アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「アイヌ政策会議報告書」

2011-06-28 07:14:44 | インポート
毎日新聞 2011年6月25日地方版で「アイヌ政策会議報告書 『象徴空間』整備に期待」ニュースがUPされていました。

すこし、さかのぼって説明すると、09年12月に政府がアイヌ政策を検討する「アイヌ政策推進会議」を設置。翌10年1月にアイヌ政策推進会議が初会合。3月に政策推進会議の作業部会「民族共生の象徴となる空間」と「道外のアイヌ生活実態調査」が初会合し、これでまでに「象徴空間」は12回、「実態調査」は9回の会合を行っています。そして、この度の6月24日に両部会の報告とりまとめが提出されたのです。
詳しくは毎日を読んで頂くとして(http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20110625ddlk01010266000c.html)、
気になったところを引用します。

今後の課題は「慰霊施設」としてのアイヌ人骨の遺族への返還だ。遺骨は明治時代から北海道大を中心に、研究目的でアイヌの了承も得ずに収集され、全国で1500体にも及ぶとみられている。象徴空間の作業部会長を務めた佐々木利和・北大教授は「昔のことなので、遺族を探し出すだけでも難しい。見つからなかった場合、国がどのように慰霊していくかも大きな課題」と指摘している。

佐々木さんの発言には全く納得がいきません。
過去blog(「さまよえる遺骨たち」関連)に前述したように、北大の「遺族を探し出す」努力のひとかけらも感じられないからです。ご遺族の皆さんにご遺骨をお引き取り頂けるような努力を国や大学が行うべきなのではないでしょうか。そのためには、いつ、誰が、どこから、何を、どのくらい、どのようにして「発掘」して来たか、の徹底した調査と情報開示が必要でしょう。それを「昔のことなので・・・難しい」で済ますわけにはいかぬでしょう。それを許せば、さらなるアイヌ民族の「研究資料化」が実行されることになるのは目に見えています。この度の慰霊施設と研究施設が同じ場所に設置されるという構想はまさにそれでしょう。
WEB上では、遺骨問題と慰霊施設設置問題を扱っているのは他にありませんでした。道外アイヌ民族の生活実態調査に関するニュースはいくつかありましたので、後日、紹介したいと思います。


さて、北大解剖学教室の公式サイトなのでしょうか?UKさんから教えて頂きました。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~e20704/index.html
それによると、

昭和8年に、アイヌの医学的総合研究のために日本学術振興会学術部第八小委員会が永井潜東大教授を委員長として編成され、北大医学部の教授陣を主力として2年間にわたって調査が行われた。このとき山崎・児玉両教授が解剖学の部門を協同で担当した。この総合研究がきっかけとなって、その後、両講座の仕事の主力はアイヌ骨格の収集および人類学的研究に向けられた。この流れは昭和23年山崎教授の退官、同34年の児玉作左衛門教授の退官の後、伊藤昌一教授と松野正彦教授に引き継がれ、成果の多くは「北大解剖研究報告」に収録されている。

と、「功績」として記述されています。また、1004体の遺骨もアイヌ民族からの抗議があったことなど全く触れず、1984年に「アイヌ納骨堂に安置」し、それ以降、「学内職員による慰霊式、アイヌによる慰霊祭イチャルパが営まれている」と記述するのみ。
「北海道帝國大学医学部解剖学教室研究報告」(後に「北大解剖研究報告」となる?)の表紙は資料としてコピーしていますが、詳しい内容には目を通していません。理解可能かどうかは別として・・・、調べようと思います。
ところで、北大アイヌ納骨堂でのイチャルパは毎年参列させて頂いていますが(大学側の謝罪の一つもなし)、学内職員による慰霊式はどこでどのように行われているのでしょう。

昨日、「先住民族10年ニュース」に依頼され、北大開示文書研究会主催「さまよえる遺骨たち」シンポジウムの報告をまとめて投稿しました。一週間ほどでの依頼ゆえ完成して重荷が一気になくなり、こどもたちとも楽しく遊べました。ところが北大開示研の皆さんから重大な誤りの指摘が・・・。原稿で開催日時を6月ではなく4月と書いてしまっていた・・・。慌てて訂正メールを送りました。
今日はさっぽろ自由学校“遊”の講演を聴きにいきます。講師の山田伸一さんの「近代北海道とアイヌ民族ー狩猟規制と土地問題」を、読みたいなと思っていたのです。高価で、このところ思わぬ出費があり買えずにいます。

