毎日新聞 2011年6月25日地方版で「アイヌ政策会議報告書 『象徴空間』整備に期待」ニュースがUPされていました。
すこし、さかのぼって説明すると、09年12月に政府がアイヌ政策を検討する「アイヌ政策推進会議」を設置。翌10年1月にアイヌ政策推進会議が初会合。3月に政策推進会議の作業部会「民族共生の象徴となる空間」と「道外のアイヌ生活実態調査」が初会合し、これでまでに「象徴空間」は12回、「実態調査」は9回の会合を行っています。そして、この度の6月24日に両部会の報告とりまとめが提出されたのです。
詳しくは毎日を読んで頂くとして(http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20110625ddlk01010266000c.html)、
気になったところを引用します。
今後の課題は「慰霊施設」としてのアイヌ人骨の遺族への返還だ。遺骨は明治時代から北海道大を中心に、研究目的でアイヌの了承も得ずに収集され、全国で1500体にも及ぶとみられている。象徴空間の作業部会長を務めた佐々木利和・北大教授は「昔のことなので、遺族を探し出すだけでも難しい。見つからなかった場合、国がどのように慰霊していくかも大きな課題」と指摘している。
佐々木さんの発言には全く納得がいきません。
過去blog(「さまよえる遺骨たち」関連)に前述したように、北大の「遺族を探し出す」努力のひとかけらも感じられないからです。ご遺族の皆さんにご遺骨をお引き取り頂けるような努力を国や大学が行うべきなのではないでしょうか。そのためには、いつ、誰が、どこから、何を、どのくらい、どのようにして「発掘」して来たか、の徹底した調査と情報開示が必要でしょう。それを「昔のことなので・・・難しい」で済ますわけにはいかぬでしょう。それを許せば、さらなるアイヌ民族の「研究資料化」が実行されることになるのは目に見えています。この度の慰霊施設と研究施設が同じ場所に設置されるという構想はまさにそれでしょう。
WEB上では、遺骨問題と慰霊施設設置問題を扱っているのは他にありませんでした。道外アイヌ民族の生活実態調査に関するニュースはいくつかありましたので、後日、紹介したいと思います。
さて、北大解剖学教室の公式サイトなのでしょうか?UKさんから教えて頂きました。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~e20704/index.html
それによると、
昭和8年に、アイヌの医学的総合研究のために日本学術振興会学術部第八小委員会が永井潜東大教授を委員長として編成され、北大医学部の教授陣を主力として2年間にわたって調査が行われた。このとき山崎・児玉両教授が解剖学の部門を協同で担当した。この総合研究がきっかけとなって、その後、両講座の仕事の主力はアイヌ骨格の収集および人類学的研究に向けられた。この流れは昭和23年山崎教授の退官、同34年の児玉作左衛門教授の退官の後、伊藤昌一教授と松野正彦教授に引き継がれ、成果の多くは「北大解剖研究報告」に収録されている。
と、「功績」として記述されています。また、1004体の遺骨もアイヌ民族からの抗議があったことなど全く触れず、1984年に「アイヌ納骨堂に安置」し、それ以降、「学内職員による慰霊式、アイヌによる慰霊祭イチャルパが営まれている」と記述するのみ。
「北海道帝國大学医学部解剖学教室研究報告」(後に「北大解剖研究報告」となる?)の表紙は資料としてコピーしていますが、詳しい内容には目を通していません。理解可能かどうかは別として・・・、調べようと思います。
ところで、北大アイヌ納骨堂でのイチャルパは毎年参列させて頂いていますが(大学側の謝罪の一つもなし)、学内職員による慰霊式はどこでどのように行われているのでしょう。
昨日、「先住民族10年ニュース」に依頼され、北大開示文書研究会主催「さまよえる遺骨たち」シンポジウムの報告をまとめて投稿しました。一週間ほどでの依頼ゆえ完成して重荷が一気になくなり、こどもたちとも楽しく遊べました。ところが北大開示研の皆さんから重大な誤りの指摘が・・・。原稿で開催日時を6月ではなく4月と書いてしまっていた・・・。慌てて訂正メールを送りました。
今日はさっぽろ自由学校“遊”の講演を聴きにいきます。講師の山田伸一さんの「近代北海道とアイヌ民族ー狩猟規制と土地問題」を、読みたいなと思っていたのです。高価で、このところ思わぬ出費があり買えずにいます。
テーマ 「明治期におけるサケ漁規制とアイヌ民族」
講 師 山田 伸一(やまだ しんいち)さん
歴史研究者(北海道開拓記念館に勤務)
日時:6月28日(火)18:30~20:30
会場:さっぽろ自由学校「遊」
明治に入ると、サケを有用な資源と見た開拓使などの官庁が、道内の河川でサケ漁を規制、禁止しました。そこでアイヌ民族にどんな影響があったの か、文書資料から考えます。
http://sapporoyu.org/
