路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

野辺山完走記 ⑤ レース後半

2010年05月22日 19時31分55秒 | Weblog
 今日中に仕上げたいと思っていた書類が思いのほか早く仕上がってので⑤に突入します。

 50㎞を過ぎて、しばらく進むと前方にT君の姿が。その他にも「還暦さん」(そんな感じの仮装をした見知らぬランナー)や「ウルトラクイズさん」(そんな感じの帽子をかぶった見知らぬランナー)が前後になり抜きつ抜かれつ。
 2車線の大きな道路を渡る辺りでT君がストレッチをしていました。「○×△・・・」(なんと声をかけたのか忘れました)と声をかけ横を通り過ぎました。このレースでは、T君の後になることはもうありませんでした。。
 更に進むと、「そうか、こんな感じだったけ」
 すれ違いの始まるポイントに入りました。これで3回目のハズなのに、こんな感じだったとは記憶にありませんでした。
(説明会の時に「すれ違いポイントで、間違えてショートカットしてしまったらどうするんですか?」という質問があったが。故意にじゃなければ絶対に間違えません!進む方は直進ですから。)
 昨年ここの折り返しで始めてうめさんとすれ違い、始めて走っているうめさんを目にしたので今年も会えるかな?と期待していました。すると、なんと、すれ違いには入ってすぐ、たぶん温かい麦茶を出してくれる私設エイドのところ?で、すぐに出会ってしまいました。
「えっ!」
こんなに差があるの?今年は去年よりも30分近く早く通過してきたのに!とわたしが驚いていたとき(後で聞いた話ですが)うめさんも
「えっ!今年はすれ違わないと思っていたのに」
と、思っていたそうです。(やはり30分程早く通過してきていたから)
 折り返しに向かい、ややショックを受けていた私の目にセーラー服の素敵な女性が映りました。私の認識では、セーラー服の仮装の人はおじさんが多いのに、この方はとても精悍な感じのする女性でした。追い付きたかったけどとても無理な位離されています。
 今回私は、どんな上り坂も歩かずに進んできました。58㎞のチェックポイント&エイドの付近でも。まぁ、それが良くなかったんですけど。
 折り返してすぐにT君とすれ違いました。
「あと少しだよ」
と向こう側の車線にいるT君にかけた声は届いていたようでした。
 しかし、この辺りでは既に、特にももの前の辺りが張ってきています。60㎞のチェックポイントを過ぎたあたりから右膝が痛み出し、とうとう下りにもかかわらず歩いてしまいました。
 そこから、71㎞地点まで歩いたり走ったり歩いたりの繰り返しです。見慣れたランドレの女性とも抜きつ抜かれつ。
 71㎞のエイドでは迷わずおそばを頂きました。マッサージのサービスは並んでいたのでセルフマッサージジェルを塗って出発しました。
 いよいよ、馬越峠です。この峠は、初めから歩くつもりだったのですが、それにしても長い。長い長い長い。車でも2速であがれるかどうか?という感じの上り坂が5㎞続きます!この坂道解ってはいたけどきつい。5㎞の上り坂を歩くのは1時間では歩けません。しかも、どんどんどんどん抜かされいきます。気が滅入りながらも上っていくと後からデカフォレストの方に抜かされました。デカフォレストの方に、
「あとどの位ですかね?」
と聞いてみました。
「あと、3.5キロぐらいでしょう。ここでは脚を使って走ってもタイム的には大して変わらないから、このように歩いた方がいいですよ。」
という言葉を残して、さくさくと上って行ってしまいました。
 後を振り向くと遥か遠くにT君のような人が歩いて上っています。
「えっ!」
 確かに歩くの遅いけどもう追い付かれる?と焦りながらも早くは歩けません。
 なんとか、79㎞地点馬越峠の頂上に着きました。ホットしながらも、軽く補給して下りです。魔の下りです。がたがたの下半身、筋肉痛がき始めている大胸筋は走るたび、揺れるたびに痛みを伴います。たしか、うめさんがウエァーの下にぴたっとしたアンダーアーマーを着ていると言っていましたが、この大胸筋の揺れを抑える効果がありそうです。
 下りも体の使い方を工夫しながら、スピードを落としながらなんとか歩かずに走り続けます。腰高の姿勢をキープし続けると、膝や股関節の痛みを比較的抑えることが出来ました。
「そうそうここまで着た。今年も来たぞ。」
と思いました。しかし、やはりここを歩かずに下ることは私の脚には厳しかったのでしょう。この後かなりの失速をしました。下り降りるとやっとフラットな道に出ます。しかし、その数百m手前で足が止まってしまいました。歩いてしまいました。フラットな道では毎年ペースアップしてがんがんぬかしまくりました。今年も、
「行くぞ!」
とペースアップ。市街地では抜かしまくりましたが、川沿いに来たところでまたもや失速。87㎞の最後の着替えポイントではへろへろになっていました。
 レース前は87㎞からラストスパートをするためにエネルギージェルだけ補給して走る予定でした。でも、もう既にその余力はなく、うどんを食べ、靴下を履き替え、川柳も書いて!休憩をしてぼちぼちと走り始めました。