テーマ 「明治期におけるサケ漁規制とアイヌ民族」
講 師 山田 伸一(やまだ しんいち)さん
      歴史研究者(北海道開拓記念館に勤務)
日時:6月28日(火)18:30~20:30
会場:さっぽろ自由学校「遊」
 明治に入ると、サケを有用な資源と見た開拓使などの官庁が、道内の河川でサケ漁を規制、禁止しました。そこでアイヌ民族にどんな影響があったの か、文書資料から考えます。
http://sapporoyu.org/



富良野の「ニングル」 とても好きなところです。ディヴァンさんたちをお連れしました。


「北大医学部解剖学教室におけるアイヌの形質人類学的研究」

2011-06-24 12:55:16 | インポート
「北大百年史 通説」(北海道大学編)の伊藤昌一「北大医学部解剖学教室におけるアイヌの形質人類学的研究」によると北海道帝国大学医学部の解剖教室の発足は1922年。山崎春雄、平光吾一両教授によってアイヌ民族の人類学的研究が行われたとあります。

「1925,6年ころから山崎は岡田正夫助教授とともに、おもに日高の平取村を中心としてアイヌの骨格資料の調査をはじめた」(P.952)。

その段階からアイヌ人骨は北大の学者らによって集められていたことが分かります。
その後、平光が九州帝国大学に移動、後任として1928年に児玉作左衛門教授が赴任し形態学的研究に着手します。
1933年には日本学術振興会の学術部に「アイヌの医学的研究」を行う目的で第八小委員会が設けられました。アイヌ民族の「医学的調査は我が国医学会の急務の一つと考えられた」(P.953)
と説明されています。

さらに、「(3)アイヌ頭蓋の地方別調査」の説明にはこう記しています。
「第八委員会の研究の一つとして行った解剖学教室の調査の資料は、牧草地、海岸の魚干場、地ならしなどの工事現場、崖くずれ等で土中から出てくる人骨がおもであった。」

実際に「発掘」した児玉作左衛門の論文「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就て」(1936)にも「現在の共同墓地とは関係のない、個人の所有地であるところの牧場及び八雲町有の雑種地から発見」(P3)とあり、「墓地」からではなく、「遺跡」から発掘したと書かれています。

しかし、この言い分については植木哲也(苫小牧駒沢大教授)さんの「学問の暴力」(春風社)第5章四「発掘の論理のほころび」(P210ff)に反論が書かれています。


ランコ(かつら)の葉。博物館周囲にて撮影。ハート型でとてもかわいいです。


平取町立二風谷アイヌ文化博物館の周囲には、アイヌ民族が生活民具や食用に使いた草木を植え、小さな解説を付けています。たとえば、和名の「イチイ」(オンコ・アララギ)は、

アイヌ名  クネニ(ラルマニ)
用 途   染料(赤色)/果実は薬用
利用民具 ク(弓)、カリンバウンク(桜の皮を巻いた弓)、シノッポンク(こども用の小弓)、クワリ(仕掛け弓)

アイヌ語のクネニは、ク=弓・ネ=~になる・ニ=木、つまり弓になる木という意味。弾力があるので弓に用いられました。仕掛け弓として長い間弦を張った状態のままにしておいても緩みません。秋に赤く熟す果実は食べることが出来ます。糖尿病・腎臓病・高血圧などに効くと言われています。種子は有毒です。


と、分かりやすく身近に感じられる説明がされているのです。
小さい頃に山に入っては弓を作ったり、槍を作ったりしましたが、この知識があればもっと立派な弓が出来たのにと残念でなりません。いや、今からでも遅くない!こどもたちと山に行くときに作ってみましょう。
赤い実もよく食べました。甘くて粘りがあり、少々松ヤニの苦味がしますが美味しいです。確か、種ごと丸呑みしたような記憶が・・・

他の草木にもためになる説明が書かれています。博物館にこれらをまとめた資料はないのか聞きましたが、ないとのこと。9月の敬和学園の研修会に向けて、これらをクイズ形式にしてプリントをつくり、回って学んでもらおうと写真をいくつも撮ってきました。
時間を見つけてみなさんもチェックしてみてください。

今日(24日)はこれからWIN AINUの学習会に参加します。25日はディヴァン宣教師(台湾キリスト長老教会)の妹さんやお母様が来られているので富良野や旭川のアイヌ民族フィールドワークにお連れする予定です。ブヌン民族のこともたくさん伺おうと思います。


いつもオオウバユリの根(トゥレップ)を採りに来る山道。毎年、一番粉を2~3キロとるのですが、今年は被災地ボランティアに出かけたため時期を逃しました。


「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」総会があったそうな!

