フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月29日(日) 曇り

2024-09-30 12:01:21 | Weblog

9時半、起床。いつもより遅い起床だが、チャイは雨戸を開ける前の一階の和室のチェアの上でおとなしくしている。今日、病院に連れていかれて定期健診(採血、検尿、検便)とワクチンの接種を受けることは知らない。

蛙が病院に連れていかれることはない。そろそろ気温が下がり、水も冷たくなってくるであろうから、朝、水の器の中にいる蛙を見る機会は減って来るのではなかろうか。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

食事をしながら『ア・ターブル ノスタルジックな休日』(録画)を観る。今日の散歩は神代植物公園だった。深大寺の側だが、「神代」なんですね。

新聞の書評欄に品治佑吉『人生と闘争 清水幾太郎の社会学』白水社が紹介されていた(評者は政治学学者の苅部直)。私がこの夏休みに書いた原稿でも本書を参考にさせていただいた。品治(ほんじ)さんは39歳(1985年生)で、清水幾太郎の研究者の中では一番お若い世代に属する。彼の研究の特色は清水の自伝や自伝的エッセイに着目されていること。「人生を語る社会学者としての清水幾太郎」ということである。福田和也は「清水幾太郎は、基本的に自伝作家、回想録の名手だと思う」と書いていたが(『放蕩の果て 自叙伝的批評集』)、品治さんも清水の自伝が好きなのだと思うが、たんに好きだということではなく、人生を語りながら社会を(社会学的考察を)語るという方法論に清水の社会学の特徴、面目躍如たるところを観ている点が斬新なのである。

昨日のブログを書いてアップする。

ベランダに出て空を眺めていたら、雨が降って来た。急いで洗濯物を取り込む。よかった、書斎にいたら気づかなかったろう。

1時から大学院の社会学のコース会議(オンライン)。主任の先生から「大久保先生、最終講義についてどうお考えですか」と聞かれる。「教室での最終講義ではなく、オンデマンドを活用しての最終講義ができないかと考えております」と答える。特定の日の特定の時間に特定の場所(教室)で行う一回性のものが伝統的だが、ネットを活用した「いつでも、どこでも」的なものを考えてもよい時代ではないかしら。実際、コロナの時代になってからのこの5年間、大教室でやっていた講義をオンデマンドでやるようになった。当初は、便宜的なものであったが、やっているうちにオンデマンドならではのよさというものを実感するようになったのである。

コース会議を終え、昼食を食べに出る。

女塚通りの床屋さんの前を通る。

「吉岡家」に入る。

注文を済ませて、『村上ラヂオ』の続きを読む。

 僕は動物園が好きなので、外国旅行をするとよく地元の動物園を訪れる。だから世界中いろんな動物園に行った。
 中国の大連の動物園に行ったとき、「猫」というシンプルな名札がかかっている檻があった。それほど大きくない檻なんだけど、中で猫が一匹ごろんと寝ていた。ごく普通の猫だ。まさかと思って、ずいぶん注意深く観察してみたんだがけど、どれだけ眺めても、やっぱり隅から隅まであたり前の、茶色の縞柄の猫だった。僕はわりにそのとき暇だったので、猫の檻の前に立ってその猫を長い間眺めていた。猫は丸くなってじっと眠っていて、まったく目を覚まさなかった。とことん熟睡してるみたいに見えた。
 中国まで来て、どうしてあたり前の猫があたり前に眠っているところをこんなに熱心に眺めなくてはならないんだろうと、我ながらわりきれない気持ちになったけれども、でもけっこういいんだよね、これが。もちろん寝ている猫なんで世界中どこにでもいるんだけど、動物園の檻に入っている猫を見る機会なんてそんなにあるものじゃない。中国ってやっぱり奥が深い国なんだと実感した。(「へんか動物園」より)

