アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

政府窓口新設

2009-02-28 07:46:15 | インポート
アイヌ政策を審議する「有識者懇談会」の五回目の会合が首相官邸にて26日行なわれ、その報告が27日付で北海道新聞に掲載されました。
「政府窓口新設を アイヌ有識者懇 報告書明記へ(北海道新聞02/27 08:36)」
以下、引用

 政府のアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会(座長=佐藤幸治・京大名誉教授)の第五回会合が二十六日、首相官邸で開かれた。佐藤座長は終了後の会見で、アイヌ政策を統括する政府の窓口機関新設の必要性について、夏にまとめる報告書に明記する考えを明らかにした。また、有識者懇として五月に道東の現地視察を行うことも決めた。
 政府の窓口機関については、オーストラリアにある先住民族政策を担当する省や、米国の先住民族担当局などを念頭にアイヌ民族側が要望していた。佐藤座長は「ほぼ異論はない。どういう形かは別にして、そういう機関をつくらなきゃいけない」と述べた。五月の道東視察では現地のアイヌ民族とも意見交換し、報告書取りまとめの参考にする。具体的な日程や訪問先は今後調整する。有識者懇はすでに昨年十月、札幌市や胆振管内白老町など道央視察を実施している。
 この日の会合では、東京でアイヌ民族にアイヌ語を教えている千葉大大学院の中川裕教授ら二人の意見を聞いた。中川教授は二十-三十代でアイヌ語学習に積極的な人が増えていることを報告した。専門家からの意見聴取は今回で終了し、次回から報告書作成に向けた本格議論に入る。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/149664.php



アイヌ政策のための政府の窓口機関新設について積極的な姿勢を見せています。
是非とも、長期的にアイヌ民族の権利と保障をあつかう機関を実現してもらいたいです。
アイヌ民族もその機関のメンバーに組み入れらるように煮つめてもらいたいですね。

それと、大切な歴史的事実の明記(これがあって政府の謝罪が可能になる)や、
差別の調査・癒しのための機関設置、他の必要な様々なことも十分に審議して盛り込んで欲しいです。

「専門家からの意見聴取は今回で終了」は、残念ですね。
上村英明さん(市民外交センター)など、実際に長年先住民族の権利回復のために活躍されている方からも意見を聞けばいいとおもいます。

時間的にもう専門家の意見は聞けないということでしょうか。そもそも有識者懇の任期が一年という枠も問題ですが。
振返ってみると、過去の「アイヌ政策」の評価については今までなんら行なわれていません。
有識者懇の課題のひとつでしたから、この部分もしっかりと明記してほしいですね。

5月には道東にも意見を聞きにいくとありますね。
昨年の札幌・白老・二風谷での「現地視察」の報告は首相官邸の有識者懇のURLにUPされています(これは、意見を述べられたアイヌ民族の皆さんからも主旨内容承認を得ているのでしょうか)。じっくりと読んで、ご本人たちとも正しく記載されているかを確認していけたらと思います。
以下有識者懇のURL
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/kaisai.html


明日は、なんと札幌法務局が主催となって「アイヌ文化とふれあい 人権を考える集い」がサッポロファクトリーホール及びサッポロファクトリールームにおいて開催されます。

■日時 3月1日(日)10時00分から17時00分
■会場 サッポロファクトリー(札幌市中央区北2条東4丁目)
■主催 法務省、全国人権擁護委員連合会、札幌法務局、北海道人権擁護委員連合会、北海道、札幌市、(財)人権教育啓発推進センター、道央人権啓発活動ネットワーク協議会
■協力 (社)北海道ウタリ協会、(財)アイヌ文化振興・研究推進機構、(財)人権擁護協会、全国地方新聞社連合会
■入場料 無料(人権トークショーは、事前申込み制)
■人権トークショー
ご希望の方は、札幌法務局まで①電話、②FAX、③Eメール等でお申込みください。
■締切日 平成21年2月20日(金) 
もう締め切りすぎてますね・・・・


■催物の内容(予定)
<サッポロファクトリーホールにて>(定員400名)
●13:30~13:40 主催者あいさつ
●13:45~13:55 アイヌ民族舞踊
●14:00~15:20 人権トークショー
・14:00~14:40基調講演
 横田洋三((財)人権教育啓発推進センター理事長)
・14:40~15:20対談
 横田洋三((財)人権教育啓発推進センター理事長)
 加藤 忠((社)北海道ウタリ協会理事長)
 谷本一之((財)アイヌ文化振興・研究推進機構理事長)
●15:30~16:30 ミニコンサート
・出演者 OKI(トンコリ奏者)
<ファクトリールームにて>
●10:00~17:00
・アイヌ文化資料展
・アイヌ民族楽器「ムックリ」作り(先着200名様)
・アイヌ民族衣装での写真撮影コーナー
・人権イメージキャラクター「人KENまもる君・あゆみちゃん」との写真撮影コーナーなど

