アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

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第43回嵐山チノミシリ カムイノミに参列

2018-05-27 05:09:20 | 日記

春の山菜の季節が終わると、旭川の嵐山の山開きの日になり、嵐山アイヌ文化の森伝承のコタンにて開催されるチノミシリ カムイノミに参列し、6月8日には北門中学校にて知里幸恵さんの誕生日を記念する銀の滴・降る日、そして6月第3土曜日に江別で行われる樺太移住殉教者墓前祭に参列することが恒例行事のようになっています。

毎年、ひとりで参列しますが、今年から旭川星光教会の牧師がセンタースタッフに加わって下さり、Sさんファミリーが同行くださっています。

午前11時より修復されたチセの中で儀式が始まりました。開会にあたり、祭司の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは、旭川アイヌの歴史にふれて強制移住や強制労働をさせられた時代があったこと、雄弁家偉大な村長クーチンクル(「弓を射る人」の意)は函館奉行所に乗り込みチャランケ(議論)をして、石狩に連行され強制労働をさせられた旭川アイヌ30人を連れ戻したこと(そのおかげで旭川アイヌコタンが維持できた)などを紹介。

チセの儀式のあとに、クーチンクレ顕彰碑にて祈り、さらに、旭川アイヌの熊彫りの原点となる松井梅太郎の碑にお酒をそなえました。

さいごは、踊りや歌の披露があり、みんなで輪になって踊りました。

 

先日、上川アイヌ文化が日本遺産に認定されたことをここでも書きました。このような地道な活動を川村カ子トアイヌ記念館(1916年開館)が中心となって継承してきたからこそ、今回の認定がなされたのでしょう。

長年、アイヌの儀式や舞踏、アイヌ家屋チセを含む伝統文化を継承し続けるにはたいへんな努力がいったこととおもいます。そして、和人の負の歴史も忘れてはいけません。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請しましたが、2市10町は認定後、ますますアイヌ民族の伝統文化、そして権利を守るために資するべきですね。決して功労者であるアイヌ民族をないがしろにしないよう(利用するだけして無視しないよう)にと、強く願います。


上川アイヌ文化が日本遺産に認定!

2018-05-26 08:01:03 | 日記

5月25日付の北海道新聞(14版)の26面に大きく「上川アイヌ文化」が日本遺産に認定された報道が出ていました。北海道新聞(または関連ニュースブログに関連記事も多数掲載)。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請したそうです。

以下、毎日新聞の記事より一部を引用。

認定されたのは、美しい大雪山系の自然と、その中にカムイ(神)を見いだして共に生きてきた上川アイヌの文化を紹介する内容。アイヌの儀式や舞踊、旭川市にあるアイヌの伝統家屋「チセ」などの文化財、伝説の舞台となった石狩川沿岸の景勝地、神居古潭(かむいこたん)などもストーリーに組み込んだ。

申請に協力した川村カ子トアイヌ記念館(旭川市)の川村久恵・副館長は「アイヌ文化が評価されたことは喜ばしい。維持・伝承していく責任を感じる」と歓迎。「旭川を中心としたこの地域のアイヌは移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代を経験してきた。これを機に、行政と協力しながら、文化や観光だけでなく、こうした歴史や食文化なども発信していければ」と話した。

他の紙面記事やテレビニュース動画などにも川村久恵副館長のインタビューが出ていましたが、「食文化」も発信したいとの部分だけが流れていました。毎日新聞は、旭川地方のアイヌ民族の「移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代」についての発言もきちんと紹介されていたのがよかったです。

今回の認定を喜ぶと共に、旭川地方を含むすべてのアイヌ民族が住んでいた土地を奪われ追われ、強制移住させられた歴史があります。それをうやむやにせず、謝罪と反省をしつつ、あらたな関係をつくれるようにと祈ります。

今日は、嵐山の山開きであり、アイヌ伝統にのっとり祈りの儀式が10時半から行われます。仲間と参列予定です。

 

数年前のチセ作りに参加した時の写真。このチセが先日に修復され、本日の儀式に使われます!


「慰霊」施設への遺骨収容はDNA研究のため

2018-05-25 05:11:38 | 日記

don-xuixoteさんのブログは、継続して無許可で先住民族の血液を研究材料としている実態を調べ、紹介されています。しかも、「血清アーカイヴ」として保存されているものがあるということです。アーカイヴとは書庫や保存記録という意味で、いわゆる血液が「研究材料」として使われ続けているということですね。

研究者の倫理が問われています。この規制はないのでしょうか。don-xuixoteさんも最新のブログで「研究のために不当に収集されたアイヌ血液その他の人体組織試料のあり方の検証は行わなくて良いのか」(←をクリックするとページが開きます)と問うておられます。内容もくわしく、国のアイヌ政策推進会議の議論を調べて問題を整理してくれています。これはみなさんにもぜひ読んで頂きたい。なぜ今、アイヌ遺骨が再埋葬されず白老の民族共生象徴空間の「慰霊」施設に持っていかれるのか。それはDNA研究をするためだ、と。これは大問題だと感じます。

