アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「原住民族」とは

2009-04-28 20:37:32 | インポート
台湾の先住民族の皆さんは自称「原住民族」(ユェンツーミンツー)と呼びます。なぜなのかについては、たしか自分たちが決めたとしか聞いていませんでしたが、歴史とそのわけを知りました。※1

数日前のblogに表にしましたが、1994年に正名運動(ジェンミンユンドン)により、憲法条文にある「山地同胞」という呼称から「原住民」という正式名称に変更させることを勝ち取りました。
原住民族はそれまで、様々な呼ばれ方をしてきています。
「番」(清朝時代)、
「蕃人」「蕃族」「高砂(たかさご)族」(日本時代1895-1945年)
「高山族」「山地同胞」(中華民国時代)
民間では「番仔(ホァナ)」(ホーロー語=中国大陸南部から渡ってきた人々のうちマジョリティの言葉 での差別語)で呼ばれた歴史があるとのこと。

自称を「先住民族」(シェンジュミンズー)とする案も出たようですが、中国語の語感での「先」には「すでに滅んでしまったもの」という意味が含まれることから、「もともとの」という意味をより強く持つ「原住民族」が広く採用されることになったそうです。知りませんでした。

正式呼称への要求運動は、このような過去の差別の事実を明らかにし、正しい理解と、権利やアイデンティティーの回復にもつながりますね。

翌年の1995年に「姓名条令」が修正公布されましたことも大きなことですね。
この修正によって自分の本当の名前が認められ、戸籍に登録されることが出来るようになりました。



隣町の増毛(ましけ)の港


アイヌ民族の歴史を見ると、1871年(明4)に戸籍法制定でアイヌは「平民」に編入されます。この年開拓使による耳輪、入墨、家屋葬送等が禁止され、日本語の使用を強制されます。すなわち、皇民化が強制されていくのです(強制同化政策)※2。この時はまだアイヌ名で良かったようですが、1876年(明9)、開拓使はアイヌ一般に氏を用いるように通達し(創氏改姓)、アイヌの戸籍が完成されます。1978年(明11)には「旧土人」と名称統一され、この頃には創氏改姓はほぼ完成されたといわれます。※3

現在は法的にアイヌ民族名を禁止されているわけではありません。が、先のように自分たちの民族名やアイヌ語での正式名を禁止された長い「失われた時代」があったこと、さらに、植えつけられた差別という壁が今もアイヌ語名を付けることを阻ませているのかと考えます。


台湾に話を戻しますが名前を回復させて以後、原住民族の権利回復の動きは加速されていきます。1996年には、中央政府レベルの原住民族専門の行政機関「行政院原住民委員会」が設置されました(のちに原住民族委員会と改称)。1998年には「原住民族教育法」が公布されました。それ以後は前回blogと重なりますのでご覧下さい。


参考
※1 中村平著「台湾先住民族(原住民族)の10年を振り返って」『先住民族の10年News』115号より。
※2 上村英明著「知っていますか? アイヌ民族一問一答」(解放出版)
※3 宮島利光著「アイヌ民族の歴史と日本の歴史」(三一新書)



25日世界先住民族ネットワークAINUの創立の集いでのアイヌ・アート・プロジェクトの演奏。最後は大きなリムセ(輪)になって踊りました。
そうそう、26日の北海道新聞の写真にはわたしの姿も映っていたと書きましたが、道新のHPでカラー写真が出ていたのを見たら、わたしではありませんでした。似ていたのですが、違うことが決定的となったのは腕時計(わたしは時計を持ち歩きません)。
今日は奨学金の事務と明日の準備で部屋にカンヅメでした。明日、明後日は北海教区総会のために札幌です。


世界先住民族ネットワークAINUの創立の集い

2009-04-27 17:02:26 | インポート
25日(土)の夜は札幌にて世界先住民族ネットワークAINUの創立の集いが開催され、参加してきました。

26日の北海道新聞第2社会面で写真と共に記事になっていましたね。
実は写真にはわたしの姿も(多分)。舞台に並んだ主催者の手前で写真を撮っている後姿のシルエット。
なんだか邪魔くさいです(失礼しました)。


このニュースは全国の地方新聞にも載ったようです。
以下は共同通信の記事を紹介します。

アイヌの権利回復目指す 世界先住民族ネットが発足(【共同通信】2009/04/25 20:28)
 世界各国の先住民族との情報交換や連帯を目的に、アイヌ民族の有志らが参加する「世界先住民族ネットワークAINU」の設立総会が25日、札幌市内で開かれた。設立メンバーは、アイヌのほか大学教授や一般市民など計約400人。
 萱野志朗代表(51)はあいさつで「(アイヌにとって)新たな一歩を、きょう迎えた。権利回復のため、今後さまざまな活動をしていきたい」と述べた。
 同ネットワークは今後、自決権や土地に関する権利の回復などを目指し、政府の取り組み状況などを各国の先住民族らと情報交換する。また社会的経済的に厳しい環境に置かれた海外の先住民族の支援、文化を伝承する次世代のリーダー育成などを行っていくという。
 昨年7月、世界11カ国20以上の民族が参加し、北海道平取町などで開いた「先住民族サミット」で築いた人脈を生かそうと、同サミット実行委員会のメンバーらが設立を提唱した。
http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042501000681.html


これに加えて、京都新聞※1、西日本新聞※2、長崎新聞※3にも掲載されていました。が、記事は共同通信のまま(京都新聞だけはちゃんとカッコで共同通信記事であることを明記)。
※1(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009042500157&genre=C4&area=Z10)
※2(http://nishinippon.co.jp/nnp/item/91690)
※3(http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CN20090425/na2009042501000681.shtml)

紙面にあるように萱野志朗さんの挨拶、そして、澤井アクさん(北海道アイヌ協会国際部会長)、宇梶静江さん(ネットワークAINU顧問)の挨拶が続き、講演(後述)、海外交流・会議等の報告など盛り沢山の内容でした(会議等の諸報告はいづれどこかで書きたいと思います)。

全体的に人数が集まらなかったこと、また主催者も言われていましたがアイヌ民族の方が少なかったことは残念だと思いました。かく言うわたしもイヴェント情報に案内をUPしたものの個人に積極的に声をかけられず、来たのはディヴァン宣教師だけ。今後、盛り上げていきましょう!

講演は「先住民族をめぐる政策課題」とのテーマで辻康生さん(法学研究科教授・アイヌ・先住民研究センター)がされました。
辻さんは昨年12月に開催された北大アイヌ・先住民研究センター主催の冬季シンポジウム(12/6)でコメンテーターとしてお話しされたり、2月20日開催のジェフ・スピナー講演「過去の不正義にどう向きあうか」の際にもコメントをされていました。
法学の中の「政治理論」のご専門とのこと。
ご本人曰く、「アイヌ問題」に取り組んで日が浅いので、学ばせて頂くつもりで来た、と。

個人的にはお話の内容の理論的なところや、手振り身振りで熱心に語られるお姿は好きです。
ただ、できるだけ分かりやすい日常の言葉を使いながら、より具体的な例でもって、ゆっくりテンポでお話しして頂けたらもっとよかったかも(自戒を込めて)。

今回は理論を理解するのに精一杯でしたし、理論整理や展開を今アイヌ民族が抱えている現実的な主張・要求を用いていただけたら良かったなと思いました。単に理論の概観だけで終わった感がします。
ニサッタにお呼びして具体化していくのも方法のひとつかとも思いました。理論的に整理でき、より分かりやすく、辻の通った、いやっ(失礼 ^^;)、筋の通った要求になることでしょう。百人力ですね。ほんとに来ていただけたらうれしいですね~
「周縁部」「シンボリック」も分かりづらかったように思います。

「アイヌ問題」という表現も、どうもアイヌ民族が問題あるように聞こえ(読め)ます。「差別問題」「権利回復にまつわる問題」という表現に意識的に変える必要があるように思います。




