アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ文化普及啓発セミナー

2017-04-24 10:02:30 | 日記

アイヌ文化振興・研究推進機構が毎年おこなっているアイヌ文化普及啓発セミナー。

わたしも何度も聞きにいき、よき学びをさせて頂いています。このBlogにも報告をのせていましたが、一昨年からだったでしょうか、録音を禁じられるようになりました。毎回、録音したテープを数回繰り返して確認し、内容をBlogに掲載していましたから、それができなくなりました。

また、下記のURLでセミナーの講演内容が過去には読む事が出来ました。しかし、今は、どういうわけか滞っています。かつては冊子にもなり自由に頂いていましたが、現在では「インターネットで観る事が出来るから配布をやめた」と言われ、手に入らなくなりました。しかも、インターネットでもすぐに見る事はできません(HPの見方が悪いのでしょうか)。「録音禁止」の説明も確か「いずれ冊子になるから」との理由だったと記憶しています(録音していないので不確か)。 

普及啓発促進事業

今までいい学びをさせて頂いていたので、少し残念です。より「普及啓発」に力を入れて頂けたらいいかと。

さて、昨年の話になりますが、さる7月26日〜8月9日のあいだに行われた今年度のアイヌ文化普及啓発セミナー。

7月28日は北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の落合研一という方の講演「先住民族は、何に『先住』していた『民族か』?」がありました。その内容が大問題であった事は、様々なグループが抗議や質問書を出しているので、このBlogの読者の皆さんもすでにご存知のことでしょう。

残念ながら、わたしは今回のセミナーを聞きに行くことが出来ませんでしたし、講演内容を先日に手に入れたばかりなので抗議行動に直接関わりませんでした。 

手元には2016年12月20日付で8団体4個人が連盟で出した抗議文があります。たいへん内容のあるもので、わたしなどさらに問題を指摘する必要も力量もありません。どこかのグループが公開しているのではと探しましたがまだ見つけていません。見つけ次第、お知らせします。この抗議文は落合氏のアイヌ民族をはずかしめる歴史の偽造と差別的な主張に対して抗議すると共に、四点について質問をし、1月15日までに文書回答することを求めましたが、落合氏からは何の返事もなかったようです。

北大開示文書研究会も遺骨返還に際して何度も北大に抗議や質問を出しましたが、一度も応答はありませんでした(やむなく裁判に持ち込み、和解成立)。

丸山博さんに従えば、国際的に問題にして、圧力をかけなければいけないのでしょうか。過去ブログ20161029参照。

落合氏の講演を読んで全体的に感じた事ですが、歴史的認識の欠如があり、憲法学(先住民族政策、先住民族の権利等)の学者と思えない発言がなされています。これらの疑問・質問(先の質問書)に対して、誠実に応答するべきではないでしょうか。うやむやにしていては、学者としての信用も損なわれます。

北海道大学アイヌ・先住民研究センターのメンバーでもあります。センターとしてもしっかりと対応すべきでは? このままだんまりを続けるのは学者として不誠実です。このままではいけないと思います。

昨年の2016年4月に設立された「アイヌ政策検討市民会議」のHPに、さる2月18日に行われた「歴史をねじ曲げて今、アイヌ民族政策が作られようとしている! 北海道大学アイヌ先住民研究センター落合研一准教授の講演に抗議する集会」で採択された集会アピールが掲載されています。ここで見ることができます。

落合氏の2014年に行われた講演記録がヒットしました。

「『民族共生の象徴となる空間』構想の憲法的意義」国際人権ひろばNo.108(201303)

「アイヌ民族の過去と現在」20140823福島文化センター講演

 