富良野の「ニングル」 とても好きなところです。ディヴァンさんたちをお連れしました。
すこし、さかのぼって説明すると、09年12月に政府がアイヌ政策を検討する「アイヌ政策推進会議」を設置。翌10年1月にアイヌ政策推進会議が初会合。3月に政策推進会議の作業部会「民族共生の象徴となる空間」と「道外のアイヌ生活実態調査」が初会合し、これでまでに「象徴空間」は12回、「実態調査」は9回の会合を行っています。そして、この度の6月24日に両部会の報告とりまとめが提出されたのです。
詳しくは毎日を読んで頂くとして(http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20110625ddlk01010266000c.html)、
気になったところを引用します。
今後の課題は「慰霊施設」としてのアイヌ人骨の遺族への返還だ。遺骨は明治時代から北海道大を中心に、研究目的でアイヌの了承も得ずに収集され、全国で1500体にも及ぶとみられている。象徴空間の作業部会長を務めた佐々木利和・北大教授は「昔のことなので、遺族を探し出すだけでも難しい。見つからなかった場合、国がどのように慰霊していくかも大きな課題」と指摘している。
佐々木さんの発言には全く納得がいきません。
過去blog(「さまよえる遺骨たち」関連)に前述したように、北大の「遺族を探し出す」努力のひとかけらも感じられないからです。ご遺族の皆さんにご遺骨をお引き取り頂けるような努力を国や大学が行うべきなのではないでしょうか。そのためには、いつ、誰が、どこから、何を、どのくらい、どのようにして「発掘」して来たか、の徹底した調査と情報開示が必要でしょう。それを「昔のことなので・・・難しい」で済ますわけにはいかぬでしょう。それを許せば、さらなるアイヌ民族の「研究資料化」が実行されることになるのは目に見えています。この度の慰霊施設と研究施設が同じ場所に設置されるという構想はまさにそれでしょう。
WEB上では、遺骨問題と慰霊施設設置問題を扱っているのは他にありませんでした。道外アイヌ民族の生活実態調査に関するニュースはいくつかありましたので、後日、紹介したいと思います。
さて、北大解剖学教室の公式サイトなのでしょうか?UKさんから教えて頂きました。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~e20704/index.html
それによると、
昭和8年に、アイヌの医学的総合研究のために日本学術振興会学術部第八小委員会が永井潜東大教授を委員長として編成され、北大医学部の教授陣を主力として2年間にわたって調査が行われた。このとき山崎・児玉両教授が解剖学の部門を協同で担当した。この総合研究がきっかけとなって、その後、両講座の仕事の主力はアイヌ骨格の収集および人類学的研究に向けられた。この流れは昭和23年山崎教授の退官、同34年の児玉作左衛門教授の退官の後、伊藤昌一教授と松野正彦教授に引き継がれ、成果の多くは「北大解剖研究報告」に収録されている。
と、「功績」として記述されています。また、1004体の遺骨もアイヌ民族からの抗議があったことなど全く触れず、1984年に「アイヌ納骨堂に安置」し、それ以降、「学内職員による慰霊式、アイヌによる慰霊祭イチャルパが営まれている」と記述するのみ。
「北海道帝國大学医学部解剖学教室研究報告」(後に「北大解剖研究報告」となる?)の表紙は資料としてコピーしていますが、詳しい内容には目を通していません。理解可能かどうかは別として・・・、調べようと思います。
ところで、北大アイヌ納骨堂でのイチャルパは毎年参列させて頂いていますが(大学側の謝罪の一つもなし)、学内職員による慰霊式はどこでどのように行われているのでしょう。
昨日、「先住民族10年ニュース」に依頼され、北大開示文書研究会主催「さまよえる遺骨たち」シンポジウムの報告をまとめて投稿しました。一週間ほどでの依頼ゆえ完成して重荷が一気になくなり、こどもたちとも楽しく遊べました。ところが北大開示研の皆さんから重大な誤りの指摘が・・・。原稿で開催日時を6月ではなく4月と書いてしまっていた・・・。慌てて訂正メールを送りました。
今日はさっぽろ自由学校“遊”の講演を聴きにいきます。講師の山田伸一さんの「近代北海道とアイヌ民族ー狩猟規制と土地問題」を、読みたいなと思っていたのです。高価で、このところ思わぬ出費があり買えずにいます。
テーマ 「明治期におけるサケ漁規制とアイヌ民族」
講 師 山田 伸一(やまだ しんいち)さん
歴史研究者(北海道開拓記念館に勤務)
日時:6月28日(火)18:30~20:30
会場:さっぽろ自由学校「遊」
明治に入ると、サケを有用な資源と見た開拓使などの官庁が、道内の河川でサケ漁を規制、禁止しました。そこでアイヌ民族にどんな影響があったの か、文書資料から考えます。
http://sapporoyu.org/
富良野の「ニングル」 とても好きなところです。ディヴァンさんたちをお連れしました。