川村カ子トアイヌ記念館のチセ(家)とチプ(丸木舟)。
いづれも製作時に協力させて頂き、貴重な体験をさせて頂きました。
いよいよ、5月から嵐山のチセ作りが始まりますね。楽しみです。


話は変わって、前回ブログで台湾原住民族の権利回復のことを書きました。手元の資料を探したら、
2001 原住民労働権保障法(原住民の就業権を従来より保障する内容)
2005 原住民基本法(原住民族の権益に対し、明確で概括的な保障をするもの)
は、日本語訳したものを見つけられました。

あとは、是非とも、原住民教育法(1998)、原住民身分法(2001)他の訳や、「原住民族」という民族名を憲法にて明記させた正名運動(1994)、戸籍を原住民族名で登録可能にさせた姓名条例(1995)などの闘いの歴史を学びたいです。
後日、日本語訳が手元にある「原住民労働権保障法」「原住民基本法」について報告します。



台湾原住民族の権利回復の道

2009-04-25 13:16:02 | インポート
アイヌ民族の権利回復を速やかに行なうにはどうしたらいいかを、アイヌ民族の方たちと共に考えています。
その参考になるかもと、台湾での原住民族への政策、就学や就労の保障、生活の保障について法体制がどうなっているかを調べ始めました(気付くのが遅すぎたかも)。
北海教区には台湾基督長老教会からブヌン民族のディヴァン宣教師をお迎えしているので、今後、さらに深めたいと思うのですが、現在、身近にある資料から少し整理してみました。


昨年6月29日に札幌プリンスホテルで開催された先住民族フォーラムで、マヤウ・ドンギさん(台湾行政員原住民族委員会副主任)が「台湾原住民族に対する政策とその成立過程」のテーマで話されましたが、そのレジュメに台湾で公布・実施された原住民族の権益に関する報告が記されていました。

加えて、たまたまネットで調べていたら中村平さんという方が『先住民族の10年News』115号に「台湾先住民族(原住民族)の10年を振り返って」という文を掲載しており、分かりやすくしかも、上記の補足になったので、ドッキングさせて以下のようにまとめてみました。


1994 「山地同胞」から「原住民」と憲法条文の変更を勝ち取る(正名運動)。
1995 姓名条令(原住民族名での戸籍登録が可能に)。
1996 行政院原住民委員会設置(後の原住民族委員会)。
1998 原住民教育法
2001 原住民身分法(原住民身分の父母どちらかの姓を名乗ることにより原住民身分が得られる)
2001 原住民労働権保障法(原住民の就業権を従来より保障する内容)。
2001 原住民族の民族言語能力の認定に関する法律(以降、言語能力試験開催)。
2001 原住民勤労権保障法
2002 原住民老齢生活手当の暫定条例(法律)
2005 原住民基本法(原住民族の権益に対し、明確で概括的な保障をするもの)
2007 原住民伝統的な知的創作保護条例(法律)
2007 財団法人原住民族文化事業基金会の設置条例(法律)



大変、興味ありますね。法的に先住民族をきちんと位置づけることが大切ですね。
原住民族という民族名、そして原住民族としての本名を取り返したというところも大事だと思います。
このあたりを分かりやすく話していただける方はおられないでしょうか。

原住民教育法をはじめ、基本法など、すべて日本語訳を探しましたが、先ほどやっと見つかりました。
2007年8月21日に北大アイヌ・先住民研究センター主催で開催された「台湾・原住民族法ワークショップ」の
資料集の中に入っていました。この回はわたしは参加できなかったので見落としていました。
じっくりと読んでから、報告したいと思います。


上記に先駆けて、台湾先住民族権利促進会が1987年に討論し、翌年発表した「台湾原住民宣言」についても触れておきます。これもマヤウ・ドンキさんがレジュメで紹介しており、ウェブ・ページでも中村平さんが翻訳してUPしているので、そちらのほうから一部を引用させて戴きます。


1.先住民の一切の人権は尊敬を受ける必要がある。
2.先住民は生活上の基本的保障権(生存権、仕事の権利、土地権、財産権と教育権を含む)、自決権、文化アイデンティティ権を有する。つまり、自己の政治的地位を決定し、自由に自己の経済、社会と文化発展の方向を希求する権利を持つ。これらの権利は、強権的システムの圧迫や侵犯を受けてはならず、剥奪されてはならない。
3.台湾先住民族の伝統的居住地域は、区域自治を実行する。自治機関の発達と、先住民事務を主管する行政機構は中央レベルのものとなす。国家は先住民が自治権を行使すること、ならびに先住民が政治、経済、社会と文化の各方面での発展を十分に保障しなければならない。
4.国家の各種議会はすべて、先住民各族の代表を有しなければならない。各種議会のうち、先住民の各議案に関しては、先住民代表が最終的否決権を持つ。
5.国家は「同化ではなく尊重、圧迫ではなく平等」の先住民政策を制定しなければならない。
6.先住民の地位と権利は、国家がこれを立法し保障する。
7.国家は先住民の人口、地域と社会組織を承認しなければならない。
8.先住民は土地と資源の所有権を有し、法的ではなく奪われ占拠されたすべての土地は、先住民に返還されなければならない。
9.土地権は、地上、地下と海域を含む(国際法の制限に則る)。
10.先住民は、自分たちの資源を利用し先住民の需要を満足させる権利を有する。
11.先住民は、誰が先住民であるかを決定する権利を有する。
12.先住民は、自分たちの社会組織の構造と権利の範囲を決定する権利を有する。
13.先住民の文化は、全人類の祖先から受け継いだ財産である。
14.国家は先住民の文化と習俗を尊重しなければならない。先住民は自分の言語、文字を発展させ、自分たちの風俗習慣を維持あるいは改革する自由を持つ。
15.先住民は、自分の母語で教育を受け、自分たちの学校を設立する権利を有する。国家は先住民の母語の平等な地位を尊重しなければならない。先住民の住む地域は、各民族語と漢語の双方の併用による教育政策をとらなければならない。
16.先住民は、自己の民族語と文字を使用し、訴訟を進める権利を持つ。裁判所は、台湾地区において通常使われる言葉と文字に通暁していない先住民当事者に対し、通訳と翻訳を行わなければならない。
17.先住民は、固有の姓・氏名を回復する権利を有する。

http://www.geocities.jp/husv83/declarationoftaiwanind.html


う~む。益々、知りたくなりました。
今日はこれからネットワークAINU発足式に行きますから、いろんな人と分かち合ってみようと思います。




夜は荒れる(雪になる)とか言われているので注意していってきます。
すでに明日の福音告知は英語版も完成しましたので少し余裕があります。


ガイアナ

2009-04-24 05:13:36 | インポート
昨夜の午後7時からのNHKテレビ「南米ガイアナの大探検①動物の宝庫」は、映像がきれいでしたね。
ホエザルやオオカワウソ、ホウカンチョウ、それを撮っているカメラマンの映像(客観的に見ると微妙ですが)も。
生物の宝庫である森と生物を守るための調査を撮影したようです。3回シリーズのようですからまた見たいです。森が深いですね。滝も見事に写されていました。

たまたま昨年3月に少し調べたことがあります。
毎年、世界の教会の連携の下で「世界祈祷日」を開催し、留萌でもカトリックと聖公会とわたしたちプロテスタント教会で行っています。
毎年、主催国を決めて、その国の女性たちが式文を作り、課題と取り組みを紹介してくれて、いつも新たな気付きを与えられています。昨年はガイアナでわたしが話を準備しました。
(※日本では日本キリスト教協議会(NCC)女性委員会が担当し式文を日本語訳してくれています)

