アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

旭川市博物館 明日にリニューアルオープン!

2008-10-31 09:59:42 | インポート
旭川市博物館が11月1日にリニューアル・オープンします!
リニューアル展示の概要やオープンセレモニーに関しては以下のURLへ。
http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/hakubutsukagaku/museum/Renewal-1.htm

北海道新聞(10/29 17:42)記事によると、すでに昨日、報道関係者らに公開されたようですね。以下、記事より。

2フロアの上層階を全面改装し、アイヌなど北方民族関係の資料約200点を新たに展示。来月1日から一般公開される。
新展示は、アイヌ民族が擦文時代(奈良・平安時代に相当)、狩猟や採取だけではなく、農耕や交易も行っていた歴史を漫画も交え、分かりやすく解説。伝統的な衣装や道具も紹介している。
旭川周辺在住のアイヌが作った工芸品などの作品約70点も「現代に生きるアイヌ文化」として新たに展示している。
同館はもともと「河野コレクション」など北方民族関係の資料を所蔵。来館者へのアンケートで「もっとアイヌに関する展示が見たい」などの意見が多数寄せられたため、改装した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/126166.php


そうそう、いつだったか川村カ子トアイヌ記念館にお寄りしたら、その日が工芸品の締切日だと慌しそうでした。
楽しみですね~。わたしも初日に行こうと思います。

ただ、旭川市博物館のHPを見ながら、「アイヌの人々」という文言が目に付くのはわたしだけでしょうか。あえて「アイヌ民族」表記を避けているように感じますが・・・。
実際に足を運んで展示説明も確認してみましょう。今日は札幌に行くついでに北海道開拓記念館で開催中の第64回特別展「古代北方世界に生きた人びと-交流と交易-」をみて来ようと思うので、こちらの展示説明も確認してみます。



復習しますが、国連は1948年12月10日の第3回国際連合総会で世界人権宣言を採択します(すべての人民とすべての国民が達成すべき基本的人権についての宣言)。
これは、法律ではなく「宣言」ですから、その後に1966年12月16日の第21回国際連合総会で、世界人権宣言の内容を基礎として条約化した「国際人権規約」が採択されます。(人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なもの1976年発効)。この人権規約は、“国際人権A規約”とも呼ばれる「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」と、“国際人権B規約”とも呼ばれる「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」、それに「B規約の選択議定書」である「市民的政治的諸権利に関する選択議定書」から構成されます。日本は1979年に批准します。

さて、ここで疑問が生じました。
今回の先住民族権利宣言も宣言です。今後の動きとして「先住民族権利規約」なるものができるのでしょうか。その方向性で先住民族の皆さんは運動を進められているのでしょうか。
加えて、各国で「権利宣言」が機能を果たしているかどうかのチェックをする機関は設けられないのでしょうか。「規約」が出来てからチェック機関ができるのでしょうか。




旧い写真を再UPします。規格の都合で旧い写真から削除しています。残念!
なんだか変なコメントが何度かつきましたので削除しました。一時、コメントを閉じさせて戴きます。すみません。(文字化けではないと思います)





『先住民族の権利に関する国際連合宣言』(以下、「権利宣言」)を読むコーナー

今回から少しずつ、「権利宣言」を取り上げて確認していきたいと思います。
今日は前文(preamble)です。
随分長い文章が切れずに続いていますので、どうも読みにくいとわたしなどは思ってしまいますが、
これは国際的な法的文書の書き方だそうです(いつからか、何故なのかは不勉強でわかりません)。
段落ごとに現在進行形で書かれ、なぜ権利宣言をつくるのか、どのような意味があるかの趣旨説明が
述べられている重要な部分だそうです。全部で24段落ありますね。
そう言いつつ、この部分は、条文を扱いながら必要なときに引用するようにしますので省略します。

(今日はこれで終わり~。これからグアテマラ・マヤ先住民族の女性、ロサ・ペレス=トフさんを迎えて
講演「勇気を受け継ぐ」を聞きに行きま~す。)


おろしや国酔夢譚

2008-10-29 19:41:04 | インポート
毎日新聞(2008年10月28日東京夕刊)に、台湾原住民族のルカイ民族の村が紹介されていました。民族作家のアオビニ・カロスさん(63)はルカイ独自の文化を継承しようと文筆活動を続けておられるとのこと。読みたいですね。
http://mainichi.jp/select/world/news/20081028dde007030070000c.html

これまでも幾度か紹介してきましたが、台湾の先住民族のことを漢字で「原住民族」と書いて、ユェンツーミンツーと発音します。これは台湾の先住民族が選び取った呼び方ですのでわたしたちも用いさせて頂いています。
08/07/11 blogに現在、台湾政府に認められている14民族を挙げています。



今年は鮭の遡上は少なかったようです。年末は鮭の値があがりそうです。


役者の緒方拳(自称、おがたこぶしって知りませんでした)が亡くなりました。
味のある役者さんで出演映画も多く、いろいろと観ていますが、最近、あらためてレンタルして観た「おろしや国酔夢譚」(1992年公開)を紹介します。

時代は1782年、伊勢を出発した神昌丸は、江戸へ向かう途中に嵐にあい8ヶ月の漂流後に当時はロシア帝国の属領だったアリュウシャン列島のアムチトカ島に漂着します。この島で次々と仲間が死んでいき、残った緒方拳演じる光太夫ら9人は先住民族やロシア人に助けられます。そして現地のロシア人の言葉やアムチトカ先住民族の言葉を習得しながら帰国の道を模索します。島に漂着後4年後に現地のロシア人たちと協力し流木や壊れた船の古材を集めて船をつくり、カムチャッカ半島のニジネカムチャック~イルクーツクへと向い、帰国を願い続け、1992年に帰国を目前に・・・。iいろいろ考えさせられる内容でした。
役者は西田敏行(庄蔵)・川谷拓三(小市)・三谷昇(九右衛門)・沖田浩之(新蔵)など、いい役者が揃っています。
アムチトカ島の先住民族の描き方など正しいかどうか分かりませんが、あんなんやったんかな~と関心を持って見ました。
西田敏行演じる庄蔵は凍傷で片足切断し、自殺まではかりますがロシア正教に入信し帰国をあきらめます。「親方、おれはクリスチャンになった。日本に帰ったら火あぶりにされるからもう帰えらねえ」と光太夫らの帰国に足手まといになるだろう自分が身を引くことを伝えるところは涙・涙・・・

