アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

嵐山のチセ作り始まる?

2009-03-23 09:22:13 | インポート
過日、二風谷の貝澤輝一さんが当センターに訪ねて来てくださいました。
なんでも留萌の知人を探しておられるとの事。いくつかの情報を頂いたので、出来るところから調べてみようと思っています。
わざわざお越し頂いたのに急なことゆえなんのおかまいも出来ず、大変、恐縮しました。
しかも、センター情報誌「ノヤ」の封筒を出し「名前が『照』と間違ってる」と。
本当に申し訳なかったです。

しかし、なんともいい感じの方です。あたたかさを感じました。
よく民宿二風谷荘を利用させて頂いていましたが、最近は研修に出かけても宿泊することがなかったので、またお訪ねしたくなりました。夕食はバーベキュー食べ放題なんですよ。
以前に民宿にお世話になったことを言いましたら「覚えてるよぉ。グループできてくれたしょ」と、話もはずみ、留萌のアイヌ民族のお話も伺うことが出来ました。実兄の萱野茂さんやそのお姉さんは留萌まで鰊漁の手伝いの出稼ぎに来られたそうです。
横顔がお兄さんに似てるなあ~と思って拝見していました。宮島牧師にも横顔や語調も似てる・・・



逃走たぬき


先日、川村カ子トアイヌ記念館をお訪ねした際、この5月頃から嵐山のチセを新築すると聞きました。旭川地方のチセは大量の笹を編みこんで作ります。四年前になるでしょうか、川村カ子トアイヌ記念館のチセ作りに数ヶ月参加し、貴重な体験をさせて頂きました。一緒に働くことで多くの方とお知り合いになりましたし、たくさんのお話を伺うことが出来ました。
ちょうどこの季節になると雪から顔を出した笹を見つけては、これはチセに使えるいい笹だと独り言をつぶやいています。新たなチセ作り楽しみです。
思えば、このような体験をさせていただけるなんて幸せですね。チセやチプ(舟)作りなど、したくてもそうそうできるものではありません。感謝 感謝
今回もみんなに声をかけて一緒に体験したいと思います。

先週から我が家の一員であるイヴ(ラブラドールレトリーバー)が老衰で動けなくなり、家族で看病しています。
こども達が数日帰宅し、久しぶりに家族全員揃ったところで、安心したかのように倒れました。
近所の動物病院の先生も心配して家まで往診に来てくださったりで助けられています。
27日から東京に出張ですが心配です。



名寄の帰りに見つけたまるまりキツネ(画像をクリックすると大きくなります)




Ainu Night Rhythmライブ

2009-03-20 04:34:22 | インポート
15日夜のAinu Night Rhythmライブは大感動でしたね。
ススキノの繁華街を歩き、ライヴ・ハウスacid roomに入りました。
南3条から南に行ったことなかったのでススキノ自体も初めて(あれだけ人が多いとは!)。
ビルがわからずうろうろしていたら、向こうから結城さんが来られ、時間内に無事に地下3階へ。ライヴ・ハウスも初体験。照明が暗いですね~。音はいいですが・・・。

トップバッターはTukkantamこと川上将史さん。平取町二風谷出身。
北大アイヌ・先住民研究センターの専任スタッフをされているので時々お会いしていましたが、アイヌ語のコミュニティーラジオ放送局「FMピパウシ」でMCを勤めたりもされています。
アイヌの口承文芸ユカラ(英雄伝)を、BGMに乗せてかっこよく聞かせてくれました。

二番手は帯広出身の豊川容子さん。
ご自身の作詞・作曲での歌もよかったですが、最初と最後にアカペラで歌った子守唄は鳥肌が立ちました。
一青窈に似たアジアン的エキゾチックな、北の歌姫って感じですね。
(すみません。この感動をどう表現したらいいか、言葉が見つかりません)