国名の由来は、アラワク系インディヘナの言葉で、「豊かな水の地」の意味とのこと。
カリブ族(Caribs)のことやカニバリズムについては過去blogに書きました。


以下、フリー百科事典『ウィキペディア』や2007年世界祈祷日式文を参照して短く紹介します。

1498年にクリストファー・コロンブスが渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが上陸。その後この地はエル・ドラード伝説が信じられると、「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人の活動の場になり、ウォルター・ローリー卿の植民団が1595年、1616年とやってきて植民地化がすすみます。
1598年にオランダ人が来航し、17世紀から18世紀にオランダが3つの植民地(エセキボ、デメララ、バービス)を設立。ナポレオン戦争による変遷を経て、1814年からイギリスの植民地となり、オランダ三植民地は後に統合されイギリス領ガイアナとなり、オランダ人の町だったスタブルークは英王の名前からジョージタウンと改名されて英領ガイアナの首都になります。

ガイアナの地形は広大な熱帯雨林がいくつもの川や小川や滝によって隔てられることによって特徴付けられ、特にポタロ川のカイエトール滝はナイアガラの滝の5倍の226メートル、さらに+25メートルの高さがあって世界最大落差。今回の番組はその滝を写したのでしょうかね。
アーサー・コナン・ドイルの「失われた世界」がガイアナのロライマ山のテプイから発想を受けたことは有名だとか。

05年過去数世紀で最も激しい豪雨がガイアナの沿岸地域を襲い、深刻な洪水に見舞われます(推定30万人が被災)。07年8月も大雨による洪水で、ジョージタウンの多くの地域で浸水。
温暖化による旱魃被害も多く、大小河川水量の60~100%が減少。



さらに式文には、戦争・紛争・虐待を受けている女性の被害、HIV被害、無関心、先住民族への差別など、人々は多くの課題と向き合っていることが祈りの課題として挙げられていました。

そんな状況下でガイアナの彼女らが選んだ聖書は旧約のヨブ記。
ヨブのように自分たちも日ごと試練と苦難に遭っており、多くの人が神はどこにおられるのかと戸惑っている。災害は毎日起きている。自然災害も。しかし、そのような状況にあってもヨブのように神の知恵と分別を求めよう、と告白されていました。


イースターエッグ

作年の秋に、わたしたちアイヌ民族委員会の元委員でご活躍くださった佐々木鉄男さん(引退教師)より、当センターに大量の書籍を寄贈戴いた事を以前に書きました。
いま時間をつくっては寄贈書のリストを作成しています。この寄贈本は、大変な宝の山のようです。早く整理して本を探せるようにとナンバリングしています。現在、270冊を超えています(残り大箱2つ)。

たまたまその中に上村英明さん著「先住民族-『コロンブス』と闘う人々の歴史と現在」(解放出版社)に目が止まりました。とても分かりやすく書かれています。
また以前にも紹介したトーマス・R・バージャー著「コロンブスが来てから」(朝日選書)など、ヨーロッパからの侵略がいかにアメリカ大陸の先住民族たちを抹殺して行ったかを分かりやすくコンパクトに書いた本が何冊か出ていますのでお薦めです。

今も先住民族たちは苦悩を負わされています。日本における先住民族であるアイヌ民族も同じく多くの差別を負わされていることを思います。



美瑛・富良野はどこも絵になりますね。

現在、留萌で開催する5月の三夜連続コンサートのチラシ配りやチケット販売に時間がとられています。
明日は午後6時より「ネットワークAINU」の出発式に参加しに札幌に向かいます。


研究倫理の問題は

2009-04-20 07:39:03 | インポート
この間、植木哲也さん(春風社「学問の暴力」著者)から教えて頂いてびっくりしたことがありました。
さる2月26日に開催された有識者懇の配布資料にある内容です。

国立科学博物館・人類研究部の篠田さんが「自然人類学から見たアイヌ民族」のテーマで話をされたようです。議事録がまだUPされていないので、この資料しか内容を知ることが出来ません。これを元にどのような話になったのかは、会議記録を見るまで待たなければなりませんが、問題を感じる部分を紹介します。
「第5 アイヌ人骨収集の歴史と倫理的な責任、今後の研究について」の一部そのまま引用します。以下、引用。

全国から発掘された人骨は、すべて同様に扱われた。そこには、アイヌの人たちに対する差別の感情はなかった。ただし、残念ながら、この中にはアイヌの人たちの意向を無視して収集されたものも多く含まれていることも事実である。本土ではこのような形での墓地の発掘は類例が無く、そこに差別の感情があったことは否定できない。このことは現在、これらの人骨を利用して研究を行っている人類学者も常に意識しており、日本人類学会では収集の経緯について、後進に正しく伝えていく義務もあると考えている。人骨を利用して研究している以上、過去の行為に対する責任を負っており、信頼の回復のために努力をする責務があるという共通の認識を持っている。近年日本人類学会では、研究倫理に関する基本姿勢と基本指針を作成して、
ホームページで公表もしている。


これによると過去の研究では、アイヌ民族の心情を無視して「収集」(盗掘を含むと考えていいでしょうか)されたものが多く含まれていることが「事実」として語られ、「収集」経緯を後者に「正しく伝えていく義務もあると考えている」と、述べられています。
ということは、「収集」経緯を学者たちはきちんと調べ報告しますと言っていると取っていいでしょうか。
羅列された「収集」者と「発掘」場所は以下の通り。以下、引用。

明治21,22年小金井良精(東京帝大) 全道各地でのアイヌ人骨の収集
大正13年清野謙次(京都帝大) 樺太アイヌ
昭和10年代児玉作左衛門(北海道帝大) 渡島、日高、十勝、北見、北千島、樺太
昭和20年代児玉作左衛門(北海道大学) 網走モヨロ貝塚
昭和30年代以降北海道大学・札幌医科大学による調査発掘
など。


児玉作左衛門の「収集」した多くのものは北大にありますし、数年前から札幌医科大学でも二百数体の遺骨についての報告がるので詳細が分かってきています。が、小金井、清野の「収集」したものは現在の東大、京都大にあるということでしょうか。この当たりは植木さんも追及しているところでしたが。いづれも国立ですから国の責任も問われますね。有識者懇ではその当たりも話題になったのでしょうか。

さて、問題はここから。少し飛ばして、以下、引用。

故埴原教授が14年前の「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会(第3回)」で説明された内容は、その後の研究の進展によって更に詳細なものになり、学説も修正されている。また、古人骨を対象としたDNA分析などの新たな研究方法も生まれており、従来の方法では知り得ることのできなかった情報も手に入れることができるようになった。更に研究が発展することは確実で、将来、より詳細な歴史の復元が可能になっていくだろう。
ただし、その研究の源になるのは、あくまでも収集された人骨である。それ無しには、如何に技術が進歩しても、新たな知見を得ることはできない。しかしながら、人骨の研究者は現在数を減らしており、全国の大学に保管されている貴重な人骨が散逸する可能性すらある。この現状を問題視した日本学術会議の人類学・民族学研究連絡委員会は、平成9年に関係機関・関係者に対して「古人骨研究体制の整備について」の提言を行った。アイヌ人骨に関しては、特に倫理的な問題に十分配慮することが必要で、死者に対する慰霊と同時に研究を行うことができる新たな環境が整備されることが必要であると考えている。


あれよ。なんだか問題がずれていませんか?倫理の問題や返還、慰霊の面よりも 「研究」が大切で、そのため「研究対象」である「貴重な人骨が散逸する可能性」を危惧していること問題だというのは・・・


加藤忠 道アイヌ協会理事長が第2回有識者懇で訴えた政策提案の「(3) 遺骨の返還、慰霊」では以下のことが書かれています。

人類学の分野では、江戸時代後期にイギリスとの間で外交問題となったアイヌの墓からの人骨盗掘事件が起こっています。また、全国の大学に、盗掘の結果収集されたアイヌ人骨の返還や人類学研究のあり方とその対応策を進め、全国的な啓蒙と和解の象徴となるような施設の設置ができればと考えております。

盗掘の実態調査を含め、返還、慰霊施設の設置、「研究」の倫理問題、そしてその対応、これらのことに2月の有識者懇はどう話し合ったのでしょうか。そして、先の篠田さんの発題はどう関連したのでしょう。議事録を早くみたいですね。