2011-06-20 19:26:12 | インポート
浅野貴博衆議院議員(大地)のblogに「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」総会の報告が掲載されていました。

総会には福島瑞穂社民党党首、紙智子議員(共産党)、今津寛議員(自民)、鳩山由紀夫会長、平野博文幹事長と、各党会派の議員が出席し、主に
「①昨年12月に場所として北海道白老町が内定した、「民族共生の象徴となる空間」の早期建設。
②道外アイヌの方々の生活実態調査を踏まえた政策の展開」

を取り上げて議論したとのこと。
また、加藤忠アイヌ協会理事長が陪席し、「大変残酷な、しかし我々が決して目を背けてはならないこと」(浅野blog)を話されたと、アイヌ民族の遺骨収集についての話を紹介しています。

加藤理事長は、和人の研究者が収集した「その多くは、勝手に持ち去ったり、ひどい事例になると、遺族の反対を押し切り、無理やり墓を掘り起したこともあった」(浅野blog)
「ここにいる皆さんは、誰でも先祖がいて、今の自分があると考えていると思います。しかし、我々の祖先の多くは、そんな扱いを受けているのです。どうか先祖の名誉、尊厳を返してください。それをしないと、北海道の発展はないと思う。」(浅野blog)
と、涙を流して声を詰まらせながら訴えられたようです。

それを受けて、浅野さんは「盗掘」した遺骨がどこにあるのか、「議連の力、政治の責任でプッシュしていけば良い」と言っておられます。是非ぜひ、やっていただきたい!!
今の時点で国が(北大が)動いていないこと事態がおかしいことなのですから。
http://ameblo.jp/asanotakahiro/entry-10925181544.html

早速、わたしたち研究会のメンバーから、そちらのブログに当研究会のシンポジウムのことやわたし達の働きをお伝えし、協力を請いました。
福島瑞穂(社民)、紙智子議員(共産)、今津寛議員(自民)、鳩山由紀夫、平野博文(民主)らにも、なんらかの連絡を取ろうと思います。



ヌプリコロカムイノミの祭壇

土曜の夜に、フランス人のAくんと福井のスーさんが泊めてくれないかと会堂に転がり込んできました。Aくんは4月から九州より(なぜ沖縄からでなかったかは聞けずじまいだった・・・)ずっと歩いて来たらしい。スーさんは福井で彼と出会って同行したとの事。宗谷まであと200キロ。安全を祈ります。

さて、翌日の日曜にはなんと、アイヌ長老会議長の小川隆吉さん、そしてお連れ合いの早苗さんがわざわざ礼拝に来てくださいました。運転してきてくれたのは最近、札幌の大学に通いだし、いろんな所でお会いするようになったKさん。うれしかったです。
アイヌ文様の服に包まれたみなさんは礼拝をひときわ華やかにしてくださいました。感謝。

礼拝後の食事を囲みながらの「祈りの交わり」にも残って下さり、毎週みんなで行う“今日の気分と体調、この一週間にあったことで辛かったこととうれしかったこと”を一緒に語り傾聴しあいました。
(隆吉さんは札幌~留萌間の遠さを実感されたようです。)

Aさんとスーさんも最後まで残り、大変、にぎやかなひと時でした。

明日は地域の太子祭があるので、恒例のフリーマーケットを開催します。収益は東日本大震災、そして、海外医療協力に送ります。今日は値段付けにこども達が協力してくれました。
もちろん、フリマ会場設定したところでも遊びました。決めたものを色々なところに工夫して隠し、それを探し出す「宝探しゲーム」。わたしは審判役で、隠すほうも探すほうも見ているのですが、ほんとうにこどもの発送に感心します。



馬の親子(二風谷にて)