※申込用紙は、「財団法人人権啓発推進センター」ホームページからダウンロードできます。
もう無理かも・・・。
http://www.jinken.or.jp


日曜日の行事なのでUPするのが遅くなりました。
今日もアイヌ民族関連の会合のため札幌です。




遠くの山の上に見えるオオワシ。


奴隷売買は先住民族奴隷売買がさいしょ

2009-02-26 15:28:12 | インポート
先日から観ている500NATIONS(ケビン・コスナー監修)は、多くを学ばされます。今日は第5巻のほんの一部を要約紹介します。

1600年代、フランスとイギリスの毛皮商人たちは先住民族がビーバー、ミンク、キツネなどの毛皮の取れる動物を狩っている北アメリカ大陸の奥深くまで入り込んだ。
先住民族の国々にとってヨーロッパ人との取引は、何世紀にも渡って季節ごとに繰り返されてきた単なる習慣の延長でした。
しかしこの時代からヨーロッパ経済において毛皮貿易がだんだんと需要の中心になり、ビーバーのフエルト帽が流行ってからは先住民族との取引が急増した。そのため、先住民族の国家そのものが変わっていった。
若者達は白人と取引をしたいがために、なすべき伝統的な役割を果たさず、狩に明け暮れた。
農業国家では作物の植え付けが減り、畑は休耕地になり、ヨーロッパ商人から食料を買うために毛皮が使われるようになった。
取引のための狩猟によって先住民族の土地や動物についての観念が変化するにつれ、伝統文化と宗教上の価値は大きな衝撃を受けた。

さらに不正な搾取も起こったことがスィウィー(SEWEE)人の悲劇として伝えられている。
1670年、イギリス人はスィウィー人の国土にチャールストン村を作り鹿皮の交易を始め、南部植民地の経済の中心地となった。その際の交換は英国での売価の5%しか先住民族に支払わなかった。
スィウィー人はもっと公平な取引をしてもらおうと決意し、イギリス船が通る海路を調べ、自らが船に乗ってイギリスへ渡り、直接交易をしようと考えた。
イギリスを“発見する”という意図が決議され、そのためにふさわしい大きなカヌーを作り、大量の毛皮やスィウィー人の最も大切な物を船積した。
頑強な身体を持つ男女が選ばれ、船は大洋に。
しかし、大洋に入った途端に矯風が吹き荒れ船は高波に飲まれた。
生き延びた丈夫な者も通りすがりのイギリスの奴隷船に救われ、西インド諸島の奴隷競売場に送られた。スィウィー国家は瞬時に滅亡した。

奴隷売買は黒人奴隷売買から始まったと思われがちだが、実際は、南キャロライナ・チャールストンで先住民族の奴隷売買をすることから始まった。それは1600年年代から始まり1700年代まで続いた。


あらためて、トーマス・R・バージャー著「コロンブスが来てから」(朝日選書464)を確認すると、そこにも先住民族奴隷が先であったことが記述されていました。(第4章「インディアン奴隷制」)


本日、有識者懇談会が行なわれるようですね。首相官邸内にあるURLをのぞくと、第三回議事録や、北海道でのヒアリングの議事録がUPされていました。注目していきたいと思います。
有識者懇のURL:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/kaisai.html


このところ全く関係のない宣伝のようなメッセージがたくさんコメントに入ってくるので、しばらく使えないようにしています。




昨日は、よく遊びに来る近所の小学生の子の誕生会をしました。クレープを作ってジュースで乾杯。そして、アイヌ紋様の絵葉書をプレゼントしました。
ふり返ってみると、わたしは10歳のこども達と縁があります。
神学校に入ってはじめて教会学校のこども達を受け持ったのが10歳。今もつながりがあり、ひとりは日産CUBEの内装を担当! 上の絵は20年前にわたし達家族を絵にしてくれたものです。聖書の二匹の魚と五つのパンの奇跡も含まれています(マルコ6:30~)。
始めて教会に赴任した年に遊びに来たやんちゃな子達も10歳。今も時々「おっさん元気か」と連絡をくれます。
そう言えば、瀬棚の「大草原の小さな家」のようなK牧場に初めてお訪ねしたときに一番上の女の子も10歳。
今から27年前ですが、そのご家庭とも親しくさせて頂いています。

この年になると孫を見ているようで可愛いです。って、ちょっと違うか・・・

明日、明後日は教会の事務作業とアイヌ民族関連の会合で札幌です。


「インパクション」167号 早く読みたいです

2009-02-24 20:28:10 | インポート
月末がすぐなのに、今月は8回しか更新していませんので今日もひと言。

雑誌「インパクション」167号(発行2/15)が、「先住民族アイヌ」特集をしているようです。目次を見ると読みたいものばかり。少し紹介します。

・アイヌの人たちが、いま言いたいこと
  いまアイヌ民族は何をすべきか――自己認識と行動◎秋辺得平(北海道ウタリ協会副理事長)    
・今すぐにでもできることはある――アイヌ民族の要求と先住権◎阿部ユポ (北海道ウタリ協会副理事長)
・権利回復とは自分が声をあげること ◎島崎直美(札幌ウポポ保存会事務局長)
・アイヌとして生きること、アイヌ文化を受け継ぐこと◎能登千織(白老イオ ル事務所「チキサニ」)
・必要なのは未来を見据えた議論◎長谷川修(レラの会、アイヌウタリ連絡会 事務局長)
・われらが明日を創る――与えてもらう運動から発信型の運動へ◎結城幸司 (アイヌアート・プロジェクト)
・土地は商品ではない――先住民族としてのアイヌ民族のたたかい◎越田清和 
・日本政府と日本社会が負うべき義務――アイヌ民族と先住民族の権利◎上村 英明
・先住民族の権利――反植民地主義の視点から◎武者小路公秀
・琉球・沖縄民族と先住権◎喜久里康子
http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impaction.html