「犬」の檻はあったのだろうか。言及されていないところを見ると、「犬」の檻はなかったのだろう。思うに、「猫」の檻が設けられていたのは、「パンダ」をアピールするためのものなのではないかしら。「パンダ」の檻には「熊猫」という名札がかかっているはずで、そうすると、「普通の猫」を比較の意味で並べておこうと考えたのではないかしら。

いずれ動物園に「人間」という名札のかかった檻が登場する時代が来るのではないだろうか。そのとき観客は誰なんだろうという話なんですけどね。

胡麻ダレ蕎麦を食べる。

私の隣のテーブルで小学生らしき姉と弟が二人で食事をしていた。ラーメンを食べていた。蕎麦屋でラーメンか、子供らしいなと思っていたら、姉の方が店員さんにサイドメニューを注文した。鴨肉を炙ったものだった。この子、ただものではないなと認識を改めた。

「吉岡家」を出て、「ティールーム101」へ。今日は修士の学生がここでカフェの常連客にインタビューをすることになっている。紹介した手前、同席させていただくことにした。

お二人の女性の常連客にインタビューをすることができた。

瀬戸内レモンのシフォンケーキと紅茶はブリティッシュ・ブランチ(スティーブン・スミス)。私も「常連客」の一人として話の輪に加わる。

インタビューは2時間ほどで終了。ありがとうございました。いいお話を聴けました。

時刻は5時を回ったところ。朝からずっと雨模様だったが、結局、雨は降らなかった。

夕食は回鍋肉、スペイン風オムレツ、松前漬け、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『マル秘の密子さん』最終回(録画)。意外な(ノーマークの)人物が殺人(満子の姉、夏の元夫の)真犯人だった。この殺人犯にも小さな子供がいたよなと思っていたら、最後、密子がその子の元を訪れて、その子を連れて行くシーンで終わった。おいおい、それって誘拐にはならないのか?

月に一度、最終日曜日に放送される『村上RADIO』をタイムフリーで聴く。今日は二人の作詞家、安井かずみと岩谷時子の特集。作詞家を取り上げるのは初めての試み。

アダモ『雪が降る』、越路吹雪『ラストダンスは私に』、槙みちる『若いってすばらしい』、加山雄三『君といつまでも』など懐かしい名曲がたくさん聴けてよかった。最後の佐良直美『いいじゃないの幸せならば』だけは当時(1969)から好きではなかった。14歳の少年には「いいじゃないの幸せならば」という幸福観が受け入れ難かったのだろう。いまでも、そうかもしれない。

紹介したいブログがある。私はブログを毎日更新しているが、他人のブログはあまり読まない。5人いるかどうかである。紹介するのはその中のお一人。

「眺める空に描くもの」

10年近くのお休みの期間を経て(私は当時からの読者だった)、この8月から再開された「レイコさん」のブログである。

この二カ月、ほぼ毎日更新されている。最近は一日二回の更新が定着している。ひとつは闘病記やこれまでの人生の振り返り、もう一つは得意のお料理の記事。そのバランスがとてもいい。張りのある文章で、料理の写真も美味しそうである。とてもガンで闘病中の方とは思えない。すぐに紹介したかったのだが、習慣として定着されるのを見定めてからのご紹介となった。

最近、「このブログについて」という記事を投稿された。→こちら

まずはこの投稿をお読みになってから、興味をお持ちになったら、ブログ全体へ進まれるのがよいのではないかと思う。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


9月28日(土) 曇り

2024-09-29 11:53:50 | Weblog

8時15分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

五度目の立候補で石破が自民党総裁となる。ずっと「破れる」だったが、ついに「破る」となる。党の中で「野党的」存在だった彼がどんな手腕を発揮するのか見守りたい。

昨日のブログを書く。

1時に家を出る。今日は一文社会学専修の同窓会が染谷記念国際会館で開かれる。

早稲田に着いて「ファミマ」でハムカツサンドと缶コーヒーを買う。2時に幹事(世話人)は集合で、その後、3時から講演会、4時から懇親会(立食パーティー)なので、この時点でちょっとお腹にものを入れておく必要がある。でも、お腹は減っていないので、簡易な食事。