アムチトカ島は現在、アメリカ・アラスカ州になっていますが、なんと1965年から3回もの核実験が行なわれたようです。特に1971年のCannikin は5 メガトンというアメリカが行った最大規模の地下核実験でした。
アメリカ政府は島内の動物を島外に移動させることに融資したようですが、近隣の島々に先住民族はいるのでしょうか。安全は? ドキュメンタリー映画「ポピの予言」でも扱われていましたが、世界の先住民族は核施設などの危険な地域に居住させられているという現状を忘れてはいけません。これもいづれ調べてみます。


話はころころ変わって、
今日も、市民外交センターブックレット3「アイヌ民族の視点から見た『先住民族の権利に関する国際連合宣言』の解釈と利用法」を読みつつ考えたのですが、せっかくこうして日誌ブログをUPしているのですから、あわせて諸資料を検討しつつ、これから権利宣言の内容を個人的に随時、検討していこうと思います。
Uさん、そして皆さん。ずれたら指摘お願いします。


秋の紅葉も終わりですね。留萌でも初雪でした。明日にはスタットレスを装着使用と思います。


市民外交センターブックレット3 最新号

2008-10-27 19:54:21 | インポート
昨日の夕方、とってもうれしいことがありました!!
先住民族の権利回復のための働きを豊かにされている「市民外交センター」代表のUさんから
最新ブックレットが送られてきたではありませんか。しかも・・・、このブログを見てくださっているようで!! ありがとうございます。Uさんの著書は大変勉強になりますのでよく紹介・引用させて頂いています。

この度の「アイヌ民族の視点から見た『先住民族の権利に関する国際連合宣言』の解説と利用法」も、大変、HOTで聞きたい内容ばかり。「国連先住民族権利宣言」がアイヌ民族にとってどのように効力を発揮するかが分かりやすく書かれているではありませんか。すべての項目にこんなに詳しく書かれてあって一冊1000円は安い!
早速、仲間の分を注文して、一緒に学びたいと思います。ありがとうございました。
この資料に加えて、ウハノッカの会「一目でわかる先住民族の権利宣言―国連案の内容と争点―」を比べながら進めたら、94年案(作業部会11会期合意草案)がどういう議論を経て来たのか、さらに‘07総会決議までどう変化していったのかが確認できますね。
よしっ!! 今後、みなさんにも分かりやすく(分かったところを)UPしていきましょう。

ちなみに、上記ブックレットは下記の市民外交センターに連絡注文すると発送料別で送ってくださるようです。連絡先は以下のURLへ(ここから直接注文できたらいいですね~)。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/index.html



北海道では冬以外、常にコスモスが咲いています。


グアテマラ・マヤ先住民族の女性、ロサ・ペレス=トフさんを迎えて講演「勇気を受け継ぐ」が今週末に行なわれます。
1940年代から50年代にかけ、平和な民主化の時代を迎え、農地改革や土地利用の効率化がすすめられていました。しかし、それもつかの間、1954年には米国の支援を受けたアルマス大佐のクーデターが勃発。その後1985年まで軍事政権が続き、それに対し改革派の軍人らを中心に反政府闘争が起こって内戦に突入します。
36年も戦いが続き、国は土地を要求する農民運動にも厳しい弾圧をかけます。またゲリラの支持基盤であった農村部の人々を皆殺しにし、マヤの440の村が焼き払われ、20万人もが死亡・行方不明となりました。国内外の避難民は100万に達し、国は疲弊しました。
内戦が終わって12年が経ちますが、未だ和平協定が守られず、特に土地問題の解決や先住民族の権利保障の問題は進んでいないとのことです。国民は不安の中にあるとのこと。※
そのような中で、先住民族の女性たちが立ち上がり、社会を変えようと行動を起こしているそうです。
この度のロサさんは、連れ合いを奪われた女性たちの会「コナビグア」のメンバーとして10月11日に来日し、全国いたるところで講演を続け、31日に札幌で最終講演をされます。
下記の通り、ご案内します。 わたしも雪が降らなければ日帰り参加したいと思います。

日時:2008年10月31日(金) 18:30~20:30
場所:かでる2・7 710会議室(札幌市中央区北2西7)
参加費:500円 通訳つき
主催:グアテマラ・マヤ先住民族女性を支援する会
問合せ:さっぽろ自由学校 遊 011-252-6752 E-mail syu@sapporoyu.org


※以上は、「先住民族サミット」パンフレットの「グアテマラと先住民族」(新川志保子報告)を参照しました。





いよいよ冬です。暑寒別岳の頂も白くなりました。


全然、関係ないことではありますが・・・
CO・OPのカップ麺からもパラジクロロベンゼン・ナフタレンが検出されたと騒がれています。テレビのニュースも出てきましたが、それを見て思い出したことがあります。
数年前の話です。わが家の長男がめずらしくCUPヌードルを買って食べていました。ところが、突然、「うっ、なんか味が違う! うあっ、これっ、CUPヌードルちがう!COOPヌードルだぁ~」と叫ぶではありませんか。話によるとCOOPでいつもより安く売っていたとのこと。もちろん、ちゃんと確認しないで買ったのは自分のせいですが、当時は日清のCUPヌードルと外観はかなり似ていたのを記憶しています。色も同じような感じで、ただ「U」と「OO」の違いだけだったと。しかし今回のニュースを見ると変わりましたね~。違いが分かるようになりました。


チ カラ ニサッタ ~我らつくる明日~ 参加

2008-10-25 16:27:44 | インポート
23日は「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日~」(アイヌ民族とそうでない人々と共にアイヌ民族の権利回復について行動を起こす会議)に参加してきました。

この会は、事前に2回開催された「ニサッタ グス チャランケ=明日をつくる話し合い」で、学習・話し合い・育成・情報活動という4つの具体的なプロジェクトチームを作って行動を起こして行こうと始まりました。
それぞれ担当が事前に話し合いを重ね、それらを持ち寄って煮つめていくという方法で、目標として有識者懇談会に提言文を渡すべく、文章つくりをしようということになりました(と言うより、そういう方向性で呼びかけが行なわれたようです)。
今回は主に「学習」プロジェクトチームが国連「先住民族権利宣言」を用いて、提言文に盛り込む内容案を発題してくれたり、情報伝達方法の相談をしたりというものでした。
なかなか豊かな存在が集まっているので今後も楽しみです。