アイヌ民族の皆さんの文も楽しみですし、上村さん、そして武者小路さんですよ、あの講演をされた(08年11/19 blog参照)。早く読みたいですね。

それと、琉球関連の文も楽しみです。先日、古くお付き合いさせていただいている沖縄の平良修さんから、ニサッタの賛同と共に、琉球新報のご自身が書かれた文を送って頂きました。

題は「薩摩侵略400年を問い直す」。1609年に薩摩による琉球侵略とその後270年におよぶ植民地化について述べられていました。それは、日本国(明治政府)による琉球処分の序曲であった、と。平良さんの息子さんと高校からのクラスメートのため、いつも沖縄を意識してきましたが、あらためて「植民地化」の接点でとらえなおしてみようと思います。


この数日、知里真志保さん生誕100年を記念して催しが行なわれているようです。
記事などを「関連情報」にまとめてみました。
http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/


今日は午前中はアイヌ奨学金の事務を作業所のTOMOさんとこなし、
午後は北隣の小平町にある老人施設に聖書のお話を頼まれたので行ってきました。
「見たことある、テレビで」と言われ、思わず「木村拓哉で~す・・・ちがうかっ?」と、言うわけないです・・・

TOKIOのリーダー城島茂とか、佐々木蔵之助(「ぼく駐」「間宮兄弟」)に似ていると言われたことはありますが。
このブログのライターですと自己紹介すると、ほぼ「ぶっ」と笑われます。まあ、どうでもいいですね。
今日はそれなりに用いられてきました。




北海道大学総合博物館で開催されている「アイヌ文化展――テエタシンリッ テ ルコチ(先人の手あと)」に行って来ました。よかったですよ。3月29日までとのこと。

加えてご案内ですが、3月20日(金)10:30~12:00に、小谷凱宣(名古屋大学名誉教授)の講演『博物館所蔵のアイヌ民族資料調査を振り返って― ハドソン川からエルベ川まで―』があります。小谷さんに関しては過去ブログ(08年11/4)参照ください。わたしも行って、前回、質問したかったことを是非とも伺いたかったのですが、日曜日ゆえ断念します。
詳しくは、下記のURL(北大アイヌ・先住民研究センター)へ
http://www.cais.hokudai.ac.jp/event/e_others.html


正しい「認知」があってこそ、「謝罪」が意味あるものとなる

2009-02-23 09:23:05 | インポート
最近、お笑いブームがテレビをにぎわせています。
このブログを読んでくださる方は観ないジャンルでしょうか。
わたしの最近はまっている芸人は「ものいい」というコンビ。ボケ役の決まり文句で笑い転げています。


20日(金)はアイヌ民族委員会を経て、北大アイヌ・先住民研究センター主催の講演へ行って来ました。

テーマは『過去の不正義にどう向き合うか-政府による「認知」と「謝罪」をめぐって-』
講師はノース・カロライナ大学・政治学部教授ジェフ・スピナー=ハレヴさん。

毎回、多くを学ばせて頂いていますが、今回のテーマは注目をあびたことでしょう。
現在の日本の状況下で「謝罪」を扱うということは色々な問題をふくんでいるため、大変、画期的なものだったと思います。
感想はわたしにとってはとってもよかったです。

北大アイヌ・先住民研究センターがこの大切な時をしっかりキャッチして、希望のメッセージを講師の講演を通して語ってくれたんだなぁ~と思いました。
特にセンター長の常本さんが有識者懇談会のメンバーとして、有識者懇への意気込みを以下のように語ってくれたとわたしは受け取りました。


①先住民族の権利宣言というと、みんな「謝罪」をまず先にするべきだと言う。
②しかし、「謝罪」だけすればいいとの考えはおかしいし、意味がないことは近年の歴史を見ればわかる。
  謝っておけばそれでいいと心のこもっていない「謝罪」を先住民族は受け続けてきた。
③では何が問題かというと、そもそも「ごめんなさい」と「謝罪」するには、何をどうしたから「ごめんなさい」を言うのかが
  明白ではなければならない(それを「認知」という)のに、その「認知」があやふやだ。
  過去の事実を正しく認めることが何よりも必要だ。
④だから、アイヌ民族の権利回復の働きから言うと、まず「謝罪」ではなく、何よりも「認知」が必要で、
  そのために有識者懇談会において、過去の正しい歴史事実をしっかりと記述し、
  何がどう問題であったかを「認知」させることを目指すぞ~。


ねえ、常本さん、こういうことですよね。 「ちがうかっ?」 (お笑いコンビ「ものいい」風に!)