今朝の北海道新聞記事「アイヌ遺骨研究の是非は」 

2017-04-22 10:57:38 | 日記

今日も朝の6時ほどにRエカシからモーニングコールが入りました。今朝の北海道新聞の32面を早く見なさいとのこと。早速広げると、以下の記事がありました。

「アイヌ遺骨研究の是非は」社会的利益と民族の思い、調和課題 倫理検討委設置へ7月準備委

北海道新聞04/22 05:00

 北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会は21日、アイヌ民族の遺骨研究の適否を判断する「研究倫理検討委員会(仮称)」設置に向け、7月にも準備委員会を発足させる方針を明らかにした。遺骨研究を巡っては、研究者や関係者の間でも是非が分かれており、研究の社会的利益とアイヌ民族の思いをいかに調和させるかが今後の課題となる。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0392144.html

********** 引用、以上。

内容によると、アイヌ政策推進会議作業部会が4月21日にも開かれたようで(議事記録がなんと遅いこと・・・)、上記三者が、その作業部会で、遺骨研究のあり方をまとめた報告書を提示したとのこと。「過去に研究目的で遺骨を墓から収集した問題は研究者に反省を求め、遺骨をアイヌ民族側に返還することが研究に優先される基本方針を示した。その上で、遺骨などから得られる情報で「アイヌの時代性や地域性、独自性を明らかにすることができる」と研究の社会的利益を指摘」した、と。

はて、どのように「反省を求め」るのでしょうか。きちんと謝罪をさせるということ? それで過去の犯罪をなかったことにするということでしょうか。

研究対象外とすべき遺骨として《1》アイヌ民族側の同意を得られない《2》100年以内に埋葬された《3》収集の経緯が明確でない―ものなどを挙げた」とありますが、しかし、過去ブログにて指摘したように、原則的には研究対象外とするが、「アイヌも交えた検討と判断の結果」、研究可となることが過去の文章に書かれています。今回も同じように書かれているのであれば問題でしょう。

「遺骨からの DNA サンプル採取については、北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た。」紙面にも指摘されているように「発掘された地域のアイヌ民族からは「知らされていない。先祖の遺骨は土にかえってこそ安らかに眠ることができる」との反発」に対して、どう誠実に向き合うのかが問われています。

これも報道のみで正確な議事記録が出ていませんし、政府の発表もありませんから、これ以上の追求は控えます。

 

以前のブログでは写真のUP容量が少なかったため、過去ブログの写真をかなり消しました。文章よりも写真を見るのが楽しみという方もおられたので(~~;)、過去の写真を再アップします。


「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」道新記事より

2017-04-21 06:13:13 | 日記

昨日、新たな情報が北海道新聞からありました。

「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」(または先住民族関連ニュース

以前からお伝えしているように、2013年に文部科学省が出した 『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果』 には、アイヌ遺骨は全国12大学に個体ごとに特定できる1636体と、特定できない515箱あることが記されていました(*特定できない515箱の問題については過去ブログDNA鑑定で扱いました)。

この調査が不徹底だったために、文科省は各大学に再調査を求め、この度、全体で40体が増えたと言うのです。この調査結果もまだ開示されていませんので、紙面情報にのみ頼るしかありませんが、

新たに東京医科歯科大が遺骨8体を保管してることが判明。同大学によると、一昨年に歯学部の標本室でアイヌ民族と類推させる情報を記したカードとともに保管されていたのを発見。関連文献から初代学長が1932年以前に札幌市内の民間病院から貸与されたもので発掘地域は不明とのこと。

一昨年に「発見」

そんな馬鹿な話があるでしょうか。さらに紙面を少しわかりやすく比較しつつ検証してみましょう。はじめに大学名、そして、以下を記します。 

①2013年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

② 2017年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

③ 2013年と2017年の差

北大                  ①1027体(484箱)  ②1015体(367箱)  ③ -12体(-117箱)

札医大               ①251体(0箱)    ②294体(0箱)    ③ +43体(±0箱)

東京大               ①198体(6箱)     ②201体(6箱)   ③ +4体(±0箱)

