-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

沼澤(ヌマサ)の伝説

2013-07-06 16:27:00 | 伝説

 尾花沢高校の郷土研究部が昭和41年3月1日に発行した「尾花沢伝説集」から第二弾のお話です。  

121 大ツブ(大たにし)―(以下は原文のままです。)

沼沢地内に沼がある。その沼に昔、大きな俵のようなツブが住んでいて、そばで昼寝などしていると、その大ツブに呑みこまれてしまうほどであったそうである。

 

 上の写真は、清水畑(スズバタ)地区から見た沼澤方面です。

 何とも短い伝説ですが、ついこの間も畑沢の人から確認しました。やはり畑沢では広く伝えられていたようです。「沼澤」とは、畑沢で「ヌマサ」と言っていた場所だと思います。「たにし」は畑沢では、「ツブ」と呼んでいました。私たちが子供のころに、「作業」と称する活動で採集して子供会の資金を稼いでいたあの巻貝です。この伝説には考えさせられました。そもそも、沼澤には「沼」がありません。畑沢の古老に聞いても沼は知らないそうです。すると、ずっとずっと昔には、沼があったのでしょうか。沼澤周辺の地形図をじっと見ていると、奥部と比べて極端に極端に細くなっている場所があります。そこは昭和60年ごろに砂防ダムが築かれた場所で、背炙り峠から続く山裾に立石山(タテス山)からの急斜面が迫っています。昔、ここで川がせき止められていたとすれば、かなり大きな沼ができていた可能性があります。ただし、証拠は何もありません。単なる自由な発想ですので、適当にあしらっていただいて結構です。もう一つ自由な発想は、「大つぶ」です。実は、立石山の麓には、私が子供のころには、直径2m程度の大石がごろごろ転がっていました。立石山の中腹から転がり落ちてきたものでしょう。立石山を構成している岩石はとても硬いので、そのまま長い間、同じ位置に転がっていたものでしょう。これが、「大つぶ」の正体ではないかと考えたわけです。

 昔、昔、スビタレが沼澤の大沼のほとりで昼寝をしていました。やがて日が暮れかかったころ、大きな音がしたのでスビタレは目を覚ましました。そのとき頭に覆いかぶさるように、丸い形をした大きなものがありました。暗くなったスビタレの目には、自分を襲ってきたように感じて、肝をつぶして家に逃げ帰りました。丸く黒い物体は、立石山から転がってきたばかりの大石だったのですが、スビタレは黒く丸いものがタニシの形に似ていたので、村人には「つぶに襲われた」と言いましたとさ。(スビタレ新伝説

 何ともデタラメな推察で恐縮です。まあ、スビタレとはこんなものです。


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