昨日は知里真志保さんの研究会が北大でありました。
是非とも参加したかったですが、日曜礼拝ゆえ断念しました。

北大アイヌ・先住民研究センターのHPがリニューアルして、過去の講演をテキストで読むことが出来るようにしているとのことですから、是非ともこの度のものをUPして下さるようお願いしたいです。出来ることなら映像でも流して欲しいです。大体がパワーポイントを使っての講演ですから。

20日の講演も正確な講演内容が近くUPされることでしょうから、わたしの偏見で受け取ったメッセージではない内容をご確認くださいね。




留萌から札幌に向かう海岸線。ずっとこの崖下を150キロ走ります。


先住民族の教育の権利

2009-02-19 20:55:15 | インポート
昨日は事務作業を兼ねて札幌に行き、夜はさっぽろ自由学校“遊”の「先住民族の国連権利宣言」連続講座を聞きにいきました。

ひとり目の講師は、野元弘幸さん(NPO法人保見ヶ丘ラテンアメリカセンター代表理事、首都大学東京教員)。
野元さんは学生時代に指導教師から薦められてパウロ・フレイレに魅せられ、ブラジルに行って学ばれたとか。
P・フレイレの名を四半世紀ぶりに聞いて、懐かしさを覚えましたが、はて? 著書「被抑圧者の教育学」はわたしの本棚の右上の奥にあるということは分かるのですが、内容が思い出せない・・・。詰め込み型の教育(銀行型)ではなく参加型の教育を提唱した人だったなぁ~ぐらい。あらためて引っ張ってきて読み直してみます。神学校で扱いました。

保見ヶ丘は愛知県豊田市北部の郊外に位置する人口9千人の団地で、人口の40パーセント=3,800人がブラジル人とのこと。高齢化の問題、トヨタ自動車関連の下請け・孫受けで派遣会社を通じて働いているが、現在は派遣切りの深刻な問題の渦中にあるとのこと。緊急支援の呼びかけもありましたので、少額ですが協力しようと思います。
(詳しくは以下のURLへ http://www9.ocn.ne.jp/~celaho/)

ブラジル人の子ども達は、一度は公教育に通う経験あり。しかし、学習困難やいじめで不登校へ。野元さんは地域とブラジル人保護者で協力しあい、P・フレイレ学校を建てたそうです(ブラジル国の認可申請中)。
学校は8時半から午後3時までブラジルのカリキュラムに合わせて授業を行ない、3時以降は日本の子どもたちとも合流し、学童的なことを行なうそう。まずは学校の宿題をこなし、母語教育も行なう。現在、60名ほどが集まっているとのこと。

こども達はポルトガル語を学びたがらず、日本人になりたがるとのこと。しかし、親たちは母国の文化を知ってもらいたいがためにフレイレ学校に通わせるのだそうです。こども達は、はじめは抵抗するものの、覚えたての母語で親へ手紙を送ったときの親の喜びようをみて、学ぶ意欲を持つのだそうです。野元さん曰く、こども達は日本語をのばすためにも母語を学ぶ必要がある、と、母語教育の大切さを述べられていました。

これらの活動をもとに、『アイヌ民族学校の構想』について提起してくださいました。
まずは「アイヌ民族教育の全体構想」の点で、憲法や教育基本法に位置づける必要があるとのこと。そして、民族教育を行なう学校・大学などの設置についても議論していく必要性があると語られました。

P・フレイレの解放教育には先住民族差別からの解放という視点があるのでしょうか。本を取り出して確認してみます。


おふたり目の講師は清水裕二さん
『先住民族と教育』のテーマで、アイヌ民族学校の可能性についてお話くださいました。
そもそもアイヌ民族に対する民族教育は、常に露骨な差別教育だったことを述べられ、
①公教育として民族教育を保障すること
②差別を撤廃するような抜本的な政策をすること
③母語や母文化を尊重すること

を求められました。


たいへん印象深く残ったのは、ご自身が覚えている唯一のアイヌ語「ポン・ヘカチ」のお話でした。
フチたちが集まってアイヌ語でしゃべっているところに行くと、その度に「ポン・ヘカチ!」とフチがひと言しゃべり、そこで会話が途絶えたそうです。「ポン・ヘカチ」とは、「小さい・子ども」の意味で、(こどもが来たからアイヌ語で話すのはやめよう)との"合言葉"だったそうです。
アイヌ語を話すことがマイナスになると思わされ(抑圧を受け)ての、悲しく辛いエピソードです。


先住民族の「教育の権利」に関しては、国連の先住民族権利宣言の、第14条、15条に述べられています。

第14 条【教育の権利】
1. 先住民族は、自らの文化的な教育法および学習法に適した方法で、独自の言語で教育を提供する教育制度および施設を設立し、管理する権利を有する。
2. 先住民族である個人、特に子どもは、国家によるあらゆる段階と形態の教育を、差別されずに受ける権利を有する。
3. 国家は、先住民族と連携して、その共同体の外に居住する者を含め先住民族である個人、特に子どもが、可能な場合に、独自の文化および言語による教育に対してアクセス(到達もしくは入手し、利用)できるよう、効果的措置をとる。
第15 条【教育と公共情報に対する権利、偏見と差別の除去】
1. 先住民族は、教育および公共情報に適切に反映されるべき自らの文化、伝統、歴史および願望の尊厳ならびに多様性に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携および協力して、偏見と闘い、差別を除去し、先住民族および社会の他のすべての成員の間での寛容、理解および良好な関係を促進するために、効果的措置をとる。
「市民外交センター仮訳2008年7月31日」より引用


