帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

古本(その3)

2020-04-25 07:15:24 | 歴史

これはどーか?

 

               

 

前回の本と違い、この本、記録・事実と作者の推論で組み立てられています。

どんな流れの本か、目次追って見ましょう!!

 

第一章  金印発光す

第二章  金印を鑑定する

第三章  亀井南冥の活躍

第四章  金印の解読 鈕と印文

第五章  真贋論争と中国の金印

第六章  亀井南冥の失脚

第七章  金印を発光させる

第八章  だれが金印を作ったか

 

この章立てで、大体の流れ分かったかな?

半分の章は今までの文献にも記述がある内容で、大きな違いは、第三、六章の亀井南冥なる人物です。

この作者、この方に焦点当てているのが分かりますね!!

どんな風に焦点絞っていくか、概略の粗筋いってみましょう!!

 

第一章  金印発光す

金印の出土場所の説明や出土後の各種文献の説明です。

所謂事実になるので、他文献と大きな差はないでしょう。

と云いながらオラッチャ、他の文献読んでもいませんが。

ここでの疑問や各種調査結果を、作者述べています。

1. 金印出土の場所にしては、地形的にあまりに不自然。

2.    昭和48年(1973)、金印公園整備のための発掘調査では、志賀島の各所で調査を実施、

   その結果、金印に関係する弥生後期の遺物は発見されなかった。

3. 昭和60年(1985)、道路拡張のために出土地付近の発掘調査が実施されたが、

    金印に繋がる遺構の様なものは発見されなかった。

4.   平成6年(1994)、福岡市、公園沖の 海底調査を実施したが、何も発見できなかった。

 

出土地点そのものが、いろいろおかしな臭いで満ちている様です。

まーこれは、前の文献でも指摘されているので、さほど大きな問題とは思えませんが・・・

 

第二章  金印を鑑定する

金印発見は、甚兵衛なる者で、その後、発見時の口上書が作成された。

それを役所に提出、金印・口上書が福岡藩に買い取られ、藩の宝物となり、藩庫に秘蔵された。

簡単に云えば、そんなところの様です。

農民が金印なんぞ持っても、碌なことありません。さっさとお上に提出、それなりの褒美を貰った方が正解です。

こう書けば、それなりに辻褄あってる感じです。

ただ、福岡藩が買い取るまでには、いろいろ紆余曲折があったみたい。

役所提出前後に、この金印を調査・鑑定した人物、それが亀井南冥なる人です。

この方が鑑定した内容、金印の真贋と云うのではありません。

この書類、2通ある様で、

1通は、金印のスケッチ、大きさ、重さを記述。

もう1通は、印面に彫られた文字の解釈です。

この2通が何時書かれたか?

単純な記録の様ですが、いろいろな文献からその時期決めること、なかなか判断難しい様です。

そんな所からも、やっぱ臭います。

 

さらに金印とは別に、この福岡藩の学問研究にとって大きな出来事が同時期に発生しています。

福岡城を挟んで、東西に藩校が開校、東に修猷館、西に甘棠館、この館長が武田定良と亀井南冥です。

この両校に、福岡藩が金印を鑑定させています。

ただその時期も実際は定かではない様ですが、最初の鑑定は甘棠館の亀井南冥で、修猷館は受け入れ後が考えられます。

何故かといえば、その鑑定書の内容から読み解けます。

南冥の鑑定は、漢籍の知識を駆使して行っているのに対し、修猷館のそれは、館長含む5名で「金印議」なる文章を提出しています。

この文章が5名の教授が解釈したにしては、あまりに突飛で不自然な内容です。

これから5名の何らかの意図や魂胆が読み取れ、それが相手への対抗意識なのか、何かしらの胡散臭さを茶化す文章か、いろいろ推察できます。

ただ、最終的には黒田藩の藩庫に納められ、それなりの記録の添付で今あることに。

 

次章でターゲットの人物炙り出します。

 

コメント
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