アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

旭川アシリチェップノミ

2006-09-30 19:09:46 | インポート

今日は、少々チプつくりの手伝いをした後、旭川アシリチェップノミに行ってきました。<o:p></o:p>

石狩川にサケを呼び戻す活動を続けている「大雪と石狩の自然を守る会」(寺島一男代表)が主催し、30名ほどが集まって儀式を行い、その後、石狩鍋を囲んで交わりを持ちました。名誉な?ことに、「サケの回帰宣言」なる、今回の催しのまとめた宣言を読むようにとの川村館長のご指名があり、読ませて頂きました。

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準備の時に、川村館長が鮭の口にイナウを飾ったのでその意味を伺うと、「鮭が神の国に帰って、その飾りを周りに見せながら、石狩川に戻っていくとたくさんの料理が出て、丁寧にカムイノミをしてくれると宣伝してもらえる」と説明してくださいました。なるほど。みんなそれを聞いて石狩川を目指すようになるのですね。

 

先日、10月7日()に台湾原住民コンサートが開催されることを予告しましたが、先方の都合で、延期になりました。(詳細後日に。 楽しみですね~)


石狩川河口「樺太アイヌの碑」

2006-09-30 19:03:37 | インポート

昨日は石狩川河口へ豊川エカシを訪ねました。石狩アイヌの歴史や1876年に対雁(現在の江別)へ強制連行されたカラフトアイヌの人々が、徐々に石狩川河口の来札に居を移した話やその場所など伺いました(詳しくは「対雁の碑」参照)。<o:p></o:p>

その後、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>によって建てられた八幡墓地の「カラフトアイヌの碑」に行き、写真を撮ってきました。八幡墓地の奥にその碑は建っていますが、もともとこの一帯はカラフトアイヌがコレラなどで大量に死亡した際に埋葬していたところとのことです。明治20年代になり、石狩町の墓地と指定され、以後、周りに和人の墓地が増えて、カラフトアイヌの墓地を囲むような現在の形になったとのこと(豊川エカシ談)。<o:p></o:p>

 

1991年に樺太アイヌ史研究会(豊川重雄エカシ代表)は<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>(当時は石狩町)に遺骨の調査を要請し、93年、その一帯で見つかった人骨の近くから漆器や刀、ガラス玉などアイヌ民族の副葬品も出土しました。02年9月に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道石狩市;" Address="石狩市">石狩市</st1:MSNCTYST>は魂を慰める碑を建立したとのこと。碑文には樺太アイヌの歩みを記したうえ「こうした歴史の中で、ここ来札の地で樺太アイヌが暮らし、そして亡くなっていったことを碑に刻み、永く伝えていくものです」と刻まれています。


こたんまつり

2006-09-23 21:22:32 | インポート

今日は事前にご案内した旭川入口にある神居古譚で行われた「こたんまつり」に行ってきました。美唄教会の三輪牧師や、滝川二の坂伝道所の中田美歌牧師も来られ、<o:p></o:p>

商工会議所などによる実行委員会主催で、みなの安全を願ってカムイノミを行ったり、シケレペ・ラタシケプ(豆やかぼちゃにしころの実を入れたお菓子)とプシネプィ・ウセウ(ホオノキの実のお茶)を販売しました(ちょっとだけお手伝いしました^^;)。
 作年、このお祭りの関連で大きな問題がおきました。祭りの時に披露される
民族舞踏「クリムセ 弓の舞」を踊る川村シンリツ エオリパック アイヌさんと旭川チカップニアイヌ民族文化保存会(川村会長)の皆さんの写真が扶桑社「新しい教科書 公民」他2社の教科書に無断掲載されたのです。<o:p></o:p>

川村さんと保存会は各社に掲載取りやめと謝罪などを求める抗議文と「了解なく掲載したのはなぜか」など五項目の質問への文書回答を求め、旭川で話し合いの場を持つことを要請しました。川村さんは「写真は私が特定でき、家族も写っている。差別についての項目で使うなら、まず私たちの主張を聞くことが正しい道筋」と話しています。<o:p></o:p>