雪溶けで出来た沢
今日は美馬牛教会という美瑛の教会で長年、信徒としてご活躍された方が天に召され、今から葬儀に向かいます。ご遺族の皆さんの慰めを祈ります。


OKIライヴ

2009-04-18 09:54:44 | インポート
世界に羽ばたくトンコリ奏者OKIのライヴが今日、明日と札幌、20日は東京でありますね。

4月18日(土) PLACE: CHAOS TRIBE REGIMENT@MOLE 札幌 狸小路
OPEN / START: 18:00 / 19:00
INFO:http://www.mole-sapporo.jp/

4月19日 (日) PLACE:BAR CLASSIC @ 札幌市北区北12条西1丁目
OPEN / START:19:00/20:00
INFO:BAR CLASSIC TEL 011-707-9377 http://www15.plala.or.jp/CLASSIC/

4月20日(月) PLACE: SHINJUKU LOFT@東京都新宿区歌舞伎町1-12-9 タテハナビルB2
OPEN / START:18:00 / 19:00
INFO:http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/ TEL:03-5272-0382


東京在住の若手のアイヌ民族メンバーAINU REBELS も甲府で「cupkamuy~天体~」イヴェント&パフォーマンス。

sirpeker cupkamuy~太陽~展示
2009 5/9(土)~5/15(金) OPEN 11:00~18:00 5/15 18:00より パーティー&ミニライブ
会場: 元麻布ギャラリー甲府(山梨県甲府市丸の内2-3-2 東横イン甲府駅前1F)

kunne cupkamuy ~月~ 公演&DJラウンジ
2009 5/9(土) OPEN 18:30 START 19:00(END 21:00)
会場:桜座(山梨県甲府市中央1-1-7) 



いづれも行きたいところですが甲府は遠いですし、札幌OKIライヴは別会議と重なり断念!残念! 
皆さんの感想を楽しみにしています。


13日の北海道新聞に、ユーカラ「アイヌ聖伝」を紹介する講座が白老町の商業施設「ミンタラ」の体験広場で開かれたことが報じられていました。
参加者は独特の音色に熱心に聞き入ったと。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/158743.php

先月15日夜のAinu Night RhythmライブでTukkantamこと川上将史さんのBGMに乗せて熱唱したユーカラを思い出しました。あのようなイヴェントもどんどんと出来たらいいですね。川上さんも長文を暗唱しておられましたが、長いものでは七晩も歌い続けられるものもあるそうです。口伝の凄さですね。




そうそう
気になっていたことですが、数ヶ月前に、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の日本政府訳が出たことを書き、どこにあるか分からないと言ったきりでしたが見つけました。
首相官邸ウェブページ内の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の第三回「配布資料4」がそれです。以下からPDFでダウンロードできます。
市民外交センター(仮)訳のほうが前文に段落数字を入れてくれているので見やすいです。

内閣官房アイヌ政策推進室
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/kaisai.html




昨日は札幌通院がてら小樽公園通り教会訪問。今年も極力こちらから出向いてセンター活動の理解と、権利回復の働きに連なっていただけるようお願いして回りたいと思います。地道に理解者を得て行きたいです。その後、少し足をのばして余市のフゴッペ壁画を観て来ました(写真上)。今日も午後から札幌でアイヌ民族資料関連の大事な集いがあるので日帰りします。


教育基本法から

2009-04-16 09:27:24 | インポート
一昨日の14日。夜はチ・カラ・ニサッタの学習会に参加してきました。
発題は現役の公立中学校教諭のKEIさん。公教育でアイヌ民族のことを伝えるにはどうしたらいいかを教育基本法、学習指導要領をもとに論を展開。大変、興味深く聞かせて戴きました。
ちょっと、教育基本法について寄り道をします。

敗戦後、多くの国民は二重の「騙し」に気がついたといいます。ひとつは情報操作によって偽りの戦況報告を聞かされていたこと。もうひとつは軍国主義による洗脳から解放された時に、生きる意味や目的を騙されて教えられていたことです。
それゆえ戦後の再出発の時には教育のあり方を根本的に考え直すことが求められ、以下の二つの反省点のもとで教育基本法が成立(1947)されます。 

ひとつはその時代には勅語という天皇の命令があり、国民の意思がまったく入り込めなかったという点。天皇の絶対性とそれに「無能力な国民」が服従するのみだったという関係こそが誤りであったと反省したのです。その反省に立って国民全体が、自分達の問題として教育の根本的なあり方を求め、基本法(単なる法律ではなく、その一段上の「基本法」として)を定めたのです。
二つ目の反省点は、教育がめざす方向にありました。教育勅語体制のもとで教育は、こどもを社会にとって便利な道具に改造するものでした。それを反省し、教育基本法にはこどもを大切なひとりの、基本的人権が保障されるかけがえのない個人として認めていきます。 
こどもの道具化を反省し、こどもを尊重する意思が込められて教育基本法第1条には「教育は、人格の完成をめざして行なわれなければならない」という重要な文言が入ったのです。
教育基本法は、個性と多様性をもった一人ひとりのこどもが常にかけがいのない存在として尊重され、だれもがこどもを道具化するという過ちを犯さないように定められたものなのです。


が、同法が出来て以降、何年かに一度は自民党の一部を中心に同法を変えようとする論者が盛り上がりを見せてきました。そのひとつが「教育勅語」を復活させようとする人たち。日本国憲法そのものや教育基本法にある個人的人権に対して強い抵抗感を持って、天皇を頂点とする権力的秩序に愛着を覚え、その復活を望んでいます。
そのひとりに森善朗前総理が挙げられます。「教育勅語には、時代を超えて普遍的な哲学がある」(2000年5月10日党首討論)発言を始め、「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であると言うことを国民にしっかりと承知していただく」(2000年5月16日神道政治連盟国会議員懇談会)は知られていますが、これらは天皇の下で、国民が臣民としての義務をはたすことを命じていた教育勅語こそ、もっとも理想的な教育体系だ、と考えているのです。
はてに、2006年、同法は全面的に「改正」されます。


さて、ここからがニサッタでのKEIさんから教えられた内容です。「改正」後の前文は、

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。(略)


「改正」前と比べると「公共の精神を尊び」や「伝統を継承し」という文言が入れられています。さらに、第二条(教育の目的)には多くの付け加えがありますが、今回はその中のひとつに注目します。

五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

「公共の精神」、「伝統」、「我が国と郷土を愛する」などが加えられた意図は、「教育勅語」復活、「個人的人権」への懸念(「公」に仕えよ)、愛国者養成などによるものでしょうが、これは、要は「天皇を中心とする神の国」(前述)を教え、愛する教育をさせようとするものです。


KEIさんはここに注目し、日本政府がアイヌ民族を日本の先住民族として認めた今日、この「伝統」の部分にアイヌ民族の伝統も入れるべきだと主張。さらに、教育基本法の下で作られる学習指導要領の国語や社会、道徳の一部を見せてくださり、問題点を指摘。

国語の「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」という付録表には、
「ア・伝統的な言語文化に関する事項」として、小学一,二年は「昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり、発表し合ったりすること」
を指導するように書かれています。
「神話・伝統」には当然、アイヌ民族のものも入れるべきですね。
歴史や道徳においても他民族国家であることを認め、多様性と共生をしっかり位置づけることも必要だと思いました。


教育も変えなければならないところがたくさんあります。
アイヌ民族の苦渋の歴史に対し、癒しと修復のプログラムを練り、実行するのも教育の領域ではないでしょうか。
それらを教える教師たちもしっかりと先住民族アイヌのことを学ぶことのできるプログラムも取り入れるべきだと思います。

次回のニサッタは、アイヌ民族自身が自らの文化・伝統を掘り起し、継承するために何を要求するかを含めた学びの時を持ちます。日時は後日に。

参考:西原博史「教育基本法『改正』」(岩波ブックレット615)、高橋哲哉「教育と国家」(講談社現代新書1742)、野田正彰「戦争と罪責」(岩波書店)、他。




ニサッタが終わり、いつものように深夜まで議論を交わし、じゃらんで1400円という格安スパ&ホテル「アビネル」で一泊(屋上に露天もあり、とても良かったですよ。普段は2900円とか。今回は感謝デー)。
昨日の午前中は札幌北光教会を訪ね、後宮敬爾牧師とアイヌ奨学金キリスト教協力会の事務局会を開催。昨年から後宮さんが協力会代表になって下さり、いろいろと相談させて戴いています。
その後、車を走らせ名寄へ向かい、道北センター英語学園にてアイヌ民族情報センターの会計監査を受け、留萌に帰宅。写真は途中の霧立峠で見つけた木です。だれが住みついているのでしょう?