このような話し合いをする際に、重要なのは情報ですね。有識者懇談会がどのような審議をしているか、アイヌ民族の諸団体・個人がどう考えておられるかも情報として得たいですね。

国連の先住民族権利宣言(以下、「権利宣言」)の内容をもっとよく知りたいですね。特に「権利宣言」の成立過程での議論を知っている方から話を伺いたいですね。

それと、世界の先住民族の中には着実に権利回復を勝ち取っていっている民族がいます。その方たちからも情報を得たいですね。
現在、さっぽろ自由学校“遊”や北大アイヌ・先住民研究センターで講演会が組まれていますが、さらに、直接的にアイヌ民族の権利回復につながる学びを積み重ねていきたいですね~



鷹の種類でしょうかね(前回と同じ鳥)。ちょっと遠くてボケました。



会議の後は、インドへ行っておられた島崎直美さんを囲んで一杯。マイノリティ女性会議に出席し帰国したばかりのHOTなお話を聞く事ができ、感謝。
11月3日には石狩・空知地区の信徒大会にてお話をして頂きます。楽しみです。


翌日、少々時間があったので小樽に向かい、美術館で開催中の特別展「ピリカ・モシリ 現代に生きるアイヌ工芸」を観るべく小樽美術館へ。ところが・・・小樽には美術館がない!!※

しかたなく、もう少し足を伸ばして余市へ。
高校時代からお世話になっている瀬棚K牧場の娘さんが余市のパン屋さんで働いているのを聞いていたので買い物ついでに訪ねました。事前に知らせるすべもなかったので驚くかな?と期待しつつ、そっと店に入っていくつかパンを選び、レジに行くと「ORORONさん?」と、ばればれ。わっかりやすい顔してるからな~。
ほんの少しお話をして、次のお客さんの迷惑にならないようすぐに店を出ました。20年ぶりの再会はあっけな~く終了。

その美味しそうなパンをおみやげに今度は余市教会へ。と、ところが不在。
こんなこともあるさとパンをかじりながら帰宅。

※帰宅後に確認しなおすと特別展はなんと小樽総合博物館でやっていたのだ・・・。がっくり。
12月までやっているし、美味しいパンもまた食べたいので、また余市も兼ねてお訪ねしたいと思います。

今日はゆっくりと明日の準備をし、夜は留萌九条の会代表者会。
来週も慌しいですが、ブルーな気分を吹き飛ばすべく動きます。11月3日の講演の準備もしないと・・・。


日の出も6時過ぎと遅くなり、日の入りも5時。めっきり暗くなりました。


国定教科書ははじめから、多民族国家であることを認めていた!

2008-10-22 19:29:57 | インポート
10月15日に放映されたNHK「その時歴史が動いた」で、知里幸恵さんのことが扱われました。撮ったものは映りが悪く、困っていたところ同じスタッフが観せて下さいました。
差別も含め、よく描かれている内容でしたね。最後のアイヌをめぐる最近の動きも短く分かりやすく描かれていました。感動しました。
(小野有五さんのコメントは嵐山のチセの中のようですが、ありゃCGですね。こんど、ご本人に確認してみようっと!)


知里幸恵さんのゆかりの地を巡るバスツアー「ふるさと紀行」が十九日、NPO法人知里森舎(しんしゃ)の主催で開かれたようですね。情報を得ていたら、行ってたなぁ~。残念!
一行は、富浦墓地にある幸恵さんのお墓や幸恵さんの弟でアイヌ語言語学者の知里真志保さんの碑、さらに、幸恵さんの記念館建設予定地などを見学したそうです。
北海総新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/124419.php)

過日、幸恵さんのお墓参りに行き、バチェラー記念教会堂も外観を眺めてきましたが、やはり、解説をしてくださる方がいるのといないのとでは感じ方が違いますね。もう一度、是非、よくご存知の方に同伴頂いて訪ねたいです。



この鳥は?トンビではないし、ハヤブサでもありませんね・・・


首相官邸のURLに行くと、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の議事次第を見ることが出来ます。
第1回はメンバー紹介や座長選任、国連宣言の概要確認と今後の進め方の協議のようでした。
第2回はまだ議事録は出ていませんが、配布資料を見ることが出来ます。
その中の加藤忠さん(北海道ウタリ協会理事長)の発題(過去blog 9/25に書いたA4用紙15頁分のものです)は、要旨だけ読むことが出来ます。いづれ議事録が出来たら全文読めるでしょう。お楽しみに。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/kaisai.html


それらの資料の中で、目をひいたものがありました。第二次世界大戦前の日本の初等教育で用いられた国定教科書においてアイヌ民族がどう扱われたかを調べた小熊英二著「単一民族神話の起源」新曜社1995年の内容紹介です。

それによると、最初に国定教科書が発行された1903年(明36)年では、帝国に住んでいる人口は「・・・5千万におよべり。こられの人人は、上に万世一系の天皇をいただきて、みな、たのしく、その日をおくれり」と述べられ、さらにアイヌ民族の盛装している「酋長」と家屋の挿絵と共に「あいぬ人は、昔は、広く、本州にも住んだりしが、今は、本道全体に通じて、その数、二万に足らず」と、アイヌ民族のことを本州にも住んでいたと述べているのです。

さらに、1910(明43)年、1918(大7)年、1935(昭10)年の教科書の書き換えを追いながら、徐々に「帝国国民」の人口が多くなり、万世一系の天皇を褒め、「忠君愛国」を強調していくのを確認していきます。その後は、植民地化した台湾・朝鮮半島のことが言及され、アイヌ民族は隅へ追いやられるような説明がされるようになります(本州に住んでいたことははぶかれる)。それでも、「北海道本島には少数のアイヌ人、樺太には少数のアイヌ人とその他の土人がいる」と、アイヌ民族の存在と先住性を認めていることが分かるのです。多民族であることが教科書で教えられていたのですね(いづれも地理の教科書)。
「上に万世一系の天皇をいただ」いている人々(=大和民族でいいのでしょうか)とは明らかに異にしている民たち、すなわち「アイヌ人」がいたと認めているのですから、これは注目に値する歴史的資料ですね。いいもん見せてもらいました。