アイヌ・レヴルスも聴くたびにかっこよくなってきますね~。
この度、女性たちはみな口の周りの入墨をイメージしてお化粧し、踊りも歌も見事でした。

レブルスから誕生したヒップホップユニットUNIAも聴かせてくれましたよ~。
若者受けしますよ、これは。感心しました。

最後は、アイヌ・アート・プロジェクトの皆さん。おなじみの曲を元気よく歌ってくれました。
いやあ~、無理して行ってよかったです。

会場には若者が多かったですが、小さい子からご年配の方まで200名ほどが集まり、ライヴ・ハウスも満杯状態。
これからも応援したいです。


企画側の酒井直美さん(アイヌ・レブルス代表)のブログ日誌に写真や感想が書かれていますので紹介します。
http://blog.ainupride.com/

FMピパウシはこちらでインターネットでも聞けます
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/skayano/menu.html

豊川容子さんはアコースティックユニットziziを大阪で結成しボーカル担当。
2007年8月アルバム[door]リリース。ソロでも活動中。以下で視聴できます。
http://jp.cyworld.com/as/as_index.php?ah_id=7700000724

アイヌ・レヴルスはみなさんご存知でしょう。 
http://www.ainurebels.com/

アイヌ・アート・プロジェクトも。 
http://www.ainu.info/ainuartproject.html

以下のYou Tubeでアイヌ・アート・プロジェクトや、レヴルスの歌や話を観ることが出来ます
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=_PjPNPcfhtM
美直さんのアイヌ宣言もUPされていますよ。



事前にライヴ案内のメールを美直さんから頂いたので鮭トバをおみやげに持っていくよとレスして持参したら、
なんと東京のおみやげ「ごまたまご」を頂きました~ これまた美味かったです。感謝 感謝。



シャイなきつね


翌日の午前中は台湾基督長老教会で原住民族委員を勤められた牧師と情報交換。
午後は事務作業。そして夜は、ながくアイヌ民族委員をしてくださったメンバー二人の送別会。
たくさんの協力をしてくださったお二人で、ほんとうにお世話になりました。
感謝の思いが沸いてきて、焼き鳥屋で大泣きしてしまいました。 カッコわるっ! 感謝 感謝。


18日はジェフリー・メンセンディークさん率いる仙台学生センターの北海道ツアーの皆さんが旭川に来られました。
川村カ子トアイヌ記念館にお連れし、川村シンリツ・エオリパック・アイヌ館長からお話を伺いました。
その後、知里幸恵文学碑(車で通っただけ)、アイヌ墓地、旭川市博物館と周ってガイドをさせて頂きました。
若く真面目な好感のもてる学生さんたちでした。

20日の今日は名寄にて道北地区総会。
センター報告と共にアピールと書籍等の販売に行ってきます。


北大植物園のアイヌ民族資料

2009-03-15 07:19:53 | インポート
14日は北大博物館のイヴェント講演「北大植物園のアイヌ民族資料 -その歴史と特徴-」がありました。
講師の加藤克(北大北方生物圏フィールド科学センター 植物園・助教)さんは歴史学のご専門。
たいへん分かりやすく、またパワーポイントのつくり方がかっこよかったです。残念ながら字が細かかったり、配色がまぶし過ぎて見にくかったので、聴講者への手元には簡単なレジュメだけではなく、そのものを大きくして渡して頂けたらよかったですね。また、細かくここで紹介するにはテープを聞かなければならないので、大雑把に紹介します。

北大植物園・博物館には現在、2600点のアイヌ民族資料が所蔵されていますが、それらの資料の収集方法、位置づけの歴史が紹介されました。
植物園・博物館のアイヌ民族資料の収集活動は1871年にケプロンが博物館と図書館を作ることを提言したことがはじめ(どうして彼が必要性を提案したかは紹介されず)。
実際の収集は翌‘72年からウィーン万博出品のため、また開拓使の博物館用にと札幌や千歳から50点ほどを収集(これを仮に「第1期」とします)。
次に開拓使時代(第2期)には、国内勧業博覧会、北海道開拓促進の宣伝を目的に250点を収集。これらは「陳列品現在表」が残っており、コレクションヒストリーも分かっているそうです(実際に確認したいですね)。