以下、レース終盤に続く、でしょう。

野辺山完走記④ レース前半

2010年05月22日 05時37分22秒 | Weblog
 レース当日は、朝から霧雨模様。予報では曇りだったのに。でも、走るころには天気も回復模様。
 スタートロスは1分ぐらいでコースに出る。見慣れた風景に今年はT君が。振り返ってみれば今年はT君を意識しすぎて自分のペースを守れずに後半の失速につながったという感じ。
 私の周りの人は、これからの長い道のりを知ってキロ6から7分ぐらいでとことこ進んでいる。なんとも、力みのない(力が入っていたら走りきれないから)走りで進む。途中でT君に抜かされる。左前方、2~30mのところにずーと見えている。彼はハーフ1本しかレースの経験がないので後半は失速、またはリタイアするだろうと考えていました。
 初めのエイドでは先行していたのかも知れないが、そのうち抜かす。しかし、わたしがエイドで補給していると後から抜かし、少し進んだところで又わたしが抜き返すという展開がなんと!50㎞のエイドまで続いたのです。
 私の今年のレースプランは「徹底的に前半から後半までゆっくりと進みラスト13㎞まで脚を残しそこからラストスパート」だったはずなのに、T君に抜かされるたびにレースプランが崩れていくのに気がつきました。
「この坂は ゆっくりでも 走り続けよう」・・・と。
 ゆっくりというのは、レース前はきつい上り坂は歩くハズだったのに、レース中にはゆっくりと走るに変わってしまいました。
 35㎞の稲子湯の手前1㎞のきつい上り坂は今までは半分以上は歩いて上っていたのですが、今年は全てゆっくりと走って登り切りました。走って上ってみると今まで思っていたよりもこの坂は短く感じ→坂を走って上る快感を味わってしまいました。(これがいけなかったのでしょうね)
 心地よい(その時点では)疲労感を感じながら35㎞エイドではお汁粉を味わい、トイレにも寄って、ストレッチもしてたっぷり5分程休んでスタートしました。ここからの上り坂も当然走って上りました。すると、前方にT君が・・・。
「えっ!」
 もうこの辺りでは、大分後にいるはずと思っていたのに。軽く焦りましたが、大きくはペースを変えずに、しかし、上りでも必ず歩かずに走り続けました。
「お汁粉食べた?」
と後から追い付きざまに声をかけると、T君はわたしが後にいたことに驚いたようでしたが、
「えっ!今のところにお汁粉があったんですか!」
と応える余裕も持っていました。
 42㎞の着替えポイント直前は長い下り坂です。基本的に下り坂は苦手です。この頃には結構脚にきはじめていたのと、急な下り坂は股関節や膝関節が痛いので左端の芝生の歩道を進みました。後から快調なペースのランナーに抜かされまくります。
 42㎞のエイドでも私は着替えて補給をして走り出すと前方にT君が!再びエイドで抜かされていました。ここでは先程よりも少し焦りが大きくなりましたが、自分としてはペースを崩さずに淡々と走り続けた・・・つもりだったんですけどねぇ。
 再び後から抜かし
「T君」
と声をかけると、今回も驚いていました。
 その後も、上がる気温と闘いながら50㎞の中間点&おそばの給食を目指して走り続けます。見慣れた風景を楽しみながら、
「おう、ここを過ぎればもうすぐ50㎞だ!」
とさすがに3回目なので余裕を持って到着しました。
 50㎞はわずかに6時間を切っていました。昨年より30分程早い到着です。ここで、レースプランとのずれを意識したのですが、
「早く通過できている」という勘違い(無理をしているのに)と「T君との差」が私の判断を狂わせてしまったようです。
 それでも、おそばの列に並びゆでたてのおそばとおにぎりを味わい、ストレッチをして休憩。実は、そばに並んでいるときにT君が50㎞を通過していきました。軽く補給した後、その先でリックをおろし着替えをしているところが見えました。後で聞くと、
「それまでウェアーを反対に来ていたので、直しました」とのことです。100㎞のレース中一度もいわゆる着替えはしなかったそうです。
 おそばではものすごく(10分弱)並んだけど、並んでいる間回復もするわけだからここは自分的にはおそばで体も気持ちもリフレッシュしたいところです。(来年も並んで食べると思います)
 50㎞を過ぎ、またまた、T君を追いかける旅が始まります。
 そして、レースも後半に入ります。
(完走記⑤につづく といいなぁ)