明日は、さっぽろ自由学校“遊”から案内をいただいた「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日~」(アイヌ民族とそうでない人々と共にアイヌ民族の権利回復について行動を起こす会議)
に参加するため、札幌に行こうと思います。まだまだ参加者募集とのこと。会場は道立市民活動促進センター・交流コーナーで18:30分より。
より詳しくは“遊”(011-252-6751  koizumi@sapporoyu.org)へ。




自然は美しいです。 しかし、時に自然は猛威をふるって人に襲いかかります。12日に留萌の黄金岬に来ていた若者二名が波にさらわれ不明となりました。多くの方たちと心配していましたが今日、留萌港の沖のほうで遺体が見つかったそうです。ご遺族・ご友人の皆さんの慰めを祈ります。



観ました! 「The Broken Chain」

2008-10-20 20:09:43 | インポート
土曜日にフリーマーケットを行い、疲れを引きずったまま日曜日に突入し、
疲れすぎて口が回らない自分が滑稽で、苦笑いの一日を過しました。
それなのに昨夜は午前1時半に目が覚めてしまい、事務作業・・・
疲れているときは逆にテンションあがるのはわたしだけ?

今日は、ゆったりアイヌ奨学金の過去のそうまとめをエクセルに打ち込む続きをしながら、
観ました!「The Broken Chain」(1993)。
合間は真剣に見入ってしまったので、事務作業はあまり進まず・・・
先日、資料を送って下さったTさんにもお礼をまだ書いていないのを気にしつつ・・・(すみません)。

この映画は1500年代の北米大陸を舞台にしたイロコワ連邦を扱った映画だったのですね~。
(イロコワ連邦に関しては‘07年10月12日blogを参照ください)



ひとつアイヌ民族関連のテレビ情報が届きました。
11月3日(月・休) 18:30~19:54全国放送  宇梶剛士:主演
『カムイの夜明け~木彫り熊 誕生の謎は遥かスイスに』

北海道テレビ(朝日系列)開局40周年ドキュメンタリーバラエティ
http://www.htb.co.jp/kamuy/index.html

“木彫り熊”の、歴史を追いかけたドキュメンタリーだそうです。
旭川アイヌ発祥説はどう描かれているでしょう。大変、興味ありますね~



山葡萄たくさん見つけたぁ~  高かいところだったぁ~


一昨日のフリマですが、始める前まではお手伝いできる方が5人という大変少ない人数で、
一時はどうなるやといろいろなところに(札幌からSさん夫婦やYさんにも)お願いし、
飛び入り協力も含めて当日はなんと26名が手伝って下さり、内輪だけでにぎわっていました。
炊き込みご飯も、エビ汁も焼きそばもとても美味しく出来ました。

近所のこどもたちも協力してくれて、食事中のお客さんたちに手品を披露してくれました
(こんなサービスするところはきっと他にはないでしょう)。常連のおばあちゃん達が大変喜んで帰っていかれました。

今回は品物も少なく、食事の材料費やら保健所への申請料やらがかさんで、収益が3万円弱(とほほ・・・)。
それでも、久しぶりにたくさんの方たちとおしゃべりしながら協力できたことはよかったです。
収益はクリスマス献金と共に、ペシャワールや海外キリスト教医療協力隊、アイヌ奨学金、他に送ります。





「歌え!ウルスラ」

2008-10-17 22:20:15 | インポート
明日はいよいよフリーマーケット。準備の休憩時間などをつかって、先日、仲間から借りた先住民族関連のビデオを観ています。
今日はHBC創立50周年特別企画 新発見!北方見聞録 第7回「歌え!ウルスラ」(2001年11月23日放送)を観ました。
番組紹介はHBCのURLへ(http://www.hbc.co.jp/archive/hoppou/no7.html)

現在ヨーロッパでブレイクしている北欧出身の話題の女性シンガー「ウルスラ」に密着して、北欧の少数民族「サーメ」の紹介番組となっています。
(sami は英語読みでサーミですが、この番組にあわせてサーメを用います。スカンジナビア内の言語ではサーメと発音するそうです※1)

サーメ民族はフィンランドやスウェーデン、ノルウェーに約7万人いると言われています。伝統音楽である「ヨイク」の紹介もされていて素晴らしいです。ウルスラさんは妹さんと共に「アンゲリット」というデュオ・グループを組んで現代風にアレンジしてブレイク中とのこと。日本でもCDが売られているようですから今度GETしようと思います。

このヨイクは北欧各国の政府によって長い間、歌うことを禁じられていたとのこと。今世紀初頭に進出してきたキリスト教会がサーメのアニミズム(自然信仰)を禁じると同時に、ヨイクも禁じたとのこと。自分の正しさだけを押し付けて他者を認めず(抹殺していった)キリスト教の歴史を聞くたびに辛くなります。一時期消滅しかけていたのが、再び市民権を勝ち取ったのは、わずか10数年前とのこと。

ウルスラさんは北海道にも何度か来ておられるようですよ。‘94年の先住民国際フェスティバルにも妹さんと出演されている映像が出ていました。
先日の先住民族サミットで来られていたマグネ・オ・バルシさんが「狼の歌」を歌ってくださいましたが、あれがヨイクなんだったんでしょうか。感動して鳥肌が立ちました(関西では「寒ぶイボ立った」といいます)。

番組の中で、サーメ・ラジオ局が‘99年に製作した「おじいちゃんの頭の骨」が取り上げられていました。
1852年、ノルウェーの弾圧にサーメが武装蜂起しました。そのリーダー格だった男性は「反乱を犯した罪」で首を切られました。体はノルウェーに埋められましたが、頭骨は遥かに離れたデンマーク・コペンハーゲンに送られました。頭骨は大学の病院に運ばれ、医学の実験に使われます。骨は中をくりぬかれていました。
1980年代からサーメは民族としての権利を国に認めさせる様々な運動を始めます。そうした中、孫に当たる女性が、デンマークに持っていかれた祖父の頭骨の返却を求めます。長い交渉の末、デンマークから返却されることとなります。
150年の歳月を経て身体の眠っているところへ頭骨が帰っていった話をドキュメンタリー映像にしたものです。それを見ながら、北大や東大、あるいは世界に散らされたアイヌ民族の頭骨の返却についてと重なりました。第3回有識者懇談会の報告記事に遺骨の返却の件に関して早急に取り組むと書かれていましたが、遺骨がどのように持ち運ばれたかの詳細も明らかにされつつ、返還が実現されますように。(注・北大は返還要請には答えています)


