-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ザッコ釣りは雪解けとともに

2015-04-01 10:47:41 | 思い出

 連続して、畑沢のまとめ(仮称)からの抜粋です。


 庄内藩士は、釣りを武門の嗜(たしな)みとして奨励されていたそうです。釣りを「嗜み」などと言われると、少々、むず痒くなってきますが、畑沢の男の子は実にその「嗜み」を行っていました。しかも、現代の子ども達からみれば、想像できない程に徹底していました。さすがに冬こそはしませんが、まだかなりの雪が残っていても、4月に入って雪解け水で川が増水し底が見えないほどに濁ってくると、淀み辺りを探りだします。


「水えっぱえあっげど、釣れっかもすんねな」


 釣竿は「竿」と言うほどの立派なものではありません。家の前に立てかけてある通称「ニショキ」と言うものを使います。ニショキとは、桑の木の枝です。養蚕の繁忙期は、畑から株立ちしている桑を枝ごと切り取ってきます。自宅に来てから葉を掻いた残りの枝をニショキと言って、家の前に立てかけて乾燥させ、燃料に使いました。長くても3mほどで、枝が出ていませんし軽い材料です。それだけに脆いのですが、10cm程度の小魚なら十分に釣りあげられます。ニショキは、子どもにとって大変に便利な遊び材料でした。釣竿に使うほか、赤胴鈴の助、竜巻雷の進、鞍馬天狗、白馬童子等々の刀にもなりました。身近に大量にありました。


 釣り糸は黒の木綿糸。テグスなどと言うのは高級品なので、ある程度のお金持ちのお坊ちゃんが使います。重りは古釘が一般的でした。小石を使ったこともありましたが、直ぐに糸から外れてしまいます。一番良いのは空になった水彩絵具のチューブです。鉛でできていましたので最高ですが、滅多に手に入りません。餌は御飯粒です。御飯粒は丁度良い大きさになっていますので、そのまま使えます。しかし、柔らかいので針持ちがよくありません。一回釣るたびに付け替えなければりませんでした。針持ちが良いのは、タニシです。特に雄だけにある米粒を細くしたようなものは、そのままでも針に付けられる大きさです。春にタニシを足でつぶすと、タニシの雌雄が直ぐに分かります。雌からは小さなタニシの子が沢山出てきます。タニシの子が入っていなければほぼ間違いなく雄ですので、例のものを探します。


 さすがに針だけは、延沢で買いました。小学校からの帰り道、とある延沢の民家の勝手口の前で、叫びます。
「買うー 買うー」
すると、おばあちゃんが勝手口に現われます。
「ザッコ針 買う」
助詞を含まない会話です。
「何本や」
「ずっぽん(十本)」
「んだが どれや」
小さな引出から針を取り出して、薬を包む要領で紙に分けてくれました。代価は五円や十円の世界です。その針には道糸は付いていません。釣る時には木綿糸に直接、結びつけました。今の人が聞くと、「えっ、これで釣れるの」と思うことでしょうが、これで十分に釣れました。釣れるのはアブラハヤ、畑沢では「ニガ」と呼んでいた魚です。この魚の外にも、ウグイやイワナもいたのですが、千鳥川では釣りの対象にはなりませんでした。この程度の釣り方では、無理だったのです。


 田植えのころの夕方、小学生が「火の用心」と集落を廻っていると、無数の蜻蛉(カゲロウ)が垂直にパタパタと舞い上がり、スーッと降りてくるのを繰り返します。所謂、婚姻飛翔と呼ばれるものです。その中には、力尽きて川面に落下してしまう蜻蛉も多数いました。それを川魚が狙って餌にします。水面が魚の捕食による波紋とバシャバシャという音で賑わいます。その魚の中で最も元気な捕食活動するのが、ウグイでした。見ている私たちは、胸がドキドキしています。「このムス(虫)使うど、ヘズギ(ウグイ)釣れっぞ」。しかし、一度も試したことがないままに終わりました。釣りをする日中には、カゲロウは婚姻飛翔をしません。



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