アイヌ民族の教育の権利は、自分たちのやり方で独自にやっていいことが保障されています。教育方法も施設の設置も制度もアイヌ民族のしかたでやっていい、と(14条1)。国はその協力をしなければならない、と14条3に国家の義務も書かれています。その点で、前回の“遊”の小野有五さんの講演で学んだ「土地権」とも密接に関連していくのですね。土地・自然の中で文化や生活方法の知恵を伝えていったのですから。

「教育権」は、アイヌ民族の知恵を伝達することを保障しているだけではなく、14条の2にあるように、日本国が行なっている教育を受ける権利も保障されています。差別を受けることなく学校に通うことが守られ、また奨学金制度を充実させるなどの国の支援も求められていますし、オモニハッキョ(在日コリアンの母親達が日本語を学ぶ学校)のような、識字学校などの検討も必要だと思います。
いい勉強になりました。

それと、昨日は心に触れるあたたかい時を共有できました。
いつもこの講座は質疑の時間を長く取り、参加者も意見を言ったり聞いたりできます。
また、市民の学びの場ですからアイヌ民族のことをご存知ない方も多く来られ、はじめて聞くことに戸惑いを隠せずにおられる方もいます。昨日もそのような方がおられました。そんな中、石狩のAVEさんがご自身も昨年まで何も知らなかったこと、仕事が定年になって、たまたまここに学びに来て、出会いが広がったことを涙ながらに話されたのです。
場が共感に包まれた時間でした。
昨日は疲れが溜まっており、行くのを断念しようとか思っていたのですが行ってよかったです。
生はダイナミックですね。

AVEさんと同じく、ほとんどの方がアイヌ民族のことを正しく理解できていないでしょう。教わることがなかったからです。
権利宣言15条には国家がアイヌ民族への正しい歴史と、偏見や差別がないように効果的な措置をとることを義務づけています。アイヌ民族のことを正しく教えてこなかった国の責任が問われています。学校教育において正しく教えるカリキュラムが必要でしょうし、学校教師たちも学びを必須にするべきでしょう。




凍った滝! 最近、吹雪ばかりで写真が撮れません。昨夜も荒れていました。
夜9時に終わって慌てて帰路へ。吹雪で前は見えないし、滑るしで深夜0時に帰宅。
今日は、明日のアイヌ民族委員会の準備をばっちり決めて、日曜日の準備。
明日早朝に持病の定期検査で手稲の病院に行って、教会巡りをしつつ委員会です。


年度活動まとめ

2009-02-18 13:41:16 | インポート
出ずっぱりで、なかなか日誌が書けずにいます。
日曜日の夕方から夜にかけて名寄で教会関連の道北地区委員会、教師(牧師)会をすませ、無謀にもそのまま岐路へ。午前0時、留萌に入った三泊(サントマリ)でアイスバーンを100メートル蛇行しつつ無事に帰宅。ほっ!

翌日から年度まとめの書類もに手をつけ、ヘトヘト。当センターのまとめに一日かけてしまいました。
さらに、先日から観ている500NATIONS(ケビン・コスナー監修)の内容が重過ぎて、ダウン気味です。
字幕も吹替えもないので手元の翻訳コピーを見ながら映像を眺めるのためにけっこう大変で、他のことが一切できません。
今、5巻目を観ていますが、1754年の「フレンチ・インディアン戦争」、オダワ国のポンティアックの統一戦、そして、イロコワ連邦の話とつながっています。イロコワ連邦に関しては過去記事(07年10/12 blog)参照。

昨日の
道新記事、「アイヌ施策推進計画策定進まず」が目に付きました。
 国や道の「有識者懇談会」は動いていますが、札幌市もアイヌ施策推進計画の策定に向けて「アイヌ民族や有識者でつくる懇談会」の設置を考えていたのですが、それが遅れているとのこと。その懇談会の検討材料として計画の中にあったアイヌ民族の生活実態調査も、調査が難しいとして断念するとのこと。上田文雄市長の公約でもあるのですから、しっかりとやってほしいですね。 道新の記事は以下。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/147643.php


昨日に引き続き、今日も大雪です。
これから札幌へ向い、いくつかの教会を廻って有識者懇への賛同者協力のお願い説明に出向き、
アイヌ奨学金事務などいくつかの仕事を済ませてきます。
夜6時半からさっぽろ自由学校“遊”の国連先住民族権利宣言連続講座を聴講し、
帰宅します。

20日の金曜日も教会巡りと、アイヌ民族委員会のために札幌です。
その夜には二つの場所で講演があります。ひとつは
「環太平洋・アイヌ文化研究所第20回研究例会」
日時:2009年2月20日(金) 18:00-
会場:苫小牧駒澤大学 1F C102教場
報告者:植木哲也さん 「アイヌ学への反論」