そうそう、サーミ民族を法的に先住民族として認めているノルウェーでは政府と直接関与できるサーミ議会が1989年に設立されています。公教育においてもサーミ語の幼稚園から大学まであるようです。※1
第2回目の有識者懇談会にて加藤ウタリ協会理事長が主張したアイヌ民族の学校はこのようなことを要望しておられるのでしょう。さらに、アイヌ議会を作りたいと同ウタリ協会の理事のおひとりも言われていました。諸外国の先進的なところを大いに参考に出来たらいいですね。




夏にアイヌ奨学金委員会出席のため東京に行った際、中野にあるアイヌ民族料理店“レラ・チセ”に行き、OKIの話をしたりして盛り上がった話を以前に書きました(7/25 blog)。
その時に、中野駅前でアイヌ民族と琉球(沖縄)とのお祭が毎年おこなわれているという話を聞いて興味を持ちましたが、この度、メールにてそのお祭の情報を得たので以下にUPします。
(“レラ・チセ”を出て駅にむかう途中に沖縄料理店が数件あり、満腹にもかかわらず、ついソーキソバとオリオンビールを飲んでしまいました)

『第15回チャランケ祭』2008年11月1日(土)2日(日)
1日目:開演 12:00~      2日目:開演 09:00~
場所  中野駅北口広場
参考サイト:http://charanke.com/index.html
主催:チャランケ祭実行委員会    後援:中野区・中野区教育委員会

この祭りではゴミ削減のため、食器のご持参を呼びかけているようです。
食器を持参者は各店舗で¥30値引あり。

※1「先住民族サミット」パンフレット内の鵜沢加那子さん解説「サーミ」項参照




第3回有識者懇談会がおわりましたね

2008-10-17 13:41:14 | インポート
な、なにか、あったんでしょうか・・・
一昨日の訪問者が190人を越えてカウントされていましたが・・・・
たくさんのご訪問ありがとうございます。よろしかったら感想メール頂ければうれしいです。
ororon38@hotmail.comへ!

7月20日にUPした「第12回アイヌ語地名研究大会」の講師であったTさんから突然、封筒が届きました。
中を見ると、なんとご自分の研究された資料を送って下さったではありませんか。
ブログを見てわざわざお手紙して下さり、言いたかったことが書かれていたとお褒めのことば。
(言葉足らずで冷や汗・・・。写真意外に褒められたことがないので大変うれしいです)

頂いた資料をゆっくりじっくり読んで、わたしも現地へ訪ねたいと思います。感謝。



雄鮭が川を遡上してきているところ。もうボロボロですね。信砂川より南の暑寒別川で。


有識者懇談会三回目の会合が終わりましたね。新聞紙面によると、記者会見で佐藤幸治座長(京大名誉教授)は、アイヌ民族の「厳しく悲しい歴史を記して発信する必要がある」として民族の歴史を有識者懇談会の提言に盛り込むと述べ、さらに「『北海道大アイヌ納骨堂』の遺骨の返還など、既存の課題の迅速な解決に向けて前向きな姿勢も示した。」読売新聞(2008年10月16日)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20081016-OYT8T00019.htm
とのこと。期待します。
毎日新聞(2008年10月16日地方版)では、「北海道大などにあるアイヌの遺骨の慰霊施設建設について、短期的に取り組む課題に挙げた」
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/archive/news/2008/10/16/20081016ddlk01040296000c.html
と、ありました。はてよ・・・。北大が所持しているアイヌ遺骨の返却の問題ではなく、「慰霊施設」建設も取り組みに入れていると読んでいいのか・・・。もう少し、詳しく知りたいですね。


一昨日はさっぽろ自由学校“遊”の講座を聞きにいくことにあわせて、アイヌ奨学金事務作業を札幌でしてきました。
花崎さんの講演はよかったです。語り方にも人間性が現われるものなのですね。暖かいお人柄が醸し出されていました。なぜ日本政府はアイヌ民族を先住民族として認めて来なかったかについて、アイヌ民族に自決権(自己決定権)を与えたくないからだろうと思っていましたが、花崎さんはただ一点、天皇制が壊れるのを恐れてのことだと説明されました。「天皇を中心にした単一民族国家」の幻想が壊れるからというのはその通りだと納得いきました。
今回はテーマに沿って「謝罪」に関して国連の先住民族権利宣言の前文に触れる内容でした。が、もう少し、具体的に且つ、実際に権利宣言を読む作業もしていけたらいいかなと思いました。今後も楽しみです。
さっぽろ自由学校“遊”では今月23日(木)18:30分より、アイヌ民族とそうでない人々と共にアイヌ民族の権利回復についてムーブメントを起こそうと魅力的な集い「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日~」を継続的に行なう予定のようです。これも楽しみですね。参加者募集とのこと。会場は道立市民活動促進センター・交流コーナー。
より詳しくは“遊”(011-252-6751  koizumi@sapporoyu.org)へ。



有識者懇談会に期待

2008-10-15 06:41:54 | インポート
政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が一昨日から三日間の日程で道内入りし、アイヌ民族と意見交換したとニュースが流れていました。
北海道新聞(10/14 07:07)にも「補償、教育要望相次ぐ アイヌ有識者懇 札幌で意見交換」の見出しで記事が載っていました。途中から引用します。

意見交換会には、高橋はるみ知事など委員七人と、道ウタリ協会札幌支部(阿部一司支部長)の二十五人が参加。佐藤座長は「皆さんの意見を貴重な土台として、課題に真剣に取り組み、良い結論を得たい」とあいさつした。
サハリンから道内に強制的に移住させられた「樺太アイヌ」の子孫の田沢守さん(53)は、強制移住への謝罪と補償を求めた上で「今後も多くの仲間が政府と話し合える機会をつくってもらい、アイヌ(と和人)が共生できる道を探ってほしい」と述べた。
他の参加者からは、「もっと多くのアイヌ民族が高等教育を受けられるようにしなければ、社会的、経済的格差はなくならない」「アイヌ民族の女性の声も、もっと聞いてほしい」などの意見が出た。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/123153.php