その後、いづれの出版社も誤りを認め、実際に使用される教科書からは写真を外すことに決定(扶桑社は時間がかかりましたが)。<o:p></o:p>

アイヌ民族の権利回復のためにまだまだ闘いがあります。わたしたちも連なっていきたいです。<o:p></o:p>

今日のシケレペ・ラタシケプはうまかったなぁ~。シケレペが甘かったです(木によって味が異なるとの事)。<o:p></o:p>

それと、ムックリ製作体験で、わが子(遙)が作った作品が、これまたいい音を出しました(親ばかではありません。ほんとうにいい音ですので、今度、演奏しましょう。チャンスがあったら)。

『アイヌ史資料集』人権侵害裁判の署名願い

2006-09-22 10:24:46 | インポート

昨日は一週間ぶりの旭川。<o:p></o:p>

まずは嵐山の農家にお寄りして、たくさんの野菜を頂いてきました。<o:p></o:p>

その後、資料配布のために関連教会を廻り、予定より30分遅れて川村カネトアイヌ記念館に到着。<o:p></o:p>

舟の表側はすでに30センチ以上、彫り下げられていて舟らしくなりました。今度は内側の側面をくりぬいていきます。

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竜谷高校の生徒さんが5時ごろに来たので、舟をひっくり返して船首、船尾を整えるべく掘り出しを始めました。このペースでいくと、チプサンケは秋に出来そうですね。

下の写真は舟底の部分を撮りました(おもての写真を撮り忘れました。残念・・・)<o:p></o:p>

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一昨日は館長の川村さんが原告となっている『アイヌ史資料集』人権侵害裁判の最高裁への署名協力を道内の諸教会・伝道所・関連団体に送りました。<o:p></o:p>

この裁判は、1980年2月に「文化人類学を専門分野とする研究者」が全7巻の「アイヌ史資料集」の一巻として、六分冊からなる「アイヌ史資料集 第三巻 医療・衛生編」を復刻・出版したことに端を発します。この図書は、アイヌ民族を『劣った』民族と決めつける記述がいたるところに存在し、文章全体が著しいアイヌ民族差別に満ちた内容となっています。しかも、分冊二「余市復命書」と、分冊五「あいぬ医事談」にはあわせて500人以上にもおよぶアイヌ民族の実名、地名、年齢、性別、職業、病名、治療経緯が一覧表記され、アイヌ民族に対するプライバシーを侵害するとともに、アイヌ民族は「衛生観念に劣る」、「梅毒」はアイヌ民族に「特有の」「特徴的な」病気と差別的、且つ事実と異なることが記されています。これらの図書を河野氏は編者として当然、復刻時点でなすべき評価、差別的表現に関する注記や注釈が付されるべきであるにもかかわらず、それらを怠り、そのまま復刻出版しています。<o:p></o:p>

 これに対し、北川しま子さんや川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんら数名のアイヌ民族の皆さんが河野氏に公開質問状を送りました。ところが再三の話し合いの申し込みを河野氏は無視し続けました。そのためアイヌ史資料集の人権侵害について河野氏に対する損害賠償請求裁判を起こし、1審、2審とも棄却され、現在、最高裁へ上告中です。<o:p></o:p>

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署名内容**********<o:p></o:p>

最高裁裁判所への共同署名<o:p></o:p>

私たちはアイヌ民族原告団の呼びかけとこれまでの取り組みを支持し、最高裁判所に以下の諸点を申し入れます。<o:p></o:p>

1.裁判所は、公判を開きアイヌ民族の原告の主張、訴えを直接聞くこと。<o:p></o:p>

.裁判所は、アイヌ民族、世界の先住諸民族の人権と権利回復の取り組みを知るためにジャーナリスト、国際法の学者などの証言を聞くこと。<o:p></o:p>

1.札幌高裁の判決を取り消し、『アイヌ史資料集』は、アイヌ民族の人権を侵害していると認め、人権と名誉を回復する判断を積極的に示すこと。<o:p></o:p>

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署名用紙がお手元にない方で、賛同いただける方は、E-mailで件名「賛同」とお書きくださり、お名前と住所を書いて送って下れば幸いです。家族でご賛同いただけたら家族全員のお名前もお願いします。<o:p></o:p>