店の奥のイートインコーナーで食べる。ファミマのイートインコーナーは、通りに面したガラス張りのところと、店の奥の「従業員休憩所」的なところの、2パターンがあるように思う。ここは後者。ファミマの「ハムカツサンド」は、人に勧めるほどのものではないが、私は好きである。

諏訪通りを文キャンの前を通りすぎる。

諏訪通りから早稲田奉仕園の方へ入る。

早稲田奉仕園の横に染谷記念国際記念館がある。外観はマンション。

2時半から受付開始で、3時からまず講演会。今年の2月に88歳で亡くなられた同窓会副会長の正岡寛司先生(早稲田大学名誉教授)を偲んで、(1)大学の同級生だった馬場静子様から学生時代の正岡先生についての思い出、(2)先生の教え子であった池岡義孝早稲田大学名誉教授から学者・教師としての正岡先生の歩みについて。

4時から総会。新しい役員などを決める(正岡先生の後任として副会長に長田攻一早稲田大学名誉教授を選出)。

総会後、懇親会。

6時、散会。

私は本日、カメラ係を担当した。

7時半、帰宅。改めての夕食はとらなかった。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時、就寝。


9月27日(金) 曇り、時々小雨

2024-09-28 12:29:04 | Weblog

7時45分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

『虎と翼』最終回。いきなり寅子の幽霊と遺影が出てきたのには驚いた。当然、昨日の続き(甘味処での桂場と寅子+よねとの議論)から始まるのものと思っていたので。老いた航一は二度も妻に先立たれたのか。桂場はずっと苦虫をつぶしたような顔をしてきたが、それは最後の破顔一笑を際立たせるための演出かと思っていたが、最後は微苦笑で終わりましたね。これはこれでありか。『ブギウギ』の後で堅めのテーマのドラマなので、どうだろうと思ったが、寅子単独ではなく、家庭劇と「女子部」チームの群像劇的な面を強く押し出したことがよかったのだろう。

「終わっちゃいましたね」

昨日のブログを書いてアップしてから家を出る。

11時半に蒲田駅で卒業生のハユさん(論系ゼミ9期生)と待ち合わせて「きりん珈琲」に行く。天気予報では今日は一日雨。しかも午後になるほど本降りになりそうなので、駅から少し離れた「きりん珈琲」に最初に行くことにした。

二人とも厚焼き玉子のサンドウィッチときりんブレンドを注文する。

前に一度食べた「この厚焼き玉子サンドが忘れられません」というハユさん。私もときどき食べたくなる。特製の甘めのソースがいいんですよね。

ここではスイーツは食べなかった。この後、カフェの梯子をすることになるので、「少しずつ食べ歩く」というのがカフェ巡りのコツである。

ハユさんは今月の16日に軽井沢の教会で挙式をされたのだが、そのときの写真を見せてもらう。「石の教会」と呼ばれている内村鑑三記念館。神秘的なムードが漂っている。花嫁もきれいである(挙式の写真は非公開)。


写真は教会のホームページから拝借

「きりん珈琲」には1時間ほど滞在。駅に戻る途中の公演で。

雨はまだパラパラ程度。

二軒目のカフェは大森に移動して、ジャーマン通りを10分ほど歩いたところにある「sanno2198」。一時的なものであろうが、雨は止んでいる。天気予報、外れてくれたかな。

「sanno2198」に到着。あとは席があるかどうかだが(カウンターは4席しかない)、先客は2名、ついている。

私はプリン。

ハユさんはバナナのシフォンケーキ。

そして二人ともアイス珈琲を注文した。氷の入らない、ネルドリップした珈琲を金属の器ごと氷で冷却した珈琲である。手間がかかるので、マダムの手が空いているときに注文する逸品である。

お店は9月前半は夏休みだった。若い頃から登山が趣味のマダムはこの夏休みは上高地から槍ヶ岳に上ったそうである。「登るときより降るときの方がきつかったです」とのこと。階段でもよく聞きますよね。でも、私はどっちもきつくなってきているけどね(笑)。