昨日は白老町、十五日の今日は平取町を訪問し、両日とも地元のアイヌ民族や自治体首長との懇談を予定しているそうです。じっくりと傾聴し、今後の審議に役立てて頂きたいです。
道新の紙面ではもう少し詳しく別の記事が出ていました。また紹介していきます。

一年期限のこの懇談会が審議結果として、もっと長期的にアイヌ民族の声を聞きアイヌ民族の権利を法的に位置づけるための機関を政府の中に作るべきだという提案を出してくれたらいいですね。


一昨日は恵庭でのこどもデイキャンプに行って来ました。行きに三時間、釣と食事で三時間、帰りに三時間とドライブを兼ねた豊かな時間でした。フライ・フィッシングも楽しめましたし、ニジマス釣りはとにかくよく釣れました。貸し竿500円で釣れた魚は100グラム250円で買上げ、その場でバーベキューや持ち帰りが出来ます。興味のある方は是非、どうぞ。



釣りの収穫の半分(その半分はその場で調理して食べました。旨かった)


昨日は初山別の家庭集会に行って来ました。今日はさっぽろ自由学校“遊”の講座で花崎さんの話を聞きに行きます。楽しみです。NHKの知里幸恵さんの番組もしっかり録画を忘れないようにします。



以下の案内が届きました。
旭川の川村カ子トアイヌ記念館館長がお話されるとのこと。
さらに床さんと港さんが参加されるなんて、うらやましい。
床さんは「先住民族サミット」で始めてウポポを聞きました。とってもいいです。「伝統」をぎゅっと詰めてるなぁ~、フチたちの魂を受けているな~という感じを受けました。

港さんは、これまたびっくり! 独特な謡いで魅了させられます。旭川での知里幸恵さんの記念祭で二度、聞きましたが一度聞いたら忘れられません。東京方面の方は是非!

 ◆◆◆「かむい語り」in 高尾 ◆◆◆
日時 2008年10月17日(金)      開場 17:00  開演 18:30~21:00
前売り 2000円  当日 2500円   場所  トゥーマイ  (予約・問合せ先)
参加者:川村兼一 (トーク・ 合唱劇「カネト」 を語る)   床絵美 (ウポポ・唄)    港敦子 (ユカラ・語り)
参考サイト:http://www.k3.dion.ne.jp/~ague/Order_Info.htm
主催:Project for VOICES    協賛:ピリカ関東




知里幸恵さんのテレビ

2008-10-13 06:12:10 | インポート
日曜日は礼拝の後に18日開催のフリーマーケットの準備に汗を流しました。

ひとつアイヌ民族関連の情報をUPします。知里幸恵さんのことがテレビに出ます。


NHK総合テレビ
「その時 歴史が動いた」第340回
『神々のうた 大地にふたたび
~アイヌ少女・知里幸恵の闘い~』
2008年10月15日 (水)
22:00~22:43
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html



今日はこれから教会のこどもデイキャンプで恵庭の「10POUND」に何家族かで行ってきます。

教会員のお連れ合いが務めているので、何度か早朝にコヒーを飲みに行きましたが
とっても雰囲気がいいところです。釣好きの方は是非どうぞ

(08年4月19日ブログに写真あり。下記のURLも素敵ですよ)
http://homepage2.nifty.com/10pound/





「今も続くアイヌ差別」を読んで

2008-10-11 18:58:34 | インポート
今週は道内の牧師達が集まっての研修が火曜日から金曜日まで行なわれ、
わたしも(途中で抜けたものの)水曜日から金曜日まで参加しました。
いろんな面で学ばされましたが、大変、刺激となったのは前述した結城幸司さんのお話と、
もう一つ、カトリック教会出身の方とのお話でした。
第二バチカン公会議に根ざした教会形成を願いつつ模索をしている若手の方で、
カトリックの視点からプロテスタントをながめ、陳腐に写る部分を指摘してくれ、
多くの共感を得ました。違った視点から自らを見直すことは大切ですね。


発題するディヴァン宣教師(小さくて失礼)




毎日新聞(2008年10月10日 0時03分)に、「記者の目:今も続くアイヌ差別 共生目指す政策を=」の題で金子淳記者(北海道報道部苫小牧)が文を載せており、共感を持ちました。
一部を引用します。

 私が担当する北海道南部の日高地方には多くのアイヌ民族が暮らしている。北海道庁の06年調査では道内に2万3782人おり、その約3割が日高在住だ。彼らと触れ合う中で痛感するのは、差別が今も続いているという厳然たる事実だ。
 中学に通う女の子は小学生の時、教室でクラスメートから辞書の「アイヌ」の項目を無理やり見せられ、ペンやノートを汚いものをつまむような手つきで持たれたりした。同級生の一人が親から「アイヌは汚い」と聞かされたのが、いじめのきっかけだったという。70代の男性は最近、友人が陰で自分のことを「あいつはアイヌだから」と話すのを聞いたと明かした。差別の話になると、急に口数が少なくなる人もいれば、自らの体験を涙を浮かべて語る人もいた。
 深刻なのは、こうした差別が生活格差に直結している点だ。道庁によると、アイヌ民族の生活保護受給率は3.8%で、アイヌ民族以外の1.6倍。大学進学率に至っては半分以下の17.4%にとどまっている(いずれも06年)。この数字からは、教育や就職、結婚などで受けた差別が結果として生活苦につながり、次の世代も貧困から抜け出せないという“負のスパイラル”が見え隠れする。略。
 アイヌ民族の多くが今も貧窮している背景には国の差別的な政策があり、現在の格差社会問題とは事情が異なる。道庁は独自の奨学金制度などを設けているが、「本来は国がやるべきことを地元がやっている」(志朗さん)に過ぎない。アイヌ民族の苦しみを「地方の問題」として片づけてきたのが、今までの国の姿勢だったと言える。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081010k0000m070136000c.html


わたしも知人から差別の実態をいくつも聞いています。過去のことではないのです。
まだまだ差別が続いている中、国は真摯にアイヌ民族の現状と向き合い、過去の謝罪と補償、そして改善を行なうべきですね。