1881年に東京開拓使博物場(当時は開拓使が東京にあった。08/7/27blogなど「開拓使」検索して参照ください)閉鎖と同時に、そこにあった73点はすべて函館博物館へ。他には上野にも送られたものがあるとの事。
開拓使が廃止され、札幌博物場は農商務省博物局管理下へ移されます。このころからアイヌ民族資料は商品としての「勧業」対象から外れて、北海道の「歴史」資料としての見方をされるようになります。その時代の収集数は約100点(第3期)。
1884年には札幌仮博物場が札幌農学校所属博物場に変わり、2年後に札幌時計台で有名な演武場内の標本室と統合されます(第4期)。この時期は関心の低い時代だったそうで、寄贈品のみ数十点の収集。

その後、1890年からアイヌ資料の位置づけが上昇し、八田三郎就任後、記録を重視する時代へ。さらに犬飼哲夫、名取武光による「資料収集」時代へと突入(第5期)。犬飼、名取両者は全道の古老に依頼し資料を作成してもらい、2000点あまりを収集。
その後は、それら所蔵資料を活かす時代へと入り、収集も限られたものとなり(第6期)、現在の2600点が揃った、というお話でした。

掘り下げていけば、いくつもの疑問が残りますが、それらは講師の加藤さんの論文「2008 北海道大学植物園所蔵アイヌ民族資料について:歴史的背景を中心に。『北大植物園研究紀要』4:1-54」※1と、三浦泰之の論文「2001 ウィーン万国博覧会と開拓使・北海道。『北海道開拓記念館研究紀要』29:117-206」※2を読みながら深めていこうと思います。

※1は以下の北大URLからPDFで落とせます(今からわたしも読みます)。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/34668
※2は調べ中。


さて、面白いなと思ったところをいくつか。
第1期のウィーン万博での収集目的はどうだったかということを加藤さんは、「『北海道』も国内であるという外国へのアピールだった」と指摘したこと。国の領土アピールとして利用したのですね。
第2期は、アイヌ民族を含めた「北海道」内の産物は大変豊かであることをアピールし、移住者を増やす(勧誘)するのが収集目的だった、と。なるほど。何を収集するかと博物館の目的は関連しているのですね~。
さらに第3期では農商務省は東京のものを北海道に入れることを推進した時代で、「勧業」目的がなくなり、収集も「歴史」を示す資料となったと。

15日はいよいよコンサート。明後日は当センターの事務作業とこの春に転勤する仲間の送別会を行ないます。ダウン気味なのにさらにさみしくなります。



カモメの群れが大移動することがあるのです。


大きくたら見えるでしょうか(画面をクリックしてください)


3月中下旬の予定

2009-03-13 18:21:20 | インポート
15日18時半から札幌にて若手のアイヌ民族のコンサートがあることを前回UPしましたが、チラシには松浦武四郎の絵が使われていましたね~。
http://hokkaisha.com/
正確には多気志楼「蝦夷漫画」(国書刊行会)。最下部にその頁をUPしておきます。


北海道大学総合博物館 第212回総合博物館セミナーが開催されます。前回に書いた北大植物園にあるアイヌ民族の諸資料の解説です。山崎さんらが行なった目録も利用されることでしょう。目録もじっくり見たいですね。特に、誰によってどういう方法で収集されたかの記述がなされているかをチェックしたいですね。

テーマ:「北大植物園のアイヌ民族資料 -その歴史と特徴-」
講 演:加藤克/KOTOU Masaru(北大北方生物圏フィールド科学センター 植物園・助教)
日 時:3月14日(土曜日)13時30分~15時00分
会 場:北海道大学総合博物館一階「知の交流コーナー」

http://museum-sv.museum.hokudai.ac.jp/databases/humandb/semihyouji3.php?renb=358.html

遺骨収集時の目録ないし、諸情報も必要でしょう。
北大には医学部「納骨堂」に現在も969体のアイヌ民族遺骨が納められています。この数年に帯広19体、釧路7体、旭川5体、三石1体、日高(紋別)支部3体が地元のウタリ協会支部が引き取り供養をおこなっています。これらの35体を加えた1004体が、古くは1934年から児玉作左衛門らによって収集されているのです。
北大に遺骨が納められているのは有名ですが、他の大学や博物館の遺骨を海外も含めて調べなおすことを行い、実態調査をするのがいいでしょうね。