樺太移住殉難者墓前祭とヌプリコロカムイノミ

2011-06-19 19:47:07 | インポート
昨日、今日の報告です。被災地にまた長男が行く準備で札幌に行き、その足でアイヌ文化普及啓発DVD「イランカラプテ」(プは小さい)を借りにアイヌ文化振興・推進機構に行きました。推進機構は土曜日休みなのですね。幸いに人がいて、快く貸し出してくださいました。感謝。

数年前に作られたものですが、今回、やっと観る事ができました。32分でアイヌ民族の紹介がされています。宇梶剛士さんのナレーションで日本の国籍を持っているアイヌ民族(母親がアイヌ民族)だと自己紹介。
アイヌ・アート・プロジェクトや旭川アイヌ語教室のこどもたち、OKIなど、よくお会いしている方たちが紹介されていました。今を生きるアイヌ民族が前面に出されていていい内容でした。
推進機構ではいつでも貸し出しをしてくれています。下記のURLを参照。
http://www.frpac.or.jp/ser/dvd.html
今年の敬和学園高校の修養会、そして、キリスト教独立学園の修学旅行でも用いさせて頂こうと思います。

ひとつ気になる下りがありました。
アツシ(おひょうの木の内皮)織りの解説です。自然と共生し自然の恩恵を受けて生きてきたアイヌは自然を大切にし、その恵みに感謝することを忘れなかった。材料を採りに行くときには神々に祈ってから行き、皮をはぐのもその時に必要な分だけだった。地域によって皮はぎは木の一部だけで採集した後に残った樹皮が落ちないように木の皮を帯のようにして巻いて縛り、感謝の祈りを献げた、と。
実は、この伝統を継承したくとも出来ないのだと二風谷の皆さんがわたしに教えてくださったことがあります。皮の一部だけでいいというのに、林野省からだったか(後日に確認します)、一部ではなくて一本を払い下げなければならないから切って持って行けと言われるのだそうです。皆さんは「いやなんだけど」と言っておられるのを何度か伺いました。また、このように木が切られてしまうためにどんどんとおひょうの木が無くなっていると嘆いておられました。この矛盾をどうにか変えてほしいものです。



午後は、対雁(江別)にて樺太移住殉難者墓前祭に参列しました。小雨の振る中でしたが40人ほどが集まったでしょうか。最後のみんなでの輪踊りにて藤村久和さんの樺太アイヌの歌をご披露いただき、さらに北原次郎太さんがかぶせるように歌を入れるという即興に感動!!

ここでも、少々気になることをひと言。
「世界先住民族サミットinあいち2010」の、「樺太アイヌ協会」の田澤守さんのお話しの中で「カラフトアイヌ」の呼称について田澤さんは自称「エンチュウ」だと主張されていました。近代日本はロシアに対して樺太島を日本領にするために「エンチュウ」を「アイヌ」の一部として「カラフトアイヌ」と呼称したのであって、実際は「アイヌ」の一部ではない、と。そういう主張から「エンチュウ」呼称をもっと前面に出していいように思います。
(過去blog参照: http://pub.ne.jp/ORORON/?daily_id=20101023)


慰霊祭終了後、旭川を超えて大雪山旭岳のヌプリコロカムイノミに参列しました。毎年、この時期に登山者の安全を祈るカムイノミが行われていることは知っていましたが、いつも樺太移住殉難者墓前祭と重なり、土曜日の夜のため行けずにいましたが、今回は旭岳のネイチャー隊(正式名を忘れた)に友人のYさんが来られたので、思い切って行ってみました。
山を登るときは辺りが薄暗くなり、あまり車も通らない中、そんなに人が集まるのだろうかと不安でしたが、野営場についてびっくり。400人ほどがすでにいるではありませんか。旭川チカップニアイヌ民族文化保存会の皆さんと合流し、川村さんからカムイノミ参加要請がありましたが、今回はOKIをふくめたたくさんの方が来られていたので、写真係に徹しました。



最後の輪踊りは大きなキャンプファイヤーをぐるりと400人総勢で踊りました。びっくり仰天!
今日は今日でとてもうれしいことがいくつかありました! 明日にUPします。


生体実験はなかったのか?