ヤノマミ

2009-04-14 06:33:48 | インポート
新年度もスムーズに滑り出したでしょうか。皆さんのお働きと健康をお祈りします。

ふと、金子みすずさんの詩の朗読をテープにして送って頂いたことがあるのを思い出し、聞いてみました。とてもいいですね。

わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。


ただ「ちがう(異なる)」とだけ言っているのではなくて、「みんないい」というのがこころに響きますね。
「先住民族の権利に関する国際連合宣言」前文の2段落目にある「異なるとして尊重される」にも同じ響きを感じます。

すべての民族が異なることへの権利、自らを異なると考える権利、および異なる者として尊重される権利を有することを承認するとともに、先住民族が他のすべての民族と平等であることを確認し、 (「市民外交センター仮訳2008年7月31日」より引用)

12日夜はNHK総合で NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」が放送されました。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html
よかったですね。いろいろなことを考えさせられました。自分で録画できましたし。

「ヤノマミ」はその民族の言葉で「人間」という意味とのこと。「アイヌ」「マオリ」もその民族の言葉で同じ意味を持っていますね。
では、「日本人」は? そもそもなんでわたし達の国の名称は「日本」なのでしょう。 「カナダ」は?などと、疑問に思って調べ始めてみましたが、ここでの紹介はやめておきます(あまりに付け焼刃的ですので)。

ブラジルとベネゼエラがまたがる深い森の中にシャボノという円形の長屋のような住まいで150人ほどが生活しています。
取材班は10年の交渉の末、150日の同居が許されたそうです。
シャボノに住ませてもらい、同じものを食べさせてもらい(自分たちが獲物を捕獲した映像はなし。もしかして物々交換したかも)、言葉を覚えようと努めたようです。
すごいですね~。わたしも行って何年か生活させて戴きたいと思いました。
TBS特集「生命38億年スペシャル 人間とは何だ!?Ⅳ」で広瀬久実さんが取材に行ったインタビューがありますね。
http://www.tbs.co.jp/seimei4/interview3.html

集団でイノシシやバク、サルやオウムなどを狩りに行き、獲った食べ物は全員に分けられるようです。こども達も一人前に参加しジャガーの鳴き真似をしながら獲物を追っていました。
ということは、ジャガーもいるということですね(汗)。
映像も見事でした。このような番組を見たいですね。


さて、Q州のテッちゃんから戴いた原稿もなかなか進まずにいますが、じっくりとスルメのように噛み砕いて味わっています。内容が繊細で教えられることが多いです。過日に有識者懇談会に向けてチ・カラ・ニサッタで「提言」を作成して送りました。先方からちゃんと届いたとのレスがあり、さらに意見を言っていこうとわたし達も学び続けていますので、参考にさせて頂きながら深めていこうと思います。
それと、上村英明さんより先日、「アイヌ民族の国連活動の成果と展望~20年間の活動を降りかえる~」(先住民族の10年市民連絡会研究プロジェクトチーム編)をいただきました。これもWGIP参加報告など、細やかで知りたかった内容が満載していますので、読み進めていきたいと思います。

今日は朝から札幌に向かいアイヌ奨学金の実務をし、夜はチ・カラ・ニサッタの会合。今夜こそインターネット・カフェデビューなるでしょうか。
明日は札幌にてアイヌ奨学金の昨年のまとめを行い、午後には名寄で当センターの会計監査。さらに、5月、6月の海外からの来客の準備をウイットマーアイヌ民族委員長と詰めてきます。



国連憲章の目的・原則

2009-04-10 21:04:32 | インポート
昨日のblogを読んで下さったある方から感想を頂きました。
道外ではやはり情報が少ないのだ、と。
関東まではあっても、西日本ではほとんど記事が出ないとのこと。
先の明学でのシンポでも広島から来た方がおられましたが、その方などは頑張ってご自分で情報を得て、わざわざ東京まで来られたのですね。
国の今後の策として情報を全国に伝えること、教育の場での啓発の充実もしっかりとやってもらいたいですね。

先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下「権利宣言」)の第15条には一般教育に情報を提供する権利、第16条にはメディアに関する権利が書かれています。
以下、「市民外交センター仮訳2008年7月31日」を引用します。

第15 条【教育と公共情報に対する権利、偏見と差別の除去】
1. 先住民族は、教育および公共情報に適切に反映されるべき自らの文化、伝統、歴史および願望の尊厳ならびに多様性に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携および協力して、偏見と闘い、差別を除去し、先住民族および社会の他のすべての成員の間での寛容、理解および良好な関係を促進するために、効果的措置をとる。

第16 条【メディアに関する権利】
1. 先住民族は、独自のメディアを自身の言語で設立し、差別されずにあらゆる形態の非先住民族メディアへアクセス(到達もしくは入手し、利用)する権利を有する。
2. 国家は、国営メディアが先住民族の文化的多様性を正当に反映することを確保するため、効果的措置をとる。国家は、完全な表現の自由の確保を損なうことなく、民間のメディアが先住民族の文化的多様性を十分に反映することを奨励すべきである。


いづれも1はアイヌ民族の権利について、2はその権利に基づく国家の義務について書かれています。これらのことをアイヌ民族は主張できるし、日本政府はしっかりと政策として行なわなくてはならない、ということです。

有識者懇談会は
>「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を参照し、諸外国における先住民族政策等を整理」することを「検討事項」(3)に掲げています。
去る1月24日に小金湯のピリカ・コタンで行なわれた第13回ペウレ・ウタリの会(ペウレとはアイヌ語で“若者”の意)の中で、分団に分かれて参加者が政府に要求したいことを話し合い、発表する時間がありました(1/26blogの2番目参照)。その際、あるグループは「『宣言』の46条ぜんぶを要求する!」と言われたことが大変、印象に残っています。


今日、九州のテッシーさんから「宣言」関連の原稿を戴いたのを読み始め、新たに「宣言」のすごさに熱くなりました。
「宣言」は前文の部分がとても長く、24もの段落に分かれていて、さいしょ慣れずに読むとやたらとしつこく修飾節が続き、早く切れないかなとイライラしたものです。が、以前に上村さんが言われたように、この前文には「法の精神」(12/31 blog参照)が詰っている大変、重要なもののようです。
テッシーさんの原稿を読みながら、この「宣言」は国連憲章の目的と原則を達成するために必要な基準を示しているものだ、と宣言している(24段落)たいへん重要なものだ、と述べているのです! では、国連憲章に書かれている目的と原則とは以下のURLから少し長いですが、引用してUPします。
http://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/uncharter/japanese.html#1

第1条〔目的〕
国際連合の目的は、次の通りである。
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。
第2条〔原則〕
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。
6.この機構は、国際連合加盟国でない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。
7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7条に基く強制措置の適用を妨げるものではない。


以上、要は、この先住民族の権利を述べている「宣言」は、国際平和と安全、民族の同権、自己決定権の原理に基づく諸国間の友好関係の発展、人権、基本的自由の尊重などを達成するために必要なものなんだぞ、と「宣言」前文で明記しているってことなのですね。



ずっと一人きりで何の連絡もなく、アイヌ奨学金の事務や日曜日(イースターです)の準備を黙々としています。受難週にふさわしく己を見つめつつ過しています。食事も仕事をしながら食べるって、ちょっとまずいかも・・・。今までは書斎に癒し犬がいたので食べ物をむやみに持ち込めませんでしたが今はその時のことをなつかしんでいます。