過去ブログにて、「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟について報告しましたが、さる、5月14日に札幌医科大学が研究者に研究を目的としてアイヌ遺骨を提供したことに関し、山梨大学と国立科学博物館に遺骨が使われた論文の取り消しなどを求める質問状を北大開示文書研究会とコタンの会のメンバーらの連名で送りました。その時の記者会見がHTBニュース動画で報じられました(見られない場合は文章のみ関連ニュースブログで)。また、質問全文はさまよえる遺骨ブログに掲載されています。

かんたんに問題を整理すると、4つあります。ひとつは国立科学博物館の篠田謙一副館長と山梨大学安達登教授らは、2010年より札幌医科大に保管されているアイヌ人骨115体からミトコンドリアDNAを検出して研究をしたが、研究にあたりコタンの構成員たるアイヌの承諾を得ていないのは問題だ。

ふたつめは、それらの遺骨は研究のため損傷を受けたがどのように責任をとるつもりか。

第3点は、日本考古学協会などが埋葬から100年以内の遺骨を研究に扱わない方針にしていたのに、それに反している問題をどう考えるか。

・ところで、日本考古学協会が決めた100年基準の根拠はなんなのでしょうか。わたしが以前に聞いた世界の先住民族はどの時代であっても遺骨を研究に用いることを拒否していますし、わたしの身近のアイヌの方も同じく反対しておられます。

第4点は、第3点の問題から、書かれた論文の根底が間違っているのだから論文の取り消しが必要ではないか。

これらの質問の回答を7月末までにと要望しました。回答が届きしだい、ここでも説明をさせて頂きます。

 

山菜の季節。今年はたらの芽、うどの芽、こごみの天ぷらを堪能しました。

冬に嵐山のチセ(家)が鹿に喰われたと情報が入り、行ってみました。40頭もの大群でムシャムシャしたとのこと。確かにひどい! 26日の嵐山チノミシリに間にあうようにと一棟だけ3日間で修復中とのこと。人手も足りていて笹もないということなので、ほんの少しだけお手伝い。数年前にこのチセを建てるのにお手伝いしました。手は覚えているものです。


清水裕二さんのお話

2018-05-24 11:06:22 | 日記

毎年の春に、わたしたちの教団(日本キリスト教団)に属する北海道内(北海教区)の定期総会を行います。道内にある70近くの諸教会・伝道所から100名を超える代表が集まり、二日間の審議を行います。

今年は4月30日から2日間の日程で第78回目の定期総会が行われました。その二日目朝の全体協議会にて、アイヌ民族情報センター創立20年(今年で22年)を振り返る時間を持ちました。

北海教区はアイヌ民族の権利回復と差別撤廃を教会が宣教課題として取り組むことを目的」(センター規約3条)として1996年に開設しました。スタッフ一同、可能な限り多方面に出かけて行き、顔を覚えて頂くことを続け、信頼していただけるようアイヌの方々に仕えてきたこと、出会った方達と教会とを結びつける役割を続けてきた20年であったことを紹介しました。それらの働きの一つとして、現在進行中の遺骨返還に関する裁判支援や返還にともなう儀式の協力等があります。そのことを踏まえ、遺骨返還を求め活動している「コタンの会」代表の清水裕二さんにおいで頂き、スピーチをして頂きました。

清水さんは「北海道の土地をめぐる法律からアイヌの実態検証」というテーマのもと、アイヌ民族が明治政府によって蝦夷地から「北海道」と名称を変えられただけではなく、明治政府は勝手な法律をつくりながら土地を根こそぎ奪ったこと、また、現在、提訴中のアイヌ遺骨のことを詳しくお話しくださいました。

明治政府は戊辰戦争が終結した翌年の1869年5月に上局会議を開き、「蝦夷地開拓の件」を審議し、7月には開拓使を設置。翌月には蝦夷地を北海道へと改称します。三ヶ月という瞬く間のことでした。

さらに、1872年(明5)に、北海道土地売貸規則、地租改正が制定され、蝦夷地は「無主の土地」であり天皇領域とされます。1877年(明10)には北海道地券発行条例を制定し、アイヌの居住していた土地を官有地に編入し、住宅地やチセ(アイヌの家屋)を奪い、強制移住をさせて辺地へ追いやりました。そればかりではなく、狩猟生活をおくっていたアイヌの生業を奪い、ことばを奪い、すべてを奪い尽くした百五十年であったこと、さらに人骨まで奪って研究資料にされたことを怒りをもって訴えられました。

現在も、全国12大学に1637体に加え、博物館等の施設にあるのをあわせて約1700体がアイヌのならわしで土に収められず資料倉庫にあることを良しとせず、返還を求めておられます。コタンの会での返還されたのは一昨年の浦河町杵臼に16体、昨年の浦幌町の80体余、紋別への4体と、北大が持っている遺骨のわずか1割でしかなく、現在も新ひだかの約200体、浦河東幌別の2体、浦河東栄の34体(札幌医科大学を提訴)を提訴中であることの報告がなされ、支援を訴えました。