さて、来週は仙台青年学生センターがジェフリー・メンセンディーク主事と共に来道し、
浦河べてるの家や名寄の道北センターを中心に農民との交流をされます。その中の一日、わたしもお手伝いさせて頂き、旭川にてアイヌ民族フィールド・ワークを開催します。楽しみです。

27日は久しぶりに上京し、アイヌ奨学金キリスト教協力会の事務作業に行きます。また「第1回 国際口琴フェスティバル in 東京」が27,28日に開催されているので行って一部参加したいです。
http://www.koukin.jp/ikft1flower/ikft1f-index.html


さらに、29日は午前中はどこかで礼拝を守り、午後は市民外交センター主催の「公開シンポジウム」に参加させて頂こうと考えています。蒼々たるメンバーの発題で、懇談会への大きな提言となるであろうこの集会は要チェックですね。東京の皆さんとお逢い出来るのを大変楽しみにしています。

テーマ:「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」に何を期待するか
     ~アイヌ民族のさまざまな声を届ける~
日 時:2009年3月29日(日)14:30-17:00
会 場:明治学院大学白金校舎 本館2階1201教室
登壇者:
阿部ユポ(北海道ウタリ協会副理事長)
丸子美記子(アイヌウタリ連絡会代表)
島崎直美(札幌ウポポ保存会事務局長)
川村兼一(旭川アイヌ協議会会長)
佐々木利和(国立民族学博物館教授・有識者懇談会メンバー)
上村英明(市民外交センター代表・恵泉女学園大学教授)/ほか

お問い合わせ:市民外交センター事務局(担当:塩原良和)
〒132-0033 東京都江戸川区東小松川3-35-13-204
FAX:03-5662-0906
Email: shiobarayoshikazu@hotmail.com




多気志楼「蝦夷漫画」(国書刊行会1859年)。
これらの貴重な資料を佐々木鉄男引退教師より年末に寄贈頂きました。
まだ整理が出来ていませんが、アイヌ民族関連の資料・諸書は千点近くになります。


今日は三男の中学校卒業式でした。今まで事前に校長や教育長に対し、日の丸・君が代を使用しないよう要望と質問を出してきましたが、この度はまったく何も出来ずの参加でした。
意思表示として「国家斉唱」の際は着席しようと考えていましたが、今回はなんと親全員が着席したまま、だれも歌わず音楽テープだけが流れただけという傑作な結果となりました。生徒の中にもわが子以外に自分の意思で座っていた子もいました。
今日は長男の卒業式と重なり、彼のアパートへ卒業祝いに出かけました。
わたしだけ留守番です。


『宣言』と文化遺産

2009-03-13 03:21:43 | インポート
11日夜はさっぽろ自由学校「遊」2008年度後期講座「先住民族の権利に関する国連宣言」(以下、『宣言』)を読む 最終回を聴講してきました。テーマは『宣言』と文化遺産。北海道大学アイヌ・先住民研究センターの山崎幸治さんのお話でした。

まずは「文化遺産」の定義について幸治苑・・・じゃなくて・・・広辞苑やユネスコ世界遺産条約(1972年)などを紹介しれくれました。ちなみに広辞苑(2008年)では以下の通り。
「将来の文化的発展のために継承されるべき過去の文化」

それらの中で、注目したのが2006年「先住民族の遺産保護のための指針案」E/CN.4/Sub.2/AC.4/2006/5(以下、『指針案』)。
これは95年のダエス人権小委員会議長報告をもとに横田洋三委員とサーミ議会が見直ししてきた最新版で、国連先住民族権利宣言と並行して作業がすすめられていたもの。
権利宣言はこれを参照して詳細に定義できると解釈する法学者がいるとのこと。