もうひとつは北大アイヌ・先住民研究センターの講演。

『過去の不正義にどう向き合うか ー政府による「認知」と「謝罪」をめぐってー』
2月20日(金)18:00~20:30
報告者:ジェフ・スピナー=ハレヴ(ノースカロライナ大学・政治学部・教授)
司会・コメント:辻康夫(北海道大学アイヌ・先住民研究センター・教授)
会場:北大人文社会科学総合教育研究棟(W棟)2階W202号室



植木さんのは是非とも聞きたいところですが、
札幌クリスチャンセンターでの会議が5時過ぎますので、苫小牧行きは断念し、
北大のほうに行こうと思います。
エッセンスだけでも後日に植木さんに伺いたいと願っています。



先日、途中の山で見かけた鷲。オオワシとも違うようなまだら模様でした。
下中央にいるのがわかります?運転中に目に留まりました。


500NATIONS

2009-02-11 15:31:56 | インポート
ケビン・コスナー(Kevin Michael Costner)監修の500NATIONSにはまっています。
日本語字幕がないのが残念ですが、ロバート・ウイットマーさん(道北センター館長・アイヌ民族委員長)が、翻訳のお手伝いをされたので手元にコピーはあります。VHS全8巻ウイットマーさんよりセンターに寄贈戴きました。字幕や吹き替えの技術をどなたかお持ちでしたらやりたいですね~。英語ですが、以下のURLに少々、紹介が載っています。
http://us.imdb.com/title/tt0111868/

最初のヨーロッパ人が北米にたどり着く以前からこの地域には500あまりのNations(国)が存在し、東海岸から西海岸へ、中南米から北極へ北米大陸全体に300以上の言語が話され何千万人もの人々が住み暮らしてきたとのこと。
この8シリーズにおいてこの500NATIONSがどのように生きてきたかを先住民族の皆さんに紹介していただき、ロケ地も歴史上重要な出来事の現場で、また目撃をした者の真の声も撮っているというではありませんか。すごい内容です。

ひとつ要約を紹介。

1492年クリストファー・コロンブスを将官とする三隻の船が8週間でバハマ列島からキューバへ、そして現在のハイチとドミニカ共和国がある島、カリブ海で2番目に大きい島にたどり着きました。彼はその島をヒスパニョーラとなずけました。当時その島にタイーノ民族が住んでおり、統治者ワカナガリーに治められていました。
クリスマスイブの夜です。海岸線を航行しているとき、サンタマリア号が座礁してしまいました。そのことを知ったワカナガリーは船の荷物を降ろすために町中の人々を大きなカヌーで船へと向かわせ、丁寧にそして一生懸命に手伝いました。
コロンブスは船乗りと貨物を救ってくれたお礼にワカナガリーに赤いマントをプレゼントしました。これをタイーノ民族は地位を重んじる物として受け取りました。
その返礼としてワカナガリーは自分の頭にかぶっていた金の王冠をコロンブスにあげました。
ワカナガリーにとってこれはお互いに尊敬し認めあうことを表す公平な交換でした。そして、これによって対等な交易が始まると思っていました。
しかし、コロンブスにとって王冠は権力を表すものでした。これによってワカナガリーが自分の土地と民族をスペインに渡したと考えました。(第三巻より)


なんて勝手な・・・・。その後はご存知の通り、虐殺が始まります。


1990年の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞の最優秀映画賞と最優秀監督賞をとったケビン・コスナーは、チェロキー族、ドイツ、アイルランドのミックスルーツを持っておられるようです。

今日は、「チ・カラ・ニサッタ」でつくった有識者懇への提言の賛同者になって頂くようにと、MLやDMで数百人にメールさせて頂きました。協力頂ければ幸いです。

なお、このblogを見てくださっている皆さんはすでにご存知かと思いますが、わたしたちアイヌ民族情報センターのURLが下記に移りました。
今までHPを管理してくださっていた斉藤成二さん(札幌富丘教会牧師)に感謝。
管理を引き継いでくださったのは難波真実さん(士別教会牧師)。彼はどんどんHPの内容を充実させてくださっています。感謝です。

そこで、「チ・カラ・ニサッタ」の提言文もこの数ヶ月HPに掲載することにしました。全文を見ることが出来ますのでご覧下さり、賛同者になって頂ける方はメールいただければ幸いです。

実はわたしはHPをつくれません。かろうじてblog投稿はできるので活動日誌や報道紹介、イヴェント情報など全部違う会社の無料ブログでつくり、HPにリンクさせてもらっているという状態です。

アイヌ民族情報センターの新しいURL
http://www.douhoku.org/ainu/

そうそう、この活動日誌ブログのコメントを書く際に、書き込み者のメールアドレスとURLを記入するところがありますが、URLは書かなくともコメントを書けます。どうぞ、ご利用下さい。