また、ご自身が公立中学、高校で教員(校長)をされておられた時に受けた差別についてもお話しくださいました。 

昨年に続き、アイヌ民族のエカシにおいで頂き、直接、証言を聞くことができ、参加者の複数から、よかったと感想を聞きました。また、毎年、教区総会にて審議されている「アイヌ民族の権利を回復する運動の推進決議に関する件」も賛成多数で可決され(センターHPの「推進決議」をクリック!数日後には今年のに更新されます)、議場からは是非とも毎年アイヌ民族の方をお招きし、メッセージを受けたいとの意見が出ました。

 カナダ合同教会の定期総会では、毎回、開催地域の先住民族を迎え、総会開会のための祈りの儀式により、その土地での総会開催を認めてもらっていると聞きます。わたしたちも是非、そのように恒例の事となることを願います。


「アイヌの血液を使い回した研究2例」より 

2018-05-18 14:57:54 | 日記

先日、ご紹介したdon-xuixoteさんの新たなブログ記事によると、新冠の少年たちの採(盗)られた血液(1964年のケンブリッジ調査隊によるアイヌ血液採取)が、二次利用されたということが調べられています。学者たちは血液を本人たちへの説明と同意を無視して使い回しているというのです。ここでは新冠と他の1例が紹介されていますが、これだけではないのでは? さらに今後もこれらの血液は「研究材料」になり続けるということでしょう。

二次利用の一つ目は先述のケンブリッジ調査隊で採取した日高地方の187人のアイヌの血液が、「アーサー ムーラント博士の厚意」で提供され、アーサーG. スタインバーグによって遺伝子研究がされています。1966年に論文になっています。

「序」には、なんと、「北海道からの人種的に謎めいた/得体の知れない(enigmatic)アイヌ人からの血清サンプルを試験する機会が提示された時、我々は即座に受け入れた」という一文もある! 格好の「研究材料」を得たとばかりの好奇心丸出しの表現ですね。

もう一つは、1980年に東京大学グループがDNA分析のためアイヌの血液サンプルの収集保存を続けていますが、その中の平取、日高地方の36人のアイヌの血液を2012年に二次利用したとのこと。ここには被験者(採血された人)への説明があったとも、地域の代表者たちおよび各被験者からの同意があったのかも記されていないそうです。

✳︎斉藤成也とティモシージナムが「アイヌ民族の代表たちに説明した」とありますが、同意が得られたとは記されていませんし、被験者への説明とはいえません。現在の二風谷の知人に聞いても「記憶にない」とのこと。ましてやブログで指摘されているように転居された方達を無視しています。

don-xuixoteさんは、最後に皮肉として「アイヌ政策有識者懇談会」の第5回会合こちらでの篠田謙一氏による発言(p.5)を書き直しながら引用しています。

「資料1に主なアイヌ人骨血液がどのように集められたかということを表にしました。古くは明治時代から集められた人骨もあります。大正時代あるいは昭和の初期、あるいは戦後に随分沢山の人骨血液が集められています。このような先達が集めた人骨血液の研究によって、私たちはアイヌの成立あるいはアイヌの集団の地域差といったものを見ることができたわけですが、決定的に本土と集め方が違っていたのは、本土の日本ではそこの人々自体に収集の目的、ないしはその意義を説明して人骨血液を集めましたが、残念ながらアイヌ人骨血液の中にはそのような手順を経ずに集めた人骨血液がかなり混ざっています。これは人類学者としても率直に反省しなければいけない点だというふうに思っています・・・」

同じことをしているのですから、ほんとうに皮肉な話です。さらに、このように続きます。

「このような人骨血液の研究、特にDNAの研究などは、今後更に研究が進めば、より多くのデータを得る可能性があります。ですから、このような人骨血液も合わせて、慰霊(??)とそれから研究というものの両方ができるような設備が整って、今後アイヌ研究あるいは日本人全体の成り立ちの研究といったものが更に進むといったことを私どもは願っております。」

慰霊施設と研究が一緒にできる! 遺骨は研究「サンプル」とされる! それが現在進行中の慰霊施設だということなのです。このまま進めていいのでしょうか。

さらに、何千もあるとされているアイヌ民族の血液「サンプル」に関して問題にしなくていいのでしょうか。 

ここまで書いて、先日(5/14)開催された第10回アイヌ政策推進会議の配布資料報告(ここ)が手に入り、アイヌ政策推進作業部会報告(資料1-3)に目を通しました。28〜31ページに遺骨の返還、集約等に関することが掲載されています。ページ数がわかりにくいのですが、たまたまなのか「29」ページだけ数字が記されています。

毎日新聞5/16記事にもなりましたが、政府はこれまで遺骨返還を祭祀承継者(遺族)個人に返還するとしていたのを、盗掘された地域のアイヌ民族団体にも返還すると決めたとのこと(P29)。

いままで記してきたように、遺骨はコタンのものゆえコタンに返還するべしとのわたしたちの主張をやっと認めだしました。

しかし、その一方で現在つくっている象徴空間の慰霊施設がいかに尊厳ある慰霊の空間か(P16)、また「温度、湿度等適切な状態でアイヌ遺骨等を保管」(P30)すると好印象をアピール。

遺骨を研究材料にすることは記されません。

天塩鏡沼海浜公園にある松浦武四郎像