京都大               ①94体(0箱)       ②87体(0箱)    ③ -7体(-±0箱)

大阪大               ①39体(2箱)     ②32体(1箱)    ③ -7体(-1箱)

東北大               ①20体(1箱)     ②20体(1箱)    ③ ±0体(-±0箱)

新潟大               ①0体(17箱)     ②16体(2箱)    ③ +16体(-15箱)

東京医科歯科大   ①0体(0箱)      ②8体(0箱)    ③ +8体(0箱)

大阪市立大         ①1体(0箱)      ②1体(箱)     ③ ±0体(±0箱)

南山大               ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(-±0箱)

岡山理科大         ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(±0箱)

天理大               ①0体(5箱)      ②0体(5箱)     ③ ±0体(±0箱)

金沢医科大         ①4体(0箱)      ②0体(0箱)     ③ -4体(±0箱)

ブログだと表が崩れて読みにくいですがお許しください。 

東大は前回調査の記載ミスで3体増。新潟大は箱を精査したところ16体を一体として特定(最初の報告がずさん)。札幌医大は、道内の遺跡調査で出土した遺骨を寄託されたことなどで43体増(この数年で寄託されたと言うことか?)。

一方、金沢医科大は再調査で4体ともアイヌ民族の遺骨ではないことなどが判明しゼロに。京大や大阪大も遺骨を精査した結果、7体ずつ減。

一体として特定できなかった遺骨を納めた箱は6大学で382箱あり、前回調査と比べ133箱減った。一体として特定された遺骨が増えたためという。

北大は遺骨返還訴訟が和解したことなどから12体減ったと書かれていましたが、過去にも書いたように、突如出てきたひと箱(中箱)に入っていた遺骨は、1体分かどうかは不明のはずなので、この報告で北大が1体分と数えることがおかしいのです。そう考えると、この数は全体的に不確定だと疑わざるを得ません。

(そもそも、個体として特定できない遺骨を納めた複数の箱にどれほどの方の遺骨が含まれているか不明なのですから)

過去ブログにて大学以外の施設でアイヌ人骨を『保管』していた13施設の名を北海道新聞(または こちら)の記事から挙げましたが、見落としているのか分かりませんが、政府としてまとめて報告しているのを見たことがありません。まとめてきちんと報告するべきでしょう。

 

故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の中に、萱野さんが当時、高額のテープレコーダーを購入したくだりがあります。

エカシやフチが語ってくれた録音を一方では集め、その一方ではレコーダー代やテープ代を稼ぐために観光地で働いた苦労話も記されています。そのような努力の末に、アイヌ語辞典や、ユーカラ集が編集されたのでしょう。

この度、【萱野茂のアイヌ神話集成】萱野茂没後10年記念企画 アイヌ語を贈るプロジェクトに申請し、『萱野茂のアイヌ神話集成』10巻セットを寄贈頂きました。全道の教会で活用して頂ければと、後日に案内をしようと思います(上記写真も同プロジェクトブログより)。

テンプレート(ブログの背景)がしっくりきていないと思いきや、やはり知人からクレームが来たので、再度、変えて見ました。夏までこれで行こうと思います。

どうもこのブログは編集しにくいです。行間がバラバラになってしまいます。また、PC版と携帯版があることも最近に知りました。読みにくいところもあるかと思いますがお許しください。

 


「平取のアイヌ民族とアイヌ研究の学者」

2017-04-20 06:00:31 | 日記

「わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。」

故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の一節です。

萱野さんが山の仕事から帰ってくる度に、家の中にあったアイヌ民具が次々と姿を消していた。それは、研究者たちが持って行ってしまうから。以前にご本人から直接に伺ったことがありましたが、学者たちは空のリュックサックでやってきて、帰りには中身をいっぱいにして帰って行ったとのこと。アイヌは自分の持ち物を褒められた際に、「これはここにいるのが飽きたと言っているから、持っていっていい」と言うんだ、それをいいことに学者たちは持ち帰り、研究材料とし、果ては、博物館などに高額で売るんだ、と。