すでに先客の二人は店を出ていたので、マダムにカウンターの中からわれわれの写真を撮っていただく。このアングルでの写真は初めて。

滞在時間は1時間半ほど。マダムとたくさんおしゃべりできて満足気なハユさん。

三軒目の(最後の)カフェは「sanno2198」から大森駅に戻る途中の山王小学校の横にある「本の庭」。彼女は二度目の訪問だが、前回は閉店時間20分前の訪問だったので、今日はゆっくりと。

スタッフのKさんに、いま「sanno2198」に行って来たところですと告げると、「カフェの梯子ですか!」とびっくりしていた。Kさん自身、「sanno2198」の常連客の一人なのだが、「カフェの梯子」という習慣はないらしい。たぶんお酒を出す店の梯子はおありなんでしょうけど(笑)。

先客はいなかった。近隣の年配の常連さんの多いお店で、暑い日や雨の日は客足が遠のいてしまうそうである。

貸切り状態で、いつも以上にゆったりした店内。

二人ともモーモーチャーチャーと紅茶を注文。

「モーモーチャーチャー」は「かき混ぜる」という意味だが、前回は「混ぜない派」(ストア派みたい)の私はかき混ぜずに食べたが、今回は「郷に入っては郷に従え」でかき混ぜて食べてみようと思う。

かき混ぜる前に横並びになってKさんに写真を撮っていただく。

かき混ぜる。うん、これはこれで美味しいですね。

「本の庭」には1時間ほど滞在した。ハユさんとは大森駅のホームで反対方向の電車に乗る。今日は雨の中のカフェ巡りを覚悟していたけれど、普段の行いがよかったせいか(二人とも?)、天気予報はよい方に外れて、暑くなく、寒くなく、ちょうどいい散歩日和だった。今日はありがとう。またお会いしましょう。

蒲田に戻って、街を歩いているときに、ふと、目に入った看板。『虎と翼』のせいだろう。「魚に翼」だったら「トビウオ」だ。

夕食は豚シャブ。

妻はロース肉で私はバラ肉。

食事をしながら『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だったんだ』第6話(録画)を観る。まだまだ家族は大変だ。

ハユさんからいただいたお菓子を食べる。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


9月26日(木) 晴れ

2024-09-27 11:01:24 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。トーストが少し焦げた。二度焼きしたからである。「冷凍パン一枚」という設定でいつも焼いているのだが、冷凍庫から出してからの時間が短かったのか、あるいは気温が低かったからか、いつもよりキツネ色に焼きあがらなかったので少し延長したのだが・・・焼き過ぎた。

桂場は定年退職した後も甘味処に通って甘団子を食べつづけている。私もそうありたいと思う。

 葛餅の蜜かけすぎし老紳士 たかじ

いまのところ血糖値に問題はない。

昨日のブログを書く。

1時からAさんのゼミ論相談(オンライン)。始める前に鳩サブレーを食べる。

2時半ごろ、ゼミ論相談を終え(1時間の予定で始めてもたいてい1時間半に及ぶ)、昼食を食べに出る。

舗道にアオスジアゲハがとまっている。そろそろ寿命が尽きるのだろう。普通は気づくが、スマホ歩きをしていると踏んでしまうのではなかろうか。安らかな最期を迎えられますように。

多摩川を渡って「ノチハレ珈琲店」に行こう。先日、墓参りで妹に会ったとき、「よくあの暑さの中を川を越えてカフェに行こうという気になるよね」と感心されたが、川崎は蒲田の隣ですからね。反対方向の大森に行くのと同じ。川を渡るかどうかは問題ではない。泳いで渡るわけではないから。車窓から広い景色を眺められていいですよ。「県境を越える」(東京→神奈川)というところにちょっとした旅行気分を味わえる(かもしれない)。