場違いのように思われるでしょうが、上のチラシと同じものを5月25日から三夜連続で教会を会場に開催します。チケット前売り1,300円(通し券2,500円)とお求めやすいように設定しています。みんなのご協力があると当アイヌ民族情報センターにも収益が得られるやも知れませぬ。細かい字はクリックで拡大してどうぞ。


アイヌ民族関連の報道は

2009-04-09 05:22:37 | インポート
昨日UPした3月29日の明治学院大で開催されたシンポでの質問内容ですが、自信なげに書いたことを反省し、テープを聞きなおしました。すると、とんでもないぐらいに偏見で聴いていたことが発覚! お詫びと共に差換えます。
ん~~~。淋しさと疲れとで壊れています。スミマセン。

いくつかの意見を壊れた思考で全部わたし的にごちゃまぜにして語ってしまったようです。訂正しつつまとめたいと思います。

ある方は知人の北海道出身の人でさえアイヌ民族のことを知らないというほど教育がなされていない状態だから、段階を経て徐々に権利回復することが必要ではないか、との意見。
続いて、オーストラリアの先住民族の研究をされている方も同じような意見として、オーストラリア政府が真面目に取り上げるようになったり市民の意識が高まるには時間がかかったこと、さらにご自分の教えておられる大学生に聞いてもアイヌ民族のことを知らないことを挙げ、段階的に求めるべきだとの意見・質問がだされました。

それに答えたのが佐々木利和さん。
確かにそうだ。時間をかけるべきものもある。線路をとにかく引いて駅を作り続けよう。しかし、アイヌ語・アイヌ文化を含めた伝承回復の問題、それらをどのように国民に理解してもらえるかなどすごく急がなければならないものもある、と。

次の方は、先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下「権利宣言」)本文が新聞に載っていなかったことに触れ、これはおかしいことだと指摘。最もです。
それに阿部ユポさんが外務省がめずらしく翻訳したことを紹介され(「宣言」での翻訳はかつてしてこなかった。)、国として本腰入れていることに評価するとレスされました。
さらに、道内で配布している小中学生への副読本を全国の小中学生に配布するように要望していると。

他、以上の、要望をもっと低くするべき、段階を分けて徐々にするべきとの意見に反対するものもでましたが、省略します。



当センターのウェブ・サイトには「アイヌ民族関連ニュースblog」を別に作ってリンクさせています。それが以下にアドレスを変更し、リニューアルしました。
よろしかったらどうぞご覧下さい。http://blog.goo.ne.jp/ivelove/
できるだけ毎日、いくつかの新聞社のウェブ・サイトをのぞき、アイヌ民族関連ニュースの検索をかけて、ヒットしたものをUPしています。アイヌ民族関連のニュースは毎日とは言えませんが、ウェブ・サイトでは、かなり頻繁に記事が出ているものです。





幻の「誤日誌」をコピーされた方、抹消してください。

「先住民族の権利に関する国連宣言」を読むⅡ

2009-04-08 17:15:40 | インポート
白老のアイヌ民族博物館の入場者数が過去最少というニュースが入りました(北海道新聞04/03)。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/156840.php
アイヌ民族が日本の先住民族であることを国会が認めた、記憶に残る2008年度なのに、1984年の開館以来最少となったとか。
原因は、修学旅行シーズンと洞爺湖サミットとが重なったこと、そして、急激な円高による外国人客の大幅減という分析がされているようです。
盛り上げたいですね。

一方、室蘭民報ニュースによると、その白老ポロト湖畔にアイヌ民族の住居チセが完成したといううれしいニュース【2009年4月6日(月)朝刊】。18日に完成を祝うチセノミを行うようです。
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2009/04/06/20090406m_07.html
旭川の嵐山のチセ作りも楽しみです。ポロト・コタンのチセは萱葺きのようですが、旭川のは、すべて笹ですからね~。萱葺きのチセを作ったことがないので比較できませんが、笹のほうが作業量も多いと思うのですが(細やかな作業がひたすら続く)、経験もなかなか出来ませんから、皆さんもいかがでしょうか。手伝えるのかも含めて、追って情報が入り次第、UPします。


さっぽろ自由学校“遊”が、魅力ある新年度の新たな企画をしましたね。
ご案内です。

「先住民族の権利に関する国連宣言」を読むⅡ
アイヌ民族の権利回復に向けて
●5月6日(水)開講 全5回 月1回火曜(5/6を除く)18:30~20:30
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」
●受講料 一般 5,000円  会員・学生・アイヌ民族 4,000円
      (単発 一般 1,500円  会員・学生・アイヌ民族 1,000円)
●協 力  「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日」

2007年9月、20年以上前から国連の場で議論されていた「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されました。こうした国際的な動きを背景に、日本でも「アイヌ民族を先住民族とすることを求める」国会決議が採択され、新たなアイヌ民族政策への審議が始まっています。この「宣言」は、アイヌ民族にとって、そして日本人全体にとって、どのような意味を持つのでしょうか? アイヌ民族の権利にひきつけながら、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

2009年5月6日(水)
先住民族の自己決定権と国家の責任
●相内 俊一(あいうち としかず) 
 小樽商科大学大学院教授
 共著に『21世紀世界の人権』(明石書店)など
先住民族をめぐる国際的な議論の流れを追いながら、先住民族の自己決定権とは何か、自己決定権と国家の責任との間にはどのような関係があるのかについて考えたいと思います。

2009年6月2日(火)
樺太アイヌの歴史と現状~先住民族の「越境権」を考える
●田澤 守(たざわ まもる) 樺太アイヌ協会会長
 日本とロシアの国境策定により、分断と強制移住を余儀なくされた樺太アイヌの歴史をひもときながら、先住民族の「越境権」について考えます。

2009年7月7日(火)
台湾原住民族の権利回復運動とその成果
●ディヴァン・スクルマン 台湾基督長老教会宣教師
台湾総人口の2.1%を占める台湾原住民族は、憲法にもその存在が規定され、法制度的にも様々な権利をかちとってきています。歴史的に日本との関係も深い、台湾原住民族のいまを紹介していただきます。

2009年8月4日(火)
「権利回復」に向けての新たなアプローチ
●酒井 美直(さかい みな)アイヌ・レブルズ代表
首都圏に住むアイヌの若者たちが結成したアイヌ・レブルズは、新たなスタイルの文化表現を創造しながら、これまでとは違った形でアイヌとしての「権利回復」を模索しています。アイヌの若者たちの思いと、その未来に向けてのビジョンをお話していただきます。

2009年9月1日(火)
遺骨問題と研究者の責任~学問の暴力を問う
●植木 哲也(うえき てつや)
苫小牧駒澤大学教授
 著書に『学問の暴力~アイヌ墓地はなぜ暴かれたのか』(春風社)など
幕末から戦後まで、研究者たちによって続けられたアイヌ墓地発掘の実態とその変容を検討し、現在に残された問題を考えます。
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=193






三男が今朝、山形(独立学園高校)に旅立って行きました。
それを見送るかのように愛犬イヴが出発直前に老衰で召されました。
一緒にいるだけで癒されていました。たくさんの想い出をくれました。感謝でいっぱいです。
我が家が一気に淋しくなりました。逢えなくなった人に逢いたくなりました。


台湾への植民地支配 NHK特集

2009-04-06 19:26:25 | インポート
昨夜はNHK総合で「シリーズJAPANデビュー第1回 アジアの“一等国”」が放送されましたね。
その一時間前ほどに横浜の仲間から久しぶりに電話があり、なつかしく話をしていたらお願いがあるとのこと。
引越ししたばかりで録画環境がないから撮ってくれ、と。ちょうどその時に、いつもメディア情報を下さるwakkaさんからも案内メールを頂き、即、息子に依頼し、録画成功。