「北大のK教授などにはずいぶんかみついた」とある“K教授”とは誰だったのでしょう?その人物は萱野茂さんの留守を見計らってやってきたようです。

著書には、「村の民具を持ち去る。神聖な墓を暴いて先祖の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいて見る・・・」とも。さらに、写真撮影もされたと。

このように、二風谷では研究の名のもとに民具の横取り、血液採取、身体検査、写真撮影、遺骨の盗掘が行われてきたのです。その「研究材料」はどのように扱われたかを当事者は了解されたのでしょうか?そして家族はご存知なのでしょうか?

 

前回、報告しましたが、さる、3月18日に、平取町・二風谷生活館にて「平取「アイヌ遺骨」を考える会」(木村二三夫・井澤敏朗共同代表)主催で『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』学習会がありました。

(この講演録はブログさまよえる遺骨たちに掲載されています)

参加者110名と盛会でしたが、4月16日に開かれた平取アイヌ協会定期総会でも遺骨問題は審議され、同町より持ち出されたアイヌ遺骨は「地元コタンに帰ることこそが『尊厳ある慰霊』だ」として、大学に返還を求めることを決めたことが、北海道新聞の地方版で報じられました。

 

アイヌ遺骨返還へ質問状

北海道新聞 地方(苫小牧・日高)版 2017年4月18日 朝刊

平取アイヌ協会は、町内から持ち出され大学に研究目的で保管されているアイヌ民族の遺骨について「地元コタンに帰ることこそが『尊厳ある慰霊』だ」として、大学に地元への返還、再埋葬を求めることを目指し、同協会内で検討を始めることを決めた。政府は地域への返還に応じる方針を打ち出しており、同協会は近く北大などに対して質問状を送る方向だ。

********引用、以上。

紙面では、木村英彦平取アイヌ協会会長が「仮に遺骨が地域に返還されても、大学や行政の責任が消えるわけではない。将来にわたり慰霊できる環境をつくりたい」と語られたことも記されていました。平取からは北大17体、札医大10体の計27体の遺骨が持ちさられています。発掘経緯が不明な遺骨の多い北大に①遺骨返還や慰霊施設整備の費用負担 ②返還後に地元で行う先祖供養への出席 について考えをただすべく質問状を送ることを決議したようです。

 

故萱野茂さんの著書『イヨマンテの花矢—続・アイヌの碑』(朝日新聞2005)の一節に、茂さんの祖母てかってさんが自分の大切にしていた宝物であるタマサイ(首飾り)を亡くなった知人の出棺まで貸していたところ、いざ出棺の時に遺体から取り外すのを忘れ、埋葬してしまった時の話が記されています。

「まもなく気づいたのですが、どうにもなりません。埋葬した遺体を掘り起こすことは、アイヌとしては絶対にできないことだからです。祖母は何日も何日も泣いて悲しんでいましたが、遺体を掘れば祟りがあると信じ切っているアイヌですから、泣き寝入りで終わるほかありませんでした」(P.13)。 

このように信じられていたのですから、遺骨を掘って研究材料に使うなどと言う事にアイヌが関わるわけがないと思うのです。質問状でその真実が明らかにされることを願います。

さる4月11日の日本経済新聞紙面で、北海道大などが保管している身元不明のアイヌ民族の遺骨について政府は、発掘された地域のアイヌ団体などに返還する方針を固めたことを報じました。これまで北海道白老町に新設する慰霊施設に集めるとしていましたが、昨年から札幌地裁で順次和解が成立し、地域の団体などに返還が決まったことを政府は踏まえ、方針を見直したとのこと。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H2I_R10C17A4000000/