豊平川 アシリチェップノミ

2006-09-19 08:07:38 | インポート

昨日は札幌豊平川西河川敷で行われたアシリチェップノミ(新しい鮭を迎える儀式)に行ってきました。<o:p></o:p>

あいにくの雨でしたが、江別教会の成田牧師(アイヌ民族委員会委員長)ご家族、厚別の安部牧師(センタースタッフ)ご家族、ディヴァン宣教師(台湾原住民族)とお友だち、そして、時々このブログを訪れてくださる佐藤さんとが集まりました。<o:p></o:p>

雨の中の儀式ははじめのわたしはどうなることかと心配でしたが、広場の真ん中に大きなテントを張って、その中での開催でした。他にもたくさんの方々が来られていたので、あちらこちらと動き回りながらの参加でした。<o:p></o:p>

 多くの人で儀式が見えない・・・<o:p></o:p>

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当日のパンフレットに以下の説明が掲載されていましたので紹介いたします。<o:p></o:p>

アシリチェップノミの第1回は、1982年9月15日敬老の日に、現在の会場より少し上流にある幌平橋の河川敷で行われました。<o:p></o:p>

当時は、鮭迎えの儀式を、札幌の中心部で行うことに反対する意見もありました。もともとアイヌ民族は、川筋にそってコタンを形成しており、本来ならば自然の残された川で厳かに行うべきという理由からです。<o:p></o:p>

 しかし、故結城庄司氏の「コンクリートジャングルのここ札幌にアイヌ民族が集結し、伝統行事を行うこと自体が、声高に叫ばなくとも鋭い刃物となる」との提唱に鼓舞されて、実行委員たちはあえて背後にビルの林立する河川敷を会場に選びました。また、市の中心部で儀式を行うことは、各地から訪れる同胞たちの交通の便や、宿泊施設を確保する上でも大変便利でした」(以下略)<o:p></o:p>

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今年も、全道の諸地域から多くのアイヌ民族の皆さんが集い、コンクリートジャングルのど真ん中でアイヌ語の祈りが響き渡り、厳かに儀式が行われました。

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今回は、事前準備の鮭漁のお手伝いにはいけませんでしたが、帰りに豊川エカシに「また、寄れ」と声をかけて頂いたので、贅沢にも「ペカンベ(菱の実)が食べたいんです」とお願いしました。すると「ペカンベなんか石狩にたっくさんある!」と。う・うれしい(涙)。<o:p></o:p>


初山別と天塩のアイヌ語

2006-09-14 17:14:41 | インポート

昨日は留萌から70キロ北上した<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:初山別村;" Address="初山別村">初山別村</st1:MSNCTYST>に家庭訪問に行ってきました。<o:p></o:p>

北海道は480,00のアイヌ語地名があるといわれていますが、初山別は資料によると<o:p></o:p>

 本名ソウサンベツと云よし。瀧落る川との義なり。澤目畑地に宜可と思はる。<o:p></o:p>

      [松浦武四郎著「西蝦夷日誌」(文久四年 1864年~)<o:p></o:p>

 sho-e-san-pet (滝が・そこで・流れ出ている・川)のようなかたちからか・・。<o:p></o:p>

        [北海道の地名―山田秀三]<o:p></o:p>

 とあります。<o:p></o:p>

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来週はさらに北の天塩の教会員(牧場)をお訪ねしますので、ついでに天塩も紹介します。