日本による台湾植民地化のことが取り上げられていました。
植民地台湾において抵抗運動を徹底的に押さえて樟脳産業で貿易利益を得ていったのですね。
樟脳はセルロイドの原料になるのですね。はじめて知りました。

日英博覧会のこともはじめて。
1910年に日本は台湾の植民地化の理解を得るためにロンドンで開かれた日英博覧会を利用します。これは「日本とイギリスの友好関係を祝う催し」で、「近代国家として坂を駆け上がってきたJAPAN」の産業や文化が幅ひろく紹介されたといいます。訪れたひとはおよそ八百万人。そこで特に人気をあつめたコーナーがあったそうです。
それが「人間動物園」。台湾原住民族であるパイワン民族を連れて行き、会場にパイワン民族の家を作り、その暮らしぶりを見世物としたそうです。
日英博覧会のガイドブックには、パイワン民族の闘いの踊りや模擬戦闘をさせられたことが記されています。当時、イギリスは博覧会などで植民地の人々を盛んに見世物にしていたようです。人を展示する「人間動物園」とよばれた、と。日本はそれを真似たようです。
進歩した国が「野蛮」で「劣った」植民地の人々を「文明化させて良いことをしている」と思わせ宣伝するために「人間動物園」を用いたと言っていました。

以前に書いたように、1910年以前にも博覧会で人を展示した事件がありました。
1903年に大阪で開催された第五回国内勧業博覧会、1904年には米セントルイス博覧会(いづれもblog左下の「検索」をしてみてください)で、アイヌ民族ほかの方たちを展示し見せ物にしました。これらの開催を見てもわかるように、日本は台湾以前にアイヌ・モシリや琉球・オキナワを植民地としたことを忘れてはいけませんね。台湾は日本の最初の植民地ではないのです。番組では沖縄のことには触れていましたが。


なかなか見ごたえがありましたね。次週12日(日)21:00~21:59のヤノマミ民族の特集も楽しみですね。
NHK総合 NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html




台湾基督長老教会から派遣されているディヴァン北海教区宣教師が帰国の際におみやげで買って来てくれたかわいい原住民族のイラスト・ポスト・カード。パイワン民族のとブヌン民族(ディヴァンさん)の二枚


先住民族の権利を憲法に盛り込むよう

2009-04-06 10:04:59 | インポート
4月に入りました。
新たな歩みをされている方もおられることでしょう。
みなさんのお働きとご健康をお祈りします。

3日に浦河を訪ね、アイヌ奨学金キリスト教協力会の奨学生面接に行って来ました。
アイヌ民族のみなさんや個々人の苦境を伺うのは大変辛いことです。
ましてや今年からわたしたちの教団教育委員会からの献金が突如、一方的に打ち切られることになり、資金面でも苦境に立たされています。

さて、3日夜の北海道大学アイヌ・先住民研究センター主催講演
『新たな統治のあり方を目指して:カナダ・ヌナヴト準州のイヌイトの挑戦』(講師:大村敬一さん 大阪大学准教授)を聞きに行きました。

1999年4月1日に成立したカナダのヌナブト準州のことを詳しく聞くことができました。ヌナブトとは先住民族イヌイット語で「われわれの大地」の意味。
世界で始めて武力紛争なしに、自分たちのほぼ自治制度に近い形の政治制度を立ち上げたことで注目を浴びています。
カナダ国土の五分の一の大きさで、人口24,000人中20,000人(85%)がイヌイット。
大村さんは文化人類学者としてヌナブト準州にある村に1992年からほぼ毎年通い、一緒に生活し言葉を学び、イヌイットの知識について学んでこられたとのこと。最初に写真やビデオを使ってイヌイットのみなさんの紹介をしてくださいました。
ビデオには結婚式でギターを弾いて喜びの歌を歌っている神父さん、アザラシ猟で空気穴に仕掛けをしている風景など見覚えがあるのがいくつか。北方民族博物館で流れていたものと思い出しました。

お話の中で大事なことと感じたのは、イヌイットが大半を占める準州であっても考え方や政治のしかたが「白人」的※なものであることに自らが気付き、いかにイヌイットらしさを目指していくかを議論し、実践しているかを教えて頂きました。
(※イヌイット語の単語カブルナークをそのまま訳せば「白人」となるのでこれを用いると講師談)
自分たちの考え方、価値の持ち方、人や物への関係の持ち方をイヌイット語で「イヌイット・クァオイマヤットクァンギ(カタカタで書くのは難しいなあ・・・)と言い、IQ(アイキュー)と略していました。
このIQと「白人」の思考との違いを明確化して、IQで統治することが実践されているとの事。
あまり理解できていないのですが、その違いはたとえば「白人」の組織のつくり方は一元的な指揮統制のもとで命令と管理に従った中で動いているヒエラルヒー(ピラミット階級型)型に対し、IQは野生生物を含むあらゆるものは自立的に成熟した諸個人が互いに認めあって築きあげる水平で対等な関係のネットワークの中での機能だ、と。
また、「白人」の思考は「こうあるべきだから、こうしなさい」的であるのに対し、IQは「こう振舞う事によって人とつながっていこう」というあり方だと説明されました。

アイヌ民族の皆さんが今、先住民族としての自己決定権のもとで、自分たちらしい歩みをすることを考える際、アイヌ民族的な考え方、人や動物、物との関係の持ち方を十分に活かしていっていいのだという事例として聞かせて頂きました。

「イヌイットが政治的に持続的、効果的に参加するための鍵は、既存の組織をさらに洗練して強化することにも、既存の意思決定の仕組みをいじり回すことにもない。イヌイットが自らの未来を決定し、自らの奥底の関心をあらわすにふさわしい制度と手続きを発達させる権利を憲法で正規に認めることにある」(イヌイットのリーダーでイヌイット初のカナダ連邦議会の議員、ピーター・イチンノアックのことば。大村さんのレジュメより引用)

この言葉もしっくりときました。今、アイヌ民族の権利回復のためにもっとも必要なことは「アイヌ民族が自らの未来を決定し、自らの奥底の関心をあらわすにふさわしい制度と手続きを発達させる権利を憲法に正規に認めること」ですね。具体的な細やかなことはアイヌ民族が後々決めていけばいいのですから。




有識者懇への「訴えのポイント」

2009-04-04 13:18:31 | インポート
3月29日の市民外交センター主催のシンポジウム「『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会』に何を期待するか」の簡単な報告は前回しました。
登壇者各位が発言された後に、上村英明さん(市民外交センター代表・恵泉女学園大学教授)が「訴えるポイント」をレジュメにそって発題されました。以下に上村さんのまとめを自分流に書いて見ました(ほぼ写しですが・・・)。


Ⅰ.先住民族としての歴史認識を明示する重要性
歴史認識を、各段階に分けて簡素であっても正確に明記し、その中から、今後の政策を導き出す。

①「近代化」(「北海道開拓」)以前。固有の歴史や文化を持った民族としてのアイヌ民族を明記することにより、民族としての自己決定権、政治的権利(民族政府、特別議席、民族会議)、外交・越境権などが回復できる。

②「近代化」から第二次世界大戦まで。植民地化、強制同化政策、制度的差別を明記することにより、アイヌ民族の土地権・領土権・資源権(国有地の利用・返還、土地賠償)、文化的・宗教的権利(言語権含)、経済的・社会的権利(農・漁業他)などが回復できる。

③第二次世界大戦から今日。「単一民族国民国家」言説の流布、構造的差別、基本的な政策の不在などを明記することにより、教育権、メディア・情報の権利などが回復でき、「北海道旧土人保護法」廃止過程への評価、アイヌ文化振興法をふくむ「アイヌの人々」に対する政策の現状の評価がなされるようになる。

④国連へのアイヌ民族の参加過程への評価。「先住民族の権利に関する国連宣言」の重要性の確認が明記されることにより、46条全文とアイヌ民族施策との関係性が確認できる。