2011-06-18 07:41:11 | インポート
わたしたちのキリスト教団北海教区が年に数回発行する北海教区通信に当センターのHPや活動blogの紹介を載せました。皆さんに読んで頂けたら幸いです。

先日の二風谷訪問の際に高野民芸に寄って、テクコクペを買いました。
牧師仲間のベビーブームで四件に送付しました。こどもたちの成長をお祈りします。
「萱野茂著「アイヌの民具」より抜粋」として、解説が付いていました。加えて制作時の儀礼についても説明がありましたので紹介します。

赤ん坊が自分の手をしゃぶるようになると、父親はこのテクコクペ(おしゃぶり)を作って与えます。細い紐で二つを結び、赤ん坊の手首に軽くゆわえておくところから、テク=手、コク=付く、ペ=ものと名づけられたものです。
「テクコクペはアイヌ語でケネ(血になる木)と呼ばれるはんの木を削って作ります。ケネというのはケム=血、ネ=なる、がなまったもので、この木の皮を煎じて、出産したあとの産婦に増血剤として飲ませたり、また腹痛を起こしたときには、その煎じたものを飲ませると痛みを止めることができます。アイヌは血になり薬になる木を選んで赤ん坊の玩具を作ったのです。低抗力のない赤ん坊が、薬になる木で作ったおしやぶりをなめたりかじったりすることによって、元気に成長してくれるようにという願いがこめられているのです。直径三~四センチのはんの木を八センチくらいの長さに切り、両端ニセンチくらいは皮をつけたまま残し、まん中は赤ん坊が握りやすいように細く削ります。やわらかな赤ん坊の手にささくれがささったりすることのないように、良く切れる刃物で丹念に削って与えます。

制作時の作法(儀礼)
このおしゃぶりを製作する時にすることがあります。
まず、身も心も清めます(カムイノミ)。火の神にお願いをし、山の神、水の神、樹木の神に祈ります。
大安吉日に素材の木を切りに行きます。
ここでまた樹木の神に干し魚、米、塩、酒を奉げて神に祈ります(カムイノミ)。
テクコクペを彫り上げたら感想と除菌を兼ねて電子レンジで水分を抜きます。
紐は白黒の木綿糸をひねります。
両端にアペフチカムイ(炉辺のおばあちゃん=火の神)御加護を頂きます(両端を火で焦がす)。


高野さんのHPに写真と説明あり 
 http://www.h5.dion.ne.jp/~swanwing/gallery4-15.html 
ウィキペディアにはハンノキの説明と絵があり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD

丁寧に祈りを込めて作り、民族の知恵を用いているのですね。



知里幸恵さんが好きだったエゾカンゾウの花
文学碑記念祭にお供えしました


ところで、北大開示文書研究会シンポジウムのパネルディスカッションの際に、代表の清水裕二さんがかつて自分も形質人類学の調査対象にされたことがあると告白されました。
学生当時にアイヌの子だけ居残りさせて、頭骨を計測されたり背中の体毛の量を調べられたりしたと!!
(詳しくは「さまよえる遺骨」blogにて近々ディスカッション内容をUPしていただきます)
 http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/

このような人体調査は清水さんの学校だけではなかったのではないでしょうか。記憶をたどって追求し、どのような研究者がどのような目的で調査をしたかを調べ上げる必要があるのではないかと思います。
清水さんの証言から、以前から引っかかっている事を思い出しました。「学問の暴力」(植木哲也著)に、
「児玉(作左衛門)は戦後、アイヌの脳に関する研究も行い、資料としてかなりの数の脳が解剖教室に保存されていた」(P.130)とあるのです。
その脳はどこから手に入れたのでしょう? 生体実験もあったのでは? 他の大学では脳の研究はなかったか? 

遺骨の問題も脳の問題も、国の責任として各大学や研究機関への調査をするべきだと考えます。
遺骨や脳は存在するかどうか。あるならばその数と保存状態はどうか。どこから持ってきたか。収集時の了解を得たか。了解を得られた場合の文章での証拠があるか。その際に国が関与したか(国の公式の認可があったか)。国が保持することを認めたか。どのような研究に用いられたか。その際に了解を得たか(公式文書があるか)。譲渡などしたか。金銭がからんでいないか。等々、真実を追究すべきではないでしょうか。