松浦武四郎天塩日誌では「テシは簗(やな)のこと。ウシは有との意なり」との説明がありました。簗とは魚をとる仕掛けの一つで、川に木・竹など並べて水を一か所に流すようにし、そこに来る魚を斜めに張った簀()などに受けて捕えるものです(う~ん、言葉での説明は難しいなあ。絵も書けないし・・・)<o:p></o:p>

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<o:p>     帰途に撮影(もうすぐ、ジュ~~ッっと音が出ます)</o:p>

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今日は聖公会の司祭(牧師)が、情報センターを訪ねて下さいました。聖公会宣教師のバチェラーのことや、アイヌ奨学金協力のこと、今後の展望など、お互い時間を忘れて(昼食も・・・)5時間ぶっとうしで話しました。<o:p></o:p>


竜谷高郷土部

2006-09-13 10:03:48 | インポート

昨日も旭川での会議にあわせて午後いっぱいチプ作りのお手伝いに行ってきました。センターフタッフの中田さんも応援に来られました。<o:p></o:p>

夕方からは竜谷高郷土部の生徒さんと先生が来られ、12日の北海道新聞道北版に記事が掲載されたことを聞きました。(新聞切抜きはありますが、HPには掲載されているか見つけられませんでした。もし見つかったらわたしたちのHPにUPします)<o:p></o:p>

竜谷高郷土部は毎年テーマを決めてアイヌ民族の文化や伝統を丁寧に調べ、実践も行っているようです。わたしも以前にアイヌ墓地のことを調べていたら彼ら彼女らの研究論文にたどり着き、勉強になりました。今回も、いい研究と作品が出来るといいですね。<o:p></o:p>

(ぼくもほんの少しだけ手伝わせてくださいね)<o:p></o:p>

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生徒さんたちの作業が徐々に早くなり、今回、行ってびっくり!ずいぶんと掘れていました。もちろん顧問の先生も頑張っておられます!<o:p></o:p>

この調子で行くとチプ・サンケ(舟おろしの儀式)も、冬前に出来そうですね。楽しみです。<o:p></o:p>

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<o:p> 舟らしくなったでしょ?</o:p>

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☆写真の手袋の親指につけているのはわたしの特製「親指打ち防止サック」! どうしてもトンカチで叩いてしまうのを防ぐためにスティック糊の入れ物をリサイクルしました。<o:p></o:p>

これ見てアイヌ伝統の道具だと思われたらどうしようとつぶやいたら、川村館長曰く、<o:p></o:p>

「マジックで表面にアイヌ文様を書いたらいい」と・・・・。<o:p></o:p>


秋の諸行事情報

2006-09-11 19:49:47 | インポート

ご案内です。<o:p></o:p>

9月18日(月・祝) 午後1時より アシリチェップノミ(新しい鮭を迎える儀式)が豊平川西河川敷(南7条大橋上流)にて開催されます。 (主催:実行委員会 他)<o:p></o:p>


アイヌ民族は鮭をカムイチェプ(神の魚)と呼び、冬の生活を支える大切な糧として、また、神々からの貴重な贈り物として漁をしていました。<o:p></o:p>

毎年秋には最初に上ってくる鮭を「新しい鮭」として迎え、神々に感謝して豊漁を願う「新しい鮭を迎える儀式」(アシリチェップノミ)を行ってきました。明治以来、狩猟を禁止され、長らく途絶えていたこの伝統儀式を、権利回復運動にかけるアイヌ民族有志の呼びかけで1982年に復活させ、今回で25回目を迎えます。<o:p></o:p>

アイヌ民族の皆さんとの豊かな出会いがあるこの会に、是非ご一緒しましょう。札幌近郊の方は、是非ともどうぞ!<o:p></o:p>


儀式の後に、それぞれのウタリ支部の皆さんの歌や踊りを見せて頂くことが出来ます。<o:p></o:p>

 参加費は500円ですがその中にパンフレット・昼食の鮭汁(チェプオハウ)、いなきびごはん代(アイヌ民族の食事も食べられます!)が含まれていますので昼食を兼ねて、お昼ぐらいにお集まり下さい。わたしも11時には到着しています。<o:p></o:p>