アイヌ民族に対するさまざまな禁止令を追ってみます。
まず1871年に戸籍法によりアイヌ語名を奪います。同年、家屋自焼の禁止、入墨、耳輪、言葉(文字)等の禁止。
1876年、開拓使は鹿狩規則を定め、アイヌの伝統猟法、仕掛け弓・毒矢の使用禁止し銃器を使用する事を命令。
この頃、アイヌの戸籍がほぼ完成するがアイヌ一般に氏(うじ・苗字)を用いるように通達。
1878年、札幌郡内の河川で鮭漁禁止(根室では1883年に禁止)。
1889年、鹿猟の道内前面禁止。
このように、明治になってからはアイヌ民族の生産と生活の場が根底から奪われていくのです。幕藩制国家もアイヌ民族に対する支配と収奪はありましたが、それとは比較にならないほどの早さで根底から破壊されていきます。
奪いつくして来たのですね。





教職講座でのアイヌ民族講演

2008-10-09 12:18:26 | インポート
わたしたち日本キリスト教団北海教区には70ほどの教会や関連センターが全道にあります。
その牧師達が毎年この季節に集まり、4日間ほどかんずめになって諸々の研修を行ないます。
アイヌ民族情報センターもそのひとコマを頂いて、アイヌ民族の方を招いて話を伺う時間を持たせていただいています。

今年も昨日、その時間をもちました。何年も前から来て頂ければと願っていた結城幸司さん(彫刻家・アイヌアートプロジェクト代表)にお話をして頂きました。
ご自身の成育過程をふくめてお話下さり、後半は7月に開催された「先住民族サミット」の報告を中心に、力強く、また、心に染みるお話を伺いました。より詳しくは12月発行の機関紙「ノヤ」に掲載しますのでお楽しみに。


アイヌ民族関連の新たなニュースが北海道新聞(10/09 07:19)にありました。
「アイヌ民族『北方四島にも先住』 中曽根外相が見解表明」 以下、引用。

 中曽根弘文外相は八日の衆院予算委員会で、アイヌ民族について「日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住する民族と認識している。『北部周辺』には北方四島も含まれる」と述べた。アイヌ民族が北方四島についても先住民族であるとの見解を政府が公式に示したのは初めて。
 新党大地の鈴木宗男代表への答弁。河村建夫官房長官は、北方四島を除く千島列島とサハリンに関しては「アイヌ民族が先住民族であるかどうか判断する立場にない」と述べるにとどめた。
 鈴木氏は「北方領土の返還も『この島はアイヌ民族が先住民族。アイヌ民族は日本国民だから島を返して』というアプローチが(ロシアに)できる」と主張した。
 衆参両院は今年六月、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を可決した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/122265.php


北方四島の諸問題に関して、アイヌ民族の自決権がある場として北方四島が扱われる必要がある、古くから住んでいるアイヌ民族の意見をきちんと聞かないといけないということですよね。その通りだと思います。
「アイヌ民族は日本国民だ」から日本に返せ~、とはちょっとズレていると思うのはわたしだけでしょうか。まるで1854年の日露和親条約を思い出します。その締結後、江戸幕府はアイヌの同化政策を徹底させていきます。



トリカブト

そんなことを思い出しつつ、「北海道」がいつから「日本」領土になった(させられた)か、ということを調べなおしてみました。

対ロシアとの国境問題で、江戸幕府は1799年から1809年までの間に、蝦夷島内の和人地以外の地域及び、クナシリ島、エトロフ島、カラフト島を含む蝦夷地全域を一方的に幕府の直接的な支配領域とします(が、それは外に向けての形式上の「内国」化に過ぎなかった)。
その後「日露和親条約」が締結されるのが1854年。直後から江戸幕府は「蝦夷地」が日本領土であることを位置づけるため、アイヌ民族への同化政策を強行していきます。
そして、ただちにそれまで用いていたアイヌ民族の呼称「夷人」「異人」を、「土人=もとから日本領土内に住んでいた人を表す」に変更し、日本語や日本の風俗を奨励、そして仏教の布教などを推し進めます(仏教布教には反ロシア正教、反キリスト教の意識があったという説があります)。

明治政府(1869)になると、「蝦夷地」を北海道と改名して内国に編入し、開拓使を設置(1869 明2 初めは東京芝の増上寺に!)。
1971年からは、入墨、耳輪、その他の民族の伝統、習慣、文化、言葉を禁止する強制同化政策を行ないます。同年、戸籍法の公布によってアイヌ民族を強制的に「日本国民」に編入します(1978年にアイヌの呼称を「旧土人」と統一)。

あれ? では、「北海道」が「日本」の領土になったのは明治以降と言っていいですね。
(それでも、アイヌ民族との関連では問題は継続している、というべきでしょう)。


日本のプロテスタント教会がなにやら来年の2009年を宣教150周年と称して祝うようです。なんでも1859年に長崎や神奈川に続けて宣教師が来日し、「プロテスタント宣教の扉が開かれた」からとか。
日本ではなかったアイヌモシリは? 自決権をいまだ奪われたままで課題山積みの状態で、わたしは150年は祝えないです。
宣教記念を祝う前に、アイヌ・モシリにおけるキリスト教会の宣教のあり方を振返る必要を感じます。




山が色づいて来ました。


柳田初太郎さん

2008-10-07 07:49:23 | インポート
朝4時過ぎ当たりに目を覚まし、朝のお祈りの後にネット上の新聞チェック。
まずは北海道新聞、毎日、朝日、読売等々でアイヌ民族関連ニュースを調べます。
それらをストックし(http://u-ko-usaraye.cocolog-nifty.com/)、
一日を始めるのが日課となっています。


今朝は、気になる記事がひとつありました。
「定住本格化100年を祝う 滝上」北海道新聞(10/06 13:51)です。以下、引用。

開拓民の定住が本格化してから百年の節目を迎えた滝上町の「100年祭記念式典」が五日、町文化センターで開かれた。町民や友好交流町の高知県越知町の代表ら約三百人が、先人の労苦をしのび、町の発展を誓った。
滝上への定住は、一八九九年(明治三十二年)ごろ、アイヌ民族の柳田初太郎が元町地区で狩猟漁労生活をしたのが最初とされる。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/121799.php