川崎で南武線に乗り換えて二つ目の矢向(やこう)で下車。

小さなたたずまいの駅である。

でも、乗り降りする人はそれなりにいる。川崎というターミナル駅から2つめですからね、大きな惑星の小さな衛星という感じかな。住むにはいい街だと思います。

住むにいい街かどうかの私なりの基準の1つは、いいカフェがあるかどうか。散歩圏内にいいカフェがあるかどうかは私のライフスタイルにとってはとても大切なこと。いいカフェとはどういうカフェか、それは人それぞれ、「お気に入りのカフェ」ということです。

「ノチハレ珈琲店」は、こじんまりとしていて、店主さん(ご夫婦)の人柄がよく、メニューが充実している。これが私にとってのよいカフェの条件。

店主さんが私の顔を見て、「梅ソーダはもう終わってしまいました」と申し訳なさそうに言った。その悲報についてはお店のインスタで知っていた。先週の水曜日、猛暑が何日か続いた頃である。予想より一週間早かった。始まりがあれば終わりがあるのは人の世の常である。

きのこのグラタントーストとジンジャエールを注文する。レモンの輪切りの入ったジンジャエールは梅ソーダに見えなくもない。亡くなった妻の面影のある女性と再婚した男のような気分である。

先客は一人だけだったが(平日の午後3時前後というのは一番空いている時間帯である)、途中で、お子さんを二人連れた女性が入って来て、「まだかき氷はありますか?」と聞いた。「すみません。もうかき氷は終わっちゃったんです。でも、まだ氷が残っていればお作りできます」と店主さんは言って奥の部屋に入っていった。そして、「一人分ならできます」と言った。女性は少し考えて、「じゃあ、けっこうです」と言って店を出たが、すぐには立ち去らず、入口の外で三人で何やら話している。ややあって、再び店に入ってきて、「やっぱりお願いします」と言って席に着いた。抹茶のかき氷とケーキとオレンジジュースなどを注文した。抹茶のかき氷は三人で分けて食べていた。「一杯のかけ蕎麦」のかき氷バージョンである。もっともお金がなくてそうしているわけではないけれど。

ハレブレンドを注文。『村上ラヂオ』の続きを読む。

 世の中には永久運動は存在しない、というのは物理学の一般常識だけれど、半永久運動というか、「永久運動みたいなもの」は、けっこうある。たとえば柿ピーを食べること。
 柿ピーのことは知ってますよね? ピリッと辛い柿の種と、ふっくらと甘い香りのあるピーナッツが混じっていて、それをうまく配分し、組み合わせながら食べていく。誰が考えたのか知らないけど、よく思いついたよね。ちょっと普通では考えつかないとりあわせだ。考えた人にノーベル平和賞をあげたいとまでは言わないけど(たとえ言っても相手にしてくれないとだろうけど)、卓越したアイデアだと思う。(「柿ピー問題の根は深い」より)

このエッセーが『アンアン』に載ったのは2000年の頃だと思うが、いまだとうっかり「ノーベル平和賞」なんて言葉を使えないですよね。なにしろ自身が毎年ノーベル文学賞の候補にあがっているのだから。

店には1時間ほど滞在した。

蒲田に戻って床屋に行く。今日は待つことなくやってもらえた。担当のスタッフは釣り好きの方なので夏場の釣りの話などをする。

電気店の店先には寿命を終えんとするアゲハ蝶のような扇風機が並んでいた。

ただいま。

夕食は鶏モモ肉と茄子の甘辛味噌炒め、椎茸のグラタンのせ焼き、味噌汁、ごはん。

ごはんのすすむ味付けである。

食事をしながら『家族だから愛したんじゃ久手、愛したのが家族だったんだ』第6話(録画)を見る。主人公は作家になった。普通はこれで最終回だが、でも、話はまだ続く。10回まであるみたいだ。

デザートは巨峰。

9時からオンラインで私が修論の副査をしている学生の模擬インタビュー。今度の日曜日にカフェの「常連客」にインタビューをするのでその練習である。1時間半ほど。「調査」感を出さないで「おしゃべり」という感じでね。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