⑤上記①~④を踏まえた上での方向性。以上の正確な歴史の認知があって、国の責任の明確化と謝罪の勧告が出来るし、新たな審議機関の設置勧告、また、「真実和解委員会」(事実調査と癒しを行なう機関)の設置勧告ができる。

Ⅱ.先住民族の権利を法制化することの確認
「アイヌ民族基本法」および関連諸法令の包括的改正や、アイヌ民族の全体性・平等性と個別的認識の確保(道内外、北海道アイヌ・樺太アイヌ、千島アイヌなど)、また、アシリチェップノミや先住民族エコ・ツアーなど現在開催している文化的権利実践への法的補償の確認。

Ⅲ.国の責任による予算措置の確保
国としての財政基盤確立の責任をしっかりともってもらう。さらには、自立化基金の設置。


Ⅱの「アイヌ民族基本法」については聞き逃しましたが、阿部ユポさんが指摘された1984年に北海道ウタリ協会が可決した「アイヌ民族に関する法律(案)」に書かれた内容をしっかりとおさえて法制化することを確認するべきでしょう。

上村さんは上記のポイントを紹介しつつ、これらは同時に有識者懇がどれだけしっかりと役目を果たしたかを評価するポイントともなると言われました。その通りですね。
10年前の「アイヌ文化振興法」がつくられる際に組織された「有識者懇談会」の答申についても評価のためのポイントが欲しかったですね。





今一度、この度の有識者懇談会で行なう「検討事項」をウェブ頁から抜き出してUPします。

(1) アイヌの人々の生活状況や差別等に関する実態把握
(2) これまでのアイヌ政策の評価
(3) 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を参照し、諸外国における先住民族政策等を整理
(4) (2)及び(3)を踏まえた今後のアイヌ政策の検討
(5) 提言の取りまとめ
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/index.html




川村カ子トアイヌ記念館所蔵のラッコ毛皮


アイヌ民族の声を届けるシンポ

2009-04-01 15:48:17 | インポート
北海道ウタリ協会が本日から設立時の「北海道アイヌ協会」に名称変更することが報じられました(北海道新聞04/01 07:06)。
アイヌ語で「人」の意の「アイヌ」という言葉が差別的に使われてきたことに配慮し、1986年に「仲間」を意味する「ウタリ」に変えたのですが、この度、「民族名を名乗り、内外に向けた権利獲得の運動を強化するのが目的」(同)とのことで名称を戻すことに。
この数年、わたしもウタリ協会の総会を傍聴させて頂いていますが、反対の声も多くありました。まだまだ差別があることを知らされました。
今後の権利獲得の働きを覚えて祈ります。


3月27日から30日までの東京での報告をします。

27日は町田の農村伝道神学校に行き、君島校長とアイヌ奨学金キリスト教協力会の事務確認をさせて頂きました。

28日は早朝から上野に向い、東京国立博物館の本館第15室「特集陳列 アイヌの文様」を見てきました。
40数点が陳列されており、以下のURLにて資料の内容がわかります。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B07&processId=00&event_id=6109&event_idx=1&dispdate=2009/01/06

徳川頼貞氏寄贈と先日北大博物館の講演で聞いたばかりの国内勧業博覧会で流れてきた資料(3/15 blog参照)とが大半を占めていました。



むっちゃ目つきの悪いトラ 黒田清輝の作品(東京国立博物館)。「読書」は有名ですね。


午後は八重洲にあるアイヌ文化交流センターへ行き、いくつかのビデオを観てきました。これも、先の北大博物館講演に出てきた犬飼撮影「熊送り」。
そして、マンロー撮影の「二風谷アイヌのウェポタラ 1」。他にもたくさん貴重な映像があるので、今後も利用したいと思います。


夕方には友人で音楽プロデューサーをされている兼岩夫妻とお茶をしながら、来る5月の計画。世界のバイオリンニストである久保陽子さんが留萌で三晩連続コンサートをしてくれるのです。収益の一部をアイヌ民族情報センターにもとのことで、大変感謝なお話です。


夜は日本口琴大会のコンサートを聞きに行きました。会場は久保陽子さんが教授籍を置いている東京音楽大学。ここに民族音楽の研究施設があるのですね。
コンサートでは、うたえさんの緊張感がこちらにも伝わってどきどきでしたが、よかったですよ。床さんの歌もすばらしい。
会場でなんと中国四川省のゾウ民族が使っている三音の口琴を見つけて購入!
はたまた口琴の世界が広がりました。





29日午前は行人坂教会にて礼拝に参加させていただき、午後は市民外交センター主催のシンポジウムへ。明治学院大学のどでかい校舎を見上げながら、ここで久世父ちゃんが学長されてるんだなあ、と独り言。中に入って迷路のような廊下を進んで会場へ。

阿部ユポさん(北海道ウタリ協会副理事長)は、有識者懇第二回会合の際に加藤忠ウタリ協会理事長が要望された内容、および、1984年に同協会が可決した「アイヌ民族に関する法律(案)」に答えるようにと要望されました。事前に同法案をコピーして会場に持って行っていたので再読しました。代表議席も記されているし、「国政および地方政治にアイヌ民族政策を正当かつ継続的に反映させるために、次の審議機関を設置する」ことも盛り込まれています。この要望にきちんと答えるべきだとあらためて感じました。

丸子美記子さん(アイヌウタリ連絡会代表)は、道外の「アイヌ民族対策からも見捨てられてきた」立場からの権利回復を主張。
続けて、島崎直美さん(札幌ウポポ保存会事務局長)は、「チ・カラ・ニサッタ」の『提言』を紹介。
川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん(旭川アイヌ協議会会長)は、アイヌ語で自己紹介され、旭川でのアイヌ民族の歴史と要望を述べられました。

これらを受けて佐々木利和さん(国立民族学博物館教授・有識者懇談会メンバー)が、有識者懇の流れを紹介されました。第二回会合での加藤忠さんの報告の内容は「わたしども委員としてかなり重く受け止められている」と発言、さらに、歴史的認識を記述すること、窓口機関の設置、法整備などの方向性についても話し合われていること、実際の具体的な提言作成は今後のことであること、今回の諸氏の発言に関しては今後の有識者懇で発言していくことなどを応答されました。期待したいと思います。


歴史的認識をしっかり記述できるだろうとのことですが、アイヌ民族の自己決定権に関してはどんな話し合いがなされているかを質問しました。しかし・・・レスの内容がよく分かりませんでした・・・
「民族としてのアイヌ(の自己決定権)については、まだ具体的な議論がなされていないが、個人としてのアイヌ(の自己決定権)は極めて重要なことになっていくだろうと常本先生のレポートで出ている。ですから、まず個人としてのアイヌの人々が存在して、そのアイヌの人たちが住んでいる地域まで、ということが新しい施策の範囲になる。ですから北海道だけに限定されるのではなくて日本列島全域に及ぶような施策になるかと思う」
カッコ内はわたしの解釈による補いですが、違うかも知れません。アイヌ民族という集団としての自己決定権とアイヌ民族の一個人としての自己決定権と分けて考えられる? う~ん。もう少し元気があれば、突っ込んで聞くのでしたが・・・。


上村英明さん(市民外交センター代表・恵泉女学園大学教授)が、その後に短くも確実な整理をされました。この件に関しては後日に紹介しましょう。




全体的に、元気がないなと思いきや、どうやらシンポ前に数時間の激論をすでに交わした後だったそうな。納得しました。佐々木さん、応援していますよ!

初めてお会いする方も多く東京に行ってよかったです。

今回はインターネット・カフェ泊りになるだろうと思っていましたが、兼岩さんのところにお世話になることができました。感謝!
帰宅後、旅の疲れや苦しそうにしている愛犬の看病でさらに落ち込んでいます。
しかし、3日はまた浦河に行き、新年度のアイヌ奨学生の面接、夜は北大アイヌ・先住民研究センターの講演(カナダ・ヌナブート準州について)があり、その後、留萌に帰らねばいけませんので落ち込んでばかりはいられません。新年度が来るのが早いですね。