しかし、これはまだ、報じられただけ。アイヌ政策推進会議内の政策推進作業部会の2月、3月に開催された会議の議事内容で詳細が明らかにされないので何とも言えません。しばらく待ちましょう(それにしては議事内容が出るのが遅いし、相変わらず誰が発言しているかが不明記。これではどう言う立場で発言しているかが分からない)。

 

昨年の春の写真(今年の留萌はまだ緑は出ていません。今日も雪がチラついています)

春のテンプレート(背景)がなかなかしっくりせず、変えてみました。字は今後も大きくします。


「浦幌からの盗掘されたアイヌ遺骨の返還裁判の和解成立」

2017-04-19 09:49:58 | 日記

浦幌アイヌ協会が原告となって浦幌町愛牛というところから北大が盗掘して持っていき、ずさんな「管理」をしていた遺骨についての返還に関する和解が3月22日に成立しました。

和解内容は大きく2つ。一つは、個人の特定ができない遺骨について、2017年6月1日以降、原告側が受け入れ準備が整い次第、返還するという内容。氏名が特定されない遺骨の数は63体(51+12)です。二つめは、氏名が特定可能な遺骨13体については、7月末日以降、北大がインターネットで公告をし、その結果、祭祀承継者が名乗り出ない場合には、こちら(原告)に来年以降、引き渡す。もし、祭祀承継者が名乗り出た場合は、こちら側・原告側と協議をする、という内容。

北大が2013年に出した「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(以下、『報告書』)には、愛牛地区からのは64体とあるので訴訟では64体の返還を求めていたのが、和解条項では12体が加わり、返還合計が76体となったのです。

この12体は発掘の目的、場所、日時も不明。前回の浦河町杵臼墓地への埋葬時もそうでしたが、このように遺骨の数が増えることは『報告書』 P.182にも書かれているのです。 

(注2)一覧には、部位の接合部分が欠けているため、一個体として特定できた人骨に整合できない人骨は含まれていない。一個体で一部位のみの場合、複数個体で同じ部位のみが集合している場合、二部位以上の複数個体が混在している場合は、照合調査が継続中である。 

要は、『報告書』は、調査途中であり、今回のようにまだまだ人骨は出てくるよ、と。以前にも指摘している通り、遺骨の管理がずさん過ぎて、骨がバラバラになってしまっているのが北大には484箱もあるのです。杵臼で急に増えた中箱一箱分もそれで、わたしも中を確認しましたが、大小さまざまな遺骨が収められていたものの、一人分か複数分かも、果ては、すでに一個体として数えあげられている頭骨の一部かもわからないのです。

北大側がわかるのはその遺骨の一部がどの地域から発掘したかだけのようです。研究材料として頭骨だけが欲しくて、他の遺骨も盗掘したものの、どうでもよかったので箱にまとめて突っ込んでいたということでしょう。ひどい話です。

そのような遺骨が484箱も(しかもどれほど大きい箱かも不明)あるのですから、返還の際に、次々と遺骨数は増えることでしょう。

和解後の記者会見の報告は「北大開示文書研究会」の浦幌事件をご覧ください。

浦幌での63体の遺骨返還の準備が進められています。今年は別に紋別での4体、そして、昨年から一年間、北大が告示していた4体中の返還を申し出なかった遺骨も加わります。

 

さる、3月18日に、平取町・二風谷生活館にて「平取「アイヌ遺骨」を考える会」(木村二三夫・井澤敏朗共同代表)主催で『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』学習会がありました。発題も豊かなもので、参加者110名と盛会でした。

この講演録は「北大開示文書研究会」のブログさまよえる遺骨たちに掲載されています。

その際、このブログで前回にご紹介した土橋芳美さんの著書『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』で記したペンリウク首長の頌徳碑を小川隆吉エカシと共に義経神社で見てきました。

ちょうど、著者の土橋さん、そして著書の推薦を書かれた花崎皐平さんらとお会いしました。

 

ブログの字を大きくし、テンプレートを春にしました。