例えば『宣言』11条2
「国家は、その自由で事前の情報に基づく合意なしに、また彼/女らの法律、伝統および慣習に違反して奪取されたその文化的、知的、宗教的およびスピリチュアル(霊的、超自然的)な財産に関して、先住民族と連携して策定された効果的な仕組みを通じた、原状回復を含む救済を与える。」「市民外交センター仮訳2008年7月31日」
とありますが、それを『指針案』の「3.中核と特定の実質的原則」B.自由で事前のインフォームドコンセントの原則(Free,prior and informed consent)5,6では以下のように説明されています。

5.先住民族の自決権および土地・資源の管理から派生した文化遺産の所有、コントロールおよび管理の権利にしたがって、関係民族または個人の自由で事前のインフォームドコンセントを確保することを条件として、他者が遺産の要素にアクセスし、それを伝承し、利用し、展示しかつ管理するものとする。
6.国家はその法制度において同原則を履行することが求められ、特に国内法または同意を取得するための仕組みにおいて、関係する民族の関連した慣習法を尊重すること、合法性と透明性とを確保し、かつ遺産の要素に関連する民族、個人または利用を許可された者に負担をかけないことも求められる。(山崎幸治訳)


なるほど確かにより詳しくなっていますね。このように『宣言』を詳細に定義できるというのです。
『指針案』の原文は「E/CN.4/Sub.2/AC.4/2006/5」で検索すればPDFで入手できます。
『指針案』のF.補償と利益配分、G.保護の期間、など翻訳が略されていたので後日に訳して調べてみようと思います。


山崎さんは続けて、「文化遺産とその返還に関わる諸作業(物質文化資料の場合)」について、いくつかの諸課題を示し、アイヌ民族にとってもっともプラスになる方法が求められていると話されました。

アイヌ民族が日本の先住民族として認められたということは、民族としての文化遺産があり、それらを保護、返還、発展させるという先住民族側の権利と国の義務が生じるということで、それらが『宣言』11条、12条、13条、31条に記されています。

アイヌ民族の文化遺産には、基本的な収集情報(いつ誰によって、どのように、どんな理由で収集されたかというようなメモ)が付けられているようです。というか、それがないと「資料」としての価値がなくなると、小谷凱宣(名古屋大学名誉教授)さんが話されていました(しかし、実際は収集情報が付いているのはごくわずかということも。08/11/4 blog参照)。
それらの資料を「コレクションヒストリー」と言うことを今回学びましたが、その研究も求められているとのこと。確かに、「文化遺産」がどのように収集されたかは明らかにしていく必要があるでしょう。それらを早急に国の責任で調査し、返還への調整もすすめていく必要を感じます。

北海道大学の植物園に保管されているアイヌ民族「文化遺産」は数年かけて目録を作ったとのこと。それらにはコレクションヒストリーが明らかになっているのが多いそうです。
北海道大学総合博物館で開催されている「アイヌ文化展――テエタシンリッ テク ルコチ(先人の手あと)」の展示物の中に「北大植物園資料目録第6号 アイヌ民族資料目録」がありました。あらためて12日に見に行ったのですが・・・休館日でした・・・。今度、中身を確認しに行きたいと思います。同時に展示してあった「北海道内の主要アイヌ資料の再検討」(小谷凱宣他著)も興味ありますね。

以前にもご案内しましたが、3月20日(金)10:30~12:00に、小谷凱宣(名古屋大学名誉教授)の講演『博物館所蔵のアイヌ民族資料調査を振り返って― ハドソン川からエルベ川まで―』があります。

そうそう。
15日の18時半から札幌にてアイヌ・アート・プロジェクトやアイヌ・レブルスのコンサートがありますよ~。詳しくは以下のURLを! わたしも礼拝終えて駆けつけます。
http://hokkaisha.com/




最近、キタキツネを多く見かけます。二匹がじゃれあって車に向かってきたので慌ててハンドルを切り事故につながるところでした。さて、この子はキツネ?タヌキ?