9月25日(水) 曇り、時々小雨

2024-09-26 10:44:09 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、オレンジジュース、珈琲の朝食。牛乳が切れたので(お昼に生協の配達がある)、コンビニに行ってオレンジジュースを買ってきた。

本日の朝ドラ。最高裁大法廷の結審の日。「懲役2年6カ月。執行猶予3年」の判決。「尊属殺人」ではなく「通常の殺人」として情状酌量の短期の懲役+執行猶予である。

「事実上の勝訴ではありますが、これから、被告は殺人を犯した人として生きて行かなくてはなりません」

雨模様の空。あの灼熱の太陽はどこへ行った?

チャイは一階の和室のチェアーの上で寝ている。夏の間、一度もこの上で寝たことはなかった。

昨日のブログを書く。

教授会(オンライン)の始まる前に昼食を食べに「吉岡家」へ行く。

注文を済ませて、キンドルを広げて、エッセイ集『村上ラジオ』を読み始める。長編小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み終わったばかりなので、すぐに次の長編(再読)という気分ではない。村上春樹自身も長編を書き終わったあとはしばらく短編・中編を書く(同時に翻訳も)というペースを守っている。

 でも、うなぎっておいしいよね。何を隠そう、僕はだい好きです。毎日食べるものではないけれど、二カ月に一回くらい思い出して、「そうだ、今日はうなぎを食べよう」と決心し、食べに行く。うなぎというのは不思議な雰囲気をもった食べもので、「うなぎ屋に入り、うなぎを注文して食べる」という一連の手順を踏むだけで、そこで何かひとつの思いが完結したという、一種儀式的な感触がある。そういうどことなくいわく言いがたいとこころも心地いい。(「うなぎ」より)

共感しかない。(「だい好き」という表記以外は。「大好き」じゃないんだ)。

天ぷらうどん(+生卵)。さすがにまだ鍋焼きうどんには早いだろう。でも、ほんとに、急に秋になったものである。

店を出ると、雨がパラパラと降り始めていた。いかん、ベランダの洗濯ものが出たままだ。足早に帰る。

2時から教授会(オンライン)。今日から柳沢学術院長以下、新教務チームのご担当。どうぞよろしくお願いいたします。

夕方、散髪に出かける。前回から2カ月ちょっと、もう行かなくては。しかし、店の前まで行ってみると、案外混んでいる。たぶん三連休は月曜日も営業して、昨日がお休みだったのだろう。明日にしよう。

駅ビルに買物に行く。

秋ドラマのチェック用に雑誌を購入。たくさんある雑誌のほぼ全部がジャニーズ系(そういう言い方はもうしないのか)のタレントたちの表紙だったので、そうでないものを購入。

事務所からオンデマンド講義「ライフストーリーの社会学」の一次登録の状況について連絡があった。374名(定員)をすでに満たしている。オンデマンド講義の定員については、374名、500名、無制限という3つの選択肢がある。教室を使わないから無制限でも講義はできるが、しかし、毎回、レビューシートに目を通したり(採点もする)、学期末にはレポートを読まなくてはならないから、私には374名しか考えられない。ちなみに374名というのは戸山キャンパスで最大の38号館AV教室の定員と同じ数である。

夕食は鶏むね肉のジューシー唐揚げ、サラダ、味噌汁、ごはん。むね肉の唐揚げは新作である。NHKの「きょうのみんなの料理」にレシピ(by 和田明日香)が載っている。

もも肉の唐揚げよりあっさりしている。軽く味付けはしてあったが、カボスと塩を少し振って食べた。

サラダもいつもとちょっと違う。

デザートは巨峰。

食事をしながら『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だったんだ』第5話(録画)を観る。

「ばいばすけっと」に買物に行って初めてセルフレジを使ってみる。やり方が分かれば簡単だ。対人のレジが混んでいるときに利用しよう。空いていたら? 対人レジを使いますよ。人間と言葉のやり取りをしたいですから。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時、就寝。私にしては早い。寒いからだろう。