 



☆9月23日(土・休)  第49回 こたんまつり   (神居古譚 国道12号沿) 午前11時より 
参加費 無料 (出店多数あり)  商工会議所などによる実行委員会主催
毎年、旭川入口の神居古譚にて行われるお祭り。
みなの安全を願ってカムイノミを行ったり、シケレペ・ラタシケプ(豆やかぼちゃにしころの実を入れたお菓子)とプシネプィ・ウセウ(ホオノキの実のお茶)を販売します。

☆9月30日()  旭川 アシリチェップノミ  (<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="01:北海道旭川市;" Address="旭川市">旭川市</st1:MSNCTYST>石狩川秋月橋右岸広場) 午前10時より 
参加費無料 石狩川にサケを呼び戻す活動を続けている「大雪と石狩の自然を守る会」(寺島一男代表)主催。
昔の石狩川は清流でたくさんの鮭が遡上したようですが、近年旭川では見られなくなりました。同会は、1984年の春に、三千匹のサケの稚魚を放流して以来、20数年来放流を続けています。同時に、サケの溯上の障害になっていた取水堰の撤去運動にも取り組み、その結果魚道が設置されて、2000年頃から、旭川でも海から上ってきたサケが少数ながら確認されるようになったということです。旭川近郊の方はどうぞ。

☆10月 7日() 台湾原住民コンサート 川村カネトアイヌ記念館
  (詳細後日に。 楽しみですね~)

 

明日は会議にあわせて旭川へチプ作りに行ってきます<o:p></o:p>


北大「遺跡“保存”庭園」

2006-09-08 22:27:48 | インポート

昨日から教会関係の仕事で札幌にいました。<o:p></o:p>

今日のお昼に時間を見つけて、さる7月15日に開催した札幌アイヌ民族フィールドワークで訪ねた北大内「遺跡保存庭園」に、再調査で行ってきました。<o:p></o:p>

北大敷地内の東側にひっそりと保存している「遺跡庭園」という茂みの中には、36箇所の竪穴式住居跡があります(知らない方のほうが多いのでは?)。しかし、保存とは名ばかりの、なんの手入れもなく放置されたままです。さらに、庭園内のそれぞれの住居地跡には、以前には木で造った看板が立てられていたのに、北大生がキャンプファイヤーの薪にして燃やしてしまったとか・・・(小川談)<o:p></o:p>

今日、行ってみると、このふた月の間に強い風のせいでか看板が壊れたようですが、そのまま。<o:p></o:p>

フィールドワークの時に講師の小川隆吉エカシは、「北大のこの遺跡に対する扱いは“保存”ではなく、放置だ。」と怒りを込めて語られました。<o:p></o:p>

この看板の後ろ側から「庭園」に向けてサクシュコトニ川が通っていました(Sa-kushサ・クシュ(前を・通る)、kot-ne-iコトニ(くぼ地・になっている・もの)の意。「琴似」の漢字はアイヌ語とは全く関係がないのですね。)<o:p></o:p>

サクシュコトニ川は「保存庭園」を通り、その両岸を中心に多数の遺跡があり、多くは擦文時代のものと確認されています。36個の窪みは住居あるいは魚漁用の小屋と推定されます。<o:p></o:p>

別のところでは、テシ(ぶどうのつるなどや杭で川をふさいで、魚取りのための仕掛けを付ける)の跡も見つかりました(残念ながら壊した)。ここにもあったと考えるのが自然ですが、詳しい掘り起しはまだ行われていないとのことです。<o:p></o:p>