旭川へ向かう途中の峠。キツネをよく見かけます。
左上に見える矢印は雪にうまった道路の端を指す標識。雪国ならではのものですね。

今日はのどの痛みは和らぎましたが咳がでます。皆さんもご自愛下さい。


ニサッタ「提言」賛同者募集中

2009-02-10 21:38:15 | インポート
大変、ご無沙汰しているような感覚で・・・
皆さん、さぶいですね。先日の名寄はマイナス23度でした。

この何日かの活動報告をします。
6日(金)は名寄の道北クリスチャンセンターで三愛塾があり、1時間の枠でアイヌ民族の権利について話す機会を与えられました。
あせって話したのでどうだったか不安でしたが、国連の流れなど分かりやすかったという感想や、和人はあんなひどいことしたのか、という声を聞くことが出来ました。


50年前から酪農大学の樋浦学長(当時)が、農村こそ知識を蓄えて未来を担う人材を育てるべきだと地方の諸地域に出かけていって青年たちに講義を行なったというのが三愛塾。今回で96回目。とても感動的なものでした。
また、酪農大学名誉教授の太田一男さんが必ず参加されているとのこと。この度も農村にとっても世界の平和に関しても希望を持てる講演をしてくださいました。

翌日も午前中は三愛塾の講演を聞いて、その後に旭川の雪まつりに直行。
川村カ子トアイヌ記念館の川村さんたちが民族舞踊を午後1時半から踊られるので駆けつけました。が・・・、ちょうどいい時間に着いたものの、駐車場がない!!
どこを探しても満車で、30分以上うろつきながら、結局、タイムオーバーで帰宅。

日曜日は礼拝。

その後、最近は週の後半に出かけることが多いので、集中して次週の礼拝の準備をします。
今回は三愛塾で聞いた興味深い話の確認に時間を費やしてしまいました。

幕末に続き明治新政府の元でもキリスト教禁制が掲げられた中、浄土真宗のお坊さんら十二人がキリスト教宣教師の下にスパイとして送られていたというお話。
その反面、外国文化を取り入れて「文明化」を目指す国の方針により6年後にはキリスト教は認められるようになります。そのはざまを真剣に生きた僧侶達の苦悩やいかに・・・
もう少し調べてみますが、早稲田大学に「大隈文書」という資料が残っていて、閲覧が出来るそうです。


最近、コメントをいただけるようになり、つながりの喜びを感じています。
最新のコメント(9/25付blog)に「アイヌ紋様が見たいです」と頂きました。
リクエストにお答えし、下記に小さい写真を紹介します。
これは、札幌のアイヌ民族グループ「チカルカルペ」の皆さんの作品を6枚一組(600円)にして、7シリーズを絵葉書にしたものの、ほんの一部です。とってもいい葉書ですよ。
当センターでも取り扱っています。
大きく紹介したいところですが、紋様を含めた知的財産は国連の先住民族権利宣言31条に補償されているように、それらの使用に関してはアイヌ民族の認証が必要という手続きが必要となっていくだろうことを考えて小さくしました。


刺しゅうやアイヌ紋様に興味のある方にひと言。
チカップ美恵子さんのアイヌ紋様刺しゅうカレンダーの過去のものや、チカップさんの著書「風に吹かれて」(NHK出版)も、当センターで取り扱っていますのでご相談下さい(在庫がある限り)。
この数年、それ以外の以下の本が刺しゅうに関するものを出しています。
以下のいづれもインターネット書店のアマゾンで簡単に購入できます。
http://www.amazon.co.jp/

・西田香代子のテケカラペ アイヌ刺しゅう(大型本) 西田香代子著
・アイヌ刺しゅう入門(チヂリ編)(単行本) 津田命子著 
・上武やす子とピリカノカ(アイヌ刺繍教室) (大型本)  上武やす子著


やばいぐらいにのどが痛いです。めずらしく風邪うつされたようで、明日は「ニサッタ提言」賛同者集めのメールを連打しようと思います。皆さんもどうぞ、ご協力下さい。詳しくは、下記へ。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive




「アイヌ人物誌」紹介 その二

2009-02-05 08:25:24 | インポート
松浦武四郎の「アイヌ人物誌」(平凡社ライブラリー)の紹介その2です。

オテコマの困窮
石狩上川のアイヌ、オテコマは今年で七十余歳。幼少のころから狭義心に富み、剛勇で、山の猟にすぐれていた。夫婦の間にチキランケという娘がおり、三人で暮らしていた。
ところが、18年前、妻が三十歳のとき、一家で海岸の漁場に雇われていった頃、妻を番人に奪われた。オテコマは抗議したがその番人は自分のことを隠して支配人にオテコマの悪口を告げてひどい目にあわせたのだ。妻は何度も逃げ出そうとしたがその度に連れ戻された。
番人はオテコマさえ殺してしまえば妻を自分のものに出来るだろうと悪だくみを繰り返したが、その度に妻に知られ難を逃れた。しかし、いよいよ危険がせまり、皆で逃げるべく先にオテコマを逃がした。それが番人に知られ、逃げようと何度も試みる妻にひどいけがを負わせ、それがもとで妻は死んでしまった。
妻と娘を残して逃走したオテコマはいくら待っても妻が来ないのでひとり先に有珠の方へと行き、山々を住みかとして猟をしつつ命をつないだ。5年ほどたったある日、ふとした会話から自分のことがばれて、石狩の漁場に伝わってしまった。石狩では彼をそのままにして自分たちの非道なことがばれては困ると彼を探し出し、ウエンベツに行かせ、娘を人質として漁場に置き、そこの支配人に妾にして家には一切帰さなかった。
オテコマはその仕打ちを大いに怒り、またしてもそこを立ち退いて、名寄に行って小屋を作り、娘の解放されるのを待っていた。ところが、一行に戻されない。そればかりか風の便りに聞けば支配人はチキランケが年寄りになったので飽きがきて、他に三人の若いアイヌを妾にしたという。オテコマは彼のますますの悪事をひどく憎み、もはやこのようなところに生きている甲斐がないとウエンベツ川に身を投げようとしたところ、当時の養子が見つけて思いとどまらせたという。


