帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

講習会

2017-10-05 09:22:07 | 病気

先日あった市民講座

主治医の先生が、もろこの病気の話をすると云うので行って来ました。

場所は、家から車で10分、駐車場の確保のため、ちょっと早めに出発、駐車場で待機、開演15分前に会場へ。

入口にはこんなポスターが。

 

                       

 

約1時間の講演の様です。

会場には、自分も含めそれなりのお年の方が、席を占めています。

 

                       

 

講演は約40分で終了、その後は質問タイム、結構活発な質問が。

質問というか、各々の罹患者が自分の症状に沿って、今後の対応や予測を聞くと云った感じです。

いろいろ聞いていると、やはり各々深刻です。

「PSA188からの病状、薬、今後の問題」、まー他人事ながら質問者80代に手が届く人、

心の中じゃ、「苦しまねば良い人生だったと思えるんじゃないの!」と、突き放した思いがあります。

「息子が40代で発症、PSAは・・・今は落ち着いているが、このまま・・・」と、結構深刻です。

こっちは「まだまだ若年、今からの人生、頑張って欲しいな!」と、応援します。

 

先生の話の中で、病期や患者、死亡者数、身につまされる数字が発せられます。

「うーん、後・・年、頑張れるか?」と、やはり終活大事な様です。

今始めている終活、フリマ市場での不要品の売却です。

思った以上に売れ行き好調、ハードオフ、ブックオフに比べ・・倍の価格で売れ、身辺整理も出来るため、ホートー嵌りそうです。

とはいえ、価格下げても、売れ残り商品多く、それらの措置を今後の課題にせねばなりません。

 

 

 

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どこまでが史実(その3)

2017-10-01 10:52:27 | 歴史

これらの文献には、残念ながら・・・・・

そー、砂金の砂の字もありません。

この時代、まだまだ砂金への関心と云うか、砂金が採れる、採る等の意識はなかった様です。

では、いつの時代から、砂金、金鉱への探鉱が始まったのか?

 

この草本からいろいろ辿って行くと、市史等にここの鉱山資料があります。

草本金山は平安時代の末期、山伏が山に登った折に金鉱脈の露頭を発見、土地の人はこの山を白銀山と呼んでいる。

江戸時代に入り、中津藩主小笠原長次が寛永18年(1642年)に本格的な採掘を始めた。

その後鉱山の一時休山等の盛衰はあるが、享保3年(1718年)まで約80年間、採掘が続けられている。

廃山の理由は資源の枯渇、採算の悪化と云われています。

 

明治以降小規模鉱山が草本周辺で操業、かなりの高品位鉱石も産出された様です。

昭和に入り、戦前、戦中とかなりの規模の鉱山の操業(従業員最大400名)がありました。

しかしながら昭和28年に閉山、産金の歴史がここで途絶えました。

 

ネットでの草本金山のレポートです。

http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2006-12-15

 

これらを総合すると、この物語の背景が少し垣間見られます。

少なくとも昭和年代に企画されたもので、歴史と近代遺産を組み合わせて

この物語新たに創作し、この街の観光案内に一役かったのでは?

実際に子刀自姫はいた様ですし、時代は違うとはいえ、金鉱山があった。

当然川には砂金が・・・、きっと今でも眠っている筈・・・・

 

と云ったところで、このブログのどこかに結びつくのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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