この写真の説明文には言いたいことがたくさんあるのですが、今後、おいおい語っていきたいと思います<o:p></o:p>

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チプ作り続きます

2006-09-04 21:17:33 | インポート

最近、疲れがひどく早めに休むので朝が早く、今朝も2時に起き、お昼まで教会関連のひと仕事を終え、午後は川村カ子(ネ)ト記念館でチプ堀り作業。<o:p></o:p>

途中の峠で、な、なんと、のこぎりクワガタをゲット! けっこう見つけては川村家のこどもたちに喜んでもらっています。<o:p></o:p>

今日の作業はこんな感じでした。<o:p></o:p>

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掘りくずはこんな感じ。

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記念館は9月下旬から諸行事が詰まっているとか。<o:p></o:p>

23日()は神居コタン祭<o:p></o:p>

30日()アシリチェプノミ(新しい鮭を迎える儀式)<o:p></o:p>

 7日()台湾原住民(ユェンツーミン)コンサート<o:p></o:p>

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詳しくは後日に<o:p></o:p>

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明日はアイヌ民族情報センタースタッフ会を行います。<o:p></o:p>


アイヌ奨学金協力会

2006-09-02 20:58:41 | インポート

アイヌ奨学金キリスト教協力会の事務作業を行いました。<o:p></o:p>

協力会はNCC国際関係委員会・NCC女性委員会・被差別少数者協議会・日本聖公会・日本基督教団教育委員会・日本基督教団北海教区アイヌ民族委員会が構成しています。<o:p></o:p>

1988年に「アイヌ民族出身者の修学、指導者養成および被差別少数者との交流等の援助を目的とする」(協力会規定第2)という趣旨のもとに発足して以来、18年の間に経済的に進学困難な家庭の高校生、大学生、各種専門学校生を70名以上支援し、海外での先住民族に関する国際会議や、文化交流への参加などを応援してきました。<o:p></o:p>

中には、国連人権小委員会先住民作業部会に参加しつつ大学で「国際人権」を学んでいる方や、ノルウエーの大学に行き、国際法の視点からアイヌ民族の権利回復のために学び、実践へと結び付けている青年もおられます。

 

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しかし、この数年、全国募金が滞って運営状態は運転資金を切りくずしている状態です。今後の対策を早急に練るために、急きょ、会議を11月に行うことになりました。皆様も覚えてお祈り下さい。

郵便振替口座 02770-4-50088 アイヌ奨学金協力会<o:p></o:p>

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アイヌ生活文化再現マニュアル

2006-09-02 00:40:13 | インポート

札幌に行ったついでに足をのばしてアイヌ文化振興・研究推進機構事務所に寄り、「アイヌ生活文化再現マニュアル」の『先祖供養』と『川漁』DVD版を借りてきました。

数日前、イタオマチプの再現作業がこのシリーズの『綴る』にあることを書きましたが、このマニュアルは映像で分かりやすく丁寧に説明がされており、実際に試みたくなるほどです。

実は、『食べもの 春夏編』を見て、春に山に行ってトマ(エゾエンゴサクの塊茎)を掘り起し、ゆがいて食べてみました。

に、にがかった・・・

「この苦いのがいいんだ。アイヌは苦味の感じ方が日本人と違うといわれているけど」とは川村さん(川村カ子(ネ)ト記念館館長)の言葉。ツチマメ・ヤチブキも苦いようだけど、映像でも杉村京子さんがおいしそうに食べていました。来年はヤチブキの根っこ食べてみよう。

 

    昨年完成したウラッチセ

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今回の『先祖供養』には旭川近文の杉村フサさんが登場します。フサフチは昨年、アイヌ記念館でのウラッチセ(笹葺きの家)作りのさいに、いろいろと教えてくださり、わたしたちの通信「ノヤ」にもインタビューさせて頂きました。さらに、毎秋に道内の牧師たちの研修会でアイヌ民族の方にお越し頂き、お話を伺っているのですが、今年はフサフチにお出で頂くことになりました。

1019日 午後10時から新篠津たっぷの湯にて。会話調でお話を伺います。楽しみにしています。