「アイヌ人物誌」には、このような話がいくつも記されているのです。
明治になると国が政策としてアイヌ民族を困窮へと陥れます。(08年1月30日blog参照)
昨年の6月6日に衆参両議院にて全会一致で可決された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」の2段落目にはこうあります。
「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない。」
「法的には等しく」というのは間違い(ゴマカシ?)ですね。「近代化する」前からも、その後も、「等しく」ありません。
現在、アイヌ民族は自らの権利回復のために声を上げています。
アイヌ民族を含めたわたしたち草の根市民のグループ「ニサッタ」でも、有識者懇談会へ向けて提言(少なくともこれぐらいの権利をアイヌ民族に回復=元に戻すよう国に要請してください、という提言)をまとめました。現在、賛同者を求めています。
昨日の北海道新聞にも記事になりましたが、以下のわたし達の情報blogに詳しく書きましたので、ご覧頂き、ご賛同くださる方はわたし宛、ないし申込用のアドレスにレスを頂ければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive/

提言そのものもメールにてお送り出来ます(A4で8頁)のでご希望の方はメール下さい。

窓の外は深々と雪が降り続けています。札幌の雪祭りが今日から開幕ですね。
今日は大事な会合が突然に入り、札幌へ往復します。
明後日は名寄の道北センターで三愛塾があり、1時間ほどアイヌ民族の権利について話す機会を与えられましたので行ってきます。翌々日はその足で旭川の雪まつりで川村カ子トアイヌ記念館の川村さんたちが民族舞踊を踊られるので見学してきます。




松浦武四郎が1859年に書いた絵です。三愛塾でパワーポイントを使って「アイヌ人物誌」と共に紹介しようと思います。多気志楼「蝦夷漫画」(国書刊行会)
楽器の紹介頁ですが、「チレカレツ」というのを吹いています。聞いたことがないのですが、エゾニューでしょうか?

昨日は事務や調べ物をしていましたが、途中で免許証の入った財布がないことに気がつき、あわてて家中を探しました。三時間ほど掃除しながら探し続け、やっと発見!
大切なものをどこに置いたかも忘れてしまうほど忙しくしていることを反省しました。気をつけます。


松浦武四郎の「アイヌ人物誌」から

2009-02-03 17:03:35 | インポート
松浦武四郎の「アイヌ人物誌」(平凡社ライブラリー)の一部を簡単に紹介します。

モレウシという女性は当時28歳。日本海沿岸の天塩川の上流、名寄の中内淵(ナイプト)に住んでいました。当時の名寄は交易所(天塩でしょうか)から舟で10日もかかるほど(約320キロ)離れていたので、米などを手に入れるには大変苦労していました。
ところが、お連れ合いのシケロクが8年ほど前から病気になった。そのために10日もかかる道のりを、ただ一人小舟に棹さして、日頃編んでためたアツシ(オヒョウ楡の内皮で作った着物)などを交易所に運び、薬と交換しては持ち帰って彼に飲ませたそうです。
また、肉食ばかりでは病気によくないだろうと、終始山に入っては山菜を採って与えたそうな。懸命に看病して早7年、シケロクは体が腐りかけて用足しもひとりでは出来なくなったほど弱ったけれど、モレウシは文句ひとつも言わずに、まごころこめて看病したそうです。
武四郎さんが訪ねた年の春、モレウシはいつものように山に山菜を採りに行ったところ、大きなヒグマ2頭が子熊2頭を遊ばせているところに遭遇!親熊は子熊を守るためにひと吠えしてつかみかかってきた。彼女は少しも慌てずに腰の小刀を抜いて、つかんできた手を刺し、難を逃れます。さらに持っていた棒で威嚇して親熊が逃げたところで子熊2頭を捕まえて家に持ち帰ったというお話。
 たいへん勇敢な女性ですね。

これからいくつか紹介しつつ、アイヌ民族が当時おかれた状況も紹介していきます。

今日も旭川にて美馬牛福音教会の会堂建築に伴う委員会があり、これから旭川に向います。
一日、教会事務や美馬牛の資料を作っていました。 
6日に行なわれる道北三愛塾での話の準備ももっと進めたいのですが。
武四郎の書物の紹介も、この準備の一環です。

5日も急な会合で札幌へ日帰りします。今週は6日の準備に専念できると思ったのですが・・・
せっかくですから、北大の博物館で開催中の
「テエタシンリッ テクルコチ 先人の手あと 北大所蔵アイヌ資料―受けつぐ技―」も見ようと思います。