「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就いて」

2009-03-04 20:30:03 | インポート
アイヌ政策を審議する「有識者懇談会」の五回目の会合(2月26日)の報告が27日付で北海道新聞、
そして、朝日・読売はURLにはUPされていませんでしたが道内欄に記事として掲載されていたことが後日わかりました。

朝日の記事には、有識者懇の「8月にまとめる答申の総論は、虐げられてきたアイヌ民族の歴史と
独自のアイヌ語を持つ民族だという点が柱になることがほぼ固まった」(27日朝刊14版25頁)とありました。

読売は北海道新聞と同じく「国としてアイヌ政策に取り組む統括機関を作らなければいけない」ことを取り上げていました
(27日朝刊14版27頁)。

さらに双方とも北海道新聞にはひと言も出ていなかった篠田謙一国立民族博物館・研究主幹の指摘を掲載。
人類学者が明治から昭和にかけてアイヌ民族の人たちの「意向を無視し、研究のためとして人骨が墓地から発掘された
歴史を説明」(読売)した、と。この方のヒアリングをしたということでしょうね。
有識者懇のURLをのぞいてもこの度の議事次第・資料はまだUPされていませんので後日に確認することとします。




オオワシが優雅に飛んでます。身近かでは迫力があるのですよ。翼を広げて2メートル以上なんですから。


アイヌ民族の遺骨収集に関しては、何度かここでも紹介させて頂きましたが、
植木哲也さん著「学問の暴力」(春風社)に詳しくまとめられています。
そこにも引用されていますが、児玉作左衛門著の
「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就いて」(『北海道帝国大学医学部解剖学室研究報告』第1号1936年)
を道立図書館まで行きコピーを入手しています。
これらのものは(確か)館内利用だけ認められているので図書館まで行かないことには確認が出来ないのが難点ですが。

それには児玉が遊楽部の遺骨発掘の際の場所(地図)、現場の状態、発掘経過、そして発掘数と男女の表(24頁)などが詳しく記されています。表によると発掘数は133.その内二つは骨が出てこなかったが太刀やマキリ、タシロなどの副葬品が置いてあった、と書いています。

他の墓からも耳輪、マレップ、飾玉などの副葬品が出土したことが記されています。
それらの「発掘により出土した副葬品名、並びに各の数」も記されています。
若干の写真も載っています。そのまま紹介しましょう(旧漢字は少し変えています。29~30頁)。

刀剣    31本
タシロ   32本
マレップ  48個
銛     32個
マキリ  100本(男57、女43)
煙管    48本 完全なるもの36(男15、女21)
耳輪    53個(男16、女37)耳輪を所持せる骨格は38体で男15、女33である
鍋     38個
鎌     58個
鉈     43本
飾玉   105個(男2体で10個、女36体で95個)
燧石    97個(男52、女45)
燧金    52個(男27、女24)
漆器破片  43体(男27、女16)に於て漆器破片を認めた。
其他のもの:骨器、雑魚針、弓、矢、矢筒、船釘、貝殻、稀に金製飾糸、鋏、鑢、外人の金属製釦 


たくさんの副葬品を取り出して持っていったのですね。その他のものを抜かしても780体にものぼります。
ちなみに、読みにくい漢字にふりがなつけておきま~す。

銛=もり、マキリ(小刀のこと)、鍋=なべ、鎌=かま(これぐらいは分かりますか)、鉈=なた、飾玉=かざりだま(タマサイのことでしょう)、燧石=ひつけいし、鋏=はさみ、鑢=やすり、釦=ボタン 




3月1日の礼拝後から教会の仕事も兼ねて昨日まで札幌でした。
2日の夜はニサッタの会合に出席しました。賛同者の集計と共に、今後の方向性について話し合いました。また提言に対する質問を受けての細かい真剣な議論もしました。後日に、可能でしたら詳しく紹介させて頂きます。
今週後半は、教会年報シャローム発送と、留萌の三教会(カトリック、聖公会、日本キリスト教団)合同の世界祈祷日の集いを行ない、パプア・ニューギニアの方たちのことを学び、祈ります。先住民族のことに関しても新たな情報を得たいと思います。
少々、疲れが溜まり、ダウン気味です。