞ガラス)と呼び、名の通りあまり良いものではないとされ、ハシボソガラスをカララクカムイ(カララクと鳴く神)と呼び、カムイ(神)として大切にしていたとのこと。
(講演でメモし忘れたので、この部分は帯広百年記念館HPを参考に補足)
よくクルミなどの実を空から落として割ったり、道路において車に轢かせて砕いたりしているのはハシボソガラスとのこと。
ちなみに、鳴き声はブトのほうが「カーカー」と澄んだ声でボソは「ガーガー」とハスキーなのですが、アイヌ語では濁っていませんね。

次に国指定重要無形文化財として1994年に指定された白糠アイヌ文化保存会の皆さんの踊りや歌を鑑賞。
若手のお三人が上手にムックリを奏でていました。弓の舞(ク・リムセ)では、三歳ぐらいのこどもも上手に踊っていたのが目を引きましたが、小学3~4年の子が、と~ってもしっかりと踊っていたのに感動。
こどもたちがこころを入れて真剣に誇りをもって踊っている姿に目頭が熱くなりました。とてもいい伝承をされていますね。
最後の輪踊りには近隣の小学生がどんどんと踊りの輪に加わり、大きな輪が出来ました。

最後は、平取二風谷アイヌ語教室の皆さんのアイヌ語劇『子どもと遊んだ神』を鑑賞。昨年も旭川で観ましたが、こどもたちの可愛さはもちろんのこと、エカシやフチたちがカムイとして登場し各々がユカラなどを披露されるところがいいですね。

ここで本来なら写真を掲載させて頂くところですが、どういうわけか今回は撮影禁止でした。
このブログでも報告(写真)を楽しみにしておられるとの声を聞いたばかりではりきっていたので残念でした。
今までも個人情報が漏れないように全体的な写真をUPしてきましたが、近くにいた主催者に伺ったところ、それもダメだと。できるだけ、このようなアイヌ民族関連のイヴェントは広く報告されることがいいと思うのですが・・・。後日、主催側のアイヌ文化振興・研究推進機構にメールで問い合わせようと思います。



この二日の走行距離は1050キロ。
東ティモール独立10周年記念コンサートは別のスタッフに行って頂きました。