過去ブログにも掲載しましたが、2009年10月29日に文化庁の委託で北大アイヌ・先住民研究センターが委託を受けて「アイヌ文化に関する研究の推進・連携等体制構築の検討事業」に係る調査がなされました(10/3/23blog参照)。その際の調査対象の「出土文化財」の項目には、「人骨は除く」とありました。その後、別に調査をしたのか知人からは聞いていません。さらに、海外に出ていった人骨の調査は?もちろん、現時点の遺骨の把握だけではなく、入手経路やそれに問題性がなかったかなどの詳しい調査も必要だと思いますが。


留萌地方でも菜の花畑が多く見られるようになりました。
今日はこれから札幌でアイヌ文化普及啓発DVDを借りに行って、対雁のエンチュウ慰霊祭、大雪山のヌプリコロカムイノミに参列してきます。


「さまよえる遺骨」blogのご案内

2011-06-17 07:17:50 | インポート
「さまよえる遺骨」blogのご案内です。

http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/

すでにご紹介していますが、さる6月10日に北大開示文書研究会主催のシンポジウムを開催しました。100名近くの方が来てくださり、豊かな時間を過ごすことができました。
報告1としてアイヌ長老会議長の小川隆吉さんより、なぜ北大に対して開示請求をしたかを伺いました。報告2として少数民族懇談会副会長の城野口ユリさんより、ご自身のご先祖の墓荒らしについての訴えを伺いました。
講演として「学問の暴力」(春風社)の著者である植木哲也さんより「なぜ遺骨問題なのか??歴史的背景」を分かりやすくお話頂きました。
ふたつの報告は音声でblogにて視聴出来ます。植木さんの講演レジュメや開示された文章資料をPDFでダウンロードできます。
近くシンポジウムの内容もUPして頂けそうです。Hさんのご尽力で見やすく内容豊かなblogが出来ています。これも真実を知りたいという思い、そして、多くの方にこれらの問題を知って頂けるようにとの願いからのことです。これらの問題を無視して「民族共生の象徴となる空間」は作ってはいけないと個人的に考えています。


週末には下記のご案内を頂きました。

●第32回 対雁墓前祭
日時:6月18日(土) 午後2時~
場所:江別市対雁・江別市営墓地

●ヌプリコロカムイノミ
日時:6月18日(土)午後7時30分
会場:旭岳野営場
http://www.welcome-higashikawa.jp/info/?c=1&s=4973

●「流光の風をたどれ」
日時:6月18日(土)13:00~/18:00 ~ 19日(日)13:00~
会場:KAWAGUCHI ART FACTORY
出演:及川新平、るる、田村義明、弓野恵子、弓野正勝、島田あけみ、小笠原小夜、藤沢弥生、及川均
http://www.rr.iij4u.or.jp/~mokele/

●WIN-AINU学習会
日時:2011年6月24日(金) 18:30~20:30 
会場:札幌エルプラザ2階「環境研修室2」
講師:阿部健一氏 テーマ:『物でつなぐ人と人』
http://www.win-ainu.com/




6月4日に被災地から戻り、8日は第21回知里幸恵文学記念碑祭に参列。早朝に海岸に咲く野生のエゾカンゾウを100本ほど取って供花。川村さんの依頼で初めて儀式に参加。大変緊張しました。
10日は北大開示文書研究会シンポ「さまよえる遺骨」参加。15日に「さまよえる遺骨」採択の要望書を各所に送付。
13,14日は二風谷へ敬和学園3年研修(9月)のための下見協力に行きました。敬和の教師ら三名と一緒に、久々の二風谷荘宿泊で楽しい時間を持ちました。7月はじめにも山形の基督教独立学園高校3年の修学旅行の協力をするので楽しみにしています。
16日はNCC教育部「平和のきずな」献金趣意書作成・投稿。
他にもセンターとして、6月4日に休止していた浦河のんの学校再開式、ディヴァン宣教師の聖公会祈祷日での「台湾原住民族とアイヌ民族」関連説教など活動しました。



先住民族の10年News第172号に掲載されている手島武雅さんの「文化人類学会の『研究倫理見解』再訪―遺骨問題を年頭に―」がまだ読めていないことに焦りを感じています。
数ヶ月まえに北大を会場に開催された文化人類学会のシンポジウムに参加して感じた「モヤモヤした不快感」(過去blog2010/11/19)も、解かりそうな感じがするので、なるだけ早く読もうと思います。