あれよ・・・。アイヌ民族もそこに住み始めて100年しか経ていないのか、と疑問に思いつつ、もう少し「柳田初太郎」さんについてインターネットで調べてみました。

すると、滝上町URLの「町長室へようこそNO.14」に、柳田さんは留萌から来たとあるではありませんか(おぉ~!わたしが今住んでいることろから・・・)。親近感を持ちつつ読み進むと、ひとり鮭を捕って暮らしている柳田さんのところへ、後の滝上町長になる高知県出身の朝倉義衛さん(19歳)が、上渚滑からの帰り道に腹が空いて食べ物を貰いに寄ったそうです。柳田さんにとって初めての和人の来客だったとか。その後、当時の滝上への来往者は柳田さんにはずいぶんとお世話になったと町史にも書かれているそうな。滝上町史も読んでみたいですね。アイヌ民族の扱いがそれぞれの市町史でどう書かれているのでしょう。意識を持って確認してみたいですね。

この滝上百年のお祝い関連記事で、大切なことは「開拓民の定住」以前にアイヌ民族が住んでいたということですね。明記されたことはいいのですが、はて、留萌から来た柳田さんというアイヌの方が初めて滝上に住んだ人なのでしょうか。記録で確認できる史実としてはそうでしょうが。
もしかして、わたしの7月20日ブログに紹介した、留萌からのアイヌ古道「信砂越え」に沿ってオホーツクに行く手前で柳田さんは滝上に定住したかも・・・などと想像したり。

柳田さんの実名(アイヌ語)はなんとおっしゃるのでしょう。これ以上はインターネットでは調べようがありませんでした。


羊ですね~


十勝アイヌ民族フィールドワーク開催

2008-10-06 10:41:24 | インポート
3日(金)、4日(土)と、帯広にて「十勝アイヌ民族フィールドワーク」に行って来ました。
名寄、札幌、滝川、留萌など広範囲から二十名ほどが集まり、豊かな出会いと学びの時を持ちました。



午後3時に帯広百年記念館に集合し、記念館の内田祐一学芸員より説明を受けつつ見学しました。
個人でただ見てまわるのとは違い、解説が入ると展示物の見方が深まりますね。

その後、館内にあるアイヌ民族文化情報センター“リウカ”にて、とかちエテケカンパの会代表である木村マサヱさんからお話を伺いました。厳しい差別の現状の中でとかちエテケカンパの会をつくり、地道に活動を続けていることに感服しました。

さらに内田学芸員より興味深いお話を伺いました。博物館においていかに現在のアイヌ民族を紹介できるかを考え、情報提供を含めた文化情報センター“リウカ”を館内につくったとのこと。予想を超えた利用者が来ているそうです。それほど関心が持たれているということですね。
今後も益々、アイヌ民族の現状を知らせ、豊かな出会いの場となりますように。厳しい差別の現状も伝えられていけたらいいですね。





夜は、講師を囲んで親睦会を行い、旨いジンギスカン鍋を囲みました。
その後は帯広教会を会場にさらに「先住民族サミット」の記録映像を鑑賞し、熱く語りあいました。

翌日は車を乗り合わせて蝦夷文化考古館に向かい、小助川勝義さんに90分近くじっくりと説明を受けました。数年前にお訪ねしたことがありますが、大変、貴重な資料が収められているのですね。



その後、フシココタンがあった地域の外回りをぐるっと車で一回りし、伏古第二尋常小学校跡、チョマトーと周って帯広教会員の前田さんから説明を受けました。

多くの方のご協力の下で豊かなフィールド・ワークを開催することができました。

帰りに、同じアイヌ民族委員のメンバーが所有しているアイヌ民族関連の報道や特集のVHSテープを30本ほどお借りしました。
昨夜から黙々と観ています(大変、勉強になっています)。




「極北の怪異」鑑賞

2008-10-03 05:52:56 | インポート
昨夜、情報が入り確認してみて改めて驚いたのですが、
国土交通省はアイヌ関連施策を仕事としているんですね~
http://www.mlit.go.jp/hkb/ainu0001.html
その大臣が「単一民族」発言したというのは、やはり問題ですね。
新大臣にはしっかりやって頂きたく思います。


「極北の怪異」 ナヌークのDVDを観ました。
北の民達の生活ぶりに感嘆。寒い中すごいなぁ~と、
冬支度を始める憂鬱な時に見るのは絶妙なタイミングかも・・・。

擬餌で魚を誘い、ヤリで一突き! 鮭ほどの魚が獲れました。
喜びと共に魚の頭を噛んでしとめる姿もダイナミック。

アザラシは呼吸をするため氷上に小さな穴があるのだそうです。
その穴を見つけて、息をひそめ、目を凝らして待つ。そしてヤリで一突き。
先端が外れて紐だけがスルスルと氷の中に入っていきます。
紐をつかまえて引っ張り合いが続きます。紐一本で大変な格闘です! 
途中で助けを呼びますがなかなか来てくれません。
最後は家族全員でこどもも一緒になって引き上げます。しかし、大物ゆえ苦労しています。
(「大きなカブ」のお話みたい)。
引き上げられた獲物はいとも簡単に解体され、生で口にほおばる。ダイナミックだあ~。
この情景は以前、網走の北方民族博物館内で放映されていました。
穴の上に鳥の羽をのせて、微妙な動きでアザラシの呼吸を確認し、ヤリで一突きしていました。
すごいですね~
体重2トンのセイウチもヤリ一本でおとな三人がかりの捕獲。
何よりも驚いたのは、寝るときはなんと裸で毛皮に包まって寝るんです。すごいなぁ~。
室温も氷で作った家ですから0度を超えないように動物の脂で暖?をとるようです。

この映画はなんでも‘ドキュメンタリー・フィルム’という言葉を生んだロバート・J・フラハティの傑作だとか。
映画を作っているCHIHIROさんが教えてくれました。
先日、CHIHIROさんが撮った「先住民族サミット」の短い編集ドキュメンタリーも見せて頂き、懐かしさいっぱい。

このような映画をもっと観たいですね。生きる考え方が変わりますね。


さて、今日から十勝アイヌ民族フィールドワークに行ってきます。
十勝エテケカンパの会の代表である木村マサヱさんや、帯広百年記念館内にあるアイヌ民族文化情報センター“リウカ”の内田学芸員のお話を聞きます。そして、翌日は帯広一帯のアイヌ民族関連の場所を訪ねます。楽しみです。



ホウの実 プシネプ・ウセウ(ホウの実のお茶)にすると美味しい!
今年はまだ採りに行っていません。